「こんにちわ、チェイン!」
「ああ・・・ルフィーか。」
 赤いリボンをゆらゆらと揺らして、ルフィーが研究室の中を歩く。チェインにとってはこの村で唯一仲のいい友達と呼べる存在である。
「ねえ、知ってる?」
「知ってる・・・ってなにを?」
 ずれてもいない眼鏡の位置を調節しながらチェインは振り向いた。心なしか、ルフィーは嬉しそうに見える。
「今度マリアさん家に男の子がやってくるんだって!ジャン君って言うらしいよ。」
「ふーん・・・あたしには関係なさそうな話だね。」
 そう呟いてからチェインははたと気がついた。
「ルフィーは・・・それよりもお父さんに会えるのが楽しみなんじゃないの?」
「てへ・・・わかる?」
 ルフィーの顔が嬉しそうに輝く。
 それを見てチェインは少しだけうらやましく思った。
「・・・あたしは、自分で会いに行くもの・・・。」
「え、何か言った?」
「ううん・・・でも、ルフィー良かったね。」
「うん!」
 
「こんにちわー、パン屋コロッセルです!」
「・・・・・・え?」
 突然研究室のドアを開けて姿を現したのは、見知らぬ少年。チェインは研究の手を止めてその少年をじっと見つめた。
「・・・あ、君がジャン君?マリアさんの手伝いに来たっていう。」
「うん。はい、注文のカリコリ棒。」
「あ、ありがとう・・・」
 そう言ってパンを受け取ろうとしたチェインは、自分の手が油まみれなのに気がついて慌てて作業服にこすりつけた。が、とれない。
「あれ?・・・そこで待ってて、手を洗うから。」
 チェインは自分で開発した石鹸『ブライトさん19号』を使って手早く手を洗う。
「ごめんね、いつもは手袋をはめてるんだけど・・・」
「ううん、研究中なんだろ?頑張ってね。」
「え・・・あ、うん・・・。」
 軽く手を挙げてそのまま少年は走り去っていった。急いでいたのかドアを閉めるのも忘れている。
 仕方なくチェインは入り口に向かった。
「パン屋コロッセルです!」
 すると近くで少年の声が・・・どうやらチェインの母親マージへの配達だろう。
 びゅうっ!
「・・・わっ!」
 開け放たれたドアから風が吹き込んできた。
 普段油の匂いしかしない研究室に、生き生きとした草花の匂いが入り込んだ。その匂いに誘われたようにチェインが研究室の外へ出ると、眩しい日差しがチェインの顔を照りつける。
「・・・夏か。」
 チェイン、15歳の夏休み。
 それはジャンの訪れと共に始まった。
 
「はい、チェイン。」
「うわあ、ちょうどおなか空いてたんだ!」
 ジャンから渡されたばかりのカリコリ棒にチェインはかじりついた。
「・・・?」
「どうかした?」
「・・・なんか、このカリコリ棒・・・ほんの少し甘いんだけど?」
「そ、そそそ、そうなの?」
 ジャンは何故か慌てて視線をあらぬ方向へと泳がせる。
「・・・まあ、おいしいけど。」
「だったらいいよね、うん、問題無しだよ。」
 何故かジャンは大汗をかいている。それを見てチェインはきらりと眼鏡のレンズを光らせた。
「ジャン君・・・何か隠してない?」
「な、なな、何も隠してないよ。あ、僕は配達の途中だから・・・」
 そう言い残してボタンダッシュで走り去るジャン。
「変なジャン君・・・」
 チェインはそう呟いて再びカリコリ棒をかじる。
 やはり甘い。
 チェインは立ち上がった。
 ちょうど、お散歩の時間が迫っていたこともあるし、明日のパンの注文をかねて、マリアに聞いてみようと思ったのである。
「マリアさん・・・」
「あら、いらっしゃい、チェイン。」
「これ、パンの注文・・・」
 そう呟いてチェインは紙切れをマリアに手渡した。
「あん、またカリコリ棒ばっかり・・・よし、今度は・・・」
「そのカリコリ棒なんだけど・・・味が変わってない?」
 マリアの顔がほころぶ。
「あら、わかっちゃった?おいしくない?」
「いえ、おいしいです。」
 嬉しそうにマリアが手を叩く。
「うふふ・・・ジャンがね、チェインが研究に熱心でちゃんと食事を取ってないのが心配だって言うからすり下ろしたにんじんを混ぜ込んでみました。おいしくて栄養もばっちりだから・・・ラッキー!」
「ら、らっきー・・・」
 マリアの迫力に押されて、思わずチェインも相づちをうってしまう。
「よーし、燃えてきたわ、今度はピーマンも一緒に・・・」
「それはちょっと・・・」
 ピーマンの混入だけは何とか思いとどまらせて(別に嫌いというわけではないが)、チェインは再び研究室に戻ってきた。
 出力調整のための数式に取りかかりながら、カリコリ棒をかじる。
 ほんのりとした甘さが、チェインの脳裏にジャンの顔を思い浮かべさせた。
 
