「いーち、にー、さん、しー」
「ごー、ろっく、しっち、はっち…」
17代目鬼百合、マイの海、三ツ葉黒、雛菊の富士、侘助、豆斯波、佐萌道……名門大輪女子大女雪相撲部の7人がそろって、稽古場で声を出す。
今日は日曜日。
週に一度の全体練習の日だ……と言っても、午前中に限ってのことだが。
それはそうと、たんぽぽと豆斯波は、鬼百合から手渡された大輪女子大女雪相撲部のユニフォームを身につけていた。
小豆色よりも少し明るい、いわゆる和服タイプの雪相撲ユニフォームは戦前から受け継がれてきたスタイルを踏襲しているらしい。
ただし、着物の丈はへそ上までだ。
それをたすきがけして、胸には大輪の花飾り。
下手をすればファッションショーの雰囲気さえ漂う高校のそれと違って、派手ではないが、存在感がある。
他大学の雪力士からは、羨望と闘志、そしてあきらめや嫉妬などのネガティブな視線を浴び続けてきたであろうことは、想像に難くない。
「……身が引き締まるっスね」
「ちょっと寂しいような気もするけどね」
たんぽぽの高校のユニフォームは、友人がデザインしてくれたモノだった。
今日までずっと、それを身につけていたわけで……少し寂しく思うのも無理はない。
「……」
そして、ユニフォームにまだ身につけられない佐萌道。
「……サモさん、まずは痩せないと」
「そうだよ、サモちゃん」
「わかってるダス…」
ユニフォームだけでなく、佐萌道はまだマワシすら巻くことを許されていない。
「まあ、昨日の今日で痩せられるわけじゃないけど、サモちゃん、今何キロ?」
「今朝計ったら、157キロだったダス」
「成長してるっ!?」
「成長…いい言葉ダスなあ」
「サモさん…ボケてるっスか?それとも、現実から目を背けてるっスか?」
「……努力してるつもりダスが、痩せないダスよ…」
「う、うん…焦らないで頑張っていこうー」
「そ、そうダスな…頑張るダスよ」
準備体操、股割り、四股を済ませたマイの海が土俵に登った。
「侘助さん」
と、たんぽぽを指名したのだが。
「マイ。怪我が治るまでおとなしくしてろと言ったはずだが」
「治りました」
「ほう、そうか…」
と、鬼百合がマイの海の手を握った。
「な、な、治ってます…よ」
にっこりと微笑む、マイの笑顔にキレがない。(笑)
「ダメだ」
「…わかりました」
と、鬼百合の表情と口調に何かを察したのか、マイの海が素直に土俵から下りた。
「そんじゃ…」
と、代わって土俵に上がったのは三ツ葉黒。
「侘助、可愛がってやるから、ちょっとこーい」
「ごっつぁんです」
と、たんぽぽが土俵に上がり……。
「いやいやいや、三ツ葉さん。眼鏡、眼鏡…」
「誰が眼鏡だっ!」
「ぬひょんっ」
「……ホント、良いリアクション返すよな、侘助は」
「ごっつぁんです……じゃなくてっ。眼鏡外さないと、危ないですよ」
「なんだ侘助。おめー、アタシに触れられるつもりなのか」
「そりゃあ、そのつもりでやりますよ」
「あはは、そりゃそうだ。だれだって、勝つつもりで土俵に上がるし、勝負に臨むよなー」
と、三ツ葉黒は笑って眼鏡を指さし。
「これはな、アタシの覚悟みたいなもんだ」
「覚悟…ですか?」
「この前の新歓コンパでちょっと言ったろ?アタシ、ゲーマーでひきこもりなんだよ。追い込まれないと本気が出せないって言うか……まあ、悪く言えば、スリルジャンキーだな」
「……」
「つーかさー、眼鏡外すと見えないんだって。侘助、お前、目の見えない相手をぶん投げて楽しいかー?」
「い、いえ…そんなことは…?」
