たったったったっ…。
 人波を縫うようにして、少女がかけていく。
 こんな人混みで何を考えてやがる……と、文句の1つも出てきそうなもんだが、少女とすれ違い、振り返る人間に浮かぶ表情はおおむね好意的。
 何故、を問うのは野暮だろう。
 それは多分、少女にとっても、あまり楽しくない理由であるだろうから。
 
「お、きたきた…」
 たったったっ…。
 少女は、待ち合わせの相手であるらしい少年の少し前で顔を上げて勢いを殺し、行き過ぎることもなく、ぴったり足を止めた。
「はー、はー、はー…お、お待たせ…はー、はー、しました…はー、はー」
「いや、いいからまず落ち着け…つーか、息を整えろ」
「はい…はー、すみません…はー…はー」
 二度、三度、と、少女は大きく深呼吸……で、落ち着くはずもなく。
「遅れる、って連絡はよこしたんだし、わざわざ駅からここまで全力疾走しなくても、いいだろうがよ…」
「はー、はー、はー」
 荒い呼吸を繰り返しながら、少女は、少年を見上げた。
「はいはい、そういうわけにはいかないって言うんだろ…」
 少年はハンカチを取り出して、少女の額ににじみ始めた汗をぬぐってやった。
「つーか、呼吸が整ったら、お前、そこのコンビニのトイレ借りて、身体の汗拭いてこい。春とは言え、まだ3月なんだからな…」
 こくっと、少女が頷いた。
 荒い呼吸は、まだ続いている。
「はー、ふー、はー、ふー…」
 少年は、変わらず額の汗を拭いてやりながら、ぱたぱたと少女の首筋に風を送る。
 その光景は、まさに、面倒見の良い、お兄さんと妹の…
「うるさいです」
「は?」
「あ、いえ…なんとなくです…ふー」
 少女はちょっと頷き、少年に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、ちょっと時間をもらいますから…」
「ああ、別に慌てなくていいぞ」
 てててっ。
「だから、走んなっての…」
 
「本当にすみ…」
 コンビニから戻ってきて、もう一度下げようとした結花の頭をがしっとつかみ。
「もういいっつってんだろ」
 ぐぐぐぐぐ…。
 無言の攻防が数秒続いたが、結花が素直に退いた。
「わかりました」
「つーかな」
「?」
「最初のウチだけかもしんねーけど、お前を、こうして待ってる時間って悪くない」
「そ、そーですか…」
「まあ、遅れるって、連絡くれたしな……お前が来るのを、純粋に待てたって言うか…楽しかったわ、マジで」
「……」
「……なんだよ?」
 結花が、恥ずかしげにちょっと俯いて。
「あ、有崎さんって、時々…そういう嘘をつくじゃないですか。ほどほどにしないと、私、何度も遅刻するようになりますからね…」
「俺と違って、ちびっこが…」
 尚斗が慌てて口元を押さえた……が。
「ペナルティ」
 と、結花は、ちゃんと聞いていたようで。
「……今日の結花さんは、ひときわ綺麗だね」
「心がこもってません」
「綺麗じゃなくて、可愛いなら、ものすごく心を込めて言ってやる」
 結花はつーんと、そっぽを向いて。
「有崎さんの言う『可愛い』は、なんか、素直に受け取りづらいんです」
「被害妄想じゃねえの?」
「わんすもあ、ぷりーず」
 しゃーねえなあ、と、尚斗は表情を引き締め。
 尚斗がその手を取ると、そっぽを向いていた結花はちらりと横目で尚斗を見てから、顔の向きをあらためた。
 その、見上げてくる結花の目をじっと目を見つめ。
「今日の結花は、とても綺麗だ…」
「……まあ、いいでしょう」
 目を逸らしもせず、結花がオッケーを出した。
「……こういう言葉って、連発してると、安くなる気がするんだが」
「安くさせないでください」
「ごもっとも」
「じゃあ…あらためて」
 結花は、ちょっと笑って。
「お待たせしました、有崎さん」
「そこまで、あらためるのかよ…」
 
