「鬼百合関」
「なんだ?」
「見られてますよ」
「無視しろ」
 マイの海はちょっと笑って。
「少しぐらい、手の内を見せてあげるのはいいでしょう?」
「……好きにしろ」
 マイの海は小さく頷き。
「雛菊さん。立ち合いましょう」
「はいっ!」
 
「お、おぉ…ダス」
「レ、レベルが違う…」
「つーか自分は、ひたすらゲームやってる三ツ葉黒さんがすげえ気になるっス」
「小百合さん、小百合さん、小百合さん…」
「……ワビさん、ちゃんと偵察してるっスか?」
「してるよ。小百合さん、猛チェックだよ」
 ……などと、偵察だか鑑賞だか今ひとつ不明の時間は過ぎ去って。
 
「みんな、地元じゃないよね?どこにアパート借りたの?」
「私は青梅」
「自分は立川っスよ」
「ワシは拝島に親戚がいて、そこにお世話になってるダス」
「ふーん。何かシバちゃん、中途半端な場所のアパート借りたんだね」
「い、いいじゃないスか別に……自分にも、東京に対する憧れみたいな気持ちはあるっス」
「侘助さんは、地元だからいいダスよ」
「ん、私アパート借りたよ?駅の…ちょっと近く」
「ワビさん、地元なのにわざわざ下宿っスか?」
「地元って言っても遠いし。通学時間がもったいないじゃない」
「……」「……」「……」
 3人は、顔を見合わせ。
「たぶんワビさん、自分の家から一番近い高校に進学したっスよ」
「……ダスな。それで、女雪相撲部がないことに気付いたってオチダスよ」
「近道のつもりで遠回りする典型よね」
「いつのまにか、アウェーになってる?」
 などと、バス停に向かいつつ、新入生4人の会話はとぎれない。
「あ、時間通りならすぐにバスが来るダスよ…」
「ちょうど良かったっスね」 
「たんぽぽさんも…?」
「え、走って帰るよ?」
「……ワビさん、駅まで走って帰るっスか?」
「え、うん。10キロもないし」
「……」「……」「……」
「だから、さっきからみんなして何?」
「別に…」「何も…」「ないダス」
「もう、知らない…」
 拗ねたように頬を膨らませ……いや、これはビンタのせいか。(笑)
「私も、この辺りでアパート探したんだけどなぁ…」
「んー、お母さんの知り合いが見つけてくれたんだ……どっかの社員寮の物件らしいよ」
「地元の強みダスな…」
「カスミさん、山梨っスよね?なんか、地図の上だと隣同士というか、このあたりの近所のイメージあるっスけど?」
「え?山梨って言っても広いし……高尾の方ならまだしも、山が邪魔なのよ。車で通学したら2…いや、渋滞に巻き込まれたら3時間ぐらいかかるかも」
「そっスか…」
「みんな。私そろそろ行くよ」
「ワビさん。また明日っス」「じゃあね」「気をつけて帰るダスよ」
「うん、じゃあ、お先〜」
 と、手を振ってから、たんぽぽはリュックを背負って走り出した。
 残された3人は、たんぽぽを見送りながらため息をつく。
「……朝も走って、学校の行き帰り、そして夜も走るらしいダスよ、侘助さん」
「……足腰は、雪力士の命綱っスから」
「川ば…豆斯波さん」
「何スか、カスミさん?」
「……後でごたごたするの嫌だから、今の内に聞くけど」
 そう前置きして、霞山。
「豆斯波さん…侘助さんのこと嫌ってるよね?」
「……否定はしないっス」
「……負けたから?」
「それも、否定はしないっス」
「……」
 豆斯波は、窓の外を見つめながら言った。
「同期だからって自分の心をさらけ出せってのは乱暴な話じゃないスか?」
「それもそうね……ごめんなさい」
 霞山は、素直に謝罪した。
「確かに、たんぽぽさんが開けっぴろげすぎるんでしょうね……『いやーな噂』を何度も聞かされたから、余計に戸惑ったというか、ひっくり返って好意を抱いちゃったのよね、私の場合」
「……あの人、アイドルで王子様だったっスからね」
「アンチの多さも、人気の裏返しダスか」
「……佐萌道さん、東北だっけ?」
「そうダス……ワシの周りにも、侘助さんの特集記事を夢中で読んでた子が結構いたダスが、霞山さんのいう『いやな噂』も耳にしてるダスよ」
「自分は……ワビさんに負けて女雪相撲をやめた連中が、色々と悪い噂を流したりするのを認めるつもりはないっスよ」
「……まあ、『いやーな噂』以外にも、色々あったけどね。『ホントは計算高い』とか『しょせん、芸能界デビューのための腰掛け』とか…」
 霞山は、ちょっと言葉を切って。
「えっと……どう考えても、天然よね、たんぽぽさん」
「ワビさん、土俵の上は別人っスよ……はっきり言って、ああいうの見せられると、ふざけてるとしか思えないっス」
「……残念ながら、私は、土俵の上の彼女を生で見たことないし」
 軽いため息と同時にウインク……そんな仕草が、霞山にはやけに似合う。
「ワシなんか、高校の3年間、座布団を巻いた樹齢150年の杉しか相手にしてこなかったダスよ」
「……それ、軽いイジメじゃない?」
「……大輪女子大学の合格通知をもらった日、ワシはようやく杉の木を倒すことができたダス…」
「……」「……」
 佐萌道の目は、はるか遠くへ。
「杉の木がゆっくりと倒れた時、ワシの目の前に大きな夕日が現れたダスよ……あの時ワシは、自分のすすむべき道を再確認したダスなあ…」
「……サモさん、すごくからみづらいっス」
「そうね…」
 3人を乗せたバスは駅に向かって…。
「あ、侘助さんダスよ」
「ホントだ」
「……速いっス」
 霞山は、たんぽぽに向かって手を振りかけて……やめた。
「邪魔しちゃ悪いよね……というか」
 苦笑を浮かべ。
「走りながら笑ってるし…」
「……負けたことがないっスからね、あの人」
「……」
「努力が全部、力になるって信じて疑ってないんスね、きっと」
「……全国2位の人に、そーいうこと言われると、へこんじゃうんだけどね」
「西日本代表になれたってだけで、全国2位とは限らないっスよ」
「侘助さんに秒殺されなかったのは、豆斯波さんだけダスが…」
「微妙な誉め言葉っスね……1年の時は、きっちり3秒でやられたっスよ。10秒以上粘ったからって、意味があるとは思えないっス」
「……2年の時のアレ、わざと?」
 豆斯波は、霞山をちょっと見つめた。
「随分からむっスね…」
「ちょっと…ね。さっきも言ったけど、私、彼女のことすごく気に入っちゃったみたいなの。もちろん、あなたのことも好きになれそうだから、こういうことが気になって、ね」
「2年の時のアレ…というと、立ち合い前に豆斯波さんが侘助さんの顔を張った件ダスか?」
「立ち合い不十分…って事になったけど、違うよね、アレ?」
 豆斯波は大きく息を吐き……窓の外に目を向けた。
「自分、1年の時はわけの分からないウチに負けたっスから…あの時はリベンジする気満々だったスよ」
「……」「……」
「……なかったっス」
「え?」
「ワビさん、自分のこと全然覚えてなかったスよっ!ムカツクに決まってるっス」
「……」「……」
 ぽん。ぽん。
「ちょっ、なんで、二人して肩を叩くっスか?」
 ぽんぽんぽんぽん…。
 バスが駅に着くまで、佐萌道と霞山の2人は、豆斯波の肩を叩き続けたのだった…。
 