「だろ?だからアタシは眼鏡をかける。侘助はそれを受け入れる。そんだけ」
「ああ、なるほど…そういうもの…かな?」
と、首を傾げつつもたんぽぽ。
「……単純すぎるっス」
「まあ、鬼百合関が止めないダスからな…たぶん、問題はないはずダスよ」
「2人とも」
と、気が付けば、マイの海が豆斯波と佐萌道のそばに来ていて。
「三ツ葉黒関をよくみていなさい……彼女は、大学女雪相撲のあり方を知る上で、非常に参考になる戦い方をしますから」
「…う、うっス」「はいダス」
2人は、あらためて頷いた。
「へへっ……じゃあ、始めるか、侘助」
「はい、三ツ葉さん」
行司はいない。
故に、あくまでも稽古だ。
「……行きます」
「おう」
立ち合い、たんぽぽが鋭く踏み込むところを、三ツ葉黒がちょこんとバックステップ。
意表を突かれてわずかに迷いの見えたたんぽぽの隙をついたつもりか、三ツ葉黒の左手がすうっとひかれる。
しかし、そのモーションが大きい。
隙か、それとも罠か。
たんぽぽは、歯を食いしばった。
突っ込めると思ったら突っ込む。それが、花畑たんぽぽだ。
後ろ足を蹴…。
ひやり。
なんかヤバイっ!
久々に感じた危険信号に反応し、たんぽぽは、出かかった足を無理やりに押さえ込むと、後ろ足に体重を乗せ、顔の前で腕をクロスさせた。
自然に、たんぽぽの視線が三つ葉黒の爪先から上半身へ。
「えぇっ!?」
左手を大きく振りかぶった三ツ葉黒。
その背後に見えるのは、白い荒野?
「え、えっ!?」
幻覚?それとも、夢?
戸惑うたんぽぽに向かって、三ツ葉黒は張り手を放つ。
「いくぜっ。ブリザード張り手ぇっ!」
衝撃。
そのたまらなく70年代のネーミングセンスにではなく、ガードした両腕を突き抜けてくる物理的衝撃に、たんぽぽは大きくのけぞった。
クラクラする頭を振り、追撃を大きく横に動いてかわす……いや、逃げた。
「へへっ。ガードの上から気絶させてやろうと思ったのによー、誉めてやる」
「な、なんですか、今のっ!?」
「あー、何って…ただの張り手だぞ?」
「いやいやいや、なんか白い荒野が見えましたよっ!?」
「あー?高校の全国大会に行けば、何人かはいただろ?」
と、不思議そうに言った三ツ葉黒に、土俵下の豆斯波が答えた。
「ワビさん、いつも3秒以内で勝負を決めてきたっスから。相手に技なんか出させないっスよ」
「ああ、なるほど…んじゃ、説明は後な」
と、あらためて、三ツ葉黒が振りかぶった。
これもまた、あまりにも大きな動作。
いわゆる『これから張り手を出す』と相手に教えるテレフォン張り手のように思えるのだが、まるで弓を射るかのように、一杯に腕をひいた状態でためを作るのだ。
そこからいつ撃つかは、三ツ葉黒の自由だ。
一度その威力を見せつけられてしまったら、銃口を突きつけられたかのようなプレッシャーに、さらされる事になるだろう。
「どうした?こないのか?」
「いきますよぉ…」
と、答えるたんぽぽの表情は、新しいオモチャを与えられた子供のようで。
右足。左足。
たんぽぽのステップに合わせて、三つ葉黒の体の向きを変える……しかし、軸はぶれない。
ならば、まっすぐ突っ込んでも同じ事……と、たんぽぽは腹を決めた。
「しょっ」
「真正面からかよ…」
苦笑しつつ、三ツ葉黒が引き絞った矢を放つ。
ガード。
「ぐっ!」
さっき、ガードせずに突っ込んでいたなら、大げさでもなんでもなく、一撃で意識を飛ばされていたかもしれない……が、もう初撃の驚きはない。
一度跳ね返された壁に向かって、たんぽぽが再びのアタック。
「いい覚悟じゃねーか」
