「ねえ、ちょっと聞いた?」
「聞いた聞いた、アレでしょ?」
「結局、シスコンって噂は…?」
「いや、例の天才の方からキスしたらしいぜ」
「ちょうど居合わせたのが、あの、鬼の風紀委員だってさ…」
 まだ友人関係のネットワークが成熟していない1年の教室ではそれほどでもなかったが、2年、3年の教室では例の話題で持ちきりだった。
 この手の話題は、そこに教師が介在するといくら隠そうとしても無駄だ……当事者を呼び出したりするから、生徒同士のそれより早く、広範囲に広がる。
 
 さて、3年C組の教室。
「ねえ、聞いた水澤…」
「……」
 他人のうわさ話ほど面白いモノはない……と、さほど親しくもないのに、次から次へとクラスの人間の肩を叩いて回っていた女子生徒だったが、摩央の視線を受けてたじろいだ。
「な、なに?」
「ちょっと…やめなさいよ」
 と、別の女子生徒が、無理矢理に引き戻し。
「え?」
 わけの分からぬ女子生徒に向かって、小さな声で囁いた。
「噂の彼って、水澤の幼なじみなの……知り合いを悪く言われたら、気分悪くして当然でしょ」
「……ぁ」
 ごめん、と頭を下げる女子生徒を無視するように、摩央がツンッとそっぽを向いた。
 華やかな外見と明るい性格で、男女を問わず学園の人気者……の、摩央がそうしたのだから、怒りの深さが知れようというモノだ。
「……ったく」
 教室の噂に背を向け、摩央が呟く。
「光一ったら……『恵ちゃんって彼女がいるにも関わらず』……何してんのよ…」 
 
 そんな摩央の呟きを聞けるはずもない柊がいる2年A組では。
「菜々ちゃんかわいそう…」
「ショック受けてるよね、きっと」
「……って、相原君がされたって聞いたけど?」
「相手がアレってのはともかく……相原を祝福してやるべきじゃないか?」
「なんだよ、ひょっとして菜々ちゃん狙ってるのお前?」
 などと、おそらく学校内で最も複雑な噂が飛び交っている中……何も喋らない生徒が2名。
 一人はもちろん柊で、もう一人は……柊の隣の席に座り、どこか恨めしげにじいいいいっと柊を見つめている。
「……あー、星野さん」
 柊は前を向いたまま口を開いた。
「……」
「ボクを恨むのはお門違いだよ」
「……」
「そもそもボクが彼女を介入させたわけじゃないし……というか、ここまで巨大なイレギュラーを望んでいたわけでもないしね」
「……」
 無口な人間の視線というのは、おしゃべりな人間が繰り出すどんな言葉よりも雄弁なんだなあ……と実感しつつ。
 ため息をつき、柊はここでやっと結美のほうに視線を向けた。
「そもそも、星野さんは…」
 恵の顔が浮かんで一旦言葉を切った…が、それを振り払うようにして言葉を続けた。
「何もしてない」
「……」
「相原に、話しかける事すらしてない」
「…それは」
「まあ、誰かさんみたいにいきなりキスしろとは言わないけど」
「…っ」
 かあああっと、顔を真っ赤にしてうなだれる結美。
 そんな結美の様子に、柊はまたもため息をつき。
「……相原の立場になって考えてごらんよ」
「…?」
「あの二見さんにキスされた、しかも教師に目撃されてる……下手すれば停学だよ」
 結美が弾かれたように顔を上げた。
「え、えっと…そんな…」
「まあ……そのあたりは、彼女が計算してると願いたいけど」
 
