イリハ会戦後に自主的に休みを取った海燕は、1週間ぶりに騎士養成所に向かい……門のところに貼られていた紙を見てぽかんと口を開けた。
「……夏期休暇?」
 7月22日から8月末まで……前もって申請すれば日曜祝日は使用できるが、平日は使用不可云々。
 傭兵達は、身体が鈍らぬように休暇期間中も気を引き締めて……以下略。
「ず、頭痛が…」
 壁に手を突き、海燕が首を振る。
「せ、戦争中……なんだよね?」
 と、ピコの声もさすがにふるえを帯びていて。
「よ、養成所に勤める職員の休暇って事なのか……いや」
 施設内に視線を向け、海燕が耳を澄ます。
「……人がいるな、しかもかなりの人数だ」
「私、ちょっと見てくる」
 と、ピコが塀を乗り越えて施設内へと姿を消し……10分ほど経って戻ってきた。
「どうだった?」
「騎士が訓練してた」
「……なるほど、そういう事か」
 と、納得したように海燕が呟き……ピコに視線を向けた。
「結局、傭兵は信用されてないって事だ……俺達を閉め出して、自分たちだけで訓練したいって事だな」
 騎士連中が真面目に訓練するなら、それはそれで悪くない。
「信用してないって…」
「別に、珍しい事じゃない……金を惜しんで、傭兵連中が全滅するような作戦を立てた雇い主だっていたしな」
「……でも」
 何か言いたげだが、ピコが口ごもる…。
「そうだな……第2次傭兵徴募も決定したようだし、もう1つ訓練所というか、養成所があればいいんだが…」
 と、海燕に言われるまでもなく、軍部としてもその必要性を感じていたのだろう……既に、第2騎士養成所の建設を軍部が上奏し、王室会議によって可決されていた。
 もちろん、現時点で海燕とピコはそれを知らない。
「……というか、9月までどうするのさ?」
 照りつける太陽を見上げながら、海燕が呟く。
「まあ、考えてみればあれだけの大惨敗だったからな…騎士団の再編成も必要だし、次の派兵はかなり先の事になるだろう」
 春だというのにもっと強く照りつける太陽を海燕は知っている……が、強い弱いではなく、やはり夏の日差しは夏の日差しで。
 この地域は夏に乾燥し、晩秋から春にかけて比較的雨量が多くなる……遠く離れた、故郷とは逆の気候だが、そこを離れてから既に10年以上、しかも戦場から戦場へ各地を渡り歩いた海燕にとって、それほどの感慨は生まない。
「でも、ヴァルファの方から、攻めてくるんじゃ…?」
「プロキアが、今後1年に渡って背後からヴァルファを牽制し続けることでドルファンを援護する…と明言したそうだ」
「……ドルファンが勝つまでじゃなく、1年っていう期限の切り方が引っかかるね」
「それ以上は、勝てないお前らの責任だ……って事だろう」
 もしも、ヴァルファの方から攻めてくるなら……何故、最初から攻めてこなかったのかという疑問が残る。
 ドルファンを敵としながら……その実、時間を稼いでいると見るのが妥当だろう。
 兵力数の大きな開きは、ヴァルファの方から積極的に仕掛けてこない理由になり……ドルファンとしてはダナン奪回のために自分から仕掛けざるを得ないが、国内の事情がそれを簡単には許さない。
 ヴァルファなり、ドルファンなり、プロキアの背後にいるはずの黒幕達は、この先何を用意しているのか。
「……自分の役柄を知らされずに舞台の上に立つのは、落ち着かないな」
 まだ、幕が上がったばかりなのか……それとも、最終章へ突入しているのか。
 神ならぬ身の海燕が、それを知ることはかなわない。
「……あ」
「どうした、ピコ?」
「キミ、バイトしなよ……イリハの会戦ですっかり忘れてたけど、ほら、夏至祭の時に水晶玉壊しちゃったじゃない。あの弁償をさっさとすましちゃえば?」
「……確かに」
 6月の……夏至の日に行われた夏至祭。
