「じゃあ、マリアねーさん、いってくるね」
「はい、行ってらっしゃい〜♪」
 マリアの従弟であるジャンが、この村、プエルコルダンにやってきてから早10日が過ぎた。
 パンの配達および、材料収拾のために元気良く店から駈けだしていくジャンを、マリアが笑顔で見送るのがいつもの光景となりつつある。
 いや、店の前で待ちかまえている女の子に捕まって、配達の前にお散歩したりすることも……
「あれ。どーしたの、マリン?」
「や、な、なんていうか……おサンポとかどーかなって」
 ……あるようだ。(笑)
「いーよ、いこっか」
「ホントっ?よかった…」
 手をつないで歩き出す2人を横目で見送りつつ。
「うふふ、きょうはマリンなのね。ジャンったら人気者〜♪」
 などと、パン生地をこねるマリアはとても楽しそう。
 手伝いをしてもらうためにこの村に呼び寄せたのだが、なんと言ってもジャンは遊びたいさかりの子供なわけで。
 お手伝いは程々に……この村で過ごす夏休みが、ジャンにとって大切な思い出になるように、マリアは心から願っていたのだから。
 ただ……ジャンがこの村に来て早10日というか、まだ10日というか。
 不特定多数の少女が……と言っても、最大でも6人までなのだが、店の前でジャンが出てくるのを待つ今の状況に対して、マリアは何の危機感も抱いていないようだ。
 かつて2人の少女によってとんでもない騒動を引き起こされた経験を持つガリクソン村長あたりは、ジャンを見るたびに遠い目をするようになっているのだが……マリアはまだ19歳、経験不足を責めるのは酷というモノだろう。
 
「セラヴィさん、おいっす!」
「……」
 セラヴィの視線は、夏とは思えぬほど冷ややかで……それに気付いたジャンは、口調を改め、ぺこりと頭を下げた。
「……おはようございます、セラヴィさん」
「ふむ、自ら過ちに気付く……それはなかなか賢明なことじゃて」
 ふぉっふぉっと笑いながら、セラヴィが目を細めた。
「ピアは、もう出かけちゃいましたか?」
「一足遅かったようだの……さあて、どこに行ったか、ババにもわからん」
「そうですか……じゃあ、他の配達をすませながら探してみます」
 ぺこっと頭を下げ……リュックを担いだジャンが走り出す。
「婿にするなら、ああいう男がいいんじゃが……まだ、あの子にはわからんかもしれんて」
 遠ざかっていくジャンの背中を見送りながら、セラヴィがしみじみと呟き。
「それがわかる頃には、手遅れだったりするからのう…」
 魔法勝負の優劣に関係なく、戦う前から勝負のついていた遠い記憶を懐かしんでいるのか……セラヴィの眼差しは遠かった。
 
「おう、ジャン。今日もマリアさんの手伝いか?」
 手に持っていた木の枝を上げて、ジャンを呼び止めたのはランディだ。
「うん。昨日は手伝ってくれてありがとう、ランディ」
「べ、別に果物集めなんか、手伝いでも何でもねーよ…」
 率直な感謝を素直に受け取ることが出来ない性格というか、年頃なのだろう……ランディが照れたようにそっぽを向く。
「そうだ、マリアねーさんから貰ったパンあげる。後で3人で分けて食べるといいよ」
「え、いいのか?」
「うん、昨日手伝ってくれたお礼」
 リュックから取り出したパンを手渡し、ジャンがにっこりと微笑む。
「でも、お前は…」
「ボクの分はまだあるから」
 ジャンがぺしっと背中のリュックを叩く。
「そ、そうか、なんだか悪いな…」
「いいよ、また気が向いたときにでも手伝ってくれれば」
「おし、わかった…あいつらにも言っとく」
「じゃあね…」
「そうだ、ジャン……ブックルの実を集めるときは気をつけろよ。あんまり南の方に行くと、デカブツの巣があるからな」
「わかった、ありがと、ランディ」
 すったかたったったー、と走り出すジャンに、ランディはちょっと苦笑を浮かべて。
「なんか、調子狂うんだよな…ジャンのやつと話してると」
 プエルコルダンは小さな村で、子供の数はそれほど多くない。
 よそから来た人間や珍しいモノに興味津々になるのが常だが……そういう意味では、ジャンはずっと昔からこの村にいたかのような普通の子供で。
 なのに……こうして話をすると、やはりどこか違うという事がわかる。
「……年下のくせに、なんとなくマリアさんっぽいんだよな」
 それは、ジャンが子供の頃のマリアと似ているという意味ではない。
 今から数年前……マリアがちょうど今のランディぐらいの年齢だった頃、同年代の少年を……つまりマリンの兄だが、姉のイーリアと一緒になって殴り飛ばしていた光景が今もランディの記憶に鮮やかで。
 姉のイーリアが怖いのは確かだが、本当に怒らせると怖いのはマリアさんではないか……と、ランディの心の片隅には、その思いがぬぐいがたくある。
 いや、少し話が逸れた。
 そう、ジャンは子供なのに……今のマリアの雰囲気に似ているのだ。
 そのあたりが、ランディにどこかアンバランスな思いを抱かせるのであろうか。
「……と、ぼやぼやしてると冒険の時間が無くなっちまう」
 ランディが走り出す。
 関心と無関心、その気まぐれさは少年特有のものだった。
 
