灰色の空から白い雪が落ちてきた。
 風のない日のそうした風景はやけに幻想的で、自分でも気が付かない心の透き間に忍び込んでくるような雰囲気がある。
 雪が降ると、また一段と空が暗くなった。
 まるで、空にある綺麗な部分を雪として下界に吐き出した様だ。
 窓の外をぼんやりと眺めていた祐一は、ふと隣に座る名雪に目をやって……思わずため息をついた。
 名雪は糸目になっている。
「すー、すー……」
 規則正しい、小さな寝息までたてている。
 こんな雪の日は音がよく響く……特に授業中にはありえない音なんかは特に。起こしてやろうかと思った祐一より早く、呆れたように教師が呟いた。
「相沢、水瀬を起こせ。」
「はいはい。」
 教師の許可まで貰ったのだがらこそこそ起こす必要はない。祐一は名雪の方に身を乗り出すようにして軽く身体を揺さぶってみた。
「おい名雪、起きろ!」
「……ん?」
 名雪はボーとした表情で瞼をこすりながら教室を見回した。その焦点の合ってない目つきからして、はっきりと目覚めてはいないことは誰の目にも明らかだった。
 がたっ。
 名雪はゆっくりと立ち上がる。
 一体何をするつもりなのかと、静かに見守る級友達の中で、名雪は唐突に大きな声で喋り始めた。
「在校生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。今日は……」
「名雪!」
 祐一が名雪の身体を激しく揺さぶった。
「在校生が卒業してどうする?卒業するのは卒業生だ!」
 ぼんやりとした名雪の瞳に、微かな明かりが灯る。
「……あ、そうか。」
「相沢君、それ突っ込むところが違う。」
 名雪の後ろに座っっている香里が、心の底から呆れたように呟いた。もちろん教室内は生徒達のくすくす笑いに埋め尽くされている。
「相沢、俺は漫才を聞きたい気分じゃないんだがな。」
 苦笑いしながらも、ややきつい口調の教師の声。祐一は、気が進まないながらも、本格的に名雪を起こしにかかる。
 さすがの名雪もここが学校ということで無意識のうちにブレーキがかかっていたのか、毎朝家で繰り返されているような騒ぎにまでは発展せずにすんだ。
 
「まあ、名雪が眠そうにぼけぼけしてるのはいつものことだけど…今日は相沢君もなんかぼーっとしてわね。」
 香里がどこか含むような笑みをたたえて、祐一と名雪の顔を交互に見た。
 それに対して名雪は眠そうな表情でぽつりと呟く。
「ん、昨日祐一が寝かせてくれなかったの……」
 微かに息をのむ音。
 感心したようにまず北川が頷き、香里は目を細めて笑った。
「……大胆だな。」
「やっぱりね……。」
「ちょっと待て、香里!『やっぱり』てのはどういう意味だ!」
 納得したようにうんうんと頷く北川と香里に向かって祐一は詰め寄る…が、まるで効果がない。
「名雪も、誤解も招く発言はよせ!ただのテスト勉強だろうがっ!」
 未だ寝ぼけたままの名雪を揺さぶる祐一を見て、香里は目を閉じた。
「馬に蹴られて死にたくないけど…避妊はちゃんとしなさいよ。」
「香里、お前わかっててからかってるだろ?」
 胸元をぐっと掴み上げるようにして祐一が睨んだが、香里はいつものクールな表情のままやり返した。
「じゃあ、からかわれるようなコトしてないって言うの?」
「む……」
 祐一の手から力が抜け、香里の腰がすとんと椅子の上に落ちた。
「第一、秋子さんには絶対に気づかれてる。断言してもいいわ。」
「むう……」
 祐一の額に汗が滲んだ。
 そして香里はどこか寂しげな微笑を浮かべ、窓の外に視線を向けた。
「まあ、秋子さんなら家族が増えるとか言って喜んでるでしょうけど……」
「祐一は、元々家族みたいなものだよ……」
「それは、そうね……」
 香里は名雪の顔を見て、そして目を伏せた。
「名雪の家って、居心地いいのよね……ともすれば、自分の家よりも……」
 
