D28年4月……春の訪れは例年より遅かったが、春という季節がもたらす穏やかさは、さほど変わりがないように思われた。
その穏やかさとは裏腹に、4月を迎えてドルファン国民の心はざわついている。
海燕がドルファンを訪れてから、ちょうど3年目……一昨年よりも去年、そして去年よりも今年。
道行く人に尋ねたところで、その理由をしかと挙げられる者はほとんどいない。
また、戦いがあるのではないか?
今年も、不作になるのではないか?
来年はさらに、生活が厳しくなるのではないか?
などと、国民がそれぞれ抱えている不安が、彼らの顔から笑みを消し、心から余裕をなくす。
心に余裕がないと、些細なことが目に付き、いらだつ。
外国人がやたら目に付く……と、こぼす人間がいる。
最近になって外国人が増えたわけではなく、それはただ、それまでさほど気にならなかった外国人が目に付くようになっただけなのだ。
そんな正論は、いつだって周囲の感情に押しつぶされていく……。
3月下旬から現在において、国境線においてしばしば姿を見せるプロキア軍部隊について、ドルファン王室会議はプロキアのヘルシオ公に公使を送った。
それについて、ヘルシオ公の返事はいたって簡略……『自分は関与していない。おそらくは、イエルグの軍であろう』と。
ならば、とドルファン側が、カイル・イエルグに公使を送るわけにはいかないのが、政治の難しさである。
公式な使者を送るということは、ドルファンがカイル・イエルグの、公的存在を認めるということであり、これは、ヘルシオ公に対して礼を失する……というより、ほぼ挑発行為にあたるからだ。
少なくとも、今のところドルファンにプロキアと戦う意思はない。
そしておそらく、プロキアにもない。
ただ、『おそらく』は、絶対とはなりえない。
国境線の警戒も含めて、ドルファン王室会議は、ダナンのベルシス家に対し、騎士団大隊の駐屯を求め、拒否すれば武力制圧もありうると通達した。
考えてみれば、これはおかしな話である。
昨年5月、ベルシス家は、王室をないがしろにするピクシス家をのぞく、とピクシス家に対してであるが、宣戦布告しているのである。
付け加えるなら、昨年末に、ドルファンという国を守るためなら労を厭いはしない、と頼まれもしないのに、自らプロキアとの国境警備するための部隊を出しているのだ。
ドルファン王室会議の、ベルシス家に対する困惑というか、現状を把握しかねているのが、この通達に良く現れていると言えるだろう。
通達の翌日には、ベルシス家は駐屯を容認すると告げ……ピクシス家はさておき、ドルファン王家そのものへの従順な態度は、相変わらずである。
もちろん、これにはピクシス、ベルシスの両家のせめぎ合いが隠されている。
ダナンに駐屯するという騎士団大隊の真の役目は、国境警備という名目でダナンの領地を巡検し、ヴァルファバラハリアンが潜んでいないか、もしくはベルシス家とつながる証拠を探し出そうというものである。
当然、ベルシス家はそれを百も承知で、騎士団の駐屯を受け入れて見せた。
ダナンとの中間にあるウエールに駐屯していた騎士団大隊がダナンへ向かい、別の大隊がウエールに駐屯するという、順送りの配置が決定したわけだが。
ダナンへ向かう騎士は、みな緊張に顔をこわばらせていた。
もしも……というより、ほぼみんな、ベルシス家とヴァルファが結びついていると信じているのである。
わずか1大隊で、残存勢力の定かではないヴァルファ軍団を探し出す……それは、敵地の真ん中へ乗り込むに等しい。
それを指示した軍部の上層部の意図……それに首をかしげない者はいなかった。
ただ、昨年、海燕とプリシラ王女との間でかわされた話……ヴァルファの部隊数と、ドルファン側の出撃部隊数の奇妙な一致について気づいていた少数の者はというと、その判断に首を傾げつつも、軍部に対する見方を修正する必要性を覚え始めていたのだった。
余談と言うと、後世の人間故の傲慢であると謗られるだろうが、この4月から石炭の輸出入自由化が実施されたことで早くも石炭価格は低下傾向を示し、その恩恵は微かながらもドルファン国民に慈雨となって降り注いでいる。
だが、輸出入自由化がもたらすもの……を、現実として目の当たりにした結果、これは当然、燐光石の自由化を求める声が高まることを意味していた。
むしろ、自由化の影響はこれから始まるのだが、そこに着目できる者はきわめて少ない。
安価なシベリア産石炭の流通は、ドルファン国内で石炭産業(主に第一次産業分野、だが)に従事する人間の職を奪うことにつながる。
職を奪われた人間が、次に求めるべき職はというと……周辺諸国の混乱によって流れ込む半難民も含めて、ドルファンにおける必要労働数と、それを求める数の差は、是正されるどころか、拡がっているのが現状なのである。
尚、この月の下旬にドルファン厚生部が行った調査によると、10代から20代における若者の間でのトルクの支持率が4割に達したという。
これを不満の高まりの表れととっても、いいであろう……。
「燐光石の値段は高すぎる。ザクロイドのバカ野郎……って、言ってる連中が、一杯いるんだけど?」
「別に、否定はいたしません…好きに、解釈なさいな」
「なんで、値段を下げないのさ、リンダ。安くしたら、みんな喜ぶよ、きっと」
最初からハンナに政治上のお話の理解を求めてはいないのだが、どうやらこの子は何か根本的に勘違いしてますわね…と、リンダは心の中で呟きつつ。
「最初はそうかも知れませんわね」
「……どういう意味さ、それ?」
リンダはふう、とため息をつき。
「ハンナ、お小遣いがいきなり3倍になったら、嬉しい?」
「そりゃ、嬉しいに決まってるよ。あったり前じゃん」
何バカなこと言ってるの…という目で、ハンナはリンダを見た。
「ハンナは、お小遣いが3倍になりました……でも、あなたにお小遣いをあげる、ご両親の収入は変わらない……さて、どうなります?」
「え?」
ハンナは首をかしげ……首をかしげっぱなしで。
「……猿以下ですわね」
「猿って言うなぁっ!」
「そうですわね、猿に対する侮辱とも受け取られますし」
「そうだそうだ」
「……」
「……なんだよ」
「いえ…(ため息)…そろそろ、帰りなさいな。私もこれから、打ち合わせがありますので」
「はいはい、リンダお嬢様は忙しいことで」
と、ハンナはお茶菓子(安くはない)をほおばり始めた。
無遠慮と言うより、無礼な行為だが、リンダは怒らない。
「ところで、ハンナ」
「はに(なに)?」
と、振り返ったハンナの顔は、どこかリスを連想させる。
「例の約束、必ず守って」
「……」
「くどいようですが……今、海燕の周りはとても危険な状態ですの」
ハンナは反抗心から黙っていたわけではなく、口にほおばったモノを飲み込むまでに時間が掛かっただけである。
「……ボクだって、海燕の足手まといになりたいわけじゃないよ」
そう言ってハンナは素直に出て行き……リンダは、ため息をつきながらも、口元に淡い笑みをのぞかせてそれを見送る。
が、ハンナの姿が消えると、リンダは一転して憂いを眉根にあらわし。
「まあ……この国は、猿以下の人間が大半を占めてますけど…」
年明け早々と言うべきか、それともリンダがザクロイド財閥についてすぐ、というべきか、熱帯圏におけるダイヤ鉱床の調査、発掘を目指したノーラッド計画。
そもそも、世界におけるダイヤの大半はシベリアから産出される。
このザクロイドの計画に対して、裏の意図に気付く気付かないに関わらず、シベリアがそれに対して妨害の手を伸ばすのは言うまでもない。
もちろん、それを承知でリンダは『わざわざ』それを計画段階で発表したのである。
それ以外、に関して、ザクロイド当主としてのリンダの手腕に、糸ほどの疑問も、批判も、下からは上がってこない。
先代がひどすぎたから……という理由では決してないし、財閥そのものの存続に関しての危機感が一体感を生んでいたのは事実だが、まだ10代の少女の示す溢れんばかりの才能に、圧倒されていたのである。
それ故に、『ノーラッド計画』もまた、何か深い考えがあってのことだろう……という感じで、周囲はリンダに対してあまり口を挟まないでいたのだった。
「まあ、予想通りではあるんですけどね…」
シベリアの妨害はもちろん、ドルファン国内の妨害も、リンダの予想の中にあった……あったのだが、ドルファン国内の貴族連中の妨害が、ここまで露骨、かつ悪辣であると、さすがに心が萎えるのを感じる。
計画そのものを額面通りに受け取ったところで、発掘したダイヤがどのように販売されるか……それすらも考えず、ただザクロイドという成金の存在が許せないという理由だけで、そうした所行に及ぶ。
「オーリマン卿の苦衷は、推して知るべし……ですわね」
そう呟き、リンダは目を閉じた。
意識を切り替えなければ……と、リンダは拳を振り上げて机に叩き付けた。
目を開き、息を吐く……顔を上げたとき、リンダの表情は、戦場に挑む兵士のように一分の隙もなく緊張に満ちあふれたものに変じていた。
熱帯圏……ザンビエ・ジンバラの現地で問題が起こるたび、情報を携えた人間がドルファンにやって来るし、ドルファンからリンダが指示を送るためにまた人間を送る。
いや、ここは敢えて別の表現を使おう。
ドルファンと、熱帯圏の間を人が行き交うたびに、船が動く。
その船には、人だけが乗るのだろうか?
