不作法なのはわかっていたけど、私は目の前に立つ先輩をじろじろと頭の上から足の先まで眺め回した。
 特に目立ったところのなさそうな平凡な少年に見える。でも、優しそうなところはいいと思った。
「特に目立ったところはなし・・・か。」
「え・・・と、何か用?」
「私、青葉林檎と言います。石塚美樹の親友と言う方が通りがいいですか?」
「ああ、美樹ちゃんの友達なのか・・・。」
 少年の表情に安心したような感情が浮かぶ。
「あの子ったらずっと男の子が苦手で・・・それなのに私も知らない短期間で仲良くなるなんて不思議ですよね?」
 美樹は騙されているのではないか?そう思って観察に来たのだが、一応は安心することが出来た。
 この少年は悪人には見えない。というか、極端に臆病な美樹を騙すことが出来るような才能を持ち合わせていないと確信が持てる。
「・・・まあ、美樹を悲しませたりしないでくださいね。松崎先輩は知らないかもしれないけど、美樹が泣くと凄いですから。」
「・・・了解。」
 少年はゆっくりと頷いた。
 
「・・・そういえば、松崎さんてば陸上部に入ったみたいなの。」
「へえ、そうなんだ。あの人足速いの?」
 美樹はふるふると首を振った。
「・・・遅いのに陸上部に入ったの?」
 投擲競技に向いているようにも見えないけど?と言う言葉を飲み込んだ私の前で、美樹はまた首を横に振った。
「私、良く知らないの。」
「・・・あきれた。でも引っ込み思案な美樹がよく先輩と知り合うことが出来たのね。」
「・・・うん、いろいろあって。」
 確かにいろいろあったのだろう、きっと私の知らない何かが・・・。
 ふと顔を上げると、美樹の視線が窓の外を向いていた。春の陽気に包まれた雰囲気が教室の中からでも感じられるようないい天気である。
「・・・公園でひなたぼっことかしたいなあ。」
 思ったことを無意識に口に出したような呟きである。
「松崎先輩に連れて行って貰ったら?都合のいい日を選んで貰って・・・」
「だ、ダメ・・・そんなの恥ずかしい。」
 顔を真っ赤にする美樹の様子を見て、私は大きく頷いた。
 ・・・これは美樹のためのリハビリみたいなものね。
「美樹、そんなんじゃずっとそのままだよ。勇気を出してみなきゃ。少なくとも他の男の子と違って松崎先輩とはお話しできるんでしょ?」
 美樹は顔を真っ赤にして首を振り続ける。気がつくと、目元に涙がじんわりと浮かんできていた。
「わ、美樹。ストップ。」
「・・・・・・きて。」
「へ?」
「私の代わりに林檎ちゃんが頼んできて。」
 そのぐらい自分で・・・と言いかけて口をつぐんだ。焦ることはない。少しずつ慣らしていけばいいんだから。
「・・・と、言うわけで。一応返事だけでも聞かせてもらえますか?」
 松崎先輩に向かって少々投げやりにそう言って、私はため息をついた。
「はあ、私は郵便屋さんじゃないんだけどなあ。」
「あ、じゃあ今週の土曜日にでも・・・」
 松崎先輩がそう答えてくれてほっとした。これで、美樹に泣かれないですむ。
「・・・わかりました。でも先輩、美樹を泣かしたりしないでくださいね。」
 
