「……飽きた」
 もうすぐ5月も終わろうとする頃、ピコがひどく断定的な口調で呟いた。
「っていうか、朝起きて、騎士養成所で訓練して、帰りにちょっと図書館によって、帰って寝る。その繰り返しじゃないっ?」
 昔……どのぐらい昔なのかについてはピコは何も話そうとしないが、人間世界に興味を持って故郷を飛び出した程のピコにとって、変化のない生活はやはり耐えられなかったらしく。
「……まあ、ヴァルファがダナンから撤収する気配はなそうだし、早ければ6月の下旬、遅くても7月の終わりまでには派兵が行われるさ…」
「そういう話じゃなくてっ」
 びしっと、海燕を指さし。
「人間はね、割と決まった生活を送る生き物なの。だから、キミがいつもと同じ生活をしてたら、新しい出会いなんかあり得ないって話だよ」
「……」
「毎朝同じ時間に起きて、養成所で同じ訓練をして、いつも同じ時間に図書館によって、時間が来たら帰って寝る……そして、行き帰りは、いつも人通りが少ない裏路地で」
 何故、新しい出会いがなければいけないのか……とは思ったが、なんとなくそれは口に出さない方がよいような気がして、海燕はただ黙ってピコの言葉を拝聴し。
「というわけで、今日からとりあえず道を変えるよ」
「……と、言われても、まだこの街のことは良く知らな…」
「キミがそう言うと思って、街のことは色々調べておいたよ……というか、2ヶ月近くも何してたのさ」
「養成所と、図書館と、宿舎の往復…」
「キミねえ…」
「ピコ」
「わかってるよ、傭兵は、戦場から戦場へ渡り歩く存在だって言うんでしょ……でも、でもね、キミは……故郷から消えた私の仲間を捜そうとしてくれているよね?」
 何かの拍子で泣き出してしまいそうな表情で、ピコが言葉を続ける。
「もしもこの国で手がかりが、仲間が見つかったら…私は、仲間と共に行っちゃうよ?そうしたら、キミは一人だよ…一人に、なっちゃうよ…」
「……ピコ」
「キミが…私の仲間を捜すなら、それと同時に、キミは自分の仲間を…自分の居場所を見つける必要があるんだよ……そうじゃなきゃ、私は、仲間が見つかっても…一緒には行けない」
 すっと、人差し指をピコの頭にのせて。
「わかった……傭兵として生き延びるのが第一だが、今ピコが言った言葉はちゃんと覚えておく、それで……いいよな?」
「うん……」
「……で、今日はどの道を通るんだ?」
「あ、え、えっとね…」
 どこか無理をした笑顔を浮かべると、ピコが海燕の頭の上にのった。
「ドルファン学園の側を通って、養成所に向かう道……出会いの可能性が倍増だよ、きっと」
 
