「……夏ですわね。」
 シンシアは左手をかざしながら、ぬけるように青い空を見上げて呟いた。
 無遠慮な陽射しから目をそらして地面へと視線を落とすと、くっきりとした黒い影が目に映る。
 強い陽射しに、黒い影。
 シンシアは、ごまかしが利かない夏が好きではない。全てを暴きたてるような夏という季節には、優しさがあまりにも感じられない。
 太陽に追い立てられるようにして納屋の中へと入り、わたわたの名前を呼ぶ。
「……ランディ。」
 いつの間にか、その名前を呼ぶことに抵抗がなくなった。
 イーリア先生曰く、『女の子は、男の子より先に大人になる』のだとか。しかもランディはシンシアよりも1つ年下で……とにかく、シンシアの好意はランディに受け止めて貰えなかった。
 オミカンジャムとブックルの実を混ぜたモノをわたわた達に食べさせながら、シンシアは微笑んでいる自分に気が付いてちょっと狼狽えた。
 最近、自分がこの場所以外で笑ったことがないことに気が付いたからである。
 ランディに感じていた淡い恋が木っ端微塵に砕けてしまってから、仲のぎくしゃくした両親の前では『良い子』を演じるしか出来ず、かといって他に相談できそうな人間がいるわけでもない。
「じゃあ、また後でね…」
 ひんやりとした納屋から外に出ると、また強い陽射しが照りつけてきた。
 眩しさに思わず下を向くシンシア。
「……っ?」
 ふと、暑さが和らいだ様な気がして顔を上げた。
 暴力的な激しさを秘めた夏には不似合いの優しい風が吹いている。
「こんな風が吹き続けるなら…夏も悪くはないのですけど。」
 言い訳めいたシンシアの独り言が、風に乗って消えていく。
 シンシアが14歳の夏。
 この夏、プエルコルダンに…いやシンシアに優しい風を運びにやってくる少年の存在を未だ知らずにいた。
 
「お父様はね…知ってるんです。お母様がプレゼントを捨ててしまうってコト…」
 母が捨てたプレゼントを、こっそりと拾いだしたのは最近のことだった。母が自分に注ぐ愛情も、父が自分に注ぐ愛情も理解している。
 父の方が好き…と言うのではなくて、多分父が今自分の側にいないからだろうと言うことが分からないほど子供でもない。もし父が王都に単身赴任をしておらず、母が自分の側にいなかったら、今の自分の感情は逆になるかもしれないということぐらいは分かっている。
「……昔は、どうして捨てられるのにプレゼントを渡すのか不思議だったんです…」
 そこで一旦言いよどみ、親切にも本を届けてくれた少年の顔を見つめた。なんの悩みもなさそうな幸せそうな少年。
 多分、自分の望む答えを疑うことなく口にするというシンシアの予想は当たった。
「そりゃ、キミのことを愛してるからだよ!」
 シンシアは口元に笑みを浮かべ、目を閉じてそっと頷く。
「ええ、私もそう思いますわ…」
 なんとも言えず心が温かくなる。
 シンシアは、こうやって自分の辿りついた答えを肯定してくれる存在をずっと求めていたのだから。
 いつもの『良い子』の表情ではなく、年齢相応の少女らしい微笑みを浮かべたシンシアは、ふとあることに気が付いて顔を赤らめた。
「や、やだっ…私ったら初対面の人にこんなコトを…」
 
