『続いて、卒業生答辞……卒業生、起立』
 在校生代表として送辞を読み上げた世羽子と入れ替わり、夏樹は台上にあがった。
 去年の卒業式で、前の年の文章を少し手直ししただけ……の、送辞を読み上げた夏樹には、世羽子がそれを自分の手で1から書き上げた事がよくわかった。
 世羽子との間にこれといった交流はなかったが、それだけで夏樹は世羽子の人柄に触れたような気がして……一人の卒業生として素直に嬉しく思った。
 微かに流れるBGMはアニーローリー……ずっと昔、卒園式の時にかかっていたその曲名を教えてくれたのは冴子。
「長かったのか、短かったのか……今日の卒業式が近づくにつれ、そんなことを考えている自分に気付きました」
 幼稚舎から高校まで……そして大学まで内部進学の夏樹にとって、学校を卒業するという感覚があまりない。
 学校はあくまでも場所に過ぎず、良い記憶も、悪い記憶も……それらはすべて人と人とのつながりによるもので……それでも、学校という場所が、それらの人とのつながりを与えてくれたことは否定しない。
 答辞原稿の終わりが近づき、ふと、在校生の席で結花が泣いている姿に気付いた……ツン……と、鼻の奥が刺激される。
 私は……それだけのことをあなたにしてあげられただろうか。
 演劇部の後輩……同級生のみんな……ファンクラブの娘達……そして、ここにはいない人達……みんなと、つながりを持つことが出来た偶然に感謝を込めて。
「……今日、私たちは卒業します」
 手に持った紙をたたんで……深く、頭を下げた。
「ありがとう、ございました…」
 心の中で4秒を数えて頭を上げた。
「卒業生代表……橘、夏樹」
 
「お疲れ、夏樹」
「……冴子」
「んーそういう表情をされると、こっちもどう反応して良いやら」
「あ、ご、ごめんなさい…」
 頭を下げた夏樹の額を指ではじき、冴子はちょっと微笑んだ。
「卒業式の出席には関係なく、卒業は卒業だからね……まあ、夏樹の勇姿を見られなかったのは残念だけど」
「……勇姿だなんて」
 夏樹は指先で目元を拭う仕草をして笑った。
「ちょっと泣いちゃったわよ…」
「あらら、男の子が泣いたらダメじゃない」
「冴子っ」
「そうそう、笑えとは言わないけど…泣くぐらいなら怒ってる方がいいわよ」
 邪気のない(演技かどうかはさておき)冴子の微笑みに毒気を抜かれ、夏樹はちょっとため息をついた。
「……卒業ね」
 冴子にはしては珍しい、どこか感慨深げな響き。
「そう…ね」
 まだ新しい校舎を見上げた……雲一つない青空をバックに、校舎はいつもと何一つ変わらない。
「どうという事もない6年だったけど……最後の2ヶ月はちょっと面白かったのよね」
「私は……そうでも無かったけど」
 そうは言ったが、夏樹にとって中学時代の3年間はそれほど大した印象もなく……やはり、高校の3年間、それも結花と出会ってからの2年は、かなり密度の濃い時間を過ごしてきた気がして。
 つまり、冴子にとってこの6年は、自分にとっての中学時代のようなモノだったのか……。
 夏樹は、冴子の友人としてかける言葉が見つからず。
「夏樹、言っておくけど『面白いこと』なんてのは滅多にないから面白いのよ?」
「……毎度のことだけど、なんで私が考えてることがわかるの?」
「夏樹は、屈折してないもの……精神的に健康そのものというか」
「そう……かな?」
 曖昧に頷きながらも、心の中で少しだけ反発する夏樹。
 これでも高すぎる身長のことだとか、演劇部のことだとか……後が続かなくなって、夏樹は首をひねった。
「あ、あれ?」
 ひょっとして私……悩みとかほとんどない?
