「おはよう、お母さん」
「おはよう、奈々……もう、お父さんは出ちゃったし光一はすませちゃったからアンタが最後よ。光一と一緒に登校したいなら、ちゃっちゃっとすませちゃいなさい」
「はーい」
 と、手を合わせてからまずはみそ汁を。
「ごふっ」
 すすった瞬間に、せき込む奈々。
「ごふっごふっ…こ、これ?」
 なおもせき込みながら、奈々が母を見る。
「お、お母さん?」
 別に味がおかしいわけではなく、見た目はみそ汁っぽいのだが、実はポタージュスープ。
「この前の仕返し」
 などと、平然と母。
「ご、ご飯と、スープ…に焼き魚とお漬け物?」
「イヤなら食べなくても…」
「わわっ、食べる、食べるよぅ…」
 
「ひどいと思わない、おにいちゃん?」
 学校に向かいながら、奈々が怒りをぶちまける。
「そっか……あの鍋はスープか。なんの匂いかな、とは思ったんだけど」
「え、お兄ちゃんのご飯は普通だったの?」
「まあ、普通にみそ汁だった……具はなめこで」
 入学式からほぼ一週間……周期的に天気が移り変わる季節だが、雨の日は1日もない。
「この前の仕返し…とかいって、せっかくお母さんのために頑張ったのに」
 怒りが収まらないのか、奈々の歩幅がいつもより大きい。
「奈々」
「だって、大人げないよお母さんってば」
「そうじゃなくて……弁当は、確認したか?」
 ピタリ、と奈々の足が止まる。
「え、ま、まさか…」
 不安そうに見上げてくる奈々に向かって、光一は笑ってみせた。
「楽しみだな」
「そ、そうかな…?」
「考えようによっては、今朝はわざわざ奈々のために時間をかけて一品作ったわけだし」
「う、うん…」
 そう言われてみると、そうなのかな……という感じに、奈々がゆっくりと歩き出す。
「もう、葉桜か…」
 と、登校途中にある公園の桜の木を見て光一が呟いた。
「…ホントだ」
「子供の頃は入学式と桜の花って感じだったけど、最近は卒業式と桜の花……感じがするな」
「地球温暖化ってやつなのかな…?」
「かもな」
 住宅街を走る路地を抜けると、駅前の開けた場所へと出る……そこからさらに先へと進み、輝日南高校へと向かうわけだが、この駅が学校の最寄り駅となるため、駅から先は輝日南の制服姿が増えてくる。
 スーッと、黒塗りのリムジンが光一達を追い抜いていく。
「わ、高そうな車…」
「リムジンだよ……ほら、他の車に比べてエンジンの音がすごく静かだろ」
「…うん、ホントだ」
 光一の言うように、リムジンのそれに比べると、別の車のエンジン音はまるで通行人を威嚇するように聞こえた。
 と、この話題はここで終わったと思ったのだが。
「あれ、お兄ちゃん…さっきの、りむじん…が、校門の前に止まってるよ」
「本当だ」
 後部座席のドアが開き、輝日南の制服に身を包んだ女子生徒が軽やかに降り立つ。
「ウチの制服…新入生かな?」
「ええっ、奈々の同級生なの?」
 光一の背後でため息が1つ。
「相原、キミは本当に輝日南の生徒なのかい?」
「あ、柊さん。おはようございます。もう、身体は大丈夫なんですか?」
「心配してくれてありがとう、妹さん。お陰様でなんとか」
 先週の……恵とともに光一が見舞いに訪れたあの日、光一が帰ってからではあるが……ちょっとしたやりとり(笑)がもとで、柊はその次の日の金曜日も学校を休み、土曜日曜の週末をはさんで、今日の月曜日は5日ぶりの登校となる。
「おはよう、柊……で、どういう意味だ?」
「彼女はキミやボクと同級生だよ……あのリムジンは朝の名物というか、見たことなかったのかい?」
 柊に言われて光一はちょっと考え込み。
「校門に止まってるのを見たことはない、と思う」
「それは珍しい……というより」
「柊さん。見たけど覚えてない…に100円」
「それは賭にならないよ、妹さん」
 と、奈々と柊が互いに苦笑を浮かべた。
「でも、一度でいいからあんな車に乗ってみたいかも…」
 などと、奈々が呟いたモノだから。
「そうなのか、じゃあ、ちょっと頼んでみようか…」
「ちょっ、ちょっと待っておにいちゃん…」
 放っておくと本当にやりかねないと思ったのか、奈々が慌てて光一の腕にしがみつく。
「いや、頼んだら乗せてもらえるかもしれないし」
 と、振り向いた光一はあくまでも真顔で。
「お、おにいちゃん…」
「相原……キミは時々とんでもないことを言い出すね」
 と、今度ばかりは本当に呆れた……という感じに柊がため息をついた。
「彼女は、祇条家のお嬢様だよ」
「し、祇条家って、あの、お池のほとりの?」
 奈々がびっくりしたように目を開いて柊に問い返す。
「そう…その祇条家さ」
「そ、そんなお嬢様が、な、なんで輝日南なんかに…?」
「近いからじゃないのか?」
 柊と奈々は顔を見合わせて……同時にため息をついた。
 
