「しかし……作ってから言うのも何だが」
 ややため息混じりに呟きつつ、尚斗は朝食をぱくつく紗智を見た。
「別に責めるつもりもないけど……遠慮って言葉を知ってるか?」
「やあねえ、遠慮なんて水くさい」
 ちょっと箸を休めて微笑んだ紗智に、麻里絵がぽつりと。
「……なんか言葉の使い方が間違ってるような気がする」
「気にしない、気にしない……しかし」
 と、今度は紗智がため息をつきながら。
「やっぱり飲み物は牛乳なワケ?」
「嫌いなのか?」
「いや、嫌いってワケじゃないけど……」
 言葉を濁し、紗智は麻里絵を……いや、正確には麻里絵の胸を見た。
「……当てつけじゃないわよね?」
「は?」
「……ごめん、忘れて」
 ぶつぶつと呟きながら紗智が牛乳を飲むのを見て、麻里絵が傾げていた首を戻してちょっと頷いた。
「紗智、それはうがちすぎだよ…」
「……麻里絵の成績と同じで、ない人間はある人間をうらやむの。それが普通」
 そう言って、紗智が再び箸をとる。
 プルルル……
「おや」
 尚斗が電話の方に向かって歩き出す……後をついていく麻里絵と紗智。
「……何故ついてくる二人とも?」
「いや、冷静なツッコミ入れるより電話にでた方がいいんじゃない?」
「そうそう」
「……?」
 首をひねりつつも、尚斗は素直に受話器を取った。
「はい、有崎です」
『有崎か?青山だが朝早くに悪いな』
「いや、朝早くも何も、雪が降ってなかったらもうとっくに学校にいる時間じゃねえか」
「尚斗、誰から電話〜♪」
 尚斗は受話器をちょっと手で押さえ、じろりと紗智をにらんだ。
「青山だから良かったってのも失礼なんだが、礼儀は守れ」
「なんだ、青山君か……」
 紗智と麻里絵がすごすごと戻っていく。
「……すまんな、青山」
『今の声は一ノ瀬だな……根本的に善人だから、そのぐらいの小細工が精々か』
「は、小細工?」
『気にするな……それはそれで都合がいいというか、実は今、有崎の家の近くにいてな』
「何だ、用事でもあったのか?」
『いや、用事を済ませて移動中だったんだが……ちょっと落としモノというか』
「……?」
『気を失ってるだけ……というと語弊があるな』
「気を失ってって……おい?」
『着いてから話す、とりあえず風呂の湯を沸かしておけ』
 と、電話が切れてから5分後。
「よお、有崎」
「よおって……肩に担いでるのは御子ちゃんかっ!?」
「一ノ瀬と椎名がいるんだろ?ほら、いきなり風呂の湯にはつけるなよ」
 と、荷物でも扱うように青山が御子の身体を尚斗に向かって放り投げる。
「おいおいおいっ!」
 と、抗議の声を上げつつ尚斗は細心の注意を払って御子を受け止めた。
「人を投げるな、人をっ」
「お前が言うな、有崎」
 