「別に、多い少ないの問題じゃないけど」
「だから、何でわかるの…」
「気にしない、気にしない…」
 冴子の手が、ぽんぽんと夏樹の肩を叩いた。
「……こんちわ、冴子先輩」
「あら、有崎君」
 夏樹は肩越しに後ろを振り返り、恨めしそうな目で尚斗を見た。
「私には?」
「卒業おめでとうございます、夏樹さん」
「……」
「夏樹さん?」
「有崎君、夏樹が先輩って呼んでって」
「冴子っ」
「じゃあ、夏樹先輩」
「……」
 夏樹はちょっと首をひねった。
「……なんだか、思ってたのとちょっと違うような」
「夏樹、あんまり深く考えない方が自分のためだと思うわよ」
「どういう意味?」
「答えを出さない方が、本人にとっては良いケースもあるのよね」
「……冴子、余計に意味が分からないんだけど」
「な〜つき様ぁ〜」
「おや」
 尚斗と夏樹がそちらをむく……冴子は、そちらを見ることなくぽつりと呟く。
「夏樹あるところに彼女あり…かな?」
 ててててっと駆け寄ってきたちびっこは、そのままの勢いで尚斗へとぶつかっていく。
「……結花ちゃん…それ、有崎くんだけど」
「夏樹様だと危ないじゃないですか…」
 尚斗の腹にごしごしと目元をこすりつけ……結花が夏樹を振り返る。
「卒業おめでとうございます、夏樹様」
 すっきりとした口調、さわやかな表情の中で、目だけが少し赤い。
「……ハンカチか俺は」
 ぼそりと呟きつつ、尚斗は静かにその場から離れる……続いて冴子が。
 
「今日、男子は休みでしょ?」
 今日は女子校の卒業式……卒業生の父兄が参加したりもするので、お目汚しの男子生徒の出席は見合わせるように……意訳すると、こういう話が持ち上がったわけで、今日の卒業式の在校生の席は、女子生徒だけ。
 まあ、男子生徒は在校生ではないから当たり前と言えば当たり前なのだが。
「いや、軽音部の練習につき合ってくれ、演劇部の大掃除を手伝ってくれって頼まれまして」
「……なるほどね」
 冴子はちょっと笑い……すぐ、口元に悪戯っぽい微笑みを浮かべる。
「それはつまり、キミは、秋谷さんか九条さんのどちらか、それと入谷さんに対して、弱みがあると?」
「まあ……世羽子には賭の負けを払わされ、ちびっこには責任とらされてる最中なんですが」
 結局、バレンタインカップルの成立は1組だけで、世羽子の勝ち……尚斗に対して、しばらくバンドの練習を手伝えという、いたってシンプルな要求。
 公演がうまくいかなかった時は責任をとってもらいますとか言ってたよな……と、後日に尚斗が切り出したところ、ちびっこは顔を真っ赤にして何度も何度も言いよどみ、一体どんな責任をとらされるのかと思ったら、力のいる仕事がある時に演劇部を手伝ってくれ……というだけの話で。
「……まだ、生殺しの状態なの?」
「何が、生殺しなんですか?」
「さあ、何がでしょうね?」
 なんのことだかさっぱりわからないという表情で、平然と切り返してくる冴子。
「自分でふっといて…」
「自分の投げかける問いに答える者が、全て同一である必然性はないもの」
 尚斗はちょっと首を傾げ……わかったような、わからないような微妙な表情で尚斗が呟いた。
「えっと、誰にもわからない事はある、と?」
「まあ、そんなとこかしら…」
「はっきり言ってくれて良いですよ、俺には教えないって」
「有崎君には教えてあげない」
「了解です」
「あ、でも…」
 ふと思いついたように、冴子が声を上げた。
「……藤本先生は、どうなるのかしら?」
「……来年も、ここで教師やってるんじゃないですか?」
 冴子はちらりと尚斗を見て……口元だけで笑って見せた。
 