 各地で篝火を焚き、太陽の恵みを感謝する祭だが……カミツレ地区ではドルファン王家の紋章の形に山肌が焼かれ、夜店なども出て結構にぎやかな祭りだった。
 で、例によってピコに連れ出されて赴いた海燕だったが、運命の相手が水晶玉に映るという占い師にピコが興味を示し……やってみたところ、水晶玉がまっぷたつ。(笑)
 これがなかなかに高価な物で……理不尽だとは思ったが、弁償することになってしまったのだ。
「しかし、バイトと言ってもな…」
「キミって器用だからなんだって出来るじゃない。今までだって、色々やってきたわけだし…ほら、新しい出会いがあるかも知れないよ?」
「いや、そうじゃなくて……ま、いいか」
 この春まで半鎖国政策を執っていた国で……しかも、珍しいことこの上ない東洋人。
 今ひとつピコにはそのあたりの感覚が理解できないようだが、バイト先を探す方が大変なのは明らかで。
「じゃあ、あらためて、バイト探しにレッツゴー」
 
「ねえ、このパン屋さん」
「無理」
「何年か前、旅先で手伝った事あったじゃない?」
「そうじゃなくて……」
 どう説明すればいいのかと、海燕は頭をかき。
「ほら、ピコと出会ったばかりの頃……プールに黒人の子供が飛び込んだのを見て、白人の連中がプールの水を入れ替えてたことがあっただろ?」
「あったね……というか、あの時はキミも首をひねってたじゃない?」
「肌の色が違うだけで、嫌悪を示す連中が少なくないんだよ……あいつらが触れた水なんか、汚くて触れるか、みたいな」
「……バカじゃないの?」
「俺もそう思うが…っ?」
 ピコに耳を引っ張られ、海燕が怪訝そうに振り向く。
「私は、キミがバカって言ってるの。そういう人たちがいる…それはわかったけど、ここのパン屋の人がそういう人かどうかはわからないでしょ?」
「だから、ここのパン屋の人がそういうこだわりを持たない人なら余計に迷惑をかけたくないんだ……パンを買うのは客なんだから」
「だからっ、やってみないとわからないって言ってるでしょ」
 さて……海燕とピコのやりとりを、端から見るとどう見えるか。(笑)
「……ちょっと待て、ピコ」
「私は譲らないからね」
「じゃなくて…」
 声を潜めて、海燕が周囲に視線を向ける……と、慌てたように視線を逸らす通行人。
「……ぁ」
 ここにいたって、ピコも現在の状況に気がついたらしく。
「とりあえず、ここから離れようか…」
「そうだな…」
 
「そうだね、やっぱり傭兵なんだから体力仕事が一番だよね…」
「まあ、手っ取り早く稼げるという意味でもな」
 あれから数日、海燕はカミツレ地区鉱山区にある、燐光石採掘所にいた。
 燐光石に特殊な酸を反応させると発光し、しかもそれが長期(半年ほど)に渡って継続する……ここ20年ほどで全欧から北露圏において一気に広まったため、海燕はそれほど親しみがない。
 ちなみに、光を消すには反応を止める粉末を使用するのが一般的だが、その粉末が高価なことと、それを繰り返すと発光時間が短縮されるため、黒い布をかぶせて光を遮断するという手段がとられることが多い。
「知識として知ってはいたが、不思議なモノだな…」
 掘り出した燐光石を手にとって、しげしげと眺める。
「大通りの明かりにも、これが使われてるんだって」
「へえ……宿舎は蝋燭なんだが」
「高いから、庶民には手が出ない……って事じゃないの?」
「かも知れないな…」
 と、海燕は燐光石を積んだ一輪車を押しながら、採掘が続けられている場所に目を向けた。
 鉱物資源を巡っての戦争は珍しくないし、同じ傭兵仲間等の話や、ピコの仲間の手がかり探しの過程によって、普通の人間よりは鉱山については詳しい。
 採掘が難しくなればなるほど手間がかかりコストが上がる……つまり、危険な採掘現場が存在すると言うことは、鉱物資源そのものが枯渇しつつあることを示しているわけで。
「……ザクロイド財閥ね」