「昨日友達とテーマパークに行って来たんだけどね。やっぱり結構面白かったよ。」
 美樹は興味深そうに私の話を聞いている。そこで私はポケットから割引券をゆっくりと取りだした。
「興味ある?」
 ひらひらと美樹の目の前で振ってみせると、美樹がこくこくと頷いている。
「林檎ちゃん、一緒に行こう!」
 がく。
「いくら面白くても、連チャンで行くのはちょっと・・・。」
「じゃあ、松崎先輩に頼んでみて!」
 いや、それじゃあ意味が無いんだけど。そんな私の表情に気がついたのか、美樹は不安そうに視線を逸らした。
「だって・・・断られるのが怖いもの・・・。」
 正直に言うと、私も断られるのが怖い。そのことを告げると、美樹は決まって大声で泣き始めるのだから。
「松崎先輩、一つ聞いてもいいですか?」
「何かな?」
 松崎先輩はどこか不思議そうな表情をしていた。無理もない、松崎さんにとって私という存在は郵便屋さんみたいなものだろうし・・・。
「こうやってよく私が先輩の所に頼みに来てるんですけど・・・美樹自身が先輩に頼んだりすることってあるんですか?」
「うん、ごくたまに。」
 苦笑いする先輩を見て、私はため息をついた。
「これじゃあまるで、私と先輩がつき合ってるみたいですねえ・・・」
 そう言いかけて、私は慌てて首を振った。
「いや、別に美樹とつき合うとかそう言うのじゃなくて・・・美樹ってああいう性格じゃないですか?」
「はいはい、要するに俺は美樹ちゃんが慣れるための入門男なんでしょ?」
「いや、そこまでは言ってませんよ!」
 先輩は口元をちょっとだけとがらせてそっぽを向いた。
「ん、そうだったかな?『特に目立ったところは無い男』だからね、俺は。」
「・・・そういうの、いつまでも覚えてるのって感じ悪いですよ。」
「いやいや、俺はデリケートなんでね。あの発言にいたく傷ついていたんだなこれが。」
 おどけた仕草でそう話す先輩を、私は誰か別人でも見るような目で眺めていたに違いない。
「あれ?どうかした?」
「松崎先輩って・・・ちょっと変わりましたか?」
「変わったも何もあの頃は転校してきたばっかりで、しかも初対面の人間に対して地を出すほど無神経じゃないつもりだけど・・・。」
 じゃあ、これが先輩の普通の姿なのか・・・。
「美樹にも・・・」
「何?」
「いえ、何でもないんです。」
 私は先輩に向かって頭を下げると、そのまま背を向けて自分の教室に戻っていった。
 
「ねえ美樹。松崎先輩がどんな人かわかってきた?」
 美樹は私の方を振り向いて矢継ぎ早に話し始めた。
「聞いてよ林檎ちゃん、松崎さんったらねとってもだらしないの!面倒くさがりだし、他にもいろいろ・・・」
 どうやら美樹は鬱憤がたまっていたらしい。こういうときは素直に頷きながら聞き流すに限る。
「・・・でもね、優しいよ。松崎さんはあんまり怖くない。」
「・・・ふーん、それで?」
「・・・林檎ちゃん?」
「ふんふん、それでどうしたの?」
「もしかして聞いてない?」
「へえ、そうなんだ。」
 結局この後、涙目になった美樹をなだめるためにアイスを奢る羽目になった。
 
 おや、先輩の姿発見・・・。
「じゃあね、松崎君。時間に遅れたら承知しないわよ!」
 松崎先輩が1人になったのを確認してから声をかけた。
「綺麗な人ですね・・・3年の小野寺先輩でしたよね?」
「おや、林檎ちゃん。良く知ってるね。」
 私はくすくすと笑いながら、先輩の袖をくいくいと引っ張った。
「・・・随分親しいみたいでしたが、どういうご関係で?」
「・・・ご主人様と奴隷。」
 思わず引いてしまった私に向かって、先輩は笑いかけてきた。
「冗談だよ。」
「・・・笑えない冗談です。」
「いや、言った俺自身が笑えなかったからそれはよくわかる。」
「そうですよね、先輩が奴隷だとはまりすぎですものね。」
 私はうんうんと頷きながらその光景を想像した。どう考えても、小野寺さんが先輩をこき使う姿がしっくりくる。対等の立場というのが想像できない。
「俺の借りてるアパートって小野寺さんの両親が所持してるんだよ。しかも名義は小野寺さん名義だから、言ってみれば大家さんだな。」
「はあ、それは精神的に弱い立場ですね。」
「だろう?」
 などと馬鹿な世間話をしてから先輩と別れたのだが、それから何時間もして自分が大事なことを忘れていたことのに気がついた。
「あっ、いけない!私ってば郵便屋さんだったのに!」
 時間は既に夜である。私は今日が先輩のバイトの日だと言うことを記憶の彼方から引っ張り出し、慌ててその喫茶店に向かって走り出した。
「んあー?松崎ならさっき帰ったよ・・・。」
 マスターのご無体な返事を聞くやいなや、慌てて表通りに飛び出した。
 そんな人知れぬ苦労を神様が哀れに思ってくれたのか、先輩の後小さな後ろ姿を発見することが出来た。
「せんぱ・・・」
 口をつぐむ。
 先輩の隣に立つ人影。それは買い物袋をぶら下げた美樹の姿。
「じゃ、邪魔しちゃ悪いかな?」
 そんな独り言を呟きながら、私は美樹の成長ぶりを見守るために二人の後をつける。以前一度だけ遊びに行った美樹の住むアパートの方角に向かって二人は歩いている。
 ・・・これはもしや?
 二人の姿が美樹の家の中に消えたのを確認して、私は呟いた。
「なんだ、美樹ったらおっとなー。心配する事なんて無かったじゃない・・・。」
 恋人の家で手料理をふるまって貰う初々しいカップルのの姿がもやもやっと浮かんでくる。
「・・・ってちょっと待って!美樹、それはちょっと勇み足!」
 私は一体誰に向かって喋っているのか・・・?
 1人でやきもきしながら先輩が出てくるのを待っていたが、そのまま部屋の明かりが消えるのを見て私は凍り付いた。
「うそ・・・。」
 
