週明けには7月を迎える。
 梅雨も半ば。
 期末試験を控えて……弥生、温子、世羽子の3人は、放課後の練習は中止して、おとなしく帰ることにしたのだが。
「……あ、有崎に連絡しなきゃ」
 と、弥生が携帯を取り出す。
「あれ、デート?」
「違うわよ温子…ほら、たまには練習にギターが欲しいじゃない、だから……って、私と有崎は、別に、デートするような関係じゃないしっ」
「……へえ」
 その呟きは、温子にだけ聞こえた。
 弥生は、メールをうつのに夢中になっていて気付かない。
「……世羽子ちゃん?」
「そっか…もう、7月だものね」
 梅雨空を見上げ、世羽子が自分に言い聞かせるように呟く。
「4ヶ月以上経ったし……もう、友人としての義理は果たしたかな」
 温子は、空を見上げる世羽子を見つめて……ため息をついた。
「ん、私には止める権利はなさそう」
「……好物なんでしょ、ドロドロは」
「程度によるよ」
 と、温子は口をとがらせ……また、ため息をついた。
「弥生ちゃんの妹さん…御子ちゃんも、ぐずぐずしてるし……まあ、仕方ないよね」
「まあ、ドロドロさせるつもりはないけど」
「……それはちょっと寂しい」
「……難儀な性格してるわね」
 と、今度は世羽子がため息をつく。
「ねえ、有崎もう、こっちに向かってるんだって…みんなでどこか行かない?」
 などと、『いつものように』弥生が言った。
 そして、『いつもなら』…『んー、私たちは遠慮しとく』みたいな感じで、弥生と尚斗を2人きりにさせてきたのだが。
「そうね、みんなで何か食べに行かない?」
 などと、普段は控えめな世羽子が口にした。
「あ、いいわね。それ」
 などと、状況の変化に気付いていない弥生が無邪気に喜んだ。
「……じゃあ、私は、世羽子ちゃんの腕前拝見といきますか」
 温子は、そう呟いた。
 
 夕食の片づけを終えた後、世羽子は自分の部屋でずっと机に向かっていた。
 言うまでもないが、弥生は3月の時点で家に戻って……世羽子の家には、父親と世羽子の2人だけしかいない。
「……こんなもの、ね」
 参考書を閉じ、大きくのびをしたところで……いつの間にか、雨が降り出していた事に気付いた。
 部屋の電気を消してから、窓を開ける。
 雨のせいか、夜風が涼しかった。
 雨が叩く暗い住宅街……世羽子の視線は、つい、ある方角へと向かう。
 もちろん見えはしないが、川の向こうに少年の家がある。
 
『いや、わりと人見知りする世羽子ちゃんなのに、有崎君には、物怖じせずに声をかけたな…という違和感はあったんだ』
 
 温子の言葉を、ふと思い出す。
 温子は鋭い……でも、本当にはわかっていないだろう。
 男子校の生徒を一時的に引き受けたとき、新しく男女混合のクラスが編成された。
 最初はわからなかった。
 藤本先生が教室に入ってきて、出席をとった。
 彼は、男子生徒で一番先に呼ばれた。
 まず名前に反応して視線を向けた……横顔に、面影があった。
 話しかけようと思ったけど、彼は幼なじみだという椎名さんと話し込んでいて、その隙がなかった。
 聞き耳を立てていたわけではなかったけど、2人の話を聞くとも無しに聞いていた。
 5年ぶり。
 とにかく、懐かしい。
 そんな2人の気持ちが、よくわかった。
 世羽子は、ちょっと笑って。
「……ホント、懐かしかっただけなのよね…」
 そう、呟いた。
 小学校の6年間、一度も同じクラスになったことはない。
 男子と女子。
 腕白で行動的だった彼と、おとなしい……というか、おとなしすぎた自分との間に接点はない。
 そう、あれはたった一度の機会だった。
 世羽子は、少年の家がある方角を見つめながら、微笑みを浮かべてまた呟く。
「懐かしかっただけなんだけど……ね」
 そして、ぽつりと。
「でも、あの頃は…好きだったな」
 