「あ、ジャン君・・・」
 すったかたったったー。
 チェインの存在には気がつかず、ジャンは走っていく。
「・・・はあ、忙しいみたいだなあ。」
 ルフィーあたりから話を聞いてみると、パンの配達や材料集めで一日中村の中を駆け回っているらしい。
 村の同年代の少年達が一日中遊び回っているのを考えると、つらくないのかなとチェインは思う。
 一緒にお散歩でも行こうかと誘いに来たチェインだったが、仕方なく踵を返して研究室に戻ることにした。
 無理に会おうとしなくても、ジャンの方から顔を見せる。今日もチェインはパンを注文していたのだから・・・。
「チェイン!」
「やあ、ジャン君。今日は遅かったね・・・。」
「あはは、ピアがなかなかつかまらなくて・・・。」
 そう言ってジャンは頭をかいた。
 背負っているリュックはぱんぱんにふくらんでいる所を見ると、今日もいろんな材料を探して村を走り回っていたのだろう。
「はい、カリコリ棒。」
「ありがとう。もう、おなかぺこぺこだよ。」
 チェインがそう言っておなかを押さえると、ジャンは白い歯を店ながら背中のリュックを下ろした。
「じゃあ、お詫びに好きなものあげるよ。今日はいろんなものが採れたから。」
 リュックの中にはオミカンを始め、ブックルの実やアンズにラッキースターなどがぎっしりとつまっている。
「それなら・・・オミカン貰おうかな。『ブライトさん19号』の原料にもなるし。」
「え、あれってオミカンからできるの?」
「正確にはオミカンの皮からなんだけど・・・。」
「ふーん、チェインって凄いなあ・・・」
 素直にそう頷くジャンを見て、チェインはちょっと視線を逸らして呟いた。
「・・・今からテラスに行くんだけど、ジャン君もどう?」
「え・・・うん、行こうか!」
 ジャンは再びリュックを担いでチェインの後を追った。
 