答えは否である。
ドルファンを出航した船は、アルビアの軍船に守られつつ、港から港へと停泊を繰り返して熱帯圏へ向かう。
ドルファンを出港するとき空であった船倉には、停泊した港で特産品を積み込み、熱帯圏の港で、それを売り払う。
また、熱帯圏における特産品を積み、帰路において売り払い……ドルファンに戻ってくる時には、小麦や大豆と言ったありふれた、といっても現在のドルファンにおいて必要な物資へと形を変えている。
この時代、雇い主の意図に背かぬ範囲であれば、船長が自分の判断でこうした取引を行うことはむしろ当然である。
リンダは、そこに目を付けた。
ザクロイドではなく、ザクロイドが雇った船長が、自らの権利を行使して、交易を行っている……と。
その体裁を崩さぬために、大規模な船団を組むことなどできないし、交易量および、交易品についても、細心の注意を払う必要がある。
かつて、シベリア産の燐光石が出回る以前なら、ドルファンの……ザクロイドの燐光石は輸出品となり得たのだが、今のドルファンという国には、各地と交易を行える有力な物産がないのが現状だ。
その交易を行うのに不利な状況が、リンダの発想の殻を破らせた。
ドルファンの物産に頼る必要はない、と。
他の地域で交易品を買い込み、それを別の地域で売る……現代ならいざ知らず、会社が国に帰属するという意識の濃厚な時代に、この発想にたどりつくのは容易ではない。
リンダはそこからさらに進んで、船倉が空になる期間を極端まで削ることを考えた。
ドルファンから、熱帯圏まで……熱帯圏からドルファンまでという、航路の行き帰りについて、リスクとリターンを考えつつ、複数の交易を実現できるように、行きと帰りで寄港する場所を変えた。
もちろん、各地の情報を収集、分析した上で、航海のたびにルートは細かく変わる。
最初は、交易品を買い込む資金を必要としたが……露骨で執拗な妨害が幸いしたと言っていいのか、すでにその段階はクリアした。
ドルファンから熱帯圏への航路の途中に、別の人間をたてて交易会社を2つ作ったのだ……1つはザクロイド家の執事が、もう一つは、祖父の人脈から得た人物によって、目立たぬように、リンダの指示を受けながら会社の舵取りをしている。
それだけ聞くと、すべてが順調のように思える……が、リンダはこれがいくら利益を生み出したとしても長く続かないことに気づいている。
そう、気付いていたのだが……焦りを必死に抑え込み、リンダは地道に、今はまだ目に見えない何かを祈るように積み重ねていく。
「……やれることは、やりませんと」
自分に言い聞かせるように呟き……リンダは、複数のルートから送られてくる、膨大な量の情報の分析を始めたのだった。
『誇りと、食料、ですか?』
『ええ、そうよ××××。国を治める者、もしくはこれから国を治めようと企む者。その全ての者は、誇りと食料に目を配ることが必要になるわ』
『……よく、わかりません』
『仕方ないわ。貴女には、才能がないから』
『……』
『大丈夫、才能がない者は決して国を興すことは出来ないけど、才能がない者でも、国を治めることは出来るから』
『……誰でもいいって事ですか』
『そうね、誰でもいいのよ、誰でもね…』
『……』
『ふふ、今貴女が感じたのが、ちっぽけとはいえ誇りが形を変えたもの……怒りと似て非なる感情。国を興すとき、貴女はそれをみなに与えてやればいいの。もちろん、戦うための食料は必要だけど』
『……』
『でもね、国を治める時に必要なのは食料。それをみなに与えて、代わりに誇りを奪いなさい。そうすれば、国を治めることはとても簡単だから』
『そう……でしょうか?』
『ふふふ…疑うのなら、自分でやってみなさい。そうすればわかるわ』
『……』
『ああ、もう一つ教えてあげるわ、国を滅ぼすとき』
『国を、滅ぼす…?』
『自分が治める国も例外ではないけど、他人が治める国を滅ぼす方法』
『……』
『その国の人間の誇りを奪いなさい。そして、食料を奪いなさい……誇りと食料を失った連中は、何にでも頼る』
『何にでも…』
『そう、何にでも頼る……誰かを先頭に立たせて、新しい国を作らせるも良し、自分が先頭に立つのも良いわ……それが出来るなら』
『……』
『そう、貴女にはできないわ××××……さっき、言ったことは本当よ、貴女には才能はないの。私ではなく、お父様に似たのね』
『でも、お父様は…』
『……あの人には才能がないの。でも、自分でそれが悲しいほどにわかってるから、あの人は王にふさわしい』
『……』
『どうしたの、××××?』
『じゃ、じゃあ…あの子はっ?あの子には、お母様の言う才能が…』
『さて、どうかしら?』
『お母様、ねえ、お母様…』
『貴女には才能がない…それだけ覚えておきなさい』
『お母様っ、教えてください、お母様ぁっ!』
闇の中に消えてゆく後ろ姿に手を伸ばしたところで目が覚めた。
部屋の中はまだ暗い……夜半を過ぎたばかりだろう。
闇に向かって突き出した手のやり場を失って、少女はそれをぎゅっと握りしめ……力任せに振った。
「何故、あの女は、わざわざっ、あんな事っ…」
上体を折り、闇の中で己の身体を抱きしめる。
震えながら、少女は、1人の男を想った……。
ことん。
「……」
こん、ことん、こんこん…ごん。
ぶつぶつと独り言を呟きながら、部屋の中を歩き回る……だけにとどまらず、壁や家具を、軽く叩いて回るメネシスの奇行を、セーラは穏やかな微笑みを浮かべて見守る。
最初は何事かと思ったが、メネシスが何かを思索する際、きわめて精神が集中したときにみせる癖だとテディに教えられてから、セーラはそれを邪魔するのではなく、静かに見守るように務めている。
これが自分のラボだと、何時間もそうして動き回り、そのままぱたっと倒れて寝てしまうのだから……ある意味、彼女がここという場所になれてきた証拠なのだろう。
週に一度の往診という形を取っているが、ものの10分ほどで帰っていくこともあれば、今日のように、2時間3時間、もしくはそれ以上の時を過ごすこともある。
こん、こん、ここん…ごんっ。
「あ…」
「……痛〜っ」
家具に頭をぶつけて、残念ながらメネシスが戻ってきたようだった。
「だ、大丈夫ですかメネシス先生?」
「ん、あぁ…大したことないさ」
そういいつつ、メネシスはちょっと深めにフードをかぶった。
その行為が照れからきているのはわかったが、セーラはそれに口にすることはない。
「アタシ、どのぐらいそうしてた?」
「30分ぐらいでしょうか?」
と、セーラが答えると。
「ふん、悪かったね……今日はこのぐらいで帰るよ」
「はい…お疲れさまでした」
セーラの部屋を出る……と、そこには、当たり前のようにグスタフが控えていて。
「あの娘に、気を遣わせたみたい…休ませてやって」
「いやいや、セーラお嬢様はむしろ楽しんでいるようでして」
「……帰る」
「あ、お待ちを」
立ち止まり、そして振り返る。
「……何だい?」
メネシスの仕草を見て、グスタフはふっと、彼女は軍人に向いた資質を持っているかも知れないと感じた。
「老人の繰り言と思われては困りますので、はっきりと申し上げます。今、海燕殿の周囲はきわめて危険ですので、近寄るのはもちろん、連絡を取るのもお控えください」
メネシスは、ちょっと眼鏡の位置を調節し。
「別に……海燕に伝えるような事は、何もわかっちゃいない」
「さようでしたか」
と、グスタフは頭を下げ。
「何かありましたら、どうか私に直接」
「……アンタ、やせたね?」
「やせたわけではございません……余分な肉を…いや」
グスタフは、ちょっと笑って。
「年甲斐もなく、少し錆を落としただけでございますよ」
「錆を…ね」
「もはや芯まで錆び付いているかと思ったのですが、わずかながら刃が残っていたのがわかりました」
メネシスは、ちょっとフードをあげてグスタフを見つめた。
「アンタ、生まれは?」
「覚えておりませんな……が、恥ずかしながらシベリアで少々後ろ暗いことをやっておりました」
「……なるほど」
メネシスは、ただ頷いた。
「……」
「……」
「……用があるなら早く言ってくれ」
海燕がそう促したにもかかわらず、王女は、不機嫌さを隠そうともせずに海燕を見つめ続ける。
そばで控えていたプリムがため息をつき。
「海燕様、今日はこのままお帰りに…」
プリムの台詞を遮るように、王女が音もなく立ち上がって。
「美少女」
「は?」
何を言ってるの、この人……みたいな表情でプリムが王女を見る。
「金髪」
あぁ、とプリムがため息をついたが、海燕は眉も動かさずに王女の視線を受け止める。
「そして、王女」
「……」
王女は首を振りながら腰を下ろし、長すぎるため息をついた。
「おっかしーわねぇ……何が足りないって言うの?」
「足りないのではなく、何かが余計なのではないでしょうか?」
「なんか、最近仲良くしてる女がいるって聞いたんだけどぉ?」
プリムの冷静なツッコミはスルーされた。
そして、海燕はちょっと首を傾げ。
「仲良く…というと?」
「しらばっくれんじゃないわよっ!証拠はあがってるんだからね」
「……そういうところが、激しく余計なのではないかと」
「同じ手を出すなら、私に出しなさいよ、私に」
プリムのツッコミは、またもスルーの方向だった。
「プリム」
「あの、私のようなか弱き乙女を争いに巻き込もうとするのは、騎士道に反した行為だと思います、海燕様」
「仲が良い、というのは…用事もないのに無理やり呼び出されて、おしゃべりにつき合うという意味で合ってるだろうか?」
「……おおむね、合ってると思います」
「ちょっとぉ…」
プリムは、王女の視線から顔を背けて、大きくため息をついた。
「海燕様、私の独断で王女の言葉を意訳させていただきますが…プリシラ王女は、海燕様のことをとても心配なさっておいでです」
「ちょ、ちょ、ちょっと。勝手なこと…」