「つ、疲れた……」
 ぐてぇっと台所のテーブルに突っ伏した紗智に、青山がさらりと言った。
「いい経験が出来たな」
「あ、あんまり経験するような事じゃないと思うけど…」
「人生何があるかわからないからな……いろんな経験をしておくことは悪くない」
 気を失った御子の身体を抱えて風呂場に直行して服を脱がし、大きなバスタオル2枚で全身を包み込んでからシャワーでまずはまんべんなくぬるめのお湯をかけ、それから少しずつ温度を高めて……以下略。
 麻里絵と尚斗の二人が客間に敷いた布団に御子を寝かせ、やっと一息ついた……という感じなのだが。
「それより……心配ないの?」
「まあ、衰弱って程でもないし、目を覚ましたら砂糖をたっぷり溶かしたお湯でも飲ませときゃすぐに元気になる」
「……なんか、どうでもいいような言いぐさね?」
「別に。有崎の知り合いじゃなきゃ関わろうとも思わなかったし、正直なところ、死のうが生きようがさほど興味はないな」
 まったく熱量を感じさせない青山の口調に紗智はちょっと鼻白み……ぽつりと呟いた。
「それって……尚斗の知り合いじゃなきゃ、雪の中に放置しておいたって事?」
「気が向けば助ける……ぐらいだな」
「ちょっとっ!」
 バンッと、紗智の手がテーブルを叩いた。
「それ、本気で言ってるのっ!?」
「俺は一ノ瀬と違って善人じゃないからな」
「善人とかそういう問題じゃ…」
「有崎にはりついて、他人の邪魔をするのはいいのか?」
「そっ、それは別次元の問題っ……って、何でそんな事知ってるのよっ!」
 青山はちょっと紗智に視線を向けて言った。
「その理由以外、一ノ瀬と椎名が二人してここにいるのは不自然だからな」
「……ま、まあそれはそれとして、さっきの話」
 態勢を立て直すべく、紗智はそれ始めた話題を強引に引き戻す。
「つまり、青山君は誰かが死にそうな時、それを助ける能力があるのに見殺しにするわけ?」
「人間、死ぬときは死ぬさ……積極的にそれをどうこうしようって程、俺は傲慢にはなれないな」
「このっ」
「ちょい待て、さっちゃん」
 激高して立ち上がりかけた紗智を尚斗の右手が押さえつけ、余った左手で口をふさいでそれ以上のよけいな言葉を封じた。
「まあ、何はともあれありがとな、青山」
「ふむむむっむむぅーっ、ふむむっふむむっ、ふむぅーっ!(そんな馬鹿にお礼言う必要ないっ)」
「……一ノ瀬は別意見のようだが」
 渾身の力で振り解こうとしている紗智だが、いかんせん相手が悪く。
「というか、今朝はずいぶんご機嫌斜めのようだな、青山」
「……正直、ここ2週間はいろいろと忙しかったからな。昨日は昨日で馬鹿と二人で徹夜作業だったし」
「徹夜?」
 宮坂と二人で何やってたんだ?という尚斗の視線を無視して、青山は肩をすくめてみせた。
「で、家に帰って仮眠でもとろうと思ってる時に落としモノだからな……」
「……なるほど」
 尚斗は曖昧にうなずき、視線を二階に向けて言った。
「構わないから俺の部屋で寝てけよ」
「……1時間ほど借りるぞ」
 そう言い残し、青山は勝手知ったる我が家のように台所からでていった。
「さっちゃんよ、青山にも感情の起伏ってやつがあるんだよ……」
「ふむむっ?」
「あ、悪い…」
 と、尚斗が紗智の身体を解放するやいなや。
「いくら機嫌が悪いからってあの言いぐさはないでしょっ!?」
「口でなんと言おうが、青山は御子ちゃんを助けた……その事だけを見てやってくれるとうれしいが」
「……そうね」
 まさに仕方なくといった感じで紗智が頷く。
「まあ、俺がすぐわかる程度にとがってるのは中学以来だから、珍しいと言えば珍しいけどな……寝不足がどうのこうのって理由じゃないのは確かだが」
「……というか、そんなタイプに見えないけど、青山君って尚斗の家に良く来るの?」
「んー、最近はご無沙汰だったけど……中学の頃は結構良く来てたぞ」
「……尚斗の部屋で寝るって」
 ぽつりと呟いた紗智の瞳がイヤな光り方をしていたり。
「まーた、妙な想像してやがるな」
「尚斗と青山君……いや、逆よね。青山君と尚斗…か……あ、でも……その逆の方が個人的には…」
「……なんだか知らんが、ひどく失礼な想像をされてるような気がするぞ」
「尚斗くん、一人にしないでよ……」
 廊下からちょっと顔だけのぞかせて麻里絵。
「あ、悪かった麻里絵」
 元はといえば、台所から響いてきた紗智の声に何事かと尚斗が駆けつけてきたのである……この前の休日は不在だった麻里絵にとって、見覚えはあっても面識のない御子を一人で見守るのは不安だったのだろう。
「……べ、別に…悪くはないけど」
 そう呟く麻里絵の顔がちょっと赤い……ひょっとすると、そこに至る事情を知らずに尚斗が紗智を抱きしめていたのを見てしまったのかもしれない。
「んじゃ、戻るか…」
 よからぬ妄想を続ける紗智を台所において、尚斗は麻里絵とともに御子の寝ている客間へと向かったのだが……その入り口で思わず足を止めた。
 なぜなら、右手のひらを御子の額にかざして、祈りの言葉か何かを捧げている安寿がそこにいたから。(笑)
 5秒、10秒……すっと安寿の右手が離れる。
「……ふう」
 ちょっとため息をつき、安寿はそっと立ち上がった。
「さて、気づかれないうちに……」
「いや、既に手遅れだから妙な事はしないように」
 そばに麻里絵がいるので尚斗はわざと曖昧な言葉を使ったのだが、当の安寿は発見されること自体が意外だったのか、びくっと肩をふるわせておそるおそる後ろを振り返った。
「あら〜」
「あ、天野さん、いつの間に?」
「え、えっと〜♪」
 安寿はちょっと手を叩く仕草をしかけ……ちらりと尚斗を見る。
「や、もう、遊びに来たって事にしようぜ」
「……その発言そのものがまずいと思いますけど〜」
「尚斗くぅんん?」
 語尾上がりまくりの麻里絵に向かって、安寿は尚斗の許可を得ることなくぱちんと手を叩いた。
「わっ」
 麻里絵はぱちぱちっと瞬きをし、さっきまで安寿がいた場所に視線を向けて、不思議そうに呟いた。
「……尚斗くん、ここに誰かいなかった?」
「……御子ちゃんが寝てるな」
「ん、そうじゃなくて……」
 麻里絵はちょっと首をひねり……ぽつりと呟いた。
「気のせいかな…?」
 話題を変えようと、尚斗が御子の枕元に膝をついた。
「……さてと、御子ちゃんの様子はどうかな」
「あれ……なんか、さっきと比べて随分顔色が良くなってる」
 尚斗がそっと御子の額に手を乗せた瞬間、御子の身体が微かに震えた。
「……御子ちゃん?」
 御子がちょっと身じろぎをし、ゆっくりと瞼を開く。
「……あ、起きた」
「……」
 尚斗の顔を見る御子の瞳はどこか焦点が合ってないような感じで。
「御子ちゃん、大丈夫?」
「……ぁ…?」
 ふっと目に力が戻り、ぱちぱちっと瞬きをしてから、御子はらしからぬ素早い動きで上体を起こした。
「あ、あの…な、何がどうなっているんでしょうか?」
 きょろきょろと部屋の中を見渡しつつ、御子の唇はいつもより数段速いテンポで言葉を紡ぎだす。
「んー、青山が発見したときは雪の中に前のめりに倒れてたらしいけど……何故そーなったのかはちょっとわからない」
「倒れて……」
 御子の視線がちょっと沈み……自分が着替えさせられていることに気づいた瞬間、顔を真っ赤にして布団の中に潜り込んだ。
『な、何がどうなっているんでしょうか?』
 布団の中からくぐもった悲鳴があがる。
「いや、だから雪の中に倒れて……」
「……尚斗くん、この子多分そういう事聞いてるワケじゃないよ…」
 呆れたように……それでいてどこか穏やかに麻里絵が呟いた。
 
