「ねえ世羽子、まだ服見るの?」
「そうね、そろそろ良いかしら…」
 世羽子はちらりと携帯で時間を確認して頷いた。
 あれから1時間あまり……さすがに、チョコ1つ買うのにそれだけの時間をかけるわけもなし。
「じゃあ、行きましょうか…」
「結局、服は買わないの?」
 人の気も知らないで……なんて素振りはつゆほども見せず、世羽子は微笑んだ。
「今日は下見……買うのはまた今度」
「……やっぱり、手作りの方がいいのかな」
「思いっきり失敗した私に言われても…」
 服売り場から離れながら、弥生は困ったような嬉しいような……期待と不安半分ずつの表情で世羽子に質問する。
「有崎って…甘いの平気?ビターチョコの方がいいとか…」
「食べ物の好き嫌いに関しては何も問題はなかったはずだけど……まあ、尚斗のお母さんがそういうお菓子はあまり好きじゃなかったから……好き嫌いはともかく、お菓子で食べてたのはお煎餅ぐらいね…」
「へえ、お煎餅ね……」
 弥生はちょっと下を向き、ぶつぶつと呟き始めた。
「お煎餅にチョコをまぶして…」
「弥生、それは失敗の方程式よ……とりあえず無難に既製品で…」
 世羽子の語尾が掠れた。
「どうしたの……って」
 顔をあげた弥生の視界に飛び込んできたのは、御子本人で。
「御子じゃない、どうしたのこんなとこで」
「お、おねえ…さま…」
 困ったような表情を浮かべ、御子がちょっと頭を下げた。
「お、おはようございます…」
「もう昼近いわよ……それより、こんな場所にいるって事は誰か気になる人でも出来たの、御子?」
 弥生がニヤリと笑い、世羽子は処置なしとばかりに顔を覆った。
「どうしてわざわざ地雷を踏みに……」
「え、えと…その…」
 御子は俯いたまましばらく黙り、そして覚悟を決めたように顔を上げた。
「おねえさま……お話があります」
「……とうさまの話なら」
「違います…こちらへ」
 売り場の喧噪を離れる。
「……世羽子、どこ行くの?」
 世羽子は聞こえないフリをしてそのまま2人から離れて人混みの中に姿を消した。
「もう…世羽子ったら」
「おねえさま…」
「ごめん、御子……で、話って何?」
「おねえさまは……その…有崎さんを……なのですか?」
「え、いや…あの…」
 顔を赤くして視線を泳がせた弥生に構わず、御子は言葉を続けた。
「私は…有崎さんが…好き…です……」
「……」
 3秒ほど石になっていた弥生が驚いたように御子を見た。
「今、何て言ったの…?」
「ですから……私は…有崎さんが…好き…なんです…申し訳ありません…」
「そ、そそそ…そんなの…」
 ダメ……といいかけて弥生は口をつぐんだ。
「おねえ…さま?」
 過去にどういう事情があったにせよ……世羽子は何でもないように言ったのだ。
「……別に」
 絞り出すように。
「私の許可が必要とか…そういうモノじゃないでしょう……」
「おねえさま……随分無理をしてるように見えます」
「ダメって言いたいんだけど…ダメって言いたいんだけど…」
 弥生は手をギュッと握り込み、あらぬ方角に目を向けたまま言った。
「ここでダメって言ったら、私がダメになるの…」
 御子はちょっと俯いた。
「すごいですね……おねえさまは」
「は?」
「私がおねえさまの立場なら……とても言えません」
 姉バカと言われるかも知れないが……美人揃いのお弟子さんの中に混じっても、御子の容姿はなんらひけを取ることはなく。
 ウルウルした瞳、思わず撫でてあげたくなりそうな小さな頭……それらは、確実に自分が持っていないモノで。
「御子……」
「はい…」
「も、もし仮に……御子が上手くいっても…『私の勝ちですね、おねえさま…』なんて目で見ないでね」
 弥生はとことん弱気だった。
 