 3月末、世界は……いや、2人は平和だった。
 
 陽が沈む前に結花とのデートを終え、尚斗は健康的(笑)に帰宅する。
「ただいま…」
 まあ、返事がないのはいつものこと。
 だが、そのまま階段を上ろうとした尚斗に、母親ではなく、父親の声がとんだ。
「尚斗、こっちにきてちょっと座れ」
「……?」
 はて、何だろう……と首をかしげながら、尚斗は声がした居間の方へ。
「おわ」
 父親、母親、姉、の家族勢揃い。
「なに、なんかあったの?」
「いいから座れ」
 座れったって…。
 居間のソファーセットは、3人が座れる大きなソファーが1つに、1人がけのソファーが2つ。
 大きなソファーの中央に父親。
 左のソファーに母親。
 右のソファーに姉。
 まあ、父親の隣に座れる流れというか、雰囲気じゃねえよなあ……と、尚斗は父親と向かい合う、テレビの前に腰を下ろした。
「……で?」
 尚斗が水を向ける……と、何故か父親と母親が、困惑したように目を逸らす。
 なんだそりゃ、と思ったが、別の意味で気になって仕方がない。
「姉ちゃん、なんだよ、これ?」
「んー、いや、まあ…なんていうかさ」
「んだよ、俺が何かやったってのか?さっさと言えよ」
「んじゃ、単刀直入に聞くけど。尚斗、アンタ、彼女とか出来た?」
「……まあ、うん」
 別に隠すことじゃないけど、家族に知られるのって気恥ずかしいよなあ……などと思いつつ、尚斗は同意したのだが。
「……だってさ」
 と、姉が父親と母親に目を向けた瞬間。
「う、ううっ…うわあぁぁ…」
 ちゃんと節度のあるお付き合いをしなさいだの、もしくはからかいの言葉でも飛んで来るのかと思いきや、いきなり母親が泣き出したのである。
 いや、泣き出すというか、号泣?
「な、なになになに、何がどうしたってんだよ?」
 つーか、その、『お前のせいじゃない』的に、母親の背中に手を置く父親の反応は一体何なんだ?
 母親が落ち着く(小康状態)まで30分、尚斗は、なんともいたたまれない状況で、わけもわからず放置されたのだった。
 
「……は?」
「だから、近所の野田さんが、その…見たんだそうだ。お前が、小学生の女の子と仲良くしてるところを」
「……えーと、それはつまり」
 なんとなく、尚斗が姉に視線を向ける。
「アンタが、人の道を踏み外したんじゃないかと」
 曖昧な笑みを浮かべた姉の言葉と同時に、再び母が嗚咽を始めた。
「あーもー、お母さんったら……大丈夫だって言ってるでしょ」
「……やや複雑だが、一応礼は言っとくぞ、ねーちゃん」
「まあね」
 と、姉は頷き。
「尚斗の部屋色々さがしてみたけど、そういう、ロリっぽい本はこれぽっちも見つからなかったし…」
「待ていっ!」
 信じてねえ、俺のこと全然信じてねえよ、このくそ姉貴!
「……っていうか、尚斗。アンタ、金髪好き?」
「うがぁーっ」
「英語もできないくせに、夢見てんじゃないわよ。身の程を知れっての」
「ねーちゃんだって、ハリウッド俳優に目をきらきらさせてたじゃねえかよっ」
「アタシ努力したもん。英語だってぺらぺらよ、ほほほ…」
 姉弟の醜い言い争いに、父親は頭を抱え、母親は泣き続けていたり。(笑)
 
