「えーと、入学式の服装は特に決められてない…と」
いつものランニングと基礎トレーニングを終え、シャワーと食事を済ませてから、たんぽぽはようやく入学式の準備に取りかかった。
といっても、入学手続きの際に渡されたハガキが一枚と筆記用具さえ忘れなければそれでよく……後は着替えるだけ。
大輪女子大学は、最寄り駅からもバスで20〜30分ほどかかる。
時間の幅があるのはキャンパスの敷地面積が広いためで、駅から大学まではほぼ直通のバスだが、大学の敷地内に停留所が4カ所ある。
キャンパス内を、自転車で移動する学生も多いのだが、新入生がそれを知るのは、たいてい入学してから後のことである。
大輪女子大学の周囲は何もなく……というか、大学案内にも堂々と、臆面もなく、大文字で『緑豊かなキャンパス』とか『緑に包まれた野趣溢れるキャンパスライフ』などと記されていることからも察することができるように、ただ山だけがある。(笑)
明記されてはいないが、熊も出るし、猪もでる。
大学近辺において、人口密度は、動物口密度に圧敗……というか、基本的に最寄り駅の周辺まで行かないと人家はほとんどなく、農家が散見できる程度。
コンビニは日本全国に存在するなどと豪語する輩がいるが、それは間違いだ。
本当の田舎にはコンビニはおろか、商店街など形成されない……早い話、人(客)がいないところに需要は生まれないのだ。
もちろん、大輪女子大学という『ハコ』があって、人が集まるわけだから、そこに需要がないわけではない。
しかし、それらの需要は、大学の食堂、大学の売店によってほぼ賄われる。
大学の最寄り駅周辺が発達しているというわけでもなく、駅前のコンビニが夜間に閉店するということから、ある程度想像はつくであろう。
「さて、と…行きますか」
そう言ってリュックを背負ったたんぽぽは、ジャージ姿である。
入学式、そして新入生のオリエンテーションが終わったらすぐに女雪相撲部に押し掛けるつもりなので、これが一番良いと判断したのだろう。
リュックの中身は、まわしと高校時代のユニフォーム。
清々しいまでに、自分の目的に特化した装いといえよう。
ぐっ、ぐっと、軽く屈伸運動してから、たんぽぽは学校に向かって走り出した。
朝のランニングを終えたばかりで……と、言ってはいけない。
競技を始めて1年で全国制覇をしてしまうような人間に、常識は当てはまらないからだ。
「ほっ、ほっ、ほっ…」
走るたんぽぽを、駅からのバスが追い越していった…。
本人はまるで気にしていないが、予想通りジャージ姿のたんぽぽは周囲から浮きまくっていた。
まあ、単純に浮いているだけでなく、たんぽぽのことを知っている人間も少なくないようで、あちこちでひそひそと囁きあっていたりもするのは、有名人の辛いところか。
入学式を終えると、新入生は学科毎に分けられ、人数が多い学科はさらに細かくクラスに分けられ、それぞれ指定された教室に向かってオリエンテーションを受ける。
単位取得についての説明、講義の時間割、受講希望カード提出等々……オリエンテーションも後半となると、ジャージ姿のたんぽぽは、そわそわとして落ち着かないこと甚だしかった。
憧れの小百合に会える。
もうすぐ会える。
と、オリエンテーションの内容はほとんど頭に残っていないのは言うまでもない。
つんつん。
「ねえ、ちょっと…」
「ん?」
たんぽぽはそちらを振り向いた。
整った顔立ちをした少女が、ぎこちない微笑みを浮かべつつ囁いた。
「花畑さん…よね?」
「あ、うん」
髪型はショート。
椅子に座っているけど、おそらく背は高い……170程度か。
たんぽぽは人の顔と名前を覚えるのが割と苦手だったから、初対面かどうか、自信は持てなかった。
「この後、女雪相撲部に行くんでしょ?」
「あなたも?」
「ええ、一緒にいいかしら?」
「いいよ。一緒に行こう…えっと…」
「設楽紀子。山梨から来たわ」
「うん、設楽さん……紀ちゃんでいい?」
「え、ええ…」
「じゃ、私はたんぽぽで……よろしく」
と、たんぽぽと紀子はこっそりと握手。
手のひらに加わる小指の感触は、女雪相撲の稽古を積んだ人間に独特のモノだ。
まわしにかけた小指一本……それが外れるか外れないかで、勝敗が分かれることも少なくない。
強い雪力士はたいてい小指の皮膚が厚くなっているし、普段何かを握り込む動作をする時、一般人とは違う独特の力の入れ方をする。
「入学式で、西日本の川端さんの姿を見かけたわ」
「え、つくしちゃん?」
「ええ…プロからも熱心に誘われてたらしいけど…」
紀子は、ちょっと左右に視線を投げてから。
「たんぽぽさんも…誘いがすごかったんじゃない?契約金とか、どのぐらいだった?」
「んー、3千万とか5千万とか……一番高いとこで1億とか」
「1億…」
紀子が息を呑み……息を吐いた。
「……断っちゃうんだ」
「あぁ、うん、まあ…」
困ったように頭をかくたんぽぽに、紀子は苦笑を浮かべて。
「お金より、大河内小百合さん…ね」
「うん」
たんぽぽの憧れであり、目標……高校1年の時から口にしているので、おそらくは同学年の競技者でそれを知らないモノはいない。
「私は、モデル志望でこの競技を始めたんだけどね…」
「そうなんだ」
注目度が高い競技だけに、そうした目的を持った人間も少なくはない。
実際に、雪相撲の競技から、モデルやアイドルなどといった世界へとスカウトされる人間もいるからだ。
「やっぱり、それなりの実力がないと注目されなくて……スタイルには自信があるんだけど」
ふっと、紀子は顔を作り、上体をひねって胸の膨らみを強調してみせた。
「うわ……た、確かにすごいね…羨ましい」
「羨ましいのはこっちのほう。たんぽぽさん、グラビアにも出たでしょ」
たんぽぽは、紀子の顔と胸を見て、恥ずかしそうに俯いた。
