2月11日(祝)
 天気……はれ。
 行動。
『麻里絵とデート』
『結花とデート』
『……とデート』
『……と………』
 
「……何やら、夢の中で妙な字幕を目にしたような…」
 尚斗は鳴り響く目覚まし時計を止め、ちょっと目をこすった。
「ふむ、気のせいだな…」
 服を着替えてから階下に降り、いつものように休日出勤する父のために朝食を作り始める。栄養がどうとか体にいいとかはさておき、とりあえずはまずくはない食事が尚斗のモットーだ。
 とりあえずは飯を炊き、昨夜の残り物にちょっとしたアレンジを加えたり……時間および精神的に余裕のある日はそうするのだが。
『尚斗、今日は朝からガツンとしたモノが食べたいぞ…』
 などとテーブルの上に置き手紙があったりすると、当然のように手を抜いて作る……それを知っているのに手紙を置くということは、手抜きで構わないぞという父なりの遠回しな気の使い方で、もちろん尚斗はそれに気付いていながら気付かないフリをして手を抜いた朝食を作っているワケだが。
「……おはよう、尚斗」
「……繰り返すが、休みはないのか親父」
「会社というのは不思議なところでな、仕事が出来る人間ほど次から次へと仕事が回されてくるんだ…」
「……自分で言うなよ」
 父はちょっと真面目な顔をして、ぽつりと呟いた。
「別に……仕事が出来る出来ないなんか、自慢にもならん」
「青山が言ってたぜ……母さんと結婚したというだけで、親父は無条件で尊敬されるべきだって」
「それは……喜んでいいのか?」
「さあな……ほい、朝飯」
「おお、すまんな」
 父はちょっと頭を下げ、箸を手に取った。
 もそもそと飯を食べ、時折新聞に視線を落とし、お茶をすする。
「しかし、何だなあ…」
「ん?」
「お前は、母さんが好き勝手に育てたからなあ……これから大変だぞ」
 世間話のような口調で。
「と言うと?」
「お前に馴染むことの出来る個人はいるだろうが、集団社会において、お前はいつも異邦人の扱いを受ける……当然、自覚はしてるとは思うが」
「……」
「自分自身でそういう生き方を選んだならいいんだが、母さんはお前をそういう生き方しかできないように育てたからな……それが悪いとは思わないし、むしろ羨ましくも思うが……生きにくいのは間違いない」
「いつになく真面目だな」
 父はちょっとため息をついて言った。
「……御子ちゃんがワシの娘になってくれたらこれほど嬉しいことはないんだが、お前が相手だといらぬ苦労を背負わされるのが心配でな」
「見当違いも甚だしいが、えらくお気に入りなんだな?」
「見当違いってお前……まあいい。そりゃ、御子ちゃんは母さんと違って物理的にかよわそうだしな」
 父はきっぱりと言い切った。
「物理的に強い女は母さん1人で正直お腹一杯だ……お前が中学の時に世羽子ちゃんを家に連れてきたときはもう生きた心地が…」
 次の瞬間、父は背広をひっつかんで脱兎のごとく家を飛び出していた……。
「じ、自分の都合だけで話をしやがって…」
 
