春の陽気に誘われて……いや、宮坂の馬鹿に誘われて、久しぶりの映画鑑賞としゃれ込んでみたのはいいのだが。
「……くっだらねえ」
「まあ、外れをひくのも映画の醍醐味っちゃあ、醍醐味じゃないか、マイフレンド有崎」
「……自分だけ無料招待券持ってりゃ、心も広くなるだろうよ」
と、尚斗は宮坂に向かって手を差し出した。
「この手は何かな?」
「割り勘とは言わねえ、3割、いや2割出せ。俺は、それでチーズバーガーと、シェイク飲んで帰って寝る」
「おいおい、まだ昼前だぜ?」
「明日からバイトなんだよ。こんな精神状態を明日まで引きずるわけにはいかねーんだっつーの」
「バイトって何の?」
「深夜工事の交通整理」
「……年齢は?」
「野暮なこと聞くなよ」
「そりゃそーだ」
と、笑う宮坂の肩を、尚斗はがっちりとつかんで。
「ごまかさずに、360円出せ……さもなくば、出させるぞ」
「はっはっは、いくらマイフレンド有崎でもそれは無理な相談だ」
宮坂はポケットに手を突っ込み、取り出した財布を逆さにして振って見せた。
「……」
「……」
尚斗は手を宮坂の肩から首へ。
「……他の財布は?」
「疑り深いな、おい」
「俺を誘う時、てめえなんて言った?」
「はっはっはっ、ミスター有崎。家でごろごろするぐらいなら、映画でも見に行こうぜ。そんで飯食ってからゲーセンでもうろついて…ぐぐぐっ、ぐるじい…」
「……1円も無く、どうやって飯食って、ゲーセンうろつくつもりだった、あぁンっ?」
ぐいぐい、ぎゅうぎゅう。
「ちょっ、マジ…死ぬ…やめ…」
「財布か、俺は財布なのか?」
「…くけっ、けけっ…」
「なんか言ってみろ、こら」
「け…け…き…」
宮坂の顔色が、真っ赤から紫へ……。
「け…ふ…」
そしてついに、かくん、と宮坂の首が垂れた。
もちろん、死んではいない……気を失っただけだ。
間髪入れず、尚斗の拳が宮坂のみぞおちを突き上げる。
「げふっ…くっ、くはっ…」
活を入れられ、ぜひゅー、ぜひゅーと、日常あまり聞き慣れない呼吸音をまき散らし、宮坂が空気を体内に取り入れる。
「さて、2セット目…」
「ちょちょちょっ、ちょっと待て」
「1セット10円な」
「安いなっ、俺の命」
「心配するな、俺の命も安い」
「ぬはあ、もはやこれまでというなら…」
と、ようやく宮坂が劇劇の態勢を取った。
5分後。
ビルの壁を背に、2人は肩で呼吸しながら空を見上げていた。
「……3ヶ月前に戻りたい」
ぽつりと、宮坂。
「は?」
そちらに視線すら向けず、尚斗は言葉を足した。
「戻ったって意味ねえだろ……女子校に間借りするってんで、張り切ってた奴は腐るほどいたが、全員討ち死にしてんじゃねえかよ」
歴史の重みに耐えてきた男子校校舎だったが、何十年ぶりかの大雪という重みに耐えかねて瓦解したのが1月中旬。
仮校舎が出来るまで……と、隣人に愛の手をさしのべるお嬢様学校に間借りした1ヶ月間は、遠い記憶になりつつある。
「そもそも、男子校の生徒にも、彼女いるやつはいるじゃねえか……結局、出会いがどうこうってのも多少は関係あるにしても、彼女が出来ない奴には出来ない理由があるんだっつー話だったって事だろ」
「日本のどこかに、俺を待ってる女(ひと)がいるに違いないんだよ」
「そりゃそーかもしれんが……」
と、尚斗は馬鹿らしくなって口をつぐんだ。
勉強するでもなく、スポーツに汗を流すでもなく、特に何かやりたいことがあって、それを目標に頑張るわけでもなく……ただ流されるように、毎日を怠惰に過ごす。
ついでに言えば、両親の威光はもちろん、ルックスという才能もない。
「……そんな男を、相手にしてくれる女がいるかよ」
「は?」
「別に……」
ふっと、思い出したように宮坂が口を開いた。
「つーか、有崎はまだ良かったじゃねえか」
「あぁ?」
「ほら、なんかいい感じだったじゃねえかよ…ほら、例の…」