「お、お粗末なモノを…」
紀子は、ちょっとたんぽぽを見つめ。
「……たんぽぽさん、やっかまれてるみたいね」
「え?」
「けっこう…ね。ヒドイ噂が流れてる」
「そうなの?」
「こうして実際に話してみたら、まあ、噂は噂かなって……そうじゃなかったらよっぽどの役者って事ね」
「んー」
などと紀子との会話に興じているウチに、オリエンテーションが終了した。
そしてたんぽぽと紀子は、2人並んで女雪相撲部へと向かった。
事前に場所を調べてあったらしく、紀子はたんぽぽを導いて歩いていく。
「たんぽぽさん…ほら、川端さん」
と、前方を指さす。
「あ…」
後ろ姿でわかるものなのかと思うかも知れないが、川端つくしはいわゆる目立つ少女だった。
まず、髪を金色に染めている。
肌も黒く焼いて、化粧も派手目、アクセサリーもじゃらじゃらと……いわゆる、ギャルだ。
「相変わらず…だねえ」
着ている服こそスーツだが、それで入学式に出たことそのものは、ジャージで出席したたんぽぽといい勝負だろう。
紀子が、頬の辺りを指先でひっかいて。
「2年まで、普通だったのに…」
「うん、3年の全国大会で見て、びっくりした」
と、たんぽぽ。
サラサラ黒髪、長いまつげ……地味ではあったが、楚々としたお嬢さんという外見だったつくしが、いきなり髪は金髪、肌は真っ黒という外見で現れたのだから、たんぽぽが驚いたのも無理はない。
正直、たんぽぽは決勝戦直前まで、彼女のことを別人だと思いこんでいたのだ。
ちなみに、つくしの身長は160に満たず、同年代の少女の平均程度。
体重制限があるとはいえ、やはり身体が大きい方が有利な競技なのは否めず、女雪力士としては、たんぽぽもそうだが川端つくしもまた小柄な部類に入る。
高校時代はたんぽぽの陰に隠れてしまった形たが、彼女、川端つくしは雪相撲界に彗星のように現れた存在だった。
中2の夏から雪相撲を始め、その冬にはもう兵庫代表となって西日本大会でベスト4。
中3の冬は、西日本代表として全国中学大会決勝に挑み、惜しくも破れた。
そして地元の名門、神戸松嶺学園に進学……1年にして団体戦の大将に抜擢され、団体戦の優勝旗を取り戻す原動力となり、そのまま3連覇。
個人戦は、3年連続準優勝……つまり高校の3年間、個人戦の決勝は西日本代表川端つくしと、東日本花畑たんぽぽの2人の間で行われたのであった。
「おーい!」
と、たんぽぽがつくしに向かって一声呼びかけた瞬間、紀子は虚を突かれたような表情を浮かべた。
東日本と西日本というブロックで区切られ、それぞれの代表が日本一をかけて戦うというスタイルを取る女雪相撲だけに、西日本は西日本、東日本は東日本という具合に連帯感を持つ人間が多い。
それ以前に、3年連続で全国大会の決勝でたんぽぽに敗れたつくしが、どのような感情を抱えているか……紀子にはそれがたやすく想像できたし、それを裏付けるような情報も耳にしていたわけで。
しかし、紀子の目の前で、たんぽぽは無邪気に手を振って、つくしに向かって駈けていく。
「つくしちゃーん」
つくしの足が止まり、こちらを振り向いた。
表情こそ確認できなかったが、雰囲気でわかる。
紀子は慌ててたんぽぽの後を追った。
「つくしちゃん、大輪女子だったんだ」
「……うっス」
短く答え、つくしはちょっと頭を下げた。
「やるよね、雪相撲」
「……その理由以外で、進学したいと思える大学ではないっスね」
東京でありながら田舎。
偏差値もそれほど高くない。
「ああ、うん、ぶっちゃけそうだね…就職率とか良くなさそうだし…」
「……」
「プロから随分誘われてたって聞いてたけど、断ったんだ?」
「花畑さん程じゃないっスよ」
「私は、最初から小百合さんの後を追って進学って言ってたのに、結構しつこくて…」
「…そればっかっスね、花畑さんは」
そんなやりとりを耳にして、紀子は掠れた声で呟いた。
「……た、たんぽぽさん…空気読んで…空気」
「あ、そうだつくしちゃん。この人、紀ちゃん。山梨からきたんだって」
「え、あ、この状況で私にフルの?」
紀子は、引きつった笑みを浮かべた。
「は、初めまして、川端さん。設楽紀子です、よろしく」
「川端つくしっス。山梨の地区大会では惜しかったっスね。映像を見る限り、自分は、アレは行司の差し違えだったと思ってるっス」
「え、あ、うん…」
「あれがなかったら、設楽さんが代表だったッスよ」
「あ、ありがと…」
「すごい。つくしちゃん、良く知ってるね」
つくしは、じろりとたんぽぽを見て。
「対戦相手の得意技はおろか、名前すら気にしない、花畑さんの方がおかしいっス」
「そ、そうかな…?」
「あ、見えてきたよ、2人とも。ほら、あそこ、あそこ…」
と、慌てて紀子が言った。
大輪女子女雪相撲部に集まった5人の新入生……の前に、たんぽぽの記憶よりも精悍さを増した大河内小百合が立った。
後ろには、3人の雪力士が控えている。
名門なのに、全部で4人か……などといった疑問を抱くこともなく、たんぽぽはただ1人だけを見つめている。
「小百合さんだ、小百合さんだ、小百合さんだぁ…」
そんなたんぽぽの右隣で、つくしがため息混じりに呟いた。
「アホの子っスか…」
礼儀正しくというか、反論する気になれなかったのか、紀子は無言。
「大輪女子大学女雪相撲にようこそ……私は、主将の大河内小百合だが、通常部内では四股名で呼び合うのが決まりだ」
小百合は一旦言葉を切って……すっと、息を吸い込むと。
「私の四股名は鬼百合……これは代々の主将が受け継ぐ四股名の1つで、私は主将になるにあたって17代目の鬼百合の名を受け継いだ」
「鬼百合?鬼百合って…私の小百合さんが、鬼だなんて…」
「…誰がアンタのよ…」
「ん?」
今の、つくしちゃん…じゃないよね?
