「シャルル…さっきメルクリウスから聞いたんだが、ルイ様が手がけていたオートマタが今夜あたり完成するそうだ」
「そう……じゃ、研究室にこもりっぱなしの生活も一段落するのね」
シャルルは、何気ない様子でそう応えた。
史上最高との誉れを受けていた『元』練金人形師である父の死をきっかけに、シャルルの幼なじみであるルイが練金人形師になることを決意したのはほんの数ヶ月前。
そのこと自体は別に驚くには値しない。
早いか遅いかだけの問題で、出産時のショックで妻を亡くし、息子を育てるために錬金人形師を引退した偉大な父を持った少年が、いずれその道に進むことがシャルルには分かり切っていた。
シャルルは、そのことを知っていたからこそ先にスタートを切ったに過ぎない。
自分が作ったオートマタであるアクセド……彼女を作るときにもいろいろと助言を求めたが、本当に凄い人だったとシャルルは思う。
商売はともかく、酒を飲んで女遊びをするばっかりの自分のクソ親父とはえらい違いであるとも。
物思いに耽るシャルルを見て、アクセドは含むところがあるような口調で言った。
「じゃあ、ルイ様に会いに行くのか?」
「会えるわけ……って、別にルイになんか会いたいわけじゃないわよ!」
顔を真っ赤にして眼鏡のフレームをずり落ちさせながら叫ぶシャルルを見て、アクセドは自分の主人には気付かれないように小さくため息をついた。
「大体ねえ、私がアンタを作った後だって微調整や教育なんかで暇なんかなかったのよ。私でさえそうなんだから、お馬鹿なルイならもっと忙しくなるに決まってるでしょ!」
「……ルイ様が、どんなオートマタを作ったか興味はないのか?」
「そ、それは…ちょっと、あるけど……だって、オートマタは女性形だし……」
「ルイ様の好みがわかるかも……」
「アクセドっ!」
ちなみに、オートマタは制作者の性格を反映すると言われる。
もちろん、制作者が設定した範囲内であるが、精神的に成長していく過程で、制作者であるマスターの影響を多分に受けてしまうからという理由が一般的に信じられている……
世界を襲ったある災厄によって人口が激減してしまってから数百年。
労働力の不足を補うために作られた原始的オートマタ(自動人形)は、長い時を経て技術の進化を繰り返し、既にこの世界になくてはならない存在と化していた。
人間の奴隷としてではなく人間の友人として……という建前はあるが、現実においては差別意識を残している人間も少なくはない。
単純作業のための自動人形とオートマタと呼ばれる自我を持つ自動人形とは別の扱いを受けているが、心なき人間が抱く差別意識はオートマタが所詮は人工物という蔑みと優れた容姿への嫉妬心がその主な原因であろうと思われる。
オートマタの能力は一般に制作者の技術力に比例すると言われるが、オートマタ本来の能力としては人間のように広い汎用性を持つことができない。
限られた分野でのスペシャリスト……例えばオートマタのみで構成された王室オートマタ近衛部隊などがいい例である。
しかし、その常識を覆す才能の持ち主が少数ながらいつの時代も存在した。
いわゆる天才と呼ばれる歴代の練金人形師の中でも、ずば抜けた才能を披露したのがアルカナ・アッシュモールであり、彼が最後に手がけたと言われるオートマタのメルクリウスの総合能力に並ぶものは無いと言われている。
彼が病的なまでに愛した妻、レオノラが出産後死亡したのをきっかけに作り上げたメルクリウス……主目的は、息子の養育補佐である。
そして、自身の最高傑作であるメルクリウスを作り上げた後、彼は練金人形師としてではなく1人の父親として生きることを決心し……息子が15歳になる直前に早すぎる死を迎えた。
メルクリウスと共に残されたその息子の名前はルイ……亡き父の意志を継いで、練金人形師として立ち上がったばかりの少年である。
王都の中心部に位置する広場……その広場の中心に噴水があり、その一帯は特に噴水広場と呼ばれる。
その噴水の傍らに立って、春の日差しと呼ぶには少々やんちゃな日差しを浴びながら、シャルルは何度目かになるかわからないため息をついた。
「シャルル、帰らないのか?」
「……こんなにいい天気なのに、何で帰らなきゃいけないのよ」
アクセドに向かってそう答えるシャルルの額にはうっすらと汗がにじんでいた。
「いくら待っても、ルイ様が通りかかるとは限らないだろう?」
「べっ、別にルイを待っているわけじゃなくってよ!」
「それもそうだな……ルイ様が通りかかるとは決まったわけでもないし……」
「だ、か、ら、私はルイを待っているんじゃなくて、天気がいいからひなたぼっこしてるだけなのっ!