「それにしても、もうすっかり春ですねえ」
 そう言いながら、結花が今さらのように校庭を見渡した。
「有崎さんは、花粉症とか平気ですか?」
「今のところは」
「そーですね、誰だって今のところは…ですし」
 今日の結花は、どことなく無理してはしゃいでいるように見えたが……夏樹の卒業式だったから無理もないと尚斗は思う。
「へえ、有崎君が練習終わってすぐにいなくなったのは、そーいうことなんだ」
「ん?」
 声のした方に視線を向ける……と、温子が興味深そうに尚斗と結花をじろじろと見つめていて。
「あれ、まだ残ってたのか温子」
「や、私だけじゃないけど」
 と、温子の背後から世羽子と弥生が現れる。
「温子、誤解してるみたいだけど……尚斗は今、お節介失敗の尻拭いの最中なのよ」
「そうそう」
 世羽子の台詞に弥生が頷き……温子がそっぽを向いてため息をつく。
「そりゃ、建前としてはそうだろうけど…」
 結花の顔が心持ち赤くなり。
「な、なんですかっ……じゅっ、純粋に力仕事が多いんですからね、ウチの部は」
「勘違いしないでね、私は基本的に無関係〜」
 と、温子がちょっと手を振り……その手をそのまま結花の肩に置いた。
「はっきり言って、有崎君みたいなコストのかかる相手は勘弁かな」
「コスト……ですか?」
 結花がちょっと首を傾げた。
「もちろん、お金じゃないよ……なんというか、それ以上のリターンがあるとしても色々犠牲にしなきゃいけないモノが多すぎるというか」
「何の話だよ?」
「んー、一ギャラリーとして、もうちょっと山あり谷あり、乱闘ありのコメディを要求してるの」
「は?」
 ワケわからねえという表情を浮かべた尚斗の隣で、結花がぽつりと呟く。
「……乱闘ありだと、秋谷先輩の圧勝じゃないですか」
 温子の視線が結花に向き……ちらりと世羽子を見てから再び結花へ。
「ここだけの話、勝負は早めにかけた方が良いと思うな……世羽子ちゃん、あんまり我慢強くないと思うし」
「温子」
「じゃ、私はさっさと帰るね」
 と、逃げるようにその場から温子が走り去る。
「……じゃあ、こっちも帰るか」
「そうね」「はい」「そうしましょ」
 と、歩き出す4人。
「そういや、弥生……また、世羽子の家に転がり込んだんだって?」
「な、何でそれをっ!?」
「いや、御子ちゃんが…」
「またあの子は、安易に人を頼ろうとする…」
 ため息混じりに呟く弥生に向かって、結花がぽつりと呟く。
「秋谷先輩の家にやっかいになってる人がそれを言いますか…」
「うっ、痛いところをつくわね…」
「まあ、家事とか手伝ってもらってるからギブアンドテイクの部分はあるけど……父さんは、弥生の料理を喜んでくれるし」
「私よりも御子、御子がすごいのよ〜もう、あの子が作った料理なんて、下手な料亭何かより……(以下略)…」
 と、心底嬉しそうに語り出す弥生に、3人中2人が心の中で『姉バカ…』と呟く。
「へえ、御子ちゃんってそんなに上手なのか…」
「すごいわよ…まあ、実家の賄い方担当がなんか元々すごい人らしくてね……御子は小さい頃から色々教えてもらってたから……有崎も一度作ってもらったら?」
「んー、でも俺は庶民の舌だからな…」
 このままでは話題についていけないと思ったのか、結花が話題の転換を試みた。
「そ、そーいえば最近、椎名先輩や一ノ瀬先輩を見かけませんけど…」
「学校には来てるわよ、ただ、しばらくは尚斗と一緒の登下校を禁止しただけ」
「……世羽子、お前そんな条件を?」
「困ってたじゃない、尚斗」
