「じゃ、じゃあっ、待ち合わせは公園で…」
「ええ、夕方の5時ね、わかってるから…」
そう言って、彼女は悪戯っぽく微笑んだ……それは、2学期の終業式が終わった12月24日の正午過ぎのこと。
暮れてゆく西の空。
さっきまで子供達が遊んでいた公園内から、人の姿が消えてゆく。
肌寒さも手伝って、本来ならそれは少し寂しさを呼び起こす光景だったが……純一は、期待だけに胸を膨らませて、寒さなどこれぽっちも感じていなかった。
中学校の入学式で一目惚れして、3年になって同じクラスになって……卒業してしまえば、もう会う機会さえもなくなるんだ、とそこまで追いつめられてやっと、重い腰を上げた。
いや、ただ単に……臆病だっただけだな、と純一は苦笑する。
挨拶から始めて、親友の梅原や、幼なじみの梨穂子などにアドバイスを求め……やっと、今日のこの日を迎えた。
駅の方に視線を向けた。
日が暮れていくに従って、そのイルミネーションがここからでも確認できるようになりつつある。
「おっと…」
純一は慌てて、公園の入り口の方に視線を戻した。
彼女がここにやってくる瞬間、それを見逃したくはない。
そして、純一は待ち続けた……。
「……」
公園の街灯に照らされた時計が、夜の8時を回ったことを告げていた。
ひどく寒い。
吐く息も白い……いや、それは純一がやってきたときからそうで。
日が落ちて、気温が下がっているのは確かだけど……今自分が感じている寒さは、多分、それだけが原因じゃない事を純一はわかっていた。
今日のために用意したそれをポケットの中で握りしめ、純一は……いろんなモノに耐えかねて、ついに呟く。
「ふられた…のかな」
その呟きに対して、心のどこかで『まだ疑問形かよ…』と声がする。
それから10分ほど経って、ようやくに純一は口を開いて言った。
「ふられた…んだよな」
別れ際の、彼女の悪戯っぽい微笑みを思い出しながら……一人舞い上がっていた自分を、彼女はちょっとからかってやろうと思って約束してくれたのだろうか……そんなことを思った。
そうだよ、今日はクリスマスイブだもんな……家族で過ごしたり、好きな人と過ごす、大事な日だから。
何で、素直に断ってくれなかったんだろう……そうすれば、こんな惨めな想いをしなくてすんだのに。
かなりの時間、ぼーっとしていたのか……気がつけば、公園の時計は9時を指していて。
「……」
ポケットの中のプレゼント……オルゴールの包みがずしりと重くなった。
持って帰れるわけ……ない。
彼女のために用意したプレゼントだから……これは、彼女がもらってくれないなら、なんの価値もないモノだから。
「……はは」
もう、9時半だった。
いつまでもうじうじと……そうだよな、彼女が、こんな自分を好きになってくれるはずがない。
「帰ろう…」
ポケットの包みをゴミ箱へ……その瞬間、公園の入り口に人影が見えた。
「…ぁ」
どくん、と胸が高鳴った。
彼女かな、いや彼女だよ。
高揚する気持ち……は、すぐに失望に代わった。
「……薫」
いつの間にやら純一や梅原、梨穂子の仲良しグループの一員となった少女。
気さくでノリが良く、男女分け隔てなく人に接して……悪い面を挙げれば、トラブルメーカーというところか。
でもそれは、困っている人を放っておけないと言うか……優しいと言うより、ちょっと姉御肌的な彼女の性質がもたらすものなのだろうけど。
「……薫、どうしてここに?」
「……純一」
「え?」
「来ないよ、あいつ」
そう言って、薫は暗い表情で純一の手を取った。
「え、ちょっと…」
「行くよ…」
「ど、どこに…」
彼女が来ないのはわかる……けど、『帰る』じゃなくて『行く』って…。
薫が足を止める。
