「マリーン!大変なのです!今すぐ来てくださいなのです!」
 夏の日差しを一杯に浴びながら魚釣りをしていたマリンの元に小さな天使が駆け寄ってくる。
「ど、どうしたのリリィ?何があったの?」
「どうしたのこうしたもないのです!とにかく来てくださいです!」
 釣り竿を放りだし、マリンはリリィに手を引かれるままに走り出した。
 そんな二人をリーナは呆然として見送るしか出来ない。
「あっちなのです!洞窟の入り口でジャンお兄ちゃんとランディが喧嘩してるです!」
「え?ジャンが?」
 マリンはまず自分の耳を疑い、そして次にリリィの言葉を疑った。だが、リリィの表情はあくまで真剣で、息を切らせながら走っている姿は冗談や嘘とは思えない。
「マリン!おいて行っちゃダメなのですー!」
 そんなリリィの言葉を無視して、マリンは洞窟の入り口へと全速で走った。
 
 そして1時間後。
 ジャンはマリンの家で傷だらけになった顔をマリンに手当てしてもらっていた。無論、ランディも今頃はイーリアに治療(?)されている頃であろう。
「・・・ジャンも喧嘩したりするんだね。」
「・・・」
「それはそうです!マリンと同じようにジャンお兄ちゃんも男の子なのです!」
「あのね、あたしは女の子なの!」
「そうでした・・・。」
 リリィとマリンのやりとりを聞いて、ジャンがほんの少しだけ微笑んだ。その表情を見てマリンは勘違いする。
「あ、痛かった?」
「ううん、大丈夫。」
 マリンは安心したようにジャンの右頬に絆創膏を貼り付けた。
「さて、みなさん。」
 ジャンの治療が終わったのを見て、リリィはさとうつゆくさを大きく振り上げた。
「これから我々ぺったんっこ姉妹(シスターズ)探偵団は尋問を始めるのです!」
「尋問?」
 マリンが首を傾げた。
 少なくともこれまでそんな遊びをしたことはない。
「そうです!被告人はジャンお兄ちゃんなのです!」
「え?ぼく?」
 ジャンもまたマリンと同じように首を傾げた。
「さて、お兄ちゃん。何故ランディと喧嘩したんですか?」
「ああ、ボクも気になってたんだ・・・事の次第によってはボクもランディの奴をぶっとばしてやる。」
 マリンが右手を握ってぶんぶんと振り回すと、リリィもまた右手のつゆくさをぴしぴしと振り回す。
「そうです!リリィもランディを悩殺するです。」
「リリィ・・・悩殺って・・・」
「大丈夫です!マリンには無理ですけどリリィならきっと出来ます!」
「リリィっ!」
「きゃあっ、マリンが怒ったのですー!」
 全てを忘れて家の外へと走り出していった2人を呆然と眺め、ジャンはまだ途中だったパンの配達の続きに取りかかった。
 
「ただいま・・・」
「ジャン!」
 いつもとは違うマリアの厳しい声を聞いて、ジャンは身体を硬くした。
「ちょっとこっちにいらっしゃい。」
「いいじゃないか、マリア。男の子ってのは喧嘩ぐらいするもんだよ。あたしゃジャンも男の子だなって安心した位なんだから。」
「イーリアは黙ってて!」
 マリアの剣幕に負けて、イーリアは静かにカップを口に運ぶ。
 げんこつ!(笑)
 涙目になってジャンは自分の頭を押さえた。
「おい、マリア・・・」
「イーリアもランディのこと怒ったんでしょ?これでおあいこよ。」
「そういうものかなあ・・・」
 カップに残ったお茶を飲み干しながら、イーリアは天井に視線を向けた。
 顔中傷だらけにしたジャンとほとんど無傷のランディがはたしておあいこなのだろうか?などと考えていたのである。
「さて、ジャン。」
 マリアがにこにこと笑いながらジャンの頬を両手で挟み込む。
「どうして喧嘩したの?あなたの方からランディに殴りかかったらしいわね。」
「どーせ、ランディの奴がなんかしたんだろ?」
 と、イーリアの助け船に対してジャンは黙り込んだ。
「ねえさんにも言えないの?」
 マリアの眉がつり上がる。
「よせよ、マリア。言いたくない理由の1つや2つぐらい誰にでもあるさ。大体マリアだって昔は・・・」
「はいはい・・・どうせ私はおてんばさんでしたよーだ。」
 マリアはため息をついて、ジャンの顔を見た。
「ジャン、ランディに謝ってきなさい。」
「・・・嫌だ。」
 マリアとイーリアが同時にため息をついた。
「一体何があったのやら・・・」
「ランディはなんて?」
「わからないってさ・・・。」
 
