「……すいません、ちょっと気分が悪いんで」
「あら、それは大変ですね……誰か、保健室まで…」
「あ、子供じゃないんで大丈夫です」
 尚斗は疑うことを知らない女教師に軽く手を振って、そのままドアを開けて教室を出た。
 ひっそりとした……まるで休日の学校を思わせる廊下を尚斗は歩いていく。
 耳をすませば微かに聞こえてくるのは教師の声だけで、生徒の話し声はもちろん机や椅子が軋む音もしない。
「……女の子がいるとかの前に、なーんか窮屈なんだよな、このガッコ」
 尚斗はため息混じりに呟き、屋上への階段を上がっていく。
 新校舎が完成するまでの合同授業。
 憧れの女子校……という理由で、自分よりもよっぽど不真面目だった男子がみんな巨大な猫をかぶっているのがどーも馴染めない。
「他人は他人、俺は俺……か」
 屋上の分厚い鉄の扉を開ける……と同時に、強い北風が尚斗の身体をうつ。そして、風ではない微かな歌声が耳をうった。
「……」
 おそらくは尚斗がドアを開けた音にも気付いていないのだろう。
 まともに吹き付ける風に向かって軽く両手を広げて、風の中に歌声をまぎれこませている。
 浸っている……そんな感じだった。
 やがて、少女の歌声が途切れた。後ろを振り返った瞬間、少女はそこに尚斗がいることに気付いて慌てて後ずさりする。
「な、な……」
「……自信持てよ、上手かったぞ」
 少女の顔が赤くなる……いや、風に吹きさらされていただけか。
「い、今は授業中でしょ!」
「サボりだ、気にするな……」
 給水塔の壁にもたれ、尚斗はぼんやりと空を見上げた。が、突然その視界が少女の手によってふさがれる。
「……何?」
「私の歌を聞いてただですまそうっての?」
「金が欲しけりゃ往来でどうどうと歌え……まあ、貧乏人の俺にたかるよりは可能性が高い」
「お金の問題じゃないのっ!」
「聞かれて恥ずかしいなら歌うなよ……まあ、俺は音楽は分からないが少なくとも足は止まったぞ…」
「ち・が・うっ!」
 少女は正真正銘顔を真っ赤にして叫んだ。
「私、プロ志望だから…」
 尚斗はちらりと少女の顔を見た。
「いいな、そういうの……」
「な、何が…?」
 少女は少し戸惑ったような表情を浮かべた。
「そういうプライドってなんかいい……羨ましいよ」
「そ、そうかな?」
 少女は照れたように横を向いた。
 思ったより単純な性格らしい……というより、ただ恥ずかしくて黙っていられなかったというあたりが正解なのだろうが。
「しかし、プロ志望ってどういう……歌手とかアイドルとか?」
 尚斗は不躾な視線を少女に送った。
 確かに……そこらのアイドルには負けそうもない。
「違う、バンドやってるから……こんな学校にも軽音部ってのはあるのよ」
「カトリック系名門お嬢様女子校にかぁ?」
「疑うつもり?じゃあ、ついてきなさいよ!」
 と言いながら、少女は尚斗の腕をつかんで歩き出した。
「ちょ、ちょっと待て!どこへ連れて行くつもりだ!」
「第二音楽室……そこが私達の部室なの」
「へえ……って、今は授業中だ、授業中!」
「第二って言ったでしょ……演奏のためのスタジオみたいなものだから授業では使わないの!」
 部として合い鍵を渡されているのか、少女は第二音楽室の鍵を開けて尚斗を招き入れた。
「……おお、それっぽいな」
 ドラムセットやギター用の小型アンプ、壁に立てかけたギターケースといい……確かに雰囲気はスタジオっぽい
「なんかひっかるわね…」
 そして少女は壁に立てかけてあったギターケースの1つを手に取った。
「……しかし、こんなアンプまで買ってくれるとはさすが名門女子校」
「何言ってるの、自分たちで買ったに決まってるじゃない……」
「……ブルジョワ野郎」
 少女には聞こえないように、尚斗はぼそりと呟いた。少なくとも、少女のバイト代では買えないような楽器であることぐらいは尚斗にだってわかる。
「では、誰でも知ってる有名なナンバーでも……」
 と、いきなり少女の指に挟んだピックがギターの弦に弾かれて床に落ちた。
「……」
「ちょ、ちょっと失敗……気を取り直して」
 少女は慌ててピックを拾い上げ、再び演奏を……また弾かれるピック。
「……コミックバンドか?」
「う、うるさいわね!さっきまで屋上にいたから指先が凍えてるだけよ!」
 そして少女は三度演奏を開始した……が、有名なナンバーのわりには何の曲かさっぱりわからない。
 最後にジャン、と弦をかき鳴らして少女は胸を張る。