「……まあ、2人で何を話したか知らないけど」
 世羽子が、弥生と御子に視線を向けた。
 既製品のチョコを2種類、そして2人仲良く手作り用の材料を1揃え……。
「……って、2人とも何を見てるの?」
 世羽子は2人の視線の先に顔を向けた……尚斗と紗智が、2人仲良く喫茶店に入っていく。
「ねえ、御子…」
 喫茶店を眺めながら弥生。
「なんですか、おねえさま…」
 こちらも俯き加減に喫茶店を眺めつつ御子。
「のど、かわかない?」
「わ、私も少し…そう思ってました…」
 弥生が世羽子を見た。
「世羽子は…」
「2人とも、荷物持つわ…」
「え?」
「彼女、私のクラスメイト……そこにのこのこと入って行けと?」
「じゃ、悪いけど…」
 弥生は押しつけるように、御子が遠慮がちに世羽子に荷物を渡す……どうやら思いとどまるという選択肢はないらしい。
「一応、髪も解いとこ…」
 リボンを解き、弥生はポニ−テールからストレートロングに変身……御子はいじりようがないので仕方なくそのまま喫茶店に入っていった。
 その場にのこされた世羽子は、ため息混じりにぽつりと呟いた。
「私……あんな感じだったのかしら」
「髪型の話ですか、それとも行動の話ですか?」
 ついっと首だけを動かして、世羽子がそちらに視線を向けた。
「……神出鬼没ね、天野さん」
「おそれいります…」
 どこかピントのずれた挨拶を返しつつ、安寿は缶コーヒーを世羽子に差し出した。
「どうぞ」
「あ、ありがと…」
 少し戸惑いながらも、世羽子はそれを受け取った。
「最近…これが少し癖になってしまいまして…」
 そう言って、安寿が両手で持った缶を傾け……ほわんとした表情を浮かべた。
「ふふ…」
「な、何か変でしょうか?」
「いいえ、なんだかすごく幸せそうな表情を浮かべたから…」
「だって、幸せなんです〜♪」
 邪気のない笑みと口調につられ、世羽子も缶を傾けた。
「秋谷さんにとって…幸せって何でしょうか?」
「さあ……あまりそういうのを信用してないからなんとも言えないわね」
「信用してない……ですか?」
「質問に質問で返すのもアレだけど……幸せの反対は何?」
 安寿はちょっとびっくりしたように答えた。
「不幸……ではないのでしょうか?」
「……と言うことは、不幸の反対は幸せって事ね」
「……はい」
「なら……幸せじゃない人はみんな不幸なの?」
「何か……騙されているような」
「ごめんなさい、そういうワケじゃなくて…」
 世羽子はちょっと微笑んだ。
「普通って言葉は嫌いだけど……私としては、幸せの反対は普通で、不幸の反対も普通なのよ……不幸と幸せはコインの裏表というか」
「コインの……裏表ですか?」
 甘さだけが特化されたコーヒーを一口含んで。
「幸せは……本人がそう感じているだけで、本質的には不幸と同じ……と、頭では思ってるんだけど、なかなかそこまで達観できないわね」
 安寿はちょっと頷いた。
「……深いですねえ」
 残ったコーヒーを一気に飲み干し、世羽子が言う。
「結局、天野さんは何がしたいワケ?」
「私は、いろんな人を幸せにしたいです〜」
「……」
「誰かの幸せそうな顔を見ると、私も幸せになれますから」
「まあ、いいけど……」
 ため息混じりに世羽子が呟いた。
「色々質問してみましたが……真面目に答えてくれたのは、秋谷さんが2人目です〜」
「……尚斗はなんて?」
「幸せは人それぞれで…同じ人でも状況によってそれぞれで…流れる雲のようなモノだと…」
 そう言ってから、安寿はびっくりしたように顔を上げた。
「な、何故一人目が有崎さんだと…?」
「何故……って」
 世羽子はそれ以上何も言わず、建物の谷間にのぞく空に視線を向けた。
 ぱたぱたぱた…。
「……背中にゴミでもついてた?」
「ついてないですねえ」
「……?」
 世羽子が黙り、それにつられたわけでもないだろうが安寿も口を閉じ、2人の間を街の喧噪と北風がただ吹き抜けていく。
「いけないこととわかってはいますが……誰よりも幸せにしたいと思う人ができて」
 ぽつりと。
「……?」
 世羽子は首を動かさず、目の動きだけで安寿を見る。
 安寿の瞳は、どこか遠い景色を見ているようで。
「そういう人たちは……与えられる幸せを拒否して、自分の力で得る幸せを望んで」
 安寿が大きくため息をつく。
「だとすると……私はどうやって幸せになればいいのか……」
 世羽子ではない、多分そこにはいない誰かに向かって問いかけられた言葉。
 だから、世羽子は黙っていた……意味が多少が不明だったせいもあるが。
 