 さて、当事者の2名……プラス1名、光一と瑛理子と、恵の3人は、今日も朝から指導室へと呼び出されていたわけで。
「先生もご存じだと思いますが、私の父は海外を飛び回る仕事に就いていて……私自身、幼い頃は海外で生活していたものですから…キスなんてただの挨拶に過ぎません」
「だったら…」
 教師にみなまで言わせず、瑛理子はため息混じりに呟いた。
「それこそ先生もご存じの通り、私、友達が一人もいませんでしたから」
「……」
「相原君とは、友達になれる…そう思ったら嬉しくなってしまって、つい昔の癖で」
 瑛理子は薄く笑い。
「これからは気をつけます」
 昨日と同じ言葉を、昨日とは違う教師相手に繰り返す瑛理子。
「栗生……お前から見て、そんな感じだったのか」
 と、教師はその場に居合わせた恵にふった。
「軽い、挨拶のように見えました…」
 恵は……ただの被害者に過ぎない光一の停学がかかっているものだから、心ならずも瑛理子の言葉を肯定することしか出来ず。
「相原」
「なんというか…びっくりしたとしか」
 光一のとぼけた返事……本人としては本音だが……に、瑛理子が笑う。
「二見…相原が言ってるように、この国だとびっくりするんだ。つま…」
「郷に入りては…ですね」
「……そうだ」
 言葉はともかく、瑛理子が自分をからかっているのはひしひしと感じているのだろう……学年主任である教師は苦虫をかみつぶしたような表情で3人に向かって言った。
「とりあえず、戻って授業を受けろ……相原と二見の処分については後で伝える」
 
「では、失礼します…」
 と、3人が指導室を後にして……廊下の角を曲がった瞬間。
「ごめん、相原」
「え?」
 と、恵の方を振り向いた瞬間……光一は音もなくその場に倒れ込み。
「……ひどいことするわね」
 恵が何をしたかは見えなかったが、何をやったかはわかったのだろう……瑛理子は恵の視線を平然と受け止めつつ冷笑を浮かべた。
「私をからかうなら、私だけを相手にすればいいでしょ…相原まで巻き込んで」
「相原に興味を持ったのは事実よ…」
 手で髪をサイドに流しつつ。
「それに何か文句でも?」
「その事自体にはないわ…」
「私から近づいたわけでもない」
「それも、わかってるわ」
 瑛理子はちょっと目を細めて。
「じゃあ、何を怒ってるの?」
「や、やり方が…」
「フフッ…嘘でも、『私達付き合ってるの。それで充分でしょ』ぐらい言えばいいのに…」
 それを聞いた瞬間、恵はどこか脅えたような表情を浮かべ……俯いた。
「……ごめんなさい、言い過ぎたわ」
 その言葉にではなく、言葉の中に込められた感情らしきモノに驚いて、恵が再び顔を上げたその時には、もう瑛理子は背を向けていた。
「二…見?」
「それと、ちょっと計算違いをしたから…」
「何を?」
 足を止め、時間にしてほんの2秒ほどの沈黙を経て瑛理子が呟く。
「……あの感じだと、多分停学処分ね、2人とも」
「え、ちょっ…」
「相原に謝っといて……それと、こんな目に遭いたくなかったら、もう近づかないでって」
 そう言い残し、瑛理子は去っていく……その背中を恵は黙って見送った。
 
