合同授業が始まって1週間が過ぎた。
男子校のプレハブ校舎建設は相変わらず急ピッチで進められており、予定に狂いはないらしい。
「もう4分の1過ぎたんだ……」
また以前のような退屈な毎日が帰ってくるのかと、紗智はため息混じりに呟いた。
「まだ4分の1しか過ぎてねえとも言うがな……まあ、男子は随分落ち着いてきたのと同時に焦ってるようだが」
「焦る……って何を?」
「なんとか彼女を作るんだと……まあ、男子校だと日常的出会いは決定的に限られてると思いこんでる奴が多いし」
紗智はニヤリと笑って尚斗の耳元に囁いた。
「……新校舎爆破計画が進行してるって本当なの?」
「本気かどうかは知らないけどな……硝酸とグリセリンは既に入手したらしい」
「ま、計画が漏れまくってるから、実行したら確実に手が後ろに回ると思うけど?」
「そのぐらいのぼせてるってわけだ……」
「紗智、尚人くん、何のお話してるの?」
窓際に座る尚斗達の方に麻里絵が近づいてくる。
「男子校生は哀しいな、って話だ…」
「……?」
わけがわかんない、という表情の麻里絵。
紗智はそんな麻里絵の様子を窺いながら、尚斗に対して口を開いた。
「あ、でも藤本先生の方が凄いかも。幼年部から大学院までこの学校で、しかもこの学校の教師として赴任したから、もう、物心ついたときから女の園の住人なんだって」
「……だからあんなに極端なのか、あの人は」
麻里絵の眉がぴくっとひくついたのを紗智は見逃さない。
「……尚人くん、最近藤本先生とよく一緒にいるよね?」
「あーそういやそうよね。案外藤本先生に気に入られてるんじゃないの?」
このこの、と尚斗の肩を肘でつついてみせる。
「雑用でこき使われても嬉しくとも何ともねえ……」
興味なさそうに頭の後ろで手を組み、ぼんやりと天井を見上げる姿に嘘はなさそうだった。
「……だったら、断ればいいじゃない」
ぽつりと麻里絵が呟く。いかにも子供っぽさの残るやきもちらしき感情を滲ませて。
そのくせ、紗智が尚斗と一緒にいることには何も言わない。
「……断ればいいのか?」
「え?……あ、ううん、そういうわけにもいかないだろうし」
ふるふると顔を振りながら、しかし麻里絵は嬉しそうだった。
「なるほどね……」
紗智はさっき以上に肘で尚斗の肩をつつきまくった。
「な、何だよ。痛えぞ紗智…」
「気にしない気にしない……そうよね、人生ってのはタイミングだと思うわ」
5年ぶりに再会した幼なじみ。
それは、麻里絵にとっても自分にとっても1つのきっかけとなるはずだと紗智は思った……
「自分から告白した彼女をおいて遠くの学校に進学することをどう思う?」
「事情を抜きにして、ちょっと首を傾げるな…」
「じゃ、次。彼女からのメールに対して返事をほとんど返さないことは?」
「そりゃ、やべえだろ……って何が言いたいんだ紗智?」
紗智はぎゅっと唇を噛みしめて、そして肺の中に残った空気を絞り出すように呟いた。
「……麻里絵がいるのに、新しく彼女を作ったみちろーをどう思う」
尚斗の表情が初めて動いた。
「……マジ?」
「大マジ……みちろーと同じ学校に進んだ友達が数人いるから」
そこで紗智は一旦言葉を切って俯いた。
「みんなで私を騙そうとしているんじゃなければだけど……」
「は?」
「私が麻里絵と親しいのはみんな知ってるからね……麻里絵はいい子だけど、まあみちろーのせいで恨まれてもいたわけよ。卒業してから2年……考え過ぎとは思うけど」
尚斗は肩をすくめ、そしておっくうそうに天を仰いだ。
「……麻里絵が、何であんなに昔にこだわるのかちょっとわかったような気がする」
「中学の頃の麻里絵には何もなかったからね……あんなにいい娘なのに」
季節は冬だが、風さえなければそう寒いわけでもない。ただ、風よけがないと……やはり寒さが厳しい。
「……みちろーの前ではいい顔をするから。麻里絵はそういう事言わない娘だし」
