「……夜はまだちょっと寒いなぁ」
 4月だというのに、たんぽぽの吐く息が白く流れた。
 足下を確かめるように走り出し、たんぽぽは母親に電話をかけた。
「…うん、うん…わかってるって…ちゃんとやってるから…うん…うん、じゃあ、ランニング始めるから、もう切るね」
 既にランニング中なんじゃないのという母のツッコミは、電波の海にはかなく消えた。(笑)
 ふぅーと息を吐き、たんぽぽはちょっと空を見上げて。
「さて…と」
 じわじわとスピードアップ……の途中で、ポケットにつっこんだ携帯が震えだした。
「なに、まだ何かあるの、お母さん?」
『え、あ、たんぽぽさん…私。紀子だけど』
「あ、紀ちゃん?どうしたの?」
 
「ごめんね、トレーニング中だったんでしょ…」
 駅の改札口を出た紀子は、たんぽぽにちょっと頭を下げた。
「んーん、夜のランニングは、負荷をかけるためじゃなくて、調子を確かめる散歩みたいなモノだから」
「…散歩?」
「うん、ランニングっていっても色々あるじゃない。心肺に負荷をかけるランニング、足腰を鍛えるランニングとか…ほら、全部いっぺんに負荷をかけると、ケガとかしやすいしね」
「あはは、まんべんなく身体を虐めるってやつね」
「そうそう……あ、こっちの道ね」
「あ、裏手に回るんだ…」
「うん……畑の中に、いきなりアパートが建ってるんだよ。そばに、大きな木があってさぁ…」
 歩いて約7分、2人はアパートに到着した。
「紀ちゃんどうぞ」
「おじゃましま…す」
「適当に、荷物は置いちゃって」
「うん」
 紀子は、持っていた大きめのバッグを部屋の隅に置き、控えめに部屋の中を見渡した。
「シンプルな部屋なのね」
「まあ、引っ越したばかりだし」
「昔、月雪(げっせつ…『月刊女雪相撲』の略。他に女雪相撲マガジンなどの専門誌がある)で特集組まれたじゃない。なんか、『天才花畑たんぽぽを育んだの日常生活に迫る』とか、なんとか。あの時、可愛い部屋の写真が…」
「ああ、あれ…」
 たんぽぽは、苦笑を浮かべて。
「あれね、勝手に部屋の中を飾り付けられちゃったんだ…」
「うわ、驚きの真実」
「インタビューとかも、そのまま掲載されることなんてほとんど無かったよ……『私、こんな事言ってない』とか何度も思ったもん」
「あはは、アイドルは大変ね…」
 たんぽぽは真面目な表情を浮かべ、芝居がかった仕草で紀子の耳元に口を寄せた。
「実はね、紀ちゃん…」
「ん、なになに?」
「私のグラビア写真、あれ全部、胸のパッドが入ってたの」
「やだ、私、口封じに消されちゃう…?」
「戸籍は残るかも知れないけど」
 視線が交差して、2人は笑った。
「泊まってくよね?」
「うん。せっかくの1人暮らしだもん。親に内緒の初外泊」
「相手が私で、ごめんね」
「え?私、どっちもイケルけど」
「えー、マジで?」
 と、冗談としか受け取ってないたんぽぽに、紀子はちょっと笑って。
「こうだー」
 声を上げ、紀子はがばっとたんぽぽに抱きついた。
「甘い」
 手首を巻き込んでごろんと紀子の身体を転がし、たんぽぽは鮮やかにマウントポジションを確保。
「聞いたこと無い?私、雪相撲の練習の一環でレスリングもやってるから、寝技はすっごく得意」
「そ、そうみたいね…女雪相撲に寝技はこれっぽっちも必要ないと思うけど…」
「えっへっへー」
 笑みを浮かべて、たんぽぽは両手をワキワキと動かした。
「えーと、たんぽぽさん……ちょぉっと、目が怖いんだけど」
「このスタイルは反則だぁ」
「うわ、ちょっと、待っ…」
 