 良くも悪くも有名人……と言うべきか。
 ドルファンにおける燐光石資源を独占……輸出入を統括するベイラム・オーリマン卿を甘い餌で誘い込み、シベリア産の燐光石輸入を認めさせないことで利益を独占しているとかいないとか。
 燐光石事業による利益を蓄積し、買収によって複合企業体を作り上げ、現在のザクロイド財閥を築いた創始者は既にこの世になく……経営権は、その息子が引き継いだようだが、上でも下でも評判は最悪。
 創始者は、その声を押さえ込むだけでなく巧みにいなすしなやかな強靱さを備えていたようだが……息子の方は、それだけの力がないと言うことだろう。
 それなのに、むしろ事業規模は拡大しているのは……。
 かんかんかん…。
 昼休みを告げる鐘の音で、海燕の思考が中断させられた。
 つらい作業だが、昼食の弁当を受け取りに向かう作業員の顔色はそれほど暗くはない。
「おう、こっちにやかん回してくれ」
「おらよ…」
 木陰で、建物の中で、車座になって昼食をとる作業員……うわべではない、こういう所でその国が持つ素顔がのぞく。
「アンタ、東洋人か?」
「ああ…」
「珍しいな、初めて見たよ」
「そうだな……俺もこの国で、別の東洋人を見かけたことはないしな」
「俺は、港の倉庫のあたりで、見たことがあるぞ」
 と、これは別の男。
「東洋圏ってのは、遠いのかい?」
「広いからな……この国から、スィーズランドに行くまでより、もっともっと東と西で離れた範囲に広がってるんだ」
「へえ、そうかい……そんな遠いところから、一体何しに…?」
「一応傭兵……の、はずなんだがな」
 と、海燕がツルハシを構えると、笑い声があがった。
 その気になれば、海燕にも場を和ますような会話が出来る……もちろん、向こうが敵意を持っているときはどうにもならないが。
 かーん。
 昼休みが半分終わったという合図に、男が慌てたように弁当を手に取った。
「おっと、さっさと食って休まねえと…」
 
「……極端だね」
 採掘所からの帰り道、ピコがぽつりと呟いた。
 東洋人を雇うことに対する拒否感というか……『すまない、さっき決まったところでね』などと言い訳するのはマシな方で、そのほとんどが門前払いにあった事を思い出したのだろう。
「……ああいうもんさ」
 あの連中だって今は愛想が良くても、状況1つでがらりと態度を変える……そう思ったが、海燕は口に出さなかった。
「私とキミは……この10年、ほとんど同じモノを見てきたはずなのにね…」
「いいよ、ピコは」
「え?」
「ピコはそれでいい……俺はそう思う」
「……世間知らずって言いたいわけ?」
「そうじゃない…」
 と、海燕が苦笑を浮かべたモノだから、ピコがムキになる。
「キミ、私をバカにしてるでしょ?」
「だから、違うって…」
「私より、絶対キミの方が世間知らずなんだからねっ。私が案内してあげなきゃ、この街のどこに何があるかもわからないんだからっ」
「わかった、謝るよ、俺が悪かったってば…」
「まだ、顔が笑ってるっ」
 さて、こんな2人が周囲からどう見えてるかというと…。(笑)
 
 採掘現場でみっちり2週間……海燕は無事に、水晶玉の弁償を終了。
 その期間に、落盤事故が発生して死傷者が出たが……幸いにもと言うべきか、海燕が働いていた場所とは別の採掘現場だったために無事だった。
「もう、あそこのバイトはやめておいた方がよさそうだな…」
「そうだね……と、夏期休暇も、後半月ちょっとだけど…」
 ちらり、とピコが海燕を見る。
 その視線に負けて、海燕は身体を起こした。
「散歩にでも、行くか…」
「そうこなくっちゃ」
「で、ピコのお勧めはどこだ?」
「……」
 ピコは首を傾げ……窓の外に視線を向け、また首を傾げ。
「こ、国立公園…かな?」
「……ああ、聞いた事があるな」