今度はプリムが王女のを無視するターンだった。
「貴方がここ1ヶ月近く夜道を家まで送っていた女性は、その道では知られた暗殺者とのことです」
「そのようだ」
「……ご存じでしたか」
「俺の仲間、とは考えなかったのか?」
「暗殺者にも色々いるわよ」
と、これは吐き捨てるように王女。
「あの女はね、依頼されたターゲットはもちろん、頼まれもしていない、ターゲットの親兄弟や恋人といった、親しい人間までぶっ殺す事で有名なの」
「……ほう」
「女の武器は使う、周囲を巻き込むことになっても平気で毒も使う……そんな女が、いや、そんな女を、貴方が仲間に思うはずがないでしょう?」
「なるほど」
海燕はちょっと頷き。
「そこまでわかってるなら、そもそも、入国を許可するな」
海燕の視線を、王女はさりげなくかわした。
「事情があるの」
「事情は誰にだってあるぞ」
王女は微かに息を吐き、海燕を見る。
「……つまり、貴方にも事情はある、ということ?」
海燕は少し考えてから……言った。
「ひとつ聞きたい。ノエルがいなくなると困るか?」
「……殺すの?」
「そもそもノエルは、俺を殺すことが目的のひとつだと思うんだが?」
平然と、海燕はカマを掛けた。
「……」
「質問を変えよう、俺がいなくなると困るか?」
王女は、微かに微笑みすら浮かべて傍らのプリムを振り返り。
「プリム、剣持ってきて、よおく斬れる剣」
「はあ、返り討ちにあうどころか、てもなく気絶させられるのが関の山ではないかと」
「いいから、とっとと持ってきて」
「はあ、そこまで仰るなら…」
プリムは、スカートの裾をまくり上げて。
「これをお使いください」
と、剣には及ばないモノの、ナイフよりは長い、小振りの剣を差し出した。
「よおく、斬れます」
「……あの、プリム?」
プリムは剣を差し出したまま、王女の目をじっと見つめ……数秒経ってから口を開いた。
「後で返してください、祖母にもらったモノですから」
『祖母にもらった』という言葉に反応して、海燕はあらためてプリムの持っている剣に注意を向け……興味をひかれた。
「プリム。見せてもらってもかまわないだろうか?」
「……どうぞ」
「すまない」
プリムから受け取った小振りの剣を、海燕は息を殺して抜いた。
そんな海燕をジト目で見つめながら、王女がため息混じりに呟いた。
「……あのぐらい真剣な目で、私を見つめてみろっての」
「祖母曰く、『男はいくつになっても子供のようなところがある』とのことです」
「……そこがたまらない、なんて、オチじゃないでしょうね?」
「……」
王女の皮肉に、プリムは沈黙で答えた。
そんな2人のやりとりを聞いているのかいないのか、海燕は静かに剣を戻して。
「良い剣だ」
と、プリムに手渡した。
「……海燕様の言う、『良い剣』とは?」
「ふむ、難しいことを言う…」
と、プリムの問いかけに、海燕はいったん苦笑を返し。
「そうだな……持ち主の目的に見合った能力を備えていること……だろうか」
「それはつまり…」
プリムはちょっと笑って。
「この剣は、私にとって良い剣……という事ですか?」
「ああ」
「じゃあ、海燕にとって『良い剣』って、どんな剣よ?」
と、これは王女。
「……ただの剣であること」
海燕の答えに、王女がちょっと首を傾げた。
「まあ、折れず、よく斬れるに超したことはない……ただの剣として優れていればいいということだ」
「その割には、色々と鍛冶に注文をつけてたって聞いたけど」
「……それもひどく余計です、王女」
ぼそっと、プリム。
「よく斬れる剣には硬さが必要だが、硬い剣は折れやすい」
「……両立しないって事?」
「東洋圏では、こちらのようなごつい鎧甲冑を身につけない地域がほとんどでな……武器というか、剣は斬れ味が求められ、発達してきた」
王女はちょっと目をそらし。
「自分で話題をふっておいてなんだけど、それ、ちゃんと聞かなきゃいけない?」
「ああ、すまん…興味があるのかと」
「……」
ひとつ、ため息をついてから。
「私が興味を持ってるのは、東洋圏からやってきた傭兵の、貴方自身よ」
「まあ、うさんくさい存在なのは認める」
「……プリム、やっぱ、さっきの剣貸して」
「無駄なことは、しない方がよろしいかと」
「……」
王女はしばらくプリムを見つめ……やがて、ふっと息を吐いた。
「海燕」
「なんだ」
「死んだら、許さないわよ」
「無茶を言うな。生きている以上、いつかは死ぬ」
「や、そういう意味じゃなくて…」
「じゃあ、いつまでだ?」
ほんの一瞬だけ、王女は冷えたまなざしを海燕に向けた……が、すぐにそれは消えた。いや、消したのか。
そして、ため息をつき。
「……死んで欲しくないのは本当」
「……」
「……帰って…っていうか、とっとと帰れっ!」
海燕が退室すると、プリムがついてきた。
「あの、海燕様…」
海燕は振り返らずに言った。
「ひとつ忠告だ」
「……なんでしょう?」
素直にプリム。
「さっきの剣…あまり他人には見せない方がいい」
「……今日が初めてです」
海燕が振り返り、プリムは海燕の視線を受け止めた。
「……ローズバンク家の由来は?」
「昔のことに興味はありませんので」
「それほど昔じゃないだろう」
海燕は、何でもないことのように。
「長くて200年、短ければ50年……下手をすると、プリムの祖母が家の興りかも知れん」
プリムの返答まで、微かに間が空いた。
「……なかなか夢のあるお話です」
「俺は割と世界を回ってきたからな……権力とは無縁で、王家の血筋を保管するだけの家系の存在が珍しくないことも知っている」
プリムは、静かに微笑んで。
「さて、国を乗っ取れと、そそのかされているような気もしますが、冗談としてもお断りします。柄ではありませんし、そもそも海燕様は思い違いをしていらっしゃいます」
プリムに対してではなく、独り言のように海燕が呟いた。
「たいてい、本人の意思は関係ないな……ただ、担がれるだけだ」
「……」
「加えていうなら、その真偽すらもほとんど関係がない」
プリムは目を閉じ、ため息をついただけで何も言わなかった。
「……だからこそ、礼を言う」
「何がです?」
「わざわざ、王女の前で見せてくれたんだろう?」
「……プリシラ王女の気持ちが、少し分かりました」
「騎士と違い、礼儀知らずですまないな」
「いえ、そういう意味では」
海燕が、プリムに視線を向けた。
さっきまで伏せられていた彼女の瞳が、まっすぐに自分に向けられていることを知る。
「海燕様、あなたは残酷な方です」
そう言ってから、プリムは頭を下げて……海燕に背を向けてその場を去った。
「残酷か…」
消えたプリムの背中を、尚も目で追いながら呟く。
「否定はできない…な」
「……何故、お前さんの酒には、毒が入ってないんだ?」
「さあな、ノエルに聞け」
これ以上はない、なさけない表情で、グレッグが呟く。
「何故、俺の酒には…毒が混ぜられるようになったんだ」
「知らん」
記憶がない、と主張するノエル・アシェッタなのだが、『なら、何故、酒に毒を混ぜた?』という海燕の質問に対し、少し考えて、『そうしなきゃいけない気がしたから』などと、どうしようもない答えを返してきた。
だとすると、おそらくこれは『グレッグの酒に、毒を混ぜなきゃいけないような気がする』……ということなのだろう。
ただ、グレッグ曰く『お前さんを連れてくるまでは、俺はこの店で普通に酒が飲めたんだ』とのことらしい。
「と、いうか……お前は、ノエルについて、何も話してはくれないんだな」
「何も、話すことがないからな」
「まあ、無理に、とは言わんが…」
「親友は、信じるもんだぜ」
「だから、無理には聞かん」
ふっと、酒場が静かになる……ノエルが再び姿を見せたからだ。
ただそこに姿を見せるだけで、酔っぱらいを黙らせる……それは単に美貌という言葉では説明の付かないモノであろう。
「お待たせしました」
と、海燕の前に料理をおく。
「ノエル」
「なに?」
「グレッグにも酒を飲ませてやってくれ」
すっと、ノエルは冷たい視線をグレッグに向けて。
「この男は客じゃないから」
そう言ってノエルが去り……グレッグは泣いた。
「まあ……食えよ、グレッグ」
「酔いたい気分なんだが…」
もそもそと、まずそうに、グレッグは料理を口に運び……立ち上がった。
「帰るのか?」
「酒の飲めない酒場で、ほかにすることがあるのか?」
「……ないな」
「だろう?」
ため息をつき、肩を落として、グレッグが帰っていく。
そして海燕は、グレッグが金を払わずに出て行ったことに気づくのが、ちょっとばかり遅れた。(笑)
「ごめんなさい、遅くなって」
「気にするな」
ノエルを、家まで送る……ただそれだけの毎日。
「〜♪」
「どうした?」
「貴方と一緒にいると、楽しいの」
「ノエルの敵、という可能性が高いはずだがな」
「かもしれない…でも、自分の心に嘘はつけないから」
ノエルは、海燕からちょっと離れて。
「どうせ、私はまともな生き方をして来てない」
ふっと、右手にナイフが現れ、左手には、おそらく毒の入った包み…が現れる。
ナイフと、包みに目をやって……ノエルは、苦笑と言うにはややかげりの濃い笑みを浮かべた。
「……思い出せないけど、人を殺して生きてきたのね、きっと」
「そっちに、詳しいやつを1人知ってるが…」
ノエルは、首を振った。
「たぶん、貴方とこうしていられる時間は長くない……わざわざ、それを縮めたくない」
ナイフを、くるりと回転させて。
「私がそれを思いだしたとき、私はもう、貴方と一緒にいられない……きっと、そう」
そう言って、ナイフと包みをどこかへとしまいこむ。
その仕草が、どことなくルーナに似ていた。
ふっと、ノエルが海燕に視線を向けた。
「人を殺してきてきた……それは、貴方も…よね?」
「ああ……俺は、数え切れないほど人を殺してきた」
ノエルの手が、海燕の頬に触れてくる。
