「んふふ…」
 含み笑いしながら、冴子は無造作にシャッターを切り続ける。
「ポーズとかとらなくていいんですか?」
「いらないわよ……普通にしてて」
「じゃ、お言葉に甘えて…」
 尚斗は肩の力を抜き、ただぼんやりと突っ立って、時折気が向いた方角に視線を向けた。
 「……あはは、すごいね」
「は?」
「普通、カメラを向けられると意識せずにいられる人はほとんどいないものなのよね」
「そりゃ、そのカメラにフィルムが入ってるなら多少は意識するかも知れませんが」
「あら……ばれてた?」
 冴子はシャッターを切る手を止め、微笑みを浮かべながら尚斗を見た。
「誰だってわかりますよ、さっきから何枚撮ってるんですか」
「一介の学生にはフィルム代も馬鹿にならないから…」
 そして冴子は再びシャッターを切り始める。
「何にしても、被写体としてキミには興味が湧くわね…」
「そんなこと言われたのは初めてですけど?」
「んー、写真映えがするとか言う意味じゃなくてね……多かれ少なかれ誰もが持ってるはずの、綺麗に撮って欲しいという感情が欠落してるというか…」
「まあ、先輩には悪いですけど、綺麗に撮って貰ったからと言ってどうなるという気持ちがあるのは確かですね」
「ふーん…」
 等と止めどなく続けられる会話の口調こそ何気ないのだが、冴子から放たれる雰囲気が少しずつ変化していく。
「……」
 そして、なめらかにシャッターを切り続けていた冴子の手がピタリと止まる。
「どうかした?」
「あ、と。…先輩が集中し始めたのを見てつられました」
「あらら……」
 冴子は大きくため息をつき、空を見上げた。
「治らないなあ、この癖……」
「……集中しちゃダメなんですか?」
「集中するのはいいんだけど、それを雰囲気に出しちゃいけないの。モデルさんが皆一様によそいきの表情になっちゃう……人は雰囲気に流される生き物だから」
 冴子はカメラをいじくりながら、心ここにあらずといった表情で呟いた。
「俺には良くわからない世界ですね」
「別に、私が良くわかってるというわけでもないんだけど…ね」
 冴子は挑むような視線を尚斗に向け、そのまま隣に腰を下ろした。同時に、尚斗は冴子から少し距離を置こうとする。
「……あからさまに避けられると傷つくんだけど」
「単に女性と近距離で向かい合うことに慣れてないだけなんですが」
 冴子はやや芝居がかった感じで斜に構え、尚斗の顔をじっと見つめてきた。
「麻理枝ちゃんとは随分近距離だった気がするけど」
「幼なじみですからパーソナルスペースが浸食されてるだけです」
「浸食か……興味深い言葉を使うのね」
「……麻里絵の態度が子供の頃の距離感を思い出させる……と言う方が正しいかも知れません」
 冴子は小さくため息をついた。
「麻里絵、そんなに昔と変わってない?」
「……変わることが悪いことだと思いこんでるみたいです」
「あの子は頑固だから…」
 2人の間を奇妙な沈黙が支配した。
 もちろん、元々冴子と尚斗の間に成立する会話が多いはずもない。冴子は麻里絵の所属する写真部の先輩で……尚斗は麻里絵の幼なじみ、それだけの関係でしかないのだから。
「……で、何で俺に声をかけたんですか?」
「面白そうだったから……としか言えないわね」
「当然、色っぽい話じゃないですよね?」
「んふふ…」
 冴子はドキリとするような秋波を送り、口元に小さな笑みを浮かべた。
「私は、いつ見ても男としか思えない人が好みなの」
「軟弱ですか、俺は?」
「そこまでは言わないけどね……」
 冴子は手に持ったカメラを軽く掲げて見せた。
「これで生きていこうと思ってる私には、優しい彼氏は必要ないのよ」
「……?」
 冴子は勝ち気そうな瞳を輝かせ、制服が汚れるのも気にしないでそのまま寝ころんだ。
「キミ、女の子を甘やかすの上手そうだから」
「……誉められてるんですかね?」
「さあ、どうかしら」
 冴子は会話をうち切るように瞳を閉じた……
 