「おっはよ〜」
「おはよう、温子」
「おや、準備万端って表情…」
「どうかしら、テストは運不運もあるから…」
「や、そっちじゃないんだけど…」
「え…そっちって…?」 
 温子がこちらをうかがっている……それで、世羽子にはわかった。
「ああ、『そっち』ね…」
「昨日はおとなしく帰ったから、ちょっと拍子抜けというか…」
「現状の把握はしてるつもりだけど」
 世羽子はちょっと笑って言った。
「私も温子も、彼の認識では、『弥生の友人』でしかないもの」
「まあねえ…」
「一応、私も一枚だけ切り札にもならないカードをもってるけどね……それを使うまでに、彼の認識ランクを上げておきたいの」
 温子はちょっと世羽子を見つめ。
「……同じ小学校…だったんだよね?」
「ええ、同じクラスになったことは一度もないけど」
「やけぼっくい…ってやつ?」
 それは少し言葉の使い方が間違ってると思ったが、世羽子詳しく説明する手間を省くためにそれを受け入れた。
「最初は懐かしかっただけ」
 世羽子は、温子の目を見つめながら言った。
「弥生を通じて彼を見てて…ううん、弥生だけじゃなく、彼が不器用にいろんなお節介をやいているのを見て、あらためて好きになったのよ」
「お、おおう…世羽子ちゃんが…随分と正直だ」
「ええ、温子を味方にしておくと心強いし」
「……しかも、策士だ」
 温子の呟きに、世羽子はちょっと笑った。
 
「…あれ?」
「え?」
「あ、やっぱヨーコさんだ…」
「ああ、有崎君。奇遇…でもないわね、この辺りなんでしょ」
 と、世羽子は心の中で苦笑しながら周囲に視線を投げた。
「うん、そこの裏…ヨーコさんは…」
 世羽子は、手に持った買い物袋を持ち上げた。
「買い物っすか…」
「ええ……正直、弥生が家出してたときの方が楽だったの」
 そう言って、世羽子が笑う。
「ああ、ヨーコさんとこ、母親が…」
 尚斗は語尾を捨てた。
「弥生は弥生で色々苦労をしてるのと同じ事よね」
「…偉いっすね、ヨーコさんは。同い年だけど、年上って感じがするというか」
 世羽子は今気付いたという感じに言った。
「そういえば有崎君、私にだけは『さん』付けなのね」
「え…弥生、温子、ヨーコさん……あ、ホントだ」
 尚斗のそれは、本気で今気付いたのだろう。
「微妙に、丁寧語だし」
「あー」
 尚斗は困ったように頭をかき。
「なんか、女子との会話に慣れてないというか…どうも、距離感がつかみづらくて」
「ああ、一ノ瀬さんとかも、ちょっと砕けた話し方をするわね……温子もそうだし、そっちの方が気が楽って事かしら?」
「あー、そうかも……まあ、弥生のアレは、ある意味演技なんだろうけど」
「弥生の友人として、あらためてお礼を言うわ…ありがとう、有崎君」
「あ、いや、…別に、俺は何も…」
「ふふふ……お節介だものね、有崎君は」
 
「『ありがとう、有崎君』……か」
 勉強の合間に、また窓の外を眺めながら世羽子が呟いた。
 あの時、きちんと言えなかった言葉。
 もしもあの時、きちんとお礼が言えていたなら……どうなっていただろうか。
 世羽子はちょっと笑って。
「どうにも……ならなかった…か」
 そう、呟いた。
 
 がらがら…。
 部室のドアが開く音で、弥生が顔をあげた。
「あり…」
「こんにちわ、有崎君」
「あ、ヨーコさん、こんちわ」
 と、尚斗は世羽子に挨拶を返し、それから弥生に視線を向けた。
「うーっす、弥生」
「うん」
 弥生は、ただ頷く。
「よう、温子」
「熾烈な攻防戦だなあ」
「は?」
「いやいや、こっちの話」
 と、温子は手を振って……すすすっと、弥生のそばへ近寄った。
「弥生ちゃん、認識主体を変化させることによって、意識を操作することができるって聞いたことある?」
「何それ…呪文?」
 弥生は、首を傾げつつ温子を見た。
「まあ、ここに4人のグループがあると仮定して…」
「うん」
「弥生ちゃんは、一応その全員と知り合いなんだけど、1人だけちょっと気になってる相手がいるのね」
「……何の話?」
「そういう状況でね、弥生ちゃんがその4人グループと出会うと、弥生ちゃんの行動は、その、気になってる1人によって左右されるの。まあ、最初にその人に挨拶するとか……ちょっと喧嘩してたりすると、その人以外の誰かに挨拶したり、気付かない振りして立ち去ったり……この、気になってる人が、集団に対する弥生ちゃんの認識主体の関係に…」
「いや、あの…温子?」
「今は黙って聞いて」
「あ、はい…」
「それでね、心理学の実験でね……この、弥生ちゃんが集団に対してアクションを起こそうとする前に、弥生ちゃんが気になってる相手じゃない他の人が、弥生ちゃんに対してアクションを起こすの」
「……うん」
 弥生は完全に生返事なのだが、温子はそれを注意するでもなく語り続ける。
「これを繰りかえすとね、あーらふしぎ…弥生ちゃんの認識主体が、その別の人へと変化しちゃうの」
「ふーん…」
「で、面白いのが……弥生ちゃんの認識主体が変化した後に、弥生ちゃんの気になってる人ってのが、その別の人へと移り変わってしまうことが多々あるのよね…うん、人間の心理ってのは不思議だねえ…」
 温子はうんうんと頷くが、弥生は眉をひそめた。
「だから、何の話よ、温子?」
「えーと」
 温子はちらりと世羽子に視線を向け。
「世羽子ちゃん、ここ、このポケットに手を入れて」
「……?」
「はい、ゆっくりと引っ張る…」
 温子のポケットから、世界各国の国旗を連ねた紐が、するすると。
「お、おお…」
「……今は、これが精一杯…」
 温子がしみじみと呟いた。
「で、何?手品でもないよね、これ?」
「うーん、なんだろうね…」
 と、温子はあらぬ方角へ目を向けた。
「何よもう…はいはい、練習するわよ」
 と、背を向けた弥生に代わって、世羽子が温子に近づいてきた。
「……妙な知識を持ってるのね」
「その言葉、世羽子ちゃんにそっくりそのまま返すよ」
 
