季節に二度か三度、雪がちらつくのが見られるかどうかの温暖なこの地方……その上空まで張り出してきた強烈な寒気団、そして南方の海上を通過しようとする低気圧……それは奇しくも先月の大雪をもたらした状況と酷似していた。
 夕方からちらつき始めた雪は、日付が変わるあたりから本格的となり、終電帰りの人間の視界を真っ白に染めている。
 
「ああぁっ、また分離したぁっ!?」
「湯煎の温度が狂ったみたいね……」
 プルプルと肩を震わせる弥生とは裏腹に、世羽子の口調はいたって冷静だ。
「弥生、だからそんな面倒なコトしなくても、細かく砕いてレンジでチンすりゃいいんだって…」
「そ、そんな手抜きっぽいの嫌っ!」
「じゃあ、好きにしたら…」
 ため息をつき、世羽子は肩をすくめてみせた。
「ええ、好きにするわよ……大丈夫、まだ7時間近く余裕あるし…」
 そう呟いて、弥生はテーブルの上に置いた携帯に視線を向けた……さっき届いた御子からのメール『ちょっと失敗しました…おねえさまはどうでしょうか?』に弥生の闘志は燃え上がる。
「絶対に御子には負けないわよ…」
 
『麻里絵、今なにしてたの?』
「うん、悪戯メール送ってるところ」
 紗智からの電話にそう答えた麻里絵の右手にはなぜかもう一つ携帯が。
『……送ってる?』
「うん……というか、そっちにつっこむの?」
『今、電話してるじゃない…』
「そうだね」
『……パソコン買ったの?』
「まさか…」
 そう呟き、麻里絵はメールを送信した。
 
「夏樹様ぁ。さっき、有崎さんがメール送ってくれたんです……『明日の公演頑張れよ…』って」
『そう、良かったじゃない……でも、結花ちゃん。そろそろ寝た方が良いと思うけど…』
「わかってます、わかってますけど……嬉しいのとか、緊張とかがごちゃ混ぜになって……なんか、眠れそうもないんです…」
 頬を上気させ、携帯を握りしめたまま部屋の中を歩き回る結花……それが麻里絵の地道な嫌がらせとも気付かず。
 
「俺たーちゃ、街にーは、住ーめないーからに〜♪」
 降りしきる雪の中、調子外れの明るい歌声が響く……のは、男子校の仮校舎となるはずのプレハブ校舎前。
「プレハブにしても……前の校舎の方がまだ安全だろこれは」
 見た目はともかく、あからさまにやっつけ仕事だらけ。
 新しい校舎が出来上がるまで、崩れなきゃ良い……という施工者の意志というより、学校の責任者の意向が見え見えで。
「……無駄口叩いてる暇はないんだがな」
「わかってる…」
 
 舞い落ちる雪を手のひらで受け止め……体温でゆっくりと溶けていく様を見つめる事を何度繰り返したのか。
 安寿は身体に積もった雪を払うこともせず、暗い空を見上げた。
「どうせ溶けるから…なんて雪は考えませんよね……でも…」
 自分の目の前で、安寿はゆっくりと手を叩いた。
 ぱちん。
 