 そして……尚斗の長い一日が始まった……。
 
 プルルル、プルル……
 ピンポーン。
「うお?」
 尚斗は洗濯機から離れ、とりあえず電話の子機をつかんだ。
「はい、有崎です」
『朝早くから失礼します。私は入谷と申しますが、有崎尚斗さんは…』
「ああ、ちびっこか。本人だ本人……つーか、悪いけど今ちょっと客が来たから後で…」
 ピンポピンポピンポーン…。
『……こういうとアレですけど、なんか失礼な客ですね』
「うむ…俺もちょっと出たくなくなった…」
 受話器の向こうで、ちびっこがため息をつくのが聞こえた。
『まあ、そういうワケにもいかないでしょうから…』
 20分後にまたかけ直しますと言って結花は電話を切った。
 ピンポーン…。
「ああ、しつこいなっ…」
 いらつきながら、尚斗は玄関のドアを開けた。
「……おや?」
 念のために視線を下に……が、誰もいない。
「ピンポンダッシュ……にしては、妙だな」
 普通は一回押してそのままダッシュで逃亡するモノだが、何度も何度も押して、誰かが出てくる気配を感じるまで逃亡しないと言うのはある意味尋常ではない。
 第一、最後に鳴らしてからドアを開けられるまでは……ほんの4秒ほどで。
 尚斗は門に視線を向けた……安っぽい門扉だが、きちっと閉められ、引っかけるタイプの鍵もかかっている……とてもあの時間でそこまでできるとは思わない。
 それはつまり、犯人はこの狭い庭に隠れている……のだろうか?
 尚斗は人が隠れることが出来そうな植え込みの影をちょっと調べ、首をひねりつつ家の中に戻った。
「一体何だったんだ…?」
 台所に行き、とりあえずお茶でも入れようと急須に手を伸ばす。
「いれようか?」
「ああ、さんきゅ…」
「いえいえ…」
 このぐらいのこと…と、微笑んだ紗智の両耳をホールドし、尚斗は笑った。
「どこから入った?」
「洗濯の途中だったんでしょ…勝手口が開いたままだったわよ」
「ほう…」
 耳をゆっくりと引っ張りながら、尚斗はあくまでもにこやかに言う。
「まあ……こちらに落ち度があったのは認めるが、チャイムを鳴らしたんなら、そこで待つのは最低限の義務だと思うが」
「人生は短いから」
 幾分真面目な表情で紗智が呟く。
「悩む時間や、立ち止まる時間もないぐらいに」
「なるほど…」
 尚斗はつかんでいた紗智の耳を放し、椅子に腰を下ろした。
「話、というか用事があるなら聞こう」
「あはは…ごめんね」
 プルルル…
「……そういえば」
 かけ直すとか何とか言ってたが20分も経ってないよな、などと思いつつ尚斗は電話をとった。
「はい、有崎です」
『もしもし、尚斗くん?』
「って、麻里絵か……電話かけるぐらいなら、直接くりゃいいのに」
 精々500メートル……歩いても5分の距離だ、電話代がもったいない。
『え、行ってもいいの……じゃあ、今から行く』
 かちゃん、つーつーつー。
「……麻里絵、何だって?」
「いや、なんか今から来るって…」
 紗智が微妙な表情でお茶をすすった。
 ビービービーッ。
「あ、洗濯終わったか…紗智、ちょっと待っててくれよな」
「……いいけど」
 洗い終わった洗濯物をかごに放り込み、さあ干そうかとした所に麻里絵が息を切らしてやってきた……わざわざ勝手口の方に。
「お、おはよう、尚斗くん」
「おう……早いな」
「は、走ってきたから……洗濯物を干そうとしてるのが見えたからこっちに回ってきたの」
 麻里絵は照れくさそうに笑い、そして家を見上げて懐かしそうな表情を浮かべた。
「……何年ぶりかな」
「そう……だな、俺はあんまり家の中で遊ぶ子供じゃなかったし」
「へへ…」
「ぐっもーにん、麻里絵」
 いきなり背後から話し掛けられ、麻里絵は文字通り飛び上がって驚いた。
「さ、紗智?」
「あれえ?」
 紗智がわざとらしく首をひねった。
「確か……今日は用事があるから遊びに行けないとか昨夜電話で言ってたような」
 手に持ったまま家の外に出てきたのか、紗智はお茶をちょっとすすった。
「じゃ、じゃあ紗智は何で…」
「麻里絵が一緒に行ってくれないから、チケット余らせるのも何だし尚斗でも誘おうと思ってね……一応、麻里絵を優先したんだけど」
 麻里絵の言葉を遮り、紗智がぼそぼそっと呟く……皮肉の棘をたっぷり乗せて。
「何を2人でぼそぼそと」
「な、何でもない、何でも」
 慌てたように首を振る麻里絵を押しのけ、紗智は尚斗の肩に手を置いて言った。
「尚斗、ナイス選球眼……秋谷さんで正解」
「は?」
「午後から用事があるのは本当だってばっ!」
 顔を真っ赤にして叫ぶ麻里絵……そして、家の中では人知れず電話が鳴り続けていたり。
 
 プルルル……プツッ。
 結花は一旦携帯を切り、首を傾げながら呟いた。
「あやしい…」
 かけ直すと言ったにもかかわらず……どんな客が来たかはしらないが、電話にも出ないと言うのはどういう事か?
「念のため……もう一度」
 プルルル、プルル、プルルル……プツッ。
「有崎さんなら……待っててくれるはずですよね」
 律儀というか、約束は必ず守るタイプの人間……少なくとも、結花は尚斗のことをそう見ている。
 それが……電話に出ない……電話に出られない状態……客がいたとして電話には出る……なら、急病か何か?……確か父親と2人暮らし……父親は休みの日も仕事ばかりでちょっと心配とか言ってた……家には有崎さんひとり……電話にも出られない急病……さっきは元気に電話に出た……突発的な、しかも意識不明系統の病気……
 想像力豊かな結花の頭の中で、尚斗はどんどんと悲惨な状況に陥っていく。
「あ、有崎さん、今行きますっ!」
 そして結花がゆく……。
 