「そういえば、有崎君も、そろそろ期末試験?」
「あー、まあ…ぼちぼち」
 目を泳がせながら、尚斗が答えた。
 世羽子は小さく頷いて。
「そうね…私たちの練習につきあってもらってるわけだし、少し見てあげましょうか?」
「え、あ、いや…それはヨーコさんに悪いよ…」
「人に教えるのも、勉強になるんだけど」
「……攻めてる攻めてる」
 温子がぽつりと呟く。
「ねえ、世羽子……有崎に勉強教えるぐらいなら、私の勉強みてよ」
 無自覚のまま、弥生が参戦。
「いいわよ」
 世羽子はちょっと笑って。
「さすがに、私と有崎君の2人きりってのも……ね」
 『ね』で、世羽子の視線を受け、尚斗がちょっと顔を赤らめた。
「えー、有崎も入れて3人って事?」
 弥生が不満そうに呟くのとは対照的に、温子はため息混じりに呟いた。
「だめだこりゃ……」
 そして、温子は思いついたように首を振る。
「圧倒的じゃないか、敵軍は…」
 
「……どうかしたの、有崎君?」
「あ、いや……今、下で、母ちゃんが泣いてて」
「へ?」
 何それ…という表情で弥生。
「まあ、女の子が遊びに来る日が来ようとは…ってとこだろうなあ」
「遊びじゃなくて、勉強だってば……というか、有崎はおまけだから」
「へいへい、おまけで十分」
 弥生の言葉に、尚斗は特に不満をもらすでもない。
 そして、結局は参加することになってしまった温子がぶつぶつと。
「……だが、本当におまけなのは、私と弥生ちゃんなのだなあ…」
 聞こえない程度に呟いていたりする。
「……って、弥生。何やってんだ、お前」
「え、だって…男の子って、ベッドの下にやらしい本とか隠してるんでしょ?」
 弥生はちょっとそっぽを向いて、呟いた。
「やらしい」
「お、弥生ちゃんが反撃」
 そう呟いて、温子はちらりと世羽子を見た……が、平然と笑っている。
「むう…」
「あまり堅苦しいのもなんだけど、少しは勉強しましょうか」
「あ、そうすね、ヨーコさん」
 世羽子はちょっと笑って。
「足音を忍ばせて、階段を上ってきてる気配がするし」
「え、マジで?」
「ええ、マジで」
 と、世羽子がこたつ机の上に本を開き。
「世羽子は、こっちね。有崎君はこっち…男子校で使ってる教科書は?」
 と、さりげなく尚斗の隣のポジションを奪い、弥生を尚斗の対面へと追いやる。
「温子も……まあ、聞きたい所があったら聞いて」
「はーい」
 
