いちょうの葉が散る、ではなく舞っていた。
 似た形に見えて、一枚一枚の大きさはもちろん風を受ける角度も違う……それぞれが思い思いの動きを見せ、一枚たりとも同じ舞を踊らない。
 この街に初めてやってきた人間は、必ずこの光景に目を奪われる。
 音もなく舞い落ちる葉。
 そして、吹き抜ける風によって地面から再び高く舞い上がる葉。
 上下の感覚が薄れ、視界はただいちょうの葉に埋め尽くされる。
 秋という季節の区切りの中の、そのまた一区切り。この街の住人だけに通じる季節を表す言葉……いちょうの舞う頃。
 
 クシュン!
「……お大事に」
「……恵みあれって言ってくれないの?」
 にっと少し強ばった笑みを浮かべる千枝。
「あれは…その…何だかな…」
 歯切れの悪い言葉を並べる悠介に、千枝は吹きだすように笑って空を見上げた。
 秋の空が気まぐれであるように、千枝の表情が一瞬にして遠くなる。
「あの時……」
「何?」
「先輩がその気なら、みやこを……傷つけてもかまわないかなって思った」
「千枝ちゃん……」
「あの占いの本を中庭に置き忘れたのは分かってたから、みやこじゃなければ悠介先輩しかいないよね」
「……だったら、すぐに言えば良かったのに」
 放課後、自分の机の中をあさっていた千枝の姿を思い出して悠介が苦笑する。
「……せたかったから」
「え?」
「あの日の朝、悠介先輩の前でくしゃみして……ちょうど読んでた占いの本にそんなのがあって、気になったからしおりを挿んでた」
 くすぐったそうでいて、心のどかに痛みを覚えているような表情で千枝は言葉を続ける。
「悠介先輩に読んで欲しかった……」
 そしてその夜、帰り道だからと称して千枝は悠介の家に立ち寄った。
「あんなの、わざとくしゃみしたってばればれだよね……」
「うん、ばればれだった……」
「あの時だよね……みやこを裏切ったのは」
「……そうかもしれない」
「私、ずるいよね……苦しい部分を先輩に押しつけたから。そうやって言い訳をいくつもこしらえて……心の中では、とっくにみやこを裏切ってたのに」
 千枝の瞳が、舞い落ちるいちょうの葉を追っている……いや、そう見えるだけで何も見ていないのか。
「悠介先輩の優しさが苦しかった……誰にでも優しいんじゃなくて、私やみやこ相手だから優しいと思いたかった」
 千枝は舞い落ちるいちょうの葉を手のひらで器用に受け止めた。
「そんな気持ち……悠介先輩にはわかんないよね」
 千枝はそこで言葉を切り、手のひらの葉を風に舞わせた。
「でも私は……好きな人にしか優しくできないよ」
 再び舞い上がったいちょうの葉を眺めながら、千枝は自分の唇をそっと撫でた。
 大事な親友のみやこと悠介をくっつけようとして必死になった。そして、必死になればなるほど心の中で悠介の存在感が縮まっていく……気付いたときは手遅れだった。
「『みやこがどうして先輩を好きになったか分かるような気がする……』って、言ったことがあったよね」
「…あったかな?」
「考えてみたら……誰かが誰かを好きになる事を理解するって事は、自分がその誰かを好きになるって事よね」
「そう?」
「そうじゃなきゃ……わかるわけない」
 千枝は悠介の視線から目をそらし、腕時計を見つめた。
「私、みやこには一生頭が上がらないな……」
 去年、このいちょう並木でお互いに泣きながら抱きしめ合った。
 今、千枝の前を過ぎていくのは去年と同じ季節。
「先輩……いちょうって毎年同じように葉を散らすけど、多分同じじゃないんだよね」
「……」
 悠介は無言でいちょうの木を見上げた。
 いつだったか、今と同じようにいちょうの葉に囲まれながら……
「先輩っ!」
「え、な、何?」
「何ぼーっとしてるの?」
「ん、ちょっと昔のことを……」
 千枝の手が首の後ろにまわり、有無を言わさずぐっと引きつけられた。
「……」
「……んっ」
 頬を微かに上気させたまま、千枝は潤んだ瞳で悠介をじっと見つめた。
「忘れた?」
「ん、忘れたような気がする」
「ならいいわ……」
 恥ずかしそうに視線を背け、千枝は再び腕時計を見つめた。
「みやこ、遅いわねえ…」
「……千枝ちゃんって大胆だよね」
「そりゃ、先輩に恋してるから」
 あっけらかんとした口調に、今度は悠介が顔を赤らめた。
「ちーえちゃーん、せんぱーい」
「あ、みやこだ…遅いよ、みやこっ!」
 手を振りながらみやこに向かって駆けだしていく千枝を見ながら、悠介は頭をかいた。
「……千枝ちゃんってやっぱりすごいや」
 
 
                      完
 
 
 ま、そろそろいちょうが舞い始めましたし。(笑)
 ただ、あんまりいじくり回せないネタだけに苦しいですが。

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