言葉と共に、電光石火の2撃目が飛んできた。
続けて3撃目、4撃目。
たんぽぽの踏み込みよりも、張り手の回転が速い。
速いだけでなく、重い。
それも、闇雲な連打ではない。
三ツ葉黒の張り手が、自分の腕のガードを壊しに来ている事をたんぽぽは悟ったが、動けない。
5撃目で、ガードしていた右腕が跳ね上げられる。
「集中しないかっ、侘助!」
さすがに、鬼百合の叱咤の声が飛んだ。
「へへっ。お前も、追い込まれないと集中できねー口か」
顔面に迫る三ツ葉黒の左手に、たんぽぽは、まとわりつく白い冷気を見た……が、タイミングを合わせて首をひねり、わずかに肩を浮かすことで張り手を上へと流す。
「…ぉ」
「うまいダス」
たんぽぽの肩の上を突き抜く形で、三ツ葉黒の上体がわずかに流れた。
もちろん、たんぽぽはその隙にするりと懐へと踏み込む。
同時に左手は、マワシに向かって飛んでいる。
「あそこまでひっつけば、張り手はうてないっスね」
新入生2人の傍らで、マイの海が呟く。
「……と、誰もが考えます」
「おせーよ」
「っ!」
わずかに稼いだ時間は無駄ではなかったが、三ツ葉黒の左手は引き戻され、次の張り手の体勢に入っている。
たんぽぽは、目を見開き、歯を食いしばった。
避けられないなら、額で。
しかし、三つ葉黒はその覚悟をあざ笑うかのように、たんぽぽの顔面ではなく、マワシに向かって伸びた左手に向かって張り手を放った。
予想外の衝撃に、たんぽぽの動きが止まる。
「張り手は、防御にも使えんだ。覚えとけよ」
そして追撃の……たんぽぽは、後ろに飛ぶことでそれを避けた。
「へえ…パワーだけじゃねえな」
「……」
たんぽぽは、黙って腰を落とした。
明らかに、雰囲気が切り替わっている。
「……ようやくか」
と、これは苦笑しつつの、鬼百合の呟き。
低く構えをとるたんぽぽ。
それに対して、三ツ葉黒は半身になって、左手を下げて構える。
先の構えとは違うが、下げた左手から強烈な張り手が来ることを、理由はなくともたんぽぽは確信していた。
「……す、すごい攻防ダスが…」
「女雪相撲の戦いとは思えないっス」
「……大学女雪相撲界において、ルールの範囲内で独自の戦い方を練り上げる雪力士が多いです」
静かに、マイの海。
「大輪女子の中では、三ツ葉黒関は異質ですが、大学女雪相撲においては、むしろ彼女のように独特のスタイルを確立することが主流です」
「……」「……」
「まあ、アレはその中でもとびっきりだがな…」
と、鬼百合が補足した。
じりっ。
足の指で巻き込むようにしてわずかに間合いを詰めようとするたんぽぽに対して、三ツ葉黒はその距離を保とうとする。
「……計ってますね」
「まあ、それがミズキの誘いでもあるんだが…百も承知だろう」
三ツ葉黒が保とうとする距離……たんぽぽは、それを把握した瞬間動いた。
「行ったダス」
「もちろんっス!ワビさんに、待ちや逃げは似合わないっスよ」
もちろん、それは誰にとっても予測の範囲内。
「いらっしゃいませ、だ」
迎え撃つ三ツ葉黒。
ぱ、ぱんっ。
突き放すような張り手が二発……完全な手撃ちで軽いが、速い。まるでボクシングのジャブ。
そして、同じように放たれた3発目。
先の2発とは違う。
もちろん、たんぽぽならそれに気付く……と、三ツ葉黒は確信を持って、たんぽぽの反応を見守っている。
ガードは、また最初からやり直し。
上下、左右……どちらにかわせば、その分ロスを生む。
それなら、アタシの張り手の方が速い……さて、お前は何をやらかしてくれるかな、と三ツ葉黒はたんぽぽとの一瞬のやりとりを楽しんでいた。