見れば、肩が震えている……何故だろう、それが寒さが原因じゃないことがイヤなぐらい分かって。
「……病院」
「病…院?」
「……」
薫が何か言ったけど、良く聞き取れず……純一は、顔を寄せた。
「にぃに〜」
「いや、こんな時にふざけられても…」
「にぃに〜ってば」
あれ、薫の髪型がいつの間にか……。
「いい加減起きろ〜馬鹿にぃに〜♪」
薫の顔が、妹である美也のそれにとってかわり、純一はそれを悟った。
ああ、夢だったんだ……と。
「にぃに〜入るよ〜って、いない?あ、また押入の中?」
身体を起こした純一の目の前がいきなり開けた。
「うっ」
「もう、暗くて狭いとこが好きだなんて、にぃには…」
呆れたような美也の呟きが途中でストップする。
「どうした?」
「……また、あの時の夢?」
「え?」
「だって…にぃに…泣いてる」
美也に言われて目元に手をやる……と、確かにそこは濡れていて。
「……にぃに」
「ん、ちょっとな」
今更隠してもな……と、純一はちょっと笑って見せた。
「今日もいい天気だね、おにいちゃん」
「ああ」
多分、気を遣っているのだろう……今朝の美也は、いつもより饒舌で。
ちなみに、『にぃに』は家の中だけで勘弁してくれ……というわけで、家から一歩外に出れば、美也は純一の事を『おにいちゃん』と呼ぶ。
まあ、興奮したりすると学校でもどこでも『馬鹿にぃにっ』の呼び名が炸裂するが。
「よーっす、お二人さん」
「おう、梅原」
「おはよう、ウメさん」
「み、美也ちゃん…『ウメさん』はやめてくれよ」
「でも、お寿司やさんとくれば、『ウメさん』だって誰かが…」
「だからイヤなんだってば…」
ため息2連発で、梅原。
梅原正吉(まさよし)……名字が梅原なのに、なんで『東寿司』なんだよとつっこまれる事も多いが、とにかく家が寿司屋。
次男坊だが……まあ、アニキが逃げたし俺が継ぐことになりそうだなあ……と、それがまんざらでもなさそうな17歳、高校二年生。
「おい、『みゃー』」
「その呼び方やめてっていってるでしょ、馬鹿にぃにっ。美也はね、猫じゃないんだからっ」
「……と言うわけで、梅原の事は、ちゃんと梅原と呼ぶように」
「おう、心の友よありがとう」
「ふーんだっ」
てててっと、美也が駆けだしていく……もちろん学校に向かって。
「相変わらず、ブラコン炸裂中か、美也ちゃんは」
「は?」
「……気付いてないかも知れないけど、美也ちゃん結構人気あるんだぜ」
「そうなのか?」
まだまだ子供子供してるなあとおもっていた美也に……そんな純一の心の乱れを読みとったのか、梅原が言葉を続けた。
「信頼できる筋からの情報によると、美也ちゃんに撃墜された一年男子は4人になるそうな」
「マジで?」
「マジで」
「へえ……同じ兄妹なのに、えらい違いだな」
「お前は……いや、何でもねえよ」
「あ、すまん…」
別に、そういう意味じゃなかったのに……梅原に気を遣わせてしまった事を反省する純一。
美也や梅原はもちろん……純一と同時期に同じ中学に通っていた人間なら、ある程度の事情は知っている人間が多い。
それはそうだろう。
クリスマスイブに待ち合わせしていた相手が交通事故に遭い、そのショックで登校拒否になった生徒がいる……そんな話は、当事者およびその近しい人間以外には、格好のゴシップネタで。
冬休みが終わり……2月半ばまで、純一は学校を休んだ。
なんの準備もしないまま、輝日東高校を受験し……実際、いろんな意味でコンディションは最悪だったが、周囲の支えで何とか合格することが出来た。
多分、自分の存在そのものが周囲の人間にとって重荷になっているんだろうな……と純一は思う。
実際、それまでいつも一緒にいることがほとんどだった幼なじみの梨穂子は……高校に入ってから、疎遠になっていた。