「麻理絵は幼なじみで……そもそも彼氏持ちだっつーの」
微妙な間を置いて、宮坂が口を開く。
「……いや、でも、うまくいってなかったっぽくね?」
「そういうのは、ダメだろ」
「ダメって何が?」
「……別れさせるのが前提じゃねえか」
「寝取り最高じゃね?征服欲というか優越感というか?」
「宮坂、お前な……自分の事しか考えてねえだろ」
「当たり前じゃねえか。人間誰だって自分が一番可愛いんだよ」
「あー、まあ、それを否定はしないけどよ」
と、尚斗は手のひらで顔を覆い。
「彼氏と別れりゃ、そりゃ悲しくなるだろ……そこで、言えるか?俺なら大丈夫だって?そこまで自分に自信が持てて、なおかつ、相手が安心できるような生き方をしてるって自信がもてるか?」
「ほう、それはつまり」
宮坂はきらん、と目を光らせて。
「有崎は自分に自信がないから、大事な幼なじみの椎名には手を出さなかったと?」
「いや、それはモノのたとえっつーか」
「モノのたとえというと、椎名を誰かに置き換えれば…」
じろり。
「何が言いたい?」
「いや、演劇部の…」
「……別に世話を焼いたってわけじゃねえんだけどな」
と、尚斗は再び空を見上げ。
「義理堅いって言うか……要するに、お嬢様育ちって事だろ」
「結構深入りしてたじゃねえか」
「ほっとけなかったからな」
「ろ・り・こ・ん」
げしい。
「……いつもより5割増しのパンチに、キミの真意が見えて…」
ごすっ。
「…ちょ、調子に乗ってました…すんません…」
「……つーか、見た目は確かにあの通りちびっこだけどさ。あいつ、相当スペック高いんだぞ?」
「ほほう」
「成績は学年トップ……つーか、ずっとトップ。演劇部の雑事を切り回し……つーか、中学生で高等部の演劇部に乗り込んで、演劇部の立て直しやら…」
「なるほどなるほど」
全てわかっているというように、宮坂は何度も何度も頷いて。
「そして、可愛い?」
「可愛いだろ?」
そのことについて、なんか文句あるか、という目つきで宮坂をにらむ尚斗。
「小さくて可愛い」
「……」
「いや、むしろ小さいから可愛い?」
がしっ。
「どうしてお前は、話をそうやってゲスな方向に持って行く?」
「ち、ちちち、チョーク、チョークっ」
「つーか、あいつを見て何も感じなかったか?俺らが馬鹿にされたりするのは仕方ねえけど、一生懸命何かを頑張ってる奴が、そしられたり、邪魔されたり、報われないのは、おかしいだろ?」
「げふっ、げふっ…努力が全て報われるなんてのは、むしろ傲慢だと俺は思うけどな」
「それもわかってるけどな……まあ、努力しない奴が報われることはねえだろ」
「……」
「面と向かっては言えないけどな……まあ、ほんのちょっとだけ真面目に生きてみようか……などと、あのちびっこのおかげで考えるようになったわけだ」
「なるほど、どおりで最近付き合いが悪いと…」
尚斗はまた、空を見上げて。
「大学に行くつもりなら、入学金や授業料は、全部自分で用意しろ……などと、親に言われてな」
「……進学するのか、有崎?」
「いや、まだわからねえけど…いざというとき困らないように、準備ぐらいはしておかないとな」
「勉強が先じゃね?」
「うるせえ……まあ、多少は…いや、あのちびっこの努力に比べたら微々たるもんだろうけどな…少しは、本当に少しだけど、ここ1ヶ月半ばかり勉強して無くもない」
「へえ…」
「……んだよ、笑いたけりゃ笑えよ」
「いや、別に…」
と、宮坂もまた空を見上げ。
「でも、本音を言えば彼女は欲しい?」
「そりゃ、そーだけどな……まあ、ゴミクズを見るような視線を親に向けられている内はダメだろ」
「はっはっはっ、心配するな有崎」
「何がだ?」
「俺の家なんか、朝起きても、俺の朝食だけが用意されてないからな」
「……え、マジで?」
「高校に上がってからは、夕食もない」
「……」