そして、たんぽぽが選んだのは……。
ごっ。
「いかんダスっ!」「まともにもらったっスよ?」
「……おめー、無茶しやがんな…」
三ツ葉黒の張り手を額で受け、それに耐えた上で手首をつかむというものだった。
「……でも、捕まえました」
「おいおい、捕まえたら勝負ありなんて、甘いこと考えてるんじゃねーだろうな?」
「口は閉じててください」
「あ?」
「舌、噛みます…よっ」
「なにっ?」
柔道で言うところの一本背負い……しかし、これはあまりにも体勢不十分。
だが三ツ葉黒は、たんぽぽの強引としか思えない攻めをとがめることもできず、腰を下ろして必死で投げをこらえた。
「こっ、こいつ…」
半ば感嘆の呟きをもらす三ツ葉黒……その耳元で。
「これで、本当に捕まえましたよ…」
たんぽぽの左手はマワシをつかみ、投げの体勢へ。
「……悪ぃけどな、ここまでは一応読みの範疇だ」
と、三ツ葉黒は上手をひいた。
「ゲーマーの想像力舐めんなっ」
三ツ葉黒渾身の張り手の狙いは、たんぽぽの太腿。
避ければバランスを崩す。
かといって、もらえば痛みは意志とは関係なく身体を硬直させる。
既に、三ツ葉黒の頭の中には、二通りの決着シーンが描かれていたのだが。
「……マジかよ」
呆気にとられた表情を浮かべ、三ツ葉黒は呟いた。
両足は土俵から離れ……いわゆる死に体であり、張り手の威力は出ず、暴れたところで無駄だ。
三ツ葉黒は、己の身体を吊り上げたたんぽぽの左手に目をやって、苦笑した。
「まいった」
「え?」
「アタシ痛いの嫌いなんだよ…このままぶん投げるとかすんなよ?」
「……なかなか見応えのある一番だった」
「よせよ、小百合……偉そうな事言って負けちまったからな、格好悪ぃ」
「え、えっと…私が言っていいのかわかりませんが、格好悪くなんかないですよ」
「……侘助。お前、実はゴリラだろ」
「に、人間ですっ。女の子ですっ。乙女ですっ!」
顔を赤くして、たんぽぽは3連発の抗議をした。
しかし、三つ葉黒はにやにや笑って首を振った。
「いや、ゴリラだ……つーか、あの体勢で、片手で、アタシを吊るって…ありえねえだろ」
「張り手を打つために、ミズキの腰が浮いたからな……一瞬の判断力と、覚悟が交錯しあう、良い立ち合いだった」
満足げに頷く鬼百合を見て、三ツ葉黒はため息をついた。
「あー、もう、やってらんねえ…久しぶりに動いたから疲れた。アタシ、ゲームやるからな、邪魔すんなよ」
と、携帯ゲームを手に稽古場を出ていこうとした三ツ葉黒を、たんぽぽが呼び止めた。
「ま、待ってください……さっきのアレ、アレってなんですか?説明は後って言いましたよね?言いましたよね?」
「めんどくせー。豆斯波にでも、聞けよ」
そう言い残して、三ツ葉黒は出ていった。
「……とことん、フリーダムな人っスね」
「まあ、アレが持ち味だとも言える……下手に矯正すれば、角を矯めて牛を殺すということになりかねん」
と、やや苦笑気味に鬼百合が言うと、マイの海も頷いた。
「それにしても…さすがダスな、侘助さん」
「んー」
たんぽぽは首を振った。
代わりに豆斯波が口を開く。
「サモさん、気付かなかったっスか?」
「何をダスか?」
「三ツ葉黒さん、左手だけで張り手を打ってたというか、最後にマワシをつかむまで、右手を使わなかったっスよ」
「……言われてみると」
と、佐萌道が同意する。
「どう見ても、右利きっスからね、あの人」
豆斯波の呟きに、たんぽぽは頷いた。
「そうなんだよね。いつ、右の張り手が飛んでくるか、神経使っちゃって……駆け引きだけじゃないよね、あれって」