「……まあ、初日から新しい出会いがあるとは思ってなかったけど」
 自分自身を納得させるように呟くピコを頭にのせたまま、海燕は騎士養成所の門をくぐりかけ……後から来た騎士連中に道を譲った。
 騎士、兵士、武官、国によって様々な呼び名はあれど、国をしょって立っているという誇りは各国共通で。
 その正規軍と、雇われ兵である傭兵……両者が思いのままの行動をすれば、そこには必ず衝突が起こる。些細な衝突はむしろ必要だが、必要以上の衝突は戦場においてよからぬ影響を与えることが多い。
 ならば、生存の可能性を高めるためにも、傭兵はある程度正規軍の顔を立てるように振る舞うのがむしろ当然だ。
 もちろん……正規軍側が傭兵を捨てごまとして使うことも多々あるから、戦士としての能力の他に、その辺りの見極めの能力の有無が、傭兵としての寿命を決定する大きな要因となる。
「おう、来たか…」
「…教官」
「教官はよせ……お前に言われると、イヤミにしか聞こえん」
 少し照れたように笑う男の左目には大きな傷があり、傷そのものの悽愴さとは裏腹に、見る者に明るいイメージを与えるのは本人の資質故か。
 ヤング・マジョラム大尉……騎士養成所の主任教官であり、部隊長として傭兵部隊を率いる事が決まっているようだ。
 300余名の外国人傭兵を一通り観察し、傭兵連中の中で周囲のまとめ役になりそうな人間かどうかを見極めている最中なのだろう。
 そして、ヤングの中で海燕はその候補者の一人と言うところか。
「これから、連中に剣の稽古を付けるんだが、付き合わんか?」
「……というか、そろそろ集団戦の指導に切り替えた方がいいのでは?」
「軍としては、そうなんだがなあ…」
 困ったもんだ……とでも言いたげに、ヤングが自分の髪をかきむしる。
「まずは、連中一人一人に生き延びる力を教え込む方が先決と思ってな…」
「だったら、騎士としての礼儀作法の訓練を後回しにするべきでしょう」
「……武功を重ねれば騎士として取り立てるという話だからな、どうしてもそれは必要なんだ…」
「訓練の必要があまりない歴戦の傭兵は、そんな甘い話を最初から信じてないと思いますが…」
 微妙な沈黙を経て、ヤングが呟く。
「前にも言ったが…俺は元々ハンガリアの武官でな」
「騎士に取り立てられるとしても……この中で1人か2人、多くて数人ってとこでしょう。第一、ヴァルファ相手に勝てるかどうか…」
「……」
 ヤングの視線の意味を理解し、海燕は言葉を続けた。
「シベリアで、ちょっとやり合ったことがあります……」
「シベリアか……ヴァルファ13騎将が8騎将になった戦いと、聞いているが」
「俺は、二度とシベリアに雇われようとは思いませんね……シンラギやヴァルファ、あの戦いに参加して生き残った傭兵全員がそう思ってるでしょう」
「……」
「と、話が逸れましたね……この養成所に顔を見せる騎士連中が、ドルファン軍の全てとは思ってませんが、ヴァルファを相手に…」
「わかった、それ以上は言うな……」
 強い調子でヤングが言葉を遮った。
「主任教官と言っても、俺は軍において力はない……ひがみと言われても仕方ないが、この国で地位に見合った力量を持つ騎士はほんのわずかだ」
 ヤングの浮かべた微笑みは、騎士と言うより傭兵が浮かべるそれに似ていて。
「平和が、この国の騎士連中を腐らせた……皮肉な話だ」
 騎士連中の腐敗……ヤングはそう言ったが、何かが腐るときは必ず原因がある。
 もちろん、解決不可能な人間の弱さが原因だったりもするが……個人ではなく、騎士連中だけが腐っていくケースはあり得ない。
 上が腐った結果、全体が腐っていく……もしくは、現実と国を統治するシステムの間に齟齬が生じ、疲弊と不満によってあちこちで腐り始めていく。
 おそらくは後者で……ヤングの言う騎士連中の腐敗は、氷山の一角に過ぎないだろうと思ったが、海燕は礼儀正しく沈黙を守った。
「騎士としての礼儀に、忠誠のあり方が語られるが……俺は、信じない」
「俺が言うならまだしも、教官が言うのはまずいでしょう」
「妻がいる」
「……」
「妻は、この国で生まれ、育った……笑うかも知れないが、そんなもんだ」
 そう言って振り返るヤングの笑顔は、どこか照れているようで。
「ハンガリア共和国は、俺が生まれた頃はボルキア王国だった。ボルキアの前は、プロキアのように貴族階級によって統治されていたらしいが…」
「確か……ボルキアの元国王が、この国に亡命してたんでしたか…?」
 ヤングはそれには答えず、空を見上げながら呟いた。
「俺はな、海燕……人って生き物は、国とか思想とか、そういう大層なモノのためには戦えないと思っている」
「他の騎士には聞かせられませんね…」
「茶化すな……人は、自分の故郷とか、大事な人とか、そういう身近なモノのためにしか戦えない。それ以外の理由には、どこかごまかしがある…俺はそう思う」
 ハンガリアという国でヤングが何を見てきたのか、そして何故この国に来たのか……それを推し量ることは出来ないが、少なくともヤングの言葉には重みがあった。
「……海燕、お前は何故この国に来た?」
「傭兵ですからね……戦争があれば、どこへでも」
 空を見上げていたヤングが、海燕に視線を向ける。
「……この国の傭兵徴募に対して、歴戦の傭兵連中はほとんど手を挙げなかった。その若さで、その腕……状況はグレーだが、正直、俺はお前とこうして話していても、どこかの国のスパイとは思えん」
「……なるほど」
 どうやら、別の意味で目をかけられていた事に遅まきながら気づき、海燕は苦笑を浮かべた。先の言葉は、ヤング自身の本音かも知れないが、こちらの反応を窺うモノだったのだろう。
「俺も、傭兵連中に少し目を配ることにします…裏切りで死ぬのはごめんですから」
 
 5月31日。
 この日までに、ダナンから撤収しなければ、武力行使を辞さない……と、ドルファン、プロキア両国から宣言されているヴァルファバラハリアンの動向が注目されている。
 戦いが始まるとしても、ヴァルファが撤収せず、王室会議でダナン派兵の時期と規模を決定し、軍部がそれに向かって動き出す……という、海燕としては悠長としか思えぬ手続きを踏むため……早くとも、6月の下旬というところか。
 ま、それはそれとして。(笑)
「……何の騒ぎだ?」
「キミって、ホントに自分に関係のなさそうなことは調べないよね…」
 ピコがため息をつく。
「今日は、フェンネル地区の運動公園でスポーツの祭典ってお祭りがあるの……100メートル競走みたいなメジャー競技から、薪割りの速さと正確さを競うようなマイナー競技まで、盛りだくさんのスポーツ大会なんだよ」
「ほう…」
「ほら、さっさと準備する」
「……」
 海燕はしばらくピコを見つめ、ぽつりと呟いた。
「出ろと?」
「ちょっと畑違いかも知れないけど、こんな時に活躍して周囲にアピールしないでどうするの?」
 それは一体誰に対してのアピールなのか……。
「行くのっ、行かないのっ?」
「わかった、用意する…」
 などと、ピコにせかされるまま、海燕は運動公園へと向かうのだった。
 
「ほう…」
 戦場から戦場へ……そんな生活を続けてきた海燕だけに、スポーツ大会などと聞いても、兵士達が対抗して行うようなこぢんまりとしたモノを想像していたのだが。
「すごい…人手だな」
 普段通っている騎士養成所よりはるかに大きい運動公園に、まさに溢れんばかりに人が集まっていて。
「ほらね…戦場にいないときぐらい、こんな風に世間に目を向けなきゃ見えてこないモノがあるんだから」
 様々な種目は、どんな人でも気軽に参加できるようにという趣旨なのか……見るからにアスリートという連中と、仕事の後に大衆酒場で一杯やる姿が目に浮かびそうな連中まで……なるほど、これは確かにお祭りだな、と海燕は感じた。
「ほら、早く出場する競技を探して…」
「選ぶじゃなくて、探すのか…」
 苦笑しつつ、海燕が受付へと向かう。
 いくら種目の数が多いといっても、エントリーを無限に受け付けるはずもなく。
 これだけの人出ならば、いわゆる注目される競技は早々とエントリーを締め切ってしまっているだろう。
「それはつまり…こういうことか」
 ため息をつきながら、海燕は意見を求めるようにピコを見た。
 