さっき、ナイフを持っていた手だが、海燕はそれを避けない。
「でも貴方、優しい目をしてる」
「どうかな…」
海燕がそう返す。
恋人同士のような語らいと言えなくもない。
「私の手、怖く、ない?」
「俺は、人を殺して生きてきたんだ、ノエル」
「そうね…こんなに優しい目をしているのに、怖い人だって、わかるもの」
「無理をするな」
ノエルは、海燕を見つめ……そっと手を離した。
「変ね…楽しいのに、怖いなんて」
「……心じゃなく、身体が怖がっているんだろう」
海燕の呟きにノエルは笑い、その場で軽やかに回って見せた。
2回、3回…。
スカートの裾がくるりと円を描いて広がる……それを楽しむように。
やがて、回転が止まり……スカートの裾が垂れた。
「今日までありがとう」
「……?」
「もう、こうして毎日送ってくれなくてもいいから」
「そうか」
「……貴方が嬉しそうな表情を浮かべない事に、満足しなきゃいけないの?」
「どちらも、ノエルが言い出したことだ」
「じゃあ、明日からも、毎晩こうして送ってくれる?」
「他に用事がなければな」
「……いいのよ」
「何が」
ノエルが、濡れた瞳で海燕を見つめる。
それは、媚態というよりも、背伸びした少女のようなぎこちなさが勝っていた。
「貴方のモノになっても」
「モノに興味はない」
「……」
ノエルは、少し、困ったような表情を浮かべ。
「……だとすると、貴方が、私を守ってくれようとする理由が、他には思いつかないわ」
「グレッグがそれを願っていた」
ノエルが顔を背けて、怨じるように呟いた。
「……ひどい事言うのね、貴方」
「別に、言葉にして頼まれたわけじゃないんだがな」
「貴方が、あの男の、頼みをきくことなんてないと思う」
「……」
「あの男の、貴方を見る目は……どうすれば貴方を殺せるか、常にそういうことを考えている目だわ」
「まあ、否定はしない……別に、グレッグもそれを隠そうとはしていないしな」
「だったら…」
「グレッグは…」
海燕はちょっと口を閉じ……ノエルから視線を外して、闇の中へと視線を投げた。
「ドルファンに雇われた外国人傭兵である限り、本当に仲間を裏切るようなことはしないだろう」
短い沈黙を経て、ノエルはただ短く『そう…』と呟いた。
我慢比べはたいてい心にやましいことがある方が負けるし、同じやましさを抱えるモノ同士なら、弱い方が負ける。
ノエルがふっと顔を上げるのに合わせて、海燕はノエルに視線を向けた。
「……『キミ』は」
声は違うが、懐かしい響きだった。
「ずっと1人で生きていくつもり?」
「さあな……誰にも、明日を保証する事はできないだろう」
「それはそうだけど……」
「その姿は、アンのようにピコがそう見せているモノなのか?」
「違うよ……わかってると思うけど、ノエル・アシェッタは、この世に実在する人間。私は、その肉体を借りているだけ」
海燕はちょっと眉を上げ。
「そういうことが、できるのか?」
「誰にでも……というわけじゃないよ。このノエルという女の人は……心という器が壊れて、ひびが入ってしまったの。だから、こうして私が入り込める……それだけ」
「そうか…」
海燕はちょっと目を閉じ……言葉を続けた。
「…つらい目にあったんだろうな」
「自分が愛した人を、殺したの……でもそれは昔のことで、ほんの最近までずっと変わらずに仕事を続けてたみたいなのに」
「変わらないように見えても、人は突然壊れる事がある……心も、身体もな。俺と一緒にいて、それを見てきただろう?」
「そうだね…」
「……仕事が、向いてなかったんだな」
「……ひどいこと言うね、キミは」
海燕は何も答えず、また闇の中へ視線を投げた。
「……その、心の器を直すことはできないのか?」
「無理だと思う…少なくとも、私にはできないよ……心という器がひとたび壊れてしまえば二度と……治ったとしても、たぶん別人になるだけだと思う」
ノエルは…ノエルの身体を借りたピコは、言葉を続けた。
「ねえ…わかってるよね?この人、キミを殺すためにこの国に来たんだよ」
「まあ、そんなとこか…」
「あくまでもこの人の判断だけど、依頼したのは…」
「アルビアか」
海燕の返答に、一瞬間が空いた。
「……シベリア、とは思わなかったの?」
「そうか……俺のことを心配してくれたのか。ありがとう、ピコ」
ピコはちょっとうつむき……そして、笑った。
「キミは…キミには、私の助けなんか必要なかったよね…それは、わかってたよ…わかってたんだけど…さあ…」
「……」
海燕は、何も言わずに黙っていた。
それは、この後、ピコが何を切り出すかがわかっていたからだ。
「来年の3月」
「……そうか」
ピコは頷き……いや、頷きかけた顔を上げて。
既に、自分の意志が伝わったことを知りつつ、なおも言葉を足した。
「私は、行くことに決めたよ」
「……寂しくなる」
「残って欲しい?」
「ああ」
ピコの……ノエルの顔が引きつる。
「ピコは随分と長生きするらしいな」
「アンから色々聞いたんだね……私は、アンみたいに強くない」
「俺は、死ぬまでピコと一緒にいてやれると思う……でも、その後を保証してやれないからな」
「な、何言ってんの…それって、それって…キミはさあ、人間なんだよ」
「……」
「キミは、キミは…誰だって選べる…それこそ、王女様だって…」
闇の中に消え入るようなピコの声……それが、突如激した。
「キミがっ、キミが望めばっ!望みさえすればっ!」
海燕は何もいわず、ただ見つめていた……そしてピコが、その視線に吸い寄せられるように…海燕を見つめ返す。
口を開きかけて閉じ…閉じた口をまた開きかけ……その唇が震える。
昔、ずっと昔……いや、本当はわずか数年前のこと。
人に比べて長い時を生きていくピコにとっては、本当にごくわずかな時間。
そのとき、言えなかった言葉……何かを断ち切るように、ピコが唇を震わせながらそれを口にした。
「ねえ…死のうなんて…考えてないよね」
「それはしない…ピコとの約束だ」
「……」
「俺は、死ぬまでは生きる……いつ死ぬか、殺されるかはわからないが、自ら死を選ぶような事はしない」
「……」
「俺は、ピコがいなければ死んでいた…だからピコとの約束は守る。ピコだけじゃない、俺の命を救ってくれた相手との約束は絶対に守る」
「……」
ピコの唇が、微かに震え続けて。
「あの人とも…クーとも約束したもんね……生きるって」
「ああ」
「……っ」
手を握り……海燕の胸に打ち付けた。
「生きるって…生きるってさあ、死なないって事じゃないよっ!」
二度、三度……と、たたきつけられる手を、海燕はただ見つめる。
「生きるっていうのは、生きてるっていうのは…もっと、こう…違うものなんじゃないのっ!?」
何かを伝えたいのに、伝わらない……伝えられない。
皮肉にも、そんなピコのもどかしさだけが海燕には伝わる。
「キミは、キミは私の仲間を見つけるって約束してくれたよね…来年の3月、みんなと一緒に行けば、そこで私の仲間が見つかるかも知れない……なのに、キミは、私を安心させてくれない。この1年、ずっとキミを見てた……不安だよ、不安で不安で仕方ないよ、私は」
「……すまない」
「そうじゃなくて」
「とりあえずは、この国でできることを…」
「そんな答えが聞きたいんじゃないよ、私は…」
握りしめた手を、力無く打ち付けて……ピコは、海燕の胸に顔を埋めた。
「……ヤング教官の奥さん、クレアが言ってたよね…キミには、誰もが目指しているはずの明日がないような気がするって」
「……俺にはよくわからなかった」
「本当に?わかりたくなかっただけじゃなくて?」
「クレアの言った『明日』が、夢とか希望という言葉に置き換えられるとしたら……あれは、ひどく恵まれた立場からの言葉だと思う」
「……」
「誰もが目指すと言っても…日々の糧を得るのが精一杯の人間が、5年後、10年後を考えていたか?」
「それは…」
「戦場では珍しくもないが、ただ踏みにじられていく存在を、ピコだって数え切れないぐらい目にしてきただろう?」
ピコの口は、曖昧に開かれたままで……新たな言葉を紡ぎだそうとはしなかった。
「誰もがみんな目指す明日なんてものがあるのか?それは、ごく限られた一部の人間だけに許された特権じゃないのか?」
「……」
「別に、俺はクレアの言葉をすべて否定したいわけじゃない…が、生きることで精一杯の、死なないことで精一杯の人間が、自分の足下を疎かにして何かを目指したところで、俺はどこか虚しい気がする」
「……キミの言うことはよくわかる」
ぽつりと。
「人間ってよくわからないけど……キミのことは、キミのことだけはよくわかる」
少し風が吹いて、ピコの……正確には、ノエルの髪が香った。
「確かに…そうかも知れない。キミのいう通りかも知れない…けど…」
5秒、10秒と沈黙が過ぎていき……。
「キミは、キミはさあ……幸せになるべきだよ」
そんな資格が俺にはない……と、海燕は心の中で呟く。
人が、幸せになるべきだとしたら……自分は今までに、数え切れないほどの人を殺すことで、それらを奪ってきた。
ノエルは愛した相手を自分で殺したから、心が壊れたのだとピコは言う。
ならば自分も、今は平気だがある日突然壊れるのだろうか。
海燕の胸で泣きながら、ピコが、ぽつりと呟いた。
「この国に…来るべきじゃなかったね、私たち」
海燕は、ピコにそんなことを言わせたくはなかった……が、この国にやってきたことを否定する気にもなれなかった。
それ故に、海燕はピコにかけてやるべき言葉が見つからなかった。
やがて、泣きやんだピコは……海燕から離れて。
「もう、ノエルに会いに来ちゃダメだよ」
「……どうなるんだ?」
「……わからない。ノエルはもう、壊れてるから」
「そうか…」
それはつまり、ピコはもう、ノエルの身体から離れるということだろう。