「佐野さん、おはようございます…」
「あ、お、おはよう…ございます」
 祇条深月(しじょう・みつき)……2年B組所属。
 色々と見聞を広めておくのがいいだろう……と、全国各地から有数のお嬢様が集う幼稚園から大学までの一貫教育の中学校を卒業後、地元の輝日南高校に通うことになった深月であったが……。
「今日も、穏やかで良い日和ですね…」
「そ、そうですね…と、ごめんなさい、私ちょっと用事を思い出して…」
「そうでしたか。おひきとめして、申し訳ありませんでした」
「あ、そ、そんなことないよ…また後で」
 当然のように、思いっきり周囲から浮いていた。
「ちょっと佐野…あからさまに避けすぎだってば」
「そ、そんなこと言ったって…」
 溢れるオーラ、言葉や動作に滲み出る気品……そんなモノに接してしまうと、一般人としては何やら宇宙人というか未知の生命体に出会ったかのように、妙に厳かな気持ちに包まれて、自分を見失い、居心地が悪いことこの上なく。
 そして、生徒はもちろん教職員の間でもごく限られた人間しか知らないことだが……用務員1名と教員2名、そして食堂職員1名に、警備員……が、怪しまれないように深月が入学する一年前から輝日南高校で働き始め、深月が入学してからは、それとなく周囲に目を光らせていたりする。
『普段接することのない人と出会い、色々な経験をして見聞を広めなさい。私達の知る常識から離れたことも経験するだろうが、それらを反射的に否定したりすることのないように……』
 などと、一般人からすればむかつく言いぐさの父の言葉に背中を押され……深月もまたある種の期待を胸の高校生活を始めたのだが。
 確かに最初は色々と物珍しい経験ができたのだが……最近は、どうも自分とクラスメイトとの間に越えられない溝のようなモノを感じて、孤独とまではいかないものの、なんともいえない寂寥感を覚えることが多かった。
 そして、2年B組には深月と同じく浮いた存在がもう一人いた。
 ある意味では深月以上の有名人なのだが、彼女の場合は深月と違って、クラスメイトにあからさまに避けられて……というか、深月に対してはどう接していいのか戸惑っているだけに対して、彼女の場合は、嫌われていると言っても差し支えない。
「おはようございます、二見さん」
「……おはよう」
 深月を冷たい目で一瞥し、すっと少女……二見瑛理子(ふたみ・えりこ)が本を片手に立ち上がる。
「あの、二見さん…どちらへ?もうすぐHRが…」
「保健室。気分が悪いの」
「そ、そうですか…よろしければついて…」
「自分が一人でいたくないからと言って、他人も同じと考えるのは滑稽ね」
「…ぁ」
 自分の身勝手な気持ちを見透かされたという恥ずかしさと共に、瑛理子から発する拒絶のオーラを感じ取り、深月はただ見送るしかできない。
「……何様のつもりだよ、あのオンナ」
「ただのサボリでしょ?ちょっと頭がいいからって…」
「親切で言ってるのに…」
 教室のあちこちからそんな声が聞こえてきて、深月はいたたまれないような気持ちになる。
 クラスの人間と同じような、瑛理子に対する反感を覚えたりはしなかった……親切に見せかけて、自分の寂しさを解消しようとした……そんな自分の中の醜さを突きつけられて、深月はただ恥じ入るだけである。
 二見さんを悪く言わないでください……
 深月がそう口にするより前に、チャイムの音が鳴った。
 