「林檎ちゃん、松崎さんに聞いてみてくれた?」
 不安そうに美樹が尋ねてくる。
「・・・ん、松崎先輩が捕まらなくて・・・。」
 ・・・うそつき。
「そう・・・でも早めにお願いね。」
 ・・・私に頼む必要なんて無いじゃない。
「うん、わかった。」
 ・・・二人して私のことからかってたんだ。
 それでも私はのろのろと体を起こして教室を出る。松崎先輩を捜して・・・。
「私は郵便屋さんだもんね。手紙の中身を気にしたり、二人の関係を気にしたりしたらいけないもの・・・。」
 ぼんやりと廊下に立っている先輩に声をかけようとした瞬間、肩を並べて歩く二人の姿が頭にちらついた。
 ・・・からかわれてたんだよね、私。
 私は子供の頃教えて貰った歌を小さな声で歌い出す。
「・・・黒山羊さんたら読まずに食べた。仕方がないからお手紙書ーいた・・・」
 ・・・さっきのお手紙、返事はなあに?
 
「・・・そう。」
 美樹は悲しげに俯いた。
「何か最近、松崎さんに断られてばかり・・・。嫌われてるのかな?」
「さあね、最近忙しいのかな?」
 私は適当に相づちをうった。
「・・・そんなこと無いと思うけど?」
 美樹が首をひねっている。そんな姿を見ていると、なんとなく自分をからかおうとした二人の気持ちも分からなくはない。
 せっせと忠実に二人の間を行き来している自分を見て笑いをこらえていたのだろう。
「美樹、私ちょっと用事があるから行くね。」
 そう言って教室を出た。
「林檎ちゃん!」
 思わず身体を固くしてしまう。
「・・・松崎先輩、どうかしたんですか?」
「ん、最近美樹ちゃんが元気ないみたいなんだけど・・・何かあったの?」
「・・・私より、先輩の方が良く知ってるんじゃないですか?」
「え?・・・俺、美樹ちゃんに何かしたかなあ?」
 ・・・美樹じゃなくて、私をからかってたんでしょう?
 のどまででかかった台詞をぐっと飲み込むと、今の私に出来うる限りの慇懃さで頭を下げた。
「じゃあ、失礼します。」
 
「ねえ、林檎ちゃん。何か私に話すことない?」
 いつになく真剣な表情をした美樹。だが、それは私の台詞であるような気がした。
「・・・美樹こそ、私に何か言わなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
 机を挟んで向かい合っているのに、お互いの視線はどこか違う何かを見つめているような気がした。
「私、昨日松崎さんに聞いてみたの・・・」
「・・・何を?」
「最近忙しいんですかって・・・そうしたら・・・」
「・・・そうしたら、何?」
 美樹の目元に涙がじわりと浮いてきた。
「林檎ちゃん、私達友達よね?」
「友達?・・・私は親友と思ってるのに。」
 この時初めて美樹と私の視線が絡み合った。お互いがお互いの顔をじっと見つめ、身じろぎ一つしない。
 そんな凍り付いた時間を美樹が破った。
「なんで・・・なんで嘘ついたりしたの?」
「・・・自分の胸に聞いたらどう?」
「私は、私は林檎ちゃんに隠し事なんてっ!」
 立ち上がりかけた美樹を制するように、私は美樹を冷ややかな視線で見つめた。
「・・・してないって言える?・・・言えないよね。」
「はい、そこまで!」
 ぱんぱんと軽く手を叩きながら、現れたのは松崎先輩だった。
「松崎さん・・・」
 先輩は私の手を取って軽く引っ張った。
「林檎ちゃん、俺の家に来て話そう。美樹ちゃんもいいよね?」
「え、でも・・・?」
 渋る美樹を無視して先輩は歩き始めた。少し乱暴だけど、大きな温かい手を私は心地よく感じていた。
 