 そして次の日……の午後、大輪女子大学女雪相撲部。
 
「今回の歓迎会は、4対4の対抗戦だ!3勝したチームの勝ちとする!」
「2勝2敗の五分の時はどうするんですか?」
「まだ説明の途中だぁっ!」
「すみませんっ!」
 雛菊の富士の、小柄な身体に似合わぬパワフルなビンタが炸裂。
「へへっ、昨日あれだけもらって、まーだ、こりねえのな、侘助のやつ」
 などと、楽しそうに三ツ葉黒。
 その手にはやはり携帯ゲーム機が。
「2勝2敗の時は、それぞれ代表者を出してもう1戦だ!わかったか!」
「はいっ!」
「10分間の休憩運動の後、取組を始めるー!」
 と、やたら力みかえった説明を雛菊の富士が終えた。
「それで、ワビさん…順番は決まったっスか?」
「ああ、その事なんだけど、私、みんなのことを聞くのを忘れてたでしょ?シバちゃんから、得意技とか教えてくれる?」
「……」
 ぽん、ぽん。
「……だから、何で二人して肩を叩くっスか?」
「まあ、時間もないし、ここは素直に教えてあげたら?」
「そうダスよ」
 などと、ちょっとばかり豆斯波の心にストレスがたまったが……たんぽぽ達4人はそれぞれ準備運動しながら先輩達のそれに目を向けた。
「……間近で見ると、やっぱり、体付きの違いがわかるわね」
「ダスな」
「今さら気にしたって仕方ないって。ほら、しっかり準備運動しないと怪我しちゃうよ」
「そうっスよ」
 と、半ば飲まれている霞山、佐萌道の2人と違って、たんぽぽとつくしはやはり場慣れしている強みだろう、準備運動に余念がない。
 やがて、股割りを終えたたんぽぽが立ち上がり、腰を割った瞬間、さりげなく先輩4人の視線が集中した。
 すっ。
 力み無く、たんぽぽの右足が高くあがり、そこで制止する。
 たぁーんっ。
 力強く、たんぽぽの足が地を踏んだ。
 次は左。
 マイの海が鬼百合に囁いた。   
「……さすがですね」
「そうだな」
「筋力、柔軟性、バランス力、そして力の溜め……四股を、ただ足を上げておろすだけと考えている連中に、見せてあげたいほどです」
「四股は『踏む』ものだからな……おそらく侘助も、頭では理解できていないんだろうが、見事なものだ」
「……もし、侘助さんの相手が私だったら、『本気』でやってもかまいませんか?」
「目的を忘れるなよ」
「ええ、それはもちろん…」
 
「よーし侘助ー!取組順を申告しろー!」
「はい」
「ワビさん、ちょっと待つっス」
「何、シバちゃん?」
「実はワビさんに頼みがあるんスが……先輩達の大将は鬼百合さんだと思うっス」
「だろうね」
「自分、鬼百合さんの胸を借りたいんス。ワビさんが鬼百合さんに憧れてここに来たのは充分承知してるっスが、今日は自分に譲ってくれないっスか?」
 たんぽぽは、豆斯波をちょっと見つめ……頷いた。
「わかった、じゃあ、シバちゃんが大将ね。でも、小百合さんが大将じゃなかったときは恨みっこ無しね」
「うっス!」
「決まりました、雛菊さ…」
「いつまで待たせるつもりだー!」
「うわわわ、すみませ…」
「こうだー!」
 と、雛菊にビンタされるたんぽぽを眺めながら佐萌道が呟いた。
「今の、豆斯波さんがビンタされるのが正しいダスよな?」
 豆斯波はそっぽを向いて答える。
「……新入部員のしきりを任されたのが、ワビさんっスから」
「……わざと?」
「さあ、どうっスかね?」
 それが、3年連続で全国大会決勝戦を戦った相手に『得意技は何?』などと無神経にカマしたたんぽぽへの仕返しかどうか……それ以上、霞山は追求しなかった。
 
