「くそっ」
 苛立ちを隠そうともせず、ライナノールは買い物かごをテーブルの上に投げ出した。
 いや、そもそも彼女は、自分以外の存在に気を留めていなかったという方がより正確だろうか。
「おやおや、どうしました?」
「…黙れ」
 その微かな間が意味するところはさておき、傍目には、シスターが神父様に向かって……の、目を疑うような光景だ。
 もちろん、2人の関係はさにあらず、というやつなのだが。
「しかし…」
「何度も言わせるな。私はお前が嫌いだ、ゼールビス」
「はぁ、なるほど……つまり、貴女の嫌いな誰かさんのことで何かあったのですね?」
 ライナノールの修道服の裾が翻った瞬間、どこからか現れたシスターが、ナイフを投じようとしていた手首をつかんでいた。
「やめなさい、ルシア」
「あ…う、しか…し」
 ライナノールの顔に浮かぶのは、ゼールビスへの怒りと、シスターへの怯え。
「やめなさい」
「……わ、わかった」
 おとなしく、かつ従順に、ライナノールはナイフをしまった。
「ゼールビス神父。あまりこの娘をからかわないでください」
「……そうしましょう」
 と、こちらもおとなしく、かつ従順に頷いてみせる。
「それで…」
 シスターが、ちらりとライナノールを見た。
「何があったの?」
「……つまらん噂話を耳にした」
「あぁ…」
 曖昧に頷いた神父を、シスターが視線だけで牽制し。
「ルシア、貴女の視野は少し狭いのではありませんか?」
「……どういうことだ?」
 と、ライナノールが食いつく。
「言葉だけで説明するのは難しいから、まずは剣を構えて」
 首を傾げたライナノールだったが、剣を手に持った瞬間、さすがと言うべきか表情と雰囲気が一変する。
 シスターが微笑み。
「じゃあ…いくわよ」
「……」
「はい、死んだ」
「え…」
 5秒、10秒と過ぎて、ライナノールはようやく、自分の喉の出血に気付いた。
 薄皮一枚、というやつだ。
「次はサービスで、タイミングを教えてあげるわね……3,2,1…はい」
「……っ!?」
 タイミングを教えられてなお、シスターが何かをした……という気配を感じただけ。
「私はちょっと席を外しますね」
 と、ゼールビスが少し気まずそうに顔を背けた瞬間、ライナノールの服が床に落ちた。
「〜っ!?」
 ライナノールが、反射的に胸のあたりを隠す……その時既に、ゼールビスはその場から退散していた。
「さてと、次は……」
 と、シスターが自分の服に手をかけて。
「ま、待て、何故服を脱ごうとしているっ!?」
 何を思ったのか、ライナノールの顔が赤い。
「はい、触って…」
 シスターはさっさと服を脱ぎ捨てると、ライナノールの手首をつかんで、自分の胸元へと導いていく。
「待てっ。待て待て待てっ」
 ぶんぶんと首を振るものの、いかなる技か、ライナノールの身体……首から下の自由が奪われていて逃げられない。
「人の身体って、嘘が付けないモノなの」
 と、シスターが妖しく微笑む。
 危うし、ライナノール。(笑)
「はい……手のひらに集中」
「や、やめろ…」
 思わず目をつぶったライナノールは、シスターの胸元に押しつけられた自分の手のひらから……皮膚の下の、何かを感じ取った。
「……」
 こわごわと目を開けたライナノールを、シスターはの微笑んだまま見つめていて。
「……もう一度」
「…ぁ」
 さっき感じた何か……それが、ライナノールの目に、かろうじてシスターの攻撃をとらえさせた。
「な…なんで…?」
「モノを見る、音を聞き取る……例外はあるけど、そういった能力の1つ1つについて、個人差というのはそれほど無いのよ」
「……」
「にも関わらず、それが見えないというなら……見る場所というか、やり方を間違っているだけ」
 シスターが手首を放す……と、ライナノールの身体の自由が戻った。
「呼吸、視線、重心移動…その他のちょっとした事で、相手を誘導すれば…こんな事もできる」
 シスターが、空気をかき混ぜるように両手を動かし始めた。
「……う……ぇ?」
 ライナノールは目を見張り、微かな嘔吐感を覚えた。
 シスターの肘から先……それが、霞んで見えない。
「鳥は、ハエや蚊なんかよりよっぽど速いのに、人がその姿を見失う事はほとんどない。なのに、ハエや蚊の姿をたびたび見失う……それと同じ事」
「同じ事…って…」
「集中しすぎると、人の視野は狭くなる……その視野から、動きを外すの」
 ライナノールは、いきなり後ろに飛んだ。
 と、霞んでいたシスターの肘から先が現れた。
「……なるほど…な」
 相手の手を見失う……ただそれだけで、たやすく殺されるのは言うまでもない。
「それだけ距離をとられると、私でもちょっと難しくなるわ」
 そういいながら、シスターは再びライナノールの視界から手を消して見せた。それはつまり、さっきまでとは違う動きを始めたということか。
「…なら」
 距離を詰めてみたが、シスターの手は消えたままだった。
 少し迷い、ライナノールはシスターの胸元へと手を伸ばした。
 皮膚の下の、せわしない動きを手のひらで感じ取り……ライナノールは、深く息を吐いた。
「……そう、簡単ではないのだろうな、やはり」
「自分の身体を思い通りに動かすことは、初歩の初歩。貴女も含めて、強いと言われる存在は数多くいるけど、そのほとんどがそのレベルにとどまっているに過ぎないわ」
 ライナノールは、素直に頷いた。
 彼女もまた戦士であり、優れたモノに対する敬意も充分すぎるほど持ち合わせている。
「見るだけでわからないモノが、触れあうことでわかる。他人との接触は、より多くの情報をもたらすの……つまり」
 シスターは、にこっと微笑んで。
「彼のアレは、修行なの」
「……」
「彼は、昼も夜もなく、不特定多数の女性を相手に、修行に励んでいる……まさに、戦士の鏡ね」
「……」
「……」
「だっ、騙されるものかっ!」
 教会に、ライナノールの大声が響き渡った…。
 
「……女性とベッドを共にするだけの簡単なお仕事です」
 簡単とは失礼な……と思ったが、俺は気を取り直して、ぼーっとあらぬ方を見つめているピコに声をかけた。
「おいおい大丈夫か、健全化推進協議委員」
「朝、昼、夜って、ちょっとは自嘲してよっ!」
「早朝、朝、夕方、夜、深夜ぐらいでいいか?」
 
 人気のないドルファンの夜道で、爆発音が響き渡ったのは言うまでもありません。
 
 
そろそろまとめにかかろう
 
 
 ……引っ越しも終わったしね。(笑)

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