「傭兵希望の方はこちらの用紙に必要事項を……」
 スィーズランド連邦を通じての傭兵徴募が開始されてから、管理局に勤めるミューはドルファン港に船がやってくる度に忙しく駆け回る毎日が続いている。
 3月27日未明、半鎖国政策を採っていたドルファンを海外からの傭兵徴募に踏み切らせた原因でもあるプロキア軍によって国境都市のダナンが占領(ただしプロキア側との戦闘は無し)されたというニュースが駆け抜けた翌日、プロキアの最大貴族であるヘルシオ公がプロキア国内で反乱を起こしたためダナンを占領していたプロキア軍(フィンセン公)はプロキア国内に撤退。
 それにくわえ、全欧最強と名高い傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンはダナンに駐屯したままなので、今現在スィーズランドからドルファンへの陸路は完全に封鎖され、海路に頼るしかない状態なのである。
「まったく、次から次へと……って、この船はこれで最後ね」
 戦争で一旗揚げよう……などと集まってくる人間にはどこか崩れた雰囲気があり、ミューとしても営業スマイルを繰り返すのはストレスが溜まるのだ。
 ミューの友人が言った『あなたの好きな渋い中年が一杯いて嬉しいでしょ?』という発言に、『おじさまとおやじは違うのよ!』と反論した事からその理由は察して欲しい。
「あら珍しい…」
 スィーズランドから送られてきた書類の最後の一枚に目を留め、ミューは呟いた。
「えーと、じょう、うみ…つばめ?」
 東洋圏の人間にはこれが普通なのだろうが、慣れない発音に舌を噛みそうだ。
「……アレかな?」
 前髪を潮風になびかせつつぼんやりと宙を見ている横顔が、確かに東洋人特有の特徴を示している。
「陸軍管理局の者ですが……」
「ん、俺?」
 これまで対応してきた傭兵志願の人間とは違い、意気込みや欲、そして食い詰めた人間特有の拭いがたい卑しさを全く感じさせない穏やかさに、ミューは好意を持った。
 ただ、それが若さから来るものなのか、それとも個人が持つ資質によるものなのかはミューの知り及ぶところではない。
「こちらの書類に必要事項を記入して貰えますか?」
「ああ…」
 書類を受け取ると、男は壁にもたれてペンを走らせた。
 会話による意志疎通はおろか、筆記に苦労している素振りも無いことから、ミューは、この青年が欧圏での暮らしが長いのだろうと推測した。
「これでいいかな?」
 青年が示した書類にざっと目を通し、ミューは小さく頷いた。
「はい、問題ありません…」
 書類を小脇に抱え、最後の相手が笑みを浮かべることに苦労を感じずにすんだ事を感謝しつつ歓迎の言葉を口にした。
「四季織りなすドルファンへようこそ」
 
「……」
 ミューは難しい顔をして傭兵契約書を手に取った。
 必要事項を記入してもらい、それをいかに早く整理して次の部署に引き渡すか……それが自分の仕事だと信じていたため、記入してもらう必要事項以外に目を通すことなど皆無だったと言ってもいい。
「……悪いコトしちゃったな」
 ため息混じりにそう呟く。
 全欧最強と謳われる傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンの八騎将を倒したのだから、元々の給金にくわえさぞかし多額の恩賞を貰ったのだろうと思っていたのだが。
「私の方が高給取りだったとは」
 飲み代を奢らせただけではなく、酔いに任せて結構恥ずかしい事を口走ってしまったような気もする。
 騎士ならば貰えるはずの恩賞手当が無く、また給金も安いというのは後に戦功にあわせて騎士に取り立てる……という含みがあるからという話なのだが、契約書を読む限りでは少々怪しい。
 騎士が死ねば、遺族への補償なども絡んである意味生きているよりも金がかかる……が、傭兵は死ねばそれまでだ。
 残酷な言い方をすれば、戦いで大勢死んでくれた方がドルファンの財政上都合がいい……騎士に比べて傭兵の損耗率が桁外れに高いのも多分偶然ではないのだろう。
 悪いことに、ドルファンがヴァルファとの戦争に勝ったとしてもプロキアから何らかの賠償金が得られる可能性は限りなく少ないのだから。
「……」
 そこまで考え、ミューは自分が生まれ育ったドルファンという国に対して微かな嫌悪感を覚えた。
 ふと、財布の中を覗く。
 給料日前ということであまり心安らげる光景ではないが、別にピンチと言うわけでもない……いわゆるいつも通りの状態。
 カンコロカンカン…
 退業を告げる鐘の音を耳にしてミューは反射的に立ち上がる。
「ねえミュー、ちょっと手伝ってよ…」
「自分の仕事は自分でやんなさい……お昼の後ぼけーっとしてたからでしょ」
「もうっ!」
 同僚の恨みがましい視線を背に受けながら、ミューは帰り支度を始めた。
 