たんぽぽはそう言って、三ツ葉黒が出ていった入り口の方に目をやった。
「まあ、侘助に負けて泣いていると困るから、私は少しミズキの様子を見てくることにしよう…」
と、何やら口実らしき言葉を残して、鬼百合が稽古場を出ていった。
「……ミズキ」
「おー、小百合」
三ツ葉黒は、かちゃかちゃと携帯ゲーム機を操作しながら、一瞬だけ鬼百合に視線を向けた。
「どうだった?」
「強ぇ。わかってたけど、強ぇ……まあ、そうじゃなきゃ、3連覇なんてできねーわなー」
「ふむ…」
「つーか、あれだけひっかき回しても、慌てねーし、腰は低くて安定してるし……反射神経、対応力、特に、目の反応に関しちゃいうことねー。つーか、そこらの大学女雪力士じゃ、相手にならねーよ」
「……珍しい。べた褒めだな」
「まあな……でも、あの程度じゃ、百合根ちゃんを意識不明の病院送りにはできねーし、勝てるかどうかも微妙な気がするけどなー」
三ツ葉黒は携帯ゲームを中断し、鬼百合を見た。
「アタシが見た感じ、百合根ちゃんさぁ…高校に入学した時点で、小百合が高1の全国大会の時より強かったぜ」
「……身内の私が言うのもなんだが、あれは天才だ」
「まあ、百合根ちゃんについては反論しねーけどよ……小百合にかかれば、どいつもこいつも『天才。もしくは、私より才能がある』だもんなぁ…」
「私は感じたままに、言っているだけだが……?」
「あー、そうかい」
「女雪相撲に対する情熱と、くじけぬ心さえあれば必ず才能が花開くと私は信じている……ただ、その2つを持つ者が限られているのは認めるが」
三ツ葉黒はやれやれという感じに肩をすくめ、ため息をついた。
「私は、ミズキに負けるまで稽古に励まなかった……この1つをとってみても、私が決定的に劣る者だという事の証明になる」
「まあ、その話はいーや……つーか、侘助の話だろ、今は」
「うむ」
「……」
「……」
三ツ葉黒が沈黙を破った。
「一応、侘助については調べてみた」
「ほう?」
「あの年の……つまり、百合根ちゃんが病院送りにされた年だけどな、西東京地区の個人戦については、すぐに動画が削除されてる」
「……?」
三ツ葉黒がへへっと笑った。
「……残虐シーンが含まれてるからだってよ」
「……」
「全国大会のテレビ放送でも、普通はそれそれ各地区の予選の取組とか映像で流すんだけどな……侘助のは流れなかった。まあ、雪相撲のイメージ戦略上まずいって、判断されたんだろうな……上の方で」
そして三ツ葉黒はニヤリと笑い。
「あれだぞー、小百合。お前が、毎年毎年、マスコミ対策バッチリの、棒読み優等生発言を繰りかえすから、ああいう、天真爛漫のキャラクターってやつが求められたってのはあるんじゃねえの?」
鬼百合は、ふっと、口元だけで笑って。
「雪力士は、雪相撲をとり、後輩の目標となるべく精進する……それ以外の役目を求められても、困るな」
「まあ、キャラ云々より、強くなきゃ意味ねえけどな……でも、そんなんだから、小百合は、勝てば勝つほど、会場がさめていくんだぜ……一度、侘助の全国大会とか見てみろよ。すげー、盛り上がってたって。つーか、地区予選から会場は満員で、声援とブーイングがすげえのなんのって」
「ほう?」
「まあ、マスコミがこぞって侘助をスターにまつりあげたのは確かだろうけどな……地区予選から徹夜の追っかけとか出るってのは、張りぼての実力じゃ無理だろ」
「強いだけでなく、華もある、と?」
「……じゃねえの?アタシには、よくわからんけど」
「いろんな意味で、逸材というわけか…」