もちろん、会えば話をするけど……ただ、それだけだ。
いつか、彼女には……もう、大丈夫だからと、胸を張って、お礼と……詫びを言えるようになれたらいいと……最近は、そんな風に思えるようになってきた。
「……ところで梅原」
「あ?」
「もうすぐクリスマスだけど、彼女は出来そうなのか?」
『クリスマス』と『彼女』……その言葉が、純一の胸を疼かせる……でも、耐え難いほどではない。
「ん、あ、いや……難しいな」
どこかぎこちない梅原の返事。
それは、自分に対する気づかいなのか、それとも彼女が出来ないことに対する照れ隠しなのか、純一にはわからない。
カウンセリングの先生に言われた言葉……『悲しみは、乗り越えるモノじゃないの…生きている限り、ずっと耐えていかなきゃいけないものなの』……その意味が最近少し分かってきた気がする。
純一はあらためて梅原を見つめた。
この2年間、間違いなく自分を支えてくれた人間の1人…その重荷を少しでも減らすことが出来たなら。
「……僕も、頑張ってみようかな」
「え?」
「いや…その、彼女と過ごす、クリスマスってやつ…」
「でも…お前は…あ、いや…」
梅原は何かを言いかけた口元を手で覆い、ちょっと俯いた。
しかしすぐに笑顔を取り戻すと、ばん、と純一の背中を叩く。
「そうだな、そうだぜ…一緒に頑張るか」
そう言った梅原の声は、少しだけ震えているような気がした。
教室の自分の席に座って1人、純一は色々と考えていた。
もちろん、クリスマスに向けて彼女作って、当日は2人仲良く過ごす……なんてお気楽な事を考えていたわけではなく。
2年前のあの日……あれだけ好きだった相手を、たかだか2時間や3時間待ったぐらいで信じられなくなった自分の醜さについてである。
ふられた、からかわれた、挙げ句の果てに、彼女のことを恨んだりもした……そんな自分の醜さを、純一はあの日イヤになるぐらい思い知らされた。
梅原に対してああは言ったし、自分の周囲の人間の負担を軽くしてやりたいという気持ちに偽りはないけれども……自分のような人間が、誰かを好きになったり、また誰かに好かれたりする資格なんかないという気持ちが、心の底にずっしりと存在しているわけで。
梅原がうまくいくならそれで…
かぷ。
「うっ、わあぁぁぁっ」
耳たぶを得体の知れない何かで包まれた異様な感覚に、純一は悲鳴を上げた。
「あら〜いいリアクション」
振り返る。
「か、薫っ。おまっ、一体何を…?」
「いや、なんか考え事してる純一を見てたらさあ…つい」
「なってないっ、全然説明になってないっ」
薫はちょっと首を傾げ。
「美味しそうだったから?」
「あ、赤ちゃんじゃあるまいし、何でもかんでも口に入れたら…え、口に…?」
「あら、何をされたかわかってない?」
薫は妖しく微笑んで。
「じゃ、あらためて…」
純一の首筋に顔を寄せていく……純一は純一で、思考が止まって身動きできない状態。
かぷ。
「はむはむ…」
「ってっ、な、ななな、何をっ!」
「やんっ」
純一にふりほどかれ、薫がちょっと睨む。
「危ないでしょ、歯を立ててたのに」
「ば、ばい菌とか…」
「耳の後ろ、洗ってないの?」
「洗ってるよ、子供じゃあるまいし」
「なら、問題ないじゃない……あ、ひょっとして、耳が弱点?」
「耳は誰にとっても急所っ」
「や、そういう意味じゃないんだけどな〜」
と、薫は苦笑い。
「…っていうか、単なる悪戯よ、悪戯」
「いや、もう…勘弁して…」
「……そんな、貴方に飽きられないように色々努力してきたのに」
よよよ、と薫が袖で目元を隠して泣くフリを。
「それなりに楽しいけど、夫婦漫才はそのぐらいにしてね…ほら、もうすぐHRだし」