「今日はよろしくお願いします」
 と、鬼百合が行司(女性)に頭を下げた。
「うわ、行司さんまで呼んで、本格的だ…」
「大学女雪相撲を舐めるなっ!」
「ぎゃんっ」
「行司の存在無くして、取組が成立すると思うかっ!」
「わ、わかりました…」
 そんな光景には慣れている(笑)のか、行司は、目の前で行われた指導に眉1つ動かさない。
「ほら、みなさんもご挨拶を…」
 と、マイの海に促されて、新入生4人は行司に向かって頭を下げた。
 行司の手によって、土俵が掃き清められるのを全員で見守り……行司自身が、良く通る声で高らかに呼び出しをあげた。
「ひがーぁしぃー。三ツ葉ぁ黒ぉ!三ツ葉ぁ黒ぉー!」
「にーぃしぃー。霞ぃー山ぁー。霞ぃーやぁまぁー!」
「カスミちゃん、ファイト」
 霞山はたんぽぽ達に向かって頷き、まわしをパンと音高く叩いて土俵に上がった……あがったのだが。
 行司も含めて、その場にいる人間の視線がピコピコと携帯ゲーム機で遊んでいる三ツ葉黒に集中した。
 
「ん?あー、めんどくせーから、パス。棄権でいいや、棄権で」
 
 勝ち名乗りを受けて、霞山は土俵を降りた…。
「えーと…わー、勝ったよぉ」
「お、おめでとー…」
 などと、盛り下がる新入生チーム。
「それにしても、謎の人っスね…」
「あの態度が許されることと、私の両頬が昨日に続いて真っ赤に腫れ上がっていることについて、激しい矛盾を感じるんだけどなぁ…」
 などと、首を傾げるたんぽぽの疑問も、もっともなところだろう。
「ひがぁしぃー。雛菊ぅのぉ富士ぃ!雛菊ぅーのぉ富士ぃー!」
「にーぃしぃー。さもえーどぉおぉ!さもえーぇどぉおぉー!」
 呼び出しを受けた佐萌道が立ち上がった。
「もふ。もふふふ…」
「サモさん。笑ってるっスか?」
「え、今のって、笑い声?」
「……人と立合えるのは、3年ぶりダスよ」
「また、絡みづらいっス…」
「ボケ殺しっていうんだっけ、こういうの?」
 豆斯波と霞山の呟きをよそに、たんぽぽがきわめて冷静なツッコミをいれた。
「サ、サモちゃん、まわし忘れてるっ」
「さっき、鬼百合関に怒られたダス。『お前はまだ公式戦に出さない。まわしを締めるのは100キロ早い』と……なので当分は、まわしなしで頑張るダスよ」
「そっか…まわし無しかぁ…」
 たんぽぽは、ちらりと雛菊に目をやった。
「サモちゃん。何か、作戦考えてる?」
「3年ぶりの人との立合い…その思いをぶつけるのみダス」
「あぁ、うん…じゃあ、参考程度に聞いてね。雛菊さんはたぶん、小柄な体型とは裏腹に力押しのタイプだと思うの」
「ワシも、そう見たダス」
 と、佐萌道は頷いた。
「ただ、女雪相撲って体重制限あるからさ…150キロの相手と試合したこと無いと思うんだ」
「……なるほど。わかったダス」
 佐萌道は大きく頷き、お腹のお肉を揺すらせながら土俵へと上がっていった。
「……」
「なに、シバちゃん?」
「いや、ワビさんも…作戦とか考えるんスね」
「そりゃあ、団体戦とかあったし」
「……ワビさん自身の試合では考えないスか?」
「考えるよ。相手より強く、相手より早く、相手より巧く…できれば小百合さんみたいに」
「……」
 ぽん…。
「だから、何で肩を叩くっスか?」
 異様に優しい表情を浮かべ、霞山は首を振った。
「みあってみあって……っこったぁ!」
 約150キロの佐萌道の体当たりを、雛菊の富士は真正面から受け止めた。
「樹齢150年の杉も倒すワシのぶちかましが止められた…ダスか!?」
「大学女雪相撲を、なめると大ケガするぞ!」
 そう言って、雛菊がじりじりと佐萌道に圧力をかけていく……。
「……まずくない?」
「押し出しや寄り切りがあればっスよ…というか、サモさん、あおるのうまいっスね」
 霞山はちょっと首を傾げ……ぁ、と小さく口を開いた。
「なるほど」
「サモちゃん、ガンバっ!」
「ぬぅぅぅっ」
「力比べで、あたしが負けるかぁっ!」
 と、雛菊がムキになって押し返そうとするのを見て、マイの海がちょっと眉をひそめた。
「これは……はめられましたね」
「まあ、雛菊にはよい経験になるだろう…力は必要だが、それに頼りすぎると墓穴を掘る」
 鬼百合はそう呟き、眉をひそめた。
「……にしても、雛菊は気負い過ぎだな。あれでは実力の半分も出せまい」
 小柄な雛菊は常に150キロの圧力を受けるだけでなく、まわしのない佐萌道の柔らかくつかみ所のない身体をいつもと違う形で押し返さねばならない。
 佐萌道は、身体を預けるようにして小柄な雛菊の消耗を待ち……。
「このぉぉっ!」
 苦し紛れの投げを打とうとしたタイミングに合わせて、押しつぶした。
「勝負ありっ!西、佐萌道っ!」
「やったダスっ」
「サモさん、勝ったっスよ!」
「やったダス!やったダス!」
「おめでとう、サモちゃん」
「ありがとうダス!」
「えっと、私の不戦勝と合わせてこれで2勝…なんだけど」
 と、霞山が先輩達に目をやった。
 ジュニア、高校とその名を歴史に刻んだ最強雪力士鬼百合と、名門大輪女子の副主将を務めるマイの海。
「……マイの海さんに、見覚え無いのよね…西日本から?」
 霞山が豆斯波を見る。
「自分、全国の地区予選ベスト4ぐらいからは全部目を通してたっスけど、見覚えはないっスね。まあ、高校時代無名だったとしても、3年も経てば別人っスよ。実際、雛菊さん、三ツ葉黒さんにも、全く見覚え無いっスから」
 佐萌道は、取組のために外していた眼鏡をキランと光らせ。
「雛菊の富士関は、侘助さんと同じ、西東京地区の出身ダスよ」
「……ごめん。全然知らない」
