「菜々ーっ、朝だぞ」
 コンコココン、コンコココン。
 部屋のドアをリズミカルに叩いてやると、『うー、にゅにゅ…うん』などと意味不明の呻きが聞こえてきた。
 受験勉強の流れと言って良いモノか、ライフスタイルがぐっと夜型にシフトして寝起きが悪くなった菜々である。
「菜々ー」
「うー、起きたよ…おにいちゃん…」
 ここで安心してはいけない。(笑)
「今日は何日だ?」
「目玉焼き…半熟で…」
 などと微笑ましい攻防が5分ほど続き、目をこすりながら菜々がドアを開けるに至って、相原家の戦いは終戦に向かった。
 
「……あ、お母さん夜勤だったんだ」
 台所の母の勤務シフト表に目をやりながら菜々が呟く。
「お父さんは?」
「もうとっくに出たよ、朝から会議とか言って」
「ふーん」
 もふもふと光一の作った朝食を食べながら、菜々はテレビに視線を向ける。
「菜々、もうちょっと早く寝ろよ」
「……1時ぐらいには眠れるようになったから、後1ヶ月もあれば大丈夫」
「後1ヶ月も続くのか…」
 光一がため息をつく。
 受験勉強をはじめるまでの菜々は、夜の11時にはぐっすり睡眠……の花丸生活スタイルだっただけに、ひょっとするとまだ身体の芯に疲労が残っているのかも知れないと思い直して、光一は包丁を手にとった。
「あれ、おにいちゃん朝ご飯まだなの?」
「いや、これは母さんのご飯」
 夜勤明けの場合、母親の帰宅は大体9時過ぎになる。もちろん、そのころには菜々も光一も学校で家の中には誰もいない。
「……お兄ちゃん倒れたら、この家ってまずいよね」
「菜々、お前母さんなめてるだろ」
 看護士としての激務に加え、主婦としてこなす家事の数々……はっきりいって、自分が子供の頃の母の仕事と同じだけのことをこなす自信が光一には全くない。
 大体、今朝光一が食事を作っているのも夜勤で家にいないからというだけで、家にいるときは『休め』と言われてもてきぱきと家事をこなしてしまう。
 やることなすこと無駄がなく……『看護士やってると、イヤでも手際は良くなるわよ…一部の例外は除いてだけど』……と、母は言うが。
「そうだ、もうお弁当とか作っちゃった、おにいちゃん?」
「ああ……というか、今の時点で作ってなかったら間に合わないよ」
「じゃあ…明日はお弁当いらない。学食で食べてみたいから」
「……なるほど」
 光一はちょっと頷き。
「結構混んで……まあ、この時期は雨でも降らなきゃそうでもないか」
「おいしいの?」
「……」
 光一は二秒ほど視線を彷徨わせた。
 食堂で弁当を食べた回数ならまだしも、メニューそのものは柊に付き合って何回か食べたことがある……ぐらいの経験しかない光一だけに、そういう判断を下して良いのかどうか悩むところ。
「安いよ」
「答えになってないよ、おにいちゃん」
「まあ、普通…というか、まずくもなく、うまくもなく……」
「……給食みたいな感じ?」
「……メニューは選べるけど、イメージとしてはそれに近いかも」
 菜々は少し首を傾げて。
「でも、輝日南の学食は美味しいってみんな言ってたよ…?」
「ああ、それは俺も聞いたし…カフェテラスがあるぐらいだから力も入れてるんだろうけど」
 光一は一旦口を閉じ、ぽつりと呟いた。
「そもそも、どこと比べて美味しいんだ?他の学校の学食なんて食べる機会もないだろうし…」
「……うーん?」
 などと、兄妹そろって素朴な疑問に首を傾げたり。
 