 瑛理子の予言は当たり、その日の午後に2人に対して10日間の停学処分が言い渡された。
 
「あはは…光一が停学、ねえ…」
「わ、笑い事じゃないよ、お母さん」
「別に、誰かを怪我させたわけでもないし、犯罪行為を働いたわけでもないんでしょ…」
「だからっ」
 菜々が顔を真っ赤にして声を荒げた。
「お、おにいちゃん、何も悪くないのにっ!」
「そんなのはね、先生も多分わかってるの」
 と、淡々とした口調でいう母は、やはり大人としか言いようがなく。
「わかってるならどうしてそんな…」
 母相手ではらちがあかないと感じたのか、菜々の視線は父に向けられた。
「お父さんっ!」
「…ん」
 相手が同じ大人ならば、『社会とはそういうモノだ』などと言えたのだろうが……父親として、それを娘に言えるほど枯れてもいないし、また娘を過大評価もしていないだけに、言葉を濁すしか出来ず。
「あのな、菜々…」
 仕方なく口を開くのは、やはり光一で。
「どっちがだけを強く処罰できないのはわかるだろ?2人とも停学か、それとも注意だけでお終いか……しかないんだ。で、多分……学校側としては、二見さんを停学にしたかった……んだろうな」
「おにーちゃん、悪くないのにっ」
 なおも言い募ろうとする菜々の頭に手を乗せて。
「菜々は、そう言ってくれるし、柊や栗生もわかってくれるし…だったら後は別にいいだろ」
「おにーちゃん、悪くない…のに…」
 しばらく頭を撫でられ……やはり納得がいかなかったのか、光一の手を払いのけて、菜々は階段を駆け上っていった。
「……ふう」
 1つため息をつき、光一は父と母に向き直って頭を下げた。
「父さん、母さん、ごめん…」
「ん…」
 と、父は渋い顔をして口ごもり。
「菜々は子供過ぎだけど…光一、アンタはちょっと枯れすぎだよ」
「そうかな?」
「どうせ停学なら、教師の1人や2人ぶん殴ったって…」
「いや、俺だって腹が立ってないわけじゃないんだけど…」
 光一の処分を知ったときの恵は、まさに激発寸前と言っても良く……光一が一言でも不服の言葉を漏らしたら……の気配が濃厚で。
「それをやると大惨事に…」
「…光一じゃなく菜々が当事者ならやったでしょ」
「そりゃ菜々はもちろん、柊や栗生がそんな処分を受けたら絶対にやったよ。いくら何でも、我慢できることと出来ないことがある」
 一点の曇りもなく言い切った光一に、父と母が目を見合わせ……ため息をついた。
 さて、この光一の両親であるが……光一がよそ様の女子生徒に手を出したなどとは夢にも思っていない。
 そう思わざるを得ないところに……親として別の意味での悩みがあるのだが。
 ちなみに、光一が自分の部屋に戻った後、父親は妻に向けて呟いた。
「しかし……キスしたぐらいで停学10日とは……その、二見とか言う女の子は、そんなに問題児なのか?」
「私にいわれても知りませんよ、お父さん」
 と、母親は笑って返したのだが。
 
 さて、停学処分と言っても、学校によってまちまちである。
 きちんと親を学校に呼びだした上で……の学校がほとんどだが、電話なり文書でそれを伝えるのみ、の学校もある。
 ただ、停学そのものに関しては……期間中は極力外出を控えて家でおとなしくしていることと、反省文を学校に提出する……期間中は同じ学校の生徒と会ってはならないという規則があるケースもあるが、大抵はこの対応で間違いない。
 期間に関しては、3日(半週)、1週間、2週間……と、単位が週の学校に対し、5日、10日…5日単位に分かれ、後者はどちらかと言えば少数派。
 ただ、5日単位のケースにおいては、期間ではなく授業日数換算だったりするのが割とある。つまり……5日が1週間で、祝日を挟んだりすると期間は延びる…と。
 
