「……大黒屋」
「サービスにございます…」
きょろきょろと部屋の中を見回す悪代官が何を言い出すのか予想したのであろう、大黒屋は揉み手の音が聞こえてきそうな笑みを浮かべた。
「サービスと言ってものお……ここは監獄だろうに?」
「なあに、地獄の沙汰も金次第……で、ございますよ。看守をはじめ、所長まで金で抱き込めば、このぐらいはたやすいものでございます」
「さようか……」
悪代官は小さく頷きかけ、何かに気付いたようにはっと顔を上げた。
「それならば、とっとと日本に帰る手だてをせぬか!……ったく、結局エジプトでは秘術とやらは見つからなかった上、不法入国および無断発掘とやらの罪で国外退去を命ぜられ、船に乗ったら海賊に襲われ、それならばシルクロードの旅を満喫しようと思ったのだが、おぬしが暑いのは苦手とか言い出したから北方の草原の道を使ったところ、シベリア征服中のロシアのコザックどもにとっ捕まるとはのう」
「お代官様、ネームが長うございます。それに……」
「それに、なんじゃ?」
「お代官様はお忘れかも知れませぬが、お代官様は幕府から追っ手がかけられた重犯罪人でございますよ?しかもこのたびの騒動で、悪代官ランキングが、とうとう東の横綱にまで昇りつめておいででございますゆえ……しばらくはここでほとぼりが冷めるのを待つのが得策というものでございます」
イヤなことを忘れようとするかのように、悪代官は何度か頭を振った。
「……大黒屋、根本的な疑問なのだが、幕府から追っ手をかけられておりながら、儂はまだ代官なのかのう?」
「代官は現地の有選挙資格者総数の3分の2のリコール投票が行われない限り罷免できませぬから……それゆえ、次々と刺客が送られてくるのでございます」
「さようであったな……儂は、いろいろと悪事を重ねておるが、地域住民にだけは恩恵を施してきたからのう」
「もちろんでございます……私どものリゾート開発および、新幹線の誘致をはじめ、しっかりと足場を固めておりますゆえ、ご心配には及びませぬ」
悪代官は大きく頷き、ため息混じりに呟いた。
「しかし、秘術は見つからなかったが……こうして生き延びているのが奇跡じゃのう」
悪代官は、これまで自分を襲った数々の刺客を、正義の味方、そして大黒屋によってもたらされたハプニングの数々を遠い目をして思い出す。
「……って、全部こやつ(大黒屋)のせいではないのか?」
「何か仰いましたか、お代官様?」
「……」
悪代官は喉まで出かかった言葉を無理に押し込めた。
そして、少し不安そうにあたりを見回す。
「どうかなさいましたか、お代官様?」
「大丈夫かのう……名高いシベリア監獄とはいえ、正義の味方と称す者どもや、幕府の追っ手が襲ってこないとも限るまい」
「心配性でございますなあ……正義の味方が旅好きとはいえ、所詮は国内に限られておりますし、幕府の追っ手にはここにやってくる手段がございませぬ故…」
「それもそうじゃのう……儂も、ロシアという国があることを今回初めて知った事でもあるし…」
「その通りでございますよ、蝦夷地でさえ未開地が多いのですから、とてもここまでやってくるような……」
大黒屋は何かを思いだしたように口をつぐんだ。
「どうした?」
「いえ、何でもございませんよ、お代官様」
「何でもないという表情ではないがのう……」
訝しげに大黒屋を見つめ、悪代官は杯をあおった。
「しかし……こっちの酒はやたらクセがある上にきついのう」
「冬でも凍らぬようにアルコール度数が桁外れに高いそうでございます……って、お代官様、アルコールは…」
「エジプトからここまでの逃亡生活で規則正しい生活を送ってきたからのう、検査の数値は全部正常だと太鼓判を押されたわ」
「……国によって、基準がまちまちなのでございますが」
「ところで大黒屋…」
「なんでございましょう?」
「ここでほとぼり冷めるのを待つのは良いのじゃが……ここからどうやって日本に帰るつもりだ?」
「……」
「大黒屋?」
「お代官様……ここで問題でございます」
「なんじゃ、いきなり…」
「幕府の追っ手がここにやってくる手段がないと言うことは……さて、この後に続く内容は?」
「儂らが日本に帰る手段がない」
「せいか〜いっ!」
無言で大黒屋に斬りかかる悪代官。
慌てず騒がず白刃取りする大黒屋。
ピーポポッポ〜♪
緊迫感漂う室内に陽気な悪代官の着メロが高らかに鳴り響き、大黒屋が悪代官の刀をいなしつつ素早く携帯をとりだした。
少しずつ大黒屋の顔色が変わっていくのを見ながら、悪代官もまた不安そうな表情を浮かべる。
「……」
震える手で携帯電話を袂におさめ、大黒屋はぽつりと告げた。
「お代官様、トラベルチャンスでございます」
「と、トラベルチャンス?」
「間宮林蔵が蝦夷地および、樺太の観測に出発したと手代から連絡がございました」
「ほう、その船があれば……」
「なのでございますが、実はこの間宮林蔵、お代官様に対する幕府からの刺客との事でございます」
「な、なんじゃとっ!?」
「まあ、いつものパターンはいつものパターンでございますなあ」
「では、いつも通り帯回しとまいろうか……」
完
間宮林蔵……蝦夷地の観測および、間宮海峡の発見によって、樺太が島であることを発見した日本が誇る探検家(?)であるが、実はその発見が間宮林蔵を返り討ちにし、日本に帰りついた悪代官および大黒屋の両名によるモノである事は意外と知られていない。(笑)
なお本当に余談になりますが、鎖国政策を採っていたと言うことで江戸幕府が諸外国の情報をほとんど知らなかったのでは……という考えは誤りです。ロシアにおいて出版された書物のオランダ語訳が日本に辿りつき日本語に訳されて出版(笑)されるまでたったの5年…という事実もありますので。むしろ、鎖国政策を採っていただけに、貪欲に諸外国の情報を集めていたと見るのが正しい歴史観だと思われます。
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