「フハハハハッ、無様だな東洋人」
「もしかしなくても、孤独な人がきた…」
 呆れたように、ピコが呟く。
「貴様のようなやつは、運河に身を投げてしまうがいい…」
「生憎、身を投げる羽目になったが、この通りピンピンしている」
 崖に向かって馬を走らせ、どれだけギリギリで停止出来るかを競う競技に参加したのは良かったが……無理に止まろうとして脚を痛める馬が続出するのを見てしまい、海燕は競技そのものを放棄するように、崖から水面に向かって大きく飛ぶ事を選んだ。
 もちろん、馬は無事だったが。
「お前は、何か出場しなかったのか?」
「はっ、何故このジョアン・エリータスが、庶民の大会に参加しなければならんのだ?バカも休み休み言うんだな」
 ジョアンの表情はあくまでも真面目で。
「……庶民の大会を見物には来るんだ」
 ピコがぼそっと呟く。
「さらばだっ、東洋人…フフッ、フハハハハッ」
 と、高らかに笑いながらジョアンがその場を去り……ピコがもう一度ため息をつく。
「……あそこまで行くと、可哀想な人のような気がしてくるね」
「実際に剣をとれば、なかなかの腕前のようだが…あの性格ではなあ」
「だよねえ…」
 ピコと海燕はお互いに顔を見合わせ……自分たちが一人ではないことを感謝するようにちょっとだけ笑った。
 
 6月中旬。
 ヴァルファはダナンに居座り、ドルファンからの使者に対して半ば戦線布告とも思える言葉を伝えたらしく。
 6月末までに撤収しなければ……と条件付きではあるが、7月の中旬をめどに騎士団をダナンに派兵することが決定していた。
「……ふむ」
 読んでいた新聞を机の上に置き、海燕はピコに声をかけた。
「ピコ、ちょっと出かけようか」
「……」
「どうした?」
「キミ、ついにやる気になったんだね?」
 うんうん、私はこの日が来るのを信じてた……とばかりに、瞳をキラキラさせるピコ。
「で、どこに行くの?」
「教会だが…」
「……キミってさ、ひょっとしてマニアックな好みがあったりする?」
「……ピコの言葉を忘れたわけじゃないが、とりあえず戦いのための情報収集だ」
「どういうこと?」
 首を傾げるピコに、海燕は新聞の記事を指さして見せた。
「どれどれ…『先日、セリナ運河で発見された身元不明の水死体は、先々月から行方不明となっていたアイン・カラベラル神父と判明…』」
 ピコは顔を上げ、チラリと海燕を見る。
「ちょうど、外国人傭兵がこの国にやってきた頃に行方不明って……怪しいね」
「鎖国政策と言っても、宗教関係者は例外であることが多いからな……新しくやってきてるはずの神父の顔でも拝んでみようかと思ってな」
「行方不明になったのが、4月3日の夜らしいから……」
「4月中に新たに派遣されてきた神父なら、間違いなく黒だ…」
 海燕のそれは断定口調。
 教会の神父が行方不明……2、3日、いや一週間は様子を見てから、その旨を伝えただろう。
 そして、新たに派遣する神父を決めて、ドルファンまでやってくる……早くても5月中旬、プロキアとの間の不穏な情勢をふまえればまだ後任の神父が到着していないのが普通だろう。
「戦いを生き延びなきゃ、知り合いもへったくれもないもんね……調べて損はないと思うよ」
 そう呟くピコの表情は真剣で。
 傭兵と正規軍、戦場において大事にされるのは当然正規軍で……上からきちんとした情報が回ってこないことも多く、きちんと状況認識が出来ているかどうか生死を分けるケースもある。
 特に、今度の戦いのように複数の利害が絡み合ってると思えるようなケースでは、ちょっとした情報が、金よりも重くなる。
「ところでキミは、教会がどこにあるかちゃんと知ってる?」
「……」
「……キミって、ホントに私がいないとだめだよね」
 
「いい風だね…」
 シーエアー地区のサンディア岬近く……当然、風は潮の匂いがして。
「そうだな…と、アレか」
 6月、花を咲かせるにはいい季節なのか……教会へと続く入り口の周囲は、色とりどりの花が咲き乱れていた。
「……へえ、お城の空中庭園には良く忍び込んでるんだけど、ここのお花畑はちょっと見落としてたよ」
「……?」
「あ、お城の展望台っていうか……いろんな植物が集められた、庭園があるの。見晴らしがいいせいか、空中庭園って呼ばれてるみたい。もちろん、普通の人は入っちゃダメって感じだけど」
「へえ…」
「まあ、ああいう珍しい花が集まってるのも悪くないけど、こんなお花畑の方が私は好きだよ」
 ピコが、楽しそうに花のまわりを飛び回る。
「多分、墓地を訪れる人のための花畑だろう…」
 墓地に供える花……それを、ここから持っていくに違いない。ひょっとすると、元々は墓地に供えた花が、この花畑を作り上げたのかも知れないが。
「どうした、ピコ?」
「多分、キミのいってることは間違ってないと思うけど……よりによって、私が飛び回ってるときに言わなくてもいいでしょ」
「あ、すまん…」
 飛び回るのをやめ、ピコは海燕の肩に。
「まあ、情報収集だか…」
 海燕とピコの視線がそちらに向けられた。
 どこかに出かけていたのか、修道服に身を包んだシスターが、こちらに向かって歩いてくる。
「なんか、いきなり当たりみたいだけど…」
「なんらかの訓練を受けた人間の足運びではあるな…」
「……」
 海燕に軽く頭を下げ、シスターはそのまま教会の中へと。
「……関係ない、かもな」
「うん……私もそう感じたけど、下手に探りを入れてやぶ蛇になる事を考えたら、今日はこのまま帰った方がいいかもね…」
「……この近くの店にでも寄って、新しい神父がいるかどうか、いるならいつやってきたかを聞くぐらいにしておくか…」
 シスターの姿が消えた教会の入り口をじっと見つめたまま、ピコが呟く。
「まあ、このまま帰っちゃうと怪しまれそうだし、墓地によってからにしようよ…」
「そう…だな」
 