 豆斯波はため息をついて。
「まあ、全国の決勝で戦った相手の事も覚えていないワビさんに聞くだけ無駄っスよ」
「……根に持ってるわね」
「いや、雛菊の富士関はそれほど強くもなかった学校の、団体戦のメンバーにも入ってなかったダスから、侘助さんが知らないのも無理はないダス」
「……東北出身の佐萌道さんが、それを知ってることが驚きだわ」
「試合に出させてもらえないストレスが、データ収集に向かったダスよ…」
「そのサモちゃんでも、マイさんのことはわからないの?」
「……少なくとも、高校女雪相撲の名簿には載ってなかったと思うダス」
 と、佐萌道は首を振った。
「ひがーぁしぃー。マイのぉ海ぃ!マイのぉうぅみぃー!」
「……私の相手は、マイさんか」
「にぃしぃー。わびすぅうけぇー。わびすぅううけぇー!」
「あら…」
 マイの海が、鬼百合を見た。
「油断するな」
「あの四股を見せられて油断するようでは、雪力士として不感症でしょう」
 ぱん、と自らの顔を叩き……それまでの優しい表情から一転、雪力士らしい引き締まった表情でマイの海は土俵へと上がった。
「たん…侘助さん、頑張って」
「頑張るダス!とにかく頑張るダス!」
「……無駄っスよ、2人とも。ワビさん、もう集中してるっスから…」
 ぱぁーん。
 たんぽぽが軽く振り下ろした右手に、まわしが甲高く鳴いた。
「はっ」
 一声上げて、土俵に上がるたんぽぽ……それを迎えるマイの海が、微かに顔を強張らせた。
「……これは」
「私は言ったぞ、マイ。『油断するな』と」
 マイの海はもう一度自分の顔に手のひらをたたきつけ……鬼百合を振り返った。
「勝ちます」
 その一方で。
「な、なるほど…別人ダスな」
「やばい…惚れちゃいそう」
「……カスミさん、そっちの人だったんスか?」
 などと、今ひとつ真剣さの足りない様子の新入生サイド。
 そしてそれとは別に。
「どうしたー雛菊?怖い顔して」
「べ、別に…そんなことは…」
「ふーん、まあ、どーでもいいけどなー」
 と、三ツ葉黒はゲームを続けながら。
「なんか、昨日から侘助のやつにはきっついよなー。理由あるだろー?」
「そ、それは…」
「まーいいけどなー。人間生きてりゃ、色々あるしー」
「……話せるときが来たら、話します」
「んー、そっかー…期待せずに待ってるー」
 そして、土俵に戻る。
「みあってみあって…」
 マイの海、そして侘助の重心が前へと……。
「のぉぉった!」
 わずかに立ち後れたのはマイの海。
 しかし、侘助の手がまわしにかかる寸前、その死角からマイの海の右手が侘助の顎をはね上げた。
「っ!」
 左足をひきながら身体を回転させ、マイの海は自分の左肘で侘助の左肘を押し、体勢を半身にさせてから脇の下に頭を付けた。既に両手はまわしをひいていて、対する侘助は、まわしもとれず、半身でマイの海の圧力に耐えなければいけない体勢だ。
「侘助さんっ」「やばいっ!」
 佐萌道は悲鳴を上げ、霞山は頭を抱えた……が、豆斯波1人、表情も変えずにぼそりと呟いた。
「大学女雪相撲を舐めるつもりはないっスが、ワビさんは自分らの代の横綱っスよ。舐めないで欲しいっス」
 そして、必勝の態勢に持ちこんだはずのマイの海は、背中に冷たい汗をかいていた。
「(く、崩れない…?)」
 まわしを与えず、半身にさせて力は半減……なのに、そこから崩れない。
 それはまるで、この体勢でようやく2人の力が均衡を保っているかのような…。
 ぐっ。
 前みつをひくマイの海の左手首を、侘助の右手が握った……。
「(……っ!?)」
 何の予備動作もなく、まわしを切られる。
 力ずくでまわしから引き剥がされた指先に走った痛みではなく、動揺がマイの海の腰を……。
「退くな、マイ!」
 鬼百合の声とほぼ同時、マイの海は侘助に左手をひかれ、身体が完全に伸びた。
 するり、と。
 肘を押して殺していたはずの侘助の左腕が、脇の下からマイの海の左肩に巻き付く。
「しょっ!」
「っ!」
 侘助の身体が懐で小さく、しかし鋭く回転した瞬間、マイの海の身体は土俵から引っこ抜かれたように飛んでいた。
「勝負ありっ!西、侘助っ!」
 土俵を降りてくるときにはもう、たんぽぽは、『いつもの』たんぽぽで。
「勝ったよ」
「さすがっスけど……何であそこまで相手の注文にはまるっスか」
 そう言いながら豆斯波が突き出した右手に、たんぽぽはこつんと拳をぶつけた。
「んー、避けられなくもなかったけど、何かそのまま受けた方がよいような気がして…」
「……相変わらず、宇宙語っスね…わけわからんスよ」
「サモちゃん、カスミちゃん、勝ったよ」
「……」「……」
「ど、どうしたの、ふたりともぼーっとして?」
「つ、強い…ダスなぁ」
「か、格好良い…のねぇ…」
「ん?」
 首を傾げたたんぽぽへ。
「ワビさん。カスミさん、レズっ気あるみたいスから、気を付けた方がいいっス」
「な、なな何言ってんの、豆斯波さんっ」
 真っ赤になって霞山は否定した。
 さて、上級生サイド。
「おー、あの体勢からすげーな、侘助のやつ」
「だ、大丈夫ですか、マイの海関」
「ええ…指がちょっと……軽い捻挫ですね、おそらく」
 そう言ってマイの海は雛菊に笑いかけ、鬼百合を見た。
「まさか…力ずくでまわしを切られるとは思いませんでした」
「まさかと思った。そこに油断があったな」
 鬼百合の言葉にマイの海は頷いた。
「それと、侘助のやつが面白いことを言ってたぞ…『そのまま受けた方がよい気がした…』と、な」
 マイの海は、新入生に囲まれているたんぽぽに目をやり、呟いた。
「……完敗ですね」
 
