「……親父」
「何だ?」
「……休みはないのか?」
「ないな」
 お茶をすすり、尚斗の父はきっぱりと言い切った。
「そうか、ないのか…」
「サラリーマンに二言や三言はあっても、休みだけはない」
「まあ、死んだり倒れたりするなよ…」
 ピンポーン……
 父親はちょっと目をつぶり……言った。
「ふむ、このおくゆかしい鳴らし方は御子ちゃんだな」
「適当なこと言ってんじゃねえ」
 台所を出ていく尚斗に向かって、父はぽつりと呟いた。
「まだまだ、若いな…」
 
「お、おはようございます…」
 ゆっくりと下がっていく小さな頭。
「……若いのか、俺は」
「…ど、どういう意味でしょうか?」
 ちょっと困ったように、御子が首を傾げて尚斗の顔を見上げた。
「あ、いや、なんでもない…」
「そうですか…」
 ちょっと安心したように御子が呟いた。
「で、今日はどうしたの?」
「はい…」
 御子はちょっと俯いて。
「あの…ですね……心が少し、しおれそうなので…有崎さんに、お水をもらいに来ました…」
「……水?」
 尚斗はちょっと首を傾げ、おもむろに御子の頭に手を伸ばす。
 なでなでなで。
「え、えっと…そういう意味では…」
 頬をほんのりと染めて、御子が遠慮がちに首を振る。
「あ、ごめん……」
 謝ってから手をのけようとすると、その手を御子がぎゅっと握ってしまう。
「あ、いえ…別にそれでも…」
「あ、そう…?」
 なでなでなで…。
「あ、あの…?」
「え、何?」
 頭を撫でられながら、御子はちょっと上目遣いに尚斗の顔を見上げる。
「なんだか…有崎さんの心がここにあらずというか…」
「いや、なんか邪魔が入るならこのタイミングかなって…」
 油断なく周囲に視線を配りつつ、尚斗はちょっと笑ったのだが……御子は哀しげに俯いてしまう。
「……しおれそうなんです」
「わ、わかった…ちゃんと撫でる、撫でるからっ」
 ちゃんと撫でるってどんな撫で方だ…などと内心ツッコミつつ、尚斗はとりあえず撫でることに集中しようと……
「マイサン、ダディが会社に行くよ〜挨拶はないのかな〜♪」
 勝手口から出てきたのか、父がこぼれんばかりの笑みを浮かべながらやってくる。
「あ…」
 御子はすっと体の向きを変え、深々と頭を下げた。
「おはようございます…」
「おはよう御子ちゃん、良い朝だね」
「はい……今日も、お仕事なのですか?」
「ははは、仕事とはそういうモノだからね…おっと、時間が」
 わざとらしく腕時計に父が視線を向ける。
「そうですか…お気をつけて行ってらっしゃいませ」
 そう言って御子が深々と頭を下げた瞬間、父は喜色を満面に浮かべて尚斗の額を指先でグリグリと押しまくる。
「(尚斗、お前御子ちゃんとチェンジだチェンジっ!)」
「(馬鹿なこと言ってないでさっさと会社いけっ!)」
 ふ、と御子が頭を上げたときには、父はもうよそ行きの表情で。
「じゃあ、行ってくるよ…」
 と、爽やかな笑みをこぼして父は去っていった…。
「……馬鹿親父が…」
「あ、あの…有崎さん」
「え、な、なに…?」
 頬をちょっと赤らめて、御子が頭を差し出す。
「え、続き?」
 御子の頭がちょっと沈んだ。
「……しおれます」
「わかった、わかったからっ……っていうか、御子ちゃん、そういう駆け引き誰に習った?」
「あの…香月先輩に…」
「……御子ちゃんに妙なネタを吹き込んでるのはあの人か…」
 ため息をつきながら、尚斗は御子の頭に手を乗せた。
 なでなでなで…
「……弥生のと話し合いが難航してるとか?」
「いえ……そういうワケではなくて…」
 御子はちょっと躊躇いつつ、ぼそぼそと呟いた。
「あ、有崎さんは…お父様と、ケンカしたりとか…ありますか?」
「んー、小学2年の時に完膚無きまで叩きのめしたことがあるけど…」
「……そうではなくて…」
 御子の声がますます小さくなっていく。
「ふむ…」
 尚斗はちょっとため息をついた。
「こう、価値観の違いというか…生き方の違いの衝突はケンカとは言わないと思うけどな……」
「……」
「譲れる部分は譲って良いけど……譲れない部分がぶつかり合ったら、そりゃ戦うしかないと思うよ」
「それは少し…哀しい気がします…」
「そうかな……俺は…ぶつかり合わなかったり、戦うことが出来なかったりすることの方が悲しいと思う…」
 ふ、と……御子は、自分の頭を撫でる手が優しくなったような気がした。
「……御子ちゃんは、弥生みたいに両親とぶつかったりはしないの?」
「そんなこと……できません」
「そっか…そういう事か」
 尚斗の言葉は囁くように。
「ぶつからないんじゃなくて……ぶつかれないのか…」
「……」
「そっか……それは難しいよなあ」
 優しく頭を撫でられながら、御子はなぜだか涙が出そうになった。
 痛いとか、ツライとかではなく……何故か涙が滲む。
「よし…」
 ぽんっと、尚斗の手が御子の頭を叩く。
「え…?」
 目元の涙を拭いつつ、御子が尚斗の顔を見上げた。
「行こうか」
「い、行こうか…って?」
「世羽子の家……弥生、そこにいるんだろ?」
「え、あの…ですが…」
 私は水をもらいに来ただけで…と言いたそうな表情の御子の手をひき、尚斗は世羽子の家に向かって歩き始めた。
「あ、あの…せめて、鍵ぐらいは…かけたほうが…」
 