 6月末になってもヴァルファはダナンから撤収せず、ついにダナン派兵が決定的となった。
 ヴァルファは、ハンガリア、プロキア、ゲルタニアの3国に向かって、それぞれの国への侵攻意志はないことを声明として発表し、ただドルファン国のみへの攻撃意志を露骨に示した。
 新体制が固まったとはいえ、早急に国内を立て直したいプロキアは、ドルファンと停戦協定を結ぶためにも、ダナン返還のために協力せざるを得ず、ヴァルファに対抗して東洋圏最強と呼ばれるシンラギククルフォンを新たに雇い入れる事を決断。
 ハンガリアは、ヴァルファに協力しないことを明言したが静観の立場。
 ゲルタニアは、軍の一部を出動させ、ドルファンへの強力を申し出たが、これは内政干渉を恐れたドルファン側が拒否。
 ヴァルファは北からシンラギを含んだプロキア軍に圧力をかけられた状態で、ドルファン軍による攻撃にさらされるという、絶体絶命としか思えない状況なのだが…
 
「おかしいよね?」
 ピコは首をひねり、パタパタと羽根を動かしながらぐるぐる飛び回る。
「プロキアとヴァルファが手を組んでいたという可能性は消えたかな……もしくは、ヴァルファがプロキアを騙していたか」
「そうじゃなくて…ヴァルファは、何が目的なの?」
 兵士数の差は大きいが、少数精鋭のヴァルファと、陸戦の雄の呼び名をどこかに置き忘れてきたドルファン軍……もちろん戦いだから、それはわからない。
「ヴァルファが完全に勝利を収めたとしても……どうするって言うの?王様になって、この国を治めるとでも?」
「……ダナン領主がベルシス卿だからな」
 ゼノン・ベルシス……5家評議制度の1家ベルシス家当主である。
 ピクシス家によって筆頭の席を奪われるまで、長きに渡ってドルファン王家に次ぐ権力を保持してきた、いわゆる建国の4臣の1家の血筋である。
「じゃあ、ヴァルファはただの兵隊で、実質はベルシス家によるドルファン国の乗っ取りってことなのかな?」
「金だけの契約で……傭兵軍団が、そこまで腹を据えられるかな?例えば、軍団長なり、部隊長がそれに従ったとしても、傭兵一人一人がそれに従わなければ……軍としての強さが維持できない」
「でも……ベルシス家と、ピクシス家の喧嘩って構図は外せないんじゃない?戦うことなく占領されたってのは、どうしてもベルシス家としての意志が反映されなきゃおかしいし…」
「だから、もう1人か2人、黒幕がいるはずだが……少なくとも、別の人間にこの国を統治してもらいたいと思ってる連中が」
「ん…」
 ピコがさらに首をひねる。
「まあ、今のところはそれぐらいだな……結論を急ぐと、大事なことを見落とす」
「……勝てる?」
 海燕は少し考え……ぽつりと呟いた。
「負けるよ」
 
 7月15日。
 ドルファン首都城塞のレッドゲートが開かれた。
 フェンネル地区の、ドルファン本城から見て西北西の方角に位置するその門は、軍隊が出動、もしくは帰還するときにだけ使用される巨大な門である。
 全体が赤い色をしているため、レッドゲートと呼ばれている。
 ダナンの北からシンラギとプロキアの混成軍が圧力をかけ、いくらプロキア軍が戦闘の意志薄弱であっても、シンラギの軍が存在する限り、ヴァルファとしてはそちらに戦力を振り分けざるを得ない。
 ヴァルファを構成する大隊は5つ……もちろん、大隊と言ってもドルファン軍の規模に比べると、約6割の兵士数でしかない。
 その5つの大隊のうちの3つが背後の混成軍への牽制として向けられ、残る2つがドルファン軍に牙を剥く。
 その情報を受けて、軍部は第2、第4の騎士大隊を派遣……かつて陸戦の雄と呼ばれたプライドが、多数によって叩きのめすという戦術を採らせなかったのか、軍事費の問題なのか……おそらくは両方であろう。
「……教官」
「大尉だ」
「俺は、傭兵ですから…」
「だったら、教官と呼ぶのも変だろう」
 傭兵連中は、第4騎士大隊に組み込まれ……ヤング大尉は、その部隊長というポジションにある。
 そのヤングから、海燕は部隊長補佐という役を押しつけられていた。(笑)
 もちろん、押しつけられたからには戦場で余計な混乱や不平を招かぬよう、養成所における訓練でそれなりの腕前を披露して周囲にそれを納得させたのは言うまでもない。
「この派兵の、現場指揮官は、どういった人間ですか?」
 ヤングはにやりと笑って、海燕を振り返った。
「俺が傭兵なら、さっさと逃げ出してる」
「……そいつは、大変ですね」
「カイル・コーツ大佐といって……派手な勝ち方を求める割に、指揮官としての力量が伴わないという最悪の野郎さ」
「……逃げ出していいですか?」
「敵前逃亡は、軍事裁判で絞首刑だな。傭兵も、全てそれに準ずる」
 と、ヤングが海燕の肩を叩いて笑った。
「怒るかも知れませんが……教官は、騎士より傭兵の方が似合ってますよ」
「誉め言葉として受け取っておこう…というか」
 ヤングが興味深そうに海燕の顔を見つめる。
「ずっと1人で傭兵をやっていたと聞いてたが、こういう集団の指揮に馴れてる感じを受けるな」
「10年以上戦場を渡り歩きましたからね……いろんな指揮官を見てきましたし」
「……」
 微かに、ヤングが息をのんだ気配が伝わってきた。
「……子供の頃から傭兵稼業は、珍しくないですよ」
「そうか…そうかもしれんな…」
 ため息をつきながら……いや、ため息の力を借りてそう呟いたのか。
「この戦いに参加する騎士連中で、実戦経験でお前にかなう奴はいないだろうな…」
 騎士としての10年と、戦場を渡り歩く傭兵としての10年……一部の例外を除けば、どちらがより多く戦闘に参加するかは考えるまでもない。
 2人の会話から数時間後。
 指揮官であるカイル大佐によって、第2大隊、第4大隊を2つにわけ、別ルートで旧軍事地区であるイリハへと進撃し、そこに集結しているであろうヴァルファ部隊を挟撃する作戦が伝えられた。
 