「小遣いは1ヶ月5000円……はっきり言って、ペット以下だぜ」
普段のあれは、金に対する執着じゃなくて必要に駆られての行為なのか……と、尚斗は頷き。
「宮坂、お前、苦労してるって言うか……よく、真面目に育ってるなあ…」
「はっはっはっ」
と、何でもないことのように、宮坂は笑い。
「まあ、有崎の場合は真面目にやるより先にやることはあると思うけどな」
「は?」
「有崎、お前あのちびっこにホワイトデーのお返ししたか?」
「いや、お返しも何も、あれだけ『勘違いしないでくださいね、義理ですから、義理。いや、むしろお情けですから』なんて念を押されたってのに、お返しなんか持って行ったら嫌な顔されるだけだろ?」
「あー、まーそーかもなー」
などと、妙に平板な口調で宮坂が同意する。
「つーか、そもそもあいつの連絡先やら、住所もしらねえよ……女子校の前で待ち構えてお返しってのも重いというか、ストーカー扱いで、警備員に捕まるのがオチだろ」
「……リアリストを通り越して、卑屈になってないか、有崎」
「宮坂」
「ん?」
「確かに彼女は欲しいけどな、俺と付き合って良かったと思ってくれる相手じゃなきゃ意味ねーんだよ。俺1人が浮かれるだけの関係なら、家でエロDVD見てるほうがマシっだつーの」
「…前に貸した女教師モノ、早く返せ」
「あれならとっくに佐竹に回したぞ?」
と、尚斗は立ち上がり……。
「じゃ、俺は帰るわ」
「んー、そっか…しゃあねえな」
と、宮坂はビルの壁に背を預けたまま手を振った。
そして、尚斗の背中が見えなくなってすぐに。
「はい、報酬」
と、物陰から現れて宮坂の胸にチョコパン2つを押しつける少女。
「毎度」
「……あの映画、そんなにつまらなかったですか?」
「自腹切って見たら、暴れてるね俺は」
「なるほど…まあ、地雷っぽい気配はありましたからね」
「ま、それはそれとして、ホワイトデーにお返しが無かったのはそういう理由らしいですぜ」
へっへっ、と揉み手をする宮坂から不穏な気配を感じたのか、少女はものすごい目つきで宮坂をにらんだ。
「……余計なこと言ったら、社会的に消しますよ。冗談抜きで、出来ますからね?」
「はっはっはっ、こういう商売だから口は堅いぜ」
「とてもそうは見えないんですけどね」
「なのに、俺に依頼した……それは、精神的に追い詰められて…」
「うるさいです」
きっ、と宮坂をにらみつけ。
「勘違いしないでください。別に私は有崎さんのことが気になってるわけじゃなくて、あれから全然連絡もなくて、何かあったんじゃないかって……」
「ああ、なるほど」
「……あ、あんなにうっとうしいぐらい、色々と深入りしてきたくせに、いきなりいなくなって…しかもお返しにもやってこないなんておかしいじゃないですか?だからです、だからなんですからねっ」
「はいはい、わかってますとも」
「……」
「わかってます、わかってます……お嬢様女子校の才媛が、吹きだまり男子校の落ちこぼれを気にかけるなんて事は…」
どむっ。
「……いや、その……客観的に見れば…」
「勉強が出来る出来ないで、人間の価値は決まりません……びーだ」
あっかんべーをかまして、すたたたと駆けていく少女。
腹を押さえたまま、宮坂はそれを見送り……邪悪な微笑み(笑)を浮かべる。
「くっくっくっ……有崎とちびっこがうまくいけば、自動的に俺も女子校とつながりを持てるわけだし……また、一稼ぎできるぜえ…」
宮坂はどこまで行っても宮坂だった……が。
「にしても……ハリネズミみたいに、全身針だらけだったのが、随分と隙だらけになっちまってまあ…」
と、宮坂は指先でちょっと前髪をいじくり。
「……さて、我が親友はろりこんの称号を無事手に入れることができるのかね」
がやがや、ざわざわ。
壁にもたれて人波を眺めながら……尚斗はコンビニで買った菓子パンをかじった。