「空手二段の紗智1人ではどうにもならなかったわけか……」
紗智は小さく笑い、そして俯いた。
「あたし、中3の夏から道場に通い始めたのよ……」
尚斗は大きくため息をついた。
「おいおい、たのむぜ、みちろー」
「みちろーは家庭にいろいろあってそんな余裕無かったの!あんたがいれば良かったのよ……麻里絵を5年もほったらかしにして」
「……面目ない」
素直に頭を下げる尚斗を見て、紗智は自嘲的な笑みをこぼした。
「ごめん。やつあたりよね、これじゃ……」
「気にすんな……紗智にはやつあたりする権利がありそうだ」
「あははっ、何よそれ?」
「紗智がお人好しってことさ……」
弾かれたように顔を上げてしまった。
優しく自分を見つめる目がそこにある。
「好きだったんだろ…みちろーのこと」
紗智は尚斗の瞳をしばらく見つめ、そして小さく頷いた。
「まあね……格好良かったもの、あんたと違って」
紗智は小さく笑って、屋上のフェンスに背中を預けた。
「麻里絵は……どうしてあたしに対して普通でいられたんだろうってずっと思ってた。少なくとも、あたしは自分のつき合ってる男にチョコを渡す相手とは口も聞きたくない」
「紗智の場合、それ以前の問題じゃないのか?」
「まあ……私という彼女がいながら何で受け取るのよって、もー大激怒するわね」
拳を握って突き出す。
空手で言うところの直突きの格好だが、腕だけでは大した威力もない。
「で、麻里絵はいい子だ……と?」
「間違ってるとは思わないわ……それに、考えたくなかったもの。麻里絵はみちろーの事が本当に好きなのか?なんて…」
誰かなんと言おうと、紗智にとって麻里絵は親友だった。
「……だから、みちろーの背中を押したの……うじうじと思い悩むのって嫌いなのよね、あたし」
「あのやろ、俺には偉そうなこと言っときながら、他人の助けをかりやがったか……」
苦笑しながら呟かれた尚斗の言葉を聞いて、紗智は全てを理解した。
今、目の前にいる少年はある意味自分の同類なのだと。
「あは……」
紗智を見て、尚斗もまた笑った。
「ま、二人に会わなかったのはそういうわけだ……」
「だよね。おかしいと思ったんだ……麻里絵の保護者みたいだもん、あんたって」
「みちろーの野郎……『麻里絵と結婚するから……』なんてぬかしやがって」
握りしめた拳を手のひらにうちつける尚斗。
「あたしもあたしも!『実は…麻理枝が好きなんだけど…』とか言ってさ…」
よりかかったフェンスをガシガシと鳴らしながら、紗智が大きな声をあげた。
1人では言えなかった言葉がある。
好きだったから、それ以上に惨めだったから。
「身勝手だよね、みちろー」
「まったくだ…男の友情踏みにじりやがって」
冗談めかして、思い思いの言葉を口にしながら、同じ空を見上げる。
雪のように積もった心の底の澱を吐き出しても、冬の空は澄んでいた。
「ねえ……あたしが引導を渡しちゃっていいのかな?」
「みちろーの仕事だろ、それは……麻里絵とみちろーの二人の問題だ」
「……そうなんだけどね」
「二人とも好きだから見ていられない……か?」
乾いた風が吹き抜ける……それなのに、二人の間には湿っぽい雰囲気が漂っていた。
「ほら、あたしってさ……お人好しだから!」
「自分で言うか、ふつー…」
「あんたに言われたくないわよ……」
雨気をはらんだ冷たい風が屋上を吹き抜ける。
雨…と言うよりも、この寒さだと雪になるかも知れないと紗智は思った。
良く晴れていたあの日から3日、紗智は持てる人脈とネットワークを全て使って情報の裏をとることに専念した。
「なあに紗智、こんな所に呼び出して…」
「みちろーとは連絡とれた?」
「……ううん」
困ったように俯いて首を振る麻理枝。
「別れちゃえば?彼女のメールに返事1つよこさないなんておかしいじゃない」
「……忙しいんだよ、きっと」
「簡単なメールも、うてないぐらいに?」