 ……で、ゴールデンウイークを前に10日間の停学処分を受けた光一の場合。
 この10日間は、授業日数ではなく、期間としての10日間であり……まあ、ゴールデンウイーク途中に処分が開けるというモノである。
 学校側がそれを確かめる術はほとんどないが、家族で旅行に行く……何て事は出来ない。もちろん、看護士である母が、のんびりと家族旅行なぞ出来るはずもないが。
 それ故に、光一はおとなしく家を大掃除をはじめ、10日間をかけて普段は出来ないような家事をせっせとこなし続けていた。
 いつもより凝った食事を作り、掃除洗濯を丁寧にやり……特に何を反省することもなく、停学にストレスを感じることもなく、のびのびと日々を過ごす光一の姿に両親は苦笑し、菜々は表面的には笑みを浮かべるが、何か思い詰めたような目をしていて。
 そして、ゴールデンウイークの最終日。
「やあ、相原」
 と、屈託のない笑みを浮かべて柊が相原家を訪れた。
「おお」
 庭の草取りの手を休め、光一は額の汗を拭いながら立ち上がる。
「来てくれたのか…まあ、あがれよ」
 抜いた草を集め、指先の泥を落としてから柊を招き入れる……母は仕事、父は接待ゴルフで家を空けており、菜々は光一の家事を手伝うでもなく、おそらくは部屋でごろごろとしている……そんな感じ。
「反省文は書き上げたかい?」
「書くには書いたが、何を反省しろと?」
「そりゃあ…」
 柊はちょっと考え込み。
「栗生道場の元門下生として、二見さんのそれを察知できなかったことを…かな」
「……なるほど」
 と、光一は深く頷いた。
「言われてみればそうだな…『あのぐらい避けなさいっ』と、栗生が言い出さない方が不思議な気がする」
「……」
 階段を上りながらの会話が届いたのか、菜々の部屋のドアが開いた。
「柊さん?」
「やあ、妹さん」
 如才ない笑みを浮かべ、柊は手にした洋菓子店のロゴの入った紙袋を掲げて。
「おみやげのケーキがあるから一緒にどうかな?」
「わ、いただきます」
「菜々…まずはお礼」
「あっ、ありがとうございます」
 取り繕うようにぺこり、と菜々が頭を下げる。
「……柊、お茶より紅茶の方がいいか?」
「そうだね」
「私はココア」
「そっか…じゃあ、用意してくるから、部屋で待っててくれ」
 2人を残し、光一は柊の手から紙袋を受け取って階段を下りていく。
「どうぞ、柊さん」
「おじゃまします」
 と、主のいない部屋の中に……それに遅れること数分、ポットとカップ、ケーキを乗せた皿などを持った光一がやってくる。
「結局、ゴールデンウイークの間は引きこもりかい?」
「まあ、買い物にも出たし、遊びに行かなかったことをのぞけば、はっきり言って普段と変わらないよ」
 微苦笑を浮かべる柊に、早くもケーキを口にした菜々が言った。
「そういえば柊さん、この前公園で彼女さんとデートしてましたね」
「この前…というと?」
「3日です」
「ああ、あの日かい…」
 照れるでもなく、気負うでもなく、柊は穏やかに頷いた。
「声をかけてくれれば良かったのに」
「さ、さすがにそれは…できませんよぅ」
 と、ちょっと照れたように俯く菜々に、柊は首を傾げ。
「あ、ひょっとして見られたかな…?」
「…み、見ちゃい…ました…すみません」
 恥ずかしげに俯く菜々。
「見たって、何を?」
「いや、多分公園のベンチでキスしてたときだと思うんだが」
 光一が菜々に向けた質問を受け取って、柊が平然と答えたものだから。
「わっ、わわっ…」
 もう、これ以上のこの会話を続けるのはやめましょう……とばかりに、顔を真っ赤にした菜々がめちゃくちゃに両手を振り回す。
「ははっ、妹さんは初々しいね」
「うっ、初々しいとかの問題じゃ…ないです…」
「わかった、もうこの話はお終いにするよ…」
「そ、そうしてください…」
 などと、その後は当たり障りのない会話をしつつ、ケーキを食べ……何とはなしにそれがわかったのか、菜々がすっと立ち上がった。
「じゃあ、私はこれで」
 柊に向かってぺこっと頭をさげ、菜々が自分の部屋へと戻っていった。
「妹さん、今日は察しがいいね」
「カップや皿をそのままに……というのが、兄としては気がかりだけど」
 苦笑しながら呟くと、光一は柊は向き直った。
「で、なんの話だ?」
「いや、昨日で自宅謹慎もお終いじゃないか……友人として様子を見に来るぐらいは、当然だろう」
「栗生に頼まれたのか」
「そう言われると、みもふたもないね…」
「謹慎期間を気にするのは、栗生っぽいからな」
 柊はちょっと笑い、あらためて光一に視線を向ける。
「まあ、栗生は詳しく話してくれないし、何があったのか聞いておこうかと思ってね」
「……まあ、こんな感じだが」
 と、光一は出来る限り主観を挟まずに、覚えている限りのことを柊に伝えた。
「ふむ、なるほど…」
 柊がちょっと頷き……ちらりと光一を見る。
「どうした…?」
「さっきの妹さんじゃないけど、状況と理由はどうあれ……女の子、しかも間違いなく美人に分類される相手にキスされて、何か思うところはないのかい?」
「栗生がどう受け取ったかはわからないけど、人工呼吸以下ってのが明白だったし」
「……そこで割り切れるのが、相原らしいというか」
 と、ため息混じりに柊。
「柊だってさっき…」
「ボクは、単に慣れてるだけだね……一応、最初の頃は色々と緊張したモノだけど」
「今度の子は、長続きしそうなのか?」
「ん…どうかな?」
 光一の問いに対して、柊は曖昧に微笑んだ。
 