「行ってきまーす」
「いや、誰もいないから」
「人はいなくても、家の中には神様がいるって、田舎のおばあちゃんが言ってたの」
 などと、春の柔らかな日差しを浴びながら、光一と菜々の兄妹がいく。
「あはは、おにいちゃんと一緒は久しぶり〜♪」
 一昨日は入学式で菜々が光一より遅く、昨日は光一が日直で菜々より早く家を出て……兄妹そろって、同じ学校に向かう登校は確かに1年以上ぶり。
「玄関出るまでは……ならそうでもなかったけどな」
「高校と中学、方向逆だもんね…」
 しばらく歩き、初めて気がついたのか菜々が声を上げた。
「そっか。中学とは方向が逆だから、行きが下り坂になんだね」
「……帰り道が上り坂って、微妙に苦しいけどな」
 校名が示すとおり、光一達2人が通う輝日南(きびな)高校は輝日(きび)市中央部の南に位置する。
 輝日市の中央部を北から南へと流れる輝日川によって形成された平野は、北から南に向かって緩やかに傾斜しており、この地域最大の面積を有している。
 平野部の広さに加えて水運も良く、輝日市はまさに輝日川によって古くから発達した町であった。
 それゆえに光一達の両親が子供だった頃などは割と古い町並みが目立っていたのだが、時代の流れの中で輝日市は地方都市の中核となることを義務づけられ、再開発と膨張のさなかにある。
 老人の間ではそれを嘆く声もあるが……過疎地に比べればある意味マシだろう、と作者は思う。
「あ、そうだ」
 菜々が、すっと光一から距離を撮り、制服のスカートをふわりと翻らせてその場で回転した。
「聞くの忘れてたけど……」
 ポーズをとり、光一を見つめながら。
「制服、似合ってる?」
「そういうセンスに関して自信はないけど、似合ってると思うぞ」
 菜々は喜んで良いのか、怒っていいのか微妙な表情を浮かべ、光一の胸を軽く突き飛ばした。
「もー、こういうときは、『似合ってる、可愛いよ』だけでいいのっ!」
「でも、そういうのはセンスのいいやつの意見を聞かないとな。俺の意見を参考にして恥をかくかも…」
「もう、おにいちゃんのばかっ」
 と、再び光一を突き飛ばし、菜々が駆けてゆく。
 料理に関しては……だが、光一と同じく菜々もかなり運動神経はよい。周囲にあまりそうは思わせないのは確かだが。
「……?」
 事情が飲み込めずに頭をかく光一の周囲で、輝日南の生徒が数人、声を潜めてぼそぼそと喋っていたりしたのだが。(笑)
 
「柊は体調不良で欠席だそうだ…」
 朝のHRで担任がそう告げたとき、光一は無意識に『むう…』と呟いていた。
 昨日はてっきり、恵の呼び出しを恐れて早退…というか、単に逃げ出しただけと思いこんでいたからだ。
 光一と柊は中学からの知り合いだが、柊と恵は小学校からのつきあいで、恵の家の空手道場に通っていた事もある(練習がきつくて2ヶ月で逃げ出した)のだ。
 恵がどういう行動をとるか……に関しては、光一などより柊の方がよほど理解しているだろうし、恵もまた柊が逃げたと思いこんでいるのに違いない。
「……教えておいた方がいいよな」
 呼び出しの理由プラスすっぽかし…から、すっぽかしという要素が消えるだけで、恵の怒りはだいぶん変わってくるだろう。
 それが既に手遅れであることも知らず、光一は携帯をとりだし……そのまま閉じた。
「……メールはまずいな」
 ほぼ有名無実の規則と化しているが、一応学校内でのメールのやりとり等は禁止されているからだ。
 そんな些細なことで恵を怒らせたくはないし、怒られたくもない。
 それと、やはり昨日の事について一言謝っておくべきだろう。
「……D組か」
 