と、助け船というか……ごく当たり前のツッコミを入れてくれたのは、クラス委員長の絢辻さん。
勉強、運動、ルックス、性格……全て良しで、教師からの信頼は厚く、クラスメイトからも頼りにされてるのは確かなんだけど。
「……」
「どうかした、橘君?」
「あ、ううん……止めてくれてありがとう」
と、純一は頭を下げた。
「ところで棚町さん」
「え?」
「何かいい事あったの?今日は機嫌がいいのね?」
「そ、そう?」
と、どこか狼狽えながら薫……なんというか、相手の底を見通すような絢辻さんのそれに、純一は微妙に違和感を覚えていたりする。
きーんこーんかーんこーん…。
チャイムに遅れること1分、担任の高橋先生が現れ……ざわついていた教室内は、静かになっていった。
「ふう…」
屋上で風に吹かれながら、純一はため息をついた。
11月中旬、暦の上ではまだ秋だが……風の冷たさは、既に冬の到来を告げている。
いつもというわけではないが、時々自分の周囲の人の気配に耐えられなくなるときがある。
多分、あの夢を見たせいもあるだろうが……。
純一は教室の人の気配に耐え難くなって、1人になりたくてここへやってきた。
もちろん今は休み時間だが……このままだと、次の時間はサボリと言うことになるだろう。
保健室に行って、わざわざ説明するのが面倒くさいというより……事情を知る知らないに関係なく、誰に会いたくない……そんな感じ。
こんな状態で、『彼女と過ごすクリスマス』なんて台詞が良くも口に出来たもんだ……と、皮肉な自分が顔を出す。
薫に連れられて行った病院で……一目惚れした彼女の顔は、正視に耐えうるモノではなくなっていたけど……1時間近くもそれを見つめていたと聞いた。
「……まずいな」
額を押さえて、純一は敢えて口にした。
今日は、精神の揺れ幅が大きい……あの夢というより、『彼女と過ごすクリスマス』という一言が予想以上に自分の心に負担をかけたことを悟った上で、それを受け入れるための一種の自己暗示方法。
弱い自分を、醜い自分を、動揺している自分、今の自分の状態を否定するのではなく、認めるために敢えて言葉にする。
確か、自分の姿を見つめる自分の存在を意識することで、安全弁の役割がどうのこうの……などとカウンセリングの先生が説明してくれたが、良く覚えてはいない。
純一にとって、それで自分が落ち着けるかどうか……だけが問題だったから。
明鏡止水の心境には遠くおよばないものの、純一の精神は落ち着き始め……それと同時に、苦い思いがこみ上げてきた。
周囲の人間の負担になりたくない……そう考えることぐらい、許してくれたっていいじゃないか。
そんないらだちが、純一に「くそっ…」という言葉を吐かせる。
そうして、どのぐらいの時間が経っただろうか……。
「もう平気、純一?」
「……うん、なんとか」
驚きの声を抑え込むのに、純一は多少労力を要した。
屋上のドアのところで、薫はちょっと寂しげな微笑みを浮かべていて。
「あのさ……梅原君から聞いたけど、無理する必要はないよ」
いつからそこにいたのか……長いつきあいだけに、純一が精神的に落ち着きを取り戻したことを察して……それでも、どこか遠慮がちに声をかけてくる。
「……」
「いーじゃない。友達でしょ?心配したり、かけられたり……っていうか、純一だって、困ってる人とかみつけたら、助けようとするじゃない」
「あれは…自分のために」
「パス」
難しい話はしない、とばかりに薫が首を振る。
「そんな、細かい話はどうでもいいの……人間って、もっとてきとーに生きてるもんよ」
「……」