顔を真っ赤にして言い募るシャルルを見て、アクセドは何かを言いかけて黙り込んだ。しかし、そんな態度すらも今のシャルルにとっては刺激の種だ。
「何よ、アクセド?」
アクセドはハンカチを取りだしてシャルルの額の汗を拭って、シャルルの耳元で囁いた。
「ルイ様がこっちに来る。……みっともない姿は見せたくないだろう」
ビクッとシャルルのの身体が跳ね、背筋がぴんっと伸びた。
「おーい、シャルルー」
思わず微笑んでしまいそうになる穏やかな声に、シャルルは前髪をかき上げながらそちらを振り返った。
「あーら、誰かと思ったらお間抜けのルイじゃないの……オートマタはどうしたの?」
「ん、家でメルと掃除してるよ。シャルルは何、お散歩?それとも、ひなたぼっこ?」
「ルイじゃあるまいし、私がそんなお子さまな事すると思って?新しいオートマタの事について考えてたに決まってるでしょう?」
噴水の向こう側で、アクセドは額に手をあてて小さくため息をついた。
「わ、さすがシャルル。凄いなぁ……」
「……さて、私は暇じゃないの。アクセド、帰るわよ…」
噴水の向こう側からひょっこりと顔を出したアクセドに向かって、ルイは屈託のない笑顔を見せた。
「あ、ごめんよアクセド、気が付かなくて」
「ご無沙汰しております、ルイ様」
「いいのよ、アクセド。別にご無沙汰してようがしてまいが……」
慇懃に頭を下げるアクセドをたしなめるように、シャルルはそっぽを向いたまま呟く。そんなシャルルの態度を気にした風もなく、ルイは困ったような表情を浮かべた。
「んー、僕はシャルルもアクセドも大切な友人と思ってるから、あんまりご無沙汰するのは嫌なんだけど……」
困ったように頭をかくルイの言葉を聞いて、シャルルの表情が一瞬だけ輝き、そして曇った。
「……友達、ね」
「どうかしたの、シャルル?」
「よ、よくも練金人形師のライバルに向かって友達だなんて事言えるわね!私なんか相手にならないとでも言うの?」
「よせ、シャルル。八つ当たりだ…」
「何が八つ当たりだって言うのよ!」
ヒステリーを起こしかけた小さな身体を抱きとめ、アクセドはぽかんとしているルイに軽く頭を下げた。
「失礼しました、ルイ様。シャルルは口ではこう言ってますが、ルイ様のことを嫌っているわけでは……」
「んーっ、んんーっ!(勝手なこと言うんじゃないのアクセド!)」
「うん、シャルルがいい子だって事はわかってるつもりだし」
「んうっ、んーっ、んんーっ!(アンタ達、私を無視して話を進めるんじゃないわよ!)」
じたばたと暴れるままに、シャルルがアクセドによって連れ去られた後、ルイは小さくため息をついていた。
「同じ仕事を選んだからって、気にすることはないと思うけどな……」
そして一方では、
「アクセドっ!」
「あのやりとりを経て、大切な友人と思われてるだけでも奇跡的だと思うのだが?」
「どうせ、私は可愛くないわよ!」
そんな問題じゃないという言葉を飲み込み、アクセドは肩を落とした。
ドアを前にして大きく深呼吸。
シャルルは小さく咳払いをしてから、ルイの家のノッカーを握った。
「はーい!」
ぱたぱたぱた……っと小走りに駆けてきた足音と共に、ドアが勢いよく開かれた。
「こんにちわ、メルクリウス…」
「あら、シャルル!こんにちわ」
シャルルの目の前でにっこりと笑うメルクリウス。
ありふれたオートマタウェアに身を包みながら、その気品のある美しさは目の肥えたシャルルから見ても際だっている。
「今日は、どうしたの?」
強い絆で結ばれたマスターをなくしたオートマタにありがちな翳りは、その表情の中には窺えない。
良くも悪くも……あれから1年が過ぎたと言うことなのか。
「ええ、おじ様の研究資料を参考にしたいんだけど……」
「ああ、マスターの……じゃあ、どうぞ」
「お邪魔します……」
軽く一礼して、招き入れられるままに室内へと移動する。
子供の時分に父に連れられて訪れたのが初めてだったが、あの頃から少しも変わっていない。
