こんこん。
「ねえ、誰か来たみたいだよ」
 ピコに言われるまでもなく、俺はベッドから起きあがってドアを開けた。
 ……そこに立っていたのはクレアだった。
 イリハ会戦……彼女の夫、ヤングが逝ってからほぼ1年になる。
「これは…珍しいお客さんだ」
 俺は、促すようにそう声をかけたが……クレアは、静かに俺をにらみつけている。
 やがて、彼女の右手がゆっくりと持ち上がり……。
 がっ。
 俺の額にぶつかって落ちた革袋から、金貨が何枚か床の上に転がった。
 額から鼻へと、虫が這うような感触……おそらくは血を見て、クレアは手で口元を押さえた。
 だが、すぐにまた俺をにらみつけてくる。
「……貴方に、恵んでもらういわれはありません」
「恵む……と、言うと?」
 俺は身をかがめて革袋を拾い上げ、中をのぞき込んだ。
「ほう……」
 床の上の金貨を拾い上げ、革袋の中に入れ……それを、クレアの目の前にぶら下げた。
「傭兵の俺が、このような大金を持ち合わせているはずもないな」
 鼻から唇、そして顎へ……血が、床へと落ちた。
「……毎月、毎月…何のまねですか」
 俺は首を傾げ……くっくっと、笑い声を上げた。
「ははっ、これは笑える…」
 クレアは、じっと俺を睨み続けている。
「まさか。俺が、ヤングの死に責任を感じて、毎月毎月、残された妻に金を届けていたとでも?」
「そうです」
「はは、見損なってもらっては困るな……俺は、別に女には困ってはいない」
「なっ…」
 クレアの顔に血の気が上り、怒りの度が過ぎたのか……それはすぐに青ざめた。
「俺の口から言うのもなんだが、メッセニの旦那じゃないか?なんせ、あの旦那、アンタに惚れてるようだったからな。純情で不器用な男だよ、まったく」
「……貴方しか、いません」
「……?」
「メッセニ中佐は……否定しました」
「そりゃあ、そうだろう」
「あの方は、うそがつけない人です」
「はは、そして俺は嘘つきで女たらしだ……街の人間に聞いてみればいい」
 クレアは、足下に視線を落として呟いた。
「『今、彼女に必要なのは気力だ……悲しみは気力を生まない』……そう言ったそうですね」
 メッセニめ……不器用を通り越して、ただの腰抜けだぜ、それは。
「……それで?」
 顔を上げ、クレアは俺をまたにらみ……唇を噛んだ。
「買ってやろうか?」
「…?」
「ただ、金を恵んでもらうのがイヤなら、俺がアンタを買ってやろうかと言ったんだが?」
「な…なっ…」
「何度も言うが、俺はそういう男だ」
「こ、この…」
 クレアの手が振りかぶられる。
 避けてもいいんだが、彼女がここを立ち去る機を失ってしまうからなあ。
 ぱっ…ん。
「……っ…くっ」
 クレアは、顔を背けて走り去った。
 
「やれやれ…」
 ため息をつき、俺は金貨の入った革袋を見つめる。
「顔の血、ふいた方がいいよ…」
「ん、ああ…」
 額ってのは、怪我の割に血が出る……かすり傷なんだがな、こんなもん。
「……どうするの?」
「どうするの…って、これは俺の金じゃないぞ」
「……嘘ばっかり」
「金はあるところにはあるからなあ…」
 別に要求したわけでもないのに、何故か会うたび会うたび金をくれる女性なんかもいるわけで。
 そういう金を、俺は必要と思われるところに回すだけなんだが。
 富の再分配ってやつか。
 つまり、あれは、嘘でも何でもなく俺の金ではないんだ。
「……などと説明したら、ピコが怒るんだろうなあ」
「そもそも…」
「ん?」
「キミが、クレアに恨まれる必要はないんだよね」
 ピコの呟き。
 いかん、考えてみればピコのやつ、ヤングが死んだのは自分のせいだと思いこんでいるからな。
 と、いっても……。
「ピコ」
「なに?」
 俺は、革袋を持ち上げて。
「この金で、酒場の姉ちゃんと遊んでくるから、留守はよろしく」
 さあ、ここでどかんと一発。
「……うん、行ってらっしゃい」
 ……こないよ。
 何だかなあ、戦場で軍人や傭兵が死ぬのは、当たり前のことなんだが。
 つーか、そもそも……ヤングが死んだのは、指揮官のせいで……まあ、敗戦の責任とって死刑になったけどなあ。
「……行かないの?」
 ここは、無条件降伏作戦で。
「いや、そんな表情のピコを残してはいけないだろう」
「ん…」
 ピコが、目元を指先で拭い……俺の肩へと飛んできた。
「ごめん…今日はずっと……一緒にいて」
「ああ、そうしよう…」
「……ありがとう」
 ちゅ。
 むう、ピコにキスされた。
 これは、レアだ……ちょっと照れた。
 こんこん。
「……誰か来たみたいだよ?」
 俺は、ドアを開けた。
 そこに立っていたのはジーンだった……顔が赤い。
「よお」
「ん……酔ってるのか?」
「はは……酔ってなきゃできるかよ…こんなこと」
 と、ジーンが俺にもたれかかってくる。
「たまには…オレと、一緒にいてくれよ」
 ピコと一緒にいる。
 ジーンと一緒にいる。
 俺とピコとジーンと一緒にいる……うむ、何の問題もないな。
 
 どかあぁぁーん。
 
「おお、元気が出たようだな、ピコ」
「キミってさ…ホントに…」
「お、おい、キャプテン…今の…何だ?」
「ああ、悪戯好きの妖精が、俺達の仲に嫉妬したらしい」
 
 
つづく
 
 
 こんなクレアはアリですか?

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