「騒いですみませんでした」
「ごめんなさい」
 2人そろって、仲良く頭を下げる。
「まあ、1人暮らしで羽目を外したくなる気持ちも分からなくはないけど…」
 優しい目をした管理人のおばさんが、ちょっとため息をついた。
「程々にね」
「はい、ごめんなさい…」
 
「……と、いうわけで、騒ぐなら静かに騒ごうね」
「日本語おかしくない?」
「国語って難しいよねぇ」
 そしてまた、2人は笑いあう。
 その様子はまるで、昔からの友人同士のようだった。
「紀ちゃん、ご飯は?」
「食べてきた」
「そっか……じゃあ、私だけちょっと失礼して」
 と、たんぽぽはプレーンヨーグルトにココアパウダーをぶち込み、かき込んだ。
「それ、夕飯?」
「んーん、食事補助。1日に、3500〜4000キロカロリー取れって、言われてるの。3度の食事で摂取しようとすると胃腸に負担が掛かるから、細かく分けなさいって…これはお母さんからのアドバイスだけど」
「え、それって…太ら……ないか」
 そりゃ、あの練習量だから無理もない……と紀子は苦笑する。
「高校の時は、お弁当3つ抱えて通ってたからねぇ……休み時間、お昼休み、部活の前って…」
「へえ…」
「もう、鞄の中、お弁当だけ」
「教科書は?」
「机の中」
「……ダメな子だ」
「よく言われた」
 と、たんぽぽは笑った。
「朝練のつもりが、気が付いたら昼前とか」
「あぁ、想像ついちゃう…」
「気が付いたら、日付変わってるとか」
「ん、んー…」
 紀子のそれが、愛想笑いに変化した。
「もうね、私、ここに来るまでずっと他人からつっこまれる立場だったのに、ここに来てから何故かツッコミの立場になってるような気がするんだよね」
「で、そのたびにビンタ」
「そうなのよ……なんか、ずっと常識がないって言われ続けてきたのに、自分がすっごい常識人になったような気分なのぉ…」
 と、泣きを入れるたんぽぽに、紀子が笑った。
「常識ある人は、入学式にジャージで来ないよ」
「え、だって、服装は自由って…?」
「うん。でもね、見えないけど書いてあるの。『常識で判断しろ』って」
「……そうそう、こういう感じ、こういう感じ」
 と、たんぽぽも笑って。
「こんな風に、他人からつっこまれるのが、いつもの私のスタンスっていうか…」
「そりゃ、私は常識人ですから」
「自分で自分のことを常識人って言う人は、実はあんまりそうじゃないって聞いたことが…」
「あはは、そうかも知れないけど、私は常識人かな…うん、常識人だから…」
 『それ』は唐突に訪れた。
「常識人だから……ついていけない」
「……やっぱり、そういう話…なんだ」
「うん…ごめんね」
 そう言って俯いた紀子を、たんぽぽはしばらく見つめ。
「あ、あのさ…私、全部勝つよ。負けないよ」
「……」
「大輪女子は、相手に罰ゲームを与えないわけでしょ?こっちが勝てば、勝ち続ければ……その、平気……だよね?」
「……たんぽぽさんの高校、団体戦の成績は?」
「2年が1回戦負け。3年が、なんとか3つ勝ってベスト16…かな」
「全国で?」
「もう、意地悪だなあ…西東京地区で、だよ」
「全国で一番強いたんぽぽさんがいても、負けちゃう……団体戦って、そういうものなのよね」
「……」
 紀子が、顔を上げた。
「鬼百合さん、強いよね」
「強いよ。今日見た感じだと、高校の時よりもっと強くなってるね」
「……」
「お母さんがね、よく言うの。スポーツにしろ、何にしろ、強い人、巧い人の動きはみな美しいって。無駄を省いていくとね、人の動きって、人の意志そのものになるんだって……あ、私のお母さんね、昔体操やってたんだって。それで、バレエなんかもかじっててさぁ。教えてくれないけど、結構すごかったんじゃないかって思うの」
「……」
「それでね、みんなが私を強いって言ってくれるけど、自分で見ても美しくないの。私よりシバちゃんの方がよっぽど動きが綺麗でね……マイさんも綺麗だった。本調子じゃなかったみたいだけど、雛菊さんも綺麗だった。でもやっぱり、鬼百合さんは別格で……」
「……」
「あぁっ、ごめん。私、何語っちゃってんだろうね?」
 えへへ、と頭をかきながら笑うたんぽぽに、紀子がちょっと笑って。
「3年前、そんなに強い鬼百合さんがいても、大輪女子大は負けたわけだよね」