「簡単なメールじゃ、伝えきれないことがあるからね……」
麻里絵の表情が頑なになった。
中学の頃の、みちろ−と紗智以外の存在を認めなかった表情だった。
多分、麻理枝自身が一番良くわかっているのだろう。ただ、それを決して認めようとはしない。
「でも……」
麻里絵の視線に、紗智の言葉は遮られた。
追いつめられた、切実な瞳の奥に何かが揺れている。
「想い出は……誰からも忘れられた想い出はどこに行くのかな?」
「……?」
「思いは…どこに行くのかな?」
「麻里絵……」
「誰かが覚えていてあげないと……それは嘘になっちゃうんじゃないのかな?」
「忘れたわけじゃ…」
ないでしょ…という言葉を遮るように麻里絵は続けた。
「忘れたもん……尚兄ちゃんは私達を忘れて、みちろーくんは想い出から逃げだした」
「それは…」
「どうして忘れるのかな……楽しいことも、哀しいことも、全部含めて大事な想い出なのに……哀しいことだけを忘れる?そんなの嘘だよ」
「麻里絵…」
「いやっ!」
麻里絵は耳を覆って、激しく頭を振った。
「私は忘れないっ!尚兄ちゃんとみちろーくんと私以外は誰もいらない!」
紗智は麻里絵の左腕をつかんで耳から引き剥がした。
「私は!麻里絵の中に私はいないの!?麻里絵と私は中学で出会ったのよ?」
「みちろーくんが好きだったからでしょ?」
凍り付いた紗智の上に、ゆっくりと粉雪が舞い始めた……
「あっはっはっ……失敗失敗」
明るく笑い、尚斗の肩をばんばんと叩きまくる紗智。しかし、決して尚斗と視線を合わせようとはしない。
「いや、麻里絵も同じ人間なんだなって痛感したわ、あっはっはっ……」
「……笑いが乾いてるぞ」
「湿っぽいの嫌いなの……」
「何があったのかおおかた予想は付くが……」
「そう?あたしは予想もしてなかったわ。あの頃からあんな風に思われてたかと思うと……正直落ち込むわね」
尚斗の肩によりかかるようにして大きくため息をつく紗智。
「みちろーが好きだったから…か。いや、空手の稽古よりよっぽどきついわね……と言うわけだから、あたしも早退するね。先生によろしく……」
肩をポンと叩いて昇降口から出ていく紗智の背中に、慌てた尚斗の声が追いかけてくる。
「お、おい。傘持ってないだろお前……」
「心配するなら麻里絵を心配してあげて。幼なじみなんだから、どこにいるかはわかるでしょ?……それに、今のあたしは雨だろうが槍だろうが平気」
右手をひらひらと振り、みぞれ混じりの雨の中、紗智は飄々と歩いていった。
「へくちっ!」
ガンガンする頭を押さえ、紗智は熱くなったタオルを枕元の洗面器に投げ込んだ。
「……で、どうしてあんたがここにいるのよ?」
「今日は創立記念日でお休みなんだ…」
「あっそ……ってお母さんは?」
「紗智の友達です……って言ったらさくさくと部屋まで案内してくれたが」
「あっそ……って、どうしてあたしの住所知ってるのよ?」
「麻里絵に聞いた」
「……」
紗智はゴロンと寝返りをうち、尚斗に背を向けた。
「……嘘つき」
「感謝の言葉が聞こえんぞ?」
「お見舞い貰ってないもの……」
「夕暮れの図書室で抱き合ってた二人の先輩のお話を……」
「あははっ……やっぱ、そういうのあるんだ…ッシュン!」
「……風邪が治ったら続きを話してやろう」
濡れタオルをぎゅっと絞り、紗智の額にのせる尚斗。
「麻里絵は…?」
「熱だして寝込んでる……」
「……あんただけが風邪を引かなかったと?」
「馬鹿だからな…」
無言のまましばらく濡れタオル絞りに精を出す尚斗をじっと見つめ、紗智は大きく息を吐いた。
「……しんどいのか?」
「良かった…」
「何がよ?」
「麻里絵のね……イヤなとこ見られて良かった」
「……」
「……麻里絵、今までいいところしか見せてくれなかったから。だから、好きにならなきゃってずっと思ってた……」
「……嫌いになったのか?」
「ううん……本当に好きになれそうな気がする。義務感とかじゃなくて……」