 そして、朝が来る。
 
 かち。
「……?」
 目覚まし時計のスイッチを押した音で尚斗は目を覚ました……のだが、目覚まし時計が鳴っていた記憶がない。
 しかも、自分の両手は布団の中。
「……今日は、大雪のせいで電車がストップしましたから学校はお休みです〜」
 耳元でぼそぼそと囁く声……それは心地よい眠りへと尚斗を誘っていく。
「……親父の朝飯…」
「…わ、私が作ります〜」
「そっか…だったら…いいか…」
 尚斗はゆっくりと目を閉じかけて……飛び起きた。
「ちょっと待てっ!」
「わっ」
 尚斗は身を切るような冷気に震えながら窓に駆け寄り、カーテンを開いた。
「うおっ」
 一面の銀世界……等と形容すると雪国在住の人間に鼻で笑われるだろうが、降雪そのものが年に一度見られるかどうかの人間にとっては5センチも積もればそこは別世界で、10センチ積もれば交通機関は完全麻痺、20センチ積もればゴーストタウンも真っ青の有様になる……いや、マジで。(笑)
 見れば、先月の大雪に優るとも劣らない積雪……しかも、今もまだ雪は豪快に降り続けているわけで。
「……電車が止まってるのは本当です〜」
「た、確かにこれは……って、安寿っ!?」
「うわ、認識されてなかったんですか……ショックです」
 しょぼんと肩を落とした安寿に向かって、尚斗は言った。
「……というか、何故ここに?」
「……」
「……安寿?」
「……ふう」
 安寿がため息をついた。
「青山さんに……私の正体が天使であることを知られてしまいまして」
「むう」
「記憶を消したつもりではあるんですが、正直なところ……きちんと消せたかどうかは自信がないというか……」
 さらにため息をつき。
「記憶が消せてなかったとしても……青山さんなら、何食わぬ顔して知らないフリをしますよね」
「少なくとも」
 尚斗は首を振りながら言った。
「青山はそういうことを口外するような奴じゃないが」
「それはわかるんですけど……その、そういう問題ではなくてですね…」
「……ひょっとして」
 尚斗はちょっと遠くを見るような目をして呟いた。
「天使の資格がどうとか…」
 安寿は何も応えない。
「えっと……消せない理由とか…」
「有崎さんとは違う理由なので……もし、あれで消せてないなら私にはどうしようもないです」
「……じゃあ」
 なんとか俺の記憶を……と言いかけた尚斗を、安寿の表情が押しとどめる。
「あんまり哀しくなるような事言わないでください…」
 目も、口も……微笑んでいるのに、それは泣いているとしか思えない不思議な表情で。
「あ、いや、安寿のことを忘れたいとかそういうのじゃなくってだな…」
「わかってます〜♪」
 安寿が微笑む……が、尚斗にはやはり泣いているように見えて。
「あくまでも可能性の話ですから……ほら、突然にいなくなったら心配するからとか言ってくださったじゃないですか…」
 安寿はちょっと俯いて。
「ですから……その…突然いなくなることがあるかも知れませんけど……多分、そういう理由ですので……心配しないで…ください」
 尚斗は安寿にかける言葉が見つからず……たとえ見つかったところで口を開けたかどうかは不明だが。
「……ちょっと確かめてみたいこともありましたので」
「確かめる…というと?」
「そ、それはそれとしてですね」
 そう言って顔をあげた安寿の表情は、いつもと同じで。
「今日は……どうするつもりですか?」
 
「……うわあ」
 カーテンを開けた瞬間、温子の口からはため息にも似た言葉が漏れた。
 温子の場合、歩いて15分の最寄り駅から電車に揺られてまず30分、そこで別の電車に乗り換えて15分……それで、女子校まで後3駅の、例の繁華街でさらに乗り換えて……という、歩きの時間も合計すると1時間30分近い遠距離通学をこなしているわけで。
 ちなみに以前通っていた進学校は、電車だけなら最寄り駅から逆の方向に20分……通学時間は50分程度だった。
「電車も止まってるだろうし……今日は休もっと」
 温子は暖かい布団の中に飛び込み、弥生にぺこぺこと携帯メールをうった。
『弥生ちゃん、死して屍拾う者無し』
 
「……とかいうふざけたメールが温子から来たんだけど?」
 世羽子は弥生の携帯を覗き込み、ちょっと肩をすくめた。
「多分、今日は学校を休むって意味でしょ……まあ、学校そのものが休みでしょうけど」
 テレビ画面では、大雪によって全ての交通機関がえらいことになってます〜と、アナウンサーが告げていた。
 ちなみに、地方局のチャンネルでは、早々と休校を決定した学校の名前が字幕を流れ始めていたり。
「あ、そっか……」
 弥生は完成したばかりのチョコを抱えてがくっと肩を落とした。
「まあ、尚斗の家が近所でよかったわね……というか、弥生、ちょっと仮眠をとった方がいいわよ」
「え?」
「クマできてるから…」
「うそっ!?」
 