三ツ葉黒は肩をすくめ。
「まあ、小百合は小百合で大変だったとは思うけどなー。侘助のはちょっと、桁が違うっていうか……そうでなきゃ、グラビア撮影なんかやらねーだろうけど」
「面倒くさがりのミズキが、そこまでよく調べたな」
「だから、時間をかけて調べるまでもねーんだって。この3年の雪相撲に関していえば、どこを見ても、たんぽぽ、たんぽぽ、花畑たんぽぽの名前が咲きまくってるんだよ。下手すりゃ、そこらのアイドルより有名で……ああ、想像するだけでも、面倒くせー」
三ツ葉黒は顔をしかめ、手首をさすった。
「ん?ミズキ…その腕」
「あ、これ?」
と、三ツ葉黒は左手を持ち上げて、鬼百合の目にさらした。
手首に残った赤い痕は、敢えていうまでもない。
「最後に腰が浮いたの、このせいだっつーの……侘助のやつ、ちっこい身体して、ありゃどう考えてもゴリラだぜ」
「ほう」
「ちなみに、小百合はマウンテンゴリラな」
「……幼なじみに対して、ひどいな、ミズキ」
「うるせー。ちょっとアタシに前歯折られて失神したからって、メキメキメキメキ鍛えやがってよー」
鬼百合がニヤリと笑った。
「感謝してるぞ、ミズキちゃん」
「へーへー、後悔してるよ、小百合ちゃん。雪相撲バカになって、ちっともアタシと一緒に遊んでくれなくなっちまってさ…」
「む。私は、ミズキのように天才ではないからな……ただ、ミズキが大輪女子に来て、雪力士になってくれたことは心から感謝している」
三ツ葉黒は、ふいっと顔を背けた。
微かにのぞく耳の先が真っ赤だった。
「ま、まあ、あれだ。女雪相撲を盛り上げるっていう意味では、侘助のやつは、小百合なんかよりよっぽど貢献してるのは間違いないな……プロ連中も、大学に進学なんかさせたくなかっただろうよ。推測の記事だけどな、1億の契約金を提示したところもあるってよ。1億だぜ、1億」
「ほう、私は一番多いところで5200万だったか……」
「どっちでも、それだけありゃゲーム三昧じゃねーか……もったいねー」
「まあ、そう言うな…」
「あぁ…」
再び、2人の間に沈黙が訪れた。
しかし、先のそれよりも重い。
「……」
「……」
「……小百合よー。たぶん侘助のやつ、自覚無いぜ」
「……どうやら、そのようだ」
「マイに対しては最初から集中してたよな…でも、アタシに対しては、途中までボケボケだった。稽古だからとか、そういうんじゃねーと思う」
「眼鏡か」
「だろうな…」
三ツ葉黒は指先で引っかけるようにして眼鏡を外し、手ぬぐいでレンズを拭いた。
「1年の全国、2年の地区予選に全国、3年の地区予選に全国……団体戦に至るまで、侘助のやつ、1発も張り手を使ってねえ」
「……」
「で、百合根ちゃんとの試合の決まり手は、『張り倒し』だ」
「雛菊の話によると、とどめの一撃は、土俵にたたきつけられた百合根の身体がバウンドしたそうだからな…」
「……」
鬼百合は目を閉じた。
先日の、雛菊の言葉を思い出す。
『あたしは、土俵の上で……真剣勝負の場で手を抜く人間は好きになれません。それが仮に、相手を怪我させないための思いやりであったとしても……傲慢に過ぎます。相手を思いやる技は、醜いと思います』
「……」
「……雛菊の言う『相手に怪我をさせたくなくて…』ってのが、当たってるんじゃねえの?ただ、侘助にその自覚はない。あのバタバタした動きも、自分の力をセーブしようとして……と考えたら、納得いくぜ」
「だとすると…根が深い…か」
「でもよー。下手にいじると、壊れるぞ侘助のやつ。けーこさんも、危ういって言ってたんだろ?」