と、たんぽぽがきょろきょろと顔を動かした。
「それでは早速だが、お前達に自己紹介をしてもらう。私から見て、右からだ。始めろ」
「はい」
と、たんぽぽの左隣に立っていた少女が、一歩前に踏み出した……その瞬間。
「大輪女子女雪相撲部をなめるなっ!」
少女の身体が吹っ飛んだ。
たんぽぽの憧れた、大河内小百合の声ではなく、ビンタによるものだ。
ついでに言うと、ビンタなどという生やさしいモノでもなかった。
ジュニアはともかく、高校雪相撲において顔への張り手は禁止されていない。
実力差はもちろん、はずみのようなモノも含めて、一撃で勝負が決することもある。
そして、曲がりなりにも高校時代に全国大会で3連覇を果たしているたんぽぽをして、思わず身がすくんだ……そんな一撃。
小百合のビンタを喰らって吹っ飛んだ少女は、倒れたまま起きあがることもできず、しかし張られた頬を手で押さえながら恨みがましい声を上げた。
「お姉ちゃん、ヒドイよ…いきなりぶつなんてさぁ」
「え、お姉ちゃん?」
と、たんぽぽは、あらためて小百合にビンタされた少女を見つめた。
腰まで伸ばされた黒髪。
整った顔、日本人離れした脚の長さ、くびれたウエスト。
背も高い。
モデル志望の紀子も長身だが、この少女もおそらく170を超えている。
たんぽぽは、視線を小百合に向けた。
なるほど、似ている……というか、そっくりだ。
たんぽぽは、なんとなく頷いた。
ただ、思考がその先へと進んでいかない。
パニックがもたらした、思考のセーフモードというやつだ。
強く、優しく、美しく……憧れの大河内小百合が、鬼の形相を浮かべて、妹を見下ろしている。
その、美しい唇が開く…。
「大輪女子女雪相撲部は、処女しか入れないと言ったはずだっ!」
小百合の声が、頭の中をそのまま素通りしていったように感じて、たんぽぽはなんとなく他の新入生に目をやった。
緊張はしているモノの、驚いている顔はない。
そんなたんぽぽの反応とは無関係に、事態はすすむ。
小百合の妹らしい美少女はよろよろと起きあがり、目に涙を浮かべて口を開いた。
「でも…」
「言い訳するなっ!」
「ひぐぅっ」
小百合の左腕がムチのようにしなって振り抜かれたのを、たんぽぽの目はとらえた。
上体をぐらつかせはしたが、少女はぐっと唇を噛みしめ、17代目鬼百合を見つめ返した。
姉を見るその目に、怒りがある。
「不服か、百合根」
「……」
口も開かず、頷きもせず、少女……大河内百合根は、じっと姉を見つめる。
「なら聞こう。百合根、お前は処女か?」
「………うん」
「ウソをつくなっ!」
ばちいっと、重苦しい音を響かせて百合根の顔が弾かれた。
今度は反論も言い訳もせず、百合根はただ泣いた。
「ぐす…ぐすん…」
そんな彼女に向かって、姉である鬼百合が容赦なく宣言する。
「伝統に則り、お前は入部させられない!」
ビクっと、身体を震わせ……百合根は姉を見つめた。
半開きの唇が微かに震えて。
「……ヒドイよ。あたし、お姉ちゃんに憧れて、ずっと頑張ってきたのに…」
「お前の努力は知っている。しかし、それとこれとは話は別だ」
「でも…」
それ以上の言葉を、鬼百合のビンタが封じた。
「……出ていけ!」
百合根の身体が震え……その場に跪いた。
「ちょっ、ちょっと待ってください」
半ば呆然と成り行きを見守るしかなかったたんぽぽだったが、事ここにいたって思わず飛び出していた。
「……何だ?」
大河内小百合…17代目鬼百合。
たんぽぽは、この時初めて彼女と向かい合った。
特別にすごまれたわけではない。
ただ単純に、これまで感じたことのない圧力に身体がすくみそうになったが……それに耐え、たんぽぽは声を上げた。
「な、なんで…処女じゃなきゃ入部できないんですか?」
そう、まずはそこだ。
なによりも、そこだ。
姉妹とか、ビンタとか、全部後回しだ。
「伝統だ」
「はぁ?」
「大輪女子大学、女雪相撲部の伝統だ」
思わず頷きそうになってしまったが、たんぽぽは慌てて首を振った。
「で、伝統って…全てを否定するつもりはありませんが、納得できません」
鬼百合は、ちょっとたんぽぽを見つめ。
「お前は処女だろう」
「え?」
「見ればわかる」
「……うぅ」
おそらく鬼百合の発言の意図はそこにはなかったのだが、憧れの存在である彼女にそう言われて、たんぽぽは少々傷ついた。
可愛いとか、元気系とか言われることはあっても、たんぽぽを美人と形容する者はいなかったのだ。
贅沢言うなと怒られそうだが、小百合に憧れ、小百合を目標とするたんぽぽにとって、それは、どかんと目の前に分厚い壁をうち立てられるようなもので。
「ならば何故、百合根をかばう?」
「か、かばうも何も、話がひどすぎ…」
ぱんっ。
「……え?」
たんぽぽは、最初自分の身に何が起こったのか理解できなかったが……遅れてやってきた頬の痛みに気付いて、そちらに視線を向けた。
どす黒い怨念のようなモノを漂わせ、百合根がたんぽぽをにらみつけている。
「え、…ぇ?」
「やめてよ…」
「え?」
「あんたなんかに…あんたなんかにかばわれたくないわよっ!」
百合根はたんぽぽに向かってそう叫ぶと、きっと姉をにらみつけた。
「もういいよ」
呪いを思わせる言葉をまともに受け止めつつ、鬼百合は眉1つ動かさずに口を開いた。
「なら、出ていけ」
「だから小百合さん、そんな言い方…」
「あんただけにはかばわれたくないのよっ!」
ぱあんっ!