「……ん」
 仕方なく、という感じにたんぽぽが頷いた。
「この40年で、大輪女子大は全国大会を25回勝ってるんだけど、知ってた?」
「に、25…回?」
「でもね、負けたのは4回だけ」
「え?ん?」
「一昨年、去年と、人数が足りなくて出場できなかったって言ってたでしょ……つまり、そういうことだと思う」
 そう言って紀子は、じっとたんぽぽを見つめた。
「川端さんがいた神戸松嶺みたいに、名門って言われる学校は確かに選手が集まるけどね……やっぱりね、それだけじゃないんだよ」
「……」
「それまで積み重ねてきた何かが、後押しをするって言うか……先輩から後輩へ、後輩からまたその後輩へって、伝えられる何かが、みんなを強くする」
 紀子はちょっと言葉を切って笑った。
「まあ、それで逆に弱くなっちゃう人もいるし、部員をダメにしちゃう伝統もあるんだけどね…」
「え、と…ごめん、紀ちゃん。今ひとつ、何を言いたいのかわからないって言うか…」
「うん……大輪女子ってね、出場した大会は必ず、東日本決勝戦までは勝ち残ってるの……他の大学だって遊んでるわけじゃないのにね」
「……」
「雛菊さんって、強いんだよね?」
「強いよ。マイさんもそうだけど、あれがあの2人の実力の全てだなんて思ったら、ダメだよ」
「たんぽぽさん、あの体勢から勝っちゃうし」
「あの体勢って、逆に勝負を決める技がかけられないの……だから、こっちが崩されなきゃマイさんは何もできないからね」
 たんぽぽは立ち上がり、紀子に向かって解説を始めた。
「今思うとね、マイさんは張り手をかわされることを前提にしてたはずなんだ……ここで、こう…逆らおうとすると余計な力が必要になるでしょ?こうして、こう。ここからこう…とね、たぶんマイさんって、ものすごく緻密に計算した取組をする人だと思うよ」
 と、たんぽぽが語るのを、紀子はどこか眩しそうに見つめている。
「あぁ、ごめん。また夢中になっちゃった…」
「いいの、いいの。きいてて楽しいし」
 紀子はにこっと笑って。
「さすが、横綱」
「ごっつぁんです」
「あはは…」
「まだまだ道の途中だけどね…小百合さんと同じ大学に来たからって、近づけたわけじゃないし」
「……たんぽぽさんは、大丈夫だと思う」
「……?」
「川端さんも、大丈夫だと思う」
「……」
「蛇苺さんは…よく、わからないけど…彼女も、私よりずっと強いと思う」
「練習だよ、練習しかないって、紀ちゃん」
 紀子は、首を振った。
「……私が言ってるのは、心の問題」
「……?」
「今思うとね、百合根さんは……たとえ処女だったとしても、大輪女子にいちゃいけない人じゃないかな」
「いちゃいけないとか…私、女雪相撲がやりたい人間は、みんな女雪相撲をやる権利があると思う。資格がないとかあるとか、他人に決められたりするものじゃ…」
「ごめん。それは違うよ、たんぽぽさん」
「え?」
「自分が決めるの」
「……」
「自分にね、その資格があるかどうか、自分が自分に問いかけて……決めるんだよ。鬼百合さんも言ってたけど、他人じゃなくて、自分が決めるの」
 穏やかな口調。
「たんぽぽさんも、川端さんも……もう、自分で決めて、余計なモノを捨てちゃってるから、奪われることはないの」
「……なんか、すごく大事なこと言ってると思うんだけど、よくわかんない…ごめん」
「あはは、いいって。むしろ、たんぽぽさんにはわからなくて当然というか…」
 紀子は、たんぽぽの部屋の中を見渡し……自分の部屋と比べる。
「百合根さん、今の境遇をたんぽぽさんのせいにしてたでしょ…ああ、そんな顔しないで。私、たんぽぽさんの笑顔が大好きなんだから」
「うん…ありがと」
「他人のせいにするって事はね、自分で選んでないって事の裏返しだと思うの……まあ、人との縁が全てって意見もあるけど、それでもどこかで自分が決めなきゃいけない部分はあると思うわ」
 ぽつりと、呟くようにたんぽぽ。
「紀ちゃん…自分で決めちゃってるんだ」
「……うん」
「だったら…なんで、私に会いに来たの?」
「んー、それはねぇ…ちゃんと説明しないと、たんぽぽさんが毎日私の所にやってきて、説得を始めるんじゃないかっていうのが1つ」
「……他にも?」
「それは、説明が終わってからね…」
 