「……で、昨日は偶然の再会に乾杯したような気がするが、今日は何に?」
「乾杯に理由を付けたがるのは酒飲みだけよ」
「確かに…」
 ミューと海燕のグラスが微かに触れあって乾いた音をたてた。
「しかし……あなたって目立つわね」
「東洋人は珍しいからな…」
「いや、そうじゃなくて……まあ、いいけど」
 一瞬だけ海燕の身体に目をやり、ミューは小さなため息をついた。
 確かにミューは軍の関係者であることを示す制服のまま通勤している……海燕の格好は傭兵訓練所における制服みたいなモノだから定義としては同じ事かも知れない。
 が、街中を武装をつけたまま歩き回る異常さに気がついているのかいないのか。
 もちろん騎士が戦場でつけているようなごつい鎧ではないだけに、警備兵かなんかと思えないこともない。
「昨日は悪かったわね……奢らせて」
「いや、別に……」
「……と言うわけで今日はワリカンだから」
「普通、その話の流れだと『今日はそっちの奢り』って事になるような気もするが……」
 腑に落ちないといった表情で、それでも海燕はグラスを傾ける。
「それにしても傭兵への支給金って少ないのね……ちょっと、ショックだったわ」
「……そんなに少ないか?」
「男の命が安いこんな時代だけど……それでも安すぎると思うわね」
 グラスの底に薄く残っていた琥珀色の液体を流し込むと、ミューはバーテンに向かってコインを差し出した。
「……ドルファンの人間である私が微かな怒りを感じるぐらいには」
 グラスに酒が満たされる。
「今は傭兵だがゆくゆくは……なんて考えている奴ならともかく、傭兵に過度の金は必要ない」
「どうして?」
 傭兵に金が必要ない理由ではなく、海燕が傭兵以外の生き方を求めていないワケを尋ねている……そういう視線を向けたつもりだった。
 海燕はミューの目に何もない手のひらをさらしてみせ、軽く握ってから音もなくコインを出現させる……もちろん、そのコインはバーテンに向かって弾かれた。
「……器用ね」
「もちろん種も仕掛けもある……が、それを聞かない方が多分人生は楽しい」
「……」
 ふ、と酒場の一角に視線を向けた。
「先に言っておくが、クレアならお休みだ」
「……なんで?」
「昨日、酔っぱらった挙げ句色々と聞かされたぞ」
「あはは……まいったな」
 頬のあたりを微かに染め、ミューはグラスにおでこをくっつけた。
 そうしているとひんやりとしたグラスがゆっくりと暖まっていくような気がする。
「……なんか言いなさいよ」
「何を言えと?」
「そりゃ…アレよ。心にもない励ましの言葉とか」
「そんな言葉が必要なほど分が悪いのか?」
「アンタ……剣だけじゃなくて言葉でも人を殺せるのね」
 その瞬間、ミューの目には海燕が微かに微笑んだように見えた。
「身体の傷なんてモノは、自分の身体以上の傷を受けることはないわよ。身体の大きさ以上の傷を受ければ死ぬだけで……でも心の大きさは人それぞれだから、心は無限に傷ついていくわ」
「……」
「多分、人が無意味に死んでいくのを見過ぎたんでしょ……あなた、時々ひどく優しげでそれでいて荒んだ目をするもの」
「……酔ってるのか?」
「酔ってるわよ……まあ、あなたみたいな男は私の手に余るから慰めてはあげないけど」
 そう言い放ち、ちらりと横目で海燕を見た。
「アンタに惚れる女はよっぽどの子供か、もしくは、アンタの目を真っ直ぐに見つめられるほど哀しいことを経験した人だけだと思うわ」
「……クレアにはクレアなりの言い分があるだろうさ」
 苦笑いするでもなく、怒るでもない。
 海燕は静かにグラスを傾ける。
「けしかけ甲斐のない男ね…」
「……そういう話を二度と聞くつもりはない」
 穏やかな、それでいて大きな壁を思わせるような響きをミューは確かに感じた。
 それは多分、海燕という人間の内面に初めて触れた瞬間だったのだろう。
 