「……はて?」
「どうかしたの?」
「あ、いや……紗智が来たときにちょうど電話があってな、20分ほどしてかけ直すと言ってたんだが…外で騒いでたから気付かなかったか」
 尚斗はちょっと首をひねった……あれから40分近く過ぎている。
「こっちから電話をかけるにしても……わからねえし」
「……わからないって?」
「連絡先しらねえんだ……まあ、待つしかないか…」
 尚斗の呟きに、紗智がちょっと不服そうに口を尖らせた。
「待つって、ずっと待ってるつもりなの?」
「あ、そういや紗智の用事って聞いてなかったな…」
「映画のチケットというか無料招待券が2枚……麻里絵は用事があるからダメなんだって」
「だから、午後からお母さんと一緒に親戚の家に行かなきゃいけないのっ!」
「わかってる、わかってるから麻里絵…」
 紗智が口元を隠しながら、くふふと笑う。
「わかってない、その表情は絶対誤解してるっ!?」
「……他人の家で騒がないように」
 尚斗はワケも分からずに2人をなだめ、ちょっと立ち上がった。
「紗智、朝飯は?」
「お腹空いた」
「待ってろ」
「……紗智、それはずうずうしいよ」
 
「ねえ、世羽子」
「なに?」
 朝食の片づけ、洗濯、掃除を弥生と2人で終わらせ、のんびりとお茶をすすっていた世羽子が弥生に視線を向けた。
「デパート行かない?」
「……何で?」
 弥生の顔がちょっと赤くなる。
「いや……その……もうすぐ、バレンタインだし…」
 弥生とは正反対に、世羽子はいつもと同じ表情で。
「買うの、作るの?」
「な、何を他人事みたいに…」
「ちょっとね……バレンタインはあんまりいい想い出がないというか」
「……聞いたら、まずい事?」
 世羽子はちょっとため息をつき、笑った。
「……尚斗とケンカ別れした日」
「…う」
 弥生はちょっと口ごもり、それでも何とか体勢を立て直して言った。
「だ、だったら尚更気合い入れていい日にしなきゃ…」
「で、弥生が泣くことになると」
「そ、それとこれとは話が別……良くない思い出は良い思い出で塗りつぶしちゃうぞ…ぐらいの意気込みで」
 世羽子はちょっと微笑み、そして言った。
「中1の時は……こう、張り切りすぎたというか、自分の力量以上のモノを作ろうとして緊張した挙げ句……すごいのを食べさせちゃって」
「よ、世羽子でもそういうの…あるんだ」
「そりゃあるわよ……完全に舞い上がってたし」
「じゃあ、今回はリベンジね」
 弥生に向ける世羽子の視線が優しくなる。
「な、何?」
「別に……じゃあ、もうちょっとしたら出かけましょ」
 
 ピンポ、ピンポーン…。
「千客万来だな…」
 と、腰を上げた尚斗の耳に飛び込んできたのは……
「大丈夫ですか、大丈夫なんですか有崎さんっ!?」
 などと、ドアをがちゃがちゃいわせながら物騒なことを叫ぶちびっこの声で。
「な、何事だっ!?」
 ドアを開けた尚斗の姿を確認した瞬間、結花は尚斗の胸に飛び込んだ。
「何で、何で電話に出ないんですかっ!?心配したんですからね、本当に心配したんですからねっ!?」
「え、あ…いや…」
 話が見えない……というか、結花がめちゃくちゃ心配していたことだけはわかったので、とりあえず落ち着けよ……という風に頭を撫でた。
「すまん……ちょっと洗濯してて聞き逃した……悪かった…」
「さっきは元気に電話に出たのに……何かあったんじゃないかって…」
「そ、そこまで心配してくれたのか…」
 何故もう一回電話をかけてこない……などと多少呆れつつ、尚斗は結花の頭をなでて落ち着くのを待ったのだが。
「尚斗、何の騒ぎ?」「尚斗くん?」
 ぴくっと、結花の身体が震えた。
 涙を拭い、怪訝そうな表情で尚斗の顔を見上げ、台所から顔をのぞかせている紗智と麻里絵に視線を向け、再び尚斗を見上げる。
「……お客って、あの人達ですか」
「片方はそうだな」
 客が来たから後でかけ直してくれ……かけ直したら電話に出なかった……その時の客は女性でまだ家の中にいる……電話に出られない状況だった……何故か今は女性が2人……女性の客がいて電話に出られない状況……
 もんもんもんもん……。
「てい」
 頭を撫でていた尚斗の手を払いのける。
「な、ななななんですか……人をこんなに心配させておいて、電話に出られないって何やってたんですかっ」
「いや、だから洗濯物を干そうと外に出てて…」
「かけ直すって言ったのに、何で外に出るんですかっ!?」
「あ、う…確かにそれは…」
「そうですか、どうせ私の電話なんてどうでもいいって事なんですね…」
「……??」
 さすがにワケがわからない……というか、今の結花がまともでないのだけはわかる。
「お〜ち〜つ〜け〜」
 結花の頭をがっしっとつかみ、前後左右にシェイクする事30秒。
 とりあえず結花は静かになった。(笑)
 