「ひがぁしぃ。おにゆーぅうりぃ!おにゆーうううりぃいー!」
「小百合さんだ、小百合さんだ、小百合さんの生立合ぃ」
「……」
 ぽん、ぽん。
「だから、何で二人して、自分の肩を叩くっスか?」
 優しい目をして、佐萌道と霞山は首を振る。
「にぃしぃ。まめしぃいいばぁ!まめしぃいいばぁあー!」
「まあ…もう勝ちは決まったから、鬼百合さんに胸を借りる気持ちで正面からぶつかっていくだけっス」
「シバちゃん。勝つ気でいかないと、勝てないよ?」
「じゃあ、ワビさんには何か作戦あるっスか?」
「最初が張り手なら、ほぼ100%の確率で右手」
「……張り手が来なかったら?」
「小百合さんの最初の一歩は、左足の方が確率高いよ」
「……」
「残念だけど、つかまったら諦めるしかないと思う」
「……心にずしりと響くアドバイスっスね」
「いや、できれば四つ相撲に持ち込むんだ」
「み、三ツ葉さんっ!?」
「がっぷり四つに組んで、腰を落として……そうだなー、まずは小手に振って、小百合の胸の膨らみを強調させるシーンがとれたら最高だな。そうそう、内無双狙いで、小百合の太腿に手を這わせ…(以下略)」
「あ、あの…三ツ葉さん…首からさげているのは」
「あー?カメラに決まってるだろっ!」
「……」「……」「……」
「心が震えるような、シャッターチャンスを頼むぜ」
 びっと、親指を立てて、三ツ葉黒はきらんと眼鏡を光らせた。
「シバちゃん、頑張って」
「豆斯波さん。こうなったら、完全勝利を狙うダス」
「み、三ツ葉黒さん…さっきの、たんぽぽさんの写真とか、撮ってます?」
「あー?なんであたしが、侘助の写真なんか撮らなきゃいけないんだ?あたしは、小百合一筋だぞ」
「シ、シバちゃん、頑張って」
「ま、豆斯波さん。こうなったら、完全勝利を狙うダス」
「う、うっス!頑張るッス」
 と、豆斯波は土俵に上がり……鬼百合を見て眉をひそめた。
「……どうした、豆斯波?」
 鬼百合の問いに答えず、豆斯波は静かに気合いを発した。
 鬼百合はしばらく豆斯波を見つめ、笑みを浮かべる。
「……そうか、では、可愛がってやるとしよう」
「可愛がる、だと…?」
「うわわわ、三ツ葉黒さんっ!なんか、鼻血出てます、鼻血っ」
 などの、土俵外の騒ぎを気にも留めず……豆斯波は、行司に促されるよりも早く、構えをとった。
 そして鬼百合も、それを受けて構える。
「みあってみあって……のぉこっ…たっ!」
 激しいぶつかり合い……その予想を裏切られて、佐萌道は、疑問の声を発した。
「な、何を突っ立ってるダスか、豆斯波さん…」
 鬼百合を前に、ぶつかりにいくでもなく、左右に動き回るのでもない。
「豆斯波さん。思い切っていくしかないよっ!」
「へへっ、無茶を言ってやるなよ…」
 と、霞山の肩に手を回して、三ツ葉黒が囁いた。
「ど、どういう意味ですか、三ツ葉黒さん?」
「まあ、小百合のやつは超が3個ぐらいつく一流の雪力士だが、豆斯波だって高校で3年連続準優勝だろ?だったら、一流の雪力士ってやつだ」
「……?」
「わかるんだよ…自分がどう動いてもあっさりと潰されるのがな」
「そ、そういうもんなんですか?」
「まあ、猛スピードで走ってるトラックに向かってつっこんでいくぐらいのイメージだろうな……頭で考えても、身体がそれを拒否してるのさ。だから、動けない」
 三ツ葉黒の説明はまさに正鵠を射ており、豆斯波は鬼百合を前にして、ぴくりとも動けず、ただ冷たい汗を流し続けていた。
「どうした、豆斯波。にらみ合いを続けても、何も始まらんぞ」
「う…くっ…」
「壁を超えろ…お前はそのために、ここにやってきたのだろう?」
「…い、…い、いくっス!」
 極限まで引き絞られた弦から放たれた矢のように、豆斯波の身体は一直線に鬼百合の懐に飛び込んだ。
 既にその手はまわしをつかんでいる。
『投げは力じゃなく、速さとタイミング』
 その言葉と共に脳裏をよぎったのは、先輩の微笑みだ。
 理想に近いタイミング……その瞬間、豆斯波は自分の視界が土俵ではなく天井を向いているのに気付いた……。
 