とは言っても、別にシャルルの父とルイの父が知己だったというわけでは無く、父が下世話なオートマタの制作を頼むために引退を表明していたアルカナの元へと訪れたのだったが。
シャルルを連れてきたのは父なりの母へのカムフラージュだったのだろうが、それから1年もするとそんなカムフラージュの必要もないぐらいに夫婦仲は冷めきった。
そんな二人に対するシャルルの評価が、クソ親父(またはエロ親父)とクソババアであることから家庭の様子は想像してもらいたい。無論、帝国でも有数の大金持ちだけにお互いに顔を合わすことなど滅多にない。
しかし、何はともあれシャルルはこの場所でルイと出会った。
「メルクリウス……えーと、ルイは?」
「うふふ……朝方までごそごそ研究してたみたいで、まだ寝てるわ」
ルイの研究室がある二階へと進みながら、メルクリウスは優しく微笑む。
「……シャルルが起こしてみる?」
「なっ……!」
顔はおろか首筋や耳まで真っ赤にしながらシャルルは絶句する。
「ルイって、ああ見えてお寝坊さんだから…いろいろからかったりできるわよ」
「で、でもっ……」
「シャルルの部屋にルイが入るのはどうかと思うけど、逆なら問題ないと思うわ…」
シャルルの思考を先読みするように、メルクリウスはにっこりと笑った。
生真面目な性格のアクセドとは違って、メルクリウスにかかるとシャルルはまるで子供扱いされる。
とはいえ別に不愉快ではなく、母親というのものは、本来こんな感じなのだろうかと思うぐらいである。
そして二階に辿りつき、メルクリウスはシャルルの方を振り向いて言った。
「どうする?」
「……やめとくわ。起きてすぐに私の顔なんか見せられたらルイも嫌だろうし」
「あらあら……」
シャルルの性格を考慮したのか、メルクリウスもそれ以上は無理強いしない。そのままルイの眠る研究室を通り過ぎ、書斎のドアを開く。
「マスターは、年代別に資料を分けてたみたいだけど……」
「あ、いいのいいの。別に真剣な捜し物じゃなくて、いろいろと参考にしたいだけだから」
まさか口実の半分ぐらいはルイに会うためなどと言えるはずもない。
「そう?じゃ、ごゆっくり……と、シャルル」
「何?」
「んーと、オートマタをそういう目的で制作依頼する人がいるのは知ってるわよね…?」
「馬鹿ね、メルクリウス。うちのエロ親父の事知らないわけでもないでしょう?それに、私ぐらいの年でおたおたすんのはルイぐらいよ」
「ん、シャルルはそう思うの?」
「ルイはお子さまだから…見た目も含めて」
「……そうね」
そう答えるメルクリウスの声が幾分低い。
「と、ごめんなさい……別にルイの悪口を言ったわけじゃなくて」
「え、あ、違うの。そう言うわけじゃ……おっとお洗濯の途中だったわ、じゃあ、シャルル、頑張ってね」
明るい笑顔と言葉を残し、メルクリウスは階下へと降りていく。
なんとなく納得のいかない反応だったが、シャルルは気を取り直して資料をあさり始めた。帝国広しといえどもアルカナ・アッシュモールの研究メモを自由に閲覧できるのはシャルルとルイぐらいなものであろう。
もちろん、ルイの好意に甘えているわけではない。
シャルルがルイに先駆けて練金人形師になることを決意した当時、アルカナはもちろん存命していた。
そのことについて相談をしにきたシャルルに、アルカナは穏やかな笑みを浮かべて自分の研究メモをいつでも見に来なさいと言ってくれたのだ。
メルクリウスもルイもそれを知っている……もちろん、ルイの場合シャルルが頼めば見せてくれたに違いないだろうが。
それにしても、他の人間にはガンとしてそれを拒んだアルカナが、何故シャルルにそれを許したかは未だに良くわからない。
一体のオートマタに対してびっしりとかき込まれたメモ。
その中には依頼人の趣味から性的嗜好に至るまでの詳細なデータがかき込まれている。個人のプライバシーの問題があるからこそこの手の資料は門外不出なのだが……それにしても凄いとシャルルは思った。
資料の多さにではなく、それだけの資料をオートマタの性能として組み込めた技術に対する賞賛である。
「読めば読むほど偉大よね……」