「そりゃ、たまにならともかく、毎朝毎晩多く飯を作らされりゃあ腹も立つ……親父は喜んでたが」
 言わずと知れた紗智の分。
「ただなあ……紗智の奴、あれだけ俺ん家で飯を食っていくって事は…」
 尚斗がちょっと眉をひそめる。
「まーた、有崎がお節介やこうとしてる」
「しょうがないわよ弥生、病気だから…」
 弥生と世羽子はそれぞれため息をつきながら。
「……さーん」
「ん?」
 尚斗がきょろきょろとあたりを見渡した。
「どうかしましたか、有崎さん」
「いや…」
 ちょっと首を振った。
「……きさーん…あ…さーん」
「上かっ!?」
 どことなく懐かしさを覚えつつ、尚斗は上を見る。
 ごま粒大の何かがあっという間に大きくなって……
「世羽子っ!」
 側にいた結花と弥生の身体を、世羽子に向かって手加減しつつ突き飛ばした。
 あの時の再現なら……というか、落下速度があの時とは比べモノにならない。
「……って、これはさすがに…」
 死ぬかもしれない……が、避けたら確実に安寿がただではすみそうも……と、尚斗が覚悟を決めた瞬間、真っ白い大きな羽がばさあっと尚斗の視界一杯に広がった。
「有崎さぁーんっ!」
 地面に激突することなく、安寿の両腕はふわりと尚斗の首を抱きしめ。
「有崎さんっ、有崎さんっ、有崎さーんっ」
 尚斗の首根っこを支点に、安寿は羽をばたつかせて周囲をぐるぐると回転。
「うおおおおっ?」
「あうぅ〜有崎さぁーん〜」
 やがて回転が止まり……安寿は、二度と放してたまるかという感じに強く強く尚斗の首根っこにかじりつきぼろぼろと涙をこぼし始める。
 もちろん、翼は出しっぱなし。
「さ、再会を喜ぶのはあとにして、とりあえず翼を…」
 あの時は尚斗ひとりだったが、今は確実に尚斗以外の目撃者が3人いる……いや、もう確実に手遅れかも知れないが。
 尚斗の脳裏に、ぱんぱん手を叩いて後始末して回る安寿の姿が浮かぶ。
「……ちょっとは成長しようぜ、安寿」
「有崎さぁん…まずはおかえりの挨拶ですぅ〜♪」
 おかえりって、それはちょっと違うんじゃないかと思いつつ。
「えーと…おかえり、安寿」
「ただいまです〜♪」
「……っていうか、安寿の姿を見て凍り付いてる娘さんが3人ほどいるんですが」
 安寿の肩越しに……こちらを指さして口をぱくぱくさせている結花と弥生、そして、いまいち判断のつきにくい様子の世羽子。
「も、もう少し、感動の再会の余韻を〜♪」
 ひしっと尚斗を抱きしめる力が強くなって、安寿がすりすりと頬をすりよせた……安寿の触れている部分がやたらと熱くなる。
「あ、ああぁぁ有崎さんっ!」「あ、あああ有崎ぃっ!」
 結花と弥生が同時に声を上げた。
「だ、誰(ですか)よっ、その娘っ!どういう関係(ですか)なのっ!?」
「……他にツッコム所はないのか」
「有崎さん〜人は興奮すると視野が狭くなるんです〜♪」
「そりゃ、空から人が降ってくればな……気が動転もするか」
「……有崎さんが相変わらずで、ほっとするような、がっかりするような〜♪」
 安寿はため息をつき、名残惜しそうに尚斗の身体から離れた。
「私は、天野安寿と申します〜」
 と、弥生達に向かって安寿はぺこりと頭を下げた。
 『あんじゅ…?』と、世羽子だけが不思議そうに呟き、弥生と結花はもっと聞きたいことがあるという表情でじっと安寿を見つめたまま。
「有崎さんは〜私の命の恩人なんです〜♪」
「え?」
 呆気にとられたように、尚斗は安寿を見た。
「有崎さんがいなければ〜私がみなさんにこうして挨拶することはもちろん……存在する事さえできなかったんです〜♪」
 安寿の視線はまっすぐに尚斗に向けられていて。