 
「大輪女子って、名門なのに一度負けたら全部チャラにして、また1から積み上げ始めなきゃいけない場所だよね」
「……?」
「……たんぽぽさんの後輩、今年はどう?」
「ん、1人強い子がいるよ……ジュニアの、中学1年の時に全国まで行った子。ちょっと伸び悩んでたみたいだけど、今年はうまくいけば全国も狙えると思う」
「団体は?」
「当たって砕けろ…みたいな…」
「たんぽぽさんの後輩なのに?」
「私の後輩だからって…関係ないじゃない」
「あのね、たんぽぽさん……あなたの後輩達はね、たぶん今年『先輩の名を汚さないように頑張る』って言ってると思うわ」
「えぇっ?」
 たんぽぽは戸惑ったように呟いた。
「わ、私は…そんな、良い先輩じゃなかったよ。高校から始めて、指導者もいなかったから、自己流のところが多くて、きちんと指導できなかった部分もあるし」
「……今年、そして来年と、良い成績が残せなかったら、たんぽぽさんの高校の女雪相撲部はダメになると思う」
「どういう…意味?」
「たんぽぽさんをね、直接知ってる人がいなくなるから……部を支える柱が無くなるの。逆に言えば、部を支える柱が、たんぽぽさんの存在だけってことね」
「ごめん…よくわからない…」
「うん、ごめんね…ちょっと話がそれちゃったかも。ただね、負けたら退部で、主力の雪力士がごっそりと抜ける大輪女子が、すぐに全国制覇できるってね、やっぱり普通じゃないって、私には思えるの」
「……」
「だから…女雪相撲そのものを目的にできる人……そういう人じゃなきゃ、そういう人しか、あの場所にはいちゃいけない。大輪女子に、私みたいな半端者のいる場所はないよ、きっと」
 たんぽぽは何かに気付いたように、紀子を見た。
「……モデル」
「……そう」
 紀子は小さく頷き。
「何度問いかけてみても、やっぱり私が目指しているのはモデルなのね……もちろん、女雪相撲は好きなんだけど」
「……」
「中学、高校と…私って、ここ一番で負けてきたの。6年間で、地区大会準優勝が3回もあったりするし」
「……」
「モデルになりたいから、顔の怪我は避けたいって思ってるのね、やっぱり。張り手に過剰反応しちゃうの。練習でもね、筋肉を付けすぎないように抑えちゃう」
 そして紀子は笑った。
「あはは、そんな甘いことで勝てるわけないって…どんな天才様よ、それって」
「……」
「……私、先輩達に一発もビンタされなかったでしょ。偶然とは思えないのよね」
「……もう決めちゃってるんなら、私からは…紀ちゃんには、何もいえないよ」
「ごめんね…ちょっとずるい言い方だった」
「わ、私、頭良くないから……紀ちゃんの話、ちょっと難しすぎるよ…」
「そっかー…じゃあ、別の話、しよ?」
「え?」
「やっぱり、たんぽぽさんの高校時代には興味あるな…ほら、雑誌の記事がでたらめだってわかったし」
「ぜ、全部が全部でたらめってわけじゃ…」
「えーと、百合根さんがたんぽぽさんのデビュー戦だったの?」
「え、あ、うん…」
 と、たんぽぽは曖昧に頷き。
「サモちゃんも言ってたけど、百合根さん、すごい人だったんだね……私、鬼百合さん以外の人はほとんど知らないから」
 紀子がふふっと笑った。