 雑貨屋ホロホロでオミカンジャムとブックルの実を購入したシンシアは、財布の中を覗いてため息をついた。
 もう、お小遣いの残りがほとんどない。
 明日から自給自足とまではいかないものの、高価なブックルの実ぐらいは自分で集めた方が良さそうだった。
 わたわたは確かに可愛いのだが、オミカンのジャムとブックルの実を混ぜたモノしか食べないというのがちょっと問題である。おかげでわたわたを飼い始めてからというもの、シンシアの財政は慢性的な赤字体質になってしまっている。
 思い立ったが吉日というわけでもないが、シンシアはお散歩ついでにブックルの木が立っている女神像へと向かった。
 ブックルの実には栄養はあるのだが、……あまり食べておいしいという木の実ではないため、薬とか魔法の材料以外の使い道があまりない。
 そのせいか、ほとんど誰も採取したりしないはずだったのだが…
「あ、ジャンさん……」
「どうしたのシンシア…変な顔して?」
「……あの、ブックルの実…」
「ああ、ねーさんに頼まれてね。」
「そ、そうなんですか…」
 がくりと肩を落としたシンシアを見て、ジャンはその理由に思い至ったらしい。
「……あげる。僕はねーさんからお使いのお金貰ってるから。」
 ジャンはシンシアに木の実を手渡し、そして笑った。
「わたわたは元気?」
「ええ。……元気がありすぎて、お小遣いがいくらあっても足りないぐらいですわ。」
 そう答えながら、シンシアはジャンが背中に背負ったリュックを見た。今日もまたパンの配達と共に、材料収集をして一日を過ごしていたのだろう。いろいろと中身が詰まっているように見えた。
「……毎日、大変そうですね。」
「ん、仕方ないよ。僕よりマリアねーさんのほうがよっぽど大変だから。」
 ジャンがこの村にやってきてから早一週間。初めて出会った頃はそうでもなかった顔は真っ黒に日焼けし、いかにも遊び盛りの少年の顔つきになっていた。
「でも、ランディ達が遊んでいるのを見てると、うらやましく思ったりしませんか?」
「……シンシアはうらやましいの?」
「え?」
 不意打ちを受け、シンシアは一瞬答えにつまる。
「……遊んでいる暇なんてありませんわ。お母様もきっと許さないでしょうし。」
「あまり無理をしないほうがいいよ。」
「無理…してるように見えますか?」
 ジャンは何も答えなかったが、その表情を見ればシンシアには充分だった。
「ジャンさんは気づいてくれるのに…お母様はどうして気が付いてくれないのかしら?」
「そりゃ……シンシアが黙ってるからだよ。それに、ブレンダさんだって悩みを抱えているように見えるけど。」
 前から分かっていたことだった。解けてしまった方程式は、その答えがどんなに気に入らない答えでも、それ以外の答えは出てこない。
「……ジャンさんのおっしゃる通りかもしれませんね。」
 シンシアは寂しく微笑み、彼女なりの精一杯の抵抗を見せた。
「……ごめん。」
「なんでジャンさんが謝るんですか?」
 ジャンはもう一度頭を下げる。それはシンシアに対して配慮が足らなかったことへの謝罪。
「じゃあ、僕はパンの配達が残ってるから。」
「…ええ、頑張ってくださいね。」
 軽く手を挙げて挨拶する二人。
 ジャンの背中が見えなくなると、シンシアはため息をついた。
「夏が終わればいなくなってしまうもの……深入りしても悲しいだけですわ。」
 そしてシンシアはふとあることに気が付いた。
 ホロホロで売っていたブックルの実は自分が買ってしまったので残っていない。とすると、ジャンは一体どこでそれを手に入れるつもりなのだろうかと。
 
 朝、ジャンが今日も一日元気に配達しようとコロッセルのドアを開けた瞬間…
「ジャンさんっ!」
「は、はいっ!」
 シンシアには珍しい強い口調で呼び止められ、ジャンは思わず身体を硬くしてそちらを振り向いた。
「昨日、あれからデカブツの森に行ったでしょう?」
「え、あ、うん…。」
 女神像の近く以外では、この村の近辺でブックルの実がなっているのは、モンスターが出現して危険なあの森しかない。
「良かったですわ、無事で…」
「え、あの…シンシア…?」
 シンシアに手を握られて、ジャンは顔を赤くしている。シンシアもまた、ジャンの表情を見て自分が何をしているのかに気づき、顔を赤くする。
 が、体は動かない。
「あらあら…お取り込み中かしら?」
 何やらいつも以上ににこにこと微笑むマリアが入り口から顔を出した瞬間、二人は弾かれたように距離をとった。
「いや、ねーさんこれは…」「ち、違うんですマリアさん…」
 二人同時の言い訳に、マリアは耳を押さえて首を振った。
「んーん、私はなんっにも聞こえません♪」
 そう笑って、またお店の奥へと引っ込んでいくマリアの後ろ姿には間違いなく尻尾が生えているように見えた。
 