 そして、サードステージに移り。
 
「だから、見た目は小学生に見えるかもしれんが、俺の1つ下だって言ってるだろ」
「お前の1つ下ってことは、今度高校2年になるって事か…」
「そうだよ」
 父親はふーと、ため息をつき。
「そんな嘘でごまかせると持ってるのか?」
「だから、嘘じゃねえって言ってるだろ」
「最近の子供は成長が早いからな、高校生と間違えるような小学生はいても…」
「逆だっているっての」
 などと、父親と尚斗は言い争い……母親は泣き続ける。
 つまるところ、両親はこれっぽっちも、尚斗の言うことを信用していない。
「つーか、尚斗」
「んだよ」
「その、アンタのいう彼女って、そこの女子校の娘なんでしょ?」
「そうだよ」
「はっ」
 肩をすくめ、鼻で笑う尚斗の姉。
 どうやら、姉は姉で、尚斗のことを、これぽっちも信用していないのは明らか。
「そうだぞ、尚斗……お前みたいなやつを、あの女子校の生徒が相手にするはずがないだろう」
「そこまで言うのかよ」
「だいたい、あの男子校に通ってるってだけで、肩身の狭い思いをしているってのに…」
 父親の舌打ちを機に、また母親が泣く。
 つまり、客観的に言うと、この親子というか家族、話し合いそのものが無駄なのだ。
「ちっ」
 遅まきながらそれに気づいた尚斗が舌打ちして立ち上がると、『まだ話は終わっていない』などと、父親が怒り出すのだから、もう、救いがない。
 しかしまあ、案ずるには及ばない。
 これは、どこにでもある家族の姿なのだから。
 
「てい」
「ぐおっ」
 いわゆる弁慶の泣き所を蹴られ、しゃがみ込む尚斗。
「な、何…を?」
「いや、何か仏頂面して、不愉快でしたから」
「あ、ああ、すまん」
 尚斗は痛みをこらえて立ち上がり、ぺちぺちと自分の頬を叩いて気分を切り替えようとした。
「……」
「よし……悪かったな、この前、ちょっと不愉快なことがあってな。もう、大丈夫だ」
「……」
 結花は、尚斗の顔を見つめ……右足を大きく振り上げた。
「いや、待て待て待て」
 あわてて距離をとった尚斗に、結花はため息をついて。
「あのですね。何が不愉快かって、何があったのか話してくれないことですよ」
「むう」
「つきあってるんですよね、私たち」
「そうだな、初めて会ったときは想像もしてなかったが」
「それは、こっちもです」
 尚斗と結花は、ちょっと見つめ合い……耐えかねたのか、いきなり笑い出した。
「いや、マジで…なんで、こんな事になってんだか、俺ら」
「だから、それはこっちの台詞ですってば」
「いやいや、お前は可愛いから、おかしくないんだ。相手が俺って事をのぞけばっつーか、俺が、こうして誰かと一緒にいるってのが、そもそも変」
「そ、そんなこと…無いです」
 と、どこか照れたようにうつむく結花に。
「マジで可愛いっつーの」
 ぐーり、ぐりぐり。
「ちょっ、ちょっと…やめてくださいってば」
 嫌がると言うよりは、恥ずかしげに……結花は、頭をなでる尚斗の手をはずした。
「で、話を戻しますけど、何があったんですか?」
「むう」
「いや、むう、じゃないです」
「んーと…」
 ぼりぼりぼり。
「正直に話すと、たぶん、お前の機嫌が悪くなるんだが」
「そういう思いやりとか優しさの存在は認めます。でも、私は、話してくれることを望みますので」
「……強いよなあ、お前」
 結花は、その小さな手で尚斗の手を握り。
「正直に話すと私の機嫌が悪くなるって事は、私にも関係することですよね?」
「ん、まあ…」
「ただ相手に迎合するだけのおつきあいなんてまっぴらですし、有崎さん自身の問題に対して常に私の意見を聞け、なんて言いませんから」
 結花は、尚斗の手を握っていた手とは逆のもう一方の手を、そこに重ねて。
「私に関わりのある問題なら1人で考えず、2人で考えませんか?」
「……たぶん、お前が考えてるような、真面目な話じゃないんだがな…」
 と、尚斗は呟き。
「その前に……頭なでていいか?」
「やです」
「ふむ」
 尚斗はちょっと考え。
「……今度、俺の家に来てくれないか」
「……」
「……」
 2人の間の沈黙には、温度差があった。
「ま、まだ…早くないですか」
「いや、早いも何も……」
 尚斗は、顔を真っ赤にしている結花を見て、自分が結論を急ぎすぎた事に気がついた。
「いや、違う。そーじゃない」
「べ、別に…男の人は、そういうのしたがるって聞いてますから…」
「待て、俺の話を聞いてくれ。説明する、ちゃんと説明するから」
 