「彼女が西東京地区で負けたとき、全国で……少なくとも東日本では結構話題になったのよ。これで、大河内姉妹の連覇が止まった。優勝のチャンスだって」
「あ、そうか……鬼百合さんも、ジュニアからずっと勝ってたから…」
「その時はまだ、たんぽぽさんもまだ無名だったかな……『百合根さんが負けた』って事だけが先行して、『誰に』負けたのかは後回しって言うか」
 たんぽぽは、複雑そうな表情を浮かべて言った。
「……なんていうか、あの時の私、結構でたらめだったから…『あんなの雪相撲じゃない』とか言われたし」
「……練習試合とかは?」
 たんぽぽは首を振った。
「同級生とか、名前だけ借りて部を作ったから、選手は私1人だったもん。練習試合なんてできないよ…全国で優勝するまで、部室もなかったし」
「……それって、ぶつかり稽古とかもできない…よね?練習とか、どうしてたの?」
「最初の1年は、柔道部にお邪魔して練習してた…ほら、相手を投げるから、似たようなもんかなと思って」
「……」
「後は、とにかく体力トレーニングと、お父さんが昔レスリングの選手だったから、それも参考にしたり……うん、小百合さんの試合の動画を何度も繰りかえして見たけど、それぐらいかな」
「……じゃあ、秋の地区大会が…ぶっつけ本番?」
「うん」
「え、えっと…」
 紀子は、言葉を選びつつ問いかけた。
「全国優勝したとき、『大河内小百合さんに憧れた女雪相撲を始めました。小百合さんのように3連覇するための第一歩が達成できてほっとしてます』って、インタビューに答えてた……よね?」
「うわ、良く覚えてるね…ちょっと恥ずかしいな」
「え、えっと…さ、最初から全国大会で勝つつもりだったの?」
「うん。だって、小百合さんが目標なんだもん」
 当然でしょ……という表情で、口調で、たんぽぽ。
「そ、そっか…そうでしたかぁ…ぶっつけ本番で、しかも全国大会で優勝する気満々でしたかぁ…」
「友達とかね、最初私のことすっごいバカにしてたんだよ。失礼だよね」
 紀子はこめかみを指先で揉みほぐしながら呟いた。
「……ここはむしろ、ビンタとかいれとくべきなのかな?」
「あ、でも、メグ先輩だけは笑わなかったな……私が全国優勝しても、騒いだりしなかったし」
「……メグ先輩?」
「あ、お世話になった柔道部の先輩。私の2つ上でね、今大学生。去年の世界選手権では優勝したんだよ」
「へ、へえ…」
「先輩がね『とにかく基礎体力を付けろ』って、私専用の特別メニュー作ってくれたんだよ。コーチも含めて『雪相撲じゃなく柔道やれ』ってしつこかったんだけどね、先輩がいなかったら、私、ここにいなかったかも」
 紀子は、呆れたように笑った。
「あ、あはは…なんとなくだけど、たんぽぽさんのインタビューとか、修正された理由がわかったわ」
「え、なんで…?」
「そのままは、無理。絶対無理」
「……?」
 わけが分からず首を傾げるたんぽぽに、紀子はちょっと真面目に聞いた。
「たんぽぽさんは……鬼百合さんに勝ちたいの?」
「え?あまり、そういうことは考えたことないけど……私、小百合さんみたいになりたいから、女雪相撲始めたんだし」
「……なるほど、ね」
 紀子は目を閉じた。
 たんぽぽと直接対戦した相手がかなりの確率で女雪相撲をやめてしまっている……その理由もまた、なんとなくわかったような気がしたからだ。
 