「まあ……何はともあれ、元気になったみたいで何よりよね」
「ほ、本当に…みなさんにはご迷惑をおかけして」
 恥ずかしそうに頭を下げる御子。
 麻里絵と紗智がプチパニック状態の御子に説明……尚斗が御子用の朝ご飯を作り、それを食べてまったりと落ち着くまで約1時間半。
「……にしても、寝不足で、しかも朝ご飯も食べずにこの雪の中飛び出してくるのはまずいと思うわ」
「……紗智がそれを言うかなあ」
 ぽつりと麻里絵。
「わ、私はちゃんと寝たわよ……」
「つい…熱中してしまいまして」
 御子は口元を手で隠しながら微かに頬を染めた。
「有崎さんは、どういうチョコがお好きなのかなとか…そんなことを考えながら作っているのが楽しくて…」
「……」
「……」
 御子の言葉を聞いて、紗智と麻里絵がちょっと照れたようにうつむいた。
「……ねえ、紗智」
「何よ?」
「……するの?」
「……わたし、殴られないと殴り返せない性質なのよね」
「あ、あの…何の話でしょうか?」
「あー」
 紗智はちょっと視線を彷徨わせ。
「何でもないから」
「そうですか…」
 ふっと、御子の表情が暗くなったのに気づいて麻里絵が声をかけた。
「どうか…した?」
「あの……私が、ここに運ばれてきたとき……何も持ってませんでしたか?」
「……え、それって…」
 ピンポーン〜♪
「……今度は誰よ?」
「私たちが出るわけにも行かないよね」
 ストトトト…と、階段を駆け下りる音がして、尚斗が玄関へと向かうのを見て麻里絵と紗智がそろってため息をつく。
 そして御子がぽつりと。
「……弥生おねえさまでしょうか」
「ああ、いたわねそういや……」
「みなさん、おはようございます〜♪」
 台所に現れた安寿を見つめ……紗智がぽつりと呟いた。
「……そういや、天野さんもいたわね」
 
