「ほうほう、噂には聞いてたけど、これが世羽子ちゃんの部屋…」
「ちょ、ちょっと温子…そんなじろじろと」
「いや、これは挨拶みたいなものなんだけど…」
 と、温子が弥生に弁明する。
 その傍らで、何故か聡美が大きく深呼吸を始めた。(笑)
「……何してるの、聡美?」
「ただの深呼吸…邪魔しないで」
 弥生に向かってそう答えた聡美を見つめ、温子は心の中で呟いた。
『鼻から深呼吸とは珍しい…』
 そして、部屋の主である世羽子はというと……。
「『噂には聞いてた』って…誰からの噂?」
「ひいっ!」
 背後からいきなり囁かれ、温子は文字通り飛び上がった。
 それとは対照的に、聡美は一足先に深呼吸をやめて静かに立っていた。
 そして弥生が言う。
「わ、私じゃないわよ…大体、世羽子の部屋の何を話すって言うのよ…」
 世羽子の視線が、聡美へ。
「世羽子の許可もなしに、話したりしないわ」
 そして、世羽子があらためて温子を見る。
「だ、だからこれは、初めて訪れた友達の部屋にはいるときの挨拶みたいなモノだってば」
「なるほど…」
 世羽子は小さく頷き、あらためて口を開いた。
「まあ、見ての通り何もない部屋だけど…みんな座って」
「あ、うん…」
 弥生と聡美はともかくとして、世羽子の部屋を初めて訪れた温子は、あらためて部屋の中を見まわした。
 何もない……というか、特徴がない部屋。
 正確に言うと、そこで生活している人間の顔が全く見えてこないと言うべきか。
 いくら飾り気のない人間でも、部屋の主が男か女か、ぐらいはわかるものなのだが。
 
 それぞれ、好きな場所を見つけて座った3人の前に、世羽子は飲み物を置いていく。
「ねえ、世羽子ちゃん」
「なに?」
「家捜ししていい?」
 ぶしつけな温子の言葉に怒るでもなく、世羽子はちょっと首を傾げて言った。
「なんのために?」
「いや、ここはアルバムとか引っ張り出して、昔話に花を咲かせる場面じゃないかと思うの」
「アルバム…卒業アルバムしかないけど」
 きらん、と温子の目が光る。
 アルバムがないなど、下手な言い訳を……と、温子は笑みを浮かべていった。
「いいよ、見たい見たい」
「まあ、面白くもないはずだけど…」
 と、世羽子が本棚からそれを無造作に抜き出した。
「これが小学校ね」
「それでは拝見」
 温子は無造作に……といっても、乱暴とはほど遠い繊細な手つきでそれをめくる。
 ぺら、ぺら、ぺら、ぺら…。
 温子を中心に、弥生、聡美がそれをのぞき込む。
 ページをめくる手が初めて止まったのは、クラス写真というか、個別のページだった。
「……世羽子ちゃん、この欠番になってる男の子はなんなの?」
 そこにスペースはある。
 が、写真はなく、名前も記されていない。
「……」
 世羽子はしばらく視線を迷わせ、大きくため息をついた。
「彼、世界をまたにかける暗殺者でね……写真は残さない主義らしいわ」
「はい?」
 温子は慌てて、クラスの集合写真を探した。
「…1,2、3…」
 そこに映っている生徒を数え始める温子。
 確かに、そこに記されているクラスの人数に対して、生徒の数が1人足りない。
「あれ、世羽子ちゃんも同じクラス…」
「ええ、彼、6年の9月に転校してきたの」
 聡美が一瞬だけ眉をひそめたが、世羽子はともかく、弥生も温子もそれには気付かなかった。
「……つーか、世羽子ちゃん、今と変わらないね」
 温子は呟いた。
 集合写真だというのに、世羽子の周りだけぽっかりと穴が空いているようだ。
 いや、1人だけ世羽子の前に……少女がいる。
 そして、その少女の周りにも、ぽっかりと空間がある。
 もちろん、集合写真だから本当にそうなっているわけではないが……きちんとみれば、やはり周囲と明らかに距離が開けられているのがわかるのだ。
 ぺら、ぺら、ぺら…。
 学校の行事の写真……偏らないように、いろんな生徒が登場するように選ばれた写真のはずだが、そこにはやはり世羽子の写真はなかった。
「ふむ…」
 ぱたん、とアルバムを閉じる。
「中学のは?」
「転校したのが、中2の冬だから……それと同じようなモノよ」
「私や、弥生も持ってるから」
 と、聡美が言う。
 温子は聡美を見て、頷いた。
「じゃ、それはまたの機会に」
「……温子」
「なに?」
「別に隠してるわけじゃないし、嘘でも冗談でもなく、アルバムはないの。子供の頃の写真も、何もないのよ……少なくとも、私の家には」
「はあ、それは…また」
 温子はちょっと困ったように顔を背けて。
「……聞いていいかわからないけど、捨てたの?それとも最初から?」
「最初から…ね」
 世羽子は微笑み。
「母さんに言わせると、『記憶媒体に頼らなければいけないような思い出には価値はない』ってね…」
「……赤ん坊の頃を覚えていろと言われても」
 と、温子が苦笑しつつ言う。
「そうね……私も、覚えているのは8ヶ月ぐらいからだし」
「8ヶ月って…」
 温子は笑おうとしたが……やめた。
 世羽子が真面目に言ってるのがわかったからだ。
「私は、捨てた方」
「そう」
 興味なさそうに、世羽子が頷いた。
「捨てたって…?」
 と、これは弥生だ。
「んー、幼稚園のころの写真……まあ、色々あったの」
「そうですか…」
 温子は弥生に、おや、という視線を向けた……が、そのまま流した。
 良家のお嬢様として、弥生は弥生で色々あるのだろう……と思ったからだ。
「私の家は、すごいけど」
「というと?」
「アルバム、何冊もあるから……もう、小さい頃は、着せ替え人形状態なの」
 聡美が恥ずかしそうに言う。
「あー、聡美ちゃんの家って、すごいんだっけ?」
「すごいというか…」
 聡美はちょっと笑って。
「戦後成金ってやつね…」
 