「どう?」
「いや…どう、と言われてもな……ちなみに何の曲だ?」
「え、ビートルズの……」
「嘘つけえっ!」
「な、何よ!仕方ないじゃない、私ボーカル担当なんだから!」
「……なんだ、自覚はあったのか」
 大げさにため息をつきながら尚斗が呟くと、少女は顔を真っ赤にしてギターを押しつけてきた。
「そ、そこまで言うなら弾いてみなさいよ!さぞかしお上手なんでしょうねえっ!」
「子供かお前は!ま、まあ……お前よりはましだと思うが」
 ギターを受け取り、弦を弾く……上手とは思わないがメロディーそのものが不明になるぐらい下手でもないはずだ。
 そして最後に、少女がしたようにジャン、と弦をかき鳴らす。
「どうだ……?」
「む、むむ……」
「有崎君の勝ちね…」
「弥生ちゃんの負けーっ!」
 いきなり声をかけられて尚斗と少女は飛び上がった。
「……有崎君、気分が悪いんじゃなかったの?」
「サボりだ、サボりだよね!」
「え?」
 そういう2人少女の顔に尚斗は見覚えがあった……と言うことは同じクラスである可能性が高い。
 背の高い少女の方が小さく微笑み、尚斗に含むところがあるように言った。
「椎名さんが探してわよ……」
「椎名?……ああ、麻里絵のことか」
「藤本先生もだよ!」
 と、これは少し太めの少女の声。
「気分が悪かったので早退したことにしておこう……」
「賢明ね……と、その前に誤解されたままはいやだからもう少しつき合ってよ」
 背の高い少女は小さく笑い、自分のギターを取りだした。いつのまにか太めの少女はドラムセットの前に座っている。
 そして、まともな演奏が始まり、終わった。
「どうかしら?」
「あ、いや、立派なモノです……」
「弥生ちゃんのボーカルが入るともっと凄いよ!」
「弥生……って誰?」
「私よ、文句ある?」
「いや、別に文句は……」
「ふーん、私、九条弥生……あなたは、有崎…?」
「尚斗、有崎尚斗だ……」
 弥生は尚斗をじろじろと眺め、そして笑った。
「ま、気が向いたら遊びに来てよ。月・水・金はここで練習してるから…」
「お、おう…」
 笑顔にひきこまれ、つい頷いてしまう。
「じゃ弥生、私今日は予備校で遅くなるから…」
 背の高い少女が軽く手を振った。
「あ、世羽子おつかれ…」
「弥生ちゃん、私も帰るねえ!」
「あ、バイバイ温子…」
 2人が出ていった後、尚斗は弥生を振り向いた。
「練習は?」
「今日は木曜日でしょ……2人とも感覚鈍らせないために寄っただけ。さて、私も帰るけど……つき合ってくれる?」
「は?」
「買い物……荷物運びがいるときに買い込んでおきたいモノが特売してるから」
「……図々しいとか言われない?」
「図々しいから家出して世羽子の家に居候してるのよ……」
「家出?」
 弥生はほんの少しだけ遠い目をした。
 
「あ、あの…あの…お姉さま。まだお家に帰るおつもりは…」
「帰ってどうするの?それが何の解決にもならないことは御子にだってわかるでしょう」
「で、でも……」
「家はあなたが継ぎなさい……それが、花達にとっても多分幸せなことだから」
「私には、継げません…」
「自信を持ちなさい……あなたの生け花はちゃんと花を生かしてる。私は……ただ花を殺して、傲慢な主張をおしつけているだけ」
「お姉さま……お姉さまの作品は、まだ展示室で生きて……」
「帰って……」
「……」
 ボブカットの頭をゆっくりと下げ、とぼとぼと小柄な少女は去っていった。そして弥生は少し怒ったような表情で後ろを振り返る。
「有崎っ!立ち聞きとは趣味悪いわね…」
「なんか、家を継ぐ継がないとか……俺にはまるで縁のなさそうな話だったもんでつい、な……しかし、マジで家出してたのな、お前」
「そんな冗談言ってどーするのよ……まあ、家出って言うより、家に帰ってないだけ。両親も私の居場所は知ってるし」
「……それにしても、似てないのな、妹さん…」
「でしょ、でしょ?御子は私と違って可愛いからあぁ…」
 顔を真っ赤にして照れる弥生。
 姉バカまっしぐらである。
「そういう意味じゃないんだが……ふつー、怒らないか?」
「いいの、私は可愛くないけど美人だから」
「……」
「何か文句あるの?」
「いや、めっそうもない……」
 自分の美しさを自覚してる人間ってのはどこか苦手だ。ただ、弥生の場合はそういう人間にありがちな嫌味なところは感じられない。
「ま、他人の家庭に口出しする奴は馬に蹴られて死んでしまうらしいし……」
「……有崎、頭悪いでしょ」