「てい」
「ぐおっ」
 足を抱えてしゃがみ込む尚斗。
「お、俺のせいか…?」
「仕方ないじゃないですか、有崎さんの足ぐらいしか蹴るものがなかったんですから」
「むう、それは仕方ない…のか?」
「……それにしても、小学生の女の子ですか。見くびられたものですね」
「外見についてはノーコメントで1つお願いしたい」
「てい」
「……すまん」
「いいですよ別に…自分でもわかってますから」
 つーんとそっぽを向き。
「行きますよ、行って、私がちゃんと有崎さんとおつきあいしてるって挨拶すればいいんですよね」
「……嫌ならいい。お前に不愉快な思いをさせてま…」
「連れてこいって言われてるんですよね?」
「いや、そんなことは…」
 結花は大きくため息をつき。
「言われたんですよね…だから、下心もなくそういう言葉が出てきた」
「……はい」
「ご心配なく」
 結花は、微かに笑みさえ浮かべて。
「この、入谷結花……見事、有崎さんのご家族の思い違いを訂正させてみせましょう」
「……」
 盛り上がるというか、妙に力みかえっている結花の姿に、微妙な不安を感じた尚斗だった。
 
 そして、4月2日(火)。
 
 本当は、父親のいる日曜が良かったのだが、結花の都合が悪かったので、まあ、母親を納得させれば同じ事だよなと、この日を迎えたわけだが。
「……」
「言いたいことがあったらはっきり言ったらどうです?」
「いや、あのさ、結花ちゃんさんよ」
「な、なんですか、結花ちゃんさんって、また珍妙な呼び方を」
「今日の趣旨…わかってる?」
「これだから素人は」
 いや、何の素人だよ…と、尚斗の心の中のツッコミをよそに、結花が解説を始めた。
「私の外見が幼く見えるのは、これは悲しいけど事実ですから、そこから目を背けるのはいけないんです」
「ん、まあ…」
「ここで無理に、背伸びして大人っぽい服装なんか着たら、逆効果なんです……見た目はこうでも、洗練された大人の対応はできますからね」
「……?」
 はて、と首を傾げた尚斗に、結花はやれやれといった感じで首を振り。
「……わかりやすく言うと、ぴしっとスーツで決めた女性が、子供っぽい行動をとると、すごい違和感を覚えますよね」
「あ、ああ、そりゃ…まあな」
「つまり、その逆をねらうんです……見た目は子供っぽいのに、きちっと礼儀正しく、有崎さんのご両親に接すれば、これは反対に、大人のベクトルに認識が向かうわけです」
「えっと、子供なのにしっかりしてる…とか?」
「そこまではっきり言うなです」
 げし。
「……すまん」
「表現を飾って、曖昧な物言いに変換するのは、現代社会の必須スキルですよ」
「うー、そーなのか…」
 そう返しつつも……尚斗は微妙な不安を拭えずにいた。
 その作戦は、そのまま単純に結花が『しっかりした子供』としか受け取られるだけのような……とまでは言わないが。
「……学生証と、中学校の卒業アルバムは持ってきましたけどね、念のため」
「なるほど…」
 そりゃそうだ、こいつが俺の気づくことに気づかないわけないしな……と、尚斗は頷き。
「んじゃ……俺ん家まで、案内するわ」
「は、はい…」
 ぎく、しゃく…。
「…結花、お前いつから手と足を一緒に動かして歩くようになった?」
「な、何言ってるですか」
 ほら、ちゃんと見てくださいよ…と、歩き出した結花自身が、うわ、ほんとだ、などと驚いたりする始末。
「……」
 尚斗は……結花の家を訪れ、その母親に挨拶する自分を想像してみた。
「やべえ」
 絶対冷静ではいられない……それは確実で。
「いや、父親よりはマシか?」
「あの…何考えてます?」
「いや、立場が逆になって、俺が結花の家に行くこと考えたら……想像だけで、すげえ緊張するな、と」
「……他人が慌ててる姿って、冷静さを取り戻させてくれますね」
「お役に立てて何よりだ……つーか、マジですまん。こんなことさせる羽目になって」
 頭を下げる尚斗に、結花はちょっと笑って。
「私たちまだ高校生で、そんな将来のことを語るのはばかげてるかもしれませんが……有崎さんが、お返ししてくれるのを楽しみに待ちますよ」
「うむ、今日の見返りは必ず…春休みのバイト代も下旬には振り込まれるはずだから、5月の連休は楽しみにしておいてくれ」
 手を合わせ、再び頭を下げた尚斗に……結花は、溜め息をついた。
「……こういう人ですよ、有崎さんは」
「え?」
「別に。何でもないです」
 