「ところで、コピーだけじゃなくオリジナルもやってるって言ってたけど、誰が曲を作ってるの?」
「私」
 と、世羽子。
 温子が、聡美を見た。
「わ、私はギターの演奏で精一杯…」
 視線を弥生に。
「私、歌うだけ」
「なるほど」
「世羽子が言ってたけど、温子も作れるの?」
「……」
「別に、そう思ったから」
 こともなげに、世羽子が言う。
「まあ、作れるけど……そのためには、みんなのことを良く知らないとね」
「へえ、そういうもんなんだあ…」
 と、感心したように弥生が頷いた。
 そして、再び温子の目がきらんと光る。
「そういうわけで、私としてはもっと世羽子ちゃんのことを知りたいなあ…と思っているのだけれど」
 がしゃ。
「あ…」
 聡美がカップを倒してしまったのだ。
「ひとまずこれを…」
 と、世羽子はそこにハンカチを投げ。
「雑巾とってくる…あ、そこのティッシュも使って」
 そう言って部屋を出ていった。
「家捜しちゃーんす」
「え、ええっ!?」
 勢いよく立ち上がった温子に、弥生と聡美が驚きの目を向けた。
「あれ、聡美ちゃん、そのためにわざと倒したんじゃないの?」
「わ、わざとなんかじゃ…」
 聡美は顔を赤らめて首を振った。
「……って、時間がないから、ピンポイント攻撃」
 温子は、きっかり2秒考えて、そこに駆け寄った。
 もちろん、弥生が止めるまもなく、だ。
「てりゃ」
 引き出しを開ける。
「ちょ、ちょっと温子…」
 弥生はとめたが、聡美は何故か黙っている。
「これ怪しい、我、秘宝を発見せり」
 と、その木箱を高々と持ち上げた瞬間、温子はドアを開けて飛び込んでくる黒い影を見た。
 