「良く見せる必要性がないモノで……まあ、平均ぐらいはキープしてるし」
 弥生は少しだけ羨ましそうな表情をして、尚斗に聞いた。
「ご両親は何も言わないの?」
「生憎、死人と話はできなくてな……あ、母親だけな。そんな顔するな」
「……ごめん」
「当人にとってはそれが当たり前でな、そういう風に言われるとくすぐったい……」
 淡々とした尚斗の言葉を聞き、弥生は小さく頷いた。
「……悟ってんのね。恵まれた家庭の話とか聞くと、羨ましくなんない?」
「お前、人間が平等とか信じてるクチなの?」
「まさか……生まれ落ちた時点で両手に持ってるモノは違うに決まってるじゃない。そこからどう生きるかは本人次第だけどね……」
 吐き捨てるように呟き、そして弥生は窓の外に視線を向けた。
「……そのためには、戦うしかないでしょ」
「ま、がんばれや……でも、妹さんにあまり心配かけんなよ」
 妹のことを持ち出されたせいか、少し慌てたような表情で弥生は尚斗の胸ぐらをつかんだ。
「……いくら可愛いからって御子に手出したらただじゃおかないわよ」
「俺と御子ちゃんのどこに接点がある?」
 そう言ってしまってから、尚斗はあからさまにしまったという表情を浮かべ、弥生はどこか冷めた視線を尚斗に向けた。
「有崎くーん、随分お節介なのねえ?御子になんか頼まれたのお?」
 口調こそマイルドだが、目は笑っていない。
「随分勘がいいな」
「考えてみたら、あのおとなしくて内気な御子が単独で私に会いに来られるわけない」
「きっと、勇気を振り絞ったんだな……少なくとも、それを俺に頼むぐらいには」
「まあ、それはあの子にとっていいことなんだけど……」
 あの子にもっと押しの強さがあればねえ…などと呟きながら、弥生は軽く尚斗の胸を突いた。
「……おおまかな事情は御子から聞いたのね」
「……と言われても、華道とか宗家とか言われても俺にはさっぱりだ」
「宗家を継ぐためには幼い頃からいろんな修行が必要だからって理由で、幼年部から大学までエスカレーターで進めるこの学校を受験させられたのが物心つかない3つの時……って言えば大体どういう家か想像できる?」
「ああ……何というか自我が発達する以前に、躾とかしきたりでがんじがらめになる王道パターンのあれか?」
「……なんかひっかかるけど早い話がそう。御子は私と違って本当に花が好きで……私が言うのも何だけど才能も、努力する資質にも恵まれてるの。だったら……御子が継ぐのが筋でしょう……やる気のない人間が継いで存続できるほど軽い世界じゃないもの」
 弥生は淡々と述べ、そして肩をすくめて笑った。
「これが私の言い分……部外者にはどっちが正しく聞こえる?」
「……まあ、そういうのは大概どっちも正しくてどっちも間違えてるものだから。でも、御子ちゃんは、『自分には継げない』と言った」
「あの子は私の妹で……どこにも問題なんてないのに」
「……話し合えよ。そのためにも、一度家に帰れ」
「話し合ってどうにもならなかったから家を出たの!」
 弥生は言うだけ言って冷静さを取り戻したのか、不思議そうに尚斗の顔を見た。
「……なんだよ?」
「なんで、有崎がこの問題に深入りしてるのかな?」
「知らん……まあ、強いて言えば俺がこの学校にいるのが少しだからだろ。深刻な問題ってのは、親しい人間には相談しにくいモノだしな」
「……よく考えたら、私が有崎と知り合ってまだ1週間なのよね」
 しみじみと呟く。
「後3週間だからな、使えるうちに使っとけよ……」
「あ……」
 尚斗は何か言いたげな弥生をそこに残し、そのまま歩いていった。
 
「……誰もいないのか?」
 鍵でも閉め忘れたのか、尚斗は第二音楽室の中を見回した。
 何気なく弥生のギターを手に取り、調律の甘い弦を調整してから弾き始めた。
「……結構覚えてるもんだな」
 のめり込んだのはまだ母親が生きていた頃で、さあこれからと思う時期にそんな事にまわす時間がなくなった。
「……何でやめちゃったの?」
「お?」
 顔を上げると、そこには弥生が立っていた。
「すまん、無断で借りた……ついでに、弦の調整もしたから自分で確かめておいてくれ」
「……なんか、すごく寂しそうに弾くのね」
「そうか?」
「何でやめたの?」
「時間が無くなったから……1人で慣れない家事をこなそうとすると、部活動はおろか趣味に回す時間もなくなった……」
 弥生が自分の頭を自分で叩く。
「……こんな無神経な人間だから、花を殺しちゃうのよね」
