「リンダ、今年はボクが勝つよ。」
「あらあら…相変わらず根拠のない自信に満ちあふれてますのね……」
スポーツの祭典の当日、競技場のサブトラックで出会ったハンナとリンダはお互い牽制を繰り返し合っていた。
「フンだ。今年はこの日のために特訓までしたんだからね。」
「……だったら、尚のこと今年は私の勝ちですわね。」
リンダは、急にハンナへの興味を失ったようにランニングを開始した。その変わり身の早さにハンナは不安になり、その不安をうち消すように呟いた。
「なんだよ、強がり言っちゃってさ……」
優勝候補の名にふさわしく、二人とも予選は軽々と通過している。
今は決勝を控えてお互いに身体を冷やさぬように心がけながら、ピリピリと高まっていく緊張感が与える心地よい高揚感を身体の隅々までゆき渡らせて、精神及び肉体の一体感をはかっていく時間帯だった。
ハンナは、精神を集中させるためにそっと目を閉じた。
「今年こそ、リンダに勝つんだ…」
ハンナにとって宿命のライバルとも言えるリンダと初めて出会ったのは、二人が中等部にあがったばかりのスポーツの祭典当日であった。
「やーね、あんな派手な格好で……」
「審判を買収してるんじゃないの…」
金持ちでしかも容姿まで優れているとなれば、余計な妬みを買うのはどの世界でも同様のことであった。
そんな会話を知ってか知らずか、年齢にそぐわぬ凛とした美貌の少女は顔色1つ変えずに平然と身体を温めていた。その態度が余計にまわりの人間を刺激して、ついにはその会話がハンナの耳にまで届くことになる。
「君たちがザクロイド家に生まれても大した競技者にはなれなかったんじゃない。おしゃべりばかりして、練習しないみたいだし。」
辛辣なハンナの言葉に、あたりは静まりかえった瞬間、ハンナは一瞬だけリンダと目があった。
……あの時のリンダは、微かに微笑んでいたように思われた。
リンダと会うたびに口げんかをしているが、競技場において彼女が話し掛けるのはハンナ以外には誰もいない。
もちろん、リンダとハンナの記録がず抜けているためおそれ多くも……という雰囲気があることは否めないのだが。
「8分の1マイル競走の決勝に出場する選手は今すぐ……」
選手を招集する係員の声に、ハンナは自分の頬を叩いて気合いを入れた。
コンディションは悪くない……
ハンナは、青い空を見上げてからスタートラインに腰を下ろした。左隣のリンダにこの5年間負け続けている事を思い出して頭を振った。
意識すると動きが硬くなる。
そして、静かにスタートの合図を待った……
自分の左隣を駆け抜けていく長い髪を掴んで引き戻したくなる激情を抱えたまま、ハンナはゴールラインを駆け抜けた。
この1年間繰り返してきた練習の数々が浮かんでは消えていき、鼻の奥にツンとした感覚を覚えてハンナは天を仰いだ。
「……残念でしたわね。」
「……来年は勝つよ。」
ハンナは大きく深呼吸してからそう呟いた。リンダの表情が少しだけ歪む。
「なんだよ?」
「残念ですわね、私がこの祭典に出場するのは今年限りですの。ザクロイド家の仕事に携わる予定なので……」
「ずるいぞ、勝ち逃げなんて。」
「仕事の片手間の練習で、どうにかなる競技じゃないことはあなたもよくご存じでしょう?まあ、特訓なんていう言葉を使うあなたには自覚が足りないかもしれませんが。」
「何が言いたいのさ?」
「特訓が出来るって事は、普段の練習から自分をそこまで追いつめてない証拠でしょう、私の言うこと何か間違ってて?」
ハンナは唇を噛んで項垂れた。
「ハンナさん、世界は広いですわよ……」
そう言い残して、リンダは優勝カップを受け取るために表彰台へと歩いていった。
「世界は広い……か。」
ほろ苦い思いで、ハンナは呟いた。
この大会でリンダに勝って、気持ちよくスィーズランドへのスポーツ留学の話を受けるつもりだった。
欧州の片隅に存在する半島の、さらにその一部のドルファン王国なんて世界から見ればさらに小さい。その大きさを恐れる気持ちと、その大きさに憧れる気持ちがハンナの中にある。
ふと我に返ると、リンダが優勝カップを高々と掲げているところだった。競技場内の拍手が高まっていくのに合わせて、複雑な気持ちのまま、ハンナもまたリンダに対して拍手を送った。