「今日は暑いから、海の方がいいかなと思うんだけど……やっぱり、行ったことのない場所の方が、キミだっていいよね?」
「まあ、ピコのお勧めならどこでも…」
 などと、海燕が傭兵宿舎を出て……すぐに異変に気がついた。
「……何かあったのかな?」
「騎士の連中だな……城に向かっているようだが」
 おそらく、招集か何かがかかったのだろう。
「キミは?」
「傭兵にまで招集がかかるのなら戦争だ」
「でも、気にはなるよね…?」
「まあ、それは…そうだが」
 小さく、囁くような声で海燕が応える。
「あ、こっちだよ…」
 養成所に向かう方角とは反対の方を指さすピコ。
 その方角にしばらく歩くと、町並みが明らかに変化を見せた。
「……何で、どの国でもお金持ちって同じ場所に集まるのかな?」
「まあ、利便のいい場所を金持ちが買うという自然発生的な理由もあるし、区分けすることで余計な摩擦を軽減させるという計算とか…」
「私は、同じ花ばっかり咲いてる花壇なんて面白くないと思うんだけど…」
「花の種類別に分かれている方が、好きって奴もいるはずだ」
「ん、それは…そうかもね」
 なんとなくといった感じで、ピコが頷いた。
「ちょっと、ねえ、ちょっとってば…」
「なに?」「なんだ、ピコ?」
 ピコと海燕はお互いの顔を見つめ合う。
「ねえねえ、そこの東洋人のお兄さんってば…」
 キミだよ、うむ、そのようだ……と、目で語り合ってから海燕がそちらを振り返った。
 鮮やかな金髪が、一瞬ジョアンを連想させたが……物陰から、ひょこっと顔を出すような格好で、少女が海燕を手招きしていて。
 ちらり、と横目で見ると、ピコが『わかってるよね?』と言いたげに睨んでいるのがわかったので。
「どうかしましたか、お嬢さん?」
 そうそう、その調子……とばかりに、ピコが海燕の背中を叩く。
「あそこのアイスが食べたいの、買ってきてくれない?」
 と、少女が指さす先にはアイスと書かれた看板を掲げた屋台があり。
 今日のような暑い日を待っていたのだろう、氷室にでも貯蔵しておいた氷を使っているのか……。
 それはさておき、背後でピコが何かを考えている気配が伝わってくる。
 少女のために……と言うより、あまり暑さに強くないはずのピコに一時的な涼を与えてやりたくて、海燕は頷いた。
「わかった…そこで待っててくれ」
 さっきとは全然違う海燕の口調に戸惑ったのか、少女はきょとんとした表情を浮かべたが……すぐに気を取り戻したのだろう、小さく頷いて見せた。
「お願い、おいしいやつね」
 少女をおいて歩き出した海燕の肩にのり、ピコがぼそぼそと呟く。
「キミってさ……ああいう娘がいいの?」
「いや、今日は暑いしな…」
 その言葉でわかったのか、ピコがちょっと照れたように俯いた。
「…ありがと」
「気にするな…というか」
 屋台の側にたどり着き、海燕はそれを見た。
 どうやら、想像していたかき氷のようなモノではないようで……牛乳か何かを氷で冷やして固めた食べ物らしいが……海燕自身は初めて見るものだった。
「高いっ、これ高いって、キミ」
 ピコの声に、値段を確認。
「むう…」
 あまり金銭に執着を見せない海燕をして、おもわずうなり声をあげてしまうお値段。
「なるほど……『買ってきてくれない?』と頼みたくもなるわけだ」
「わ、私の分はいい、いいからね…」
 と、さすがのピコも及び腰。
「……っていうか、結局はお金持ちの区域の屋台ってことだね」
「そうだな…」
 ため息をつきつつ、何はともあれ購入したアイスを手に少女の元へと逆戻り。
「ありがと…」
 と、少女は海燕の手からアイスを受け取って一口。
「あ、ま〜い。この安物っぽい甘さが、たまらないわっ」
 などと大はしゃぎする少女を後目に。
「……あの値段で、安物らしいぞピコ」
「……っていうか、この娘、何者?」
 海燕とピコはひそひそと語り合い。