「さて、そろそろ出るか…」
「えっ、もう?」
「もう…って、そろそろ時間だろ……コーヒー一杯で30分ねばったぞ、俺ら」
「あ、あははそうだっけ…」
 紗智は頭をかきながら立ち上がる。
「映画のチケットもらったからな、ここは俺の払いにさせろよ」
「うん…さんきゅ」
 尚斗と紗智が喫茶店を出る……それに遅れて、弥生と御子が。
「お疲れ」
「な、なんか…すごくデートっぽいんだけど…」
 やや狼狽気味に呟いてから、弥生はやっと世羽子の隣にいる安寿の存在に気付いた。
「こちらは?」
「ああ、クラスメイトの…」
「天野安寿と申します〜♪」
 深々と頭を下げた安寿に、弥生も慌てて頭を下げた。
「これはご丁寧に…九条弥生です」
「九条御子と申します…」
 深々と頭を下げる御子……顔を上げたとき、御子の頭がまだ下げられているのを見て安寿が再び頭を下げる……と、頭を上げた御子がそれを見て再び頭を下げ……。
「……昔、こんな玩具を見たことあるような」
「水飲み鳥…だっけ?」
 合計6回ほど頭を上げ下げしたところで安寿と御子のタイミングがあい、首振り運動がめでたく終了する。
 安寿はちょっと首を傾げ、弥生と御子に視線を向けた。
「ところで、何か用事があったのでは?」
「はっ」
 弥生は慌ててまわりを見渡した。
「おねえさま…あっちに」
 御子が指さす方向には映画館があり……2人並んで入っていくところで。
「ねえ、御子」
 映画館を見つめながら弥生。
「な、なんですか…おねえさま」
 こちらも同じく映画館を見つめながら御子。
「私、久しぶりに映画が見たくなったんだけど」
「ぐ、偶然です…私も少し、そんな気分でした…」
「映画ですか〜随分と久しぶりです〜♪」
 と、嬉しそうに安寿。
「それじゃあ、みんなで行きましょうか…」
「はい」「はい〜♪」
 と、映画館に向かって歩き出した弥生、御子、安寿の3人を見ながら世羽子はため息をついた。
 見たくもない映画に金を払うぐらいならこのまま先に帰ってしまいたいのだが……放っておくとあの3人があらぬ方向に暴走を始めてしまいそうな予感をひしひしと覚えるのである。
「……ついていくしか無いのよね、結局」
 いざという時が来ないことを祈るが、もしその時が来たらどうにかすべきだろう。
「それにしても……」
 世羽子はちょっと首を傾げた。
 何故、天野安寿という少女はいともたやすく馴染んでしまうのか。
 
「映画はマジで久しぶりだな…」
「そ、そうなんだ…」
 尚斗が不思議そうに紗智を見る。
「な、何よ?」
「いや、なんかいつもだったら『それ、さっきも聞いた…』とか言って文句の1つでも出てきそうなもんだが…」
「い、いや…私も映画久しぶりだし…あはは」
「……正月明けに、麻里絵と見に行ったとか言ってなかったか、さっき?」
「な、なななに言ってるのよ…1ヶ月なんて久しぶりも久しぶりじゃないの」
「へえ、映画とか好きなんだな」
「そう、好きなのっすごく好きで…」
 完全に浮ついた紗智と尚斗がそんな会話を交わしている2つ後ろの席では……
「……やっぱりデートよね、あの2人」
「……」
「一ノ瀬さん、緊張してますねえ……ひゅ〜ひゅ〜」
「3人とも……映画館ではお静かに」
 ふ、と安寿が表情を引き締めて顔を伏せた。
「みなさん、顔を伏せてください…早く」
 世羽子は素早く、弥生と御子は首を傾げながらも、安寿にならって顔を伏せた……瞬間、尚斗が後ろを振り返る。
「どうかしたの、尚斗?」
「いや、なんか後ろから聞き覚えのある声が…」
「まさか、麻里絵が…」
 身を乗り出すようにして後ろを振り返り、紗智が厳しくチェックをいれること約1分。
「気のせいじゃない…?」
「まあ、いたらどうしたって話でもないけど」
 と、2人が前を向くと同時に4人が顔を上げた。
「ふぅ〜危なかったです〜」
「天野さん、グッジョブ」
「すごい…です」
 素直に感心する弥生や御子とは対照的に、世羽子は首を傾げた。
「洞察力というか……青山君の予測とは根本的に何か違うような」
 