シャルル自身、新進の練金人形師としてかなりな評価を受けているのだが、はっきり言ってレベルが違いすぎて参考にするのも難しい。
それともう一つ驚かされるのは、制作したオートマタの数である。
これほどの高性能なオートマタにも関わらず、常人の数倍の速度で完成させていたとしか思えないほどの量がある。
「あら…?」
何気なく手に取ったノートをめくり、シャルルはそれをすぐに閉じた。後でメルクリウスに渡しておこうと思い、バッグの中に入れる。
「あら、シャルル。もういいの?」
「ええ、正直な話、叔父様の研究って私の手に負えるレベルじゃないもの……」
「そう?……ま、せっかくお茶を入れたところだから座って」
メルクリウスの勧めるままに腰を下ろし、ティーカップから立ちのぼる湯気にそっと顔を近づけた。
そんなシャルルの仕草を見て、メルクリウスは小さく笑う。
「あ……と、お行儀が悪いのはわかってるんだけど、直らなくて……」
「あらあら、そうじゃないのよ……ルイも同じようにするからついおかしくて」
シャルルの顔が赤くなる。
この癖は子供の頃のルイの真似をしたものだから当然と言えば当然なのだが、それを知るのはシャルル本人だけだった。
「あ……忘れるところだったわ。メルクリウス……この資料、あなたのだからしまっておいたほうがいいわ」
シャルルの差し出した資料を見て、メルクリウスは首を傾げた。
「どうして…?」
「どうして…って、自分のデータが誰かに見られたりするのって気持ち悪くない?」
「構わないわ……どのみち、マスターの資料を見ることができるのはルイとシャルルだけだもの」
天才の手による最後のオートマタは透き通るような表情を見せた。
「でも……ルイに、身体のサイズとか見られるのって恥ずかしくない?」
「あ、そういう意味……そうね、しまっておくわ」
す、と伸ばされた指が、優雅な仕草で資料をつかむのを見るとため息が出る。
「どうしたの…?」
「あなたって仕草の1つ1つまで綺麗よね……女である私がそう思うんだから、男性なんかは尚更だろうなって思って」
「……」
メルクリウスの表情に微かな翳が浮かぶ。
「私が言うのも何だけど、マスターは天才だったわ……」
「そうね……優しい人だったし」
妻を亡くし、残された一人息子のために全てをなげうった……シャルルは、自分の父親がそんな人間だったらと何度も思ったものだった。
「……神よ、私にどこまで許されますか?もし許されないのならば、何故私に力をお与えになりましたか?」
「え?」
「私が聞いたマスターの最後の言葉……」
「え、叔父様は意識を無くしたままお亡くなりになったんじゃ……?」
アルカナが倒れた瞬間、その場にシャルルとメルクリウスは居合わせた。だから、彼の最後の言葉がそうだったはずはない。
まさかそのまま死んでしまうとは思えないような穏やかな笑みを浮かべ、シャルルの手を取って呟いたのだから。
『いつでも私の研究メモを見に来なさい』と。
しかし、メルクリウスは穏やかな笑みを浮かべたまま何も答えない。
「あれぇ、シャルル?」
「…っ!」
いかにも寝起きを連想させる間延びした声に、シャルルはピンと背筋を伸ばした。
「あら、ルイ。お寝坊さんだから、シャルルも呆れてたところよ」
「全くだらしないわね……生活がルーズだから、まともなオートマタも作れないのね」
「んー、もう少し長い目で見て欲しいなあ…」
「長い目ですって!そんなこと言ってるから……」
そうして始まるのはいつものやりとり。
いつもルイの視界の中にいたかった。
練金人形師になって数年、その気持ちに今も変わりはなかったが、いわゆる結婚適齢期を間近に迎えてシャルルは悩んでいた。シャルル自身の意向はともかく、帝国有数の富豪の娘という肩書きが神経を煩わすことも多い。
「ねえ、アクセド…」
「何だ、シャルル?」
「……ルイってさ、鈍いと思わない?」
「同感だが、その原因はシャルルにもあると思うぞ…」
いくら素直になれなかったとはいえ、当時の会話が二人の仲の方向性を決定づけたのではないかとアクセドは思っていた。