「有崎さんのおかげなんです…あなたのおかげで、こうしてまたあなたとお話ができます…あなたのことを感じることができます…心が温かくなります…」
「あ、うん……事情はよくわからないが、それは何よりというか……とりあえず、翼をしまおう」
「できませんよ〜♪」
 あっさりと首を振る安寿。
「え?」
「尚斗…」
 それまで黙っていた世羽子がようやく口を開く。
「その娘、何者?」
「えっと、安寿……ほら、例の猫だまし」
「だから、できませんよ〜♪」
 またもや首を振る安寿。
「……うえええぇっ、あの娘翼が生えてるぅっ?」
「あああぁぁっ、ホントですぅぅっ!?」
 信じられないモノを見た……そんな感じで、弥生と結花が完璧に硬直。
「……って、今頃気付いたのかっ!?」
「あのですね、有崎さん〜」
「安寿も、そんなに落ち着いてる場合じゃ」
「ですから〜」
 安寿はちょっと恥ずかしげな表情を浮かべて。
「私、どうせ消滅させられるならと思って……あの時、有崎さんに持ってる力を譲渡しちゃったんです……ひょっとしたら、有崎さんの役に立つかなと思いまして〜♪」
「え、譲渡……って、力?」
「だから、今の私は、空を飛ぶぐらいしか〜♪」
「え、何?じゃあ、俺って、今、天使なのか?」
 腕を上げたり下げたり、尚斗にしては珍しく慌てた仕草を見て……安寿の微笑みがますます優しくなる。。
「まあ、そういうわけですので〜返してもらえますか〜♪」
「……え、そりゃ、元々安寿のだろ……っていっても、力がある実感ないし、どう返せばいいのやら…」
 安寿はちょっと顔を赤らめて。
「じゃ、じゃあ…目をつぶってください〜♪」
「こ、こうか…?」
 素直に尚斗は目を閉じた……ゆっくりと、安寿か近づいてくる気配。
「尚斗っ、その娘嘘ついて…」
 ぱちん。
「あ、相変わらず鋭い人です〜♪」
 目を開ける。
「……こら」
「あ、有崎さん〜まずは目をつぶってください〜♪」
 じろり。
「すみません〜、本当はもうさっきの抱擁で返してもらいました〜♪」
 ぱちん、ぱちん、ぱちん。
 弥生達に向かって手を叩き、真っ白な翼が空気にとけ込むように姿を消す。
「これで万事オッケーです〜♪」
「前のこともあるからなあ…」
 と、やや疑わしげに弥生達3人に視線を向ける尚斗。
「いやあ、そんな偶然ってあるのねえ…」
 と、いきなり納得したようにうんうんと頷く弥生。
「でも、苦労したんですね安寿さん……そうですよね、人間って一人じゃないですよね」
 手の甲で目元を拭いながら結花。
「じゃあ、尚斗……結局、その娘は尚斗の家で預かることになったのね」
 と、世羽子。
「……安寿さん、俺にもわかるように説明してくれんかね」
「実は……私は両親を事故で失い、天涯孤独の身でこれからどうして生きていこうかと彷徨っていて、危うく両親の後を追うように事故にあいかけたところを有崎さんに救ってもらったんです〜♪」
「そ、そーだったのか…」
「そして、有崎さんと私は遠い親戚だったことが判明したんです〜♪」
「……親父と母さんは、二人して天涯孤独と聞いているが」
「実は、いたんです〜♪」
「そ、そうか…」
「良い話ですよねえ〜♪」
「……うん、まあ」
「と言うわけで、これからお世話になります〜♪」
 ぺこり、と安寿が多摩を下げる。
「うむ、まあそういう事なら……って、何か大事なことを忘れているような」
 ちょっと首をひねった尚斗を見て話が一段落したと判断したのか、世羽子が安寿に話しかけた。
「えっと、天野さん…?」
「はい〜♪」