たんぽぽの目がくらんだ。
「なにが伝統よ。なにが大輪女子よ……こんな所、あたしが潰してやる」
鬼百合は平然としていて……それに耐えられなくなったのか、百合根は飛び出していった……。
そして、残されたたんぽぽは、叩かれた怒りよりも疑問が勝っていて、首を傾げるしかない。
「……えっと…どういうこと?」
しかし鬼百合は、まるで何もなかったように言葉を続けた。
「次!自己紹介!」
先の騒動で列が乱れていたのもあるが、おそらくは混乱しているたんぽぽを気遣って(?)つくしが一歩前に踏み出した。
「うっス!川端つくしっス!高校時代は3年連続全国大会準優勝っス!」
日焼けした肌、染めた髪、派手なアクセサリー……以下略。
どう考えても、この状況は絶体絶命であろう。
「頑張りまスんで、よろしくお願いしまっス!」
そう締めて頭を下げたつくしに、鬼百合は頷いた。
「それなりの実力はある、か」
しかし。
「川端つくし」
「うっス!」
「女雪相撲をなめるなっ!」
ぱあんっ。
「う、うっス…」
「何でですかっ!?」
思わずというか、ほぼツッコミの感覚でたんぽぽは叫んでいた。
わからない。
今のやりとりの中で、何故ビンタが飛ぶのか全く理解できない。
小百合は、ちらりとたんぽぽに目をやったが、再びつくしに向かって言った。
「頑張るなら何故、高校時代から頑張らないっ!」
「うっス!」
「いや、別につくしちゃんが頑張ってなかったわけじゃないと思うんですが?」
「四股名は『豆斯波』。日焼けしている暇があったら稽古しろっ!」
「うっス!」
「……スルーされた」
「た、たんぽぽさん。ちょっと黙ってた方が…」
と、見かねたのか、紀子が囁いた。
「2年になったらあらためて四股名を与えるが、最初の1年はそれで通してもらう」
「うっス!」
力強いつくしの返事が響いた。
「では、次!」
「あ、はい、花畑たんぽぽです」
「……」
「……?」
「…それだけか?」
無難に『頑張ります』と続けたところで、『頑張るなら何故、高校時代から頑張らない』などと叩かれるだろうし……と、たんぽぽは思案を巡らせ。
「あ、高校時代は3年連続で全国大会優勝しました」
「その程度でいい気になるなっ!」
「えぇっ!?」
ばちぃぃんっ!
「……ど、どのみち叩かれるんじゃん…」
「……続けろ」
何を?
「……」
鬼百合の視線が純粋に怖かったので、たんぽぽは開き直った。
「……え、えっと…私は小百合さんに憧れて…」
「いい気になるなと言ってるだろう!」
「ひぃっ!」
ご丁寧に、今度は逆の頬を叩かれた。
痛みよりも、困惑で、たんぽぽは呟く。
「だから…どうして…」
「鬼百合関、あまり厳しく当たると、せっかくの新入部員が逃げてしまいますよ」
助け船というか、小百合の後ろに控えていた女雪力士が言った。
見れば、肌が浅黒く……東南アジア系を思わせる風貌。
「ほら、やっと、公式戦に出られる人数になったわけですし」
「全員逃げたら、人数足りなくなって、まーた公式戦出れねーなー。まー、別にいいけどー」
と、これは眼鏡をかけた別の女雪力士……というか、手に持っているのは携帯ゲーム機だ。
しかもプレイ続行中。
いやいや、私を叩くぐらいなら、こっちじゃないのかなあ……などと、たんぽぽは心の中でツッコんだ。
「逃げて結構。出られなくて結構。公式戦に半端者を出して、大輪女子の伝統に泥を塗るよりはいい」
揺るぎない答えを返すと、鬼百合は再びたんぽぽを見つめてきた。
「花畑たんぽぽ、続けろ」
え、これ以上何を?