「へえ、夜に来ると雰囲気が違って見えるね・・・。」
 月明かりの柔らかな白い光に照らされたテラスはどこか幻想的な光景に見える。
「・・・ここはね、夜になると風が気持ちいいんだ。」
 チェインの前髪が微かに風にそよいだ。
「本当だ・・・」
 そう呟いて目をつぶったジャンの隣にチェインは腰を下ろした。
「ジャン君も座りなよ・・・疲れてるんだろ?」
「うん・・・。」
 しばらく2人は肩を並べたまま夜空を見上げていた。満天の星が今にも降りそそぎそうな程であるが、そう都合良く流れ星が見えたりはしない。
 チェインは一旦口を開きかけ・・・閉じかけた口を再び開いた。
「ジャン君は・・・帝国のことどう思う?」
「帝国?・・・よくわからない。行ったこともないし・・・。」
「・・・みんなは、帝国が機械を使って悪いことをするって・・・だから、みんな機械に対して悪い印象を持ってる。」
 機械文化の帝国に対して、魔法文化の王国。
 魔法の源であるマナの減少に伴って、帝国側が優位に立ちつつある。
「でも、父さんは言ってた。魔法は人を選ぶけど・・・機械は人を選ばないって、機械はみんなに公平だって・・・それって素晴らしいことだと思うんだ。」
「チェインは・・・やっぱりお父さんのように技師になりたいんだ・・・?」
「・・・うん。」
 2人の間に沈黙が訪れる。
「僕は会ったことないけど、チェインのお父さん・・・ジョニーさんはきっと優しくていい人なんだね。」
「え、どうして?」
 突然そんなことを言われてチェインはジャンの方を振り向いた。
「確かに機械を使うのは誰にも公平かもしれないけど、誰もがチェインみたいに機械を作れる訳じゃないもの。誰かのために機械を作る人、誰かのために魔法を使う人・・・多分みんな優しい人だよ。」
 そう言ってジャンは白い歯を見せて笑った。
「だから、気にすること無いよ。チェインは優しい人だ、村の人はみんなそれを知ってるから。」
 チェインは慌ててジャンから視線を逸らした。そして、そっと眼鏡を外して涙を拭う。
「そ、そろそろ帰ろっか・・・ジャン君もあまり遅くなるとマリアさんが心配するよ。」
「あっ!」
「ど、どうしたの?」
「夕ご飯の時間過ぎちゃってる・・・」
 困ったように呟くジャンを見て、悪いとは思いながらもチェインは白い歯を見せて笑った。
 
「あらチェイン、いらっしゃい。」
「マリアさんこんにちわ・・・これ、パンの注文です。」
 紙切れを差し出しながらきょろきょろとパン屋の店内を見回すチェインを見て、マリアがくっと小さく笑った。
「ジャンを捜してるの?」
「えっ?」
 チェインの顔が赤く染まる。そして蚊の泣くような小さな声で『はい。』と呟いてしまう。そんなチェインを見るとマリアはますます笑う。
「ジャンは真面目だから・・・ランディ達なんか毎日遊んでるのにね。」
 そしてマリアは何かを思いついたようにぽんと手を叩いた。
「そうだわ!ねえチェイン、明日は暇?」
「え?研究があるけど・・・」
「毎日研究ばっかりじゃダメよ、明日ジャンにお休みをあげるから2人でピクニックにでも行ってきなさい。」
「え、でもマリアさんが・・・」
「チェインは優しいのね・・・でも、大丈夫。ジャンがいなくなったら1人でやらなきゃいけないんだもの。」
 そう言ってマリアは右袖をまくって力瘤を・・・というにはあまりに細いその腕を曲げてみせる。
「ジャンがあまりに働き者だから、最近は甘えてたしね。」
「・・・」
 マリアは黙ってしまったチェインを横目でちらりと見て微笑んだ。
「ジャンはいい子ですものねー」
「え、な、何?」
 慌てるチェインを後目に、マリアは背を向けてパンを焼きに奥へと歩いていく。それでも一言言い残すことだけは忘れない。
「何でかしらねー。」
 チェインはこのとき初めてマリアのことを意地悪だと感じた。
 