「さて…落ち着いたか?」
「すみませんでした……公演が近いからちょっと情緒不安定というか」
「情緒不安定にも程がある……と言っても、マジで忙しそうだもんな…まあ、ちびっこの性格だと難しいだろうが、他人に任せられる部分は他人に任せて気楽にな…」
「はい…」
 心配そうに結花に声をかける尚斗の背後で、紗智と麻里絵が『なんでやねん』という表情を浮かべてお互いの胸元にツッコミをいれた。
 まあ、面と向かって指摘しないのが2人の優しさなのか、それとも自分自身を顧みてやましい部分があるからなのかはわからないが。
 尚斗はちょっとあらたまって、紗智、麻里絵、結花の3人に言った。
「結局、3人の用事ってのは…」
「さっきも言ったけど映画の招待券があるから一緒に見に行かないかなって…」
「え、えっと…別にどこか行こうとかじゃなくて、お昼までのんびりと話でもしたいなって…」
 結花が顔を動かさずに視線だけで2人を見た。
「で、ちびっこは?」
「演劇部の方でちょっと買い物があって……結構かさばるモノなんですけど、手が空いてる人間が夏樹様と私だけでして」
「……荷物持ちを手伝ってくれと」
「あ、いえ……お暇ならというか、さすがに図々しいですね」
 そう呟くと、結花はふっと疲れたような表情を浮かべて視線を床に落とした。
「……うまい」
 紗智の呟きとは対照的に、麻里絵は首を振った。
「どうかな…」
 紗智の視線が麻里絵に向く。
「で、本当の用事は何だ、ちびっこ…」
 おや、という風に紗智の視線が再び尚斗に。
「ほ、本当も何も……その…言った通りですけど」
 ちょっと気分を害したように言った結花を、尚斗は何も言わずにただ見つめるだけで。
 紗智は麻里絵の身体を押して、尚斗と結花からちょっと離れた。
「……どういう事?」
「嘘にも色々あるんだよ、紗智…」
 結花を見る麻里絵の視線は優しさと哀しみが入り混じった複雑なモノで。
「5年前ならともかく……本当じゃない嘘で今の尚斗君をだますのは難しいと思う…」
「何よ…本当じゃない嘘って?」
「嘘つきの私より……紗智みたいな人が良く使う嘘だよ…」
「……?」
 そんな2人をよそに、沈黙に耐えかねたのか、結花がプイッと顔を背けて言った。
「別に、無理にとは言ってません……有崎さんも忙しいみたいですから、いいですよ…」
 尚斗はちょっとため息をついた。
「わかった……で、今からか?」
「……いいんですか?」
 ちらり、と結花が紗智と麻里絵に視線を向ける。
「紗智、麻里絵、悪いけど…」
「別に、いつもの……」
 こと……そう言いかけた麻里絵を制し、紗智が言った。
「荷物持ちならつき合うわよ」
「む」
 何か言いたげな結花を無視して、紗智は続けた。
「ぱぱっと買い物終わらせて、映画を見に行く……って、とこで」
「……気持ちは嬉しいですけど」
 結花は紗智に頭を下げながら。
「買い物は、夕方からです……先に映画に行ってください」
「夕方?」
 結花の視線が尚斗に向く。
「これから、演劇部の練習がありますから……夏樹様も私も、夕方以降じゃないとちょっと…」
 