『……雪雲の中心は××地方を通り過ぎつつあり……』
 読んでいた本を閉じ、世羽子が窓の方に視線を向けた……が、結露によってほぼ視界がふさがれていたので雑巾で窓を拭く。
 いつの間にか雪は止み……時折視界をよぎる雪は、風でとばされたモノなのか、それとも雪の残りなのか……何はともあれ、雪はあがったと表現しても差し支えない感じだ。
「さて……そろそろ弥生を起こそうかしら」
 時刻は午前10時を過ぎたところ……あまり本格的に睡眠をとらせてしまうと、反対に今夜眠れなかったりして、生活リズムがガタガタになるおそれがある。
 そんな事を考えていた世羽子の耳が、階段を静かに下りてくる足音をとらえた。
「……あら」
「……おはよ…世羽子」
 寝起きは悪くない弥生なのだが、さすがにまだ眠いのか目をこすりながら。
「自力で起きてきたのね…」
「……自力も何も」
 弥生が子供の様に頬をふくらませる。
「……イヤな夢見て、目が覚めたの」
「え?」
 どんな夢……と言いかけ、世羽子は礼儀正しく口をつぐんだ。
「……とりあえず、シャワー浴びてくるね」
「あ、うん…」 
 世羽子は弥生の背中を見送り……ぽつりと呟く。
「ま……ご飯でも作ってあげた方が良さそうね」
 もちろん、徹夜の後そのまま睡眠に突入して夕べから何も食べていない弥生の分である。
 
「いやあ、思った通り増える増える……」
 と、ちょっと皮肉っぽく紗智が呟いた。
「……何が、増えるんでしょうか?」
 と、これはちょっと首を傾げての安寿……の隣で、ちょっと顔を赤くしてうつむいたあたり、御子はそれがどういう意味か理解したらしい。
「いやもう、こんな雪の中をご苦労さんって感じよね」
「……紗智もね」
 これは麻里絵。
「……わかってるわよ」
「いえ、もう雪もやんでしまいましたし〜♪」
「え、やんじゃったの?」
「はい、やんでますよ〜」
 トントントン、と階段を下りてくる足音に安寿以外の3人が入り口に視線を向けた。
「……ふむ、まだ4人か」
「青山、『まだ』ってのはどういう意味だ?」
「……」
 それには応えず、青山が視線を安寿に向けた。
「な、なんでしょう…?」
 青山の視線から顔を背けつつ安寿。
「……いや、別に」
 そう呟き、青山がふっと安寿から視線を外す。
「つーか、女の子ほっといて男二人で何を話してたんだか…」
「いや、確定申告の件でちょっとな……毎年、青山には世話になってるし」
「……そういう事だ、一ノ瀬」
「か、確定申告って…」
 呆れたように紗智が呟く。
「高校生の台詞じゃ……って、尚斗のお父さん、会社員じゃなかった?」
「いや、給与外所得つーか…」
 青山がちょっと皮肉な笑みを浮かべて言った。
「今日は2月14日で、確定申告の受付は明日からだからな……早いに越したことはない」
「ふ、ふーん…」
 紗智が曖昧に頷く。
 学校の成績は良くとも、そういう話にかんしてはさっぱりなのだから仕方ない……もちろん、最初から話を聞こうとしていない麻里絵と安寿に比べればマシだが。
「あ、あの…」
 それまで黙っていた御子がちょっと立ち上がり、青山に向かって頭を深々と下げた。
「あ、青山さんには……危ないところを助けていただいて……その、ご迷惑をおかけしました」
「……運が良かったな」
「あ、いえ……それで…ですね…その」
 ちょっと困ったような表情を浮かべ、御子の視線が尚斗と青山の間を往復する。
「…?」
「わ、私が倒れていたあたりに……その、何か…落ちてませんでしたか?」
 