「華道が嫌いというわけじゃないんだな…」
「嫌いじゃないけどね……私には窮屈。でも、もっといやなのは……その窮屈さに慣れていく事……」
 弥生は尚斗の手からギターを受け取り、そして……ピックを飛ばした。
「……お前、ギターに向いてないんじゃないか?」
「温子はドラム、世羽子はベース……本当はもう1人ギターの子がいたのよ。ただ、親に反対されてね……どうしても続けていくことができなくなったの」
「で、弥生が慣れないギターを……」
「うるさいわねっ!まだ練習始めて3ヶ月なんだからしょうがないでしょ!」
「(……3ヶ月でこれじゃあ、一生見込みねえな)」
 尚斗の顔色から何かを察したのか、弥生は無言でギターを手渡してきた。
「何か弾いて…私の知ってそーな曲」
「んじゃ、てきとうなとこで……」
 尚斗のギターに合わせて、弥生のボーカルが響き渡る。
 声量を上げてもギターの音を殺してしまわない、透明感のある不思議な声は確かに歌手ではなくバンド向きなのだろう。
 もちろん、1人で弾くだけだった尚斗はバンドを組んだことなど無いのだが。
 それでも、尚斗は弥生のボーカルを尊重するように、丁寧にギターの音を重ねてやった。
「……有崎のギターって歌いやすい」
「下手だからな……出しゃばろうとしない分そう感じるだけだろ」
「あは……でもバンドメンバーとして駄目。仲間をね、甘やかしすぎるギターだよ……」
 弥生はそう呟いて目を閉じた。
「優しいだけじゃ花は弱くなるの……前に有崎は私と御子が似てないって言ったけど、同じ育てられ方をしたんだよ私達。それも、物心つかない幼い子供の頃から…」
「……」
「血でしか継げないモノなんて……私は認めない」
「おい……そういう家庭の事情ってあんまり口外しない方がいいんじゃないのか?」
「……どうせ気がついてるんでしょ?御子の話を聞けば……勘のいい人は気がつくはずだから」
 弥生のまとう雰囲気が少し変化したように感じた。いや、それが少女本来の雰囲気なのか。
 どっちにしろ、幼い頃からの躾や習慣を覆すのは必要以上の気力が求められるだろう。
「……中学にあがった頃、外部受験で入学してきた人に歌を聴かせてもらったの」
 弥生は小さく微笑み言葉を続けた。
「私の家は旧家で本当に何もなくて……許可を取らない限り立入禁止のテレビ部屋というモノがあるぐらい」
「……すげえな、それ」
「刷り込み……と言われるかも知れないけど、私はその歌からエネルギーを貰ったの。できることなら、私が受け取ったエネルギーを誰かに伝えたい……もちろん、歌でね」
 そう言いきった弥生の瞳は強い光に満ちている。
 多分、それは両親だろうと、御子だろうと誰にも侵せない。
「御子ちゃんに歌ってやれよ……」
「え?」
「まだ、聞かせたこと無いんだろ?」
「で、でも……」
「勇気は他人に分け与えてもらうものじゃないけど、そのきっかけぐらいは姉として与えてやれよ……」
 虚をつかれたような、それでいてどことなく嬉しそうな複雑な笑みを浮かべて弥生は尚斗に言った。
「有崎……そんな台詞言って恥ずかしくない?」
「実はすげー恥ずかしい」
「ふ、ふふ…」
 弥生が笑い、それにつられるように尚斗が笑い出す。
「自信持てよ、プロ志望なんだろ…」
 目元を拭いながら言った尚斗を、弥生はじっと見つめた。
「何だよ?」
「べ、別に……」
 弥生は尚斗の視線を避けるようにして横を向き、そっと目を閉じた。そして胸に手をあて小さく深呼吸。
「……ギター、弾いてくれる?」
「俺が?下手だぞ、俺…」
「……きっかけをね、与えてくれた人には責任があるのよ。いろいろとね…」
「……は?」
「鈍いね、有崎は……」
 そう笑った弥生の笑顔は、尚斗が今まで見た中で一番の笑顔だった……
 
 
                      完
 
 
 どーも、狼少年の高任ッス。(やけくそ)
 オチがついてねえじゃん!とか言われそうですが、ゲームの流れに沿ったオチまで書こうとするとやたらめったら長くなりそうだったので。別にこれ一本しか書かないと決めたわけでも無し。(笑)
 で、弥生ですが……まあ、設定としてはかなりおいしいキャラではあるんですが、ゲームのシナリオは設定があまり反映されてなかったなと思われたのが残念でした……あくまで高任の個人的主観ですけど。

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