「シバちゃんっ!大丈夫、シバちゃん!?」
「……」
 豆斯波は、自分を取り囲む人間を見渡して……いきなり笑い出した。
「シバちゃん?頭打ったの?」
「…聞きようによっては、ひどい言葉ダス…」
 豆斯波は笑うのをやめ、他の誰でもなく、たんぽぽだけに視線を向けた。
「ワビさぁん」
「シバちゃん?平気?気分悪くない?」
「なんだか、わけの分からないウチに負けたっス」
「え、えぇと、呼び戻しだよ。柔道で言うところのすくい投げ…あぁ、空気投げの方がいいのかな…えーと、シバちゃんがこう、投げを打とうとしたタイミングで小百合さんの腕が…こう、こんな感じにね…」
 などと、解説を始めるたんぽぽは、やはりどこかずれている。
「違うっスよ、ワビさん」
「え、ええ?…でも、わけが分からないウチに負けたって…」
 豆斯波は笑って。
「自分、ここに来て良かったっス…」
 
「おめでとう。見事な勝利だった」
 新入部員を前に、鬼百合。
「いえ、先輩のみなさんが、胸を貸してくれたからこその勝利かと」
 爽やかに応えるたんぽぽ。
「知った風な口を利くな!」
「……ご、ごっつぁんです」
「我々は全力を尽くした。お前らは勝った。それ以外に何もない」
「え、でも、今の勝負って…」
「我々は全力を尽くしたと言っているだろうっ!」
「ぎゃんっ」
「……ワビさん、空気読むっスよ。たぶん、この後に重要な話があるはずっスから」
「賢しげな口を利くなっ!」
「……うっス」
 マイの海は苦笑を浮かべて呟いた。
「……さすがにあの2人は気付きましたか」
「そりゃまあ、気付くわなー。あたし、棄権までしてるし」
「……」
 鬼百合は、背後のマイの海、三ツ葉黒、雛菊の富士の3人に向かって小さく頷いた。
 ここでさすがに何かを感じたのか、佐萌道と霞山がひそひそと話し合う。
「なんかあるダス…か?」
「あるん…でしょうね。このまま終わるなら、『新入部員が残るかどうかわからない』なんて言わないでしょうし」
 そして鬼百合は、新入部員4人に向かって静かに語り始めた。
「大学女雪相撲において個人戦はなく、団体戦のみが行われる。今日は4対4だったが、通常は5対5の勝負だ」
「……なるほど。この2年、大輪女子大学が大会に出場していなかったのは、人数が足りなかったせいなんダスな」
「そうだ」
 鬼百合は、佐萌道に向かって頷いた。
「今の…私が口にしたら、たぶんビンタなんだよね」
「沈黙は金っスよ…」
 ひそひそ。
「これから、大学女雪相撲で負けるということがどういう意味を持つか、お前らに教える」
「……」「……」「……」「……」
 そして、鬼百合は4人が予想もしていなかった言葉を口にした。
 