「初めまして、入谷結花と申します」
 うわ、女は女優だ……いや、こいつの場合、本当に女優だしな。
 感心しながら、尚斗は母親に視線を…。
「なに泣いてんだよっ!?」
 そして尚斗の姉が。
「どこの小学生、その子?」
「うがぁー!高校生だって言ってるだろっ!」
「うっ、うぅっ…お父さんに、なんて言えば…」
「ちゃんと、言ってくれよ!可愛い高校生のお嬢さんでしたよってさぁ!」
「うん、まあ、可愛いのは認めるけど」
 姉が、ぽんと尚斗の肩を叩き。
「これ、犯罪」
「おう、犯罪級に可愛いってか?」
「いや、年齢が」
「だーかーらー、高校生だって…」
 ぐい。
 結花の手が、尚斗の身体をつかんで。
「あの、私このような外見ですから、誤解されることも多くて……一応、中学の卒業アルバムなど持参しましたので、どうぞ」
 も、物静かだけど、すげー怒ってるぞ、これ。
 尚斗はドキドキしながら、母親と姉が卒業アルバムに目を通すのを待った。
「あら、えっと…これは…」
 母親の視線が、アルバムと結花を交互に。
「騙されちゃダメよ、お母さん。尚斗なら、ごまかすために、合成ぐらいはするから」
 と、姉はアルバムを指さし。
「ほら、ちゃんと見て……尚斗の話が正しければ、この結花ちゃん?は、中学を卒業してから1年経ってるって事なのよ」
「……」
 ね、わかるでしょ……と、姉が囁き。
「詰めが甘いわね、アンタも。1年前と今と、全く顔が変わってないじゃない」
 ぺし。
 いきなり、何の言葉もなく、結花が2人の前に学生証をたたきつけた。
 ぺらり。
「こんなの、写真を貼り付けただけの…」
 ぱん。
 うわ、健康保険証まで持ってきてやがったか。
「だから、こんなの何の証明にも」
「やべ」
 尚斗はきゅっと、結花の身体を抱きしめて……手で口をふさぐのも忘れない。
「んじゃ、何を言っても無駄って事じゃねえか」
 母親が、ちょっとまじめな顔をして。
「尚斗」
「なんだよ」
「おまえ、仮にその入谷さんが高校生でも、関係ないってこともわからないの?」
「はあ?」
 何言ってんだ、このババア?
「や、お母さん…あの男子校に通ってる尚斗に、そういうこと言っても無駄だってば」
「どういう意味だよ」
 尚斗が、姉を睨む。
「……アンタの学校、1人1人を見れば、それなりに真面目な子もいるんでしょうね」
「は、あったり前じゃねえか……別に、俺が真面目とは言わねえけど」
「……だから、どんな人間だろうと、あの男子校に通ってるってだけで、周囲の人間はみんなそろって、『ああ、あの学校の…』と、思うのよ。アンタがあの学校に通ってるってだけで、この家の人間が、どれだけ周囲から冷たい目で見られてるとか、自覚ないんでしょうね」
「……」
「それと一緒……その子が高校生でも、周囲はそう見ないの。『ほら、有崎さんところの息子さん、今度は…』なんて、おもしろおかしく噂を広めて、家族の肩身を狭めてくれるってわけ。そのぐらいの想像力もないから、アンタは馬鹿なのよ」
 尚斗の、血が冷えた。
 むしろ、なるほどね……と、冷静な自分を感じてさえいる。
 そっか、俺はそこまでこの家の人間に疎まれてましたか……うわあ、気づいてなかったよ、マジで。
 確かに、馬鹿だな、俺…。
 ぺし、ぺしぺしぺし。
「ん?」
 結花の身体を抱きしめることで、暴れるのを防いでいたのだが。
 手首の動きだけで、尚斗の太股をひたすら連打している。
 これはえっと、あれかな……俺を励まそうとしてくれてるのかな。
 冷めた心に、暖かい何かが投げ入れられた気がして、尚斗はほっとした。
「ありがとな」
 と、声をかけるためにちょっと顔を寄せた瞬間。
「っ!?」
 結花の頭突きを食らった。
 その次の瞬間には、結花は尚斗の腕から逃れ出ていて。
「ふ、ふざけたこと言うなですっ!」
 ばんっと、机を叩いて、2人を指さした。
「さっきから黙って聞いてれば、言いたい放題…(以下略)」
 母親と姉は羞恥と屈辱で、尚斗は照れで、顔を赤らめる長広舌。
 でも最後は、あっかんべーで終わる。(笑)
 子供なのか、大人なのか。
 そしてそのまま飛び出していく後ろ姿は……子供は子供でも、泣いている子供だった。
「……よう」
 母親と姉の視線が尚斗を向く。
「俺が悪く言われるのは仕方ねえ。それがよくわかった……でも、あいつのことを悪くは言うな」
 自分が悪く言われる……それは、自業自得だと、尚斗は思った。
 小学校、中学校、高校……と、自分が歩んできた道に対して、人は評価を下す。
 それは、当たり前のことで、怒るようなことではない。
 家族だからとか、それは所詮甘えで……いや、家族だからこそ、余計に迷惑をかけられた、という思いもまた、自然なモノだろう。
 結花と出会って2ヶ月半……出発地点はさておき、ちびっこが自分に対して抱く評価は、やはり2ヶ月半のものでしかない。
 たぶん、家族のことは裏切ったのだろう……それでも、いや、だからこそ、自分に好意を寄せ、自分のために怒ってくれたちびっこを、裏切るわけにはいかなかった。
 尚斗は、卒業アルバム、学生証に、保険証を抱えて。
「俺、高校出たら家を出るわ……悪いけど、それまでは我慢してくれよ。その後で、縁を切るなり、勝手にしてくれればいいから」
 そして、尚斗は結花の姿を探して家を出た。
 