宮坂にはああ言ったが、家に早く帰ると母親に邪魔者扱いされるというか……そのくせ、自分を捕まえてはぐちぐちと説教ともつかぬお小言を垂れ流すのだから始末に負えない。
春休みの平日。
道行く人の大半はスーツ姿で、明るい表情を浮かべているのは決まって休日を満喫しているであろう若い学生ばかり。
ちょこまか。
「ん?」
今、人波の間に何か…。
と、尚斗はちょっと目をこらした。
ちょこちょこ、まかまか。
見え隠れする赤いリボンはともかく、見覚えがありすぎる髪型というか…。
噂をすれば影とは言うが……と、尚斗はそちらに近づいていき。
「よ」
「え?」
と、声をかけられた少女はびっくりしたように振り返り。
「けだものさんが、人里まで下りてきて何の用ですか」
「かわらねえなあ、その毒舌」
「毒舌と言われましても、私は事実を述べているだけですし」
「ああ、はいはい……つーか、久しぶりだな、元気だったか」
「見てわかりませんか」
「んー、お前は結構意地っ張りだからな…一見しただけだと、ごまかされるというか」
「だ、誰が意地っ張りですか…」
「夕日に照らされる公園で1人、ブランコを」
「わーわーわー、言うなですーっ!」
「わははは…?」
周囲の視線、浴びまくり。
「……場所変えますか」
「そうだな…」
こそこそ。
「あ、というか…時間は大丈夫なのか?お前、忙しいもんな」
「時間はありますけど……時間があれば、親しく話し込むような関係でしたか、私と有崎さんは」
「こーひーみるくぐらいなら、おごってやってもいいぞ」
「モノでつるという発想が不愉快ですね……」
と、結花は尚斗が持っている菓子パンに目を向け。
「それ、昼食ですか?」
「ん、ああ…そんな感じ」
「私、昼食まだなんです」
「昼飯おごれってか?」
なんて図々しい……という言葉を呑みこませたのは、先の宮坂との会話だった。
『お前、ホワイトデーにお返ししたか?』
「ん、あー……そういや、義理チョコって言うか、お情けチョコもらったままだったな」
「……ああ、そんなこともありましたね」
などと、完全に忘れてましたといわんばかりの態度に、尚斗は心の中で宮坂を罵倒した。
「しかし、昼食と言ってもな…ファストフードは、どこもいっぱいだったぞ」
ほれ、この結果がこれだ……と、尚斗は菓子パンをちょっと持ち上げた。
「昼食イコール、ファストフードですか…」
「そっか、お前は反対にファストフードなんかは利用しないか」
「別に、そういうわけじゃないですけどね…お嬢様学校とか言われても、本当にお嬢様なのは、ごく一部ですよ」
「多分、お前の考えてる一般家庭と、俺の考えてる一般家庭の間には、深くて大きな川が流れていると思うぞ」
「……さっきから、お前お前って、ちょっと失礼じゃないですかね、有崎さん」
『有崎さん』の部分に妙なアクセントをつけて。
「いや、ちびっこって言ったら怒るじゃん、お前」
「名前っ、ちゃんと名前ありますからっ」
きーきー。
「ああ、はいはい、入谷……さん」
「よろしい」
えへん、と胸を張る仕草がいつになく子供っぽくて可愛らしく、尚斗はつい口元を緩ませた。
『ろ・り・こ・ん』
「いや、断じて違うぞっ」
「な、何ですか、いきなりっ?」
「いや、すまん…今ちょっと馬鹿の呪いが…」
と、こめかみを押さえて首を振る尚斗を見て、結花は心配そうに声をかける。
「なんか、疲れてるんですか?」
「いや、そういうわけでは…」
と、もう一度首を振り……。
こいつは16歳,こいつは16歳……と、呪いを封じる言葉を心の中で呟く尚斗。
「別におごれとは言いませんから、せめてファミレスでも…」
「いや、だから時間帯が時間帯だけに、ファミレスも人でいっぱいだっての」
おいおい、既に昼飯を一緒に食うのはデフォルトなのか……などと、ツッコミをいれる存在もなく。