「む、この寿司はネタのうまみ成分としゃりのバランスが絶妙の……とか言ってたら、梅原君のお父さんにぶっ飛ばされるわよ。何かを食べたら、美味しいかまずいかだけ、それと同じで、誰かに親切にしてもらったらありがとう、誰かに迷惑をかけたらごめんなさい……それだけ考えれば、何とかなると思うわよ」
「そうだな…」
「そうだな、じゃなくてそうなの」
ありがとう、ごめんなさい、おいしい、おいしくない……確かにシンプルだけど、それじゃあ、子供だ。
「てい」
腹の辺りを蹴られた……かるくだけど。
「純一が私に迷惑をかけてるんじゃないの。私が純一に親切にしてるだけなの……はい、なんて言えばいいの?」
「……ありがとう」
「よしよし〜いいこでちゅね〜」
「おい」
純一が伸ばした手を軽やかにかわし。
「じゃーね〜、次の授業はちゃんとでなさいよ」
微笑みだけを浮かべて、薫は屋上をあとにした。
「……棚町さん」
屋上からの階段を下り始めた薫に、踊り場に立つ少女が声をかけた。
「桜井…」
桜井梨穂子……純一、梅原の幼なじみの少女。
いつもにこにこと、微笑みを絶やさない……ちょっぴり天然ドジっ娘のはずの梨穂子が、暗い表情で。
「……棚町さんが、純一に親切にするのは……自分のため…だよね?」
「立ち聞き?趣味悪いよ」
「そうかな…」
と、梨穂子がちょっと笑う。
「純一に……ずっと嘘をついてる棚町さんと、どっちの趣味が悪いのかな?」
「……桜井も、納得したよね」
「あの時は…だよ」
と、梨穂子は再び暗い表情に。
「私…あの人のこと嫌いだった……正直、死んだってきいて、いい気味だと思った。今でもそう思ってるよ」
「……」
「もちろん、半分ぐらいは……嫉妬だけど」
「じゃあ、桜井は言えるの?」
「言えない……けど」
梨穂子はちょっと口ごもり……足下に視線を落として、呟くように言った。
「もし言えたら、純一の心の重荷が……少しは軽くなるかなって思う」
「アタシは…そうは思わない」
「……棚町さんの言い分も、わかるよ」
「……」
「ただ、言った方が楽になるよね……私も、棚町さんも」
「……」
「すごいね棚町さんは……私は、耐えられないよ、きっと」
熱量を感じさせない口調でそう言うと、梨穂子は薫に背を向け、階段を下りていった。
「……言った方が楽になる、か」
薫が呟く。
楽になりたいなら……同じ学校に進学しなければいいこと。
耐えられないといいつつ……薫は、彼女もまた、自分とは違う重荷に耐えているのだと思った。
「いらっしゃいませ〜♪」
おしゃれ好きで、遊び好き……それはほぼイコールで、お金がかかることを意味して。
まあ、それ以前に母子家庭という事情が、薫のそれに色々と制約を与えているわけで、運動神経抜群でありながら部活には所属せず、今日もせっせとバイト先のファミレスでお客に愛想を振りまく。
週に4回……夕方5時ぐらいから長くて夜の10時まで、時給は750円。
高校生というだけで50円時給が低いのは不満だが……まあ、不満を言い出したらキリがない。だって仕事だから。(笑)
一説によると、コンビニ、ファミレス、本屋……の3つが、イメージと現実のギャップの大きさに心が折れて、人がやめていく3大バイトだとか。
この3つの職種が特別きついという話ではなく、楽そうに見えたから……という連中に、現実という名の往復びんたを食らわすという意味である。
ちなみにファミレスのウエイトレス……店や時間帯にもよるが、4時間勤務で、万歩計が軽く2万を越えるとか。(笑)
「ねえねえ、メアド教えてよ〜」
「あはっ、ごめんなさい。規則で教えられないことになってるんです〜♪」
などと愛想を振りまきながら、手にしたトレイで客の顔面をぶん殴る想像を繰り返し……食器を下げに戻った店の裏で、実際に壁を蹴る。