「こんにちわー」
 外で、誰かの声がする。
 いや、誰かじゃなくて、ジャンだ。
 チェインはふっと研究の手を休めて、何となく耳を澄ませてしまう。
 ああ、母さんへのパンの配達か…と、ちょっと苦笑し。
「今日も…いや、いつも元気だな、ジャン君は」
 リュックを背負って、パンの配達と、材料調達と、村の誰かの頼み事のために、いつも走り回っているジャン。
 自分のしている研究は、あくまでも自分のためで……などとチェインは思っていたのだが、いつの間にやら、村のみんなから『ブライトさん(洗剤)』を作って欲しい……という頼みが、舞い込んでいたりする。
 ここは、プエルコルダン……小さな村。
 小さな村にふさわしく、村人の数は少ない。
 人の数は少なくても、やっぱり好き嫌いはあって……ほとんど交流のない人間がいたりするのだ。
 水と油は混ざらない。
 ジャンは、水でも、油でもなかった……それでいて、どちらとも混ざるのだ。
 
「よう、ジャン」
 たったったった……たったったった。
 橋の上で、ジャンがきょろきょろと辺りを見回している。
「ジャン、こっち、こっち」
「あ」
 ジャンの視線が下へ。
「あはは、見えなかった」
「まあ、橋の下は日陰だからな」
「そうだね、こんなに暑いと、魚だって日陰に行きたいよね」
「あはは、ジャンはリーナと同じようなこと言うね」
「……リーナは?今日は一緒じゃないの?」
「家で読書中だろ……配達か?」
「ううん」
 ジャンは首を振り。
「配達の残りは、ピアと、ポールさんだよ」
「ピアはわかんないけど、ポールさんなら、宿屋にいるんじゃない?」
「うん、だから後回し」
「なるほど…邪魔してごめん」
「ううん。邪魔なんかじゃないよ……アカメクラックだっけ?釣れるといいね」
「うん……本当は、リーナの病気に効くかどうかなんてわからないんだけど」
 少し、ほんの少しだけ、マリンが俯く。
「効かなかったら、その時に考えようよ……ボクは、ピアを探すついで、ブックルの実を採ってくるから」
「あはは、効かなかったら、その時に…か」
 マリンがちょっと笑い。
「そうだね…まだ釣れてないのに、考えてもしょうがないよね」
「うん、ボクはそう思うよ」
「そーだそーだ…」
 竿をあげ、餌をつけ直してから、マリンは再び仕掛けを投げ込んだ。
「じゃあね、ジャン」
「うん、じゃあね、マリン」
 たったったったっ…。
 ジャンが、風のように走り去っていく。
 夏だというのに、春のような優しい風だ……なんとなく、マリンはそんなことを考えた。
 