再びたんぽぽは悩んだ。
「……」
「続けろと言っている!」
「ぎゃんっ」
さすがに、3発目ともなると堪えた。
「……続けろ」
イジメだ…。
たんぽぽは、諦めて言った。
「…がんばり、ます」
「人の会話中に口を挟むやつが、頑張るなんて100年早いっ!」
「あぁっ、それかぁ」
今度こそ完全に納得できた……そう思いながら、たんぽぽは身体をぐらつかせながらもなんとか踏みとどまった。
「お前の四股名は『侘助』だ。ビシビシいくから覚悟しておけ」
「ご、ごっつぁん…です」
たんぽぽは半ばやけくそでそう答えたのだが、ビンタは飛んでこなかった。
と、いうか『侘助』って……。
もっと格好良い四股名が欲しかったなあと、たんぽぽは心の中で思ったのだが。
「鬼百合関、質問があります!」
最も小柄な女雪力士が声を上げた。
「なんだ雛菊?」
「なんでそんなやつにその名前を!」
「え、いい名前っぽい?」
思わず口に出してしまい、たんぽぽは慌てて口をふさぎ……観念して、歯を食いしばった。
たんぽぽにビンタを喰らわせてから、鬼百合は雛菊と呼ばれた女雪力士に向かってまず言葉を飛ばした。
「新入部員の四股名を決めるのは主将である私の仕事だ!お前が口を挟むなっ!」
続いて、手を飛ばす。
「……わかりました」
それを見ながら、たんぽぽは思った。
新入部員歓迎とか、そういうわけでは無く、ここでは、『これ』が日常なんだと。
「次」
「はいダス!ワシは蛇苺可憐ダス!」
と、少女が、その、なんというか、恰幅の良い体を揺らせて言った。
少々投げやりな心境になっていたたんぽぽは、蛇苺可憐という名前とその外見のギャップに心の中でツッコミをいれ…。
「人を外見や名前で判断するなっ!」
「ぎゃんっ!」
これに関してはたんぽぽはの自業自得であろう。
「続けろ」
「はいダス。高校時代は監督に、『お前は見苦しいから試合には出せん』と言われて、何の実績もないダスが、女雪相撲を愛する気持ちは誰にも負けないつもりダス」
「見苦しいも何も、可憐ちゃんの場合、体重制限に引っかかってるんじゃ…」
「人の会話中に、口を挟むなと言ったはずだっ!」
「あああぁ、そうでしたっ」
と、反省しつつ、たんぽぽは歯を食いしばった。
隣のつくしがぼそっと呟いた。
「……黙ってればいいっス」
「……そうする」
「お前の高校時代の監督の目は節穴だな」
「そうダスか?」
「ああ、見る者が見ればわかる。お前の四股名は『佐萌道』だ!まずは、女雪相撲に挑める身体づくりを心がけろ」
「はいダス!」
「よし、次!」
新入部員全員に、とりあえず1発ずつの流れだと思いこんでいたたんぽぽは、思わずツッコミをいれていた。
「え、可憐ちゃ…佐萌道さんにはビンタ無しですか?」
「……超高校級のアホっスね」
つくしの呟きに、たんぽぽはただ俯いた。
そして、あらためて最後の1人、紀子が自己紹介を始めた。
「はい、設楽紀子です。山梨から来ました。川端さんや花畑さんほどの実績はありませんが、私は私なりに強くなりたいと思って大輪女子女雪相撲部の戸を叩きました」
「……そうか」
鬼百合は1つ頷いて…。
「人それぞれ追い求める強さの意味は違う…実績は関係ない」
「はい」
「設楽紀子。お前の四股名は『霞山』だ。精進しろ」
「はい、よろしくおねがいします」
と、紀子が頭を下げる。
「……」
「なんだ、侘助」
「い、いえ…なんでもありません」
ツッコミたいのは山々だったが、たんぽぽはぐっと言葉を飲み込んだ。
「……佐萌道や霞山は、ビンタを張らずともそれを悟る聡明さがある。豆斯波はビンタ一発でそれを心に刻むことができる」
「……」
「お前は、何度も何度も痛い目に遭わなければ学習しないタイプだ」
「えぇ、そんな…」
「いいかげん、学習しろっ!」
「ひいぃっ」
「ではあらためて、我々の自己紹介を行う。私は…さっきすませたな」
と、鬼百合が後ろに控えていた浅黒い肌をした雪力士に目をやった。
「3年で副主将のマイの海です。新入部員のみなさん。よろしくね」
穏やかな人柄を示すような自己紹介を補足するように、小柄な雪力士が口を開いた。
「マイの海関は技巧派で、『技のデパート』と呼ばれている!」
「一応、ね。支店ですけど」
と、マイの海がさらに補足したが、たんぽぽには意味が分からなかった。
「鬼百合関を女雪相撲部の父とすれば、マイの海関は母にあたる!優しいからといって調子に乗るなよ!」
鬼百合が、眼鏡をかけた雪力士に目を向けた……携帯ゲームで遊んでいるのは相変わらずだ。
「……」
「瑞希、お前の番だ」
「あー?んー。アタシは三ツ葉黒ー。好きなのはRPG系。よろしくー」
「み、三ツ葉黒関は、2年生だ!天才的な身のこなしで、試合をすぐに決めてしまう!」
少し慌てて、言葉を補足する雪力士……学年順だとすると、おそらくは彼女も2年生なのだろう。
「対戦相手は、三ツ葉黒関を『ブラッククローバー』と呼んで恐れている!」
「三ツ葉黒さんは、四股名とあだ名が一緒なんですね」
「一緒で悪いかー!」
「ひぃっ」
「こうだー!」
小柄な雪力士にもらったビンタは、鬼百合程じゃないがなかなかにパワフルだった。
「…ごっつあんです」
「……壊れてきたっス」
ぼそりとつくし。
「そしてあたしは2年、雛菊の富士!お前ら新入部員の教育係だ!『マッドサージェント』と呼べー!」
「わかりました!マッドサージェントさん!」
「四股名で呼べー!」
「ええっ!?」
はめられたっ?