「……遠慮されすぎるのも不愉快だけど、節度は守ってちょうだい」
「ふぁい」
 温子は一撃で気絶させられた後、活を入れられて目を覚まされ……そして、正座させられた。
 もちろん、弥生あたりには正座は何の苦痛ももたらさないのだが。
「あのね…世羽子ひゃんは、あんはい(案外)、こういう行為も、ありかなっへ…」
「……状況によるけど」
 温子の頬を指で引っ張りながら世羽子はそう言った。
 それほどの痛みは与えていない。
 そして、その背後で何故か聡美が目をキラキラさせていた。
 状況が許せば、そういうことをしてもいいのか……と、都合よく考えているのは明らかだったが、残念なことに、誰もそれに気付いていなかった。
「それで世羽子……この箱は、何?」
「箱は、ただの箱よ…」
 と、世羽子は弥生に言った。
「じゃあ、開けるね」
「ちょっ、聡美…」
 温子の行為に勇気をもらった(笑)のか、弥生の制止を無視して聡美が箱を開けた。
「あ…」
「なになに〜、私にも見せて」
 と、世羽子の手を振り払って温子が駆け寄る。
 そして、世羽子はため息をついた。
 
「木製の台のペンダントか〜うん、私、こういうの好き」
「この、埋め込まれている石って…」
 聡美が世羽子を見る。
「本物。ただし、表面を特殊硬質ガラスでコーティングしてあるけど」
「緑色の宝石って…エメラルド?」
「蛍石だよ、聡美ちゃん」
「エメラルドとは色合いが全然違うじゃない…」
 温子と弥生のツッコミがほぼ同時に入り、聡美は恥ずかしげにうつむいた。
 何故か、世羽子もそっぽを向いていたりする。(笑)
「蛍石は柔らかいからね…だから、表面をコーティングしてあるんだよ」
 と、温子が言い。
「世羽子ちゃん、触っていい?」
「ええ…」
 温子がそれを箱から取り出して眺めた。
「へえ……?」
「どうしたの、温子?」
「いや、これ……手作り…かな?」
「な、なんでっ?」
 聡美、温子、弥生の視線が世羽子に集中した。
「今の…『なんでわかったの?』って台詞だよね?」
「……宝石だけでなく、工芸品の加工はすべて人間の手によって作られるモノよね。つまり、すべては手作りと言っても…」
「……こ、こんな多弁な世羽子を初めてみた…」
「動揺してる、ものすごく動揺してる…」
 聡美は、何も言わずにただじっと世羽子を見つめている。
「ねえ、世羽子…」
 何か吹っ切れたのか、弥生が聞いた。
「自分で、作ったの?」
「ええ、そうよ……自信があったから、手作りって見破られて恥ずかしかったの、それだけ」
「ダウト」
 温子が宣言した。
「……何を根拠に」
 世羽子が温子を見る。
「んー、これまでにわかった世羽子ちゃんの性格とその反応から推理した結果」
「……」
 世羽子は、ふっとあらぬ方角を見つめ……憎々しげに呟いた。
「そう、そういうこと……私だけ、昔話ですませようってのね」
 その呟きの意味が分からず、温子と弥生は首を傾げ、聡美は変わらずにただ世羽子を見つめて何も言わない。
 
 そう、それは、昔話。
 世羽子が……そして、尚斗が中学1年だった頃。
 
「息子よ、何を悩んでいる?」
 父親が声をかけてきた……が、尚斗は首を振った。
「息子よ、父に相談するがいい……息子の悩みを聞き、人生のアドバイスをするという父親の姿に憧れていたのだ私は」
「……親父のアドバイスは、いつも役に立たないから」
「それは……お前が先に、世羽子君をワシに紹介しないからだ」
 あくまでも普通の女性という前提で、父親は息子に対してアドバイスしたのだ。
 対象が普通の女性でないのなら、そのアドバイスが効力を発揮しないのはむしろ当然である。
「……んじゃ、一応聞くけどさ。もうすぐ世羽子の誕生日なんだよ。何をプレゼントしたら喜んでくれるかなあ?」
「はっはっはっ…お子様だな、息子は」
 父親は大きく笑い。
「世羽子君の場合はだな、お前がそばにいてやればいい」
 尚斗は顔をしかめて。
「誕生日プレゼントって言ってるだろ…やっぱり、役に立たねえんだから…」
 ぶつぶつ言いながら、尚斗が去っていく。
「おーい、息子よ…信じるモノは救われるぞ」
 父親の呼びかけは、届かなかった。
「母さんや…父親の威厳はどこに行ったのかなあ?」
「何年か前、燃えないゴミの日に出しんじゃない?」
「しくしく…」
「ま、それはそれとして…」
 母親はニヤリと笑い……微妙に邪悪さを感じさせる……呟いた。
「少し、面白くしてみようか…」
 