「にゃっはっはー!もう一杯!」
 ミューが空になったグラスを突き出すと、バーテンは『よろしいのですか?』という表情で隣に座る海燕を見つめた。
「……俺に聞くな」
「そーよ。こいつと私はただの友達なんだから……」
 バンバンと海燕の背中を叩き、ミューはびっくりしたような表情を浮かべて海燕に視線を向けた。
「……何だ?」
「別に……」
 ミューはプイッと横を向く。
 少女でもあるまいし、背中の筋肉の厚みに驚いたなんて口にできるはずもない。
「どうぞ…」
 バーテンがそっと新しいグラスをミューの前に置いた。
「ドルファンの英雄に乾杯!」
「誰が英雄だ、誰が…」
「あはははっ、この酒場には英雄なんて掃いて捨てるほどいるじゃない」
「……確かに」
 海燕がちょっとだけ笑った。
 それにしても、自分と同じぐらいグラスを空けているというのに、全く酔った素振りも見せていないのはどういうことだと、アルコールに湿潤された思考力でミューは思った。
「アンタ、酒飲んでて楽しい?」
「まあ、それなりに…」
「じゃあ、何で酔わないの?」
「……そういう体質なんだ」
「あっそ…」
 幾度と無く飲み明かした相手に、それはあまりにも素っ気ないんじゃないのとでも言いたげに横を向いた。
「……」
 会話が途切れ、酒場特有の喧噪が2人を包み込む。
 2人で最初に飲んだ酒場とは違い、荒っぽい船員や傭兵が集うシーエアー地区の酒場はお世辞にもあまり柄がいいとは言えない。
 それでも、ミューは海燕に初めてここに連れてこられたときからこの騒がしさが気に入っていた……ドルファン地区の酒場に比べると安くてすむ酒代も魅力だが。
 海燕の連れということで、妙な客が絡んでくることもない。
「ねえ…」
「ん?」
「何で、この国まで流れてきたの…?」
 遙か東方の東洋圏、その最東端に位置する大東洋が……中華皇国の言うところの日本という国……生まれ故郷だと言うことは聞いていた。
「……そうだな」
 海燕はグラスを傾け、そして呟いた。
「仕方がなかった」
 