『花畑たんぽぽに壊された』
 
 まことしやかに囁かれているそれは、肉体に限らず、精神も含めての事だろう。
 1対1で向かい合い、勝敗を決する土俵の上で、悪く言えば、たんぽぽは相手を見ていない。
 秒殺しておいて『まだまだ小百合さんには及ばない』とか、圧倒的な力の差を見せつけておきながら『自分は全然ダメだ』とか……そりゃあ、負けた相手からすれば腹も立つし、心も折れる。
 
『それだけじゃないわ……頸部骨折で入院2ヶ月、リハビリに1年半……』
 
 百合根の言葉を思いだし、紀子はたんぽぽに気を使いつつ尋ねた。
「……たんぽぽさん。百合根さんとの試合って、どんな感じだったの?」
「え、あぁ……実は、途中から記憶が飛んでて…」
「え?」
「あのね、小百合さんのデビュー戦が張り手一発だったから…その、私も張り手で決めようと思って……フルスイングしたの」
「た、たんぽぽさんの…フルスイング?」
 1年の全国大会。
 優勝することでたんぽぽは『天才』とか『超高校級』と呼ばれ出したのだが、それまで『鉄腕』とか『怪力』とか『人間起重機』などの、年頃の乙女を形容するにしてはあんまりな言葉をアナウンサーが口にしていたことを紀子は覚えている。
「で、相手の……百合根さんも、張り手一発で終わらせようと思ってたみたいなの」
「ごめん、もういい。言わないで」
 張り手にも色々あるが、一発で決めにいったというなら、それは当然全体重を乗せたものであるはずで。
 小学、中学と6連覇の百合根のそれと、後に高校3連覇を果たすたんぽぽのそれ。
 いうならば、ダンプカーの正面衝突だ。(笑)
 悲しいことに、両者ともその自覚が全くなかったに違いない。
「南無…」
 紀子は、ほんの少しだけ百合根に同情した。
「……今思うとね、たぶんあの勝負は紙一重だったと思うよ」
「……そうかもね」
 そして、夜は更けていく。
 
「そろそろ寝るけど…」
「うん、一緒の布団で私は全然かまわないから」
 微妙に、客の立場とか常識とかをすっ飛ばした紀子の返答に、たんぽぽは何の疑問も抱かなかったようだ。
「そっか、良かった……風邪ひくとまずいから、くっついて寝ようね」
「……三ツ葉黒さん、お先です」
「え?」
「いや、なんでもっ」
 もちろん、紀子はよこしまな想いからたんぽぽを訪ねたわけではなく……多少、ほんの少しばかり無かったとはいわないが。
 電気を落とし……紀子とたんぽぽは布団の中で手をつなぐ。
「ねえ、紀ちゃん」
「ん?」
「他の理由って?」
「……うん」
「……」
「明日の朝のトレーニング、つきあってもいい?」
「いいけど…」
「ほら、今日の歓迎試合、私不戦勝だったから…」
「……」
「あれが、『最後』ってのはちょっとね…」
 つまり、紀子は最後の相手として自分を選んだのだと、たんぽぽは悟った。
「……いいけど」
「……本当なら、全国大会に行かなきゃ戦えないはずのたんぽぽさんに相手してもらえるって……ちょっと贅沢だよね」
「……やめたくなくなっても知らないよ?」
「え?」
「もう、くっちゃくちゃの、ぼろっぼろに叩きのめして、ものすっごく悔しがらせてあげるからね」
「……」
「悔しくて悔しくて、『やっぱりやめない』とか言っちゃうぐらいに、こてんぱんにしてあげるからっ」
「……こてんぱん…って、生で初めて聞いたかも」
 