「ここらへん、オフィス街でもあるからな……平日の昼時は戦場だぞ」
「詳しいですね」
「まあ、俺にとっちゃここは地元みたいなもんだ……つーか、最近はコンビニの買い物袋ぶら下げたサラリーマンやら、OLがやたら目につくんで、気が滅入るけどな」
「……?」
結花の疑問の視線を受けて。
「忙しいからって理由もあるんだろうけど……なんか、働いてる人間にはちゃんとした飯を食って欲しいと思うんだな、俺は」
「……色々、真面目なこと考えてるんですね」
「いや、そうじゃなくて……なんつーか、自分が働くときの夢がないって言うか」
「……?」
「今は親から小遣いもらって…まあ、欲しいモノやらあれこれ考えてやりくりしてるわけだけど、自分で働き出したら、少なくとも今よりもっと金が自由になるはずなのに……食費を切り詰めなきゃいけないとしたら…ちょっとなあ」
がしがしと頭をかき。
「最近、夜の電車とか乗ってもなあ……昔と違って、ほろ酔いのサラリーマンなんてほとんど見なくなったし。難しいことはわからないけど、そういう余裕が世の中から無くなってきたって事じゃねえの?」
「……夜の電車って、有崎さんの家、門限とか無いんですか?」
夜遊びじゃなくて、バイトだからな……などと言い訳するのも嘘くさいような気がしたので、『あるような、ないような』…などと曖昧に答えつつ、尚斗はビルに囲まれた狭くて高い空を見上げた。
「……話の流れを考えると、有崎さんは私に豪華な昼食をおごってくれるという事でしょうか?」
「ものすごく、都合の良い解釈だな、おい」
「冗談ですよ……義理以下の、お情けチョコにお返しを求めようとは思ってませんでしたから」
「……」
結花の言葉に微妙なとげを感じて……尚斗は話題の変換を試みた。
「そういや、ちび…」
ぎろり。
「入谷…さんは、このあたりに詳しいってわけじゃなさそうだけど…何の用事があったんだ?」
結花はちょっとため息をつき。
「さん付けになれてなくて呼びにくいなら、入谷で結構です」
「ん、それは助かる」
尚斗はちょっと笑った……が、結花が質問に答えなかったことには気付かなかった。
そしてしばらく、2人はとりとめのない会話を続け。
「……さて、そろそろ」
「え、まだいいじゃないですか」
と、結花が尚斗の袖をつかんだ。
「いや、1時も回ったし、そろそろファミレスに行こうかって…?」
「えっ…」
かかかかかかっと、結花の顔が紅く染まり、つかんだ袖を慌てて放す。
「ちっ、違いますよっ。これは別に、このまま話をしていたいとかじゃなくて…そうっ、もう少し時間に余裕を見て、行った方が確実に込んでないって事ですからねっ」
「あぁ、それもそうか」
と、尚斗が軽く素で流す。(笑)
「でも、本当に時間大丈夫か…俺は暇人だからいいけど」
「ひ、暇だから有崎さんなんかと、話してるんです…余計な気を遣わなくても大丈夫ですっ」
「そっか、良かったな」
「な、何がですかっ?」
「いや、お前ってものすごく忙しそうだったからさ…こんな風にのんびりする時間があって良かったなあと思ってな」
ぽんぽん、と結花の頭を軽く叩き。
「春休みだもんな……宿題はでねえし、学生の特権というか」
別の意味で顔を赤くして、結花が、珍しく素直に頭を下げた。
「……あ、あ、ありがとう…ございます、心配してくれて…」
「ん、ま、まあ…な」
「……それでは、ご注文お決まりでしたらこちらのボタンを押してください」
ぺこっと頭を下げ、ウエイトレスがその場を離れてすぐ。
「……なんか、失礼な事を考えられた気がするです」
「んー、気のせい……と、言いたいが、確かに妙な目つきで見られたな」
そう言って尚斗はメニューを取り、結花が見やすいように開いた。
「ま、とりあえず決めようぜ」
「……なんで、あんな不愉快な目つきで見られなきゃいけませんか」
「こだわるなよ」
「こだわりますよ」