「先輩、また私をからかってるんですか?ここは、美樹のアパートじゃないですか!」
「ま、とりあえず入って。」
 とんと背中を押されるようにして家の中に入った。
 台所の椅子に座った私の目の前に、書類のようなものが示された。
「・・・何ですか、これ?」
「このアパートの賃貸契約書。いいから黙って読んで。」
 有無を言わせぬ強い口調に、私は仕方なく書類に目を落とした。が、すぐにおかしな事に気がついた。
「・・・なんで、同じ契約書が二つあるんですか?もちろん、契約者は違うけど。」
「・・・不動産屋さんのミスだったの。」
「二人とも未成年、俺の両親は海外で美樹ちゃんの両親も遠く離れてる。そんな俺達が新しいアパートを借りられると思う?」
 ・・・多分不動産屋が新しい物件を探してきても、契約できないと言うことは私にもわかる。
「ここじゃないと、二人とも住む場所が無かったんだよ。」
「ごめんね林檎ちゃん。でも、こんなの恥ずかしかったからうち明けることも・・・。」
 私はため息をついて呟いた。
「あの臆病な美樹がどうやって先輩と知り合ったのか不思議だったんですけど、やっとわかりました。・・・苦労したんでしょうねえ。」
「そうなんだよ、美樹ちゃんたら最初は話もしてくれなかったから意志の疎通が全然とれなくて。」
「そ、そんなこと無いじゃないですか!」
 そんな二人の姿にどこか割り切れないものを感じて、私は目を伏せた。
「・・・わかりました。じゃあ、私は帰ります。」
「へ?せっかくだからゆっくりしていったら?こうして誰かを呼ぶことなんて初めてなんだから。」
 どこか楽しそうに話す先輩と違って、美樹は私の顔をじっと眺めていた。その視線が私に居心地の悪さを感じさせている。
「林檎ちゃん・・・」
「わ、私やっぱり帰ります。また誘ってください。」
 私は慌てて二人の家から飛び出した。
 
「林檎ちゃん、今度の土曜日時間あいてる?」
 まだ多少のぎこちなさはあるけど、私と美樹は仲のいい親友に戻っている。
「うん、それが・・・?」
「じゃあ、映画館に2時集合。」
 美樹はそう言い残してたたた、と走り去ろうとする。
「ちょっと、美樹、私ホラーは嫌だからね!」
「大丈夫ー。甘甘のラブロマンスだから!」
 あまあま?あの美樹にしては珍しいこともあるものね。
 そう首を傾げていたのがまるで昨日のことのように・・・
「で、なんで松崎先輩がここにいるんです?」
「俺は、美樹ちゃんに言われてここにやって来たんだけど?」
 私は何気ない風を装いながら慌てて後ろを振り向いた。大きなリボンが壁の向こうに隠れるのが見える。
「なるほど、これで貸し借りは無しってことね・・・。」
「え?」
「ああ、なんでもないんです。先に入って待ってましょう。美樹も多分後から来ると思います。」
「・・ああ、美樹ちゃんは3人で遊ぼうと思ってたのか。」
 先輩は納得してくれたようだった。
 ふと、先輩が私の顔を見ておかしそうに笑う。
「・・・何ですか?私の顔が何か?」
「いや、林檎ちゃんの顔・・・名前と同じで真っ赤だから・・・。」
 
 
                    完
 
 
 林檎って誰や?とか突っ込まれるとお父さんお困りなんですけどこのキャラおいしい。(笑)
 最初に登場してきたときは絶対に攻略可能キャラだと思ってたんですが。(泣)いや、それはともかくちょと性格設定をきつめにしすぎたかも。
 個人的には『黒山羊さんたら・・・』の部分が好きなんですけどね。こう、精神の均衡が崩れる場面というか・・・やめとこ。(笑)
 でも、本当にこのキャラ可愛いと思うけど。でもすみれも好きだから単なる脇役フェチかもしれません。

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