シャルルの背が小さいため今も外見的には少女のようなので、対するルイもそういう感情が生まれにくいのかも知れないという推測は口に出さないでおく。
「おかしいわよ…」
「何が?」
「そりゃ、うちのスケベ親父みたいなのばっかりじゃないのはわかるけど……ルイの年で浮いた噂の1つも出てこないってのは変よ絶対」
気ぜわしげにテーブルを指先で叩くシャルル。
確かにシャルルの場合、家が家だけにそういう噂はおろか、縁談さえも幾つか申し込まれている。
もちろん、全ての申し込みをシャルルが鼻先であしらったのは言うまでもないが。その判断に対しては、スケベ親父もシャルルに一任しているので感謝はしていた。
女性の場合、練金人形師という職業が敬遠される理由になり得ても、男性の場合は逆だった。しかも、ルイは練金人形師としては随分名を挙げていて収入も多い……身体は小柄だが、女性のような繊細な顔立ちといい、妙齢の女性が言い寄るケースだって多いに違いないはずなのである。
ルイの性格からしてそれはなさそうだが、よほどうまくやっているのか……それとも興味がないのか。
「ねえ、アクセド」
「それはやめておけシャルル…」
「……なに私の思考を読んでるのよ?」
「シャルルは色気に乏しいから」
「キーッ!」
アクセドによる完璧な栄養管理、およびシャルル個人による牛乳の大量消費にも関わらず、シャルルの体型は思ったように成長しなかった。
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃないの?」
「それはそうだが、失敗したときのダメージは大きいぞ。私の見たところ、ルイ様は随分奥手だ」
「う…」
自分という存在を拒絶される……それは確かに考えただけでも恐ろしいことだった。ずっと長い間焦がれてきただけに、そのダメージは予想を遥かに超えるだろう。
「……あの頃素直になれてたら」
「今、素直になればいい。子供じゃないからってスマートな恋愛をしなければいけないという決まりがあるわけでも無し」
「随分わかったような口を利くじゃないの」
「渦中にいない私にはよく見えるだけのこと……」
涼しげに答え、アクセドはシャルルにティーカップを置いた。湯気に顔を近づけながらシャルルは言った。
「アクセドは、好きな人とかいないの?」
「そんなことを聞くのは、シャルルとルイ様だけだろうな」
「……なんで?」
「シャルルをマスターに持った私は幸せということだ……オートマタは人間の友人と定められ、そう扱ってくれる人も少なくはない。だが、そこまで自然につき合ってくれる人間を私は他に知らない」
「だって、生きてりゃ恋の一つや二つする……ルイだってしてるよね、生きてるんだもの……」
どうやら自分のマスターの精神が鬱の状態に入ってることに気付いて、アクセドは睡眠薬を溶かし込んだ紅茶を新しくいれ直した。
溢れるばかりのオートマタの資料……これがたったの10年間に蓄積されたモノとはとても信じがたい思いにいつも捕らわれる。
それでも、この数年でシャルルはほとんどの資料に目を通していた。だからこそ、今の今までその資料が自分の目に触れなかったことにまず驚いた。
資料を抱えたまま青い顔をして階段を下りていくと、そこにはおだやかすぎる表情のメルクリウスが立っていた。
「見ましたか?」
その言葉を聞いて、シャルルはやっと理解した。
「……ああ、あなたが隠していたのね、これは」
「ええ、ルイには本当のことを話すなとマスターに命じられていたから」
「……まだ、信じられないんだけれど?だって、ルイは成長してるわ!」
オートマタのボディは破損しても同じ形に戻ろうとする自己復元力がある。が、決して成長することはない。
「それに……ルイは、自分がオートマタという事に対して、そりゃあショックは受けるでしょうけどこだわりを持つとは思えない。叔父様はどうしてこれを隠せと言ったの?」
口に出してから気が付いた。
成長するオートマタ……叔父様はそれをどうやって作ったのか?