 プルルルル……
 コール音をちょうど10回数え、世羽子は受話器を置いた。
「どうしたの…?」
「ん…」
 世羽子はちょっと考え込むような仕草を見せて言った。
「電話に出ないのよ……ひょっとすると、家を留守にしてるのかもしれないわね」
「……留守って、こんな大雪の日に?」
「……そんな大雪の日に、二人そろって出かけようとしてるんだけど?」
 と、世羽子はほんの軽い気持ちで言ったのだが、それを聞いて弾かれたように弥生が顔を上げた。
「御子っ!?」
「えっ?」
「ご、ごめん…確認してからっ」
 そう言って弥生は携帯をとりだす。
「…………出ないっ」
 弥生は何か吹っ切るように髪の毛をかきむしり、自宅に連絡を入れた。
 
「……ねえ、麻里絵」
「なあに?」
「計算ってね、1つ間違うと、間違いが間違いを呼んでろくでもないことになるって知ってた?」
「……なんとなく」
 などとため息をつく麻里絵と紗智から少し離れて。
「御子ちゃん、結局落とし物って何なの?」
「あ、あの…その…ですね…」
「有崎さん、それはイジメですぅ〜」
「え、なんで…?」
 今度はちょっと安寿が困ったように。
「その…言いたくても言えないモノと思いますので〜♪」
 安寿の助け船に、御子がコクコクと頷いた……その様子を見る限り、御子の体調はすこぶる良いらしい。
「……で、御子ちゃんは学校から俺の家に向かったと?」
「は、はい…」
「そういや……何の用事が」
 バサッと音を立て、尚斗の後頭部で雪玉がはじけた。
「んー?」
「だから……それも」
 と、ため息をつく安寿の手には次の雪玉が。
「……ねえ、紗智?」
「何よ?」
「天野さんって……何しにやってきたのかな?」
「……さあ」
 紗智はちょっと首をひねり……ぽつりと呟いた。
「なんか、私の計算違いって天野さんが原因のような気がする…」
「……元々、大した計算も出来ないだろうに」
 紗智が足下の雪を跳ね上げながら蹴りを放つ……が、脚はおろか、蹴り上げた雪さえも青山の身体に触れることはなく。
「倒れてる人間を助けるのが面倒とか言ってる割に、落とし物は捜してあげるのっ!?」
「見逃すのは惜しいイベントだ」
「……は?」
「有崎に近づく女の邪魔をしようとする奴が、よりによって有崎に渡すためのチョコを一緒になって探すワケだからな」
「こぉのぉぉっ!」
 顔を真っ赤にした紗智が、次から次へと雪玉を青山に投げつけ始める。
「……雪合戦に興じる歳でもないだろう…」
 