「……公園が似合う女だよな、結花は」
「子供で悪かったですね」
「いや、子供で良かったっつーの」
 なんせ、1発目でちびっこの居場所を引き当てることができたのだから。
 ブランコに座ったまま背中を向けている結花の後ろに立って、尚斗は、ゆっくり、ゆっくりとブランコを揺らす。
「……」
「まずは、怒ってくれて礼を言う」
「は?」
「そんで…一応弁護させてくれ」
「やです」
「むう」
 姫様は、尚斗の想像以上にお怒りだった。
「自分の家族を、それも、恋人を初めて家に連れてきたってときに、悪し様に言うような連中の事は聞きたくないです」
「あー」
 そっちの方か…。
 尚斗は苦笑し。
「考えようによっては、結花のことを心配してくれたのではないかと」
「他人より、最初に家族のことを心配するのが家族じゃないですかっ!?」
「あ、はい…そうですね」
 正論は、言い返せないから正論なのである。
 はて、その定義に従うと……あの2人にとってもはや俺は、家族ではないということか。
 などと、尚斗はちょっと首を傾げ。
 なるほど、『縁を切るなり、勝手にしてくれ』などと尚斗の方が言うまでもなく、心の中ではとっくに縁を切られているのかもな……そんなことを考えた。
「ふむ」
 まあ、それはそれで気が楽ではあるのだが……たぶん、頭の中だけで切れないから縁なのだろう。
「……あの、何考えてますか?」
 地面を見つめたままだが、結花の意識が自分に向けられているのを感じる……それが、ひどく尚斗の心の柔らかい部分を刺激した。
「いや、なんというか……ちょっと、ぎゅーっと、抱きしめていいか?」
 ブランコの鎖を握る結花の手に力がこもったのがわかった。
「な、なんですか、いきなり?」
「いや、今なんか…すげー、結花のことがいとおしくなった」
「そ、そうですか…し、仕方ないですね…愛のない家庭で育ったようですから、たぶん、飢えてるんですね愛情に」
「俺が気づかなかっただけで、あったっつーの」
「……」
「結花も多少は知ってるだろうけど、俺は今まで色々とバカをやってきたからな……俺はバカだから気づかなかったけど、そのしわ寄せがたぶん、家族にいってたんだ」
 ぎゅーっと抱きしめたいのは山々だったが、鎖を握る結花の手がそれを諦めさせ……尚斗は、驚かせないように、ゆっくりとブランコの鎖を揺った。
「……多少じゃなく、結構知ってますよ」
「は?」
「じょにーさんや、椎名先輩からも、話は聞きましたし……中学校でどういうことやってたかとかも、色々調べましたから」
「むう…」
 きー、きー、と、ブランコの鎖が鳴る。
「有崎さんの後輩が1人、同級生にいますしね」
「誰……つっても、わかんねえか。同級生はともかく、先輩や後輩はほとんど覚えてねえし…」
「……」
「なんだよ、別につき合った彼女とかいなかったぞ……勉強できねえ、部活も真面目にやってねえとなると、騒がれもしないし」
「……後輩の間では、結構人気あったみたいですよ」
「え、マジで?」
「……」
「愛してるぞ、結花」
「なんか、その場限りの言葉っぽいですね」