「……」
 あれだけ分厚かった傭兵名簿が、今や随分と薄くなってしまった事にミューは気付いてしまう。
 戦争の情勢変化による新規傭兵の契約解除もあるが、やはり戦争による損耗が著しい。
「……3月16日までに国外退去しなければいけない事を、文書に酔って通達……」
 上司の声が、どこか遠くに響く。
 国内における外国人排斥の気運の高まり、そして戦争の終結。
 戦争が終われば、傭兵は用済み……武功によっては騎士に取り立てるという約束はやはり空手形で。
 間違っている。
 上手くは言えないが、何かが間違っているとミューは思う。
 軍人としての誇り高さ故か、傭兵の存在にいい顔をしていなかったメッセニ中佐でさえ、今回の決定にどこか複雑な心中をのぞかせていた。
 手渡された、文書を手に取った。
 王室会議で外交人の国外退去が決定され、それによってドルファンから退去して貰う旨が簡潔に述べられている。
「仕方ない……か」
 以前、海燕がそう漏らした言葉。
 多分、そういう事を何度も何度も経験してきたに違いない。
 クレアが亡き夫に操をたてるのも仕方がない、メッセニ中佐の想いが拒絶されるのも、自分の恋が上手くいかないのも仕方ない。
 世の中は、いろんな『仕方ない』に満ちている。
 それでも、この『仕方ない』はあんまりではないか。
 ただの自己満足に過ぎないことはわかっていたが、ミューは自分の受け持ちの傭兵名簿全員にそれを口頭で告げることにした。
 怒りや諦めといったさまざまな感情をぶつけられ、ミューは名簿の最後の一枚を……意識的なのか、それとも無意識にそれを最後に回したのか……手に取った。
 
 コンコン…
「管理局の者ですが…」
「おはよう」
「……もう、夜よ」
「そうだな……」
 海燕はぽつりと呟き、そしてミューの小脇に抱えられた書類の束に視線を向けた。
「……馬鹿だな」
 どこか労るような口調に、ミューはちょっとだけ目を伏せた。そして、できるだけ事務的な口調で切り出す。
「昨夜、王室会議で……」
 今日一日で数え切れないぐらいに繰り返した言葉なのに、しかも簡潔な内容だというのに、言い終えるまでに随分と時間がかかった。
「……3月16日中に、ドルファンから退去していただきます」
「ああ、わかった…」
 そう呟いた海燕の表情には何もなかった。
 ミューは頭を下げる。
 自分には何もできない。
 何の意味もないことしかできない。
 それでも、長い時間を経てミューが頭をあげると、海燕は笑ってくれていた。
「馬鹿ね、あなた…」
「何がだ?」
「どうしてもっと早くこの国に来なかったのよ…」
「……鎖国政策を採ってたんじゃなかったか?」
「それはそうだけど……」
 ちょっとだけ肩をすくめて笑った。
「まあ、仕方ないわね」
「そういうことだ……」
 笑う。
 何かが触れ合う……が、決して通い合いはしない事に気付く。
「やっぱり……あなたがもっと早くこの国にきてたとしても、私はメッセニ中佐に出会って、好きになったわね」
「すまんな……俺には、そういう資格がないんだ」
「傭兵だから?」
「いや……生き方の問題だな。昔、ずっと昔にそう決めた」
「そう……ずっと、昔ね」
 ミューは小さく頷き、そして呟いた。
「見送りには行かないから……それとも、誰かそういう人がいる?」
「いや…」
「生きてれば、いつかいいことあるわよ」
 そっと海燕に近づき、唇を寄せた。触れあうだけの、挨拶のようなキス。
「……こんな風に」
「……おい」
 毒気を抜かれたような、呆れたような表情で、海燕はやっとそれだけを口にした。
「あははっ、満更でもなかったのかな、私……じゃあね、お達者で…」
 
 
                    完
 
 
 最初はミューの両親が戦争で死んで、メッセニ中佐の養子みたいな形で育てられた……管理局への就職はそのセン……ってなシナリオを練ってたのですが。(笑)
 それだとどうしようもないと言うか。
 イメージとしては『汚れた〇雄』で主人公が初めて海外に行ったときに空港で出会った女性(名前忘れました)の感じでいきたかったのですが、どちらにしてもキャラの内面にいたる情報が少なすぎ。
 だもんで、結局何がやりたいのかわからないこんな話になってしまいました。
 だったら書かなきゃ……と思うでしょうが、赤毛でショートカットでちょっと強引で……ってなキャラに高任は弱くてデスネ、(みつめてナイトの対談と合わせてお読み下さい)何か書いてみたかったんです、それだけ。
 次からはちゃんとレギュラーキャラを書きますのでお許しを。

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