「よおっ、ぺったんこ姉妹。元気か?」
「ランディっ!」
 マリンとランディのとっくみあいが始まった隣で、リリィは肩をすくめながら首を振った。
「やれやれなのです・・・本当のことを言われて怒るなんてマリンはまだまだ子供なのです。」
「ぺったんこをぺったんこと言って何が悪い。」
「見たこともないくせに!」
 ごろごろともつれ合いながらランディとマリンの舌戦は続いている。
「ねーちゃんに比べたら服を着ててもわかるぜ。」
「い、イーリア先生はこの村一番じゃないか!」
「それでも、マリンがぺったんこなのは間違いがないことです。」
 リリィが重々しく頷く。
「リリィ!」
「隙あり!」
 ランディが下から拳を突き上げると、マリンは後ろに転がった。が、その次の瞬間ランディはいきなり走ってきたジャンに横面を殴り飛ばされた。
「どわあああっ!」
「マリンの顔を殴るなっ!」
「・・・・・・」
「・・・え?」
 凍り付いた時間が氷解して、ジャンとマリンの顔が真っ赤になる。
「・・・ジャンお兄ちゃんも趣味が悪いです。」
「リリィっ!」
「きゃー、逃げろなのです!」
 この場から逃げ出すチャンスを探していたマリンは、これ幸いとばかりにリリィの後を追いかけて走っていく。
 さすがのランディも居心地の悪さを感じたのか、ジャンに殴られた頬の辺りを撫でながらジャンから視線を逸らした。
「あー、いやその、なんだ・・・そうなのか?」
 隠しようがないことを悟って、ジャンは頷いた。
「あ、うん。」
「あ、そうなのか・・・じゃあこの前のも・・・あれか?」
 ジャンはもう一度頷いた。
「そ、そうか・・・俺は良くわからないけど・・・俺が悪かった。頑張れよ。」
 そう言い残して背を向けたランディにジャンが声をかける。
「ラ、ランディ!」
 ランディは軽く右手を挙げて呟いた。
「わかってる・・・誰にも言わねえよ・・・男の約束だ。」
「あ、ありがとう。」
 
「行って来まーす!」
 ジャンはパン屋コロッセルのドアを元気良く開いて・・・誰かを突き飛ばした。
 ごつっ。
「あたたた・・・」
「あ、マリン!だ、大丈夫?」
 ジャンが駆け寄るよりも速く、マリンは立ち上がった。顔が赤い。
「あ、あのさ・・・2人でお散歩とかどーかなと思って・・・。」
「あ、うん、いいよ。」
 マリンの顔がさらに赤くなる。なにやら忙しげに両腕を振り回す仕草が可愛い。
「いつもの場所?」
「う、ううん、今日は洞窟を抜けてポツの孤島に行こう。」
「え、少し遠くない?」
「いいの!・・・ちょっと遠いぐらいの方が・・・。」
 誰にも邪魔されない・・・とはさすがに口に出せない。
「い、行こうか。」
「うん。」
 てくてくてくっと洞窟を抜けて2人はポツの孤島へ。
 奇妙なことにその間2人は何も喋らない。それに従って2人の間にはある種の緊張感が高まっていた。
「風が気持ちいいね・・・海が近いからかな。」
「そうだね・・・ここって」
「ジャン!」
 ピアが良く来るところ・・・と言いかけたジャンを遮ってマリンが叫ぶ。
「あの・・・この前のことなんだけど・・・」
 いきなりジャンの顔が真っ赤になったのを見て、マリンもまた顔を赤らめた。
「あの、あれって、その、ひょっとして・・・ボクのこと・・・なのかな?」
 マリンののどが何かを飲み込む音がする。
 ジャンは何とか頷いて見せたが・・・マリンは首を振った。
「ちゃ、ちゃんと言葉で言って欲しいなーなんて・・・」
「うん・・・僕、マリンのこと好きなんだ。」
 顔を真っ赤にしたマリンは少しだけふらつき、気を取り直すように顔をぶんぶんと振る。「で、で、でもさ・・・ボクってこんなんだし・・・」
「いいんだ・・・マリンらしくて僕は好きだよ。」
 告白してしまったことで心の余裕が出来たのか、ジャンはマリンに向かってにっこりと微笑んだ。
「そ、それに・・・ボクって・・・ぺ、ぺったんこ・・・だよ。いや、少しはあるんだけど。」
 蚊の泣くような小さな呟きを聞いて、ジャンは大きく首を振った。
「かまわないよ!僕はマリンが好きなんだ。」
「本当!?」
 と、一旦は喜んだマリンだったが、何かに気がついたように首を傾げた。そして俯いて肩の辺りをわなわなとふるわせる。
「マリン?」
「ジャンの馬鹿あっ!」
 マリンに殴られたジャンは、そのまま走り去ったマリンを追いかけることも出来ずに呆然と見送るだけだった。
 すると、岩陰からピアがひょっこりと姿を現した。
「あーあ、ぼけなすってば本当にぼけなすなんだから・・・。」
「ピ、ピア・・・いつからそこに?」
「か、勘違いしないでよね。あんた達より私の方が先にここにいたんだからね。」
 何故かピアは慌てているように見えた。
「僕・・・マリンに何か悪いこと言ったのかな?」
「やだ、気がついてないの?だからあんたはぼけなすなのよ!」
「どういうこと?」
「自分で考えなさい!1つだけ言わせて貰えばね、女の子ってのは複雑なの。」
 ピアはジャンに向かって右手を複雑に交差させる。
「え?」
 ジャンはピンクの豚に変身させられた。
「そのまま反省してなさい。」
 その場に取り残されたジャンは、約1時間ほどそのままの格好でポツの孤島に佇むことになった。
 