 2人ともそれほど衣服に詳しいわけではないが、少女が身につけている服は安物ではないが、それほど高級なモノとも思えず。
 少女の髪を飾るリボンが絹であることが、裕福さを感じさせるぐらいで。
「うんっ、美味しかった。ありがとね、お兄さん」
「いや、満足してくれたなら何より…じゃあ、これで」
 と、少女に背を向けた海燕を、今度ばかりはピコも止めようとせず。
「ちょ、ちょっとちょっと…」
 少女が抱きつくようにして海燕を引き留めた。
「アイス買ってもらって、はいさようならってわけにはいかないでしょ。ちゃんとお礼ぐらいさせてよ」
「いや、キミの笑顔だけで充分だ」
 どこかで聞いたような海燕の台詞に、少女は反対に目を輝かせた。
「お兄さん、ポイント高いわよ」
 別に低くてもいいんだが……と、心の中で呟く海燕の手をぎゅっと握りしめ。
「私、馬に乗ってみたいの」
「……」
 どうしたもんだか…と、途方に暮れる海燕の耳元で、ピコがため息を混じりに呟いた。
「ねえ、犬に噛まれたと思って諦めようよ…」
 
「今日はすごく面白かった…」
「そうか、それは良かった」
 牧場に赴き、少女を背に馬に乗り……色々あって、当初の目的地だった国立公園にも立ち寄ることも出来たし……振り回されはしたが、覚悟してたよりも、普通の一日だったと言うべきか。
 もちろん既に日は暮れて。
「来週、ここで待ってるからね。絶対に来てね、海燕」
「え…」
 いや、それは……などと断る時間も与えずに、一日中走り回ったとは思えぬ軽い足取りで、少女は走り去っていく。
「……キミ、名乗ったっけ?」
「……名乗ってないな」
「……っていうか、あの娘の名前は?」
「……聞いてないな」
「来週……待つの?」
「……向こうが俺の名前を知ってるって事は、待たなきゃまずいんじゃないか?」
 ピコはちょっと考え込むような仕草を見せ……ぽつりと呟いた。
「勘違いかも知れないけど……私、あの娘をどこかで……見た目とか外見じゃなくて、あの雰囲気を感じたことがあるような気がする」
「……誰かが、変装してるって事か?」
「それほど昔じゃないと思う……多分、この国に来てから…」
「……まあ、来週になって考えよう」
「……そうだね」
 
 そして次の週。
 既にとっぷりと日は暮れて。
「……来ないね」
「というか……夕方ぐらいからずっと見張られてるな」
「うん、それもわかってる」
 場所は国立公園……先週、少女と別れた場所だ。
「罠では……なさそうなんだよな」
「うん、私も危険は感じてないよ…」
 乾燥しているせいだろう、日が落ちると日中の暑さが嘘のように過ごしやすくなる。
 夜風の中、ピコが気持ちよさそうに海燕の周囲を飛び回り……何かに気付いたように小さく声をあげた。
「どうした?」
「思い出した…お城だよ、お城の空中庭園っ」
「……?」
「だから、あの娘の雰囲気……お城の空中庭園にいた……」
 ピコがちょっと口をつぐみ、海燕を振り返る。
「ピコ?」
「か、勘違いかも知れないけど……あの娘、王女様かも」
「は?」
「いや、だからこの国の王女様だってっば、プリシラ王女っ」
 しばしの沈黙を経て、海燕が気の抜けた声を漏らした。
「なんで?」
「そんなの、こっちが聞きたいよ…」
 ほどなくして、落ち着きを取り戻した海燕がぽつりと呟いた。
「ま、どうでもいいさ……どのみち関係のない話だ」
「それは……そうかもね」
 いつもなら怒るピコだが、今回はそれに同意し。
「でも、キミって王女様に縁があるね…」
「今日姿を見せない時点で、縁もへったくれもないと思うが……というか、あの娘からは王女というか、王族のオーラは感じなかったぞ?」
「だから、思い出せなかったんだってば……」
 そうして時間は過ぎていき……日付が変わる直前に、海燕を見張っていた気配が消えた。