ピコが言うところの、心という器が壊れたノエルは、その後どういう行動をとるのか……海燕は、グレッグのことを思った。
「グレッグの、古い知り合いなんだろう?」
「……私が言っていいことかわからないけど、ノエルのお姉さんが、グレッグの知り合いだったみたい…ただ」
「……そうか」
「……」
「……ノエルは、自分の姉を殺したんだな」
ピコは何もいわず……しばらくうつむいていたが。
「じゃあ…私は行くよ」
背中を向けて…一度だけ肩越しに振り返って、ピコは、そのまま去っていった。
海燕は空を見上げたが……明日はもちろん、星さえも見えなかった。
そのまま、1時間ほども待っていただろうか。
ようやく、グレッグが闇の中から染み出るように姿を見せた。
微かに、血が香る。
「……なあ」
「手伝おうか?」
「……」
グレッグが黙ってしまったのを見て。
「ためらいがあるならよせ…この国から逃がしてやれよ。お前がどちらを選ぼうと、俺は手伝う」
「あれは……彼女は、誰だったんだ?」
「俺の知り合いだ…としか言えないな」
「……そうか」
風が吹き、また血が香った。
「……お前の助けは、借りない」
「そうか、わかった」
グレッグは、海燕に背を向けて……闇の中へと姿を消した。
「それでは、ゼールビス神父。しばらく留守にいたします」
「ええ、『お気をつけて』」
その言葉に、ルーナがくすっと笑った。
「何か?」
「いえ、神父のお友達に、同じ事を言われたのを思い出しただけです」
「私のお友達ですか……」
少し首をひねって…神父は彼女の言う『お友達』が誰のことか気付いたのだろう。
「ははあ……死神と、親しいわけではないのですが」
「そうでしょうか?」
「彼のことを語るとき、私はそんなに、楽しげでしたか?」
「ええ……妬けるぐらいに」
「ははっ、これはまいりましたね」
神父……ミハエル・ゼールビスは、苦笑を浮かべた。
「彼の言う『気をつけて』は、あなたの身を案じてモノでしょうが、私の言う『気をつけて』は、誰にも見られないように、という意味ですよ」
「……お優しい神父様」
ルーナは微笑み、頭を下げてから教会を出ていった。
彼女が向かおうとしているのは、ダナンである。
海燕の言うところの、超1流の暗殺技術を持つルーナが、何をしにダナンへ出かけるのかを聞くのは野暮だろう。
教会へと続く道の周囲……やや、季節は早いが、色とりどりの花が咲き始めている。
周囲に目を向けるでもなく、ルーナは不意に足を止めた。
「……何か御用ですか?」
「……」
「教会に?それとも、神父様に?」
穏やかだが、感情の感じられない微笑みを浮かべてルーナは続けた。
「敵意は感じられませんが、返事がなければ神父様の敵と見なしま…」
「ああっと、これは失礼しました…」
すっとぼけた口調と共に、男が姿を現した。
ルーナが、視線を動かさずに口を開く。
「もう1人」
「……いや、この人を相手に気配を消しても無駄ですって」
と、男が苦笑を浮かべて声をかけた。
すっと、ルーナを挟んで男とは正反対の位置に姿を現したのは……ライズである。
「前後を挟まれて…余裕ね」
「いや、わざわざ前後に挟まれる場所で立ち止まったんですよ、この人は」
と、男……ワンチャイは、ため息をついた。
「すみませんね、どうも、相手の力量を把握する能力に欠けるというか、好戦的なところがありまして」
「そのようですね」
ルーナが微笑み。
「それで、神父様に何の御用ですか?」
「3月、プロキアのグローニュで起きた会談を襲った爆破テロについて少しお話をうかがおうかと…」
「あれは、神父様の仕事です」
ルーナがあっさりと答える。
「はは、それはもちろんわかってます」
ルーナは、少し目を細めて。
「いかなる理由があろうとも、頼み主について何かを語ることはありません。このままお帰りください」
「いえ、頼み主もわかってるんです、その上でのお話といいますか…」
「そう…ですか」
いきなり、ライズがはじかれたように後ろへ飛んだ。
攻撃を受けたわけではなく、身体が勝手に反応したのだ。
それとは対照的に、ワンチャイはルーナの視線を受け止めたまま、武器に手を伸ばすでもなく変わらぬ姿勢と表情で立っている。
「……へえ」
感嘆の呟き……それと共に、ルーナの微笑みに感情が混ざり込んだ。
楽しくて仕方がない、そんな感じに。
「あらら、予想はしてましたが……やはり、そうでしたか…」
ワンチャイが困ったように呟き……苦笑した。
「まあ、私も…かつてそうでしたから、とやかくは言えませんがね」
「……お名前を、うかがってもよろしい?」
「今はただ、ワンチャイと名乗っています」
「今は…ですか」
ルーナはちょっと言葉を切り……続けた。
「……では、私はルーナで」
「はい、確かに…」
ワンチャイが頷く。
「あなた、少ぅ…し……あの人と雰囲気が似てますわ。お知り合い?」
微かに頬を染めてそう囁くルーナの姿は、まるで恋する乙女のようである。
「二重の意味で恩人、そして、仇…ですよ」
「あら、素敵……殺し甲斐のある相手でしょう?」
「はは、まあ……そう思った時期もありましたが…」
武器を手にしているわけでもなく、ルーナはただ立っているだけだ。
もちろん、ワンチャイもただ立っているだけ……というか、武器に手を伸ばした瞬間に戦いが始まってしまうことが痛いほどにわかるのだ。
「……ここは、ひとつ死んでみますか」
ワンチャイがそのまま一歩踏み出すと、ルーナは笑い……気配を抑えた。
それでようやくワンチャイは一息つくことが出来た。
「まあ、あの人を見てしまった後では、私相手じゃ物足りないでしょう…」
「……いいえ、貴方は十分に魅力的よ」
「私も一応男ですので、殺しの相手としか評価されないのは寂しいですね」
「ああ、これはこれは…遠方からようこそ」
教会の入り口で足を止めたワンチャイを、ゼールビスは笑顔で迎え入れた。
「外の騒ぎに気付かない人でもないでしょうに…止めてくださいよ」
「ははは…」
ゼールビスはちょっと笑って。
「ライズの反応にね、少し興味があったモノですから」
「能力はあっても、裏の世界には向きません」
「……でしょうね」
神父は、少し遠い目をして呟いた。
「彼女の母親も、そうでした…」
「父親も、でしょう」
「はは、私の口からそれはちょっと…」
神父は微笑み。
「初めまして…ですが、自己紹介はお互いなしにしましょう」
「私は構いませんが…」
「ライズを預かってもらってますからね……というより、シンラギにおいて独立行動権を与えられているとなると、これはもうほぼ2択ですよ」
「いやあ、私はただの隊長の1人ですよ。部下だって……直属は精々50人というところで」
「はは、私はシンラギの全軍を相手にするよりも、あなたのいう50人の部下を相手にする方がよっぽど恐ろしいですけどね…」
神父は、椅子をひいて男に勧め……自分は、飲み物の用意を始めた。
「ところで…ライズは?」
わざわそれを聞きますか、という表情を浮かべて男は答えた。
「……外で少し、痛い目に遭ってると思います」
「ははは…相変わらず、血の気の多い娘だ」
「……というか、自分がかなわない相手だとわからないはずはないんですがね」
男がそういって首を振ると、神父は穏やかな微笑みを浮かべた。
「そこは、母親の血……ですかね。負けるからという理由の逃亡を恥と考える傾向が強かったですね…あの人は」
男が神父をみつめ……神父は、ただそれを受け止めた。
やがて、男が口を開く。
「……えーと、それは私に聞かせていいんですか?」
「ダメといっても、貴方は薄々真相に気付いているでしょうし、ライズにそれを託すつもりでしょう?」
「まあ……そのつもりですけど、あの人のことだから、その必要も無いんじゃないかと思うんですよねえ」
そう言って男が笑い、神父もまた笑った。
「……ただ、驚くべきは」
神父が、そう切り出した。
「彼が、1人だということですね」
「……私が出会ったときは、2人でしたが」
「ほう…」
興味深そうに、神父が男を見た。
「いやあ……あの光景は、人生観変わりますよぉ。1人で100人を殺す連中が、その逆をやられるんですからねぇ」
男は照れたように笑って……少し、遠い目をした。
「…今思うと、あれは新旧の死神が集って戦ったという、希有な光景だったんですねぇ」
「……私が最初に聞いた『死神』の噂は、女だというモノでしたが」
「ええ……かつて死神を名乗った者は、ほとんど女性でしたから」
「……失礼ですが……もしかすると、死神とシンラギの間には、個人的なものではなく、何らかの縁が?」
「ふうむ、縁とはいえば縁ですが……正確には、死神と何らかの縁のある者が、シンラギの中に存在し続けた……という事ですね」
「なるほど…」
神父は頭を下げて。
「興味に駆られて、つい失礼な質問をいたしました…」
「いえいえ。大した話でもないですよ。そもそも、あの人は確かに死神の名を継ぎましたが、継いだのは名前だけですからね」
「ははは、お話がお上手だ……つい、ひきこまれてしまいますね」
そうは言ったが、神父の興味がさほどそこに無いのが男にはわかった。
「ルーナ」
「はい、神父様」
静かに……そして、ライズの身体を引きずりながらルーナが教会の中に入ってきた。
「あらら…」
ルーナは、男に笑みを向け。
「ワンチャイさん…甘やかすのは本人のためになりませんよ」
「いやあ、別に甘やかしたつもりはないんですが…」
「せめてあと2、3回は、死の淵まで連れて行ってあげませんと…」
などと、『恐ろしい』ことをさらりというルーナに、男と神父がほぼ同時に肩をすくめた。
「……私が見るところ、彼女は情が強いといいますか」
ワンチャイは、再びライズに目を向けて。
「恨みは一生忘れないタイプですよ、たぶん」
「はは、恨みだけじゃないでしょうね…」
神父はそう呟き、遠い目をして呟いた。
「まさに、彼女の母親はそうでしたから」