「……まいったわね」
 夏樹の視線は窓の外とテレビをいったりきたり。
 バレンタイン公演……その名の通り、延期などという想定は為されていない。
 夏樹は眉を寄せ、結花に電話をかけた。
『もしもし、夏樹様?』
「あ、結花ちゃん…その」
『今、学校に向かってますから…』
「え?」
『とりあえず、歩いて何とかなる所に住んでる隊……じゃなくて、部員には連絡回しました……きゃ』
「結花ちゃんっ?……もしもし、結花ちゃん?」
『すみません……転んだだけです』
「あ、あんまり無理は…」
『大丈夫です……夏樹様は、交通機関が動き出すまで待機していてください…』
 首をひねりつつ、夏樹は尋ねた。
「結花ちゃん……準備っていっても、公演前の体育館設営ぐらいじゃ?」
『……』
「……結花ちゃん?」
『あの、夏樹様…?今日、どういう事が起きるか……わかってますか?』
 
 ぎゅっぎゅっ……
 さらしを巻き付けた長靴で、一歩一歩足下を確かめるように歩いていく御子。
 弥生ほどではないが、手作りのチョコを完成させたのは朝の4時……通いのお手伝いさんの電話によって、電車が不通になったこと、いつ動き出すかもわからないことを知った御子は、睡眠不足でありながら、雪の降りしきる中を学校に向かって歩き出したのである……万が一のために、失敗作のチョコおよび既製品を抱えて。(笑)
 ちなみに、御子と弥生の家は女子校の駅から6駅ほど離れていて……雪の日でなくとも、あまり歩いていきたくなるような距離ではない。
「……ぁ」
 さらしを巻いた長靴は大幅にグリップ力を増していた……が、いかんせん御子の運動能力にちょっと難がある……早い話、転んだ。
 御子はゆっくりと起きあがり、全身にまとわりついた雪を払い落とそうとしたのだが……なにやらうごめく影を視界に認めて動きを止めた。
「……?」
 早朝で、しかも大雪……確かに、それだけで外を出歩く人間が皆無になることはないのだが、それが自分と同じ学校の制服を着た少女となると話は違ってくる。
「……あれっ?」
 どうやら、向こうも御子の存在に気がついたらしい……御子の方に向かって近づいてきた。
「おはよう」
「あ…お、おはようございます…」
 ゆっくりと頭を下げる御子……その頭が上がり切らぬうちに、少女は御子が抱えた紙包みを見て白い歯を見せて笑った。
「あなたも夏樹様ファン?」
「…え?」
「そうよねぇ〜このぐらいの雪、私たちの熱い想いにかかったら」
 うんうんと頷きつつ、少女が御子の肩をぽんと叩く。
 仲間同士の連帯感というか、それはややなれなれしい……が、御子は別に気を悪くすることもなく。
 どちらにせよ、この少女と出会ったことで、御子の遭難の確率が大きく下がったことは間違いなかった。(笑)
 