「おにいちゃん、一緒にご飯食べよっ」
「せんぱーい」
 と、上級生の教室に顔を出すことにもすっかり慣れてしまったのか、なるみと奈々のふたりがやってくる。
「……相原の妹が2人になった」
 などと囁かれたりするものの、柊の脅しが効いた……というより、鬼より怖い風紀委員の栗生恵によって『今度教室で妙な騒ぎを起こしたら…』などと、はっきりと脅迫されたのが効いて、割合に教室内は静かなままだ。
 変わってる……と認識はされても、光一が嫌われているという事は全くない。むしろ、クラスの人間が光一に向ける視線は好意的。
「奈々ちゃん、学校にちょっとは慣れた?」
「ま、まだドキドキします」
 などと、奈々に至ってはクラスの女子からマスコットのような扱いをされたり。(笑)
 なるみに関しては……どう扱っていいのか、と態度を保留されている感じだったりするのだが。
 そして3人は教室を後にして……今日も噴水の縁に腰掛けた。 
「せんぱい、私、家庭部に入ることに決めたんです」
「へえ、家庭部……って、どういうことするの?」
「色々あるみたいです、編み物したり、料理したり…ノルマがあるとかじゃなくて、料理が好きな人はあつまって料理をする、編み物なら編み物…そんな感じです」
「そうなんだ……料理、か」
 光一がちらり、と奈々を見た。
「今日もいい天気だね、おにいちゃん……前に雨が降ったのって、いつだったっけ?」
「……いつだったかな?」
「4月の4日のお昼過ぎですっ。その日の朝、おじいちゃんが『今日は水は少な目…』…って言ってたからよく覚えてます」
 と、なるみ。
「へえ…」
「ねえ、なるちゃん……水が少な目って?」
 会話の主導権を得るためか、それとも単に気になったのか、奈々がなるみの制服の袖をひきながら尋ねた。
 最初は光一と同じく奈々も『なるみちゃん』と呼んでいたのだが、ややこしいとでも思ったのか、いつの間にか奈々の呼び方が『なるちゃん』に変わっていたり。
「あ、えーと…」
 なるみはちょっと照れたように俯き……意を決したように大きく頷いてから顔を上げた。
「うどんです」
「うどん?」
「はいっ。せんぱいは知ってますよね?駅前に『里なか』ってうどんの店があること」
「知ってるよ、あそこのは美味し……あ」
 光一は小さく口を開き。
「あ、ああ、なるみちゃん、あそこの」
「はいっ、おじいちゃんのお店です」
「なるほど…それで、か」
 と光一がぽつりと呟いた言葉をどうとらえたのか。
「そ、それだけじゃないですっ。確かに美味しいって誉められたのは嬉しかったですけど、それだけじゃないんですっ。昔から、おにいさんっていう存在に憧れてたりもしましたし…」
 顔を真っ赤にしたなるみのそれと、どうもかみ合わない……と、光一が言葉を付け足した。
「いや、お弁当が焼きうどんだったり、それを邪道とか言ってたから…」
「……え?」
 2秒ほど時間が止まった。
「わ、私、うどん大好きなんですっ」
「うん、そうみたいだね」
 と、目的地から外れて会話は着陸を果たし……2人に挟まれた場所で、奈々が面白くなさそうな表情を浮かべながら母の作ってくれた弁当を口にする。
「ところで、奈々」
「な、なあに、おにいちゃん?」
 きらりん、と奈々の目が生き返る。
「いや、なんかまずそうに食べてたから……交換してやろうか?」
「わあっ、おかずのとりかえっこですか。私も混ぜてください」
 奈々と光一の視線が、なるみの弁当箱に。
 まず、弁当箱の半分に焼きうどん……なのはすぐ理解できたのだが。
「なるちゃん…これって、何?」
「うどんのキリをゆでたものと、もやしの和え物だよ」
「キリ?」
「あ、キリっていうのは…形を整えるためにうどん生地から落とす最初の部分のことです……イメージ的にはパンの耳ですね」
「へえ…あ、結構いける」
「で、こっちはうどんの生地で野菜を包み、それを油で……」
「これ、美味しいよなるちゃん」
「で、これはうどんを細かく刻んで…」
「え…これ、ポン酢だけ?」
「えへへ……本当に美味しいうどんは、そのままで美味しいんです。おじーちゃんの受け売りですけど」
『だから、こういうのはホントは邪道なんですけど』などと苦笑いを浮かべたなるみによって、うどん料理というか、麺料理の奥深い一端を光一と奈々は知るのであった。
「ごちそーさま」
「ごちそうさま」
 おかずのとりかえっこ……というよりは、なるみのうどん料理ショーの様相だったが、3人は仲良く手を合わせて頭を下げた。
「……で、察するに、なるみちゃんがお弁当を作ってるわけだ」
 なるみとの会話からそれ以上のことを察していた光一だったが、さすがにそれは口にはしなかった。
「はいっ、そうですっ。おじーちゃんのお店を手伝ったりもしてますから」
「え、なるちゃんが自分でっ…」
 どうやら、奈々にとって自分で弁当を作っているというなるみの発言がかなりの衝撃を与えたらしく。
「奈々も家庭部に入るか?」
「え、奈々ちゃんも一緒に入ってくれるの」
 と、嬉しそうになるみが目をキラキラさせた。
「あ、え、わ、私は……おにいちゃんに教えてもらう」
「あ、やっぱりせんぱいも料理得意なんですね」
「得意ってわけじゃ……やっぱり?」
「いえ、話をしてるだけでもわかります。料理やってる人と、そうじゃない人だと反応が違いますし」
「う…」
 と、奈々が自分の胸を押さえてうなだれる。
「ま、人それぞれだからな、奈々」
 ぽん、と奈々の頭に手をおいて。
「興味があるなら、出来る範囲で教えてやるから……すぐにはうまくはならないだろうけど」
「うん…」
 そんな2人を、なるみはちょっとうらやましそうに見つめるのであった。
「あ」
 不意に、2人を置いて光一が花壇の方に向かって走り出した。
 花壇に水をまいていたホースの先のシャワーコックを絞りすぎたのか、蛇口からホースが抜け飛んだのを見つけたのだ。
「こっちは任せてください」
 と用務員に一声かけて、光一は一旦蛇口を閉じ……ホースを差し込んでから、足下のクリップで固定しなおした。
「いいですかー?」
 用務員が頷いたのを確認してから蛇口を開ける。
 その流れを受けて、光一と奈々、なるみの3人は、用務員の側に近寄っていった。
「ありがとう、助かったよ」
 初老の用務員は、見た目に反した若々しい言葉遣いで光一に礼を述べた。
「いえ、手が空いてましたし……いつもお疲れさまです」
 と、丁寧に言葉を返してきた光一に、用務員は微笑んでみせた。
 春の花壇は、色とりどりの花でいっぱいで……水に濡れると、それがよりいっそう鮮やかさを増したように思える。
「…お花がいっぱいだね」
「ホントだね、なるちゃん」
 なるみと奈々が花壇の側にしゃがみ込む。
 なんと言ってもまだ高校に入ってから1週間の2人、学校の隅々にまで目を向けるだけの余裕がなかったのだろう。
 花壇の数はともかく、花の種類やその鮮やかさは、光一や奈々が通った中学のそれとは比べモノにならず……それだけに、きっと自分が想像している以上の手間暇がかかっているのだろうと光一は思った。
「昼間は水をやったらダメだ…とか聞きますけど?」
「そりゃあ、夏の話だよ。このぐらいの日差しなら、まだまだ……最近、雨がないしね。花の種類にもよるけど、朝、昼、夕方に少しずつまくんだ。1日1回なら、昼間は避けた方がいいんだが」
「なるほど…勝手に水やったりしたら、反対にまずい事もあるんですね」
 と、光一が頷く。
「あの、用務員さん。手伝ってもいいですか」
 なるみと奈々が好奇心いっぱいに。
「そりゃあ、構わないが…」
 と、用務員は校舎の時計に目をやって。
「もうすぐ、昼休みが終わるんじゃないかい?」
 