 ピンポーン……。
 チャイムの音を聞き、世羽子はちょっとため息をついた。
「来ちゃったわね……尚斗が」
「は?チャイムでわかるわけないでしょ」
 何を馬鹿なこと言ってるんだか……という表情を浮かべた弥生を、世羽子は冷ややかな目で見つめる。
「な、何よ……その、お子さまはこれだからって視線は…」
「まあ……確かに、弥生は他人のお節介を寄せ付けない雰囲気あるけど」
 再びため息をつき、世羽子はゆっくりと立ち上がった。
「……?」
 首を傾げる弥生をしりめに、世羽子は玄関へと向かった。
「朝っぱらからすまん、世羽子」
「……弥生の妹は?」
「御子ちゃんなら外で待ってるが、何故それを?」
「……とりあえずちょっと待ってて」
 そう言って世羽子は一旦奥に引っ込み……抵抗する弥生を引きずるようにして連れてきた。
「ちょ、ちょっと世羽子?」
「弥生、人間諦めが肝心よ」
「諦めも何も、なんで有崎が御子と一緒に…」
「尚斗のお節介力を甘く見ない方がいいわね……こう、お節介を必要とする人間が吸い寄せられるとでもいうのかしら…」
「人を掃除機みたいに言うな」
 世羽子がちょっとため息をつく。
「……青山君は、言い得て妙だなって言ったけどね」
 そう言って、世羽子は弥生を尚斗に押しつけた。
「じゃ、よろしく」
「了解」
「ねえ、私って宅急便の荷物?荷物なの?」
 弥生の叫びを無視して、世羽子は尚斗をじっと見つめながら言う。
「何度も言うけど……答を教えてあげるのは親切じゃないわよ?」
「俺は、青山や世羽子と違って頭悪いからわからねえよ、そんなの」
 