「あれ、相原じゃん」
 去年同じクラスだった男子が、光一を見て声をかけてきた。
「あ、小金井…D組だったのか」
 1学年にAからDまでの4クラスで、1クラス40名……プラスアルファで、全校生徒は約500名の輝日南高校。
 進学校としては、規模は小さめである。 
「相原君だ、おはよー」
「おはよう、桐原さん」
 と、去年のクラスメイトだった女子に挨拶を返す。
「昨日、妹さん見たよ。可愛いね」
「ありがとう。菜々が喜ぶよ」
「……」
 少女はちょっと妙な表情を浮かべ、光一には見えないように笑う。
 なんでもないような事だが、こんな風に気軽に声をかけてくるようになったのは例の件以降のことだったりする。
「…誰か探してるのか?」
「ああ、栗生にちょっと用事が…」
「え、相原って栗生と知り合いなのか?」
 と、男子生徒がちょっと微妙な表情を浮かべる。
「柊もだけど、栗生とは中学が同じなんだ」
 光一はちょっと苦笑し、恵のために弁護の言葉を付け加えた。
「栗生はまっすぐで優しいやつだぞ。そんな風に言わないでくれ」
「そ、そーなのか…?」
 少年が、やはり相原はちょっと変わってるな……とでも言いたそうに首を傾げた。
「……」
 そして、恵はドアの影でその会話を耳にして顔を赤らめていたり。
「(お、怒ってないのかしら…)」
 昨日の会話で光一に嫌われたのでは……などと、今朝の恵は寝不足気味である。
「(……『合わせる顔がない』ってことは、柊の言うように、高校に入ってから水澤先輩と何かあった……じゃないと、つじつまが合わないと思うんだけど…)」
 昨日の、柊との会話が頭をよぎる。
「(でも、水澤先輩の変貌ぶりと、相原の変化……は、やっぱり、あの時を基点にしてるとしか…)」
 うーん…と、首をひねる恵。
「栗生」
「ごめん、いまちょっと考えごとしてるから後で」
「そうか、じゃあ、また後で」
「……って、待って、ちょっと待って、相原」
 その場から立ち去ろうとしていた光一を慌てて呼び戻す恵。
「時間…大丈夫なのか?」
「まあ……すぐには答えのでない考え事だから」
 と、曖昧に微笑みながら。
「……で、何?」
「とりあえず、昨日はごめん」
「あ…」
「まあ、ちょっとあって……摩央ねーちゃんとは、顔をあわせづらいというか」
「……」
 ちょっと俯き、顔を上げた恵はいつもの表情で。
「しょうがないわね、喧嘩でもしたの?早く仲直りしなさいよ……また、みんなで…柊や菜々ちゃんも一緒で、遊びに行きましょ」
「うん……ありがとう」
 言葉と、それ以上の感謝の眼差しから、恵はちょっと視線を逸らした。
「別件があるんじゃないの?」
「うん…柊がね、休んでるんだ」
「え?」
「いや、てっきり栗生の呼び出しから逃げるために早退したと思ってたんだけど、本気で具合が悪かったんだな」
「そ、そうなの」
 つつーと、恵の背中を冷たいモノが走る。
 具合が悪いも何も……『体調が悪いなら、悪くしてやる』とばかりに、やってしまった本人としてはどう反応していいものやら。
「……見舞いに行こうと思うんだけど、栗生も一緒にどう?」
「え」
 張本人が見舞い……柊によけいなことを言われたら……恵の頭の中で、いくつかの考えがしのぎを削りあい。
「そうね、付き合うわ」
「わかった、じゃあ、放課後に迎えに来るから」
「…ぁ」
 『放課後に迎えに来るから』……という光一の何気ない一言に、胸をドキドキさせる恵であった。
 