 さて、恵や柊が懸念したとおり……のレベルまでには至ってはいないが。
「ねえ、相原さん……噴水のところで一緒にお昼食べてる人って…」
「うん、おにいちゃんだよ」
 にこーと微笑みながら奈々。
「奈々ちゃん、私も…」
「あ、ごめん…なるちゃんも」
「そ、そう…お兄さんと仲いいんだね」
「うんっ」
「奈々ちゃん、私は〜?」
「え、なるちゃんは…どうかなあ?おにいちゃんに聞いてみないと…」
「違うよ〜」
 なるみがぶんぶんと首を振った。
「奈々ちゃんと、私が、仲良し」
 未だ微妙にひっかかるものを覚えているモノの、裏表がなく、明るく無邪気で……ついでにいうとちょっと子供っぽいなるみは、光一のことを抜きにすれば奈々と気が合うのは確かで。
「うん、仲良し」
「そうだよ、ねー」
「ねー」
 まあ、二人してそんなことをしてるモノだから。
「……相原さんってさ」
「先輩から聞いたけど……」
 クラスの生徒はひそひそと顔を寄せ合い。
「まあ、明るくていい子だよね、基本」
「でも…相原さんのおにいさんがシスコンというより…」
「相原さんが……ブラコン?」
 などと、新入生の間では評価の逆転現象が起こり始めていた。(笑)
 このことで、奈々もまた光一と同じように、本人の知らないところで有名になっていく……のだが、これは後2週間ほどの時間を待たねばならない。
 