「まあ……ただで見せてもらってアレだが、そこそこだったな」
「ぜ、贅沢言わないでよ…」
「はは、悪い悪い…と」
 尚斗がちょっと時計に目をやった。
「そろそろちびっことの待ち合わせ…か」
「あ、うん…」
「じゃ、悪いけどここで……楽しかったよ、今日は」
「そ、そう…じゃ、じゃあね…」
 尚斗に向かって曖昧に手を振る……と、そこでやっと呪縛から逃れることが出来たのか、紗智の表情が浮ついたモノからいつものそれを取り戻す。
「あ、あぁぁ…麻里絵のせいで…麻里絵が余計なこと言うから…」
 などと、周囲の人の目も気にせずに髪の毛をかきむしる紗智。
 その一方で。
「映画見て、それでいきなりサヨナラ……なの?」
「みたいですねえ……」
「……有崎さん、駅に向かってません…」
「帰るワケじゃない……と」
 弥生は、自分達からちょっと離れた場所に立っている世羽子に言った。
「ねえ世羽子、有崎に声かけてどこか遊びに行かない?」
「尚斗、用事があるように見えるけど…時計を気にしてたし」
「…って、後を追わないと」
 小走りに尚斗の後を追う弥生と、それについていく御子と安寿。
 そして世羽子は、今日何度目になるかわからないため息をついた。
「もう、目的も手段も完全に見失ってるわね…」
 
 忠猫にゃんぱち像。
 時は江戸時代、過失により牢に捕らわれてろくな食事を与えられずにいた飼い主のために、毎日毎日ネズミを捕って主人の下に運び続け、主人の命を救ったという伝説の猫……というのは別の話。
「さて…」
 にゃんぱち像の前で、尚斗はちょっと時刻を確認した。
「ちょっと早かったか……」
 像に背を向けて、尚斗は周囲を見渡した……わかりやすい目印が存在するせいか、ここは待ち合わせのスポットで、いつもそれっぽい人間がうろうろしているのだが。
 さすがに、朝でもなく、昼でもなく、そして夜でもない中途半端な時間だけに、それっぽい人間は尚斗を除けば後は1人、2人……。
「おや?」
 道路の向こう側にある建物の影に、ユラユラと揺れる長いお下げ髪。
「まーた、安寿が幸せでも祈ってるのか…」
 多少時間に余裕もあったので、尚斗はそっちの方に歩き出した。
「うわ、来た来た来た、こっちに来た!」
 身体の小さい御子は植え込みの影に、弥生は再び髪を解いて近くの店の中に飛び込み、世羽子は3人の位置を確認しつつ姿を消そうとして絶句した。
 もちろん世羽子を絶句させたのは安寿である。
 猫のように街路樹を登り始めたからだ……スカートで。
 世羽子はダッシュで街路樹に近寄って蹴りをいれ、その衝撃で落ちてきた安寿を受け止めて脱兎のごとく逃げ去っていく。
「あれ……気のせいだったか?」
 あれだけのボリュームと長さを誇るお下げ髪は安寿以外の何者でもないと思ったのだが……そんな人影はどこにもなく。
 尚斗は首を傾げながら再びにゃんぱち像へと戻っていく。
 それを見て、今度は弥生がみんな集まれのサインを出す。
 御子が、安寿が、弥生のそばに寄り、世羽子は3人からちょっと離れた場所でため息をつきながらそれを見守る。
「……私は一体何をしてるのかしら」
 世羽子の呟きが、風に吹かれて飛んでいった。
 