「ぽかぽかしていい天気だね、おにいちゃん」
 噴水の縁に腰掛けて、空を見上げながら菜々。
「春だなあ…」
 教室の中だと何か落ち着かない……食堂も何か人の視線を感じる……と、流れ流れてこの場所に。
 まあ……教室の窓から見られていたりするのだが、それだけ距離があると気がつかないのか。(笑)
「えへへ…」
 弁当箱のふたを開けた菜々が、楽しくて仕方ないという感じに笑う。
「お母さんには悪いけど、私、お母さんのお弁当よりおにいちゃんのお弁当の方が好き」
「……確かに、母さんには悪いな」
「忙しいのはわかってるけど…お母さんのお弁当って、どこか言い訳を感じる時があって」
「…?」
「『時間がなかったの』って、レンジでチンのおかずだけ詰め込まれたりとか」
「それでも作ってくれる……というか、出がけに、500円玉渡されるだけってな話を聞くからなあ」
 光一はちょっと菜々をたしなめるような口調で言葉を続けた。
「菜々にはただの手抜き…に見えるかも知れないけど、母さんはさ、几帳面って言うか……何でも出来ちゃうが故に、投げ出せないタイプの人間なんだな」
「……」
「俺としては、まがりなりにも弁当を作る時間が確保できるのか……と、感心するしかないと言うか」
「……うん」
「正直、俺も最初は掃除とか洗濯とか、もっと簡単だと思ってたし…ありふれた言葉だけど、やってみないとわからないってのは真理だな」
「おにいちゃん」
「ん?」
「おべんと食べよ」
「……そうだな」
 ぽかぽか陽気、噴水の縁に腰掛けて仲良くお弁当。
「……どうみてもカップルだよな、あの兄妹」
「うむ」
 などと、教室で噂されているとも気づかずに。
「せんぱーい。菜々ちゃーん」
 すっきりと細く伸びた腕を振りながら、小走りに駆けてくる少女。
「おや」
「……」
「教室の窓から2人の姿が見えて、走ってきました」
 はあはあ、と呼吸を乱しつつも、にこにことこぼれんばかりの笑みを浮かべて。
「ご一緒してもいいですか?」
「いいよ」
「なるみちゃん、こっちにハンカチしいたから」
 と、菜々が自分の隣をパンパンと叩く。
「わあ、ありがとう菜々ちゃん」
 と、菜々に勧められた場所に座って屈託なく微笑むなるみ。
 ちなみに、左から光一、菜々、なるみ……の順番。
「おや、一人増えたぞ」
「ほう、どれどれ…」
 と、教室の生徒達に新たな話題を提供しつつ。
「いい陽気ですね、ぽかぽかしてて」
「そうだね」
「……それ、さっき私が言った」
 ぼそぼそと菜々。
「ここ、いい場所ですね……噴水のそばは、確かマイナスイオンがどうとかいいますし」
「ああ、レナード現象だったかな……マイナスイオンそのものが、本当に人間の心を落ち着かせるかどうかはちょっと疑問だけど…?」
「すごーい、相原先輩って物知りなんですねっ」
「え、別にそんなことは…」
「なるみちゃん、ご飯食べないとお昼休み終わっちゃうよ」
「あ、本当だ」
 と、話の腰を折られたことも気にせず……というか、折られたことに気づいているのかどうかも怪しいが、なるみがにこにこしながら弁当箱のふたを開いた。
「……」
「……」
「どーしたんですか、菜々ちゃん、せんぱい」
「いや、それ…」
「焼きうどんです」
 にこっと。
「うん……それだけ?」
 お弁当のおかずに焼きうどん……ではなく、弁当箱いっぱいに焼きうどん。
「……せんぱい達の家って、関西出身なんですか?」
「は、なんで?」
「ご飯とお好み焼き…とか、ご飯とうどん…とか」
 小首を傾げたまま、なるみが言葉を続ける。
「焼きうどんとご飯…は、どうでしょう?」
「……炭水化物が過剰な気がする」
「……ですよね。いくらうどんが美味しくても、やっぱり栄養バランスは大事ですから」
「うん、野菜とかいっぱい入ってるし、それはそれで悪くないかも……そうだな、別に色々おかずが入ってなきゃいけないと決まったわけでもないし」
「まあ、焼きうどんは、ちょっと邪道かなという気もするんですけど…」
「…邪道?」
「なるみちゃん。私達、5限目は移動教室だったから、早く食べないと」
「あ、そういえば…ありがとう、菜々ちゃん。私、すっかり忘れてた」
 にこっと笑い、なるみが焼きうどんを食べ始める……前歯に青のりをつけて。
「そうだ、菜々」
「なあに、おにいちゃん」
 おいおい、急がなきゃいけなかったんじゃないのか……などとツッコミを入れる人材は生憎と不足しており。
「今日、柊の家に見舞いに行って来るからちょっと遅くなる」
「え、柊さん病気?」
「どうだろ……まあ、そんなに遅くはならないけど、洗濯物取り込んでおいてくれ。母さんが起きて終わらせてるかも知れないけど」
「うん、わかった」
 光一、菜々、なるみ……の3人の姿をみつめ、ため息をつく少女が1人……いや、2人。1人は結美で、もう1人は……。
 