「ジャンさんの……」
「ん?」
「いえ、ジャンさんの住む所ってどんなところなのかなと思いまして…」
 結局、ジャンとシンシアは仲良くお散歩である。
「うん、プエルコルダンよりずっと田舎だよ。一緒に遊んだりする子供なんて1人もいないんだから。」
「そう…なんですの?」
 シンシアにすれば、この村プエルコルダンでさえからりの田舎と思っているのでどうもぴんとこない。
「うん、だからいつも1人で遊んでた。」
 陽気に話すジャンから、シンシアは反射的に目をそらしてしまう。
「寂しく…なかったんですの?」
「だって、それが当たり前なんだもの。それ以外のことを知らないから。だから、この村を離れる時のことを考えると、ちょっとゆーうつだよ。」
 シンシアはふと、両親が仲の良かった昔を思い出した。
「……そうです、ね。知らない方がいいコトってありますわね。」
 例えば子供の頃の記憶。
「でもさ…僕はこの村に来て良かったと思ってるよ。」
「どうしてですの?…1人になったとき、辛く感じたりするかもしれませんのに…」
「うん…でも、『何もない』よりか良いと思うんだ……例えば、さ…シンシアに会えたことだって…」
 うわー言っちゃった、と言う感じにジャンの顔が赤くなり、白い歯がこぼれた。
「解のない方程式……」
「え…?」
「私とジャンさんは、解のない方程式みたいなものですわ……」
 子供っぽい、無邪気なジャンの態度に、何故かいらだちを感じた。嬉しいと思う心を無理矢理抑えつける。そうすれば、夏の終わりに悲しまないですむだろうから。
「帰りましょう……」
「あ、うん…。」
 簿妙な距離をおいて、二人は歩いていく。
 
 そして、わたわたの子供が一匹増え、険悪だった両親の仲が不思議なことに歩み寄りを見せ始めた頃、秋の訪れと共にジャンは帰ることになった。
 シンシアは、ジャンの見送りには顔を出さず、見送りから帰ってきたブレンダは、自分の部屋に閉じこもった娘をただ見つめることしかできなかった。
 次の日から、シンシアは母が心配するぐらい熱心に司法試験の勉強を開始した。
 何でもいいからうちこむ何かが欲しかっただけのシンシアだったが、両親は何も言わなかった。
 そして翌年。
 合格を知らせる手紙を貰っても軽く笑みを浮かべただけの娘に対して、ブレンダは口を開いた。
「シンシア…、あのわたわたの子供の名前は何と付けたのかしら?」
「……」
「方程式に解がないなら……方程式を書き直せばいいんだよ。」
 シンシアが驚いて母の方を振り向いた。
「お母様っ?」
「ジャンさんの伝言なんですけどね……シンシアには意味がわかりますか?」
 黙って首を振るシンシアの手に、ブレンダは司法試験の合格者名簿を手渡した。このぐらいは司法局に勤める夫に頼めば何でもない。
「何ですの、これは?」
 ブレンダは小さくため息をつき、窓の外に視線を向ける。
「ちょっと複雑ですわね…。肌を真っ黒にして森を駆け回っていたジャンさんまで合格してしまうなんて……」
 シンシアの震える指先が、慌てて白い紙切れをめくった。
「お母様…?」
 ブレンダは眼鏡を外して、ハンカチでレンズを拭いながら呟いた。
「ほんとに……あのエヴァンとそっくりですよ、ジャンさんは…。」
 そして、優しい瞳を娘に向けて揶揄するように教えてやった。
「そろそろ飛行船がやってきますよ…」
 母の言葉を最後まで聞くことなく、外へ駆けだしていくシンシア。ブレンダは肩をすくめながら眼鏡をかけ直す。
「ジャンさんも……エヴァンと同じで司法局には合わないでしょうに…」
 
 
                    完
 
 
 シンシアです。(笑)
 ルフィーの次にクリアして大がっかりさせて貰ったシンシアです。
 しかし、シンシアって実はあんまり勉強してませんよね。(笑)図書館にいる時間をプラスしても、精々一日に6時間ぐらいですし。
 ひょっとすると未確認なだけかも知れませんが、『シンシアが木の実を採取するイベント』とかあれば良かったのに。ずーっとストーカー行為を繰り返して、スケジュールを調べた高任がバカみたいです。(笑)

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