「ん…しょ」
 つま先立って、手を伸ばす黒髪の少女。
「手伝おうか、シンシア」
「え、あ、ジャ、ジャンさん?」
 振り向き、シンシアはあわてて身だしなみをつくろった。
「急に声をかけてごめんね、シンシア」
「いえ、そんなこと…」
 シンシアは少し恥じらいつつ。
「あと、少しで…届くんですけど」
 シンシアの目にはそう映っているようだが、ジャンが見たところ、とても後少しというレベルではなかったから。
「ボクが、台になろうか?」
「え、ジャンさんが…」
 ジャンが四つん這いになり、その背中を台にして……。
「い、いえいえいえ…結構ですわ。その、スカートですし」
 シンシアは、ジャンよりちょっとばかり大人だった。
「と、すると…」
 ジャンはきょろきょろと周囲を見渡し。
「あ、あの、ジャンさんは、仕事中ですよね。そんなに気を遣っていただかなくても…」
「そこのブックルの実、一昨日、ボクが穫っちゃたったから……だから、これは当然のことだよ」
 と、ジャンは、落ちていた木の枝を拾い上げ……別の小枝を組み合わせ、紐でくくりつけた。
「……それは?」
「この前、ランディに教えてもらったんだ…これをこうして…」
 木の枝を伸ばして、ブックルの実を挟み込む……と、ジャンはくいっと手首をひねった。
「あ」
 落ちてきた実を、シンシアが受け止める。
「ナイスキャッチ」
「……なるほど」
「ちゃんと熟した実は、木から落ちやすくなってるんだってさ」
 そう言って、ジャンは別の実へと枝を伸ばす。
 2つ、3つ…。
「ジャンさん、もう十分です」
「うん、わかった…」
 と、ジャンは伸ばしていた手を下ろして。
「わたわたは、元気?」
「ええ」
「そっか、良かった」
 ジャンはリュックの中をかき回し、オミカンジャムを取り出した。
「じゃ、これも」
「え、そんな…」
「これは、シンシアじゃなく、わたわたに、あげるんだよ」
「……ジャンさん」
 ジャンに押しつけられたジャムの瓶を、シンシアがぎゅっと抱きしめた。
「じゃあ、またね、シンシア」
「あ…」
 たったったったっ…。
「……もう」
 もう少し、話をする時間があってもいいのに……。
 シンシアは、少しだけそれを残念に思いながら、ジャンの背中を見送った。
 
「ローザさーん」
「あ…ジャンさん」
 額の汗を拭うことも忘れて、ローザはどこか途方に暮れた顔をジャンに向けた。
 しかし、こちらに駆け寄ってくるジャンの手に、何かが握られているのに気づいて……ローザは、微かな期待を覚えた。
「これでしょ、カナリア草」
「あぁ、ありがとう、ジャンさん…」
 ローザの顔が、ほっと安堵したものになった。
 そもそも、カナリア草はそれほど成長が早くない……ほんの10年前までは、すぐに見つかったものだが、娘のリーナの薬のためとはいえ、乱獲による減少以外の何ものでもないだろう。
 カナリア草が見つかった……それは、結局のところ何ら現状を打開する事ではない。
「ローザさん……毎日同じところを探すのは、良くないと思う」
「ええ、そうね…」
 それはローザもわかっているのだが、気づくのが遅すぎた。
「あの崖の向こうの、岩棚になっているところに群生してたんだ……それをわけて、何ヶ所かに、畑みたいなものを作った方がよいと思う」
「崖の…向こう?」
 ローザは、はっとジャンの姿に目をやった。
「ジャンさん…」
 膝、腕、手のひら……泥に混じって見えるのは、血の痕か。
「ん、ボクは平気…」
「……」
「セラヴィさんの持ってる本に、カナリア草の育て方っていうか、育成条件が説明してあったんだ……マリンや、みんなに頼んで、手伝ってもらおうよ」
「……っ」
「ロー…ザ、さん?」
 ローザは、娘であるリーナの世話で追いつめられていた。
 何とかしなければ、何とかしなければ、と、自らの視界と思考を狭めて。
 1人ではない、1人ではなかったのだ……。
 自分が抱きしめる少年の存在が、それに気づかせてくれた。
「ありがとう、ありがとう…ジャンさん…」
 