「……親父、まさかとは思うが会社に行くつもりか?」
 いつもと同じく後は背広の上とコートを引っかけるだけという出で立ちで朝食を口に運ぶ父に向かって、尚斗が言ったのだが。
「息子よ、このぐらいの雪で休むようでは、サラリーマンはやっていけんぞ」
 と、当たり前のように切り返す。
「……つーか、電車止まってるって」
「歩いていく」
「いや、だから…」
「雪が降ろうが槍が降ろうが、やらなきゃいけない仕事はある……というか、むしろ邪魔が入らないから、仕事が良く進むはずだ」
 ワカメをはりつけた前歯を見せつつ笑う尚斗の父……をみて、安寿は心底感心したように大きく頷いていたり。
「まあ……それはそれとして」
 今度は尚斗がため息をつき。
「こう、見知らぬ女の子が台所にいて、一緒に朝飯を食べていたりする現実に何も思うことはないのか?」
「うむ…」
 父親はちょっと箸をおき、小さく咳払いしてから安寿に向かって茶碗を差し出した。
「お代わりをいただけるかな?」
「はい〜♪」
 にっこりと微笑んでそれを受け取り、いそいそと席を立つ安寿……の後ろ姿を眺めつつ、父親が尚斗の肩に手を置いた。
「いい娘さんじゃないか」
「いや、だからな…」
「だが、いい気になるなよ……尚斗」
 やや声を潜めて。
「父が若かった頃など、両手では数え切れないぐらいの女性に追いかけ回されて……」
「連続で痴漢行為でもしたか」
「息子よ、先にオチをばらすな」
「したのかっ!?」
「まあ、痴漢行為というと角が立つのだが…」
「はい、どうぞ〜♪」
 ほかほかと白い湯気を立てる白飯が父の目の前に差し出される。
「うむ、ありがとう」
「いいえ、まだお代わりはありますので〜」
 いくらでも召し上がってくださいな……と言いたげな安寿の微笑みを見て、父が涙を拭うような仕草をした。
「御子ちゃんも捨てがたいが、こういう娘もいいなぁ…」
「おいおい」
「実はな、ワシは息子じゃなくて娘がほしかった」
「前に聞いたよ……」
「娘……ですか?」
 意表をつかれたような表情を浮かべて、安寿が呟く。
「ああ、気にするなよ安寿」
 尚斗が声をかけたのだが、安寿はどこか上の空で。
「安寿…?」
「……ああ」
 安寿がぱちんと手をたたいて呟く。
「そういう手もありましたかぁ…」
「尚斗」
「なんだよ?」
「今のは……遠回しなプロポーズのように聞こえたが……」
「いや、彼女ちょっと天然さんだから…」
 父に向かって手を振る尚斗……そんな二人のやりとりが聞こえているのかいないのか、安寿は何か思いついたように顔を上げた。
「だとすると……私がお姉さん?」
 父はちょっと安寿に視線を向けてから、何か言いたげに尚斗を見た。
「いや、だから天然さんだって」
 