「目的地は有崎の家のはずなのよ…」
 携帯を握りしめたまま、弥生の声は微かに震えて。
「……探しに行きましょう、弥生」
「え、でも…」
「無事なら無事だったで、笑い話ですむ話でしょう……人通りの少ない場所で行き倒れてたりしたら洒落にならないわよ」
「う、うん…」
「でもその前に……弥生、一応学校に連絡入れて」
「え?」
「簡単に事情を話して、弥生の家の近くに住んでる生徒と、妹さんと同じクラスの人間の連絡先を教えてもらうの」
「で、でも…学校は休みだから」
「こういう臨時休校の時は、大抵事務の人なり当直の先生がいるから……あ」
 世羽子が何かを思いだしたようにちょっと手を叩いた。
「そっか……今日はバレンタインだったわね」
「え?」
「……情報は集まりやすいかも」
 
 ざわざわざわ……
 雪は音を吸収して静寂を作り出す……という話があるが、ここ女子校の体育館ではそのキャパシティを遙かに越えたざわめきに包まれていて。
『ねえねえ、これ私が作った夏樹様のアルバムなの』
『わっ、見せて見せて…』
『そこ、あんまり騒いじゃダメよ……親衛隊の人が目を光らせてるんだから』
 などと、ある程度の秩序を見せつつもお祭り騒ぎ全開の人の群れ……その構成比率は、さすがに1年2年の数が多いのだが、ちらほらと3年生が混じっていたり、中等部の生徒が結構混じっていたり、他校の生徒がわずかに混じっていたりする。(笑)
「差し入れです」
「あっ、入谷さん……っと」
 結花からホットドリンクを手渡された親衛隊の少女が、列からちょっと視線を外して微笑んだ。
「おとなしくしてますか…?」
「一応、今のところは…」
 ちらりと横目で列を見て、少女は紅茶を口に含む。
「今日は学校がお休みですから…下手をすると暴走しかねませんし」
「……まあ、休みだから体育館が借りられたんですけど」
 と、結花がため息をつく。
「それより、夏樹様の方は…?」
「……お昼過ぎの予定です」
 ピルルル〜♪
 突然鳴り出した携帯に驚くことなく、結花がそれに出る。
「はい」
『入谷さん?急に連絡入れて申し訳ないけど、秋谷よ』
「あ、秋谷先輩ですか……先日は、ご迷惑を…」
『あ、それは気にしないで……というかごめんなさい、世間話している状況じゃないので、手短に説明するわ』
「はい?」
 
 10分後。
 ピルルル……
「はいっ」
『……えっと、九条先輩ですか…入谷です』
「み、御子は…?」
『とりあえず、学校まで一緒にやってきたという方がいました……ただ、その後は……その、有崎さんの家に向かったんだと思いますけど…』
「学校までは無事っ……ありがとう、すごく助かったわ」
 弥生は後ろを振り返り、世羽子に向かって言った。
「世羽子、学校までは誰かと一緒にちゃんと来てるって……だから、最悪でも学校から有崎の家との範囲」
「……とすると」
 世羽子がちょっと首をひねり……学校から尚斗の家に至るいくつかのルートから、土地勘のない人間が選択しそうなルートを絞り込んでいく。
「……で、最悪のケースを考えて極端に人通りが少ないところを…」
「わかるのっ、世羽子?」
「ある程度はね……後は、しらみつぶしに探すしか…」
 そして、世羽子と弥生は家を出て雪を蹴散らすように走り始めた……のだが。
「ちょっ、ちょっと待って世羽子っ!」
 弥生の声を聞き、世羽子が慌てて引き返してくる。
「弥生……妹の大事なんだから、通常以上の力を出しなさいよ」
「む、無理…いくら通常以上の…力を出しても…所詮、世羽子とは…エンジンが違いすぎるから…」
 肩で息をする弥生を見て、世羽子がちょっとため息をつく。
「……悪いけど、後から来てね」
「そ、そうする…」
「焦って無理するんじゃないのよ……それと、尚斗の家に着いたら連絡入れてちょうだい」
「わ、わかった…ごめんね、世羽子」
「じゃ、行くから…」
 と、走り出した世羽子の背中を見送りつつ弥生は呟く。
「……あ、姉としてなさけないけど、世羽子に任せておいたほうが確実よね…」
 
 
 
 
 てへり。(笑)

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