「ジャーンくーん、避ーけーてー」
 振り返る、などと言うことをジャンはしなかった。
 そのまま、前に向かってダッシュし……林の中に入る。
 足下の木の根を巧みにかわしながら、右へ、左へ……ジャンの姿はさながら舞踏家のよう。
「あああー、ダメェー」
 どっかん。
「……うぅ」
「ご、ごめんねジャンくん…やっぱり、ほうきが、ジャンくんを追いかけちゃうの…」
「そ、そっかー……」
「で、でもジャンくんはすごいねー。林の中を、すごい早さで走っていくんだもん」
「……追いつかれたけど」
「うん、木にぶつかりそうで怖かった…」
「……というか、さっさと降りてよ、ルフィー」
「あ、ごめんなさーい」
 顔を赤らめ、ルフィーがほうきを片手に、ジャンの上からどいた。
「ふう…」
 ため息をついてから、ジャンは立ち上がり。
「ルフィーの練習が終わったと思ったから、こっちにやってきたのに」
「ん、ジャンくんが、来ないから…いつもより、長く練習してたんだ」
「迷惑な話だね」
「う…」
 ルフィーの目に、涙がにじむ。
 小さなプエルコルダンの村で、誰にでも優しく親切なジャンだったが……何故か、ルフィーにだけはぶっきらぼうというか、意地悪だった。
 いや、最初からそう、というわけではなかったのだが。
「ごめんね、ぶつかっちゃって、本当にごめんね…」
 村中を追いかけ回され、体力の限界からかついに橋の上で追いつかれて激突され、川の中に突き落とされ……以下略。
 ルフィーと仲の良いのはチェインだが、この件に関してはノータッチを決め込んでいる。
 いや、むしろ、ルフィーに『あれはジャン君がかわいそうだよ』と、非難していたり。
「あのね、ちゃんと練習して、うまく飛べるようになるから…」
「ふーん、練習をやめる…とは言わないんだ」
 ルフィーは、ぽろぽろと涙をこぼしながら。
「ぐすっ…前も言ったけど…お父さんに…会いに行くんだもん…だから、飛べるようになるまで、やめないもん…」
「うん、知ってる…だから、ボクは、やめろとは言わないよ」
「……」
「まあ、迷惑だな、とは思ってるけど」
「う、うわあぁーん…嫌い嫌い、ジャンくんなんか、嫌い」
 たたたたた…。
 ルフィーが泣きながら走り去っていくのを見送り、ジャンは、ふう、とため息をついた。
 
 さて、ルフィーを溺愛している村長のガリクソンがこれを知ったら……と、村のみんなは思ったのだが、何故かガリクソンは『あー、あれはまあ、ルフィーも良くないからして…』などと、目をそらしながら曖昧に答えるだけだったのが、謎と言えば謎だった。
 
「じゃあ、行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃーい〜♪」
 マリアねーさんの声を背に受けて、今日もジャンはコロッセルを飛び出していく……いや、その前に。(笑)
「あ、あの…ジャンくん」
「何の用?」
「う…」
「今日も、配達で忙しいんだけど」
「……」
「もう、いいかな?」
 とぼとぼとぼ…。
 肩を落として、ルフィーが去っていく。
 さて、こんなところを見たら、さぞかしマリアねーさんは怒るだろう……と、思われたのだが。
「……他のやり方もあると思うけど、ジャンったら、優しいんだから〜♪」
 などと、鼻歌交じりに、パンづくりに精を出していたりする。
 はてさて、これはどういうことだろう?
 
「あら、ぼけなすじゃない」
「おはよう、ピア」
「おはよう……って、聞いたわよ、ぼけなす。アンタも、このピア様の下僕としての自覚が大分できてきたようね」
「……何の話?」
「何の…って、その、あれよ」
 ピアは、少し照れたように。
「その、私と違って、出来損ないがいるじゃない…いくら練習しても、無駄って言うか」
「うまくいく、いかないはともかく、練習することは悪くないと思うよ」
「……」
「そうだね、ピアは天才だから、練習すればもっとすごくなれるよ、きっと」
「そ、そ、そう?」
「うん。天才なのに、きちんと努力するって、格好良いよね」
「……」
「そういう人に、憧れちゃうなあ、ボクは」
「べ、別に、ぼけなすにほめられたくて、努力なんかしないんだから…」
 ぶつぶつと、しかし、ピアの足はセラヴィの待つ自分の家へ。
「じゃあね、ピア」
 と、ピアの姿が見えなくなるまで、ジャンは手を振った。
 ぽろん、ぽろろん〜♪
「あ、こんにちは、フォルカーさん」
「やあ」
 と、フォルカーは手を挙げて……ピアが去った方角に目をやった。
「体よく追っ払ったってとこかい?」
「あはは…あまり突っ込まれると、ぼろが出ちゃうので」
 と、ジャンが照れたように笑う。
「ふふ、あの娘はただ素直になれないだけだが、悪役を演じるのも、楽ではないだろう」
「……ですね」
「この風来坊には、理由まではわからんよ……」
 ぽろん、ぽろん〜♪
 