「祐一、一緒に帰ろう。」
「んじゃ、帰るか…」
 ざくざくざく…
 固められた雪を踏みしだきながら、祐一は歩いていく。いつの間にか、雪道の歩き方を覚えていた……いや、思い出したのか。
「祐一、わざわざ道の端を歩くことないでしょ……」
「降ったばかりの雪を踏むのって、なんか気が乗らない。」
「もう、子供なんだから……」
 どことなく呆れたような、それでいて笑いを堪えるような表情で、名雪はため息と共に言葉を吐き出した。
 そして気を取り直したように顔を上げ、怪しげな歌を歌い出す。
「さっさっさっ、サンデー…イチゴサンデー…」
「なんだそりゃ?」
「イチゴサンデーの歌。」
 歌声が少しずつ大きくなる。
「ちょ、ちょっと名雪…」
「ぱくぱくぱく、イチゴサンデー食べながら…」
 周囲の視線を意に介さない名雪。
「わかった、奢ればいいんだろっ、奢れば!」
 10分後。
 幸せそうにイチゴサンデーをぱくつく名雪を見ながら、祐一は恨めしそうに呟いた。
「何故俺が、名雪に奢らなきゃいけない?」
「だって祐一ってば、この前お母さんからもお小遣い貰ってた。」
「だあっ、あれは違う!俺の親からの送金に含まれている小遣いを、秋子さんが言われたとおりに俺に渡してるだけだ!」
 名雪はきょとんとした表情になり、手元のイチゴサンデーに視線を落とした。そしてスプーンで一すくいして祐一の方に差し出した。
「祐一、食べる?」
「いらねーよ……」
「ぶう、せっかく間接キスなのに……」
 ぱくっとスプーンを口にふくんで、名雪は複雑そうな表情を見せた。
「高校生に880円の出費は痛いんだがな…」
「もうすぐ大学生になるじゃない。」
「合格すればな……」
「大丈夫だよ、きっと。」
 毎日頑張ってるから…という言葉をイチゴサンデーと共にのみ込む。
「でも…私と同じ大学で良かったの?昔の友達がいた街に戻りたいとか思わない?」
「いいよ、別に……この街が俺の居場所だから。」
「わわっ、祐一。今すごく恥ずかしいこと言ってるよ…」
「自覚はしてるから突っ込むな。」
 恥ずかしそうに視線を逸らす祐一に対して、名雪は一心不乱にイチゴサンデーの残りを口の運んだ。
 そして数秒後。
「祐一……」
「なんだよ?」
「頭痛い…」
「子供か、お前は……」
 口ではそう言いながらも、祐一は名雪のこめかみのあたりをさすってやる。大した効果はないが、人の手に触れられることによって癒される痛みというものもあるからだ。
「んっ、ありがと祐一。もう、大丈夫…」
「そうか…」
 カランコローン……
「ありがとうございましたぁ…」
 店の中の暖房に慣れた肌を、突き刺すような冷気が襲う。
「ほんと、降り出すと止まらないな…」
「祐一は、季節の移り変わりを見るのは初めてだもんね…」
 祐一がこの街で住むようになってから、もうすぐ一年になる。冬から春へ、春から夏へ、夏から秋へ、秋から冬へ、しかし、この地方では冬から冬への最後の移り変わりがある。
 それは雪だ。その最後の移り変わりを今目前にしている。
「また名雪がねぼすけになる…」
「どうせ、私は一年中ねぼすけだもの……」
 この一年で、名雪はちょっぴり夜更かしが出来るようになり、祐一は早く寝るようになった。
 名雪が寝てしまうと、起きているのがつまらないなどとは口が裂けても言うつもりはないらしい。
 朝の6時には起きてくる祐一を、秋子さんはただ笑ってみているだけだ。
「名雪、お前まだあの目覚まし使ってるのか?」
「使ってない…大事にしまってある。」
 祐一がふきこんだ、恥ずかしいおはようボイス目覚ましの効果は2週間で切れた。その夜、秋子さんがぽつりと呟いた『どんな言葉も、繰り返して聞けばありがたみが薄れるわよね…』という台詞は、はたして誰に聞かせた言葉だったのか?
 あれからというもの、名雪が地力で目覚めることはほとんどない。
「祐一、雪が酷くなる前に帰ろう…」
「え、酷くなるのか…?」
「玄関前の雪かきが必要なぐらいには……」
「……明日は早起きしなきゃあな。」
 雪かきを終えたら名雪を起こして…と、祐一は頭の中で計画を立てる。
「ほらっ、祐一。走るよ…」
「おうっ!」
 
 
                   完
 
 
 久しぶりに書きたくなってみました。
 これと言ったオチはありません。ただ、平和な日常がこのキャラの主題だったはずですし。(笑)
 高任としては、秋子さんの方が好みですが。(笑)

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