「悠介、お弁当よ」
「いらねーよ…毎日毎日、教室まで持ってくるな」
「だって、悠介ってばいつもいつも遅刻ギリギリだから」
「そうじゃなくて、どうして毎日俺の弁当を作ってくるんだよ?」
「どうしてって……」
 だって、家族なら当たり前のことでしょう?
 喉まで出かかった言葉をまことは何とか押しとどめた。
 あれは、遠い日の約束……今は、春だから悠介が忘れているのかもしれない。そう、秋じゃないから…
「ちゃんと食べるのよ……」
 多分、この後で何も知らないクラスのみんなに冷やかされたりするに違いない。
 今は約束だけだから、きっと照れくさく感じるはず。
「私が卒業して、悠介が卒業して……そうしたら、本当の家族にしてくれるんだよね?」
 自分自身に言い聞かせるように、まことは小さく呟き続ける。
「あの約束は……今も生きてるよね」
 あの約束を交わした日からずっと一緒に……可能な限り一緒に生きてきた。時には疎まれ、時には恥ずかしそうに感謝され……家族のように接してきたのだ。
 中学からの親友であるまきは、悠介のことを『弟君』と呼ぶ。
 確かに、端から見れば出来の悪い弟と面倒見の酔い姉のように見えるかも知れない……そのあたりが悠介の反発を生んでいるのだろう。
 ただ、まきの場合他意があるわけではなくて、単に姉弟だと本気で勘違いしていていた後遺症なのだが。
「……あ、まこと。弟君に渡してきたの?」
「うん、どうにかね……」
「いい加減割り切ったら楽なのにね……素直に受け取ればまわりだって騒ぎはしないのに……」
「まあ男の子は、いろいろあるみたいだし……」
 これ以上は踏み込めない便利な言葉で、まことは親友との会話をうち切った。実は『弟君』と聞かされることに抵抗を感じていることを気付かれたくない。
「でもさ、どうして目立つ昼休みに持っていったり……」
「うふふ…いやがらせ、かな?」
「はー、いい性格してるよ」
 窓の外に視線を向ければ、遅咲きの桜の花が散っているのが見えた。
 いちょうと茜が有名なこの街に、どことなく桜は似合わない。
 それと同じで、悠介の隣に咲く花は自分だけでいい……
 
 10月になって、いちょうの葉の緑色が幾分艶を失ってきたようだった。
 後少しすれば、また例年のように鮮やかな紅葉(?)を見せてくれるに違いないイチョウ並木を歩いていると、まことは決まってあの年の秋のことを思い出す。。
 毎年同じように色づき、同じように散ってゆく筈なのだが、あの年だけは違っていた。
 舞い落ちるイチョウの葉を見ながら、涙を流していた幼い頃の自分の姿。あの年のイチョウの葉は、とても悲しい色をしていた様に思う……
 それでも、まことがいつも頭に思い描くのはあの年のイチョウの葉。
 かけがえのない家族を失った自分が、かけがえのない何かを手に入れたのは、あの悲しい色の中に包まれた瞬間だったから
『……じゃあ、結婚しようよ。そうすれば本当の家族になれるよ』
『だって、ゆうちゃん同じクラスのさおりちゃんと仲がいいでしょ?』
『あ、あんな奴関係ないよ……』
『じゃあ、証拠見せて……』
 唇と唇が触れ合った瞬間、自分を包んでいた悲しい色が、優しい色に変化したのを今も鮮やかに思い出すことができる。
 休むことなく次々と舞い落ちるいちょうの葉は、幼き日の自分に永遠というものを信じさせてくれた。
 ふと隣を見れば、自分と同じようにイチョウの木を見上げる悠介がいる。
 それが何となく気恥ずかしくて、幾分乱暴にドンと肩を叩いた。
「何してるの、ぼうっとして?」
 自分のことを棚に上げたまことに目を転じて、悠介はしみじみと呟く。
「いや、俺の人生ってこれからどうなるんだろうなと思って」
「……どうなるんだろうね、私達?」
 『俺』という単体名詞をさりげなく『私達』という言葉でフォローする。それに対する反応は特にない。
 口ではなんと言おうと、自分と悠介は同じ景色を見ているのだと思える瞬間。
 世間一般で言うところの、『つき合っている』という関係ではない。そんな関係に憧れないでもなかったが、自分からあらためて口に出すのは恥ずかしいし、多分悠介はそんなレベルの景色を見ていないのだとまことは思っていた。
 悠介とは家族同然に関わってきた自分。
 ともすれば姉弟のように見られる事もあったが、あの時からまことにとっての家族という言葉の意味はずっと変わらない。
 そんな2人の目の前に、一枚の葉がひらりと舞う。
 一枚だけうっすらと色づき、群からはぐれた小鳥のようなそれは静かに地面に落ちた。一枚きりの、あの時と同じ色をしたイチョウの葉。
 今年もまたあの季節がやってくる……秋という四季の中での、その一区切り。
 この街に住む人が時折口にする季節……いちょうの舞う頃。
 小説家でもある悠介の母に言わせると、悲しみと幸せを混在させた微妙な感覚を想起させる季節なんだそうだ。
 ザザザ……
 人や自転車、時には車も通り抜けていくこのイチョウ並木は、風の通り道でもある。
 イチョウの葉が散る頃になると、降り注ぐ葉と舞い上がる葉によってある種の幻想的な眺めを作り出すことになるのだが、まだ少し早いようだった。
「……じゃ、私夕飯の支度もあるから先に帰るね。どうせ、おばさんは今日も遅いんでしょう?」
「別に作ってくれなくても……」
「自分の分を作るのも、3人分の量を作るのも同じよ……」
「勝手にしろ」
「勝手にするわよ…」
 なれ合い以外の何物でもない会話をだけをその場に残し、まことは家に向かって走り始めた。
 今日の夕飯は、悠介の好きなオムレツにしよう……
 