「こんにちは、柊のお見舞いにきました」
「あら、光一君……に、恵ちゃん。今日…」
 光一の後ろで、唇に人差し指をあてて視線で訴える恵のそれに気づいたのか、柊の母はにこりと微笑んで『今日もきてくれたの』という言葉を呑みこんだ。
「おじゃまします」
 光一には気づかれぬように恵の肩をぽんと叩き、片目をつぶってみせたりもする。
「あ、あはは…」
 何でこの人にはこんなにバレバレなんだろう……という疑問に関しては、もう2年近く前から考えることを恵はやめた。
 なんといっても、柊の母親だから……で、いいような気もしたから。
「柊、具合はどうだ?」
「ああ、きてくれたのか、相原…」
 『よけいなこと喋ったら、わかってるわよね?』
 光一の後ろで威嚇する恵にため息をつきながら。
「栗生も…わざわざありがとう」
「友達でしょ。別に、礼には及ばないわ」
「…そりゃそうだろう」
 ぼそっと柊。
「というか、風邪か?」
「いや、風邪というか、関節炎というか…肘、膝、足首、肩の炎症で」
「柊、無理に起きてなくてもいいわよ」
 言葉は優しく……目で『明日も休む?』と威嚇しながら。
「いやいや、わざわざ友人がお見舞いにきてくれているというのに」
「え、そんなにひどいのか?」
「そんなことないわよ、ちゃんと…」
「…ちゃんと?」
 首を傾げて光一。
「ちゃんと、何かな、栗生?」
 にやにやと柊。
 恵にとって息詰まるような数秒の後、光一がぽんと手をうった。
「ああ、そういうことか…」
「うん、そういうことだよ相原」
「だ、だって…」
「まあ、柊がずるで早退なんかするからだな」
「えっ、ボクが悪いのかいっ?」
 意外そうに、柊は光一を振り返る。
「いや、そもそも栗生に呼び出しを受けるような理由があったわけだろ?」
「……」
「栗生も」
「なっ、なにっ?」
「そりゃ、話してわからないやつもいるけどさ、柊は話せばわかるやつだろ。学校休まなきゃいけないぐらいってのは…」
「そうね…」
 恵は素直に頷き、柊に向かって頭を下げた。
「ごめんね、柊。昨日はちょっとやりすぎた…かしら?」
「疑問系なのかい?」
「身体のあちこちが痛い、休む程じゃないけど、さぼっちゃえ……私の知る柊なら、そういう思考回路を持ってるような」
「真実は闇の中…美しい言葉だね」
「ひ・い・ら・ぎ?」
 