ぱあんっ。
疑問と不満と痛みをごくりと飲み込んで、たんぽぽは頭を下げた。
「……ご、ごっつぁんです」
「花畑さん。『マッドサージェント』って、鬼軍曹の意味っスよ?つっこんだら負けのネタっていうか…」
「ネタの解説をするなー!」
ぱあんっ。
「…うっス」
つくし、2発目である。
「へへっ。今年の1年はツッコミ役が多いな…」
三ツ葉黒が、笑って呟いた。
「……自己紹介も終わったな。では、大学女雪相撲界の概要を説明する」
あらためて鬼百合は一歩前に出て、たんぽぽ達新入生4人の顔を見つめた。
たんぽぽはもちろん、つくしの両頬も真っ赤だ。
「お前らが体験してきた小中のジュニア女雪相撲に、両国を目指す高校女雪相撲、テレビで見てきたプロ女雪相撲……一切忘れろ」
「……」「……」
たんぽぽとつくしの2人の身体がピクピクと震えるのを見て、三ツ葉黒が笑う。
「おーおー、耐えてる耐えてる」
「いいか、大学女雪相撲は競技でもエンターテイメントでもない。勝つか負けるかの勝負だ。整えられた土俵も舞台もない、やると決まった場所でやる。倒すか倒されるかの中で、我らが大輪女子は、常勝が義務づけられている」
そう言って微かに、鬼百合は目を細めた。
「新入部員とはいえ、大輪女子の女雪力士になった以上、お前らも勝って当然の身だ、負けは許されない。その覚悟で臨んで欲しい」
「うっス」「はいダス!」「はい!」「はい!」
新入部員4名が緊張感を帯びた声で返事をした。
「では、新入部員歓迎会を…明日、執り行う」
「今日じゃないんですか?」
「明日までに、その覚悟を決めろと言っているっ!」
「ひぎゅっ!」
誰がビンタされたかは言うまでもない。(笑)
「逃げたければ、明日、来るな。新入部員歓迎会とは、新入部員と私たちとの実践的な取組だ。明日はちょうど4対4になるな」
鬼百合はたんぽぽを見つめて。
「そちらの仕切りは、侘助に任せる」
「わ、私ですか?」
「鬼百合関に何度も言わせるな!」
と、雛菊のビンタ。
「…ごっつぁんです」
「いいな、他の3人をまとめて取組順を決めるんだ、こちらの仕切りはあたしが努める。誰と誰が対戦するかは、心理的な駆け引きが必要になるぞ」
「わかりました」
と、たんぽぽは頷き。
真っ赤にはれ上がった頬を緩ませて言った。
「歓迎試合が明日ですから、今日は稽古ですよね。何から始めますか?」
「……」「……」「……」「……」「……」「……」「……」
「ランニングですか?柔軟ですか?いきなり筋トレですか?」
さあ、やりましょう、練習しましょう、身体がうずうずします……と言わんばかりのたんぽぽを見て、鬼百合は今日初めて微笑みを浮かべた。
「侘助、今日はこのまま帰れ。明日の取組順の相談なり思案なり、新入部員同士で話し合うことも大事だぞ」
「え、じゃあせめて見学ぐらい…」
「侘助」
「は、はい」
「明日の歓迎試合の後、お前も含めて新入部員が残ってるとは限らないぞ」
「え?」
「ねえ、つくしちゃん…」
「豆斯波っス」
「え?」
「四股名で呼び合うって言われたっスよ。早く慣れないと、またビンタの嵐っス」
「あ、そうか……じゃあ、シバちゃん、サモちゃん…カスミちゃんでいい?」
「じゃあ、自分はワビさん、サモさん、カスミさんでいいっスか?」
「……この2人、似たもの同士かも」
「ワシも、そう思ったダス」
と、紀子こと霞山と、可憐こと、佐萌道が頷き合った。
「それでワビさん、何の話っスか?」
「うん、最後に小百…鬼百合さんが言った、『歓迎試合の後、新入部員が残ってるとは限らない』って、どういう意味かな?」
「……それは自分も気になったっス」
「常勝が義務づけられてるって言ったね」
「……歓迎試合で負けたら退部ダスか」
「いや、まさか…」
「大学女雪相撲の立ち合いを見たこと無いけど、高校以下って事はないよね……私、足引っ張るかも」
「ワシなんか、試合に出たことさえないダス」
「自分、女雪相撲のために大輪女子入ったのに、いきなり追い出されたら困るっスよ」
「それは私も困るけど……たとえ追い出されても、女雪相撲ができなくなるわけじゃないよ、つく…シバちゃん」
「……どういう意味っスか?」
怪訝そうな表情でつくしが、そして紀子と可憐がたんぽぽを見た。
「部を追い出されても、同好会ぐらい作れるよ。そうすれば、大学女雪相撲には参加できなくても、社会人女雪相撲には参加できるはずだし、地区予選を勝ち抜けば全日本にも出場できるはずだよ」
「……」「……」「……」
3人はしばらくたんぽぽを見つめ。
「聞きしにまさる、女雪相撲バカっすね」