「まこと。お前の弁当を受け取ることのできない理由がだな…」
「またわけの分からないことを言って……ちゃんと食べるのよ。時間があれば、水洗いだけして……」
「聞けよ、まこと」
「はいはい、また今度ね……」
 いつものように悠介をあしらって背中を向けたまことの耳に、意味のよく理解できない雑音が飛び込んできた。
「俺、彼女ができたんだ…」
 つうっと、冷たい異質な何かが背筋をはい上がってくるのを感じて、ぎこちなく振り返る。そうして悠介の顔を見て初めて言葉の意味が頭の中に染みわたり始めた。
「彼…女?」
 自分の声が酷く頼りなく、まるで他人が自分の体を使って喋ったように聞こえた。語尾が震えていないのだけが救いと言えば救い。
「じょ、冗談…でしょ?」
 じゃあ、私は?
 声にならない叫びがどんどんと胸の奥で膨れあがっていく。
「いや、マジで……だからこれは受け取れない」
「ちょ、ちょっと待って。悠介、彼女ってのは彼女のことなのよ?」
「……だからその彼女ができたんだというのに」
「い、いつの間にそんな…」
 一旦机の上に置いたものをやんわりと、しかしいつものなれ合いとは違う強固さをもって突き返されると受け取るしかなかった。
 混乱した頭の中で、このお弁当をどうしたらいいのだろうなどというどうでもいいことが気になり始めると止まらない。
「……ゆうちゃん」
「え?」
「な、なんでもない!そっかー、悠介にも彼女ができたんだ……」
 あはは、とわざとらしく笑って、机を2つばかり引っかけながらもさりげなく(笑)教室の外へと出ていくことに成功した。
 お弁当箱を抱えたままふらふらと自分の教室に戻り、自分の席に座ってしばらく惚けるまこと。
「まこと、弟君いなかったの…?」
「彼女ができたから受け取れないって……」
「……あんですとー!?」
 素っ頓狂なまきの言葉に、まことは現実世界へと無理矢理引き戻された。
「まこと、あれに彼女ができたって言うの?」
「『あれ』とは何よ、『あれ』とは!」
 後悔と失意に渦巻く心が、やっと噴出する機会を得て溢れ出した。
「ちょっ、まこと?」
「なんで、ゆーちゃんを『あれ』呼ばわりされなきゃいけないのよ!」
「まこと、ちょっと落ち着いて…」
 などとクラス内はおろか、まわりのさらし者になっているまことが我に返ったのはそれから5分後のことであった。
 
 イチョウが舞い始めている。
 何度も、何度も思い返した悲しみの色に染まったイチョウの色だった。母がいなくなり涙でにじんだ景色が、今そこにある。
 あの時の自分には悠介がいた……そして、今の自分には誰もいない。
 今日もおばさんに夕食を頼まれているのがなんとも残酷な現実だった。自分の手から離れていった人間のためだけに覚えた料理の味付けが悲しすぎる。
 悠介はいつものように振るまい、自分のことを家族のような感じで受け止めるのだろう。
「ぁ、あははっ…」
 まことは、目頭を押さえながらイチョウの木にもたれて空を見上げた。
「ゆーちゃん……私、ゆーちゃんのお姉さんになりたくなんかなかったよ」
 舞い落ちるイチョウの葉と同じように、頬を伝う涙はいつまでも止まろうとはしなかった。
 この街に住む人たちは、大小の差はあれどこの街のことを……イチョウの木と茜の花を愛している。だけど、まことはこの街が好きではなかった。
 自分を捨てた母、何もいい想い出のない街。いい想い出と呼べるものは、全て悠介と共にある。
 この街を出ていこう……舞い落ちるいちょうの葉を見つめながらまことは思った。
 どこか遠くの、うんと遠く離れた大学へ行って……いちょうの木のない街に住もう。
「家族のように……やっぱり本物じゃなかったんだ」
 自分を捨てた母も、そして母に逃げられても家庭を顧みなかった父も……そして、自分を捨てた悠介も。
「……どこにいるのかな、私の家族」
 かさかさと乾いた音をたてるいちょうの葉を踏みしめながら、まことは力無い足取りでいちょう並木を歩き始めた……
 
 
                    完
 
 
 また、バッドエンドですか?
 などという吉井さんの悲鳴が聞こえてきそうですが、実際には聞こえてこないみたいなので高任は気にしないことに決めました。
 久しぶりにプレイしてみたんですが……やっぱり良いゲームですなあ。
 だもんで、黒いキャラになりそうだった話を無理矢理終わらせました。(笑)短くなったのはそのせいです。

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