 閑話休題。
 
「……ったく、柊が人気あるってのが納得いかないわ」
「そうか?成績もいいし、顔もいいし、話題も豊富……俺は別におかしくないと思うけど」
「…相原、面と向かって言われるとちょっと照れる」
 そのぐらいで……と、柊が苦笑を浮かべた。
「というか柊。アンタまだ渋沢と付き合ってるの?」
「……」
「……」
「何よ、その沈黙は」
「1年の夏休み前に別れたんだけど」
「え、そうなの?」
 それは初耳……と、恵が驚く。
「その後、輝日商の女の子とつきあい始めたんだっけ?」
「いや、その子は12月に別れて…クリスマスに大学生のおねーさんとつきあい始めて」
 なんとなく、顔を見合わせる恵と光一。
「……今は?」
「春休みからは、西高の子と」
「あ、そう…」
 無節操とか怒る前に、呆れると同時に感心して恵が呟く。
 中学の頃からそうだったが、高校に上がってますますその傾向が強くなってきた柊である。
「多分、夏休み前に別れることになると思うけど」
「何よ、それっ」
「うん、なんだろね……なんとなくだけど、その頃にそういうこと言い出すと思うから」
 むしろのほほんとした口調で。
「……別に、アンタが相手の女の子を泣かさないことに関しては信用してるけど、アンタどっか変よ?」
 シスコン相原、たらしの柊、暴力女の栗生……が、中学時代の3人の呼び名で、何が不思議かというと、この3人の仲が良いというのが一番不思議がられていた。
「否定は出来ないね」
「……誰でもいいってこと?」
「そんなことはないね。少なくとも同じ学校の子は避ける」
「ア・ン・タ・は…」
 拳を固めてわなわなと震える恵のテンションにつられることなく、光一が口を開いた。
「ああ、だから中学の時も別の学校の子と付き合ってたのか」
「近所の子はね、別れた後が面倒というか。渋沢の場合は、卒業だから別にいいか…と」
「別れなきゃいいだけの話でしょっ」
「栗生、落ち着いて」
「……良く落ち着いていられるわね、相原」
「相手の子の事は知らないけど、柊のことは良く知ってるつもりだから。正直、柊が悪いとは思えない。栗生もそうだろ?」
「う、ま、まあ…」
 恵はちょっと俯き。
「そうなのよね……色々聞いてみたけど、別れた後も、柊を悪く言う子はいないのよ」
 光一がそう言ったから迎合して……ではなく、心の底から柊を信用した上での、疑問。
 そんな光一と恵の2人を、柊は微笑みを浮かべて眺める。
「……結局、柊は付き合ってみなきゃわからないというスタンスなのか?」
「近いね……人間1人、きちんと理解するにはそれなりの時間が必要と思うし……だったら、この子いいかもと思えば……もちろんその時フリーというのは前提だけどね」
「なるほど…」
 光一が頷く。
「まあ、ボクのことよりキミたちはどうなのさ」
「えっ」
 今さら何を…という表情の恵。
「んー、俺は何もないなあ…」
 と、本当に何もなさそうな光一。
「まあ、栗生はともかく、相原はもう少し考えた方がいいかもね……妹さんが妙な噂で困惑したりしないためにも」
「うーん、栗生にも言われたんだよな、それ……鈍いのかな、俺」
 別の意味で鈍い……と、柊と恵がアイコンタクトで会話。
「あ、いや、家族思いなのは悪くないのよ」
「うむ、相原の場合情が深いというか…大人数に情を回せないタイプというか」
 と、このあたりのコンビネーションは、中学の頃からの経験値のたまもので。
「友達100人できるかな〜♪ってな歌があるけど、友達ってのは特別だよな……100人の特別ってのは、もう、特別じゃないような気がする…」
「……」
「なんというか…」
 ぽつりと柊。
「相原の『特別』になる子は、幸せだろうね……多分」
 