「あれ…有崎くんじゃない?誰かと待ち合わせ?」
 尚斗が気付くより早く、話し掛けられた。
「夏樹さん……って事は、買い物の線は消えたと」
「え?」
「いや、何でもないです……」
 尚斗はちょっと手を振った。
「待ち合わせと言えば待ち合わせなんですが……夏樹さんは?」
「ええ、結花ちゃんと一緒に舞台を見に行く約束を……って、どうしたの?」
「いや、何というか…」
 尚斗はちょっとしゃがみ込み、頭をかいた。
「どういう事だ、ちびっこ…」
「……?」
 尚斗は立ち上がり、夏樹に言った。
「とりあえず、俺の状況を説明します」
「あ、うん…どうぞ…」
 とりあえず尚斗は手短に状況を説明した。
「……」
「……夏樹さん?」
「結花ちゃん……やっぱり勘違いしてる」
 今度は夏樹が頭を抱えてしゃがみ込む。
「え、あの…」
「ごめんなさい有崎君、ちょっと待ってて…」
 頬を微かに染めて、夏樹はその場からちょっと離れて携帯をとりだした。
 ピルルルルル…
『この電話は現在電源が……』
「うわ…」
 夏樹は顔を覆った。
「夏樹…さん?」
「何というか……結花ちゃん、勘違いしてると思うの」
「と、言うと?」
「だから、その…」
 恥ずかしげに頬を染め、ちょっと視線を逸らし気味に。
「私が…有崎君の事を…好き…なんじゃないかって」
「つまり…アレですか、引き合わせるだけ引き合わせて後は若い2人に任せて…ってやつで」
「多分そう…」
 夏樹がポケットから2枚チケットを取り出す。
「この劇団の公演、今日が最終日なの……前から楽しみにしてて、忙しい中なんとか時間をやりくりして…」
 尚斗がちょっと首を傾げた。
「……何も問題ないじゃないですか」
「え?」
「チケットは持ってる、時間に遅れてもいない……ちびっこと一緒はダメかも知れませんが、夏樹さんはその舞台を見られますよ」
「……」
「……ですよね」
「そういえば…そう…ね」
 夏樹はちょっと頷いた。
「あ、でも、私はそうだけど…有崎君が…」
「別に腹を立てる事でも困ることでもないですよ……誤解かも知れませんが、ちびっこは夏樹さんのためを思って行動しただけですから」
「……」
「だから、気にすることはないですよ夏樹さん…」
「それで……いいの?」
「まあ、俺だって怒ったりしますけどね……今回は別に腹も立たないというか」
「……優しいね、有崎君は」
「鈍いだけかも知れませんが」
 尚斗の冗談めかした言葉に、夏樹がちょっと笑った。
「じゃあ、俺は帰りますよ」
「あ、ちょっと待って…」
「はい?」
 優しい目で、尚斗をじっと見つめ。
「お詫びにならないかも知れないけど……演劇とか…興味ある?」
「自分の知らないことだからそりゃ興味はありますが…」
「このままじゃ、チケットが無駄になるし」
「いや……」
 尚斗は周囲を見渡しながら言った。
「どこかで、俺達を見てるんじゃないですかね」
 
「なに、アレは一体どういうこと?」
「おねえさま…落ち着いて…」
「二股なのね、これがいわゆる二股なのね……しかも、デートのかけもち」
 肩をわなわなと震わせながら、弥生のボルテージが上がっていく。
「おねえさ、ま…」
「放して、御子……有崎に一言いってやんなきゃ気が収まらない」
 そんな弥生を見て、世羽子が笑いを堪えるために口元を押さえた。
「似てるんですか、昔の秋谷さんに?」
「まあ、そんな感じ……って、ほっとくとまずいわね」
 と、世羽子が一歩踏み出そうとした瞬間。
 ぱちん。
 背伸びしながら、御子が弥生の頬を叩いた……というか、撫でたぐらいのレベル。
 それでも、弥生は信じられないような表情を浮かべて御子を見る。
「御子…?」
「有崎さんは…そんな人じゃありません…」
「……」
「そんな人じゃ…ありません……おねえさまは…わかっているはず…です」
 ちょっと涙に潤んだ目で弥生をじっと見上げる。
「あーもう、御子ったらなんでこんなに可愛いかな…」
「お、おねえさま…?」
 弥生がちょっとしゃがみ込んで御子を抱きしめた。
「さすがに弥生の妹…と言うか」
「あっぱれな覚悟ですぅ〜♪」
 なでなでなでなで…
 世羽子が、安寿が、紗智が、御子の頭を撫でまくる。
「……って、一ノ瀬さん」
「あっ、しまった…」
 逃亡を試みた紗智を世羽子が難なく捕まえた。
 