「……逃げ出していいですか、教官」
「数的優位を自ら放棄して何をするつもりだ……と、怒鳴ることが出来たら楽なんだろうがな」
 怒りというよりは、諦めたような表情でヤングが呟く。
「大佐は、先発する形の第2大隊と共にゆくそうだ……」
「なるほど……傭兵連中に、あまり手柄を立てさせたくないという意識が働きましたか」
 海燕の言葉に、ヤングが弾かれたように顔を上げた。
「なるほど……それは考えてなかった」
 20秒ほどの沈黙を経て、海燕が小さく頷きながら呟く。
「結果として、運が良かったですね……多少なりとも、生き残る確率が上がりました」
 そこまで想像していなかったのか、ヤングが問いかけるような視線で見た。
「多分、第2大隊は全滅します……この部隊は、城塞に近い位置でぶつかるでしょうから、敵の追撃も多少はマシになるはずです」
「そこまで負けると思うのか?」
 海燕の認識と、自分の認識の大きな開きに愕然としたのだろう……ヤングの口調にはさっきまでの余裕がない。
「いくら何でも、全軍でぶつかりあったら兵数差でドルファンが勝つのは明白で……所属する5大隊のうち3大隊をヴァルファはプロキア混成軍への牽制に使いましたからね。今ならはっきりとわかります、この戦いそのモノがヴァルファによる誘いで、戦力差を詰め、第二次派兵までを引き延ばすためにも、徹底した殲滅戦を行う腹づもりですよ」
「……軍部のプライドが、大動員させないだろうとまで、読んでか?」
「向こうに、評議会に参加するベルシス家がいるとしたら……国の財政はもちろん、こちらの出方は手に取るようにわかったんじゃないですかね?」
「……大隊長に進言してくる」
 緊張と言うより、強ばった表情を浮かべてヤングが馬を走らせた。
 ただの傭兵の……しかも推測でしかない話に真剣に耳を傾け、聞くべきところがあるとなれば即座に行動する。
 もし仮に、ヤングが現場指揮官……いや、もう少し上の階級で、発言そのものが重んじられる立場にいたならば、今度の戦いはまったく違ったモノになっただろうと海燕は思った。
 
「……お前の言う通りになったな」
 第2大隊からの連絡は途絶え……今や、数の上でもヴァルファ軍団が上回った状況が目の前の光景が教えてくれていた。
 いや、わざと数的優位をドルファン軍に知らしめる布陣をとったのか。
 前もって海燕に話を聞いていたヤングはともかくとして、全軍の動揺は隠しようもなく、既に戦う前から方々で混乱する気配が満ちていて。
「教官……教官が殿を勤めるしかありません」
「……」
「このままでは、混乱の中で、分断され殲滅させられるだけです……少なくとも、傭兵連中だけは腹が据わってるようですから」
「わかった…大隊長にその旨を伝えてくれ…」
 そして第4大隊の、決死の撤退戦が開始された。
 
「自分たちが通った後、岩でも何でも障害物になりそうなモノをばらまけっ」
「白兵戦を考えるな…弓による攻撃以外は厳禁するっ」
 ヤングと、海燕の指示が飛び交う。
 通常なら多少の不平や不満が出たであろうが、状況が状況だ……殿を任された形の傭兵達は、必死でその指示に従う。
「負け戦は、殿が一番手柄だっ!報奨金を夢見て耐えろっ、耐え続けろっ!」
「敵右陣の騎馬隊から目を離すな、油をまけ……火をつける格好で牽制するだけでいい、応戦は考えるなっ!」
 傭兵部隊のそれは、間違いなく奮戦と呼べるモノであった……が、多勢に無勢、やはり回り込もうとする敵部隊全てを引きつけることは不可能で、先に撤退を始めた騎士連中の部隊も攻撃にさらされているらしく。
「弓っ、敵陣左に射込めっ……突出しようとする部分を押さえ込むんだっ」
 勝ち戦だけに死を恐れる意識を利用し……出鼻をくじき続けることで、全体の士気をそぐ方法だが、さすが全欧最強の傭兵軍団と呼ばれるだけのことはあり、ほとんどひるむ様子も見せない。
 それでも、傭兵ということが功を奏したのか、ヴァルファは頑強な抵抗を続ける傭兵部隊を避け、正規軍である騎士連中を壊滅させる事を優先しているようだ。
 しかし、騎士連中が壊滅すれば……または、ウエールに退却してしまえば、戦場に残された部隊に攻撃が集中するのは当然なだけに、いつ見切るかが大事になってくる。
「教官…1つだけ手があるんですが」
「聞こう」
 荒い呼吸を隠さず、ヤングが短く応える。
「敵の部隊長に、一騎打ちを仕掛けて時間を稼ぎます。許可をもらえますか?」
「……まだ、早いな」
「ええ、わかってます。向こうの部隊長も焦れてきてる気配が見えたので、先に許可をもらっておこうかと」
「お前に任せる」
 自分に向かって飛んできた矢を3本叩き落としたヤングの動きが止まった。
「……教官?」
「……あれは、ネクセラリア…か?」
 敵陣の部隊長らしき男に、ヤングの意識は集中しているようで。
「教官っ」
 ヤングに向かって飛んできた矢を、海燕の剣が払い落とした。
「海燕、さっきの許可はナシだ」
「……?」
「その時が来れば、俺が行く…」
 