 そして、朝…。
 
「せっ」
「当たんないって、そんな張り手」
 突きだした腕を戻すよりも早く、たんぽぽは懐に潜り込んで紀子を後ろに引っ張り倒した。
「も、もう一丁っ」
「いいけど、紀ちゃん弱すぎて、私の稽古にならないや」
「言ったなぁ」
「言ったよ」
 今度は張り手を囮にして、左でたんぽぽのまわしを狙った。
 ぱん、とその手を軽く弾かれる。
「よいしょっと…」
 足を刈りつつ、肩を突き放す……と、紀子は無様に尻餅をついた。
「まだまだっ」
 紀子がたんぽぽにぶつかっていく。
「ふっ、ふっ、ふっ…」
「本気で押してる?」
「〜〜っ」
「だから、腰が高いんだってば…」
 また尻餅。
「ていっ」
 ぱんっ。
 はたかれて、ヘッドスライディング。
「足がついてきてなきゃ、意味無いってば」
「せぇいいっ」
「ん、今のはいいよ…はい、そこで腰入れる」
「ふっ」
「そう、引きつけて、引きつけて…」
 紀子は身体を開いて小手投げに…。
「腕力で投げようとしないっ」
 と、『腕力』でたんぽぽに突き放され、紀子は転がった。
 
 ひたすら憎まれ口を叩くたんぽぽに、紀子は黙々と向かっていく…。
 
「……、……」
「もう、おしまい?」
 紀子はちょっと頭を起こしかけ……そのまま力つきた。
 たんぽぽも黙り込み、しばらく紀子の荒い呼吸だけが続いた。
「……横綱に、稽古つけてもらっちゃった…」
「紀ちゃん、まだまだ強くなれるよ」
「……」
「お世辞でも何でもなくて、まだまだいくらでも鍛えるところが残ってるって…」
「……」
「ねえ、だから…」
「一緒にはできないよ」
「……」
「強い弱いの問題じゃなくて…私は、覚悟が決められないから…だから、大輪女子大女雪相撲部にはいられない」
 そう言って、紀子は……苦労しつつ、身体を起こした。
「でも、女雪相撲は続けることに決めた…」
「え?」
「たぶん、私みたいに覚悟が決められなかった人が他にもいると思うの……同好会でも何でも…なかったら、私が作るよ」
「……」
「……えーと、これが私の精一杯」
 そう言って、紀子は笑った。
「……稽古しにいってもいい?」
「お、鬼百合さんの許可はもらってね」
 
「……そうか」
 鬼百合は小さく頷き。
「霞山、私をたたけ」
「……え?」
「私はお前を見損なっていた。侘助に伝言を頼み、そのままここに姿を見せることなく消えていくだろうと思いこんでいた」
「あ、いや…違わないです…私…女雪相撲に全てを捧げる覚悟が決められなくて、逃げるんです…」
「……」
「私、たんぽぽさんに伝言を頼んで、ここにはもう来ないつもりでした……たんぽぽさんと一晩中話して、稽古付けてもらって……それでけじめが付けられると思ってたんです」
 
「……違うよ、紀ちゃん」
「え?」
「ちゃんと、『入部したい』って直接声に出していわなきゃ、入部はできないよね?心の中で思ってるだけじゃ、『入部したつもり』にしかなれないんだよ」
「……」
「ちゃんと鬼百合さんに『やめます』って自分でいわなきゃ。そうじゃないと、『やめたつもり』にしかなれないと、思うな」
「でも、私……逃げるんだよ」
 たんぽぽは首を振り。
「逃げるんじゃなくて、紀ちゃんは選んだだけだよ。でも、その、選んだことをちゃんといわなきゃ、それは、逃げたことになっちゃうかも知れないね」
 
「たんぽぽさんにいわれて……正直、心が揺れました」
「……」
「でもそれは……女雪相撲の道を選ぶことではなく、たんぽぽさんと一緒に女雪相撲をやっていきたいという気持ちです」
 鬼百合が、優しい目をして頷いた。
「……そうだな」
「やっぱり私には……女雪相撲よりも、大事なモノがあります」
「私は、モデルの事はよくわからん……が、女雪相撲より平坦な道のりであるとも思えん。励めよ」
「……はい」
「お前は、自分自身と真剣に向き合い、それを選んだ。逃げたわけではない。胸を張れ」
「……」
「何も負い目に感じるな。私には私の、侘助には侘助の道があるように、お前は自分の道を選んだ。その道が、私の道とは重ならなかっただけに過ぎん」
「あ、りがと…ございます…」
「それ故に、お前は、私の非礼を正す権利がある。たたけ」
「……はい」
 ぱぁん。
「……設楽紀子」
「……はい」
 四股名ではなく、名前で呼ばれたことが、紀子は少し寂しかった。
「大輪女子女雪相撲部への入部及び、退部を認める」
「……?」
「お前の名は、部の名簿に記録される」
「……ど、どういうこと…でしょう?」
「女雪相撲部のOGとして、ここの立ち入りは自由ということです、設楽さん」
 と、マイの海が補足する。
「歓迎試合を行いはしたが、お前達4人の入部を認めてはいなかった。大輪女子女雪相撲部は、覚悟ある者だけ入部を認める。お前には覚悟があった。それ故、入部を認めた。そしてお前は、部をやめた。それだけのことだ」
「……」
「何か困ったことがあったら相談に来い」
「あ、ありがとう…ご…います…」
 