「ただいま…」
 と、光一が玄関のドアを開けた瞬間。
 ガシャーン。
「お、お母さん、どうしたのっ!?」
 台所の方から何かが壊れる音と、菜々の悲鳴が聞こえてきたモノだから。
「どうしたっ!?」
 文字通り靴を脱ぎ捨て、台所へと飛び込んだ光一が目にしたものは……青ざめてただ立ちつくす菜々と、流し台に顔を突っ込んでいる母の姿。
「母さん、母さんっ?」
「……」
 母が、コンロの上の鍋を指さす。
「……?」
 鍋の中には、おじや……のようなもの。
 光一はそれを1すくい……して、この騒ぎの全貌とまではいかないものの、ある程度までは理解した。
 そして、菜々もまた母の異変が自分の作ったそれが原因であることに気づく。
「……菜々」
「お、おにいちゃんが受験の時作ってくれた甘いお粥……って、ご飯を砂糖や蜂蜜で煮込めばいいんだよね」
「……」
「……研修医が、バチスタ手術に挑むようなものよ、それは」
 流し台に顔を突っ込んだまま、母が苦々しげに呟く。
「ば、ばちすた…?」
 何それ……と、菜々が光一に目で訴える。
「えっと、確か心臓の手術方式の1つだったかな。めちゃくちゃ難しいとか…」
「……胸焼けが…」
 うめくように呟き、コップで、水を1杯、2杯。
「目が覚めて台所に行ったら、『おはよう、お母さん。お粥作ってみたの、食べて』なんて言われて……」
「菜々、味見はしたのか?」
 菜々が首を振る。
「だって、お母さんに、一番に食べて欲しかったんだもん。味見したら、自分が食べるために作っているみたいだから…」
 と訴える菜々の目にはじわっと涙が溢れて。
「……ごめん、母さん。俺にはもう何も言えない…」
「アタシの経験上…光一みたいになんでもそつなくこなせる人間より、菜々みたいな子が幸せな人生送ったりするのよ…」
 母と息子が流し台で顔をつきあわせてひそひそと。
「お、おにいちゃん、お母さん…」
 私、どこが間違ってたの……と言いたげな菜々の視線。
「菜々、とりあえず、お粥というか、ご飯をそのまま煮るとでんぷんが…」
「光一、もっと、根本的なとこから…」
「えっと、あのな、菜々、料理のさしすせそって、前に教えただろ」
「うん…」
「何故砂糖を一番先に入れるかというと、味がしみこみやすくなるってのは、浸透圧を上げるってことで、それ以外にも砂糖の甘みってのは…」
「光一、もっと根本的なとこを」
 現実から目を逸らすな……とでも言いたげな母の口調。
「……菜々」
「な、何、おにいちゃん」
「な、何か作るときは、母さんじゃなくて、俺に食べさせてくれ」
「……」
 菜々の目が大きく見開いて。
「うんっ」
 嬉しそうに、大きく頷いた。
「光一…アンタ」
「まあ、やる気をそぐのは避けたいし……それに、菜々が今日それをつくったのは、多分俺のせいだから」
 そう、昼休みのあの会話。
「えへへ…」
「……あ、床の掃除。っていうか、母さん、お茶碗まで割るほど…」
「寝起きにアレは、ちょっとね…熱いお茶と思って、氷水飲まされたみたいなモノだし」
「おにいちゃん、私雑巾とってくるね」
 ぱたぱたっと、菜々が台所をでていき。
「……さて、あの残りはどうするかな?」
「アタシとしては、お父さんにも一口食べさせたいねえ」
「あーっ」
 今度は一体……と、母と光一が顔を上げる。
「忘れてたっ、洗濯物」
 光一と母は顔を見合わせ……同時にため息をついた。
 
「……柊、正直に言ってくれて構わないんだけど」
「何をだい?」
 光一が帰り、恵と柊2人が顔をつきあわせて。
「私と付き合いたいとか…思える?」
「無理」
「あ、そう…」
「まあ、ボクがそう思うだけで、相原はどうかはわからないけどね」
「そ、そう?」
「相原がもし女だったら、是非とも付き合いたいけど」
「なによ、それ」
「なんというか、すごく大切にしてくれる気がしないかい?」
「……思う」
 などと不毛な会話が続いていたり。
 
 
 
 
 やべえ、新しいキャラが出てこねえ。(苦)

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