「……いなくなったね」
「諦めるにしても妙な話だ」
 スパイとして疑われているなら、反対に監視が強まる時間帯といっていいだろう。
「いなくなったと見せかけて、こっちの動きを誘ってるとか」
「誘われてもな…」
 と、海燕は苦笑を浮かべ。
「約束は果たしたし、そろそろ帰るか、ピコ」
 ピコが夜空に視線を向け……ぽつりと呟いた。
「もうすぐ、夏も終わりだね…」
 
 夏の終わりにかけて海燕とピコの2人が比較的な穏やかな日々を過ごす中、ドルファンを取り巻く国際情勢は激変を見せた。
 まず、ヴァン・トルキア帝国において国王ヘレニガム14世が22歳という若さで急逝……トルキア大帝国時代から続く国王血筋の直系が絶え、傍系にあたるアレイス家とクルニガム家による後継者争いが勃発。
 その争いに、領土拡大を望むゲルタニアが便乗……クルニガム家の支援に乗り出すと、形勢不利と見たアレイス家は『庇を貸して母屋を取られる』のことわざを知らないのか、あろう事かシベリアに支援を求めたのであった。
 ヘレニガム14世の国葬すら行われないまま、ヴァン・トルキアは内戦に突入……シベリアより派遣されたスペツナズ大隊が到着するまで、クルニガム家を支援するゲルタニア軍は快進撃を続けたが、スペツナズ大隊が到着することで膠着状態へと。
 陸続きで増援を送ることが出来るゲルタニアと、自由に増援を送り込めないシベリア……戦況は徐々にクルニガム家に有利に傾きつつあるが、泥沼状態である。
 一方、ハンガリアでは王政復古を目論むボルキア回帰戦線のグループにより、テロ活動が活発化。国内は揺れに揺れている。
 これらが偶発的出来事なのか、それとも仕組まれた出来事なのか……何はともあれ、ドルファンによる傭兵徴募に少なからぬ影響を与えたことだけは間違いない。
 
 9月になり……また、訓練づけの日々が始まった。
 教官が傭兵達に対する指導をあまり熱心に行わなくなったことから、ヤングの存在が大きかったことを今更ながら実感する海燕である。
 もちろん、スィーズランドでの第二次傭兵徴募によって、新しくドルファンにやってきた連中がくわわり……手が足りなくなったという言い訳はあるだろうが。
「……勝手に訓練しろって事かよ」
 そんな些細なことからも、傭兵連中のストレスはたまっていく。
 強制されない限り、学問や礼儀の訓練を受けたがる傭兵がいるはずもなく……傭兵達の訓練は、実践的な分野へと偏っていくのは当然で。
「補佐、ちょっと稽古つけてくれや」
「わかった…」
 イリハ会戦の指揮によって、第一次傭兵徴募の連中からはそれなりの信頼を得た海燕は、『補佐』と呼ばれることが多く、新しくやってきた連中は海燕がそういう名前だと勘違いしているようだったが、それを特に気にもせず。
 もちろん、この東洋人の若造が……と考える連中も少なくはないが、そういった連中は連中で別の傭兵の指示に従うグループとなり、海燕を中心とする傭兵グループは全体の4割程度で、残りを二等分する形で2つのグループが形成され、3つのグループと、少数の一匹狼……イメージとしては、そんな状態に落ち着きつつある。
 本当は、海燕自身もグループなど形成せずに一匹狼でありたかったのだが……戦いに負けて命を落とすぐらいならと、敢えて集団の指導的立場にあることを甘受し。
 自分の強さを頼みに威張ることもなく、きちんと周囲との距離を測る海燕の存在は、今のところはおおむね好意的に受け取られているようで。
「……東洋人は若く見えるって聞いたが、補佐、アンタいくつだい?」
「21だ……傭兵歴はその半分だが」
 ひゅーと、質問した男が口笛を吹く。
「筋金入りだな、アンタ」
「これ以外に、能がなくてな…」
「アンタみたいなのでも、傭兵を続けなきゃならないのか……甘くないな。そもそも、俺は銃が得意だってのに…」