もちろん普通の材料の筈がない。
少なくとも技術で与えられるのは復元力だけだから、成長する力は材料そのものに求めるしか……
「……っ、まさか!」
「マスターが愛していた人は奥様だけでした……その奥様が死んだとき、マスターの精神の歯車が狂ってしまった」
「……人間の子供を材料にして?」
メルクリウスは小さく頷いた。
もしそうならそれは確かには聞かせられない。あの心優しいルイには耐えられるはずもない。
「……つまり、ルイという子供は本来産まれてこなかったと言うこと?」
何とか妻の忘れ形見を、と狂気に駆られた叔父様が我が子を制作した……おそらくはそういうことなのだろう。
震える膝を必死に立て直そうとするシャルルに向かって、メルクリウスは首を振った。
「シャルルがどんな想像をしてるかは予想が付くけど、多分間違ってる。ルイは、産まれてきたの……マスターの愛する奥様の命と引き替えに」
今度こそ凍り付いたと思った。
自分が羨ましがっていたルイの家庭は、何のことはなくシャルルの家庭以上に冷え切って、しかも異常な家庭だったのだ。
「……はは、叔父様は自分の息子を憎んだのね」
耐えきれず床に膝をついた。
「あはは……越えたらいけない一線を越えることができる天才だったのね、叔父様は」
初めてルイのことを可哀想と思った。
ただ一途に父の名に恥じない練金人形師であろうとするルイを。
自分に対して穏やかな表情を向けるメルクリウスが不意に憎くなった。何故いきなり自分にこんな重荷を担がせようとするのか。
「どうして私に…?」
「……シャルルならルイを愛してくれると思ったから。オートマタとか、人間とかそんなレベルを超えた一つの存在として」
「それならわざわざ秘密を話す必要が……」
と言いかけて、シャルルは小さく口を開いたまま息を呑んだ。
「……オートマタは子供を作ることができない」
「シャルルもルイも……出生の秘密はともかくとして、いずれそのことに気が付くでしょうから」
こんな状況だというのに顔が熱くなった。
シャルルの思いに気が付いていないのはルイぐらいのものだ。
「マスターにも限界があった……それを喜んでいいのかどうか判断は付かないけど」
シャルルはゆっくりと立ち上がり、そしてメルクリウスの頬を叩いた。
「……私からルイに伝えさせたいの?」
「シャルルに任せるわ……多分、あなたにとってとっては一生の問題だから…」
そして能面の様だったメルクリウスの表情が歪み、瞳から涙がこぼれ出た。
「……卑怯だと思う?」
メルクリウスにとって、その秘密を1人で抱えるのは苦痛だったのだろう。アルカナがこの世を去ってから5年。誰か、秘密を分かち合う相手が欲しかっただけなのか。
どのみち、誤った方法で生まれでたとしても、ルイに罪がある筈もなかった。
「シャルルが家に招待してくれるなんて珍しいね…」
「……とりあえず、これに目を通して」
と、自分でも呆れるほど無造作に例の資料をルイの前に放り投げた。
首を傾げながらその資料に目を通し始めたルイの肩が、5分としない内に震え出す。そんなルイの姿を見つめながら、シャルルはルイに対して嘘をつくことに嫌悪感を覚えていた。
「……これ、父さんの資料だよね?」
「ええ、叔父様の研究室の中で見つけたの…」
資料に書かれているのは基本構造やサイズデータ、外見だけであって、製造方法には一切言及されていない。しかし、男性型で子供サイズのオートマタの資料を見ればルイならある程度は察してくれるはずだった。
全てを話すつもりはない。
ルイは自分の手で顔に触れ……ため息混じりに呟いた。
「……僕は、産まれてくるべきじゃなかった?」
「何を…?」
「母さんは……僕を産むときに命を落としたって聞かされてた」
「……」
「だったら……僕は何人の命を奪って産まれてきたのかな?父さんは、何回失敗したのかな?」
「……叔父様は天才だもの」
シャルルはそこまで考えなかった。
やはり、自分はルイの様にはなれないと思う。
「メルは……知ってたのかな?」
「知らないでしょ……だって、メルクリウスはあなたの世話をするために叔父様が作ったんだから。それに、知ってたらこんな資料ほったらかしにしてないわ」
「そうか…そうだよね」
「悩んでも仕方ないでしょ……ルイはもうここに存在してるんだから。大体、ルイが私のライバルだって事に変わりはないし…」