 がららっ。
 青山中学1年4組の……尚斗のクラスだ……教室のドアが開かれた。
 教室に残っていた生徒は、一部を除いて既に身体を固くしている。
「……」
 世羽子は少し首を傾げて……かつて所属していた女子バレー部の生徒の元に近づいて声をかけた。
「ねえ、尚斗知らない?」
「あ、有崎君なら…その、お休みするって、先生が言ってました」
「そう…」
 またどこかでふらふらと親切の押し売りでもやって、学校に来ていないのかと思ったのだが……休むという連絡を学校側が受けているとなると話は別だ。
「ありがとう」
「あ、はい…」
 女子生徒は、立場が逆に思えるが世羽子に頭を下げ……呼び止めた。
「あ、あの…秋谷さん」
「なに…?」
「あ、あの…もう、…バレー部には、戻ってこないんですか?」
 世羽子はちょっと困ったようにうつむき……顔を上げて答えた。
「あんな騒ぎを起こした張本人だもの、私は…」
「で、でも、あれは…」
「ありがとう……でも、私はもう、軽音部の人間だから」
「……」
 世羽子は、女生徒の肩に手をおいて、優しく語りかける。
「大丈夫よ…私が教えたことは覚えてるわね。それに従ってきちんと練習すれば、あなたは良い選手になれるわ」
 女子生徒は首を振った。
 自分は、世羽子と一緒にバレーがしたいのだと……それが、言葉にならない。
「……気が向いたら、私たちの演奏を聴きに来てね」
 そう言って、世羽子は教室を後にした。
 
 そして次の日。
「え、また休み?」
 
 そしてまた、その次の日……世羽子は、職員室にいた。
 相手は、1年4組の担任教師だ。
「……どういうことです?」
「ど、どういうことと言われても…『しばらく休みます』と連絡が…」
 教師は、世羽子に脅えながら答えた。
「本人ですか?」
「いや、母親から…」
 世羽子は首を傾げた。
「……先生は尚斗の…有崎君の母親を知ってるんですか?電話の声だけで、それと判断できます?」
「あ、いや…しかし、『有崎尚斗の母です』と…」
「有崎尚斗の母…」
 世羽子は呆然と呟いた。
 ますます怪しい。(笑)
 どう考えても、学校の教師相手にそんな殊勝な口の利き方をする人ではない。
 世羽子は、教師に頭を下げ……今度は自分の担任教師の元へ移動した。
「用事ができたので早退します」
 
「あぁ、バカ息子なら旅に出たよ」
 尚斗の母親は、こともなげにそう言った。
「た、旅…ですか?」
「もう中学生になったからね……親子同伴って年でもないから」
「……そうですか」
「あれ、世羽子ちゃんには、何も言わずに行ったのかい、あのバカ息子」
 世羽子を見る、尚斗の母親の目は何故か優しい……もちろん、最初からそうだったから、世羽子はそれに気付かないだろうが。
「あ、あの…旅って、どこへ?」
「さあ?」
「いつ帰ってくるか…も」
「さあ?」
「あ、あの…もうすぐ期末テストもあるし…その…」
 自分の誕生日もすぐだ……とは言えない。
「まあ、あのバカ息子のことだからね…あっちへふらふら、こっちへふらふら…いつかは戻ってくるさ」
 親としては無責任きわまりない発言だが、母親はもちろん、世羽子にしても、尚斗の安否については全く心配していない。(笑)
「そういえば、世羽子ちゃんはパスポート持ってる?いや、持って無くてもいいけど」
「…持ってないですけど」
「夏休み、ちょっと海外に連れて行ってあげるから」
「え?」
「ああ、パスポートがないならないでいいよ……どうせ、まともな旅行じゃなくて、修行みたいなものだから」
 
