うん、悪くない目覚めだ。
 俺はベッドから身を起こし……大きく深呼吸した。
「どうぞ」
「ありがとう」
 礼を言って、一口含む。
 正直、味はよくわからない。
 部屋の隅で、ピコが頭を抱えて震えていた。
 俺は、もう一口飲んで、ドアに目をやった。
 一応、鍵はかけておいたはずだが……まあ、今さらそんなことを気にしたところでどうしようもない。
 と、いうか……ツッコんだら負けだ。
 カップの残りを一気に飲み干すと、俺はそれを持ったまま窓の方へと歩いていった。
 窓を開け放つ。
 冴えた冬の空気……と言っても、ドルファンの冬は温暖だ。
「いい天気だ」
 独り言にしては、少々大きかったかもしれない。
 俺は手のひらで顎を撫で、着替えを始めた。
 彼女は、俺の裸に顔を赤らめるでもなく、椅子に座ったままそれを眺めている。
 もう一度、俺はツッコんだら負けだと心の中で呟いた。
 彼女は身動きもせず、その表情から感情は読みとれない。
 そして、それに耐えかねたのか、ツッコミは部屋の隅から入った。
「どういう状況なのっ、これはっ!」
 それは半ば予想していたことで、ピコのツッコミに反応することなく、俺はさりげなく彼女を見つめていた。
 彼女の無反応が、ピコのそれが聞こえなかったのか、単に無視したのか、俺には判断が付かなかった。
 着替え終わると、俺は笑顔を浮かべて言った。
「貴女をデートにお誘いしても、迷惑ではないだろうか?」
「あら、私の方からお誘いにあがりましたのに」
 彼女は……白い修道服に身を包んだシスターは、にっこり笑ってそう答えたのだった。
 
「ゼールビス神父様を、殺していただきたいのです」
 まるで世間話のように、彼女が口にした。
「えっと…その、あいつが、何かしでかしましたので?」
 いや、違う。
 ただ殺すだけなら、俺に頼む必要などない……と、俺はあらためてシスターを見つめた。
「失敗したら、貴方を殺しますが、よろしいですね?」
 シスターの目の奥……そこに切羽詰まった何かを感じ、俺は苦笑を浮かべた。
 愛されてやがるなあ、ゼールビスのやつ。
 その事が嬉しい。
「俺にできることなら、何でもやりましょう……あぁ、殺されるのは勘弁ですが」
 
 それにしても、ゼールビスのやつはやっかいごとに巻き込まれてるなあ…。
 シスターの指示に従って、俺は街の中を走り回りながらそんなことを考えていた。
 ボルキアの皇太子を爆弾で吹っ飛ばした……それが事実であろうがあるまいが、国際指名手配されたテロリストという現実から目を背けるわけにはいかない。
 偽名を使わないのは、ゼールビスなりの抗議でもあるのかもしれないが。
 公園の爆弾を処置し終えて、最後に向かったのが教会。
 俺は、教会に仕掛けられていた爆弾を処置してから、ゼールビスを殺した…。
 
「……貴方、ゼールビスの知り合いだったらしいわね」
「友だ」
 ただ一言、俺は短く答えた。
「……そう」
 ライズは、海を見ていた。
 風は、それほど強くない。
「ただ、ヴァルファを裏切っただけなら許せた」
 俺は、ライズの言葉を遮った。 
「聞きたくないな、そんな話は」
 シベリアの工作があったにせよ、所詮ゼールビスは、ヴァルファの連中に信用されてはいなかったと言うことだ。
 ゼールビスの叔父であるミーヒルビスの死が、それを後押ししたのだろう。
「……1人にしてくれ」
 ライズは、微かな躊躇いをみせながらも……俺から離れていった。
 今、俺は友を殺した事に耐える男であるべきだった。
 それからしばらくして、俺は墓地の入り口を振り返った。
 フードを目深にかぶった小柄な人影が、こちらに近づいてくる……明確な殺意を発しながら。
 世俗に興味がないとはいえ、あれだけの騒ぎになれば、彼女の耳にも届いたということか。
「よう、メネシス」
「……アンタなら」
 彼女がそれを投げつけるより早く、俺は横に飛んでいた。
 どおぉんっ!
 耳をつんざくような爆音……風は海に向かっているし、人気のない墓地とはいえ、あまりよろしくない状況だ。
「アンタなら、わかっていたはずじゃないかっ!」
 そう叫びながら、彼女がまた俺に向かって投げつける。
 どんっ。
 頭脳の優秀さとは裏腹に、メネシスの運動神経はぷっつりと切れている……フェイントに注意しつつ、俺はそれをたやすくかわした。
「あいつがっ、ミハエルがっ、あんなことするもんかっ!」
 どぉんっ。
 俺は、爆風を背に感じながら、メネシスの身体を抱きしめていた。
 相変わらず、実験に夢中になって食事をとることも忘れてしまうのだろう……服の上からだが、ごつごつとした感触は昔と同じだ。
「放せっ!アンタが、お前が、ミハエルを殺したっ!」
 1人じゃない。
 1人じゃないぞ、ゼールビス。
 お前は、決して……1人きりじゃない。
 生きろ、生きていけ。
 俺は、メネシスの身体を抱きしめながら強く願った。
 シスターは、ゼールビスに何も説明しなかったのだろう……教会で、剣を下げた俺を見た瞬間、あいつはたやすく諦めた。
 俺に弁解することではなく、生きることをだ。
 気が付くと、メネシスは俺に抱きしめられたまま泣いていた。
 声をあげるのではなく、かみ殺す。
 ゼールビスのことを、やつが生きていることを話してしまおうか……その衝動に俺は耐えた。
 それは、まだ早い。
 ゼールビスがそうであるように、メネシスもまた、俺にとっては友だった。
 俺は、メネシスが泣きやむまでずっと……彼女のことを抱きしめていた。
 彼女の身体ではなく、心を抱きしめてやるのはゼールビスの役目だと信じながら…。
 
「え、なに…これって…ドッキリ?」
 傭兵宿舎に戻ると、ピコが隠しカメラを探し始めた。
 虐げられ続けた精神は、自らの望みが現実化することを信じられなくなるときがある。
 つまりは、そういうことだろう。
 俺は、それを気にしないようにしてベッドに寝ころんだ。
 この国にいられる時間は、もう長くない。
「ひぃっ」
 ピコの悲鳴に遅れて、俺は彼女の存在に気が付いた。
「デートの次は、ベッドのお誘いかな?」
「謝礼を求められるのなら」
 にこりともせずに、シスターが言う。
 本当の意味で、ジョークの通じない人種なのがよくわかる。
「お互いに砂を噛むような思いをする事もないだろう」
「……春を待って、私はこの国を去ります」
「そうか」
「何か、頼み事ができたなら教会までおいでください」
 そう言って頭を下げると、シスターは部屋を出ていった。
 つまり、俺がこの国にいられる間に、借りは返したいということか。
「……大丈夫か、ピコ?」
 ピコは、気を失っていた。
 
 
                つづく
 
 
 さて、エンディングに向かって…。               

前のページに戻る