 5時間に渡る撤退戦に痺れを斬らしたのか、それとも部隊の指揮官さえ討ち取ってしまえば終わりだと考えたのか、こちらから仕掛けるまでもなく向こうの方からその機会を作ってきた。
「聞けい、ドルファンの犬どもっ!我が名は疾風のネクセラリア…我が槍に挑まんとする勇者はいないのかっ!」
 戦場の喧噪をモノともせず、反対に周囲を黙らせてしまうような威圧感のある声の持ち主……ただ一騎馬を走らせ、部隊に向かってにらみを利かせる姿は、さすが音に聞こえたヴァルファ8騎将の1人と納得させる説得力を有しており。
「ネクセラリアッ、この俺がお相手をしよう」
 と、既に馬を失っていたヤングが剣を片手に部隊から出ていく。
「……ヤング…か」
「どうした、俺の顔を見忘れたか…セイル・ネクセラリア」
「忘れるはずがなかろう、ヤング・マジョラム……俺の知らぬ間に、傭兵になっていたのが意外……いや」
 セイルは納得するように小さく頷いた。
「傭兵連中を率いた、部隊長と言うところか……なかなかいい指揮だったよ」
 部隊を率いる部隊長が一騎打ちの場に立っているだけに、部隊はそれを見守るしかできない。
「今のうちだ……教官が時間を稼いでいる間に、静かにさがれ…」
「アンタは…?」
「俺は残る…」
「……わかった」
 海燕を残して、静かに、ゆっくりと、傭兵部隊がウエールに向かっての退却の準備を整える。
「ハンガリアの狼とまで呼ばれたお前が……ドルファンの一部隊長か」
 どこか、自分自身を笑うように、セイル。
「……こんな形で、相まみえるとは思ってもなかったな…」
 何かを懐かしむようにヤング。
 それからしばらく、ヤング、セイルの両名はただ黙ってお互いを見つめ合い……何かを振り切るように、セイルが槍の穂先をあげた。
「どちらが強いか……よく噂されたな」
「……表向きはな」
 剣をあげながら、ヤングが呟く。
「みんな……お前の方が強いことを認めていたさ。だから、お前は軍を追われた…」
「貴様がそれを言うのか、ヤング」
「……よそう、語り合ったところで、いまさら誤解が解けるとは思えん…」
「剣で語れ…か、いい度胸だっ」
 槍先がヤングの顔面を襲う……が、ヤングは足の運びでそれを避け、剣を構えてセイルと向き直った。
「はあぁっ」
 セイルの火を噴くような猛攻を、ヤングはかろうじて受け流し続ける。
 突き、叩き、払う……もちろん、槍の柄による叩き技を軽視するわけではないが、力が一点に集約した突きは、鎧ごと身体を貫くだけの威力を秘めているだけに、ヤングとしてもそちらに意識を集中せざるを得ない。
 狙っているな……海燕が感じたとおり、ヤングは攻め疲れが見えたセイルの一瞬の隙をつき、懐へと飛び込んだ。
「……っ!?」
 ヤングの剛剣に対し、セイルが槍が手元に引き寄せる……が、わずかに遅い。
 鎧の隙間を狙うような小細工など全くない、鎧ごと叩き斬らんとする衝撃で深紅の鎧の一部ががちぎれるように吹っ飛んだ。
 浅い…。
 そんな海燕の呟きが2人に聞こえたかどうか。
「これで終わりだっ!」
 身体が流れたヤングに向かって、セイルの渾身の力を込めた突きが襲った。
「ぬうぅっ!?」
 身体をねじることでなんとか致命傷を逃れたヤングだが……鎧ごと貫かれ、だらりと下がった左腕を見れば、もはや勝敗は明らかで。
「……ヤングよ、冥土であおう」
 セイルが槍を構え……ヤングは、右腕一本で剣を構えたまま、その瞬間を待つ。
 左腕から血を流しつつけるヤングはもちろんだが、セイルもまた鎧ごと切り裂かれた部分から少なくはない血を流していて。
「……ここまでにしてもらおう」
「なんだ貴様は?」
「海燕…邪魔をする…な…」
 うめくようなヤングの抗議を無視して、海燕はセイルと向き合った。
「勝負はついた……教官はもう、剣を握れまい」
「ヤングの名誉を汚すつもりか貴様っ」
 セイルの叫びに、ヤングが弾かれたようにそちらを振り向く。
「死ぬことが名誉か……傭兵の俺には理解できない価値観だな」
「おのれっ…」
 セイルの槍先が海燕を襲う……が、先ほどのヤングへの一撃に力を振り絞ったためか、それとも海燕の乱入で気力の乱れがあったのか。
 海燕は剣を一閃させて、鉄芯入りの槍の柄を敢えて斬り落としてみせた。
「…っ?」
 それを斬り落とされたことよりも、その技が見えなかったことの方がショックだったのか……セイルが半ば呆然として海燕を見つめる。
「……俺は傭兵だ、やりたいと思ったことを、やれる範囲でやる」
 ヤングの肩を紐で縛ってとりあえず血を止め……海燕は、ヤングの身体を担いだ。
「…海…つばめ…」
「…大事な人がいるんでしょう、教官には…」
 ヤングを背負って、海燕はセイルを振り返る。
「俺は海燕丈……シベリアで、ヨハンから聞いてないか」
「まさっ…か」
「怪我を癒して出直してこい……簡単に敵がとれると思うなよ」
 ゆっくりと、海燕がその場から去っていく。
 気がつけば、そこにいたはずの傭兵部隊は遠く離れた場所まで撤退しており。
「……隊長、追いますか?」
「……」
 遠ざかっていく、2人の背中をじっとにらみつけてセイルが小さく息をはいた。
「たった2人を追う意味はあるまい…」
 それは、部隊長としてではなく……遠い、ハンガリア時代の友情から生じた指示だったかも知れなかった。
 
