「ボクさ、小さい頃から走るのが好きで……」
 少しはにかむような表情を浮かべ、ハンナは語りだした。
「だから……走ること以外は良くわからないんだ」
 黄金色に輝く海面に視線を向け、眩しそうに目を細める。
「試合で勝とうと思ったらとにかく練習するんだ……少しでも自分が信じられるように。走って、筋力トレーニングして、勝てるかもしれない、勝てるだろうって少しずつ自分のことが信じられるようになって…」
 そこで一旦ハンナは言葉を切り、今度は一転して夕焼け空に目を転じた。
「……絶対に負けるはずがない、そう思えるところまで、心と身体を鍛えこんでいく」
「凄いな…」
「うん、走ることには自信があるよ……もう、リンダには二度と負けない。一度勝っただけだけど……たとえリンダがトレーニングを続け競技を続けたとしても、ボクが競技者である限り、リンダはもうボクには勝てない……悲しいぐらいに今はそれがわかる」
 あの自信の塊のようなリンダに萎縮して実力が発揮できなかったハンナ。
 本当なら、何年も前に立場が逆転していなければいけないはずだった。
「自惚れてるって海燕は思うかも知れないけど……ボクにはわかるんだ。そして……多分リンダも」
「いや……少し、わかるような気がするよ」
 海燕が微かに微笑んだ。
 スポーツの祭典で初めてリンダに勝ち、気の抜けたような表情をしていたハンナ。
 それから数ヶ月後、ハンナはスィーズランドにスポーツ留学することを決めた。控えめな返答を返したが、海燕にはそんなハンナの心の動きが良くわかっていたのだろう。
 凪いでいた海面が少し騒ぎ出す。
 いつの間にか、風が出てきたようだった。
「でも、走ること以外はまるでダメなんだよね…」
 ハンナが振り返り、海燕の顔をじっと見つめた。
 さっきまでのはにかむような表情は一転し、潤んだような瞳には透明の珠がたたえられている。
「だからさ、教えてよ……」
 じっとこぼれるのを我慢していた涙が、一筋だけこぼれた。
「走ることに関して自分を信じたいなら練習すればいいけど……」
 語尾が、微かに震える。
「どうすれば自分に自信が持てるのかな?どうすれば、自分が信じられるのかな……?」
 淡々としていた口調が、少しずつ哀切な響きを帯びていく。
「苦しいよ……好きだっていう気持ちを強く抱きしめれば抱きしめるほど苦しくなって、自分が信用できなくなっていくから」
 ふ、と自分を縛めるようにハンナが首を振った。
「じゃ、なくて……へ、変だよね、こんなのボクらしくないっていうか…」
 そう言って目元を擦ると、ハンナは指先で右の頬のあたりをゆっくりとなぞり始めた。
「覚えてるかな……ほら、サーカスの動物が檻から逃げ出して」
「ああ……あの時はすまなかった」
「や、やだな、そうじゃなくて……」
 ハンナは照れたように顔を掻く染め、その事を思い出すかのように遠い目をした。
「傷ついた自分の顔を鏡で見たときはちょっとびっくりしたけど……その傷跡がね、癒えていくのが本当は少し残念だったんだ」
 ハンナが白い歯をこぼして笑った。
「キミがボクを守って戦ってくれた……その証が無くなっていくみたいで」
 ハンナの頬に、その傷跡は既にない。
「気付いたのは最近だけど……多分、あの頃にはもう」
 崩れそうになる表情をいましめるためなのか、ハンナはぺちぺちと自分の頬を叩き、そして笑って見せた。
「ボクね、キミのことが大好きなんだよ」
 走ること以外はまるでダメと言うハンナらしい不器用な言い回し……そんなハンナが傭兵として殺伐な戦場で時を過ごしてきた海燕の心をどれだけ救ってきたか。
 ハンナが自分に自信が持てなかったように、海燕も将来に何の展望もない傭兵であるということでまた自信など持てようもなかった。
「わかったよ、ハンナ…」
「え?」
「どうすれば自分に自信が持てるのかが…」
 怖々と壊れ物を扱うように、それでいて確固たる意志を込めて海燕の腕がハンナの身体をそっと抱き寄せる。
「……好きだよ、ハンナ」
「……っ!」
 ハンナは一瞬息を呑み、そして強く海燕の身体を抱きしめた。
「うん……信じられるよ、自分が、そしてキミのことが」
 カンカン…カンカン…
 二人の抱擁を、無情にも船の出航を告げる鐘が引き離す。
「……じゃあな、ハンナ」
「うん、いつかどこかで」
 ゆっくりと振り返った海燕の背中に、ハンナは声をかけた。
「次に会うときは……」
「ああ、そうだな……」
 海燕は、腰の剣を軽く叩いた。
 傭兵としての自分を捨てることができるのか、それとも捨てるために剣を振るうのか海燕は何も語らない。
 しかし、ハンナはそれを信じていた……
 
 
                     完
 
 
 いや、別にハンナの話を書き直しやがれこのゲロ野郎などとハンナファンに折檻を受けたワケじゃなくて(笑)デスね、入国管理員のミューの話が完全に煮詰まっているのもありますが、他のキャラに対してあんまりと言えばあんまりだよねなどと高任自身も思うところがあったモノですから……と言うことにしておきましょう。
 ただまあ、正直なところこのキャラって難しいですね……このゲームのキャラの中ではひじょうに健康的というか、精神的に隙がないというか。
 物語を作り出す上で、健康な精神って実はキャラが立てにくかったり……少なくとも高任はそうですが。(笑)
 と言うわけで、ちょっぴり歪んだハンナとのラストシーン高任バージョン……身も蓋もない言い方ですが。

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