「私達は、その…みんな尚斗の友人で…私は秋谷、この娘は九条、こっちは入谷さん」
 弥生と結花が、頭をちょっと下げる。
「とっくに、知ってます〜♪」
 尚斗が、安寿の横腹を肘でつついた。
「……ぁ」
 安寿は困ったように俯き、ぽつりと呟いた。
「すみません〜、滑っちゃいました〜♪」
「あ、あぁ…こ、こっちこそ…ごめんね、ツッコミ入れられなくて…」
 完璧に間合いを外した冗談(?)が幸いしたのか、それぞれ3人は、両親を事故で失った少女の精神的打撃に思いを巡らしたらしく。
「い、いえいえ、気にしないでください〜秋谷さんに、九条さんに入谷さんですね〜よろしくお願いします〜♪」
 などと言い繕おうとする安寿の姿が、ますます無理に明るく振る舞おうとしているような印象を与えてしまったのか……弥生はさりげなく顔を背け、目元を拭ってしまったり。
 いろんな意味でそんな空気に耐えられなくなった尚斗がふと思い出したように声を上げた。
「そういえば、そろそろ安寿の荷物が届くんだ……早く帰らないと」
「そ、そーでしたねえ〜♪」
「え、えっと、引っ越しの荷物運びなら手伝いますよ」
「……力仕事で、誰が誰を手伝うんだ、ちびっこ?」
「すみません、おこがましい発言でした…」
 
 安寿と二人で家に帰り……台所でお茶を啜ってから、尚斗が切り出した。
「何やら、命の恩人などという物騒な台詞が非常に気になったんだが」
「……一ヶ月ぶりの、シャバのお茶は最高です〜♪」
 心の底からしみじみと呟いた安寿に、尚斗は遠慮しつつ聞いた。
「良くわからないが……大変だったのか?」
「仕事はできない、天使の存在を人に漏らす、そもそも天使のくせに人を幸せにできない……(以下略)……本当なら、消滅処分まっしぐらでして…」
「……」
「死刑執行前日の囚人に、『何か食べたいものはないか』……とか、看守の方が聞いたりする話があるそうじゃないですか…」
 安寿の目は遠く、ひたすら遠くを見つめていて。
「私、毎日聞かれたんです……『何か欲しいモノはある?』……って」
「そ、それは…」
「もう、毎回毎回、『ああ、これで終わりなんだ…』って、何度も何度も何度も何度もっ」
 『何度も何度も…』のリズムに合わせ、安寿がばんばんとテーブルを叩く。
「……いくら覚悟を決めてても涙が止まらなかったです〜」
 その時の事を思い出したのか、安寿は涙ぐみ。
「で……結局、処分は…」
「ちょっと待っててください〜♪」
 安寿は一旦台所から出ていき……『無罪』と染め抜かれた布を持って、台所に駆け込んできた。
「安寿、そーゆーネタは頼むから控えよう」
「全部、有崎さんのおかげです〜♪」
「いや、そこが意味不明というか」
 ふっと、安寿の視線が縫いつけられたように尚斗から動かなくなった。
「覚えててくれました……私みたいな下っ端天使がお目にかかったこともないような方が、有崎さんから私の記憶を消そうとしたのに……有崎さん、私のこと、忘れずにいてくれました…」
 安寿の瞳が瞬きするたび、瞼の裏にたたえられていた涙が流れて落ちる。
「……それとあの大雪の日、有崎さんと一緒にいっぱい人助けをしました……私は何もしてないのに…私が天使として為した仕事だと認めてもらえました…」
 安寿は一旦言葉を切り……涙を拭ってから再び口を開いた。
「それ以上の詳しいことは教えてもらえませんでしたが……とにかく、そんな感じで私の処分は見送られたそうなんです…有崎さんのおかげと言わずして…」
「……安寿、それ、なんかおかしくないか?」
「そんなことありません、何から何まで全部有崎さんのおかげですよう〜♪」