「奈々ちゃん、お昼休みの続きじゃないんだけど」
「え?」
「奈々ちゃんは、部活動に興味ないの?」
 放課後、帰り支度を始めた奈々に向かって、なるみが投げかけた質問。
「部活動?」
「中学とか、何かやってた?」
「ううん、何も」
 奈々が首を振る。
「そっか…」
 と、なるみはちょっと考えるような素振りを見せ。
「奈々ちゃん、これから2人で色んなクラブとか見学してまわろっか?」
「え、でも、なるちゃんはこれから家庭部に入るんでしょ?」
「一日や二日遅れたってなんでもないよ」
 そう答えるなるみの表情には、ただただ奈々に対する親切心だけが見えて。
 それを悟った奈々は、素直に頷いていた。
「ありがと、なるちゃん。じゃあ、あまり遅くならない程度にみてまわろっ」
「よかった。私も、家庭部以外は何も知らなかったから、楽しみ」
 
「……なるほど、話は分かった」
 光一が頷く。
 もちろん、場所は2年A組の教室。
 クラブを見て回ろう……と決めるやいなや、奈々となるみの2人はダッシュでこっちに向かい、ちょうど教室を出ていこうとしていた光一を引き留めたのである。
「でも、俺もクラブ活動はしてないし…案内できるほど詳しくないぞ」
 なんとなく教室内に見渡す……が、光一にとっての知恵袋である柊の姿はすでにない。
「え、せんぱいもですか」
「まあ、ウチの両親共働きで忙しいし……そういや、なるみちゃん。おじいさんのお店を手伝ってるとか言ってたけど」
「はい。でも、おじーちゃんに言われたんです。高校に入ったら、店の手伝いは程々にして何かやれって。ずっと、お店の手伝いばっかりやってたら、人としての視野が狭くなって良くないからって」
「ふうん、立派なおじいさんだね」
「はいっ」
「視野が狭くなる……か」
「はい?」
「ううん、こっちの話……さて、学校のことに詳しいのは…」
 