 いらいらいらいら。
 尚斗が旅に出てから1週間。
 もう、世羽子に近寄ることのできる人間はひどく限られている。
「周囲の迷惑だ、秋谷。家に帰れ」
「テスト期間よ、今」
 青山は肩をすくめて呟いた。
「席順で、成績が大幅に変動すると思うが…」
 そして、何人かが、激しく頷いていたりする。(笑)
「……連絡つかないのか?」
「携帯もってないもの」
 ぷい。
「わかったわかった、もう言わん」
 
 そして7月10日。
「……祝ってくれるって、言ったくせに…」
 いらいらいらいら。
 今日は、世羽子の誕生日だった。
 そして、もうすぐ今日が終わる。
 梅雨明けが迫って気温が上がってきたせいか、最近学校では……もとい、世羽子のクラスでは体調を崩して欠席する生徒が目立ち始めた。
 にも関わらず、階下では、年甲斐もなく両親がいちゃついていた。(世羽子主観)
 ここ数日、母親はわざわざ駅まで父親を送り届け、帰りは父親の連絡もないのにぴたりと時間を予想して駅まで迎えに行き、手をつないで仲良く帰ってくるのだ。
 仲がよいのは結構だが、それを見せつけられる世羽子としては少々複雑だ。
 と、いうか……風呂まで一緒に入るので、思わず『新婚じゃあるまいし』などと世羽子らしからぬツッコミまで入れてしまった。
 父親は照れたように笑ったのだが……母親はちょっと世羽子を見つめて、何故かため息をついた。
 こんこん。
 世羽子の部屋がノックされた。
 母親だ、気配で分かる。
「開いてるわ」
 ドアが開き、世羽子は絶句した。
 母親と、父親が手をつないでそこに立っていたからだ。
「世羽子、尚斗君がくるわ」
「え?」
 何故母親がそれを…という疑念よりも、尚斗に会えるという喜びが上回った。
「こんな時間だけど、行ってらっしゃい」
 母親に促され、世羽子は家を飛び出した。
 そして…。
「ふう…」
 世羽子の母親がため息をつき、父親の手を離した。
「……?」
「もう、大丈夫ですよ」
「大丈夫って…なにが?」
 首を傾げる父親に向かって、母親がにっこりと笑った。
 この母親の笑顔に、父親は弱かった。
 何も聞けなくなるし、何となく納得してしまう。
 それは、無敵の笑顔だった…。
 
「あれ、世羽子…」
 世羽子よりも頭ひとつ低い尚斗は、世羽子の気持ちも知らずにのほほんとした表情で手をあげた。
「今からちょうどそっちにぃ…」
 顔面に向かって、火を噴くような蹴りが飛ぶ。
 のけぞってかわした尚斗の腹部に、もう一方の足が突き込むように蹴り落とされた。
 常人なら内臓破裂間違いなしであるが、生憎相手は尚斗だったし、世羽子もそれを計算に入れての攻撃だ……たぶん。
「あたたた…」
 腹を押さえて痛みに耐える尚斗を引きずり起こし、鼻に向かって世羽子は額を打ち付ける。
 二度、三度……それほど力はこもっていない。
 やがて、世羽子はぎゅうっと尚斗を抱きしめ。
「れ、連絡もしないで…どこをふらふらしてたのよ…バカぁっ…」
「あ、ごめんごめん…世羽子の誕生日プレゼントを…」
 ごんっ。
「〜〜っ」
 尚斗が、鼻を押さえた。
「テストもさぼって…何が…プレゼントよ…」
 そしてまた、世羽子は尚斗を抱きしめた。
「……えーと、なんかごめん…」
「あやまるぐらいなら…いつも…ずっと、私のそばにいなさい…」
 