「ややこしいのな、女は…」
「ふへへ……」
紗智はにへらーと力のない笑みを浮かべた。
「あたしと麻里絵の風邪が治ったら……どっか遊びに行きましょ」
「……そだな、考えとくよ」
「駄目、絶対に行くの……」
「はいはい……病人には逆らいません。とりあえず、寝ろ」
「あっはっはっ……まさか、あたし達と入れ替わりに寝込むとはね」
しかも症状は尚斗の方がよっぽど重そうだった。
紗智は湯気のでそうな尚斗のおでこをべちべち叩き、麻里絵は黙々と濡れタオルを絞っている。
「しかし……身動きのとれない息子に留守番させてるってのも凄いご両親だね」
「紗智!」
愛のない家庭だねえ…などと呟く紗智を麻里絵がたしなめた。
「ん?」
「尚兄ちゃん……お母さんいないから」
紗智の右頬を汗がつっと流れる。
「……なに、ちょっと遠いところに遊びにいってるだけだ、ゴホッ…」
「ありゃ……家ン中綺麗だからちょっと勘違いしちゃったな。あー、あんたが妙に世話好きなのはそのせいか?」
「……そんなことより、お前ら仲直りできたのか?」
紗智と麻里絵の視線がぶつかり、同時にぎこちなく微笑んだ。
「ま、ぼちぼちやるつもり……友達だもん、ケンカして当然でしょ」
「そうだな、ケンカして当然だな…」
「……そうだね」
ためらいながらだが、それでも麻里絵は笑った。
「……ところで、お前ら学校は?」
「え、創立記念日…(*2)」
全く悪びれた様子のない二人を見て、尚斗は悲しそうに首を振った。
「……紗智はともかく、ちび麻里が不良に」
「熱がある割には余裕あるわね……」
「紗智……邪魔するなら帰る?」
「ふっふっふっ、じゃあお粥の1つも作ってみますかね…」
「……なんか寒気がするからやめろ」
「大丈夫……レトルトだから」
「この機会に練習すればいいのに……どうせ、熱があるから味なんてわからないし」
さりげなく麻里絵が酷いことを言ったが、紗智はさらりとそれを聞き流した。
「1ヶ月なんてあっという間ね……」
「まだ2日残ってるよ、紗智」
「後2日……とも言うわね」
風は冷たかったが、陽光は春の訪れを感じさせた。
「面白かったよね、この2週間?」
「……ちょっと後ろめたかったけどね」
髪をなびかせながら、麻里絵は紗智を振り返った。
フェンスにもたれて澄んだ空を見上げていた紗智は、顔を動かさずにちらりと麻里絵の顔を見た。
「どうして?」
「だって……私はみちろーくんの彼女だから。楽しいのはいいけど、楽しすぎるのは……ちょっと困る」
「楽しいと……忘れちゃうからね」
紗智は首が痛くなるまでに顔を上げて、どこまでも広がる空を見つめた。
「あたし……忘れることにする。ううん、忘れちゃった…麻里絵もそうしたら?」
「私は……もうちょっと覚えておく。みちろーくん、今度帰ってくるらしいから……その時、どうするか考える」
「……その時は、もう手遅れかもね。あたし、速攻タイプだから」
麻里絵に向かって、紗智は白い歯を見せて笑った。
「負けるときも速そうだよね…」
「くふふ……今度は自信あるの、あたし。14日が決戦日ってね」
「ふふっ……紗智のお手並み拝見といこうかな」
紗智と麻里絵、二人の笑い声が風に溶けて流れていった……
完
紗智!
なんつーか、あのおいしい役どころをエンディングに向けてシナリオがぎったんばったんしてて台無しにされた感がありますが……君を志保2号と名付けよう。(笑)
ま、それはおいといて……もうちょっと色恋っぽいイベントを詰め込んだらこのキャラが凄いことになってたと思うんですが。(結花もな)
……そんなことより、評判悪いっすねこのゲーム。
高任は今や狼少年扱いですよ。(笑)
途中で投げ出さずにやりこめ!やりこんでみるんだ!このゲームは面白いから!(涙)
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