「なるほど…」
 弥生が大きく頷いた。
「つまりさっきのはただ映画を見に行っただけで、今橘先輩と仲良く話してるのも、待ち合わせていたわけじゃないと…」
「ち、違うわよ……私は、れっきとしたデート」
 ちょっと顔を赤らめて抗議する紗智の目の前で弥生が指を振った。
「それ、私が同じコトしたら多分有崎は同じようにしたわね……」
「……何が言いたいわけ?」
「だって…デートってこう、もっと特別な感じがしない?」
 御子が恥ずかしそうにコクコクと頷く。
「あーもう、女子校育ちはこれだから…」
 そんな3人を眺めつつ、安寿がにこにこと笑いながら呟いた。
「世界は平和ですねえ〜」
「そう?結構爆弾抱えてるような気がするけど?」
 安寿はちょっと世羽子に視線を向け、笑った。
「あの程度では、爆弾とは言いません」
「……さらりと恐いこと言うわね」
 安寿がちょっと首を傾げた。
「ところで、秋谷さんはお気づきですか?」
「ええ、見られてるわね…」
 世羽子はちょっと言葉を切り、弥生達に向かって言った。
「ねえ、2人が移動を始めたけど」
「え…」「やば、こんなコトしてる場合じゃ…」
 と、後を追おうとした弥生と紗智に向かって。
「2人の邪魔はさせませえぇぇぇんっ!」
「……っ!?」
 基本通り下からすくい上げるような結花のタックルは紗智と弥生の2人をまとめてなぎ倒す……予定だったのだろうが。
 ぱちぱたぱち。
「……お見事です、秋谷さん」
「わかってたからね……気付いてなかったり、狭い場所だったらまずかったけど」
 結花の襟首をつかんだまま、その場で約6回転……弥生や紗智に触れさせることなく突進の勢いをきっちり殺しきったのだ。
「さて、と……あら?」
 抵抗らしき抵抗を見せない結花の異常に世羽子は気がついた。
「入谷さん…?」
「目を回してますねえ…ハンマー投げの選手は目を回しませんが、ハンマーは目を回してしまうのと一緒ですぅ」
 まだいまいち状況をつかみかねている紗智だったが、反射的に突っ込んだ。
「ハンマーって目を回すの?」
「さあ、ハンマーさんに聞いてみないと…」
 小首を傾げて安寿。
「…って、来た来た来た、尚斗がこっちに来たってば」
 弥生があたふたと。
 それを聞いて、そこから逃げようとした紗智の襟首を世羽子がつかんだ。
「馬鹿馬鹿しいからこれで終わりにするわよ、弥生もいい?」
「あ、うん…わかった」
 
「……ん…結花ちゃん…」
 呼ばれている事に気がついて、目を開けた。
「夏樹様…?」
 目を開けると、心配そうに自分をみつめる夏樹様がいて、夏樹様の肩越しに有崎さんが見えて……見たくなかったから再び目を閉じた。
「狸寝入りだな」
 有崎さんの声。
 どすうっ。
 誰かが誰かを思いっきり殴りつけたような音。
「な、何すんだよ、世羽子?」
「理由があったのよ」
「そーか、あったのか…」
「尚斗、それで納得していいの…?」
「ハンカチを濡らしてきたわ…」
「おねえさま、こっちへ…」
 ひやっとした何かが額に押しつけられた。
 なんだかいろんな視線を感じて、いろんな人の声を感じて……仕方がないから目を開けた。
「……なんですか、騒々しい」
「いきなりそれか…」
 有崎さんの足を秋谷先輩が踏んだ……と言うことは、あの人には色々と気付かれているのだろう。
「良かった、大丈夫なの結花ちゃん?」
 夏樹様は優しかった。
「大丈夫も何も……舞台の時間は大丈夫なんですか?」
「舞台はまたの機会があるわ……今は結花ちゃんの方が心配」
 何故怒らないのだろう。
 何故優しいんだろう。
「…う」
 滲んだ視界の中で秋谷先輩が、有崎さんが他のみんなを連れて離れていく。
「結花ちゃん……もう誰も見てないわよ」
 夏樹様の言葉に安心して、私は泣いた……無き終わったら、謝らなきゃいけないこと、言わなきゃいけないこと、言いたいことがいっぱいある。
 
「……で、そろいも揃って何してたんだお前ら?」
 弥生が、御子が、紗智が、尚斗の視線から逃げる。
「……世羽子?」
「なんと言えばいいか」
「……?」
「まあ、一言で言うと…」
 世羽子はぴっと尚斗を指さした。
「尚斗が悪いのよ」
「……そうなのか?」
 紗智が、弥生が、御子が、再び尚斗の視線から逃げまくる……ので、安寿を見た。
「……そうかもしれないですねえ」
「むう…」
 
 
                   完
 
 
 締め切りを一旦破ってしまうと、今度は気が緩んでダメですねえ。(笑)

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