「ただいま・・・」
「あら。遅かったのねジャン。すぐ夕ご飯にしましょう。」
 てきぱきと夕食の準備を始めるマリアに向かって、ジャンは自分の心の中の熱い疑問をぶつけてみた。
「マリアねーさん・・・実は・・・」
「・・・ジャン、ちょっとこっちへ来て。」
 話を聞き終えると、マリアはにっこりと微笑んだままパン屋の入り口へとジャンを誘った。
「え、夕ご飯は?」
「いいから・・・」
 ジャンは首を傾げながらマリアの後をついて外に出た。すると、マリアはジャンを外に残して家の中に入る。
「マリアねーさん?」
 がちゃっ。
「え?」
 ドアの鍵がかけられた音を聞いて、ジャンはマリアに呼びかけてみた。もちろん、返事はない。
「え、え?ねーさん、ねーさんってば!」
 どんどんとドアを叩くと、マリアねーさんの冷たい返事が返ってきた。
「今日は夕飯抜き。家にも入れてあげません。」
「ええっ!そんな、ねえさんどうして?」
 どんどん、どんどんどん!
「何やってんだ?」
「あ、イーリア先生・・・」
 イーリアはジャンを見てにやっと笑った。
「なんだ、マリアを怒らせたのか・・・よし、なだめてきてやるよ。」
 そう言ってイーリアが家の中に入って数分。
 イーリアは眼鏡のレンズを光らせながら外に出てきた。
「イーリア先生、ど・・・」
 どうだった?と言いかけたジャンの視界が大きく震えた。
 てんこつの部分を思いっきりげんこつで殴られたのである。
「ひどい、イーリア先生まで!」
「まあ、夏だからな。風邪をひくこともないさ・・・」
「イーリア先生!」
「じゃあねえー。」
 ジャンは呆然とイーリアの後ろ姿を見送った。
 