「いや、俺の記憶が確かなら……俺の記憶が消せない云々の理由は自分で考えなさい、などと天使長さんに言われたんじゃなかったっけ?」
 安寿がちょっと首を傾げ……。
「はい、そうです〜同じ事でくどくどとお説教を〜」
「仕事の是非はさておき……俺に天使の存在が知られたのは、大きな問題にならなかったって事だろ?でも、安寿が戻る戻らないとか言い出したのって…」
 尚斗はちょっと言葉を切り……ぽつりと呟いた。
「……良くわからないが、青山に知られたのがまずい……みたいな対応の気が」
 今度は安寿が首をひねり……何かに気付いたのか、はっと顔を跳ねあげた。
「わかりましたっ!私、青山さんに子供扱いされたんですよ……あれで、役立たずって判断されたんじゃ…」
「能力云々なら、俺が覚えている覚えてないとは関係ないと思うんだが……」
「ううぅ〜」
 安寿がちょっと恨めしそうに尚斗を見つめた。
「処分を免れて、それは全部有崎さんのおかげ…って、全米が涙する程の感動に打ち震えていたのに、有崎さんが水をかけます〜」
「え、いや…だって」
「だっても何もないです。私が助かったのは有崎さんのおかげ……それで良いじゃないですか〜こころゆくまで感謝させてください〜♪」
「まあ……そーいわれるとそうだな。とにかく今は、安寿が無事だったと言うことを喜ぶべきだよな……悪かったよ、安寿」
「いえ、わかっていただければそれで〜♪」
「じゃあ、この話は終わりということで……とりあえず、安寿の部屋を決めなくちゃな……」
 尚斗は立ち上がり……やはり、自分が何か大事なことを忘れているような気がして動きを止める。
「どうかしましたか〜♪」
「いや、なんか…この辺に引っかかるモノが」
 こめかみのあたりに指をあて、5秒、10秒……いきなり尚斗が弾かれたように振り向いた。
「何故にっ!?」
「な、何がですか…?」
「俺ん家にやっかいになるってどういう事だ?」
 安寿はちょっと視線を彷徨わせ……彷徨わせ続けて帰ってこない。
「何か、隠してないか、安寿?」
「そ、そんな〜命の恩人の有崎さんに対して隠し事をするなんて〜」
「……」
 急に黙り込んでしまった尚斗に、安寿がおそるおそる視線を向けた。
「あ、あの…」
「考えてみれば、いきなり無罪放免ってのも何だな……実は、最悪の処分は免れたけど、追放されて行くところがないとか…」
「……あはは、何言ってるんですか、有崎さん〜♪」
「うん、まあ、軽い冗談というか……」
「あははは〜♪」
 にこにこと微笑んだまま、安寿の頬を次から次へと涙が伝う。
「……えっと、悪かった、もう何も聞かないから……泣くな」
「ち、違いますよ〜有崎さんにまた会えて感激してるだけなんです、本当です〜♪」
「うん、正直あんな別れ方をしたから気になってたし……真っ先に会いに来てくれてありがとな、安寿」
「本当に追放なんかされてませんからね…有崎さんを幸せにするという大きな使命を背負ってるんですから〜♪」
 そう繰り返す安寿だが、目の焦点が何故か合っておらず。
「わかった、わかったから安寿……どーんと幸せにしてくれ」
 尚斗の対応は、酔っぱらいに対するそれにどこか似ていて。
「ど、泥棒でもなんでも覚えますから、この家においてください〜♪」
「いや、覚えたらむしろ追い出すぞ…」
「そ、そんなこと言って…有崎さんも、泥棒じゃないですか〜泥棒も泥棒、大泥棒ですよ、きっと〜♪」
「……まあ、確かに宮坂らと組んで錦鯉とか盗んで売りさばいた事あるしな」
「そ、そーじゃなくて…その、私も…盗まれてますし…」
 かあぁっと頬を染め、安寿が俯いてしまう。