 ぼやくように呟き、ひゅっと訓練用の剣を振る。
 ドルファンの騎士団に、銃兵隊は存在しない……陸戦の雄、剣に対する思いは宗教じみており、王立会議からの銃兵隊発足の打診を軍部は拒否し続けている。
 無論、銃を得意とする傭兵は武器変更を受け入れざるを得ず……この男も、第2傭兵徴募でやってきたはいいが、慣れない(と言っても、素人ではない)剣の訓練にいそしんでいるわけだ。
 第一次傭兵徴募約320名……既に20名程が命を落として300名を割り込んだが……それに加えて、第二次傭兵徴募による、約250名。
 イリハ会戦でドルファン側が惨敗した……それを受けての傭兵徴募に手を挙げた連中である。
 負けそうな戦だから軍功をたてやすいと睨んだ腕自慢から、次の戦いからはドルファンも本気でやるだろうという計算タイプ、食い詰めて他に選択肢がなかった……などと、上下格差の大きい連中が顔をそろえており。
「補佐、ちょっと武器を変えてみようと思うんだが、相談に乗ってくれるか?」
 やれやれ、と肩をすくめながらも、海燕は求めに応じる。
 最後の最後で頼りになるのは己の腕だが、それまでは味方を頼りにするわけで……ずっと昔、傭兵としての技術を教えてくれた先達がそうしてくれたように、海燕は頼りにならない連中にそれを伝えていく。
 もちろん、別の戦場で敵味方に別れることもあるが、それはまた別の話だ。
「海燕さんよ、今晩あいてるかい?」
 海燕とは別のグループを形成する1人、2次徴募でやってきた……負け戦で戦功を、のタイプらしいグレッグが声をかけてきた。
「いつもあきっぱなしだ」
「ははっ若いのに、だらしがねえな」
「この国では、東洋人は嫌われてね」
「そいつは、ご愁傷様だな」
「訓練がおわったら声をかけてくれ、待っている…」
「ああ」
 グループを形成する上と上の仲が悪くなると……それがわかっているのか、馴れ合わずともそれなりの意志疎通をはかっておきたいのが真意だろう。
 それをわずらわしいと思う気持ちは、生き延びるためだと言い聞かせて我慢する。
 ピコに言わせれば、その努力を新しい出会いに振り分ければいいんだよ……とのことらしいが、正直海燕にはそれが生きるために必要なこととは思えなかった。
 もちろん、これはと思う相手がいれば、そいつに任せてさっさと一匹狼に戻りたいところだが……今となってはそれもかなわないだろう。
 戦いが終わり、お払い箱になるまで……こうした日々を送り続けるしかない。
『私の明日を守ってくれたあなたに……明日を失ったまま生きていて欲しくないんです。私は、きっと主人も……あなたの無事を祈り続けます』
 ふっと、クレアの言葉が頭をよぎった。
「明日…か」
 故郷を捨てたのは9歳の時で……どこに行っても、命を狙われ続け、ずっと今を生きることだけで精一杯だった。そんな生活に疲れ果て……国を捨てることを決めたのは10歳になるかならないかの時。
 国を捨てる前に、義父に……父に別れを告げた。
 3歳になったときに木刀を持たされ……周囲の人間が思わず止めに入るほどの激烈な稽古を繰り返し、そのおかげで今日まで生き延びた。
 父とピコ……そして。
 脳裏を微かによぎった少女の面影を振り切るように呟く。
「……無くしたんじゃない、最初から無かったさ」
 最初から無かったモノを求めようとしたから……ああなった。
 埋めようとしても埋まらない、己の中の虚無……そこには、ただ闇だけがある。
 
「……ねえ、狙われてるよ」
「わかってる…」
 朝、養成所に向かう道……右手にドルファン学園が見えている。
「……っていうか、女の子なんだよね、キミの後を尾行けてるの。この学校の制服を着てるし」
「女の子……という殺気じゃないんだが」
「だけど、抑えもせずこれだけの殺気振りまくのは、素人だよね……挑発って事もなさそうだし」