「ありがとう、栗生」
「まあ、大した用事もないし…で、この子は?」
「はじめまして。私、里仲なるみです」
「私は、栗生恵。よろしく」
 きちんと頭を下げ、はきはきと喋るなるみに、恵は好感を抱いたようだった。
「それで……里仲さんは、一応家庭部に入部するつもりなのね」
「はい。でも、家庭部のことしか知らないので、今日は色々見て回りたいと思ったんです」
「なるほど…でもまあ、一応奈々ちゃんが主役かしら?奈々ちゃん、何か希望はある?」
「希望も何も、どういうクラブがあるのかも…」
 恵はちょっと首を傾げた。
「入学式の後、クラブ紹介があったはずだけど…?」
「そんなの、あった?」
 と、奈々がなるみを見る。
「あったよう、奈々ちゃん」
「えぇ?」
「まあ……こういうとこは兄妹よね」
 ため息混じりに恵が呟く……が、首を振って気を取り直して。
「さて、奈々ちゃんは運動神経もいいし、とりあえず体育会系クラブから行くわよ」
「おーっ」
「……」
「奈々ちゃん、ほら、おーっ」
「お、おーっ」
 なるみに促されて、拳を突き上げる奈々。
「……相原」
「なに?」
「……里仲さんって、妙に体育会系のノリなんだけど?」
「小さい頃からお店の手伝いしてたらしいし、そのあたりが影響してるんじゃないかな。身体の動きなんかもきびきびしてるし」
「そういうものかしら…」
 
 ダダン、バシッ…
「ここが柔道場……はっきり言ってレベルは低いわ」
「……」「……」
「栗生、2人とも興味はなさそうだが…」
「じゃあ…」
「多分、剣道も同じだと思うぞ」
 奈々となるみがこくこくと頷く。
「そう……じゃあ」
 水泳部、と言いかけて恵は光一を見た。
「グラウンドに」
「おーっ」「おーっ」
 今度は2人仲良く、息がそろった。
「全校生徒が少ないせいね、体育会系クラブの数はあんまり多くないのよ…」
 グラウンドは各クラブの様々なかけ声が飛びかっていた。
「野球部、サッカー部、テニス部、陸上部…(中略)…個人競技は抜きで、一番レベルが高いのはサッカー部かしら。後は、まあ…」
 強いクラブが発言力を持つ……のか、グラウンドを大きく使って練習しているのはサッカー部で、一番目立っていた。
「あ、奈々ちゃん、あの人見て」
「え、え、どこ?」
「ほら、サッカー……今、ボール持ってる人」
 奈々だけでなく、光一もまたなるみの声に誘われてそちらに視線を向けた。
「あれ、あの人……女の人じゃ」
「だよね…すごい。うまいよ、あの人」
 と、奈々となるみはあっという間に観戦モードに。
「……うまい、けど」
 光一がちらりと恵を見る……と、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべていて。
「……栗生?」
「多分、無意識なんでしょうけど……相手をしてる男子は、心のどこかでギリギリのプレイをセーブしてるのね」
「……女の子だから?」
「そう、女だから……本気でやっても、彼女の方がちょっと上…のようなオーラが見えるんだけどね」
 女だから手加減してやった……光一自身もそれを聞いたことがあるし、柊からも聞いたことがある。
 恵が、これまでに数え切れないほど受けてきた仕打ち……女に負けたときのために、手を抜いた、本気で出来ない……などの言い訳を完全に沈黙させるため、恵は言葉に出来ない苦労をしてきた。
 それゆえに、ああいう光景は心穏やかではないのだろう。
「……というか、彼女のこと知らないのね、相原…」
「有名なのか?」
「同級生よ」
「へえ」
「まったく…」
 呆れたように呟き……恵はちょっと笑った。
 