鬼百合は大きく息を吐いた。
「ならば、上手にいじるしかないな」
「今のままでも充分強ぇんだけどな…」
「……張り手を出せず、本気も出せない。そんな穴を、アイツが放っておくと思うか?」
鬼百合の指摘に三つ葉黒は「あぁ…」とため息混じりに呟いて眉をひそめた。
「まあ、林のやつなら……あの手この手でつぶしに来るだろうな」
鬼百合は小さく頷き。
「こっちが手を付けずにいたら、わざわざ下手にいじりに来るさ……」
「なるほどなー。だったら、やるしかねーなー」
「そういうことだ」
さて、一方稽古場では。
「あれは、必殺技っスよ、ワビさん」
「必殺技!?」
「そう、必ず殺すと書いて、必ず殺す技っス」
「殺しちゃダメだよっ?」
「豆斯波さん…説明に悪意があるダスよ…」
「え、もしかして騙されてる?」
マイの海が苦笑を浮かべ。
「必殺技というより、個人個人の得意技…そうですね、極(きわ)め技というべきでしょうか?」
「極(きわ)め技…」
「そう、文字通り極めた技です。身長も違えば体重も違う、筋力、柔軟さ…骨格に至るまで、人は、1人1人差があるでしょう?」
「はい」
「自分の身体を鍛え上げるだけでなく、自分の身体をどう動かせば、最も無駄がなく、威力ある技が出せるか……鍛錬の果てに、己を知り、そうして繰り出される技は、あたかも芸術作品のようにオーラを放ちます」
「じゃ、じゃあ……あの時私が見たのは、三ツ葉さんの技のオーラって事ですか?」
「ええ。強く、優しく、美しく……繰り出す技にオーラをまとう。それこそが、女雪力士としての証と言われています」
そう言って、マイの海はちょっと笑った。
「もちろん、未熟者にはオーラそのものを見ることができませんが」
「な、なるほど…」
と、たんぽぽは頷き……ふっと、顔を上げた。
「シバちゃん。シバちゃんも、出せるの?」
「……稽古では、何回が出たことはあるらしいっス」
「おお、いいなあ…」
「でも、そう言われただけで、自分では確認したことないっスよ?」
「ビデオとか…?」
「映んないっス」
「いわゆる、オーラの消失という現象と似たようなものダスか?」
佐萌道の言葉に、マイの海が頷いた。
「ええ……芸術作品をコピーしても、そのオーラまではコピーできないように…いわゆる極め技のオーラは、生でしか認識できないといわれています」
「……三ツ葉黒関のそれが見えなかったワシは、まだまだ未熟者という事ダスな」
と、佐萌道が重々しく頷く。
「でも、ワビさん。勘違いしちゃダメっスよ?」
「え?」
「オーラが出るから強いって事じゃないっス。あくまでも、その段階の自分の中で、その技を理想型に持っていけたかどうかが問題らしいっスから」
「つまり、鬼百合関に対して極め技を仕掛けたとしても、通用するとは限らないって事ダスな」
「そうっス」
「んー、難しいんだね…」
「……ワビさんは、自分が、出てるとか思わないっスか?」
「えぇ?よくわからないけど、理想型って事は、とにかく無駄を省いた綺麗な動きって事だよね?だったら、私はダメだよ……自分の試合とか見てると、すごく恥ずかしくなるもん」
と、たんぽぽは首を振った。
「頭の中では、鬼百合さんの技を再現しようとしてるつもりなんだけどね…」
「ん、ん?」
その言葉に、マイの海がちょっと首をひねった。
「マイの海関も、出せるダスか?」
「え?ああ、はい。まあ、一応は…ね」
と、少しはにかむように佐萌道の問いかけに答えた事で、先ほど感じた違和感をマイの海は忘れてしまった。
「雛菊さんも出るっスか?」