「ジャン君・・・一体何処に行くの?もう随分歩いたような気がするけど・・・」
「ランディが教えてくれたんだ・・・多分もうすぐだよ。」
 そう言ってジャンが指さす方向にはずっと洞窟が続いている。しかし、心なしか向こうの方が明るくなっているように見えた。
「あれ、出口かな?」
「きっとそうだよ。」
 薄暗い洞窟を走り抜けて、2人は眩しい光の中へと飛び込んだ。
 ざざあー・・・
「うわっ、海だ!」
 村よりも強い潮の香りのする風を吸い込みながら、チェインは白い砂浜を見回した。
 ジャンもきょろきょろと辺りを見回している。おそらく実際に来るのは初めてだったのだろう。
 白い砂浜に足跡を残しながら2人は波打ち際に近づいた。
「ここって村から見てどのあたりなんだろう?」
「さあ?」
 ふとチェインの頭にある数式が浮かび上がった。今なら解けそうな気がする。
 砂浜の上に数式を書き始めた瞬間、並の消しゴムがそれを綺麗に消し去っていった。
「あ・・・」
「研究のことは忘れなさいって言われたね。」
「あはは・・・ごめん。」
 チェインは顔を赤くして頭をかいた。だが、ジャンもまた困ったように俯く。
「しかし、のんびりしてきなさいと言われたけど・・・」
「うん、何すればいいんだろうね・・・」
 そのまま2人は砂浜の上に腰を下ろして、ぼーっと何をするでもなく海を見つめ続けていた。
「・・・なんか、落ち着くや。」
「え?」
「いや、ジャン君の側にいると・・・何か父さんと一緒にいるみたいで。」
「・・・」
 自然とチェインの身体がジャンにもたれるように傾いた。心なしかジャンの身体が硬くなったことにチェインは気がつかない。
「・・・多分、ジャン君も父さんと同じで優しいからだね。」
「そうかな?」
「そうだよ・・・少なくともあたしはそう思う。」
 いつの間にか周りの風景が赤く染まり始めていた。砂浜を吹き渡る風がこころなしか肌寒いものに変わってきたように思われる。
「・・・もうすぐ、夏も終わりだね。」
「・・・」
 何気なく呟いたチェインの言葉にジャンは何も答えない。そしてチェインもまた自分の言葉の意味に気がついた。
「あ、あのさ・・・こんなこと言ったらジャン君は困るかもしれないけど・・・。」
「な、何?」
「あ、あたし・・・ジャン君のこと好きなんだ。」
 
 足早に夏は駆け抜け、終わりを告げようとしていた。
「ジャン、また来いよ。」
「ジャン君、また来てね!」
 仕事をしなくてもいいのだろうかと思えるぐらいに、みんなが飛行船乗り場に見送りに来ていた。
 しかし、ジャンはある姿を探してきょろきょろと辺りを見回している。
「どうしたの、ジャン?」
「いや、チェインが・・・」
 ここ数日は研究室に閉じこもったままろくに顔を見てもいない。このまま挨拶もしないで村を出ていくことになるのだろうか?
 と、思った矢先にチェインの声がした。
「ジャン君!」
「チェイン!」
「ごめん、今朝やっと完成したんだ。」
 と、チェインが差し出した機械。
「何これ?」
「これを持って耳に当ててみて・・・」
 チェインに言われたとおり、ジャンはその機械を耳に当ててみた。するとチェインはジャンから離れて機械に向かって何かを囁いた。
『ジャン君、聞こえる?』
 ジャンはびっくりして顔を上げた。
『あははっ、でもまだまだ出力が足りないみたいなんだ。』
 多分飛行船なんかに使われている通信機の一種ではないかと、ジャンは見当をつけた。
『でもね、きっとジャン君の住む村まででも声が届くようなやつを作るよ。』
 チェインがにっこりと笑った。
 そして周りの目を全く気にしないでジャンの側へと歩いてくる。
「チェイン・・・みんなが聞いてるよ。」
「いいよ別に・・・あたしは決めたんだから。」
 
 彼らの夏は終わらない。
 
 
                    完
 
 
 ちなみにチェインとエンディングを迎えると、強制的に夏休みが終了します。最初は何事かと思いましたけど。(笑)
 ルフィーのようなエンディングの爆発力はありませんが(かなり気恥ずかしくはありますけど)、ゲームを通してのシナリオはなかなかいい話です。
 このSSは全然違う話ですけどね。(笑)
 個人的にはチェインが泣くシーンが大好きです。・・・誤解しないように、悲しくて泣く訳じゃないですよ。

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