「これより罰ゲームを行う」
 
「…っ…っ…」「……ぅく…ぷ…っ」
 豆斯波とたんぽぽの2人が、顔を真っ赤にして笑いをこらえた。
「私は真面目な話をしているっ!」
「……ど、どすこい…」「……うっス」
「罰ゲームは『新参舞』。私が受けよう…」
 そう言って、鬼百合はユニフォームに手をかけ…。
「な、ななな、何やってるんですか、小百合さんっ!」
「罰ゲームの準備だ」
 鬼百合の乳房が、たんぽぽ達の目にさらされた。
 そして、鬼百合はまわしにも手をかける。
「お、おおお、鬼百合さんっ!?」「な、何ダス?何が始まるダスっ!?」「……綺麗…」
 約1名見とれているが、多数決で新入部員はそれぞれパニックを起こした。
 しかし鬼百合はそれにかまわず、生まれたままの姿になって、舞を始めた。
「な、なんスか?リアクション芸人でも始めるっスか?」「なな、なんダス?なんなんダス!?」「……すごい…どこにも無駄な肉が無い…」「す、全てがシャッターチャンス…」
「み、みみ、三ツ葉さん!鼻血出して、カメラ構えて何をやってんですかっ!」
「ばかやろー、侘助!美しいモノを記録に残すのは、人間の義務だっ!」
「うわあ、ダメだこの人っ!って、いうか雛菊さん、小百合さんを止め…」
「黙ってみていろぉーっ!」
「ぎゃん」
 と、雛菊の張り手をもらっても、めげることなくたんぽぽはマイの海に向かって言った。
「ま、ままマイさん?なんで小百合さんが、こんな恥ずかしいマネをしなきゃいけないんですか?」
 マイの海は、真面目な表情で小さく頷いた。
「ええ、『新参舞』は本来、新しく入った人がやることですからね。大輪女子大の主将を務める鬼百合関にとっては、中学校へランドセルで登校するような恥ずかしさは当然あるでしょう」
「そ、そういう恥ずかしさなんですか!?もっと、根本的な所だと思うんですがっ?」
 話がかみ合わないことに絶望しかけたたんぽぽを遮るように、佐萌道がマイの海に向かって問いかけた。
「マイの海関、今『新しく入った人がやること』と言ったダスか?」
「ええ」
 佐萌道はちょっと考え込み。
「思い出したダス。『新参舞』と言えば、大奥に新人の女中があがってきたらやる、イジメの1つダスな」
「イジメとかゆーなーっ!」
「……初ビンタ、ごっつぁんダス」
 雛菊が、その可愛らしいツインテールの髪を震わせながら力説した。
「イジメの一面があったことを否定はしないっ。だが、裸にして踊らせることで、入れ墨の有無や、危険物を持ち込んでいないかを見極める重要な要素も含んでいたんだっ。物事の一面だけに捕らわれるなぁーっ!」
「なるほどダス…」
 頷いた佐萌道に、マイの海が言葉を足した。
「みなさんも知っての通り、女雪相撲は大奥より発祥したと言われています。ジュニア、高校、社会人は競技制を重視し、プロはエンターテイメント性を重視していますが、大学女雪相撲は伝統そのものを重視しています」
「い、いやいやいや、今は歴史のお勉強じゃなくて、小百合さんに恥ずかしいマネを続けさせたくないって言うか…」
「侘助」
「は、はいっ!」
「もし、お前らが負けていたら、お前らがこの罰ゲームを受けるはずだったんだぞ」
 鬼百合の言葉……が、時間差で、新入部員4人の心に爆弾を落とした。
「……マジっスか?」「……」「……嘘…」「え、えええぇぇっ?」
「……大学女雪相撲がメディアに露出しないわけ、そしてジュニアや高校と違って、大学女雪相撲が皇宮庁の管轄なのはこのあたりに理由がある」
「そ、そそりゃそうですよ!こんな事やってるって知れたら、大騒ぎですってっ!」
「……だが、これが大学女雪相撲の現実だ」
「伝統…ですか?」
「そうだ」
「……」
「言っておくが、この『新参舞』は、最も軽い罰ゲームに過ぎん……基本的に、大会では上に行けば行くほど、罰ゲームは厳しいモノとなる」
「厳しい…って」
 ふっと、鬼百合は舞うのをやめ……4人を見つめた。
「東日本決勝戦、そして東西代表が戦う決定戦において、罰ゲームはほぼ例外なく、『まぐわい』が実施される」
「……っ」「……」「…ま、まぐわいって…」
「え、えええ、あ、相手とか、どうするんですかっ!?」
「相手チームが、罰ゲームを行うための男を用意して…」
「や、やややですよっ!そんな好きでもない、会ったこともない、それも男となんてっ!」
 動揺しまくっている霞山が、何やら秘めた性癖を匂わせる抗議の声を上げた。
「ワ、ワワ、ワシには、許嫁がいるダスよっ!?」
 これはもちろん、佐萌道。
「…って言うか、そんな罰ゲームがあるなら、勝つのも嫌ですっ!」
 たんぽぽの言葉に、鬼百合は静かに答えた。
「それに関しては問題ない、大輪女子大学は、相手チームに罰ゲームを与えない……これは伝統というか、大輪女子の強さに恐れをなして、出稽古がしにくくなったことから、昭和39年に、当時の主将がそう決めた。元々、罰ゲームを行うかどうかは、勝ったチームに選択肢が与えられているからな」
「ど、どうせ決めるなら、罰ゲームそのものを…」
「侘助」
「は、はいっ」
「大輪女子大学内部だけの伝統なら、それもいいだろう……しかし、この罰ゲームは、大学女雪相撲全体の伝統だ。お前のいってることは、大学女雪相撲そのものを否定することになる」
 それまで黙っていた豆斯波が、口を開いた。
「……鬼百合さん、1つ、いいスか?」
「なんだ、豆斯波」
「罰ゲームで…その、処女じゃなくなったら……退部って事っスよね」
「そうだ」
 鬼百合は小さく頷いた。
「大輪女子大学女雪相撲部が義務づけられている常勝は、そこに由来する」
「…っていうか、小百合さん。何でもいいから着てくださいぃぃっ」
 