「まあ……仕方ないっちゃあ、仕方ないんじゃねえか?」
「何が仕方ないんですかっ」
まあ、ちょっと落ち着けよ…と、手で制しつつ。
「だって、お前ってめちゃくちゃ可愛いだろ」
「……」
「いや、真面目な話」
「……」
「あれ、まさか自覚ねえのか?正直、すれ違った相手が振り返るレベルだと思うぞ、俺は」
「な、ななな、何ですかいきなりっ?」
顔を真っ赤にして結花が立ち上がる。
「っていうか、それが何で、妙な目で見られる話しにつながりますかっ」
「いや、だから……絶対俺とは兄妹には見られねえって事」
「は?」
「よーするに、俺とお前がどういう関係か想像がつかなくて、色々と考えちまうんじゃねえかって言いたいわけだが」
「か、かかか関係って…それは…別に…」
もじもじもじ……。
恥ずかしそうに下を向いていた結花だったが、何かに気付いたようにはっと顔を上げた。
「兄妹って、どういう意味ですかっ」
「あー、そればっかりはあきらめろ。どう考えたって、俺とお前が1つ違いには見えん」
「と、年上ぶるなです」
「年上ぶるなと言われても…」
「わ、私、今日17歳になったんですからね、有崎さんと同い年ですよ」
まいったか、と結花が胸を張る。
「え、マジで?お前、今日が誕生日なの?」
「こんなことで、嘘言ってどうしますか…」
「そっか、4月生まれか……って、今日は2日だぞ、おい」
「2日ですよ、それが一体…」
「いや、1日早かったら…俺と同学年だったってことじゃん」
「……そうですよ、だから年上ぶるなって言ってるんです」
「へえ…じゃあ、俺たちが女子校に間借りしてたときに、同じクラスになってた…なんて事もあり得たんだな」
「まあ…そうですね」
尚斗はちょっと笑い。
「だったら、いきなりタックル…なんて出会いじゃなかった可能性もあるのか。席が隣同士になって名乗りあったりとか」
「そんな小説やドラマみたいな…」
「いや、俺は有崎だし、お前は入谷だろ?アイウエオ順の席の順番だったら、かなり確率高いぜ」
「……言われてみれば、そうかも…ですね」
同じクラス、隣の席……そんな他愛もない想像が、何故か結花の心を浮き立たせて。
「でも、それだと、こんなとこで飯を食ってなかった可能性が高いな、多分」
「それは…」
結花はちょっと考えて。
「そうですね、そうかもしれません」
と、頷いた。
「さて、そろそろ決めようぜ…さっきから、ウエイトレスが『さっさと決めろや、おらぁっ』な視線でこっちにプレッシャーかけてきてるから」
「つくづく失礼な接客ですね…」
「まあ、誕生祝いというか……安上がりで申し訳ないが食後のデザートもつけてやろう」
「あ、いや、催促したわけじゃ…」
「気にすんな…つーか、いーじゃん、誕生日。祝わせろよ」
「祝わせろって…」
結花はクスッと笑い……尚斗の目を見つめながら。
「ほんと、有崎さんって…」
「……」
「……」
「おい、続きが気になるんだが?」
「お、おせっかいですよね」
そう呟き、目をそらす。
「言葉の使い方、おかしくね?」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとメニュー決めますよ……デザート含めて、1500円が、許容範囲ってとこですか?」
「ん、あぁ……そのぐらいにしてくれると助かる」
苦笑混じりに同意する尚斗にちらっと目を向けて。
「大丈夫ですよ、私、小食ですから」
ウエイトレスに注文を告げてから、尚斗は立ち上がった。
「悪ぃ、ちょっとトイレ」
「……」
「別に逃げねえよ…モノ質として、財布置いていこうか?」
「いや、そういう意味じゃなくてですね……ま、いいです、別に」
ぷいっと、結花がそっぽを向く。
直接的な表現がまずかったか……と、尚斗はちょっと考えて。
「……えっと、録音はいります、とか?」
「とっとと、行けってんです」
「あー」