 結花の視線は、相変わらず地面に向けられたまま。
「どーもな…『好き』とか『愛してる』って言葉は、俺の気持ちの一部分しか表現できないような気がして、微妙に違和感を感じるんだが」
「なるほど」
 結花は小さく頷き。
「確かに有崎さんは、言葉より行動を信じて生きてきたって感じがしますね」
「……そのあたりも、よくわからんが」
「普通は、『大丈夫?手を貸そうか?』などと声をかけてから手伝ってくれるのに、有崎さんは何も言わずに荷物を取り上げ、勝手に運んで、お礼を言わせずに姿を消すような人だったらしいですね」
「……お礼を言われるのって、気恥ずかしいじゃん」
 見れば困っているのはわかるんだから、『手伝おうか?』なんて声をかけるのも、男らしくない……などと考えていた頃が、尚斗にもあったのだ。
「許可ももらわず、勝手に手を貸しただけだから、礼なんかいらねえだろ?」
「……助けてもらったら、礼を言いたいんですよ。礼を言わせずに逃げるのは優しくないです」
「……なるほど、そういう考え方もあるか」
 と、尚斗は頷き。
「つまり、俺は優しくもなく勝手な人間って事だ……人気なんかあるわけねえ」
「べ、別に、ヤキモチやいてるわけじゃないですっ」
「……?」
 こいつ、何故こっちを向かない?
 そーっ。
「見るなですっ」
 鎖から手を放し、結花が手で顔を隠した。
 そっか……、と尚斗は小さくため息をついてから。
「……悪ぃ」
 ぎゅーっと、ではなく、そっと、結花を背後から抱きしめた。
「役者だな、結花は…」
 たぶん、ずっと泣いてたのだ……尚斗が姿を見つけるその前から。
「悪いですかっ」
「いや…別に」
「……」
「……」
 しばらくの間、何も言わずに2人はただそうしていた。
 つーか、この絵面って、やばくね?
 などと、尚斗が今の状態(ブランコに座って泣いている小さな女の子を、背後から抱きしめている男子高校生)に主を馳せた頃、結花がぽつりと呟いた。
「……今日、私誕生日だったんです」
「そ、そういうのは…できれば先に言って欲しかったが」
 何も用意してねえよ、と尚斗は心の中で呟く。
「……だから、今日を選んだんですけどね」
 結花の呟きに、尚斗は、あ、と口を開けた。
 親の誤解を解くために一度家に来てくれないか…お前の都合の良い日でいいから。
「……そっか」
 用事がある、ない、ではなく……17歳の誕生日に。
 ひとつ年をとった、と……それは、結花のコンプレックスにもつながる、大事なことだったに違いない。
 本当は、『私、子供じゃないですっ!』と叫びたかったのかも知れない。
 尚斗は言葉を探した。
 陳腐なその言葉に、ありったけの気持ちを込めて。
「17歳の誕生日、おめでとう、結花」
「……やればできるじゃないですか」
 尚斗は苦笑した。
 優しい風が吹く……2人を包むような春の風。
 そして。
「あー、ちょっと君たち…」
「あ?」「なんですか?」
 邪魔すんな、という表情で尚斗と結花が振り返った先に、警察官が立っていた。(笑)
 どうやら、誰かが通報したらしい。
 