「(……うまいよなあ、世羽子ちゃん)」
 勉強はそっちのけで、温子はひたすら3人の様子を観察していたのだが。
「(遊びの恋愛なんてできるタイプじゃないし……ガチってことか)」
 それでいて、弥生の質問にもそつなく答え……というか、弥生と尚斗に対して同じように接しているのだ。
 ここで重要なのは、弥生に接するように、尚斗に接していることだ。
 尚斗に接するように、弥生に接しているわけではない。
 弥生はそれを不自然とは感じない。
 尚斗も、世羽子が弥生に接する仕草を見て、自分が特別扱いされているとは思わない……思わないが、男子とそれとは違う距離感、接触などは、尚斗にとって十分に特別となり得るわけで。
「(……有崎君が意識してくれるならそれはそれで良し。それに慣れるようなら、これ以降、世羽子ちゃんは有崎君に、同じように接することができる)」
 温子は、世羽子に視線を向けた。
「うん、そう…そこでこの数式を…」
 尚斗の手に自分の手を添えて…耳元で囁くように。
 ふっと、世羽子の視線が一瞬、温子を見る。
「(……何か文句ある?)」
「(いいえ、ございませんよ)」
 世羽子と温子は、そう目と目で語り合ったのだった。
 
「おはよう、ヨーコさん」
「おはよう、有崎君」
「弥生と温子も、うぃース」
「うん、おはよう……どうしたの、温子?」
「あ、いや…今まさに、認識主体の変化の瞬間を目の当たりにして、涙がほろりと…」
「……?変な温子…」
「うん、まあ……数ヶ月もぐずぐずしてた弥生ちゃんのせいだよね…人生は短いもん」
 ぶつぶつと呟く温子をよそに、世羽子と尚斗は親しく会話中。
「最近の世羽子って、有崎と仲良いわよね…」
「気になる?」
「そりゃあ、世羽子は友達で仲間だもの」
「あ、うん…そうだね…」
「え、何よ?言いたい事あったら、はっきり言いなさいよ温子」
 
「ねえ、世羽子。明日の休みだけど一緒に…」
「あ、ごめんなさい弥生。明日はちょっと、有崎君と約束しちゃったの」
「……有崎と?」
 弥生はちょっと首を傾げ。
「じゃあ、仕方ないか…」
 と、納得したようなことを呟きつつも、弥生の顔は納得していない。
 弥生は、温子のそばに近寄って囁いた。
「……温子、明日って、世羽子の誕生日よね?」
「まさにその通りだよ、弥生ちゃん」
「そうよね…そんな日に、有崎と約束するなんて……わかってるのかな、世羽子」
「……わかってると思うよ、ものすっごくわかってると思うよ…」
 そう呟きながら、温子は弥生から離れていく。
 自分が判官贔屓の性質らしいとわかっているので、これ以上弥生のそばにいると何を口走ってしまうかわからないからだ。
 好物ではあるのだが、自分の友人のドロドロ修羅場は後が大変そうでもあるし。
 
「スゲー面白かった」
「でしょう?」
 と、世羽子が微笑む。
「でもヨーコさん、俺とでよかったの?」
「弥生は、ホラー苦手だもの」
「へえ…」
「温子は、『画面の構成が…』とか、妙なうんちく傾け始めるし」
「はは、それは何か想像できるなあ…」
 世羽子は、一瞬だけ眉のあたりに緊張をみせつつ言った。
「ところで……私の名前って、どういう漢字で書くかわかる?」
「え、ヨーコさんの?」
 尚斗は首を傾げ。
「あ、どうだろ…こういったらあれだけど、ヨーコって、いろんな漢字で書くから、どれが正解かと言われると…」
 世羽子はちょっと視線を落とし……また上げて、尚斗を見つめた。
「世界に羽ばたく子と書いて、世羽子、よ」
「世界に羽ばたく子……」
 どこか祈るような表情で、世羽子。
「…え?」
 尚斗が世羽子を見る。
 そして、安堵するように世羽子は笑った。
「……久しぶりね、有崎君」
「え、あれ…なん…で?」
「私、徒歩通学って言ったわよね…女子校に通いだしたのも、中学からだって」
 くすくすと笑いながら、世羽子が言う。
「まあ、随分と雰囲気変わったはずだし、まともに話したのもあれが最初で最後だったから仕方ないけど」
 
 
「……何やってんだ、お前ら?」
「あ、なおとくん…」
 尚斗の姿を認めたのか、男子が数人こちらを見る。
「……女取り囲んで、何やってんだよ、お前ら?」
「あ、いや…」
 3、4人が、気まずそうに顔を背けたが、これは、クラスは違っても尚斗のことをよくしっている連中だ。
 尚斗は、いつもみちろーや麻里絵と遊んでいたから、同じ小学校の連中とはそれほどつながりがなかったのだ。
「べ、別に…この女の名前がおかしいから、おかしいって言ってただけだよ」
「そうそう…こういう名前、ヤンキーって言うんだろ」
「違うよ、女の場合は、レディースって言うんだぜ」
 などと、得意げに口にする少年達に囲まれて、少女はただうなだれている。
「それにこいつ、いつも暗いし」
「泣きはしないけど、言い返しもしないもんな…」
「ふーん」
 尚斗は、生返事をする。
 それを聞いて、尚斗のことを知っている少年達は顔を強張らせたのだが、他の連中は、ますますいい気になってはやし立て始めた。
 