「……紗智、コーヒー持ってきたよ」
「あ、ありがと…あっ」
 紗智の手から缶が滑り落ち、白く降り積もった雪の一部が茶色に染まる。
「ご、ごめん…手が…かじかんで…感覚が」
「……口あけて」
 すっと、コーヒー缶を差し出してきた麻里絵の意図を悟って、紗智は震える唇をちょっと開いた。
「熱いから、気をつけてね…」
 ゆっくりと傾け、麻里絵は紗智の口にコーヒーを流し込む。
「……暖かい」
「そりゃ、雪だるまみたいになってるし…」
 ため息をつき、麻里絵は紗智の身体に積もった雪をはたき落とした。
「……いつもより3倍は大変だったわ」
「紗智……何時に家を出たの?」
 ゆっくり、ゆっくりとコーヒーを紗智に飲ませると、麻里絵は家から持ってきた魔法瓶を軽く叩いた。
「こっちはお茶だけど……飲む?」
「こ、ここまでの雪になるなら…麻里絵の家に泊めてもらうんだった…」
「雪で電車止まってるし、学校もお休みだし……見張ってる意味はないんじゃない?」
「あ、休みになったの?」
「うん、ニュースで言ってた」
「そっか…休みか」
 紗智はあらためて麻里絵から熱いお茶を受け取り、それをすすりつつ尚斗の家に視線を向けた。
「……本当なら、今日の午後から男子校への民族大移動が始まる予定だったのよね」
「一応、昼までには止むって言ってたけど」
 空を見上げつつ、麻里絵。
「え?」
 雪のせいなのか、麻里絵の声がはっきりと聞き取れず聞き返した。
「お昼までには止むって……先月の大雪と同じで、雪が止んだらすぐに暖かくなって、1日たてばほとんど融けちゃうだろうって」
「……今、氷点下よね?」
「マイナス2度とか言ってたけど……まあ、冬だし」
「そっか……あんまり気温が低いと大雪にはならないもんね」
「え……なんで?」
「気温が低いと、水蒸気の絶対量が……」
「私、帰る…」
 耳をふさいで逃げようとした麻里絵の腕をつかむ。
「あのねえ、麻里絵…」
「……受験の時、もう一生分勉強したもん…」
「好き嫌いと、やるやらないは別」
「じゃあ、紗智は青山君とつきあえるんだね?」
「大嫌いだし、つきあいたくもないっ!」
 冗談でもそれ以上言ったらぶっとばす……とばかりに握りしめられた紗智の右拳に視線を向けつつ、麻里絵がぽつりと呟いた。
「……多分、イヤなこと言われたんだろうけど、私は……青山君ってひどく公平な人だと思うよ」
「はあ?」
 不愉快そうな表情を浮かべた紗智をなだめるように。
「うまく言えないけど……多分」
「……?」
「あ、おじさんがでてきた…なんか、顔見るの久しぶり」
「え?」
 麻里絵のつぶやきに、紗智があわてて視線を戻した。
 右手で傘を差し、左手に持った杖のようなモノを突き刺しながら雪道を苦にもしないで歩き出す尚斗の父。
「……電車、止まってるわよね」
「仕事って大変だよね…」
「麻里絵のお父さんは?」
「お休み……天候次第では午後から行くって言ってたけど」
「それが普通よね…」
 ふっと、何か思いついたように紗智は麻里絵を振り返った。
「ねえ、麻里絵……今、尚斗って一人でいるワケよね」
「……こんな朝早く、しかも大雪の日に遊びに来たっていうのはすごく無理があると思うけど…」
「麻里絵と一緒に学校に行こうと思ってやってきたけど、休校になっちゃって……せっかくだから、麻里絵と一緒に遊びに来た……で、どう?」
「……ついでに朝ご飯も?」
 呆れたように麻里絵……が、止めようとしないあたり、このまま尚斗の家になだれ込むことについては賛成のようだった。
 
 ピンポーン。
「はぁ〜い〜♪」
 可愛い声をあげて玄関に行こうとする安寿を捕まえる尚斗。
「……はぁい?」
「いや、安寿がでてどうするよ」
「でも、お客様が〜」
「いや、安寿が客だし……というか」
 ピンポピンポ、ピンポーンっ!
「……紗智だな」
「一ノ瀬さんですか〜こんな朝早くから、憎いですねえ…憎い憎い」
 安寿が背中を叩く……音が何故かいつものぱたぱたではなく、ばんばんだったりする。
「さて、困ったな」
「何が、ですか〜?」
「いや、安寿がこんな時間からここにいる理由」
 安寿はちょっと首をひねり、ぽんと手を打った。
「死に別れた姉弟の涙の再会と言うことで〜♪」
「いや、死んだら無理……つーか、同じ学年だから双子って事になるが」
「……無理がありますねえ」
「親父がよそで作った……ら、母さんが親父を生かしちゃいないだろうし」
「愛情の深い方だったんですねえ〜♪」
「……そういう見方もあるな」
 ピンポピンポ、ピンポーン……どんどんどんどんっ!
『ちょっとぉっ、声がしてるのに、居留守使ってるワケっ!?』
『尚斗くーん、寒いよう〜』
「うわ、麻里絵まで……つーか、こんな雪の日に何故?」
「……2月の14日ですし」
 尚斗には聞こえないぐらい小さく、安寿がため息混じりに呟く。
「え?」
「とりあえず、私は消えますね…」
 残念そうに安寿がうつむいた。
「すまん」
「……今日は、あまり家にいない方がいいですよ…多分」
「え?」
「ではでは〜♪」
 そして安寿の姿が消え……尚斗はため息をつきながら玄関のドアを開けた。
「尚斗ーっ、お腹空いた」
「……」
「……紗智、その挨拶はやめた方がいいと思うよ」
 などと呟く麻里絵はもちろん、尚斗すらも眼中にない感じで、紗智はずかずかと家の中に上がり込んで台所に向かう。
「……麻里絵」
「んー、何というか……大目に見てあげて」
「いや、そうじゃなくて……なんかあったのか、紗智のやつ」
「……どうして?」
「ちょっと、いつもと違うというか…」
 どすどすどすっと、足音高く紗智が台所から玄関に戻ってきた。
「ねえ、尚斗」
「何だよ?」
「誰か来てたの?」
「何で?」
「いや、食器が3人分」
「あ〜、それはだな……」
 いきなり、がちゃがちゃがちゃっと、台所の方で物音がした。
「……」
「……」
 紗智と麻里絵が顔を見合わせ、尚斗がぽつりと呟いた。
「……まさか、姿を消しただけか?」
「い、今の音……?」
「だ、台所には誰もいなかったわよ…」
「まあ、ネズミでもでたんじゃないか…」
 と、尚斗を先頭に台所に……もちろん、そこに残されている食器は2人分だけで。(笑)
「あ、あれ?」
「……紗智、二人分しかないみたいだけど」
「お、おかしいわね…?」
「さてと、洗い物でもしようかな」
 尚斗は腕をまくると、食器を流しに運んだ。
「……なんか隠そうとしてない?」
「いや、別に……とりあえず座って待ってろ。洗い物が終わったら朝飯作ってやるから」
 そんな紗智と尚斗のやりとりを背中で聞きながら、麻里絵はこっそりと二階の尚斗の部屋に入って、尚斗の携帯を机の上の充電器何食わぬ顔でセットした。
「落とし物、ちゃんと返したからね、尚斗くん」
「……それは、返したというのでしょうか」
「……っ!?」
 麻里絵があわてて周囲に視線を向ける……が、誰もいない。
「空耳かな…」
 安堵のため息をつき、麻里絵は尚斗の部屋を後にした。
 