「3年前、大輪女子大学は、全国大会決勝で敗れた」
 鬼百合が語りだすのを、たんぽぽら4人はもちろん、マイの海ら先輩3人も黙って耳を傾ける。
「試合に出場した先輩はみな退部となり、部に残ったのは私、そして同じく1年の1人の合わせて2人だったが……もう1人は、自ら部をやめていった」
「ちょっ、ちょっと待つっスよ…鬼百合さんも当然、試合には出た…」
 豆斯波は息を呑んだ。
 鬼百合の目に、微かに光る涙を認めたからだ。
「罰ゲームというのは、時間制限があってな……もちろん、制限時間いっぱいまでやるかどうかは勝った者が決めるのだが、基本的に、厳しい罰ゲームほど制限時間は短い」
 鬼百合はちょっと言葉を切った。
「……先輩4人は、私を守るために……好きでもない男を相手に、処女を失ったばかりの身体で、ぎりぎりまで時間を稼いで……そして、最後に笑って私に、『大輪女子大学女雪相撲部を頼む』と言って部を去っていったんだ……先輩が後輩を守る、これも大輪女子の伝統の1つ」
 重い告白を受け、たんぽぽ達4人は言葉を失う。
「大河内小百合個人としてなら、大学女雪相撲の伝統について思うことはある……が、私は先輩達に守られて……大輪女子の伝統に守られて17代目鬼百合を名乗り、今ここにいる」
 鬼百合の目がたんぽぽを向いた。
「侘助」
「はい」
「豆斯波」
「…うっス」
「霞山」
「…はい」
「佐萌道」
「はいダス」
「それぞれ、疑問もあり、不満もあるだろう。お前達4人が、伝統について何を思うか、考えるかを、とがめるつもりはない。ただ、17代目鬼百合として……私は伝統を守るし、口が裂けても言えない言葉がある」
「……」「……」「……」「……」
「4人は、今日はこのまま帰れ。そして、この大輪女子大女雪相撲部の門を叩くに至った思いを深く噛みしめた上で、よく考えろ。大学女雪相撲の世界に飛び込むことで、与えられるモノもあれば、確実に奪われるモノもある……強制はしない、蔑みもしない。私は、お前達の選択を、意志を、無条件に尊重し、敬う」
「さ、小百合さん…」
「鬼百合だ」
「鬼百合さん、私は…」
「考えろ。一晩かけて…いや、何日かかっても良い……」
「でも」
「お前がここですぐに答えを出したら、他の3人はどう思う?人という生き物は、その場の雰囲気に流されやすい……だからこそ、今日はこのまま帰って、1人1人が、己の心と向き合え」
 鬼百合は、たんぽぽから、豆斯波、霞山、佐萌道と視線を移していった。
「……私からは以上だ」
「よろしいですか、鬼百合関?」
「なんだ、マイ?」
「いえ、みなさんに、この件については他言無用と…」
「そうか…忘れていた」
 と、鬼百合は頷き。
「既に想像は付いているだろうが、大学女雪相撲は皇宮庁の管轄であり、競技における伝統やその他の情報について厳しく情報の漏洩を戒められている……いいか、これは冗談でも前フリでもないからな。関係者以外に情報を漏らすと、下手をすれば戸籍から何から全て消されて、無かったことにされる」
「……」「……」「……」「……」
「ちなみに、今日のこの場に来てもらった行司は、皇宮庁に所属する方で、機密保持やその他の仕事も担っておられる……今も、お前達の背後で」
「……私の手を煩わせないでくださいね」
「ひぃやぁぁぁっ!」
 たんぽぽ達4人の悲鳴がこだました。
 
 
「……大学女雪相撲の情報だけがほとんど流れてこないから、何かあるとは覚悟してたダスが…」
「こういうこと……だったとはね」
「……負けたら退部だからとか、そういう追い込み方は、好きじゃないな…」
「……勝ち続けた人間だけが言える綺麗事っスね」
「そういう言い方…」
「ワビさんは……たぶん、鬼百合さんも、罰ゲームを免除される相手の気持ちを本当に理解することはできないッスね」
「……どういう意味?」
「やめてっ!」
 半ば悲鳴の霞山の制止に、たんぽぽと豆斯波は従った。
「……個人戦がないって…きっついなぁ」
「…?」「…?」
「自分が負けて、たんぽぽさんや川端さんが……自分の仲間が退部しなきゃいけない羽目になるとか考えると、私……無理だよ」
「カスミちゃん…」
「ごめん、1人で考えたい…みんな、先に帰って」
 そう言って、霞山はバス停ではなく、建物の方に向かって歩き出した。
「ワシは……許嫁に、相談すべきなんダスかなぁ…」
 佐萌道の言葉が、2人には重い。
「……お先に失礼するダスよ…」
 と、バス停に。
 残された、2人。
「……どーせ、ワビさんには考える余地もないっスよね?」
「正直、伝統とか、全然、理解できないし、納得できないんだけど?」
「でも、やるっスよね?」
「そりゃ……小百合さん、いるし。そのために、来たし」
「……」
「な、なに、じっと見つめて…?」
 豆斯波は、ちょっと寂しそうに笑って言った。
「自分も、ワビさんも……たぶん、人としては欠陥品っスよ」
「はぁ?」
「……女雪相撲しかないっスよ、自分には。元々選択の余地なんか、ないっス」
「……?」
「あ、ところで……今日、自分が鬼百合さんに投げ飛ばされた取組のおさらいをしたいんスが…」
「え、うん…えっと、こんな感じで…」
 などと、身振り手振りを交えて、人目も気にせずに、2人は今日の取組を語り合い始めた……。
 
 
続く
 
 
 さて、こっちの方は浮気相手の浮気相手なんですが、浮気相手の本命の方の筆がすすまない状況……ややこしい日本語だ。
 
 つーか、腰を割るとか、前みつとか、説明しなくても大丈夫なんだろうか?
 マイとたんぽぽの取組の描写で、ちゃんと動きの流れとか理解してもらえるんだろうかなどと…心配したり。

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