長年しみついた慣習はそうたやすく拭えそうもない。また、傷心のルイにつけ込むことなどシャルルにできるはずもなかった。
「……オートマタなのに?」
手が出ていた。
驚いたような、それでいてほっとしたような表情を浮かべたルイがシャルルを見ている。
「見損なったわよ、ルイ…」
「うん、その方が良いと思う……シャルルのために」
「見損なわないで!」
もう一発、今度は右の頬に。
これまで何度となくルイを叩いてきたが、これほど痛みを覚えたのは初めてだった。後悔とは違う、いつもとは別の痛み。
眼鏡のレンズに涙がにじむ。
滲んだ視界のままでルイに近づき、胸ぐらをつかんでガクガクと揺さぶった。
「ルイは、ルイでしょ!そんなに自分に自信が持てないの!」
「……良かった」
「え?」
「シャルルがいてくれて良かった……心からそう思うよ」
ぎこちなく……本当にぎこちなく笑みを浮かべたルイを、シャルルは黙って抱きしめた。
緩やかに…シャルルがいらだつほど緩やかに流れてゆく時の流れの中で、ルイは少しずつ笑顔を取り戻していった。
ルイは、メルクリウスをはじめとしたごく親しい数人だけに自分がオートマタであることを話した。
それはごく自然に受け止められたとはいえ、自己存在への懐疑は今も色濃く残っているようにシャルルには思えた。
「おはよう」
「どうぞ……ルイなら研究室だから」
シャルルとメルクリウスの会話はいつも素っ気ない。シャルルがその日の内にルイに話したと知ったときも、メルクリウスはただ一言『強いわね』と呟いただけだった。
お互いにお互いを理解しながらも、どこかで許せない気持ちを抱えているのだろう。シャルルはメルクリウスの弱さに対して、そしてメルクリウスはシャルルの強さに対しての反発が根っこにあることは想像に難くない。
コンコン
「ルイ、入るわよ…」
「……」
返事はない。
集中しているのか、それともまだ寝ているのかはわからない。
二人でオートマタを作ろう……最初にそう言いだしたのはシャルルだった。どんなに時間がかかっても、人工物を材料とした成長するオートマタを。
それだけでルイはわかってくれた。
シャルルが、ルイと同じ時を生きていきたいと願っていることに。
「ルイ…」
また徹夜で研究をしていたのか、資料に埋もれたまま眠りこけるルイの姿がそこにあった。しかし、その瞳には涙の後が滲んでいる。
そんな寝顔を見るたびに、自分のしたことが間違いだったのかと思い悩んだこともあった。それでも、シャルルは自分の正しさを信じる。
シャルルはずり落ちた毛布をかけ直してやり、ルイの手元の資料に目を通し始めた。
穏やかに流れる時間…たとえルイが眠っていたとしても、シャルルはこの時間が好きだった。少なくとも自分に素直にいられる時間だったからだ。
ルイが目を覚ますと、わかっていてもこうはいかない。
ルイの身体を包んだ毛布が小さく動いたのを見て、シャルルは小さく笑った。
「……あ、おはよ、シャルル」
「だらしないわね、ったく…」
「ん、つい明け方まで……根を詰めちゃって」
「さっさと顔洗ってらっしゃい……話はあとで聞くから」
完
さて、ゲームを知らない人にどう世界観を納得させたものやら……などといらんことを考えると大概こんな感じに失敗してしまうのが高任の悪い癖ですな。(笑)
『はんど☆メイド』というゲームですが、PCゲーム(18禁)で……まあゲーム自体の出来は脂汗ダラダラな出来(笑)なんですが、それはシステム面とゲームバランスが不出来だったのと、各キャラ毎のシナリオが互いの世界観に接触事故を起こしていたりなどと……まあ、あんまりお勧めできない出来でした。(発売は2000年だったかな?)
一人一人のシナリオを単独で見ればなかなか良作でしたが、ベクトルが違った方角を向いていたので、作品全体としてまとまりがなかったのも致命傷だったと思います。
で、シャルル。(笑)
この眼鏡娘サイコー。(爆笑)
このキャラのイベントがもっと多くて、エンディングの種類が多かったら高任としては文句のつけようがなかったのですが。(笑)
……ああ、またマイナーネタをとか言って、吉井氏に怒られる。(笑)
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