「……えーと、世羽子…いつまで、こうしてれば…」
 世羽子に抱きしめられたまま、1時間は過ぎただろうか。
「……そうね…」
 そう呟くと、ようやくに世羽子は尚斗の身体を解放した。
「それで…」
 説明を求める視線と口調に気付いて、尚斗は話し出した。
 山から山へと、鉱脈を探してうろついていたのだと。
「……鉱脈?」
「えっと、母さんから色々教えてもらって……それを頼りに調べて、山の持ち主に許可をもらって…」
「ちょ、ちょっと待って…」
 世羽子は、尚斗の話を整理しつつ……冷静さを取り戻そうとした。
 つまり、尚斗の母親は……場所はともかく、目的そのものは知っていた。
「本当はまだ途中だったんだぜ…でも、世羽子の誕生日がきたから、石だけ持って帰ってきたんだ」
「……」
「なんか、勝手にとると泥棒なんだってな…山の持ち主から許可を取るのが大変で…あ、でも、話の分かる爺さんがいてさあ…」
 尚斗の話は続いている……が、世羽子はほとんど聞いていなかった。
「……それでさ、いくつか見つけたんだけど、あんまり大きいのはなくて…あと、世羽子にはこれが似合うかなって思ったんだけど……どうかな」
 と、尚斗が袋から取り出したのは、明るい緑色をした宝石だった。
「……綺麗ね」
 緑色の宝石というと……エメラルドだろうか?
 世羽子は、そんなことを考えた。
「この宝石、柔らかくて傷がつきやすいんだって……だから、表面をガラス化なんかで覆うんだけど、その加工が難しくってさあ…」
 加工?難しい?
 世羽子が、尚斗を見た。
「本当は、誕生日までに間に合わせたかったんだけど……えっと、一応、ペンダントにしようと思ってるんだけど……その、えーとこれに…」
 と、尚斗が次に取り出したのは、丸くて平たい木片だった。
「ほら、ここに埋め込む形で…それで、いいかなあ?」
 木片には、細かい装飾が施されていた。
 これもたぶん、尚斗が自分でやったのだろう。
「……」
 旅に出て、山で鉱石を探して、地主の了解を取って、石の加工やら、なんやら……その間、自分はずっといらいらしていただけなのか。
「……バカね、尚斗は…」
 世羽子は、小さな尚斗の身体を抱きしめた。
「……バカよ…ホントに」
 
 世羽子の13歳の誕生日の夜だった……。
 
「あー」
 温子は、世羽子の様子を見て……静かにそれを木箱の中へ戻した。
「どうやら、これ以上は追求しない方が良いみたい」
「……じゃあ、さっきまでのは何なのよ?」
「ふむ、勘違いしてもらっては困るな弥生ちゃん。私は、失敗を糧に人間関係を作り上げていくのだよ。同じ失敗はしないのだ」
「…ふうん」
 何も言わず、黙って世羽子を見つめていた聡美がすっと手を伸ばして、木箱のふたを閉めた。
「はい世羽子……返すわ」
「ええ」
 世羽子は受け取った箱を、また引き出しの中へ戻した。
「……お、いい曲ができそう」
 そう呟くと温子は目を閉じ……自分の膝を指で叩き始める。
 それを、世羽子、弥生、聡美の3人は、見守っていた……。
 
 
               完
 
 
 まあ、時期的には温子達が高校2年の9月。
 激闘の修学旅行(『2011年(影)』参照)……の直後ですね。(笑)
 
 こっそりと、世羽子の母親についてヒントというか、示唆が含まれてます。聡美は結構猟奇的な片鱗を…。(笑)まあ、『世羽子に嫌われたくない』『世羽子はそういうの嫌いだから』と言いながら、しっかりと世羽子のことを調べ上げる女ですから。あれ、それはつまり、世羽子は、誰かについて調べ上げることについては、肯定的だということでは…?
 
 ちなみに、蛍石は、その名前が示すとおり、蛍の光に似た……蛍の光を青白いと表現する向きもありますが、青白いというより、緑白というか……まあ、基本的には黄緑色というか。
 硬度は低く、ガラスに擦りつけると、ガラスではなく石に傷がつきます。
 え、そんなもんでコーティングして大丈夫なのか?(笑)
 

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