「え、ひょっとして安寿の力とか…まだ、全部返せてない?」
「ですから〜盗まれたのは、私のこ…」
 ピンポーン。
 プルルルル…。
「おや、電話とお客様……安寿、玄関頼んで良いか?」
「……ころだったりするんですけど…聞いてませんね…有崎さんはそーいう人ですもんね…」
 ぶつぶつと呟く安寿の言葉が、もちろん尚斗に届いているはずもなく。
 
「……息子よ、ここは天国か?」
 帰宅して早々、尚斗の父が呟いた。
「あ、お邪魔してます〜」
 紗智の声に反応して、部屋の中にいた少女がそれぞれ頭を下げ……安寿がぱちんと手を叩いた。
「おや、安寿くんのためにわざわざみんな集まってくれたのかい……慣れない土地じゃあ、知り合いが増えるのが何よりだからねえ」
 そして、尚斗の肩にぽんと手を置き……
「息子よ……御子ちゃんはいないのか?」
「台所で料理してる…」
 それを聞いてすかさず台所に向かいかけた父親の背中に、尚斗がぽつりと呟く。
「世羽子もいるぞ」
「うむ、御子ちゃんへの挨拶は後にしよう」
「……悪いな、親父」
「何を謝る?」
「いや、何となく」
 と、今度は安寿が頭を下げて。
「ごめんなさい〜」
「おや、どうして安寿くんが謝るのかな?」
「……なんとなくです〜♪」
「できるだけ私のことはおじさまと呼ぶように」
「わかりました〜おじさま〜♪」
 安寿の笑顔攻撃に、父親がいきなり膝をつく。
「お、親父?」
「良かった……生まれてきて良かった…」
 のぞき込んでみれば、人目をはばかることなく父親ははらはらと涙をこぼしていたり。
 安寿が尚斗の肘をちょいちょいとつついて呟いた。
「有崎さん……すさまじい幸せオーラが出てます」
「まあ、親父が幸せなら……多少は罪悪感もマシになると言うか」
「こらこら尚斗っ、主役を連れて行かれたら私達、やることなくなるんだけど?」
 ちょっと不満そうな紗智の声が廊下へと飛んでくる。
「へいへい…」
「みんな、いい人ばかりですねえ〜♪」
「確かに」
 両親を失い、見知らぬ土地へ……その心細さはいかほどか。
 少しでも力になれれば……と、弥生を起点にいろいろと連絡を回したらしく。もちろん、連絡を受けてもこない人間もいたし、わざと連絡を回さなかった相手もいるようだが。
「……多少心が咎めます」
「他人に親切にされたなら、今度は他の誰かに親切にしてやりな。その輪が広がれば、いつかこの世界も、ちっとは住み心地が良くなるから……と、母さんが」
「……なるほど〜♪」
 安寿はにこにこと微笑み……じっと尚斗の顔を見つめる。
「ん?」
「私、ここにいて良いんですよね…?」
「何を今さら」
 安寿は一歩尚斗に近寄り、肩と肩が触れ合うような距離で……もう一度呟く。
「私、ここにいて…」
「天野さんの居場所はこっちだってば」
 と、いきなり紗智と麻里絵が安寿の身体をつかんで部屋の中へと引っ張り戻す。
「あぁぁっ、やっぱりです〜♪」
 ちょっぴり悔しげな安寿の悲鳴がこだまする。
 
 季節は春……しかしながら、花を咲かせるにはまだ少し時期が早く。
 彼女らは、今しばらく空回りを続けることとなっていくのだが……それは偽チョコとは別の話、またの機会に語ることとしよう。
 
 
 
 
 安寿、俺のパソコンどーにかしてぇ〜などと悲鳴を上げつつ。
 結局バッドエンドかよっ……などと、怒られそうですな……と言うわけで、攻略編は夏樹から行くか、ちびっこから行くか。(笑)

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