「今日もフィルムは入ってませんよね…」
「まだキミのイメージが私の中で固まってこないもの」
「……撮るつもりはあったんですね、写真」
 冴子は少し傷ついたような表情を浮かべ、それでもシャッターを切り続けた。
「……からかわれてるかもしれないと思いながらつき合ってくれてたの?」
「暇ですから」
 何気なくそう言って尚斗は笑った。
「……」
「……どうしました?」
 冴子はカメラを持つ手を下ろし、少し残念そうな表情で地面に視線を落としている。
「……ちょっと残念」
「は?」
「フィルムが入ってたら……多分、いい絵が撮れてた」
「それは……」
 言うべき台詞を探して口ごもった尚斗を救うように、冴子はやや芝居がかった動作で大きくのびをした。
「本日の撮影はおしまい……キミの背後霊も来ちゃったし」
 冴子の視線を追ってそちらに目を転じると、麻里絵らしき人影がさっと校舎の陰に隠れた。
「……最初からいましたよ?」
「私がそれに気がついたからよ……集中できてない証拠」
 何のためらいもなくケースの中にカメラをしまい込む冴子に向かって、尚斗は昔どこかで聞いたような話を呟いてみた。
「肌身離さずカメラを持ち歩いて、何かを見つけると取りあえずシャッターを押す……なんていうカメラマンの話を聞いたような気がするんですが、香月先輩は違うんですか?」
「……イヤになるぐらいのフィルムを浪費して、モノにできる街角のスナップは年に一、二枚が精々よ…」
 まるで、昔はそうしていたと言わんばかりの台詞と口調だった。
「……カメラという『機械』の性能が上がって、素人でも技術的にはプロみたいな写真を撮れるようになったなんて話は聞いたこと無い?」
「あいにく写真には興味が無くて」
「写真の優劣が、偶然で決まるなんて思いたくないのよ」
「……いい写真という基準はわかりませんが、それがたくさん撮れるなら腕の問題だと思うんですけど」
 冴子が偶然というものを信用しなくなったとのがそのせいかはわからない……ただ、こうして会話を交わすようになってから初めて、冴子という人間の核の部分に触れたような気がした。
「私は腕を上げたいの……偶然に甘えてたらダメになるような気がするから。狙ったときにいい写真を撮る……これはその練習」
 そう言って、冴子は尚斗の背中をポンと押した……麻里絵のいる方向に。
 
「……何、怒ってるんだよ?」
「別に怒ってなんか…」
 そう言いながらも麻里絵は尚斗の方を振り向きもしない。学校を出てからというもの、ずっとこんな感じだ。
 何のために一緒に帰っているのか……
「麻里絵にも写真を撮らせてやろうか?」
「……いい、冴子先輩と比べられて惨めになるだけだから」
 ふと、麻里絵の背中が小さくなったような気がした。
「麻里絵、そんなに下手なの?」
「冴子先輩が上手すぎるのっ!」
 麻里絵が初めて尚斗の方を振り向いた。
「……そういや写真部の部長だって言ってたな…そんなに上手いのか?」
「その筋では有名だよ、冴子先輩は」
「あいにく興味がないからなぁ」
 まあ、それっぽい雰囲気は持ってるよな……などと思いながら尚斗は夕焼け空を見上げた。
「それに…冴子先輩は美人だし」
「写真の腕とは関係ないような気がするが」
「……冴子先輩が言うには、関係あるんだって」
「そうなのか?」
「モデルの心を揺らすのに便利なんだって……撮影者は自分の全てを利用しなきゃいけないって教えてくれた。極端な話、醜いということも武器になるって」
 言うこととやることが既に趣味の範疇を軽く越えていると尚斗は思った。
 いつからかは知らないが、それによって収入を得ているとか得ていないの問題ではなくてとことんまでプロなのだ。
 職業と言う意味ではなくて、生き方がカメラマンなのだろう。ただ、それが本能なのか意識的にやっているのかはわからないが。
「……なんで、俺を被写体に選んだんだろうな」
「……」
 夕日を背にし、麻里絵が赤の他人を見るような瞳で尚斗を見つめていた。
「どうした?」
「尚兄ちゃんも変わっちゃうの?」
「は?」
「……以前、冴子先輩のモデルとして1ヶ月つき合った人は変わっちゃったから」
 麻里絵は一旦言葉を切って、アスファルトで舗装された道路の上に視線を落とした。
「冴子先輩って、優しいけど残酷だよ……」
 