 
「……へえ、カスミさん、ワビさんの家に泊まったっスか」
「うん」
「それで、ぶつかり稽古までやったっスか」
「……シバちゃん、なんか機嫌悪くない?」
「別に…いつもの通りっスけど?」
「そっかな…」
「侘助さんは、ワシらの世代の高校横綱ダスからな。ワシだって、侘助さんに稽古付けてもらいたいダスよ…」
「え、いつでもいいけど?今からやる?」
「いいダスか?」
「ワビさん……横綱は軽々しく胸を貸したりしちゃいけないっスよ」
「え、そうなの…?」
 と、首を傾げるたんぽぽに背を向けて、豆斯波は話題を変えた。
「というか、サモさん。許嫁は納得してくれたっスか?」
 佐萌道は、笑って首を振った。
「相談しなかったダスよ」
「いいんスか?」
「連絡しようと思ったダスが、これは自分で決めなきゃいけないことだと思い直したダスよ」
「え、でも…」
「ワシは彼を信じてるダスし、彼もワシを信じてくれてるダス……女雪相撲の道を歩むワシを応援してくれる彼を信じるダス」
「……まあ、サモちゃんは、ダイエットから始めないと」
「この4人で、蛇苺さんが、一番の勝者なのかもね」
「紀ちゃん…話、終わったの?」
「うん、おかげさまで……」
「カス…設楽さん、悔いはないっスか?」
「無いと言えばないし、あると言えばあるような…」
「はっきりしないっスね…」
 紀子はちょっと笑って。
「敗れて悔い無し……なんて言葉、信じる?」
「自分は信じないっスね。負けて悔い無しなんて、欺瞞としか思えないっス」
「なるほど……つまりは、そういうことダスな」
 佐萌道が、頷いた。
「あ、たんぽぽさん。また、遊びにいくからね」
「うん」
「な、なななんスか?用もないのに、ワビさんの邪魔になるっスよ!?」
「……」
 紀子は、豆斯波の顔を見つめ……にやぁっと笑った。
「私、たんぽぽさんと友達だし」
「親しき仲にも礼儀ありっスよ」
「たんぽぽさんとは学部も同じだから、ノートとか出席とか、色々協力できると思うのよねぇ」
「ホントに?助かるよ紀ちゃん」
「ワビさんっ。自分のことは自分でするっス!」
「私、高校の時から、女雪相撲以外はダメ人間って言われてたし…」
「そうそう、たんぽぽさん、結構だらしないのよね」
「……出会って2日やそこらで、幼なじみ気取りっスね」
「やだ、ホントにいるんだ…ツンデレって」
「なんスか、レズ」
「ちょっ、ちょっと2人とも…何の話?」
「……ワシ、馬に蹴られるのはいやダスよ」
 
「お前ら何を騒いでるんだっ!さっさと、支度しろっ!」
 
 雛菊の怒声に、侘助、豆斯波、佐萌道の3人が慌てて駈けだした。
 そして、紀子は笑って3人の背中を見送った。
 
 
                続く
 
 
 新キャラ使い捨てかよ。(笑)
 とはいえ……理不尽(としか思えない)な伝統を突きつけられて、全員がハイ頑張りますじゃあ、深みがないかなと。
 まあ、ゲームの場合、キャラが1人増えるとCG増えちゃうからね。

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