一部だけ妙に薄汚れた壁があったりしたら、多分そこは…。(笑)
深呼吸し、また可愛いウエイトレスさんに戻って店内に復帰。
からんころんからん〜♪
「いらっしゃいませ〜♪」
あなたのために、素敵な笑顔。
うん、まあ……耐えられないよな、ふつー。(笑)
「お疲れさまでーす」
「お疲れっ」
「帰り、気をつけてね」
高校生故に、夜の10時以降の労働は法律違反……と言うことで、薫のバイトはどんなに長くても夜の10時まで。
まあ休日はともかく、平日だと8時まで……みたいなケースが多い。
なんだかんだ言っても、夕飯時を過ぎれば客足は途絶えるというか、緩やかになるモノだから。
基本的にファミレスのバイトは、店長が時間帯における混雑を予想してシフトの人数を決定するもので……そういう意味では、高校生の薫の立場はスーパーサブに近いと言えよう。
「……ふう」
仕事場であるファミレスをでてから約10分……薫は、ようやく営業スマイルから解放された。
ファミレスの近くは、当然お客さんがうろついている場所でもあるわけで……そこで働く人間として、仕事場近辺での行動に責任を持たなければいけないぐらいの常識を薫は持ち合わせていたからだ。
さすがに最近は慣れたが……バイトを始めた頃は、仕事としての必要なテンションから解放される反動がひどく、バイト代は家計の足しにと母親に手渡す分はのぞいて、綺麗さっぱり無駄遣い……としか表現しようのない有様だった。
「えっと、今月は…」
指折りながら、今月のシフトというか、勤務時間を計算し……来月の15日に振り込まれる給料(薫のバイト先は月末締め、15日払い)を計算する。
月単位で少しはお金を残すことを目標に設定してから1年あまり。多少、貯金と呼べる程度には、残高が増えてきたが……油断すればあっという間に無くなる程度でしかない。
「……クリスマス、か」
また、クリスマスの季節がやってくる。
2年前のクリスマス。
死んだ人間に何を言っても無駄だけど……あの事故のせいで、多くの人が傷ついた。
桜井梨穂子のように、『死んで当然だよ…』などと……もちろん心のそこからそんな風に思っているわけではないだろうけど、そう口に出せる程度に割り切ってしまえば、多少は楽なのかも知れない。
「……傷つけたくなかっただけなのに…な」
だから、嘘をついた。
桜井梨穂子も納得させた。
なのに……。
薫と、梨穂子が想像していた以上に純一が傷ついたこと……それは、2人をいろんな意味で傷つけた。
「……ふん」
かーんっ、からっ、からからからからっ…ん。
蹴り飛ばした空き缶の乾いた音が、静まりかえった住宅街にこだまする。
「ばーか」
薫の呟きは、誰に向けられたモノなのか……。
完
と、まあ……オープニングを見た時は、こういうお話だと思ってたんですが。(笑)
対談でも語りましたが、これだとあまりにもそのまますぎるというか……例の彼女は意地っ張りな性格設定にして、純一のことが大好きだったんだけどクラスメイトに『どーせからかってるだけでしょ?橘ってぱっとしないし』などとからかわれたあげく『と、当然よ当然っ』などと見栄を張り、例のクリスマスイベントに突入。
それが原因で疎遠になってしまったけど、実は純一に対して未練たらたらの彼女が、2年の時を経て再び接近をはかる……みたいなシナリオも考えてみたのですが、そういう路線は『キミキス』でやってるから意味ないな、と。
まあ、たまには暗く、地味な感じの青春群像劇みたいなのも新鮮かなあ……などと、敢えてこの路線で。
ちなみに、高任の心の優先順位が低いので、なかなか進まないと思います。(笑)
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