『恩を返すため』、故郷を離れるだけでなく、その地位までもなげうって兄と2人、恩人に付いていくことを選んだ……それが、ライズの母親だ。
神父は肩をすくめて呟いた。
「……できることなら、恨みではなく感謝に満たされた一生をおくって欲しいですね」
「どうでしょうか……難しい立場にいますからね、彼女は」
ワンチャイが、そう答える。
そしてルーナは。
「……どっちにしろ、もう少し腕を磨いた方が良いと思います」
と、引きずっていたライズの身体を抱き上げ……横並びの椅子の上に寝かせた。
「ルーナ。私には構わず、出発してください」
「おや、どちらへ?」
「はは、ダナンですよ」
「……なるほど」
ワンチャイは頷き……神父を見た。
「さて、何の情報がお望みで?」
「はは、私に聞くことがあってはるばるここへやってきたのではないのですか?」
神父が笑う。
気が付けば、ルーナの姿はもちろん、気配もない。
「……怖い人ですね」
「同感ですが……貴方ならいい勝負ができそうに見えますよ」
「5分5分はもちろん、6分4分でも私はやりません……ましてや、3分7分では、とてもとても」
「力量ではなく、相性の差と私は見ましたが…」
神父が楽しそうに言う。
「同じ事ですよ」
「確かに」
男は、神父を見つめ……どこか、苦笑じみた笑みを浮かべながら言った。
「まさかとは思いますが、ライズだけでなく、彼女まであの人に押しつけようと思ってますか?」
神父は穏やかな……微笑みではなく、ただ穏やかな表情で。
「……おそらく、私は死ぬことになりますから」
「しかし、それは……」
「……私は、伯父に救われた男です。その伯父が死ぬというなら…それを望んでいなくとも、私も死ぬしかないでしょう」
そして、神父は笑った。
「血、ですかねえ……」
神父の言葉の意味……男は、神父の伯父が軍団長に殉じて死のうとしていることと理解したのだが……それだけではない何かを感じた。
ただ、今それを追求するの憚られたので、本題を切り出すことにした。
「……無粋な話になりますが、ヘルシオ公に今死なれると、ヴァルファは困りますよね?」
「それはまあ……ただ、本当に困るのはシベリアでしょう。ヴァルファの都合で言うなら、後1年、生きていてくれれば問題ないですけどね」
「なるほど」
神父はちょっと笑って。
「シンラギが東洋圏に戻ることになったのも、シベリアのせいでしょう?」
「まあ、シベリアは広いですからね……中華公国にケンカ売るだけじゃなく、シンラギの本拠地に近いベトナムでごそごそと引っかき回してくれやがってまして……私の直属の部下の多くが、そっちに付きっきりになってます」
「ははは、これはますますライズを預かってくれていることに感謝しなければ…」
「ほかならぬ、あの人の頼み…ですからねぇ」
これは、逆らえません……という感じに、男は笑った。
「しかし……彼は、1人ですねえ」
「そう、なんですよねぇ…」
男が、そして神父がライズを見た。
「……仲間と、叔父と、父親の敵で、恩人……という事になるんですか?」
神父が……いや、神父らしからぬ意地悪い笑みを浮かべて。
「それは分が悪い……女であることを、恩人と同じ天秤に乗せてやらねば」
「……気絶している私の隣で、何か失礼な話をしていたような気がするわ」
「それは気のせいですね」
「……そうかしら?」
疑い深そうに、ライズがワンチャイを見た。
「そんなことを考えてしまうのは、遊ばれたせいでしょう、きっと」
ライズの顔が微かに羞恥に歪んだ……が、すぐに表情を消して。
「貴方なら…勝てる?」
「やりません」
「……やれば勝てる、と聞こえるけど」
「状況と運次第では勝てるでしょう……ですが、運頼みの殺し合いなんてナンセンスですね。意味のないことに命をかけるような酔狂はやらないことにしています」
ワンチャイを見るライズの目に、侮蔑の色がにじんだ。
ワンチャイは、それを笑っていなす。
「……ひとつ聞いていいかしら?」
「なんですか?」
「『ワンチャイ』という名前には、何か意味があるの?」
「まあ、意訳すれば『みんなの子』とか『軍団の子』ですかね」
ライズが、ワンチャイを……男を見た。
「ストレートな意味だと、『身よりのない子供』です」
「……」
「……たとえばグエン将軍は、自分以外の全員を皆殺しにされたんですよ。村ひとつという、小さな部族だったらしいですけどね……復讐のために、シンラギに拾われたというか、自分からやってきたというか…」
「……あなたは?」
「あー、私の場合はもうちょっと複雑で……そうですね、もしかすると、私の両親は生きているかも知れません…」
「……?」
「たぶん、殺された…とは思うんですが。そのあたり、組織は容赦なかったですし」
「組織?」
ワンチャイは、ちょっと首を振った。
「まあ、暗殺者を養成する組織です……東洋圏というか、各地を回って、子供を買ったりさらったり……私はそこで育てられたんですよ。過酷な訓練に耐え、同じ境遇の子供達や裏切り者を殺しながら…ね」
ライスの顔が微かに強張った。
「貴女の年頃にはもう、組織でも指折りの暗殺者だったんですよ、これでも」
「……別に、腕前について疑いはしないけど…」
「一応、天才と呼ばれてました」
「だから、疑ってはいないって言ってるでしょ」
自慢したいのか、話したくないのか、どっちだ……っとツッコミたい気分を抑えつつ、ライズは話題の転換を試みた。
「……海燕は、シンラギは傭兵団ではなくひとつの国だって言ってたけど…」
「国…国ですか…ああ、それはいい…」
ワンチャイは、笑って。
「それは、素敵な表現です……たぶん、彼の言葉ではないでしょうが」
「さあ?」
ライズは首を振った。
「他人から聞いた話…とは言ってたけど」
自分で話題の転換を試みておきながら、ライズは目の前の男がどういう経緯でシンラギに所属することになったのか気になった。
暗殺者の組織から……。
「ああ、あの人に組織を壊滅させられたんですよぉ」
「ごふっ…」
いきなり図星を指され、かつ、その言葉の意味の大きさに、ライズはむせた。
「か、壊滅…?」
大きな組織だったんじゃないの?
「一線で働いていた暗殺者と教育係が、ほぼ全滅させられましたからね……あと、幹部とか…組織の中枢を司る部分を、的確につぶしていきましたし」
「ひ、1人…で?」
ワンチャイは、笑わなかった。
「2人です」
「……そう」
それ以上の言葉を聞かずとも、何かがわかった。
海燕が、背中を預けられる相手。
それはおそらく……海燕が斬ったという、『死神』なのだろう。
何故斬ったかはわからない……が、それは、ライズの心にすうっと染みこみ、理解を広げた。
「……死神って…なんなの?」
「……元々は、ある部族の言葉で『刑を執行する者』という意味だったそうですよ」
「刑を執行する…?」
「傭兵が生業となる戦闘部族…ってわかりますか?」
「……ええ」
ダナン攻防戦の際、海燕に話してもらった言葉を思い出しながら、ライズは頷いた。
「男達はみな村を出て戦い、女子供のほとんどが村を守る……豊かとは言えませんからね、村が村であるためには、みなが守るべききまりというか、掟の存在は当然ですし、それを守らせるのはもっと大切だったんでしょう」
「……掟を破った者の、刑を執行する…者?」
「まあ、そんな感じかと」
男はそう言って……何でもないことのように切り出した。
「掟を守らせるために必要なモノってわかりますか?」
「力かしら」
ライズは、特に考えるでもなく言った。
「ええ……村の掟を破るぐらいの人間が、刑の執行に素直に従うかと言えば、必ずしもそうじゃありませんよね、やっぱり」
「……」
「私は、そもそも刑を執行する者は、その集団において当初は一段低い位置に見られていたんじゃないかと思いますけどね……長い年月を重ねる内に、『それ』には、ある資格が必要となった」
男は、一旦言葉を切って……囁くように言った。
「……強いことです」
「……」
「刑を執行するにあたって、その逃亡も含めて、抵抗を封じることができる者……つまり、一番強い者です」
「でも、それって……村に残された『女』が『それ』を名乗るって事じゃ…」
男が、笑った。
「仮にあなたが村に残って子供を育てていたとして、村の外で傭兵をしている男が金も送らずに別の女とよろしくやり始めたと知ったら、どうします?」
「殺すわ」
即答。
「……まあ、そういうことですよ」
男はそういって、くっくっと声を殺して笑った。
それが、バカにされたと感じたのか、ライズは少しムキになって言った。
「殺すでしょう、普通」
「ええ、そうですね…普通は殺しますね、はい」
気持ちは分かるが、もし仮に世の中の女性がみな貴女のようだったら、この世から男は消滅します……と、心の中で呟きながら男が取り繕う。
「……」
「ああ、そんなに睨まないでください……つまり、そういうことですよ。『死神』は、村の中だけじゃなく、村を出て戦う男達に対しても、『死神』でなければならなくなった……そりゃ強いはずっていうか、強くなければとてもとても、『死神』なんて仕事をこなすことができませんからね」
「……」
「『死神』は、強くなければいけなかった。『死神』は特別でなければいけなかった。『死神』には、つけ込まれるような弱みなどあってはならなかった……」
男はふっと息を吐き……そして呟いた。
「……聞いた話ですけどね、一度『死神』として選ばれた女は、その瞬間に家族とは縁を切り、生涯、子供を持つことはもちろん、独り身で過ごすことを強いられるとか」
「え…」
「その代わり、村が…部族が彼女に与える特権は、ほぼ無制限だったらしいですけど」
そう言って、男は口をつぐんだ。
これ以上は、聞かれても話さない……そんな雰囲気に、ライズもまた口をつぐむしかない。
「……さてと」
男の言葉に、ライズはビクッと身体を震わせた。
「ひとまずプロキアに戻りますよ、ライズ」