「……ひどい一日です」
「……取り調べで、カツ丼なんかを食わせてもらえるのは、都市伝説だったはずなんだが」
 2人の説明に納得しなかった警察官に連れて行かれた派出所で、結花の怒りが爆発し……たぶん、子供と動物にかなうものはないってのはこういうことだろう。
 2回目という事もあって(笑)か、怒り狂う結花をなだめるため、警察官は自腹を切って(以下略)。
「侮辱されて黙ってられるほど大人じゃないです」
「まあ、考えようによっては、警察公認のカップルだぜ、俺ら」
「……微妙ですね」
 尚斗は、結花の横顔を見つめた。
「……なんですか?」
「結花にな、見捨てられないようにしないとなと思って」
「……」
「いや、マジで」
「……」
「だ、黙ってられると怖いんだが…」
 ふ、と結花は笑って。
「あのですね」
「ん?」
「……日本の怪談って、女の幽霊が圧倒的に多いって知ってます?」
 尚斗はちょっと首をひねり。
「言われてみると…ホラー映画なんかも、女性キャラが多いよなあ」
 だがしかし、何故今そんな話を?
「確かに、私が有崎さんを見捨てることはあるかも知れませんが、その逆はないですよ」
「ん?」
 ぎゅっと、結花の手が尚斗の手を握り。
「……させませんから」
「……」
「……」
「……えーと、キスしていいか?」
「気づくの、遅いです」
 結花は目をつぶり、爪先立ちに…。
「いや、また通報されたりすると鬱陶しいから、あの物陰まで…」
「てい」
「うお」
 すねを蹴られた。
「ごちゃごちゃ言わずに、今するです」
「しかし…」
「今、したいんですっ」
「わかった」
「……」
「俺も」
「よろしい」
 目をつぶり、結花が爪先立ちに……ぷるぷると震える結花がいとおしくて、尚斗はその腰をそっと抱き、前屈みになって結花の唇に自分のそれを重ねていった……。
 
 
 
 
 ……何も解決してないよ?
 まあ、ギャルゲーのエンディングは、ほとんど投げっぱなしの無責任エンドがひとつのウリでもあるのか。
 
 今さらくどくどは言いますまい。
 
 ちびっこは、可愛いなあ。

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