「九条さん、大丈夫?」
「あ、はい…」
「大きな声を出すと元気が出るよ、ほら、ファイト」
「ふぁ、ふぁいと…」
 体育会系のノリに気圧されつつ御子。
 学校に近づくにつれて合流する人間が増え……足並みをそろえて雪の中を突き進んでいく女子高生の一団は異様な雰囲気を振りまいている。
「親衛隊の人と連絡とれたわっ」
 列の2番目を歩いていた少女が声を上げた。
「ホント?」
「夏樹様は学校に来てくださるそうよ……多分お昼頃になるけど、もう順番待ちの人が並び始めてるって」
「やった」
「じゃあ、急がないと」
 再び列が動き出す。
「ほら、九条さん、ファイト」
「ふぁいと…です」
 御子を労るようにぽんぽんと背中を叩き、少女がしみじみと呟いた。
「順番待ちのある夏樹様はともかくとして……九条さんは、一秒でも早く渡したいってとこ?」
「は、はははい…」
 御子が顔を真っ赤にしてうつむく。
「あはは、多少うらやましいな」
「え、あの…先輩は、橘先輩に…」
「んー、他の子はどうか知らないけど……私の場合は、ちょっとお祭り感覚入っちゃってるから」
 白い息を吐きながら。
「まあ、夏樹様のほうが、そこらの男子よりよっぽどいいと思っちゃうのよね……ほら、男子校の生徒とか見てると特に……こう、彼女欲しいオーラを振りまいてたり、見た目がぱっとしなかったり…そうだ、人前で暴力ふるってた男子もいたっけ」
「……」
「あ、ごめんね…男子校の生徒なんだ」
 御子が再びうつむいた。
「あはは、うまくいくいかないは別にして……そう思える相手に出会えたってのは一つの幸運じゃないかな、私はそう思うけど」
「幸運……ですか?」
「学校が見えてきたわよっ!」
 と、列の先頭から歓声が上がる。
「着いたみたいね……って、学校休みだから九条さんは学校に着いても意味ないんじゃないの?」
「……ぁ」
 
 
 
 
 てへ。(笑)

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