「……なんだこいつら、弱っちいでやんの」
 少女は、困惑したように尚斗を見つめている。
「……よう」
「…っ」
 びくっと、少女は身体を震わせた。
「名前、なんてーの?」
「……ようこ」
「……普通じゃん」
「……字が…ヘン」
「…?」
 尚斗は首を傾げて。
「どう書くんだ?」
「……」
 少女は、カバンから取りだしたノートに『世羽子』と書いた。
「へえ」
 少女が、また身体を震わせた。
 前髪に隠れていたが、少女は泣きそうだった。
 そして少年は、少女の顔をのぞき込んで……明るい笑顔でこう言ったのだ。
「かっこいい名前じゃん」
 からかっているのか……と、少女はうかがうように尚斗を見る。
 しかし、尚斗は周囲の少年達に向かって話しかけていた。
「何だよお前ら。これどこがおかしいんだ?すげー格好いいじゃん」
「……どこがだよ…」
 ぼそぼそと…しかし、今さら逃げ出すこともできず、少年達が目をそらしながらぶつぶつと呟く。
「だって、この名前、『世界に羽ばたく子』だぜ?世界だぜ、世界?ほら、最近メジャーとかワールドカップとか、世界基準とか、言ってるじゃねえか」
「は、そいつが世界になんか…」
「うるせー」
 蹴り。
「そんなのわかんねーだろ……つーか、こいつ、頭良さそうじゃん。違うのか?」
「そりゃ…まあ」
 少年達が、渋々だが頷きあう。
「つーか、お前らの名前はどうなんだよ?」
「いや…別に…ふつー」
「だよな、俺なんか『なおと』だぜ。どこにでもいるっていうか……自分でつけられるならもっと格好いい名前つけるっての」
「あ、それは俺も思う…」
 などと、つきさっき尚斗にぶん殴られたというのに、少年達は自分の名前について和気藹々と語り出していた。
 少女は、それを不思議そうに見つめている。
「つーか、親の付けた名前にぐだぐだ言っても仕方ねえだろ…違うか?」
「まあ…」
「…そりゃあ…うん」
「よし、じゃあ、この話はこれで終わりな……ほら、お前も」
 尚斗が、少女の手を引っ張る。
「きゃっ…」
「お前がどう思ってるか知らねえけど、俺はいい名前だと思うぜ」
「……」
「ほら、顔上げて、胸も張って…笑え」
 少女は…尚斗に言われたように顔を上げ…ぎこちなく笑った。
 
「……あの後ね、私、有崎君の名前を調べたのよ」
 おかしそうに、世羽子が言う。
「『尚斗』の『斗』は、戦うって意味があるから、ぴったりだって思ったわ」
「あー、いや…まあ…なんつーか…」
 子供の頃の話をあらためて思い出すと、自分が馬鹿としか思えず……尚斗としては、恥ずかしいだけだった。
「……尚斗君の言う、『世界』には羽ばたけそうもないけど、外の世界に向かって飛び出すことができたのは、尚斗君のおかげよ」
 さりげなく、『有崎君』から『尚斗君』にチェンジ。
「あー、えーと…忘れてて、すんません…」
「ふふっ、気にしないで…」
 世羽子は笑って。
「でも、誠意は見せて欲しいかな」
「え?」
「お昼」
「へ?」
「尚斗君の、おごりね」
「あ、うぃっす…了解」
 
「おはよう、世羽子さん」
「こんにちわ、尚斗君」
「弥生と温子も、ちぃース」
「あ、うん…」
 弥生はちょっと温子を見て。
「……あれ、今世羽子って…有崎のこと名前で…?」
「……知らなぁい」
 てててっと、温子が弥生から距離をとる。
「え、あれ…?」
 そんな弥生の背後で、洋子が微笑みながら尚斗に話しかけている。
「もうすぐ夏休みね、尚斗君…」
 
 
 
 
 さて、弥生はいついろんな事に気付くのか。(笑)
 ……と、まあ、世羽子と尚斗の家は近所ではないのかという設定に固執して、こんな話をでっち上げてみました。

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