顔を洗い、鏡を見つめ。
「……まあ、気取ったところで、2枚目になれないのは百も承知だが」
口元の微妙な緩みが、無性に気にかかる。
限りなく平静さを装っているつもりではあるのだが、少女と2人で時間を過ごすというのがなんというか、思春期の少年の心の柔らかい部分をむやみやたらと刺激するわけで。
「つーか、『お前って、めちゃめちゃ可愛いだろ』とか、とんでもなく恥ずかしいこと口にしたぞ俺…」
いや、それが間違っているとは決して思わないのだが。
『ろ・り・こ・ん』
「うるせえ」
馬鹿の呪いを振り払うべく、濡れた手を振り回す。
「可愛いモノは、可愛いんだから仕方ねえじゃねえかよ……」
『ろりこん』とかそういうのを気にして、自分の中の何かを無理矢理ねじ曲げる方が間違っている、うん、そうだ、そうだよな……などと、自分に言い聞かせる。
「つーか……無防備だよな、あいつ」
誕生祝いとか理由はさておき、男と2人で飯を食う……なんて事を、意識したりはしないのか。
「……じゃなくて、眼中にないっていうか、意識する以前の問題か」
そりゃそうだ……と、悲しい諦念と共に、尚斗は小さく頷いた。
そうして、尚斗がトイレから戻ると、今度は結花が立ち上がる。
「ん?」
「申し訳ありません、少し化粧直しなどを…おほほほ」
などと、やや芝居じみた仕草と口調で結花。
「お前、そんなに可愛いのに化粧なんかしなくても…」
ごつっ。
「レディに、何を言わせるつもりですか?」
「あ、うん…悪かった…行ってらっしゃい」
ぱたん。
ぶわっ。
「な、何言うですかっ、何言うですかっ、いきなりなんてこと言うですかっ…あの人」
発汗と共に、文字通り真っ赤になった顔を両手で覆う結花。
「か、可愛いって、可愛いって…そりゃ、いろんな人に言われますけどっ…」
他の人の言う『可愛い』と、あの少年が言う『可愛い』は、何かが違う。
「……って、こんな顔見せられないですっ」
と、慌ててザブザブと顔を洗い……鏡を見て、チェックする。
「だ、大丈夫ですよね…どこも、おかしくないですよね?」
そして、深呼吸。
バレンタイン公演……主役として舞台に立ったときと同じように、心を落ち着かせてから、もう一度鏡を見る。
何も難しいことはない……いつもの自分を、演じるだけ。
何故、いつも通りの自分を演じなければいけないのか……そこから、目を背けているだけなのか、それとも気がついていないだけなのか。(笑)
「……すまん、口に合わなかったか?」
「え、な、何がですか?」
「いや、なんか難しそうな顔をして食ってるから」
「そ、そういうわけじゃ…それを言うなら、有崎さんだってさっきから、窓の外に目をやってばかりじゃないですか」
「あ、いや…じっと見られてると、気にするかなって…」
窓の外に目を向けてないと、ずっと結花のことを見つめてしまいそうだから……などと言えるはずもなく。
「……用事があるから、さっさと帰りたい…とか?」
「用事があるなら、そもそも街でぶらぶらしてねえって」
「そ、そうじゃなくて…そうじゃなくてですね…」
自分と一緒にいて、つまらなくないですか……そんな直接的な言葉を口にすることが出来るはずもなく。
微妙な沈黙。
「あ、あの…」「あのよ…」
しばらくお互いを見つめ、先に立ち直ったのは尚斗の方だった。
「何だ?」
「あ、いえ…その…なんか、あったんですか?」
「えーと?」
そりゃどういう意味だ、と首をかしげる尚斗。
「いえ、ですからその…なんか、最初の頃は…有崎さんって、私と話すときはけんか腰だったじゃないですか……それが特に今日は…その、別にそれが悪いとは言ってませんけど…妙に優しいというか」
「いや、けんか腰も何も、そもそもお前の方から突っかかって…」
「な、何言ってますか。あれは有崎さんが…」
「いきなりタックル食らわされて、けだものだの、害虫だの…」