「確かに…」
「そういえば、たんぽ…侘助さんは、女雪相撲部のない高校に進学したダスな」
「あ、その話はちょっと…」
「みんな知ってる有名な話ダスよ……大河内小百合さんに憧れて女雪相撲を志したのはいいダスが、進学先には女雪相撲部がないとかうっかりもいいとこダス」
「だって、女雪相撲部がない高校があるなんて思わなかったもん」
「みんなは笑ったダスが、一から部を作って……ワシは、感心したダス。試合には出られなかったダスが、ワシは女雪相撲を愛する気持ちは誰も負けないと思っていたダス……しかし、ひょっとしたら負けるかも知れないと思ったのは、侘助さんだけダスよ」
「いや、だって、無いなら作るしかないでしょ?部がないと、大会にも出られないって言うし、必死だったよ、私」
「……っていうか」
紀子が苦笑しつつ。
「あの反応からすると、処女じゃなかったら大輪女子女雪相撲部に入部できないって、知らなかったんでしょ?」
「知らなかったよ。っていうか、納得できないし、なんでみんな知ってるの?」
「大輪女子大学の、公式HPに明記してるっスよ」
「マジで?」
「あははは…」
「高校進学の時から、まるで成長していないダスなあ、侘助さんは…」
「いや、だから、何で処女じゃなきゃいけないの?理由とか知ってるの?」
「知らんスよ」
あっさりとつくし…豆斯波。
「え?」
「大方、男にかまける暇があったら稽古しろとか、そういう理由じゃないスか?」
「恋愛禁止…とは書いてなかったけど」
と、紀子…霞山。
「ワシ、許嫁がいるダスよ」
と、可憐…佐萌道の爆弾発言に。
「ホントにっ!」「マジっスか?」「どういう人?どういう人?」
お年頃の少女らしく、3人が食いついた。
「親同士が決めた相手ダス……が、2人とも納得してるダスし、ワシが上京することについても応援してくれているダス」
「ふーん、いい人なんだね」
「彼以外の相手は、考えられないダスよ…」
「サモちゃん、乙女っ娘だぁ」
「照れるダス…」
恥ずかしそうに、体重約150キロの佐萌道が俯いた。
などと、4人の距離が縮まっていくような、何となくいい雰囲気をぶち壊す存在が現れた。
「……楽しそうね」
「百合根…さん」
腕組みしたまま、百合根はたんぽぽを見つめた。
「なに、実の姉に追い出された私のことを笑ってたの?」
「そんな…」
「被害妄想っスね」
百合根が、つくしを見た。
「つーか、部室を飛び出してから、自分達が出てくるまで待ってたことを考えると笑えるっス」
「ちょ、ちょっとつくしちゃん…」
百合根は、くすりと口元だけで笑って。
「あ、思い出した…中3のとき、全国大会決勝で私にぶん投げられた川端さん?」
「……そうっス」
「なんで?私より弱いくせに、何で大輪女子女雪相撲部部員って顔で楽しそうに歩いてるの?」
「ケンカ売ってるっスか?」
「うわわー、2人とも、やめてー」
ぱんっ。
「何へらへらしてんのよ」
百合根にぶたれた頬を押さえ……というか、それ以前にたんぽぽの両頬は大惨事の状況なので、今さら1発や2発、ほとんど影響はなさそうだった。
「クズっすね。ワビさん、相手にしない方がいいっスよ」
「じゃあ、クズに負けたあんたはぁ?」
「弱いだけっスよ。強い弱いと、クズかどうかは別物っスね」
豆斯波が、さらりと挑発を受け流した。
「……ちょっと待って。さっき、あなた、こいつのこと『ワビさん』って呼んだ?」
「四股名をもらったっスよ、花畑さんは、侘助…」
「侘助…ですって」
百合根が、きっとたんぽぽをにらみつけた。
「なんでよ、何でお姉ちゃんはアンタなんかにそんな良い四股名を…」
「……名付けられた本人には、その実感が全くないんだけど」
「はぁ?アンタ何も知らないの?侘助ってのは、椿の花の種類じゃない」
「へえ、百合根さん物知りだぁ…でも、それが?」
「だから、最初にもらった四股名に花の……なんで、アンタなんかに私が説明してあげなきゃいけないのよ」
「1人ボケ1人ツッコミダス」
佐萌道の呟きに、百合根はひくっとこめかみをひくつかせた。
「で、顔も知らない他の2人は何?」
「ちょっと、アンタ…」
ぱぁんっ!
「紀ちゃんっ」
倒れそうになった紀子を、たんぽぽが素早く抱きとめた。
4人の視線を平然と受け止めながら、百合根は言葉を続ける。
「綺麗な顔しちゃって…知ってるの?大輪女子じゃあ、見込みのない部員には、ビンタしないのよ」
「…っ」「……」
「良かったね、私のおかげで見込みがないってみんなにばれな…」
たんぽぽが一歩踏み込むと同時に、百合根は重心を落とした。
どがぁっ!