 ざわざわざわ…
「連休ボケってやつか…」
「何がだい?」
「いや、今日はなんだか学校内が騒がしいというか…」
 連休明けでみんな頭の切り替えがうまくできてないんだな……などと言いたげな光一に、柊は大きくため息をついた。
「相原、キミのまわりが騒がしいんだよ」
 光一が自分の周囲を見渡す……と、なるほどほとんどのクラスメイトが目をそらすではないか。
「……まあ、人の噂も……夏休みまでか」
「気の長い話だね」
 
「……と言うわけで、しばらく俺は昼食を一人でとるから」
「せんぱい、別に気にしなくても…」
 と、なるみが言いかけるのを制して。
「いや、こうして立ち話してるだけでもこの有様だし……」
 光一が示してみせるでもなく、いろんな視線がまとわりついてくるような状態なのは当然なるみも感じていて。
「これじゃあ、落ち着いて食事もできないだろ?」
 なるみは敢えて周囲を見渡し……大きくため息をついた。
「無理ですぅ」
「だろ?まあ、昼食に限らず……しばらく学校内で俺には近づかない方がいいと思う」
「……うん」「はあ」
 菜々は渋々頷き、なるみは『無責任な噂って迷惑ですねえ』などと、少しピントがずれた納得の仕方をした。
「おにいちゃん…しばらくって、どれぐらい?」
「ん、月末に中間試験があるだろ……多分、そのぐらいでうやむやになると、柊が言ってたな」
「あー、確かに人間って、同時に二つも三つも集中できませんから」
「……」
「……菜々?」
「テスト…?」
 どこか不安げに菜々が呟く。
「そりゃ、あるよ……中学と同じで」
「……」
 こう、直接踏み込むことをためらうような菜々の沈黙に負け、光一はなるみに話をふった。
「……なるみちゃん、授業中の菜々の様子はどんな感じ?」
「あ、えっと…」
 どこか困ったような表情を浮かべ、なるみが菜々を見る……と、菜々がぶんぶんと首を振った。
 まあ、そんな事やってれば言葉にしなくても……と言うやつで。
「……菜々、今夜各教科のノートと教科書をチェックするから、準備しておけよ」
「あ、う…」
 
「さて…」
 昼休み、まさに衆人環視の中で昼食を終えた光一は、柊に声をかけた。
「柊、ちょっといいか?」
「なんだい?」
「いや、栗生に会いに行こうと思うんだけど、ついてきてくれないか?」
 光一の言葉に、柊が一歩後ずさる。
「た、ただ会いに行くんじゃなくて、身の危険を感じるような事を話しにいくつもりなんだねっ?」
「……多分」
「ボっ、ボクはキミほど打たれ強くないんだっ」
「別に、柊には手を出さないと思うけど」
「そうじゃない」
 柊にしては珍しい、オーバーアクションで。
「キミがそこまでいうなら、多分大事な話なんだろう?それを聞いたら、ボクもキミの味方をせざるを得ないじゃないかっ」
 光一が殴られるなら、それを味方した自分も自動的に殴られる……柊の脳裏に、その光景が浮かんでくる。
 可能性……と言うよりは約束された未来と言い換えても良いぐらいで。
「……じゃあ、距離をとって見守る形で」
 5秒、10秒……。
「わかったよ…」
 柊は諦めたように頷くのであった。
 