と、指を折りつつ、尚斗が例を挙げていくと……結花の口が静かに閉じた。
そんな結花を見て、尚斗はちょっと苦笑し。
「いや、別に気にしてないけどな……つーか、男子校の連中全員がそうかと言われるとあれだけど、俺個人に関して言えば、そういうこと言われても仕方ないかとも思うし」
「そ、そんなことないですっ」
「……」
「そりゃ、私も最初は…その、色々言いましたけど…あ、あんまりですね…卑屈になる必要はないと思います」
「卑屈になるなって言われてもな…」
ぽり、と指先で頬をひっかき。
「んじゃ、俺って頭良いと思うか?」
「……えっと、どちらかというとダメじゃないかと」
「格好良くもないよな?」
「まあ、良くて三枚目ですね」
「……」
「……」
「ダメじゃん…」
「人の価値って、それだけで決まるものじゃないですっ」
「いや、そうはいってもな…」
「有崎さんは、お節介って言うか、優しいじゃないですか…演劇部のことで色々動き回ってくれて……その、感謝してるんですよ、私」
「……っ」
「ま、真面目に話してるのに、なんで目をそらすんですかっ?」
「い、いや、だからその……」
そんな風に至近距離から見つめられると照れるんだっつーの……と口にするわけにもいかず、尚斗は言葉を探す。
「だ、だからだな……人に優しくするとか、助けてやるなんてのは、誰にだって出来ることだろ?」
「……」
「勉強やスポーツって、努力すれば誰もが天才になったりヒーローになったりするもんじゃねえじゃん……でも、大げさな意味じゃなくて誰かを助けたりするのって、ただそう決めて実行するだけじゃねえか……俺がお前や夏樹さんに対して色々したのは、その、誰にだって出来る些細なことに過ぎないわけで…」
「……」
「だから…その、なんだ…お前はすごいんだよ」
「……」
「……えっと、そういうわけだ」
なにがどう、一体、どういうわけなのか……自分にもわからない言葉を吐き出して、尚斗はちらりと結花を見た。
「……自分では、わからないことなのかも知れませんね」
「は?」
不思議そうな表情の尚斗に向かって、結花は柔らかく微笑み。
「今日は、良い日になりました」
「はい?」
「お礼と言っては何ですが、私の連絡先を教えてあげます」
「へ?」
「電話は夜の9時から10時までの間、メールはお昼休みも許可します…ほら、有崎さんも携帯出してください」
「え、あぁ…いや、えっと…?」
「一学年下ですけど、私、もう高校の授業内容は把握してますので、勉強に関しては多少有崎さんのお手伝いが出来ると思います」
「え、いや、お手伝いって…」
「進学するつもり……ですよね?」
「それは、そう…なんだが」
結花はにっこりと、ただし妙に迫力のある笑いを浮かべて。
「有崎さんに親切にしたり、助けたりすることは、誰にだって出来ることなんですよね……私さえ、そう決めたのなら」
「は、はぁ?」
「決めましたから」
「えっと、よくわからんが、決めたのか?」
「じゃあ、手始めに1つ…『情けは人のためならず』という言葉の意味を答えなさい」
「え、えっと……誰かを助けることは、かえってその人のためにならないこともある?」
「ぶぶー……って、わかってて間違えてますか?」
ずいっと、身を乗り出し、結花が尚斗を見つめる。
「うわっ」
「人と話してるときに、目をそらすな、です」
「いや、だから…」
顔の熱さを自覚しつつ、尚斗が結花を見る……と、結花の顔も、ほんのりと色づいていて。
「これから、その言葉の意味を学ばせてあげます……ゆっくりと、ですけど」
完
もじもじのまま、ダラダラ続けようと思ったら、予想以上にダラダラ続きそうだったので……いや、それがものすごく楽しそうだったから、無理矢理終わる。(笑)
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