「……誘ってみるか」
「……気をつけてね、一応」
 ため息をつき、学校の塀にもたれて空を見上げる。
 日差しに、既に夏の強さはない。
 今年、ドルファンの夏は例年より涼しかったらしく……ここ10年ばかり農作物の収穫が芳しくないようだが、今年もあまり良くないらしい。
 視界の端に映る、この国では珍しい黒髪の少女……が、気配を隠すでもなく、ただじっと海燕をにらみつけるようにしてやってくる。
「……」
 ちょうど人通りもなく、仕掛けてくるかと思ったが……少女は、そのまま海燕の前を通り過ぎていった。
「……のってこなかったね?」
「なんだろうな?」
 ふっと、海燕は塀から離れた。
 塀の向こうで何かが近づいてくる気配……しかし、殺気はまるでない。
 気配が上に飛ぶ。
「あっ」
 自分が着地すべき場所に海燕がいることに気付いて、少女の身体がバランスを崩す。
「……っと」
 地面に叩き付けられそうになった少女の身体を受け止め、立たせてやった。
「あ、ありがと…」
「……大したジャンプ力だな」
 2メートル近くある塀に視線を向けながら海燕が呟くと、少女は照れたように首を振った。
「ボク、本職は短距離なんだ……って、ごめん、急いでるから」
 ダッシュでその場を立ち去りかけて急停止。
「受け止めてくれてありがとう」
 そしてまたダッシュで走り去る。
「元気な女の子だね……っていうか、この学校の生徒だよね?どこに行くつもりなのかな?」
「さあな……俺としては、殺気を振りまいていた少女の方が気になるが」
「ああいう新しい出会いは、遠慮したいよね…?」
 ガラガラガラ…。
 海燕の目の前で、一台の馬車が止まった。
 御者がドアを開け、少女が顔を出す……が、少女が身につけている制服は、ドルファン学園のモノではなく。
「……あれ、お金持ちの地区の学校の制服だよ」
 と、ピコが呟き。
「そこのあなた、このあたりで野ザルのような女の子を見なかったかしら?」
「野ザル…?」
 海燕はちょっと首を傾げた。
「あら、東洋の方でしたの…尋ねる相手を間違えましたわね」
「言葉に支障はない……が、野ザルのような女の子には心当たりがない。役に立てなくてすまないな」
「あらそう…」
 少女は残念そうに呟き……海燕に向かって微笑んだ。
「時間をとらせたわね」
 優雅な仕草で一礼し、少女は再び馬車へと乗り込み……馬車はその場を後にした。
「……名前ぐらい聞けばいいのに」
「明らかに住む世界が違うな」
「でも……あれ、野ザルのような女の子って、さっき塀を飛び越えてきた女の子の事じゃないの?」
「整った顔立ちだったぞ?」
「……いや、野ザルのようなってのは、顔の事じゃないと思うよ?」
 この日出会った少女3名……殺気をぶつけてきた少女はともかく、他の2名が、これから先自分に大きく関わってくるなど夢にも思わず、海燕は養成所へ向かって歩き出した。
 
 
 
 
 なるほど、4年ほど『みつめてナイト』は書いてなかったのか……何やら、いい具合に充電できていたようです。(笑)
 やっぱり細かい部分は所々ど忘れしてるよなあ、などと……プリシラの某イベントを思いっきり勘違いしてたことが判明したり、戦闘システムをどう解釈しようか悩んだり……やばいぐらい楽しいです。(笑)
 話の大枠は完成してるんですけど、色々ねじ曲げてみたくて……それやると、どこかで絶対矛盾するんですよね。
 というか……もうゲーム紹介の枠から思いっきり外れてませんか、とツッコミを受けそうな気もしますが、養成所の夏休みの部分でにやりと笑っていただけると嬉しいです。
 ハードにボイルドな感じで書いてますが、もうちょっとギャルゲー栄養分を注入した方がいいんでしょうか?(笑)

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