「・・・そうか、大変だったな。」
「うっうっ・・・フォルカーさんだけです、そう言ってくれるのは。」
「まあ、たまには野宿もいいものさ・・・たまには、な。」
 フォルカーは薪を一本たき火の中へと投げ入れた。そして再びウクレレを奏でだす。ウクレレ特有の柔らかな音が夜風にのって木々の間を通り抜けていった。
「ジャン君・・・そう言うときは『そんなことないよ』って言うんだ。」
「そうなんですか?」
「この風来坊は・・・一応男だから絶対とは言わないが、多分そうだ。」
 無精ひげの生えたフォルカーの横顔をたき火の光が柔らかく照らしている。
「もう、夏も終わりだ・・・」
「また、旅に出るんですか?」
 ジャンが聞くと、フォルカーは遠い微笑みを返してきた。
「この村に来ているのも旅さ・・・。」
「あ、・・・でも、僕も明日になればこの村を出て行かなきゃいけない・・・」
「帰る故郷があるうちはそれでいい。」
 フォルカーは星の瞬く夜空を見上げた。心なしかウクレレの音が強くなる。
「出来ることなら・・・旅になんか出るものじゃない。」
「・・・」
「ジャン君・・・謝ってきたらどうだい?」
「・・・もう、マリンは眠ってるってメルビンさんが・・・」
「そうか。」
 フォルカーはそう呟いて、ウクレレをジャンに渡した。
「弾いてごらん・・・少しは気分が晴れるかもしれない。」
「フォルカーさんは来年もこの村に来るんですか?」
「多分ね・・・」
 ジャンの指がたどたどしくウクレレを演奏し始める。
「明日の朝マリンに謝ってみます・・・それでだめなら、来年またここに来て・・・許してくれるまでずっと・・・」
「それがいい・・・。」
 
「メルビンさん・・・マリンは?」
「マリンの奴、朝からどこかに出かけたんだ。」
「そうですか・・・」
 ジャンはとぼとぼとコロッセルに向かった。もう帰り支度をしなければいけない時間になっていたからである。
「マリアねーさん・・・」
「ジャン・・・反省した?」
「うん、・・・多分。」
「多分?」
 マリアの眉がはね上がる。
 それでもジャンは繰り返した。
「うん、だって僕はマリンが好きだし・・・」
 ごとっ!
「何の音?」
「さ、さあっ、何の音かしらねー。」
 どこかあらぬ方向を見つめるマリアの額に汗が浮いている。
「それにぺったんことか言われてもわからないよ。マリンはマリンだし・・・僕はマリンが好きなんだから・・・」
 何故かマリアの顔が赤くなる。
「そ、そう・・・ちょっとねえさん照れちゃった。マリンは幸せよね・・・」
「マリアねえさん、僕来年もここに来てもいい?」
「え?」
「僕、まだマリンに謝ってないし・・・」
「そ、その話はまた今度しましょうか?」
 マリアはジャンに荷物を持たせて後ろを振り返らせた。当然のようにそこにはマリンの姿がある。
「マ、マリン!」
 マリンは俯いたまま床を見つめている。
「帰っちゃうんだよね・・・」
「う、うん。」
「また来てくれるよね・・・。」
「うん。」
「約束だよ。」
 そう言ってマリンはにっこりと微笑んだ。目元が少し赤い。
「うん。」
「じゃあ、飛行船乗り場まで一緒に行こうか。」
 そう言ってマリンはそっと右手を差し出した。ジャンが顔を赤くしながらその手を取ると、マリンは走り出した。
 そんな2人の背中を見送りながら、どこかに隠れていたイーリアがため息をつく。
「・・・マリンにドレスを着せて化粧するっていう段取りはどうなったのさ?」
「だって、そんなの必要なかったみたいだし。」
 マリアはどことなくうらやましそうに遠ざかる2人の背中を見つめた。
「うふふ・・・頑張らないとあの2人に先を越されそうね。」
「あいつらにゃまだ早いよ。」
「そうかしら?」
「ありゃまだまだ子供さ・・・。」
「と、いけない、私達が見送りに遅れちゃうわ。」
 そうしてマリアとイーリアもまた飛行船乗り場に向かう。
 
 ジャンだけでなく、マリンにとってもいつもとは違う夏休み。
 2人を照らす日差しが再び夏の日差しになる頃、きっと2人は再会する。そしてまた少し違う夏休みを経験するだろう。
 しかし、これから2人が何度夏を経験してもきっと2人はこの夏のことを忘れない。
 2人にとってのプエルコルダンの夏はどこまでも続いていく。
 
 
                   完
 
 
 自分で書きながら照れましたわ。(笑)
 年齢的には中学生ぐらいだけど、やってることは小学生低学年レベルです。実際のエンディングも、『え、それだけ?』とか突っ込んでしまいそうになりましたが、歌が終わってから1シーン追加。意表をつかれました。(笑)
 しかし、マリンはやっぱり川背ちゃんだろうな。(笑)え、海腹川背の主人公の女の子のことですけど。
 なんか吉井さんあたりの知り合いに変な顔をされそうです。でもまあ、たまにはこういうのもいいですよね。(笑)

前のページに戻る