「……で、何?」
 少々呆れたような表情と口調で弥生が呟く。
「誰もいない家に、美人姉妹を連れ込んで……やらしい」
「……」
 御子がちょっと顔を赤くする。
「……って、何で誰もいないのよ?」
「お、おねえさま…」
 その話題は……と、腰を浮かしかけた御子に尚斗が視線を向けた。
「あれ、御子ちゃんは知ってたっけ?」
「え、あ…その…なんとなくですけど…有崎さんが料理作ってたり…してましたから」
 ちょっと困ったように、御子は俯いてしまう。
「ふふ、2人の秘密ってワケね…私はのけ者なのね…宅急便の荷物なのね」
「いや、世羽子のとこと同じで、俺の母親死んでてな…」
「あ、う…」
 気まずそうに、弥生がちょっと目をそらした。
「まあ、気を遣うなよ」
「使うなよって言われても、そりゃ…気にするわよ」
「世羽子にも使ってるのか?」
「世羽子は…おばさんが死ぬ前からの知り合いだし……気を使うも何も…」
 尚斗は弥生を見つめながら言った。
「世羽子のことだから、何でもない事のように言っただろ……『母さん、ダメだったわ』とか」
「それは、世羽子なりの気遣いでしょ……何でもないみたいな態度で、まわりの人間に気を遣わせないための…」
「まあな……でもこれが結構難しいというか」
 尚斗がちょっと頭をかく。
「そういう態度をとることでかえってまわりに気を使わせたりとかあるし…まわりはまわりで、それぞれ判断が違って、本当に気を遣わないヤツもいれば、すごく気を遣うヤツもいて…」
 御子がちょっと顔を上げ、尚斗をじっと見つめた。
「おいおい、俺はもう全然平気だぞ…って感じなのに、気を使われてるのがわかると、人間ってのは基本的に自己中だから、なんだよこいつ…とか思ったりをするしな」
 さすがに会話の不自然さ…というか、風向きの不自然さに気付いたのか、弥生がちらりと御子に視線を向ける。
「まあ、なんと言ったらいいか…」
「有崎、ストップ」
 尚斗の言葉を制し、弥生がちょっと姿勢を正して御子の方に身体の向きを変えた。
「御子」
「……」
 御子は何も答えず、弥生ではなくて尚斗に視線を向けた。
「有崎さんがお気づきになられたように……私は、養子です」
「養子とか関係ないって何度言えば…」
「言わせてください、おねえさま…」
「……」
 すっと背筋を伸ばし、御子が再び口を開く。
「お父様も、お母様も、弥生おねえさまも、私に、良くしてくださいます……養子なんて関係ない、みな家族だと……ですが」
 御子は何かを我慢するかのようにちょっと俯き、しばらくしてから顔を上げた。
「……私が、養子であるという事実は消えません」
「そうだね」
「有崎っ」
「最後まで聞いてやれよ」
「……」
 御子はちょっと微笑んだ。
「今まで…何度も言われました……本当の親子みたい、本当の姉妹みたい…」
「誰がっ」
「誉め言葉のつもりなんです、みなさん…」
 弥生に向かってそう呟く御子の表情は本当に穏やかで。
「お父様もお母様もおねえさまも…みんな、本当の家族であろうと気を使いすぎているように、私には思えます……」
「……」
「おねえさま……私は、そんなに弱くありません……泣き虫ですけど、頼りないかもしれませんけど……少なくとも、自分が養子であることに潰されるようなことはないつもりです」
「……御子」
「私、音楽のことは良くわかりません…ただ、弥生おねえさまがどの道に進まれても、九条流宗匠の娘……と、いう代名詞は一生付いて回ると思います……それと同じです」
 御子がふかぶかと頭を下げた。
「生意気を申しました……ですが、おねえさまは華道を捨てるのではなく、単に音楽を選んだ……御子はそう思っています」
「……」
「音楽を選ぶ……それに気を遣いすぎているから、華道を捨てる…みたいな言い方になって、それがお父様を刺激して……ですから…」
「……わかったわ、御子」
 目を閉じて、弥生はちょっと頷いた。
「やれやれ…どっちが姉かわからなんな」
「うるさい、有崎」
 弥生はちょっと気恥ずかしそうに、ぽつりと呟いた。
「御子は…私の自慢の妹だから当然よ」
「おねえさま…」
「さて…と」
 弥生はちょっと俯き……顔を上げると同時に尚斗を睨みつけた。
「有崎……よくもひとの家庭の事情にどかどかと土足で踏み込んできたわね」
「お、おねえさま…有崎さんは…」
「御子は黙っててっ!」
「は、はい…」
 気迫負けというか位負けというか、御子が黙り込む。
「覚悟してなさいよ…これから仕返ししてあげるからね…ゆっくりと」
 口調こそ怒っているモノの、その視線はどこか柔らかく。
 す、っと弥生が立ち上がった。
「帰るわよ、御子」
「……帰る…ですか」
「ええ」
 御子の顔に笑顔が咲いた。
「はい」
 
「有崎さん…ありがとうございました」
 御子の頭が深々と下げられる。
「いや、今回は何もしてない……というか、お節介も出来なかった、マジで」
「そんなこと……ないです」
「というか……良く頑張ったね」
「そんなこと…ないです」
「御子ーっ、行くわよ」
「あ、はい…」
 御子はもう一度頭を下げて、そして言った。
「あの…おねえさまを悪く思わないでください…多分、口ではああ言っても…感謝してると思いますので…」
「や、まあ……確かに家庭の事情にドカドカ踏み込んじゃったのは事実だから」
 御子はまたまた頭を下げる。
「有崎さんのおかげです…本当に…」
「御子ーっ、何やってるのっ」
「では、失礼します…」
 もう一回頭を下げ、御子は弥生の元へ。
「お待たせしました…おねえさま」
「いいわよ、別に…」
 弥生はちょっと複雑な表情を浮かべて言った。
「そういう意味で急がせたわけじゃないから」
「え…?」
 