「……ええ」
しかし、その前に一度だけ……ライズは、肩越しに振り返って視線を投げた。
この街に……今、『死神』を名乗る男が生きている。
何故だろう……その男の事を考えると、少し胸が苦しくなるのをライズは感じた。
国境都市ダナン。
代々ベルシス家が治めてきた地域であり、もちろんドルファン建国より自治領として認められているため、ベルシス家としての兵が存在する。
そこに、この春から大隊が駐屯する事になったのだが……その指揮官は、名をダン・バステックと言い、階級は大佐である。
駐屯と同時に色々と調査を行ったが、ダナン領内に、ヴァルファは影も形もない。
いや、彼が主に頭を悩ませているのはそれとは別のことである。
プロキア領から、国境を越えようとする小集団が断続的にやってくることだ。
小集団は武装しており、そのたびに小競り合いが起こる。
思いあまって、5月の頭にはプロキア領への出撃許可を……という要望書まで提出した。もちろん、却下されたのだが。
先の見えない断続的な戦闘の繰り返しほど、士気を萎えさせるモノはない。
ましてや、兵達にとってここダナンは敵地という認識である。
兵に求められる資質に忍耐があるが、それにも限度があるし、バステック大佐の、現場指揮官としての苦悩は察するにあまりある。
ちなみに、このプロキア領からの小集団は、イエルグ家というか、イエルグ軍からの脱落者……いわゆる逃亡兵なのだが、大佐はその程度の情報もつかめていなかった。
領内に引き込み、包囲した上で数人捕虜にとればいいものを、その都度律儀に撃退し、一歩たりとも国境を越えさせず、自軍もプロキア領に踏み込まなかったが故である。
まあ、それをのぞけば……ダナン領は何事もないように平穏だった。
ベルシス家当主、ゼノン・ベルシスは同情を感じさせる態度で接してくれたし、ベルシス家直属の兵が、自分たちに向ける反感も理解の範囲内である。
領内の巡回。
国境警備。
繰りかえされる日常。
しかし、何かがおかしかった。
バステック大佐には、それがわからない。
5月下旬、バステック大佐は供を2人つけただけで、ふらっと夕刻の街を出歩いた。
交通の要所でもあるダナンは、行商人やら旅人やらが行き交い、活気と刺激に満ちた街であるはずだった。
実は、バステック大佐は子供の頃……ドルファンが、まだ鎖国政策を採っていなかった頃だが、この街からプロキアへと叔父の旅に同道したことがあった。
子供心に、ドルファン首都とは随分と雰囲気の違う街の雰囲気に驚いたものだった。
「……戦争のたびに、害を被るのは、この街だったかもしれんな」
「は?なにか?」
「いや」
供にむかって、大佐は首を振った。
船の入港を差し止めてしまえば、ドルファン港は死ぬ……いや、ドルファンの首都そのものが死ぬ。
友好国アルビアの誇る海軍によって、半鎖国政策時もドルファン港には船が絶えなかった。
もちろん、そのほとんどはアルビアと関係のある船だっただろうが……ドルファンの首都に、何らかの活気を与えたことは間違いない。
「……と、すると」
約30年前、新国王の戴冠が行われ、半鎖国政策を採ったことでベルシス家はもっとも割を食った……ともいえるのか。
ピクシス家とベルシス家の反目というか、いがみ合いを知らぬモノはない。
「そういえば…」
大佐は、遠い目をして沈みゆく夕日を眺めた。
今でこそ外国人嫌いと称して憚らないアナベル・ピクシス卿だったが……最初の妻は、外国貴族の娘だったはずだ。
「……?」
振り返る……供の姿がない。
「こんばんわ」
「あ、ああ…こんばんわ」
何かがおかしい……でも、それがわからない。
まるで、この街に対して自分が感じているような状況だ……大佐はそう思った。
夕暮れの街。
穏やかに微笑む、黒い服に身を包んだシスター。
それの、どこがおかしい?
「今の時間は…いい風が吹きますね」
そう言われて気付いた。
少し冷たい、肌の火照りを冷ます、心地よい風だった。
「……あぁ」
大佐は、ようやく違和感の正体に気が付いた。
人がいないのだ。
夕刻のこの時間帯、家路を歩む人々が少なくないはずのに。
「どうか、されました?」
「いや、人がいないな…と、思いまして」
ことん。
自分の吐いた言葉が、心のどこかに着地した。
国境都市ダナン。
この街は……いつからこんな人が少なくなった?
目の前の、シスターを見る。
「それでは大佐、良い旅を」
大佐には、シスターの動きは見えなかった…。
ダン・バステック大佐が行方不明になったと騒ぎになったのは翌25日のことで、その遺体が路地裏で発見されたのは26日のことである。
目撃者は皆無。
死因は銃撃……それ以上のことはわからなかったし、おそらく本人をして『何故自分が殺されたのか』を理解できなかったに違いない。
軍部は、バステック大佐の後任をダナンへと送り、表面上は以前と変わらぬ日々が戻ってくる。
ただ、6月にはいると……国境を越えようとするプロキアの小集団に銃兵が参加するようになった。
この報告を受けた軍部は戸惑いの色を隠さなかった。
と、いうのも……これまで、プロキアには銃兵隊が存在しなかったからである。
戦闘そのものは相変わらず小規模だが、戦いの様相はがらりと変わった。
国境を守ろうと布陣するこちらにむけて、おそらくは対岸から、正確無比な銃撃がくわえられ、隊列が乱れたところに敵の集団が突撃してくるのである。
突撃、といっても攻撃のためではない。
そのまま陣を抜くと、ちりぢりになって去っていくのだ。
その多くは、ゲルタニアに向かったのではないかと推測されたが、詳細は不明である。
なお、突撃の際も銃撃は続けられ、ドルファン側には多くの死者が出た。
死傷者ではなく、死者である。
銃撃を受けた兵のほとんどは即死だったのだが……それは、報告には上らなかった。
さて、少し前後するが、5月下旬に海燕はカミツレの山に入った。
そろそろ剣を新調したかったのだが、相変わらず自分の周囲は監視の目が厳しく、鍛冶屋に迷惑がかかることを恐れたのだ。
山に入って2日、海燕は1本の木刀を作った。
形を似せてはいても、剣と、木刀は別物である。
剣は基本的に斬るモノだが、木刀は叩くものだからだ。
海燕ほどの戦士であれば、それを手にした瞬間にバランスを理解し、どのように攻撃をふるえば最大の効果を発揮できるかおおよそがわかる。
それは、相手の武器を一見して、どのように攻撃されるかを予測することにもつながるわけだが。
「……」
海燕は、木刀を構えて目を閉じた。
幼き日の、義父の姿を思い浮かべる。
木刀で、木を斬った……あの、光景だ。
木刀を持てば、自然にそれを木刀と認識し、叩くように使う。
叩くように使えば、木を斬ることはできず、叩き折ることになる。
今、海燕は静かな感動に震えていた。
あの時義父は、自分が手にしている武器を木刀と認識しつつ、いわば本能に逆らうようにして刀のように扱ったのだ。
自分が手にしている武器……それを刀だと言い聞かせてみる。
いざ踏み込んだ瞬間、それは木刀となり、海燕は樹の幹を叩いてしまう。
自分はもちろん、義父が未熟だったはずはない。
己の本能をねじ伏せる……それは、剣理を外した動きを生む。
もちろん、諸刃の剣でもあるのだが……剣理を追求していけば、最後は生まれ持った能力によって勝敗が決してしまう。
それは、常に必要というモノではないが……最後の最後で、自分の命を救うかも知れない。
海燕は、演舞を思わせる緩やかな動きで樹に向かって木刀をふるう。
未熟な者が剣を振るえば、斬れるモノも斬れない……それと同じで、木刀といえども、技を突き詰めれば、斬ることができるはずだった。
海燕は久々に、自分を取り巻く環境を忘れて、一心にそれに取り組んでいた。
がっ…こん…。
「ふむ…まだ未熟」
海燕は折れた木刀に苦笑し、あらためて木刀を作り始めた。
笹の葉を振るい、草を切り飛ばす。
木刀で草を薙ぐ。
わずかな違いだが、やはり後者の切断面には乱れがある。
「……鋭さを補うのはやはり速さか…」
木刀を剣のように…木刀のを刀のように振るう。
刀の持ち方、足の運びに至るまで……それは、刀という形状やら特質を活かすために考えられてきたモノだ。
海燕は、手の木刀を見つめた。
木刀を刀のように振るうには、刀のような動きではダメなのか。
今一度、義父の姿を思い浮かべた。
目の据え方、足先、重心、呼吸……義父の姿は、長い時を越えてなお鮮やかで。
さらに、これまで戦ってきた戦士の姿を。
「……」
呼吸を整え、海燕は樹の前に立った。
踏み込み、腰から動く……腰から上は、居合いの動き。
ざあぁっん…。
手に衝撃を残しつつ、木刀は樹の幹を抜いた。
遅れて、樹が倒れていく。
時を越えて、今自分は……ようやくに義父の後を歩み始めたのか。
ただ、これを技として練り上げるまでにはまだまだ時間を要するはずだった。
「……山を、降りるか」
ざっ、ざざっ…。
寝わらとフンをフォークを使ってより分ける作業……それを中断して、ネクセラリアは首を傾げた。
「……ぬう」
「…小手先じゃなく、腰を使うんだ…こう、こうだ」
と、腕一本でヤングが器用に作業を行うのを見て、ネクセラリアは舌打ちした。
「……人には、向き不向きがある」
「それはそうだが、居候なんだから働けよ」
「金を払えというのかっ」
「金なんかいらない、働け」
ヤングが、ネクセラリアの手にフォークを押しつける。
「ふん、ハンガリアの狼と呼ばれたお前が…」
「疾風のネクセラリアが、何をぐずぐずしてるんだ?」
「くっ…」
唇を噛み、作業を再開するネクセラリア。
そんな2人を見ながら、牧童が笑った。
「どっちもどっちですよ」
「うるさいっ」「それは言うな」
怒鳴りつけられ、牧童は肩をすくめた。
ヤングの父親が営む、ネーデルの牧場はそれなりに平和だった。
あくまでも、それなりである。