競技場の入り口で待っててくれた海燕と一緒に、ハンナは靄もやっとした気持ちのまま家路を歩んでいた。
その途中で、海燕がはるか東洋からこの国にやってきていることを思い出す。
「ねえ、海燕。世界って広い?」
「これはまた、具体的なのか抽象的なのか判断の付きにくい質問だな……」
海燕は肩をそびやかして軽口を叩き、やがて呟いた。
「ま、人それぞれだな。リンダが世界で一番速い可能性もあるし。」
「……それはそれでつまんない。」
「なら答えは決まってるじゃないか……」
「そうだね…」
それきり、ハンナと海燕は別れの挨拶をかわすまで一言も喋らなかった。
今年のドルファンの夏は冷夏のようだった。
練習をしていても、流れる汗の量がいつもと違うのでどうもしっくりこない……というのは単なる言い訳か。
ハンナは、ため息をついてタオルで汗を拭った。
「またえらく漫然とした練習をしてますのね……」
「……何しに来たのさ?」
「ハンナさんが留学の返事を迷っていると聞きまして……」
「そっちこそ、ザイールのダイヤモンド採掘が大変なんじゃないの?」
リンダはこころもち眉をひそめ、ため息をついた。
「無造作に出る杭は……ですわね。こちらの世界はスポーツの世界よりえげつないことがまかり通りますのよ。ハンナさんには似合わない世界ですわ。」
「……誉めてるの、それ?」
リンダは口元に笑みを浮かべ空を見上げた。
「私の知る限り、ハンナさんは最も単純な方ですことよ。」
ハンナはとりあえず地面に転がっている砲丸を探すことにしたが、生憎身近には見つからなかった。
休憩がてら、仕方なくリンダのおしゃべりにつき合うことに決めてベンチに腰掛けた。
「今年は、農作物の先物が面倒でしょうね……」
「……そういう話は海燕としたら?」
「ザクロイド家に生まれるということは、こういうことです。」
「まあ、ボクには良くわからないけど。」
「共通点は、あの競技場だけですものね……」
本来ふれあうはずの無かった二人の道はあの競技場で確かに交差し、そしてまた離れようとしている。
「感謝してますわ……」
「何を?」
「あの時、私を1人のアスリートとして扱ってくれたことを。」
リンダの長い髪が、風を受けて揺れた。
「……じゃあ、一度ぐらい手を抜いてくれれば良かったのに。」
「嫌われるのはともかく、軽蔑だけはされたくなかったですし……」
「そうだね。そんなことされたら、リンダのこと殴ってたかもしれない。」
「野蛮ですわね……」
そうして穏やかな時が流れ、リンダが腰を上げた。
「練習の邪魔したわね……では、ごきげんよう。」
「リンダ!」
ハンナの声に、リンダは足を止めて振り向いた。
「……ボク、君のこと嫌いじゃないよ。」
ハンナは、リンダが優しく微笑むと年相応の笑顔になることをこの時初めて知った。
やわらかな風が春の訪れをドルファンに告げる頃、2人の少女が波止場に立っていた。
「リンダ…家の方大丈夫なの?」
「お祖父様の遺産をお父様が食いつぶしただけのことですわ。お祖父様もはじめは一文無しでしたのよ。」
祖父に出来たことが自分に出来ないはずはないと信じる強い瞳がそこにはある。
その瞳に、勇気を分けてもらった自分がここにいる。
そして、海がすぐそこに存在していた。
ガランガラン……
「じゃあ、リンダ。ボクは行くよ。」
「ええ。」
そして二人は同時に背を向けた。
お互いが信じる道を行くために……
完
ごめんなさい、ジャンル間違えました。(笑)
でも高任はこういうお話が好きで、書き出すと止まらなくて……
しかし、このゲームの女の子キャラの中で最も精神的に健康なキャラがハンナです。後の15人は多かれ少なかれ精神的な病巣を抱えてると思います。
ただ、ハンナの場合ラブラブイベントはないし、エンディングもだからどうしたって感じでちょっと厳しいキャラかもしれません。好感度が高い普段の会話と、エンディングに至るつながりが高任としてはちと不満が残りました。
で、このお話かよ?などと言われると返す言葉もありませんが。(笑)
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