 ガコンッ、ゴツッ、ガゴッ…
 家に戻った弥生は父親と母親に『花を活けてきます』と告げたのだが……。
「……何の音だ、アレは」
「花を活ける……という音ではありませんね」
「……?」
 20分、30分……そして、ふすまが開かれた。
「……お待たせしました、どうぞ」
 弥生に誘われ、父親、母親、御子の3人がその作品を目にして……3人全員が言葉を失った。
 鉢はブロックを砕いたモノで、それには大きな穴が穿たれており、そこから飛び出すように万年青(おもと)が顔を出している。
 一番先に衝撃から脱したのか、母親が最初に唸った。
「……これは」
 全てがでたらめというワケではなく、ブロック云々はさておき、基本に忠実な部分は忠実であり、応用もあり、完全に逸脱した部分は部分で不思議な不思議と見る者を惹きつけ……圧倒的な生命力を示すと同時に不思議な一体感を醸し出している。
「……すばらしいと、思います」
 御子がぽつりと呟く。
 そして父親は……
「……確かに、いい」
「……」
「いいが……九条流としては、評価できん」
 それに腹を立てることもなく、弥生はただ頷いた。
「そうですか…」
「評価はできん……が、私はいいと思う」
 父親はちょっと笑った。
「弥生、お前の好きにしろ……こんな作品を見せられては、お前を九条流に押し込めるのはマイナスになると言わざるをえない」
「……ありがとうございます」
 弥生がちょっと頭を下げた。
 父親は破顔し、万年青とブロックの穴の間にひっそりと置かれた小さな花を指さした。
「これが泣かせるな……猛々しいと言ってもいい生命力の中に、ひっそりとした女性らしさを表現して……」
 父親はちょっと口ごもり、弥生に視線を向けた。
「弥生」
「……なんですか?」
「許さんぞ」
「な、何のことですかっ?」
 そう言い返す弥生の顔は、ほんのりと赤く。
 それを見て、疑念が確信に変わったのか、父親がもう一度言った。
「私は許さんぞ」
「お、お父様はさっき私の好きにしろとおっしゃったではありませんか」
「それとこれとは話は別だ」
 再び始まった父親と弥生との口論に、御子はおろおろとして傍らに立つ母親を見た。
「な、なんでいきなり…2人とも…」
「あらあら…」
 母親はため息をついた。
「男親なら誰でもかかるはしかですわね……」
「はしか……ですか?」
「ええ……けど、前に比べたらずっとマシですから放っておきなさい」
「でも…」
 母親が独り言のように呟く。
「元々……死期が迫っているわけでもないのに、宗匠を継ぐだの継がないだの大袈裟な話にして…」
「い、一体…お父様とおねえさまは何を…?」
 ちょっと首を傾げつつ、母親が御子に囁いた。
「多分……弥生さんは、好きな人ができたんですね」
「……ぁ」
 そこでやっと気がついたのか、御子は頬を赤くして弥生に視線を向けた。
「御子さん…心当たりでも?」
「……ないです」
 そう答えた御子の顔をじっと見つめ、母親はちょっと困ったようにため息をついた。
「……御子さん」
「……はい」
「……弥生さんにはともかく、あの人には黙ってなさい。話が必要以上にややこしくなりますから」
「わかり…ました」
 御子がちょっと頷いた瞬間…
「私、お父様が頭を冷やすまで家を出ますっ!」
 と、弥生の声が響き渡った……。
 
「……あれ?」
 再び戻ってきた弥生を見て、世羽子は首を傾げた。
「ごめん世羽子……もうちょっと長引く」
「それはいいけど……あれ?」
 尚斗のお節介力をある意味信用している世羽子だけに、問題がこじれる可能性は薄いと思いこんでいたのだ。
「……まあ、上手くいかなかったことが無かったわけじゃないけど…珍しいわね」
「いや、その……前進はしたのよ、前進は…」
「……?」
「えっと……音楽続けてもいいとは言ってくれたんだけど…その、ちょっと…違う問題が…ね」
 世羽子は首を傾げた姿勢のまま、じっと弥生を見つめた……弥生が視線を逸らす。
「あぁ……なんとなくわかったわ」
「なんでわかるのっ!?」
 顔を真っ赤にして弥生。
「……」
「だから、そのお子さまはこれだからって視線はやめてっ」
 世羽子はちょっと笑い、そして言った。
「やるなら本気でかかってらっしゃい、弥生……選ぶのは尚斗だけどね」
 
 
                       完
 
 
 うわー書き直しなんてしてる場合でわーっ!? (笑)
 と、言うわけで現在2月12日です……もうダメだ。

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