「ぼ、坊ちゃん、野盗の連中が…」
牧夫が血相を変えて飛び込んできた瞬間、ヤングとネクセラリアの2人は飛び出していた。
それぞれ剣と槍を手に、馬にまたがる……片腕が不自由なヤングは、剣を抜くときは口で手綱を扱う。
「周囲の牧場に連絡は?」
「回しましたぜ、すぐに集まってきます」
「ネクセラリア、先行してくれ」
「ふっ、一騎駆けか…面白い」
「あー、罠には気をつけろよ」
ネクセラリアが馬を駆る。
ヤングは、周囲の牧場の血の気の多い連中を集めて指示を出した。
みな、子供の頃から馬に親しんでおり、そこらの騎士などよりよっぽど馬の扱いは巧みである。
「いいか、お前らは無理に攻撃する必要はない…連中の懐を馬で突っ切ってやればそれで十分だ」
単騎先行していたネクセラリアは、野盗と思われる集団を認めると……槍を手でしごいた。
どうやら、何度か痛い目にあった連中が手を組んだらしい。
痛い目にあわせてやるのではなく、殲滅戦の頃合いだ……と、ネクセラリアは緩やかに弧を描きながら集団に向かって突っ込んだ。
ネクセラリアのことは相手も十分にわかっているようで、集団が綺麗に二つに分かれる。
もちろん、槍に引っかけられて数人が地面にたたきつけられてはいるが。
「ふん、何の策も無しか…能なし共め」
視界の端にちらりとヤングをとらえつつ、ネクセラリアは2度目の突撃を敢行する。
十数人が馬を下り、ネクセラリアに向かって槍を突き出すが、いかにも鈍い。
ネクセラリアが、再度集団を2つに割る。
「てぇー」
ヤングのかけ声に合わせ、青い空に吸い込まれるように矢が放たれた。
「……聞いてないぞ」
放たれた矢数は精々20。
ネクセラリアは、ヤングの意図を悟って馬の向きを変えた。
続いて第2射。
混乱した野盗の鼻先を、ネクセラリアの駆る馬が突っ切り……2人ほど突き落としてやる。
第3射。
野盗連中の目にうつる退路は2つ。
「死にたい者からかかってこいっ!」
ネクセラリアの声が、それを後押しする。
野盗の集団は、半ば押し出され、半ば吸い込まれるようにその方角へと走りだしていた……そこには、ヤングの指示を受けた連中が待ち受けている。
「フン、この程度か…」
「当たり前だ…」
彼らは野盗であり、軍人ではない。
正直、何十人かかろうとも、彼らはネクセラリア1人を倒す事もできないだろう。
「……とはいえ、そろそろ連中も知恵が付いていい頃だったからな」
「フン…確かにな」
相手が軍人なら、それほど良心の呵責を感じないのだが…。
野盗とはいえ、元は周辺の農民だったり、国を逃げ出してきた難民だったりするのだ。
「まあ、つぶしてもつぶしても野盗が出てくる原因は、結局…」
「ネーデルはまだマシだ」
「……かもな」
「確かに、国というか軍がしっかりしていれば、自警団のようなものを組織する必要もないはずだがな」
ネクセラリアが、ヤングの左腕に視線を向けた。
「俺は、大事な人を守ろうと軍人を志した」
「……そうだったな」
「……俺は、満足しているよ。今の生活に」
「そうか……」
沈黙が、2人の間に降りる。
「セイル」
ネクセラリアが、ヤングを見つめた。
それは、久しく聞かなかった呼び名だったからだ。
「海燕のやつに会ったら、謝っておいてくれ」
「……」
「……戦うために軍人になったお前に、ここは似合わんよ」
「……そうか」
ヤングはちょっと笑って。
「何かに疲れたら、休みにくればいい」
「……発ったの?」
「ああ」
クレアの問いに、ヤングは短く答えた。
「……気になる?」
「少しは…な」
ヤングの胸に、クレアが顔を埋めた。
「お、おい…」
「私は…貴方を、自由に生きさせられない女ね」
ヤングは、クレアの髪に鼻を埋め、囁いた。
「……草の匂いがする」
「や、やだ…」
恥じらいからか、身をよじろうとするクレアをヤングの右腕が抱きしめた。
「戦場のそれとは違って、優しい匂いだ」
「そう……かしら」
「……体調に、変化はないか?」
「ええ…お医者様も、順調だって…」
「そうか…」
「……何を、考えてるの…かしら?」
「俺は…卑怯な男だと思ってな」
クレアが、腕をヤングの背中に回した。
「手紙でもいいはずなのに…セイルののやつに、海燕への伝言を託した」
「……あの人なら、貴方の気持ちをわかってくれるはずですわ」
卑怯といわれても、エゴといわれても、クレアは今幸せだった。
腕の中にヤングがいて、お腹にはヤングの子供がいる。
自分には明日がある。
守るべき、明日が。
さて、その一方で。
「……おら、てめえで、最後だっ」
最後の1人をうち倒し、スパン・コーキルネイファは周囲を見渡した。
全部で20人ちょい……スパンは、汗をかくどころか、息も切らしていない。
ハンガリアの地方の漁村からドルファンに向かって旅だったはずのスパンなのだが、6月末現在、ゲルタニアにいたりする。(笑)
「おーい、もう大丈夫だぞ」
スパンに促されて、木の陰に隠れていた人間が数人姿を現した。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございました」
「ああ、気にすんな気にすんな」
スパンは手を振って。
「と、いうか、俺を助けてくれ」
「は?」
たった今スパンによって命を救われたはずの男達は、顔を見合わせたのだった。
「ここは、ゲルタニアの…」
「おお、やっとゲルタニアまで戻ってきたのかぁ…」
スパンは感慨深げに何度も頷いた。
「あ、あの…あなた様はどちらから?」
「おお、最初はハンガリアにいたんだけどよぉ…ドルファンに行くつもりが、途中でアルビアだかどっかの軍船に追いかけ回されて…かあぁ、今思ってもひでえ目にあったぜ」
「……?」
「えっと…アルビアの海岸に流れ着いてよぉ……しかし、あれだよなあ。どこもかしこも、海賊やら山賊やら盗賊やらでいっぱいだよなあ」
スパンは、鼻の下を擦って。
「でもまあ、そのおかげで俺も色々助けた相手に助けてもらえるんだがな」
冷静に聞けば、笑える話ではないのだが……スパンの裏表のなさそうな人柄というか、持って生まれた明るさのような何かが、聞く者の心を和ませる。
「それは、大変でしたね」
「いや、まあ…俺はこうして生きてるからいいんだけどよ……一緒に船に乗ってた連中がどうなったか、それが心配でなあ…」
「あぁ…それは…」
「まあ、俺が何とかなってるんだし……あいつらも何とかなってるって信じるしかねえよな?そうだろ?」
なんとなく、『トラブルメーカー』という言葉が男達の頭に浮かんだが、気にしないことにした。
なんと言っても、スパンがいなければおそらく自分たちは殺されていたのだから。
「……トルクだかなんだか、新しい政権ができたところで、連中の目はみな中央を向いとりますからな」
「そうそう、ワシらの住む田舎に目を配るひとは滅多にいませんわい」
「共和制がどうのこうの…話だけ聞けば悪くはないですが、昔のように、領主様がいて、それぞれ領地を治めてくださってた頃の方が、正直マシですわ」
「むう…そっか…俺、頭よくねえからわかんねえけど…」
スパンは、頭をばりばりとかきむしり。
「とにかく、山賊やら盗賊のアジトが近くにあるんだよな?」
「あ、いや無理ですじゃ…10人や20人の話じゃなく…」
「そうですとも…食い詰めたもんが集まって…今では200人とも300人とも…」
男達は、口々に危険を語る。
そしてスパンは。
「んー、まあ、銃がないなら200人ぐらいはなんとかなるだろ」
当初の目的を忘れているわけではないのだが、スパンはひっそりとゲルタニアの片田舎で伝説を作ろうとしていた。
つづく
ああ、コーキルネイファの存在が心を和ませる。(笑)
と、いうわけで……激動のD28年度、開幕です。
大分お話が整理されてきたようで、実はまだ核心に触れて無いというか……少なくとも、『死神』については大分情報を出しました。
今回の話で、かなり過去とのつながりが見えてきただろうと思います。
ピコのあれは予定通りですが『心という器はひとたび壊れてしまえば、二度とは…』という台詞は『シ〇ルイ』ですね。(笑)
現在の人間にはピンとこないかも知れませんが、かつての商人……いわゆる大航海時代における商人には、所属する国の力がもろに影響を受けました。
なんせ、海賊行為も立派な商業行為とされてましたから。
つまり、商業船と軍船はほぼセットなのです……戦国時代に日本にやってきたイスパニアの船は、バッチリ武装を整えていたわけで。
大航海時代やら、フロンティアスピリッツやら、綺麗な言葉で自らの残虐行為を塗りつぶすそうとしてますが、所詮は暗黒時代です。
コロンブスに、バスコ・ダ・ガマ……あれにロマンをかき立てられたのは、中学生まででした。
と、いうわけで……海軍を持たない、もしくはアルビアに頼っているドルファンの商人というかリンダが、海外との貿易を行うという現実については、片目をつぶった状態で読んでいただきたい。(笑)
まあ、もちろん、その貿易が長く続けられないというリンダの予測がどこから来るのか……を考えると、この先の展開の予想が立てやすくなると思います。
プリム・ローズバンク。
ちなみに、薔薇には『貴種』という意味があります。
貴種の銀行、貴種の淵……てへ。(笑)
敢えてここで書きますが、ドルファン国王は金髪ではありません。
原作においてノータッチですが、高任はエリス王妃を金髪と設定しました。
はい、第2世代、第3世代云々はさておき、金髪は優性遺伝だったでしょうか、劣性遺伝だったでしょうか。
……などと考えると楽しいですよね?
疾風のネクセラリア……発つ。
クレア懐妊……おめでとうございます。
クレアファンには申し訳ありません。
コーキルネイファ。
もう、高任の気分次第でどうにでもなりそうな…。
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