「えぇっ、あ、あたしは…」
それまで黙り込んでいた雛菊は、いきなり話を振られて慌てたのだろう、すぐに答えることができないでいる。
「出ますよ」
と、これは横からマイの海。
「ま、マイの海関…」
「私は1つだけですが、雛菊さんはオーラをまとう技が2つあります…」
「それって、すごいんですよね?」
「ええ。オーラを出せる技を複数持つ雪力士は、ごく少数です……ちなみに」
と、マイの海が稽古場の入り口に目を向けた。
「鬼百合関は、5つの極め技を持ってます……女雪相撲界の歴史において、過去3人しかいないそうですが」
「3人っスか…」
「やっぱ、鬼百合さんは偉大なんだぁ…」
「ワシはまず、それを見られるようになりたいダス…」
「……その3人の内の1人が、初代鬼百合関だそうです」
マイの海の言葉は、たんぽぽ達3人の旨に、誇りのようなモノを抱かせたのだった。
「よーし、何だか燃えてきたっス。ワビさん、ぶつかり稽古、頼むっスよ」
「いいよ、シバちゃん」
「おお、ナンバー1とナンバー2のぶつかり稽古ダスか。贅沢ダスなぁ」
「ぶつかり稽古っスよ?」
と、豆斯波は佐萌道に釘を刺し。
「ワビさん。自分、投げは打たないんで、よろしくっス」
「オッケー」
たんぽぽは足を開いて立ち、豆斯波のあたりを受け止め……息が上がったところで、右に左に転がす。
いわゆる、基本中の基本というか本当のぶつかり稽古というやつだ。
「せっ」
ばぁんっ。
「ん、もうちょい、顎ひいて」
「…こうっスか?」
「そう。いいよ、ほら、押して、シバちゃん。押して押して」
「ふうぅぅっ」
「そう、そう…そう…」
と、しばらく豆斯波に押させて…… たんぽぽは、その前進を止める。
「ぬぅ…」
「今、重心の位置を変えたから…ほら、頭の位置変えて…」
そんな2人の姿を眺めながら、マイの海は雛菊に向かって囁いた。
「こう見ると、やはり2人の間には差がありますね…」
「……」
「……雛菊さん?」
「え、あっ、はい。なんですか、マイの海関?」
マイは柔らかく微笑んだ。
「……いえ。なんでもありません」
豆斯波の身体が転がった。
「もういっちょっ」
「いいよ。どんどん行こう」
たんぽぽにぶつかっていく豆斯波。
豆斯波を受け止めるたんぽぽ。
こうして見るぶんには、2人の間にはなんのわだかまりもないように見える。
「……」
雛菊は、土俵の2人に背を向けた。
壁際の柱に向かってテッポウを繰りかえす彼女は、迷いの中にいた。
ばしん、ばしん、ばしん。
「……」
「どうかしたダスか、マイの海関?」
「いえ……ちょっとあぶれてしまったと思いまして」
「そういえば鬼百合関と三つ葉黒関は、帰ってこないダスな…」
「佐萌道さんは、稽古しないんですか?」
「一番いいのは、足腰に負担の掛からないプールのウォーキングダスが……今は、すり足でもやるダスよ」
「ええ、基本は大事ですよ」
そう言って、マイの海は、稽古場を見まわした。
「も、もういっちょ」
「さあ、来い」
ばしん、ばしん…。
「ふっ、ふっふっ…むう、水分補給が必要ダスな…」
稽古場で汗を流す仲間がいる。
マイの海は、心が浮き立つのを感じた。
鬼百合と2人きりだった2年前。
あれが、大輪女子大女雪相撲部の再生のスタートだった……。
続く。
三ツ葉黒のイメージは、ボクサーファイターで。(笑)
それはそうと、着物の柄の名前をど忘れしました。
羽というか、矢印というか……矢車だったかなあ?
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