 そうして時間は過ぎていき、朝のお散歩の誘いはもちろん、道でジャンに出会っても挨拶すらしなくなった頃。
「飛べたぁっ」
 いや、飛ぶだけなら、前からできた。
 右旋回、左旋回、急上昇、急降下……ほうきが、ルフィーの思い通りに空を飛ぶ。
 急発進、そしてストップ。
 これなら、どこへでも飛んでいける。
「そうだ」
 ほうきが、いや、ルフィーが目指した方角…そちらには、コロッセルがある。
「あ」
 少年が、空を見上げていた。
 ルフィーは高度を下げ、少年に向かって、あっかんべーをした。
「飛べるんだから、私、飛べるようになったんだから」
 悔しがるだろうか、それとも、素っ気なく『ふーん、これでケガをせずにすむんだ』などと憎まれ口を叩かれるかと思ったのだが。
「そっかー、良かったね、ルフィー」
「……」
 出会ったときと同じ、優しい笑顔を浮かべて……。
 それが、ルフィーにはわからなかった。
 
 夏が過ぎる頃、少年は田舎に戻り……それから、何度目かの夏が、プエルコルダンにやってきた。
 
「あ、ルフィーおねーちゃん、おはようです」
「おはよう、リリィ」
「まーた、お勉強ですか?」
「うん」
 リリィはずいぶん大きくなった……が、相変わらず、外見にそぐわないこまっしゃくれた物言いをする。
「ルフィーおねーちゃんも……いつか、村を出ていくですか?」
「……わかんない」
 シンシア、そしてチェインの2人が、村からいなくなった。
 マリンの兄が結婚し、出産のためにこの村にやってきたのが去年の夏だったが……それも、一時的なものだ。
 村は、確実に寂しくなっている。
「また、ジャンが遊びに来ればいいです」
「ジャン…くん?」
 ルフィーはちょっと首を傾げ。
「ああ、いたね…そんな人。マリアさんのいとこの…」
 ルフィーは頷き、もう一度『いたね…意地悪な人』と呟いた。
「……」
「どうかしたの、リリィ?」
「……ルフィーおねーちゃんは、結構薄情です」
 ててててっ…。
「あ…」
 走り去ったリリィの背にのばしかけた手……そのやりどころを失って、ルフィーは不思議そうに呟いた。
「なんだろ…」
 
「おはようございます、セラヴィさん」
「おはよう、ルフィー」
「また、本を借りに来ました」
「おう…誰かさんと違って、熱心なことじゃて」
「うっさいわね……人が見てる前で努力するなんて、したくないのよアタシは」
 足音高く、ピアが家を出ていく。
「……ごめんなさい」
「何を謝る」
「いえ、ピアの機嫌を…」
「放っておけば良い…ふぉっふぉっふぉ」
 しわだらけの顔に、さらにしわを増やしてセラヴィが笑った。
「そういえば、セラヴィさんは覚えてますか?」
「言葉は正しく使うもんじゃ…魔法を使うものなら、なおさらじゃぞ」
「あ、はい……あの、マリアさんのいとこで、何年か前の夏休みにこの村に遊びに来たジャンくんのことなんですけど…」
「おお、おお…ジャンか。覚えておるぞ、もちろん……働き者で、心優しく、強い子じゃったの」
「……」
「……なんじゃ?」
「いえ、その…意地悪されたことしか、覚えてなくて…」
 ぼそぼそぼそ。
 セラヴィは少し考え。
「ジャンには、魔法を使う資質がなかったがな……請われて、本を貸してやったことがある。ほれ、これがそうじゃ」
「……」
「よければ、持って帰って読むが良い……わからなければ、ガリクソンにでも話を聞くんじゃな」
「……はい」
 どうやら、今日はこのまま帰れと言われていることに気づいて、ルフィーは、渡された本を手に、家に帰った。
 