 イリハ会戦を終えて……集まった情報を分析することで、軍部がなんとか事態を認識したという程のドルファンにとっては大惨敗であった。
 第2大隊はほぼ全滅。
 これは、あらかじめ侵攻ルートを予測していたというより、ドルファン側の偵察部隊に計算し尽くした情報を流すことで、誘い込まれたと言った方が正確であろう。
 ヴァルファ側の2大隊が、全軍の半数が騎馬隊という機動力を充分活かして背後から回り込んで夜襲を仕掛けたらしい。
 混乱のさなか、現場指揮官であるはずのカイル大佐は数名の取り巻きと共に逃走……不意を打たれた状態で指揮系統が乱れる以前に存在しなかったのではどうにならなかっただろう。
 そして、徹底的な殲滅戦を終えた後、返す刀で第4大隊を待ち受けた……生き延びた騎士達の話を総合するとそういうことになる。
 それに比べて、第4大隊は死者が3割ですんだ……もちろん、3割の死者だけでも歴史に残る大惨敗と言ったレベルの話なのだが、これは第2大隊がひどすぎたために、労をねぎらわれる格好となった。
 殿をつとめ、おそらく最も過酷な戦いを経験した傭兵部隊は……敵部隊の追撃を充分にくい止めることが出来なかったなどと、第4大隊の生き残りの騎士連中から言いがかりに近い難癖を付けられたせいでほとんど評価されなかった。
 と言うより……あの激戦の中で、死者を20名(ただし、ほぼ全員が怪我人)しか出さなかったことが反対に怪しまれたのだろう。
 ヤングを担いで戦場を後にした海燕に対する追撃がなかった……それを見ていた騎士の報告によって、海燕に対するスパイ疑惑が高まった事も無関係ではあるまい。
 もちろん、騎士連中の全てがそうと言うわけでもなく……主流から外れている騎士の中には、生きて戻れたことに対して傭兵達に礼を述べ、酒場で浴びる程にのんで殴り合いのフルコースをやらかした者もいる。(笑)
 