 ごっ。
 さすがに惚れてる相手なら当然手加減はするだろう……と、そんな甘いことを考えていた頃もあった柊だが、あくまでも殴る相手の体力に合わせて恵が手加減をする事を知るのは早かった。
 どんな相手であろうと平等にこらしめるのが恵……もちろん、他人に迷惑をかけるとか、犯罪者は別だが。
 まあ、正確に言うと……柊と光一の2人だけに対しては、多少理不尽な暴力が混ざるが、それは恵の2人に対する甘えであり、親しさの証明でもあるのだが……光一はともかく、当事者の片割れ柊にとっては、『とんでもない』事で。
 それはさておき、その鈍い音は、いつもの……5割増し程度のように柊は思えた。
「……柊」
「なっ、なにかな、栗生」
 はかない抵抗とは知りつつ、その場から全力ダッシュで逃げ出す準備万端で柊が引きつった笑いを浮かべる。
「今、相原はなんて言ったの?」
「そ、それは、『相原が目を覚ましてから』聞けばいいんじゃないか?」
「なんか……私の気のせいじゃなければ、『あの女と友達になるつもりはないかな?』なんて言ったような気がしたんだけど」
「『あの女』を『二見さん』に置き換えれば、おおむねそんな感じだったんじゃないかな…」
 2秒ほどの沈黙を挟み、恵がぽつりと呟く。
「私…なにか相原の気に障るようなことでもしたの?」
「……ボクの知る限り、相原ほど心の広い人間は知らないな」
 と、柊の視線は恵の足下に倒れてピクリとも動かない光一に向けられて。
 こんな目に遭わされても、『やっぱり、栗生は怒っちゃったか…』などと微笑みながら呟く姿が目に浮かぶ。
「じゃあ、何で?」
「だからそれは、『相原が目を覚ましてから』聞けばいいんじゃないかと、ボクは思うよ」
「……相原が言うんだから、ちゃんと理由があるに決まってるじゃない」
「そ、それなら…」
「その理由を聞いて、仮に、頭で理解できたとしても、嫌なのよっ!」
 と、声を荒げた瞬間、恵は既に柊のふところに忍び寄っていて。
「そもそも、あの女のせいで相原は停学処分になったのよっ?それだけでも、私とあの女が仲良くなんか出来るわけが……ねえ、私の言ってること何か間違ってる?」
 間違ってはないけど、今の言葉にはどこかごまかしがあったような気がするね……などと反論できる状況ではなく。
「ちょっ、栗生…落ち着い…てっ?」
 柊にとって神の助けか、悪魔の使者か……倒れていた光一が、身じろぎをしたのに気がついた。
「相原が目を覚ましたよ、栗生」
 出来うる限り穏やかな口調で言い……だから、ね、この手を外して…と、ばかりに自分の胸ぐらを掴んだ恵の手をポンポンと叩く。
 
 柊の賭は、とりあえず吉と出た……柊本人に被害が及ばなかったという意味で、だが。
 
 放課後、場所は柊家。
「……で、相原の言い分を柊はどう思う?」
 相原を早退させてしまったことで、落ち着いたというより冷静さを失うまいと反省している様子の恵を前に、柊がため息混じりに呟く。
「そうだねえ…」
 一旦言葉を切り、柊はチラリと恵の顔色を窺う。
「結局、『どっちがより嫌か』という、栗生にとっては不本意な二者択一だと思うけど」
「……どういう意味?」
「栗生が相原の提案を蹴ったとすると……相原自身が、二見さんの友達になろうとするだろうね。もちろん、自分が友達になった上で、栗生も……なのかも知れないけど」
「じゃなくて……『あの女が私と仲良くなりたがっているって事』についてよ」
「あぁ…」
 『あの女は私をからかっているだけ…』……先日、恵自身が言った言葉だ。それはつまり、『あの女』が恵に対して悪意を持ってないことも意味する……のか。
 柊自身は直接接触はなかったが……彼女が他の人間に対してどういう態度をとっているかを目撃したことは何度もある。
 それには悪意というより……強い拒絶が確かにあった。
「……というか、栗生に二見さんと仲良くなる意志は…」
「ないに決まってるでしょ」
「じゃあ、考える意味もないね」
「それはそう…だけど…」
 と、何故か恵が煮え切らない。
「……栗生、何か二見さんに関してボクに隠していることはないかい?」
「……言えない」
「……なるほど」
 隠していることがある……と、それは恵にしては大きな譲歩。
「ただ……『こんな目に遭いたくなかったら、もう近づかないで』って、相原に伝えるように言われたわ」
「……伝えたのかい?」
「伝えても意味がないでしょ」
「……じゃなくて」
 柊はちょっとため息をついた。
「多分、相原の見立ては正しいんじゃないかな」
「……今ので、それがわかるの?」
 恵の問いかけには答えず、柊が再びため息をつく。
「栗生……二見さんと友達になれとは言わないけど、多少距離を詰めておいた方がいいと思うよ」
「……なぜ?」
「そりゃあ……二見さんが、相原のことを気に入ったからさ」
 柊の呟きは、既に状況が自分の手を離れてしまったことに対するあきらめを含んでいた……。
 
 
 
 さて、えらく不評です。(笑)
 でも頑張るぞ、と。

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