 その本は、主に術者の感情と魔法の効力について書かれていた。
 そして、その中に……思春期の、特に、少女の感情が引き起こす、魔法のトラブルについて書かれた章があった。
 
『これまでの章で述べたとおり、術者の感情と魔法の効力には密接な関わりがある。怒りの感情は、破壊や物理的な作用を伴う魔法の力を高めるが、コントロールそのものを失う危険性をはらんでいる。同じように、喜びは、何かを生み出す、もしくは変化させるタイプの魔法の効力を高め、悲しみは、魔法の効力そのものを押さえる働きを示す。さて、この章では、術者が、自分の感情を自覚し得ないケースについて語っていこうと思う…』
 
『あのね、ほうきがジャンくんを追いかけちゃうの…なんでかなあ』
 
 からん、からん〜♪
「あら、いらっしゃい、ルフィー」
「こんにちは、マリアさん」
「うふふ、今日のパンは、父さんの会心の出来らしいから期待してね」
「あ、いえ…パンは買うんですけど」
 と、ここでようやく、マリアはルフィーの格好に気づいた。
「……ルフィー?」
「あの、ジャン君の田舎って…遠いんですよね」
「あら」
「えっと…」
「あら、あらあらあら〜♪」
 なにやら、マリアは楽しそうだった。
 
「じゃ、行って来ます…」
 ガリクソンと、シルフィーに告げてから、ルフィーは、マントを背に、肩からカバンを提げてほうきにまたがった。
「……気をつけてな」
「うん…じゃなくて、はい」
 ルフィーを乗せたほうきが静かに舞い上がる。
 術者の意志に従って、ほうきは空を飛ぶのだ。
 フォルカーに貸してもらったコンパスと、地図を頼りに、ルフィーは、ジャンの田舎があるという方角に向かって旅立つ。
「……何を、話せばいいのかな」
 手紙を出しておけば良かったかも……と思ったが、おそらく、手紙よりも自分の方が先についてしまうだろう。
 ジャンは何度も飛行艇を乗り継ぎ、1週間かけてプエルコルダンにやってきたという。
 ルフィーを乗せたほうきは、ただまっすぐに飛んでいく。
 山を越え、海を越えて。
 途中、いくつかの村や街を見かけて……自分が住んでいたプエルコルダンという村の小ささが、いまさらながらに実感できた。
 が、ジャンの住む田舎は、プエルコルダン以上に小さいのか……同じように空を飛んでいた魔法使いはもちろん、飛行艇の操縦者でさえ、はて、と首を傾げられたりもした。
 そういうときは仕方なく、ルフィーは近くの村や街に降りて、人に尋ねて回った。
 そして、5日目……。
 小さな、というか……山の中腹にしがみつくような、集落が見えてくる。
 先の街で話を聞いた旅商人のいう特徴と一致する、小さな村だ。
 ほうきの速度が上がる。
 そう、空を飛ぶことができたなら、魔法使いはどこへだってゆけるのだ。
「ジャンくん、ジャンくーん」
 無意識に、声が出ていた。
 ルフィーの、かつての小さな魔法使いの願いは形を変えて。
 一刻も早く、好きなときに父親に会いに行けるようにと、ただ、ルフィーが空を飛べるようになることを願ってくれた少年の元へ。
「ジャンくーん、だーい好き」
 
 
 
 
 夏は、どこまでも続いていく。(プエルコルダン限定で)
 いや、ちょっとひねった内容になってしまいましたが、作品の雰囲気を壊してはいませんよね。(笑)
 つーか、今さら何を書いてんだ……などと言われそう。
 
 待っててください、イーリア先生。(笑)
 しかし、リリィはともかく、マリアねーさんとのエンディングがこれぽっちも浮かんでこないのは何故だろう。

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