「……麻里絵は何も言わなかったの?」
「どうして?」
「キミがいつも通りだから……」
 普通にしていて……そう言われたからそうしているだけで、特に何かを意識していたわけではない。
「香月先輩がその筋では有名な人だって事は聞きましたけど…」
「ふーん…それだけ?」
「写真のことは良くわからなくて……」
 そう笑った瞬間、冴子の手が止まった。
「……撮りましょうか?」
 何気ない口調だけに、しばらく意味が分からなかった。
 冴子はカメラをケースの中にしまい込むと、ポケットの中から使い捨てカメラをとりだした。
「……は?」
「ふふっ、キミの場合こういうカメラで撮る方がいいような気がするのよ」
「はあ、なるほど…」
 カシャッ
 いきなり一枚撮られた……カチカチとフィルムをまく冴子の仕草がやけにおかしく感じられる。
「普通でいいんですか?」
「いいわよ…」
 また一枚、今度はストロボで。
「麻里絵には恨まれてると思うんだけどね……」
「……みちろーですか」
「写真を撮るという意識はあまりないのよ……」
 喋りながら一枚。
 手ブレを起こさないのかと思うほど無造作に。
「ただ被写体にだけ五感が鋭くなって……何かを理解したと思った瞬間に手がシャッターを押してるの」
「……礼を言います」
「どうして?」
「みちろーを理解してくれたことに…」
 笑った瞬間の写真を撮られた。
「買いかぶりね、私は写真を撮っただけ…」
 冴子が微かに微笑んだような気がした。
「麻里絵達とは、中学から一緒だったんですか?」
「ええ…」
「……みちろーは無理をしてましたか?」
「私の目にはそう見えたわね……」
 会話を続けながら、冴子はフィルムをまいてはシャッターを押すことを繰り返す。そして、24枚撮り終わると冴子は不服そうな表情を浮かべて尚斗を見た。
「どうも、一枚だけいい写真が撮れすぎた気がするわ…」
「いけないんですか?」
「自分の腕以上の写真が撮れるって事はね……モデルに撮らせて貰ったって事なのよ」
 冴子は挑むような視線を向け、そしてくすりと笑った。
「キミが笑った写真を撮りたいと思ってることに気付いて、わざと笑ったでしょう?」
「そんな器用じゃないですよ俺は…」
「どうだか……」
 冴子は大人びた笑みを浮かべ、尚斗の手をそっと引っ張った。
「嘘つきには罰を与えないとね…あと、子供っぽい甘えん坊にも」
 冴子の唇が尚斗のそれと重なる……と、同時に幼なじみの絶叫が響く。
「な、な、尚兄ちゃんっ!」
「ふふ、麻里絵のためにも多少困らせてあげなさい」
 冴子は悪戯っぽくウインクし、尚斗の耳元でそう囁いた。
 
 
                      完
 
 
 これは『フォトジェニック』の真園睦香用に温めていたネタの一部だったんですが……ネタが腐りそうだったのでここで。(笑)
 ちなみに、写真に関しては当時の知人から聞きかじった受け売りです。はっきり言って、高任は全然分かりませんのでつっこまれても笑うぐらいしかできません。
 で、冴子ですが……ゲームのシナリオを追うとお話にならないような気がしたので、カメラマンとして生きていくために…と言う話を最初は考えていたんですが、それだと弥生の話とかぶりそうな気がしたので方向転換。
 綺羅と同じくオチのつけようがなかったというか何というか……でも、これでなんとか一周。
 次からは二周目……というより、結花とか結花とか紗智とか。(笑)

前のページに戻る