 そして、ヤングは…。
 
 コンコン。
「誰か来たみたいだよ…?」
 ピコの声に促されて扉をあけると、そこに落ち着いた雰囲気の女性が立っていた。
「……クレア・マジョラムと申します」
「ヤング教官の…?」
「はい、ヤングは私の夫です…」
「教官の身に、何か?」
 止血さえうまくいけば助かる……そう海燕が睨んだとおり、ヤングは命を取り留めた。しかし、セイルの槍によって貫かれた左腕は……リハビリ次第で日常生活に支障はなくなるだろうという医者の見立てだった。
 片腕の傭兵は珍しくないし、ヤングの技量ならばそれも可能だろうが……おそらくは、一線を退いて騎士養成所の教官に専念することになるだろう。
 海燕はそう思っていた。
「……このたび、この国を出ることに決めたのでその挨拶と、あらためてお礼を…と」
「この国を…出る?」
「主人の父親が、ネーデルで牧場を営んでおりますので、そちらに…」
「…ねえ、入ってもらったら?」
 耳元でピコに囁かれ、海燕はあらためてクレアを招き入れた。
「……傭兵のみなさんは、全部これと同じ部屋なんですか?」
「入ったことがないのでわかりませんが、おそらくは……」
 クレアを椅子に座らせ、海燕はベッドに腰掛ける……それ以外にはどうしようもない。
「主人の命を救っていただき、なんとお礼を言っていいか…本来なら主人も連れて伺うのが…」
「いえ……教官の気持ちも分かりますから。おそらく、今は恨みの感情が強いでしょう」
 クレアがじっと海燕の顔を……いや、目を見つめた。
「失礼ですが…海燕さんは、今おいくつですか?」
「20歳です…もうすぐ、1つ歳を取りますが」
「……30を越えているのに、主人はまだまだ子供のようなところがありますわ」
 そう言って、クレアが少し笑う。
「主人は……あなたに会おうとはしないでしょう。ですから、話しておこうと思いました」
「何を…ですか?」
「そうですね……どこから話せばいいのか」
 少し遠い眼差しでクレアは天井を見上げ……ショールの隙間からのぞいた、喉元が妙に艶めかしく映る。
「主人と戦った、セイル・ネクセラリアは……かつて、私の恋人でした」
「……」
「喜怒哀楽……全ての感情が激しい……そうですね、一言でいうなら夏のような人で」
「……なるほど」
 と、海燕が頷いたせいだろう、クレアはまた少し笑った。
「やっぱり、変わってないんですね、セイルは…」
 そう言われても…という海燕の困惑が伝わったのか、クレアがちょっと頭を下げる。
「ごめんなさい…歳を取ると、話が回りくどくなってしまって…」
「いえ……暇ですので」
「主人は、春のような人……と言うと、笑いますか?」
 そう言って微笑むクレアは、まるで少女のようで。
「いえ、わかる気がします…」
「主人から、おおよその話は聞きました……海燕さんも気付かれたかも知れませんが、セイルも、ヤングも、元々はハンガリアの武官で、親友同士だったんです」
「……」
「あの頃私は学生で……ハンガリア外交官の一員としてやってきた2人と知り合い、セイルの、夏のような激しさに心を奪われました」
 ふっと、クレアが目をつぶる。
「激しさは、敵を生みます……同僚のねたみを買い、あらぬ噂と策謀にかかって、セイルは軍を追われました…」
「……それは」
「一言声をかけてもらえれば、私はセイルについていったと思います。当時既に私には両親はいませんでしたし……結局……捨てられた……そう思ってます」
 その状況でついてこいという事が本当に愛情なのかどうか……色々と考えはしたが、海燕は黙って、クレアの言葉を待った。
「……セイルに去られ、悲しみに暮れる私を放っておけなかったのでしょう。ヤングは、色々と世話を焼いてくれるようになり……」
 クレアが自嘲的な笑みを浮かべた。
「今度は、ヤングの春のような優しさに惹かれたんです……自分でも、身勝手な女だと思いますけど」
「……」
「そうなると……今度はあらぬ噂が立ちました。主人は……親友の恋人に横恋慕して、親友を罠にかけたのではないかと」
「それは…」
「ええ…」
 クレアが目を閉じ、ため息をついた。
「どういう経由で、どう話がねじ曲がってセイルにそれが伝わったのかは分かりません……が、スィーズランドにおいて主人はセイルと出会い、そこで何があったのかまでは、私も…」
「ひょっとして…教官の左目の傷は」
「おそらく、その時に付いた傷だと思います……主人は、訓練中に付いた傷だと言ってますが…」
 そしてしばらくクレアは沈黙した。
「その事件が元で、主人もまたハンガリアを追われたようです……おそらく、セイルとヤング、その2人が邪魔だった人がハンガリアにはいたんでしょうね」
「そうですか…」
「セイルは、あなたを狙うでしょう……変わってないなら、あの人はそういう人です」
 海燕は微かに頭を下げた。
「主人には言えませんが……軍人の妻はつらい生き方を強いられます。戦場でなくとも、いつ何時命を失うかわからない……家のドアを開けて、あの人が『ただいま』と声をかけてくれると、その場にしゃがみ込んでしまいたくなるぐらいホッとする……そんな毎日です」
 海燕の疑問に気付いたのだろう、クレアが静かに微笑んだ。
「私の両親は……殺されたんです。愛する人を、突然に失う衝撃……軍人でなくてもそれは同じかも知れませんが、私は、軍人の妻であり続けられるほど強くありません…」
「それは…」
「危険は日常生活と常に隣り合わせですが……ネーデルの牧場では、いまよりもずっと穏やかに日々を暮らせることでしょう」
 静かだが、それは気持ちのこもった強い言葉だった。
「主人には言えません……ですが、私は主人が軍人ではなくなったことを喜んでいます」
 海燕の目を見つめ、クレアはそう言い切った。
 それは、傭兵なんかやめたらどうですか……と言われているようでもあり、ただ単純にヤングの命を救ってくれたことに対する強い感謝を示しているようにも聞こえて。
「海燕さん、私は心からあなたに感謝しています……ですから、言わせてください」
「何でしょうか…」
「傭兵が悪いとは言いません。戦うなとも言いません……ですが、あなたには、誰もが目指しているはずの明日がないような気がします。あなたの目を見て、こうして話をしていても……うまく言えませんが、そう、感じます…」
「明日…ですか?」
「うまく言えません……両親が殺されたとき、セイルを失ったとき……私は、明日を失ったように感じました。あの時の私と……あなたから同じモノを感じます」
「何故、そこまで…」
 クレアはじっと海燕を見つめ……そして、深々と頭を下げた。
「あなたが、私の明日を守ってくれたからです……」
 
 クレアが帰り、海燕はベッドの上に寝ころんでいた。
「あの人が言ってた事……わかる気がする」
 窓辺に腰掛けたピコがぽつりと呟くのを聞いて、海燕が寝ころんだままそちらを向いた。
「そうか……だが、今を生きるのが先決だろう」
「そういう意味じゃないよっ」
 ちょっと怒ったようにピコ。
「……」
「そういう意味じゃないんだよ…きっと」
 
 イリハ会戦の衝撃もさめやらぬまま……ドルファンの7月が終わりを告げようとしていた……。
 
 
 
 
 むう、『こういう話を望んでいたんじゃなくて』などというツッコミが聞こえてくるような気がする。
 まあ……スポーツの祭典については浮いた表現になってますが、それはそれでこのゲームらしいだろと思ったので。(笑)
 イリハ会戦についてゴリゴリ書きまくってみようかと思いましたが、さすがに割愛というか……ゲームシステム上仕方がないとそれまでなんですが、軍隊の移動日数から換算する、目的地までの距離が実はすっげー適当なんですよね、このゲーム。(笑)
 だから、ある意味で正確な地図が作製できなかったり。
 現場指揮官のカイル・コーツ大佐は、ゲーム内のウイークリートピックスで登場します……まあ、あれだけの敗戦ですから、『デス・バイ・ハンギング』でしょうね。(笑)

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