「しかし……」
 弥生は周囲を見渡しながらしみじみと呟いた。
「……バレンタイン一色というか」
「この時期は、いつもこんなモノよ…」
 と、これは世羽子。
 とは言っても……クリスマスのような、街全体がカラーに染め上げられるのとは違って精々売り場が目立つ程度なのだが。
「あ、そうなの……まあ、これまで縁がなかったし」
 弥生が納得したようにちょっと頷いた。
「……私も、中学になるまで気付かなかったクチだからなんとも言えないけどね」
「あれ?」
 弥生が意外そうに首を傾げた。
「小学校の時は……無かったの?なんか、色々とあげたりおかえしを貰ったりするって聞いたことがあるけど」
「基本的に男子は嫌いだったの……子供って言うか、頭が悪いって言うか、軽々しく女のくせにとか言うし、都合が悪くなったらすぐに暴力ふるうし、そのくせ女の私にはり倒されたら先生とか両親を持ち出してくるし……」
「え、えっと…?」
「早い話、女だからってなめんじゃないわよと、肩肘張ってた私にそんな縁があると思う?」
「……世羽子」
「何?」
「中学の頃、影の支配者って噂されたのは自業自得の部分が…」
 世羽子が微笑んだのを見て、弥生がちょっと腰を引いた。
「青山君に頼んだのは確かに私が悪いわ…でもね、アレは青山君が悪いの、わかった?」
 にこにこと微笑みながら……しかし目が笑っていない。
「う、うん…そうね」
 弥生はこれ以上この話題に触れることの愚を悟り、気を取り直すようにチョコ売り場を指さして言った。
「と、とりあえず売り場を見て回りましょ?」
「そう…ね?」
 顔を上げた世羽子はチョコ売り場の中にある人物の姿を認め、手を伸ばして弥生を引き留めた。
「ちょっと待って」
「何?」
「せっかくだから、服を見て回らない?」
「服なんか後で…」
「チョコを買ってから暖房の効いた場所をうろうろしてたら、生チョコはもちろん、普通のチョコも危ないわよ」
「……それもそうね」
 弥生が頷いたのを見て、世羽子は気付かれぬように小さくため息をついた。
 おばさんから少女まで、人がひしめく売り場で見覚えのあるショートボブの小さな頭がうろうろと。
「相手は……やっぱり尚斗よね」
「え?」
「……なんでもない」
 
「じゃ、麻里絵は昼から用事があるんだからさっさと帰った帰った…」
 ちょっと挑発するような紗智の口調に、麻里絵はただ微笑んだ。
「そうだね」
「……え?」
「じゃあ、尚斗君…紗智をお願いね」
「お願いも何も、映画見るだけだろ…」
 意外というか、やけにあっさりと麻里絵が引き下がったので紗智はかえって狼狽えた。
「ちょ、ちょっと……麻里絵?」
 麻里絵は紗智の耳元に顔を寄せ、ぽそっと呟いた。
「えらそうなこと言っても、紗智ってデートなんかしたこと無いでしょ……用事がなかったら、絶対に尾行するのに…残念だな」
「デっ、デートって…」
 麻里絵の言葉にあらためて意識させられたのか、紗智の狼狽がひどくなる。
「そっかあ…一応私はみちろーくんと、尚斗君は秋谷さんとつき合ってたわけだから……紗智だけが…ふーん」
「……っ」
 麻里絵はちょっと微笑み、言葉を続けた。
「紗智があんまり意地悪言うからお返しだよ……じゃあね」
 麻里絵がいなくなった瞬間、紗智にとってその空間はまるで別のモノへと変貌したように感じられた。
 尚斗と2人きり……麻里絵のせいで、否応なしに意識させられてしまった。
「紗智」
「な、なに?」
 声をかけられただけで心臓が跳ねる。
「いや…夕方から用事あるし、早めに出るか?上映時間が合わなかったら、お茶なり、ゲーセンなりで時間潰せばいいし」
「そ、そうね…全部尚斗に任せる」
「……何か意外だな」
「そ、そう?」
「いや、なんか紗智なら1から10まで仕切りそうな気がしたんだが」
「そ、そんなこと……た、たかが映画を見るだけじゃない。仕切るも何も…ねっ」
 尚斗がちょっと首を傾げ、紗智のおでこに手を当てた。
「体調…悪いのか?」
 紗智がそのてを振り払う。
「あ、アンタわざとやってる……わけないわよね」
 大きく深呼吸をすること三度、紗智はきっと顔を上げて言った。
「じゃあ、行くわよっ」
「……何故そこまで気合いを…」
 
 
                    完
 
 
 ……2月14日に間に合わなかったし、もう40話で完結させなくても良いか……などと、悪魔の囁きが。(笑)

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