「……正直、文化系クラブはあまり把握できてないのよ」
 天文部、園芸部、文芸部……などをざっと見て回ったところで、恵が困ったように言った。
「同好会レベルになると活動場所も曖昧だし……体育会系と違って毎日活動って部活の方が珍しいみたいだから。まあ、教室使用許可をもらわずに……のクラブは、風紀委員が取り締まるんだけど」
「そういや、ブラスバンドとか、合唱部とかはないのか?」
「え…?」
 恵と奈々が微妙な表情を浮かべて光一を見た。
「いや、歌わないよ」
「そ、そうよね…」
「…?」
 どういうこと?と首を傾げるなるみに向かって、光一が苦笑しながら説明した。
「あのね、俺音痴なんだ、なるみちゃん」
「そ、そーなんですかっ?」
 びっくりしたように目を大きく見開くなるみ。
「リズム感はむしろ人よりすぐれてるのに…」
「いざ歌うとなると、音程がばらばらなの…」
 と、恵と奈々。
「なんか、せんぱいって、何でも出来るイメージがあったから、意外です」
「まあ、自分が出来ないだけに、歌のうまい人とか、演奏がうまい人なんかはちょっと尊敬しちゃうんだよな…」
「あーうー、私も音楽はちょっと…」
 残念そうになるみ。
「まあ、私も人のことは言えないけど…」
 と、巧くもなく、下手でもなく…の恵。
「奈々は巧いんだよな……兄妹なのに」
「えへへ」
 光一に誉められて照れる奈々。
「さて…今日はこんなところかしら?駆け足だったけど、興味のあるクラブは、明日以降にでもじっくりと見学すれば…」
「はいっ」「はーい」
 間延びした返事が奈々の方。
「今日はありがとな、栗生」
「学校の見回りみたいなものだし」
「栗生先輩は、何もクラブに入ってないんですか?」
「入ってないけど、風紀委員をやってるわ……遅刻とか、目に余る校則違反には容赦しないわよ、気をつけてね」
「はい」
 素直になるみが頷いた。
「しかし…」
 光一がちょっと距離をおくようにして、恵、奈々、なるみの3人を見た。
「何よ…?」
「いや、それほど差はないけど、栗生、なるみちゃん、奈々の順番かな?」
「え…」
 恵がちょっと身構えるような仕草を見せた。
「えーっ、私の方がなるちゃんより絶対高いよーっ」
「そ、そうかなあ…?」
 なるみが自分の頭に手を乗せ、奈々のそれと比べ始める……にいたり、恵はどうやらそれが身長の話であることに気づいたようだった。
「まあ、なるみちゃんが大きいと言ってもほんのちょっとだよ……それに、奈々は早生まれだし、これからまだ伸びる……かも」
「奈々ちゃん、早生まれなんだ…誕生日はいつ?」
「3月の1日。なるちゃんは?」
「えへへ、4月8日……入学式の前の日だったの」
「そ、そうなんだ……じゃあ、私とほとんど1年も違うんだね」
 などと、奈々となるみがお互いの話に頷き合っている隙をついて、恵がちょっと光一の制服の袖を引いて言った。
「ごめん、相原…」
「え、何が?」
「なんでもない。とにかく、ごめんなさい」
「…?」
 
「……ちょっと遅くなっちゃったな」
 暮れていく空を眺めながら……駅でなるみと恵と別れて、奈々と光一の2人きり。
「今日はお母さんも遅いし……でも、お洗濯物は」
「うーん、ちょっと湿っちゃったかもな」
 駅から家までは普通に歩いて15分から20分……奈々がゆっくり歩くものだから、光一も自然とその歩みに合わせることになる。
「奈々、晩ご飯は何がいい?」
「……」
「奈々?」
「おにいちゃんは…私が、何かクラブに入った方がいいと思う?」
「いや、べつに……奈々が何か興味があって、それをやりたいなら入った方がよいと思うけど、興味もないのに無理にやってもな」
「うん…」
 奈々はちょっと俯き……光一の腕を叩いた。
「おにいちゃん、おにいちゃん、見て」
「ん?」
「私の方がおにいちゃんより背が高いよ」
 沈みかけた夕日に照らされて伸びる2人の影が、道路から塀まで伸びて……なるほど、そこだけを見れば奈々の影の方が光一のそれより高かった。
「ほんとだ……でも」
 と、光一が内側に場所を移動しようとするのを、奈々が押しとどめる。
「ダメ、おにいちゃんは、そこ」
 光一の腕を掴んだまま、奈々は頭を動かして影の頭の位置を変化させ……。
「えへへ、仲良し」
「奈々の方が、低くなったぞ…」
「ん、このぐらいがいいの」
 と、奈々は光一の腕をとって歩き出す。
 20歩ほど進んで、チラリと塀の方に視線を向けると……2人の影は、恋人同士のように寄り添っていて。
「……」
 奈々は、ほんの少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
 
 
                 完
 
 
 出てこないな、新キャラ。(笑)
 とりあえず、名前だけ……。
 それはそうと、ゲームをやる限りでは、輝日南高校って1学年3クラス(A〜C)ですね。1学年120名、3学年で400名に届かず……だと、高校の規模としてはやはり小さいですね。
 この話では、1学年4クラス……で、ちょっと膨らませましたが。

前のページに戻る