たんぽぽ、そして百合根の顔がほぼ同時に弾け飛んだ。
「ワビさんっ」
「……大丈夫」
たんぽぽは、口元の血を拭って、静かに言った。
「今の張り手で、思い出した…」
「そう、やっと?」
百合根もまた口元を拭い、笑った。
「あなた…私の初めての試合相手の人だ」
「そうよ……あれから全部おかしくなったのよ」
「初めての試合相手……ワビさんが勝ったって事っスよね?逆恨み以外の何ものでもないっス」
百合根は口を開き……前歯を2本抜いてみせた。
「……差し歯ダスか?」
「それだけじゃないわ……頸部骨折で入院2ヶ月、リハビリに1年半…お姉ちゃんの後を追って同じ高校に進学して、周囲から期待もされてたのに、活躍するどころか、結局部にもいられなくなった」
豆斯波、佐萌道、山霞の三人が、口を揃えて言った。
「逆恨みじゃないっスか」「逆恨みダスな」「完璧に逆恨み」
「う、うるさいうるさいっ!、何が超高校級よ、何が天才花畑よ、何が3連覇よ、あんたがいなけりゃ、私が…」
「小者臭がぷんぷんするっス」
「いるのよねぇ、初めての挫折で、性格が矯正不能なまでにねじ曲がっちゃう人」
「侘助さん。やっぱり相手にする必要ないダスよ」
「……ごめん」
「ちょ、ワビさん。図に乗るだけっスよ」
「同感」
「百合根さん…これからどうするの?」
「はぁ?何言ってんの?お姉ちゃんに見捨てられて、おかわいそうですねって同情してくれてるの?」
「女雪相撲、やめないでね…」
「あんたが言うなっ!」
たんぽぽの胸ぐらをつかみ、そのまま持ち上げる。
その腕力はやはり並ではない。
「いつもいつもいつもいつも、小百合さん、小百合さん、小百合さん……私のお姉ちゃんを、私をこんな状況に追い込んだ他ならぬあんたが、テレビカメラに映ってお気楽に言うのよね!リハビリに耐えながら、私が何を考えてたかわかる!?」
「……ごめん」
「たんぽぽさん。謝る必要ないってば」
「つーか、男遊びしたのは、自分の責任じゃないっスか?」
「待って、シバちゃん」
「はぁ?今度はなに?」
「たぶん、百合根さんは真剣に好きな人がいたんだと思う…遊びとか、そういう人じゃ…」
「っ!」
がっ、ごっ…。
「いいかげんにするっス!」
力なら花畑、しかし速さと技術なら川端と称された豆斯波の右手が、百合根の腰に巻き付いた。
右足が百合根の足に飛ぶ…と、反射的にそれに耐えようとしたところを綺麗にすくい投げた。
たんぽぽと共に地面に転がった百合根の上に。
「足が滑ったダス」
可憐の150キロプレスが炸裂した。
「……ひどい目にあったダスな」
「……大丈夫かな、百合根さん」
白目で泡を吹いた百合根を運んでいった救急車を見送りながら、たんぽぽ。
「侘助さんは、優しいダスな」
と、佐萌道が、優しい目でたんぽぽを見つめた。
その脇で、霞山と豆斯波の2人が囁きあう。
「……蛇苺さんは、結構怖い」
「同感っス」
「……女雪相撲、やめないといいけど」
「まぁだ、そんなお人好しなこと言ってるっスか」
たんぽぽはちょっと笑って。
「お人好し…かなあ?」
「それを通り越して、アホっスよ……我慢せずに、一発カマしてやれば良かったっスのに」
少々血の気の多さを感じさせる台詞を、豆斯波が口にした。
「あはは、そのつもりだったんだけど……カウンターいれられちゃったよ」
「小学校からジュニアにかけての6連覇は、伊達じゃないダスな」
「……あの性格はちょっと」
「自分も人のことは言えないっスけどね、負けていじけたところに同情されても、素直には受け取れないっスよ」
豆斯波は、たんぽぽを見つめて。
「立ち直るかどうかは、自分次第っス。むしろ、同情は毒っスよ」
「んー…同情って言うか」
たんぽぽは、頭をかいて。
「ほら、私って……自分を部を作ったりしたけど、あれって、周囲の協力がなきゃどうにもならなかったから」
「……」「……」「……」
「百合根さんも、わざわざここに来たって事は、女雪相撲をやりたかったんだよね……女雪相撲をやりたいって思ってる人間が、それを続けられないっていうのが、私、嫌なんだぁ…だって、私。みんなのおかげで女雪相撲を続けてこられたから。そういう人がいて、私に何かできるなら、何かしてあげたいって思うんだけど……変かなあ」
「……ワビさんの気持ちは分かったっス。でも、彼女のそれは、鬼百合さんに対する甘えっスよ」
「そうダス。姉妹だから見逃してもらえるという、甘い気持ちがあったとしか思えないダス」
「……女雪相撲を続けたいという気持ちがあるなら、さっきたんぽぽさんも言ったけど、いくらでも手段があるはずだし。彼女が強いなら、なおさらね」
「……うん」
たんぽぽは頷き……そして。
「それにしても、何で処女じゃなきゃいけないのかな…」
「随分とこだわるっスね」
「うん、なんか……すごく、大事なことのような気がするんだ」
「と、いうか…本来、あのビンタの嵐の方がよっぽど大問題なんだけどね」
苦笑しつつ霞山が言うのへ、豆斯波が。
「そっスか?自分は、ビンタなんか日常だったっス」
「ワシの学校も、珍しくなかったダスよ」
「んー、私の学校は先輩後輩のアレは厳しかったけどね」
「あはは、私のとこは作ったばっかりだったから、先輩後輩とかもほとんどなかったなあ…」
「……馴れあいにならなかったっスか?」
「どうだろ……結局、団体の方は全然ダメだったし」
たんぽぽはため息をついて。
「シバちゃんと違って、私、主将としては失格だったと思う」
「……神戸松嶺は、全部指導者がやるっスよ。主将とか関係ないっス」
豆斯波の口調は、どこか固かった。
「……まずは、明日の試合ダスよ」
「確かに」
「でもさあ、取り組み順を決めろっていわれても、小百合さんはともかく、マイさんとか三ツ葉さんとか、雛菊さんのこととか全然知らないんだけど」
たんぽぽがそう言うと、佐萌道が口を開いた。
「敵を知り、己を知れば…ダスな」
4人の視線が絡み合った。
続く
えっと、まあ…『ビンタは体罰ではない、教育だっ!』などと、最初はもりもり書いてたんですけどねえ、世相的にまずいかなあ、などと書き直したり、調整したり……なんか違う。(笑)
原作のあの、独特の雰囲気を文章にするのは難しい…。
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