「……ふむ、これも空か」
尚斗は、温室に仕掛けたごっきーあらほらさっさの全てを点検し、ちょっとため息をついた。
「多分……これでほぼ駆逐した筈だが」
そう呟き、今度はじょうろに水を入れて木や花に水をやっていく。
「……だからといって、御子ちゃんが納得するかどうかは」
ここ数日、御子が温室にやってきた形跡はない……と、までは断言できないが、少なくとも、先週の土曜から今週木曜日……植木鉢の土は乾いていたり、湿っていたり……今日は乾いている日だった。
植物のことになるとほんとうに楽しそうに笑う御子が水をやりにこられない……それだけで、御子のごっきーへの恐怖が知れようと言うもの。
「……とはいえ、ここの植物を世話してるのは御子ちゃんだけなのかね」
一通り水をやってから、尚斗は温室内をゆっくりと見渡した。
学校の温室……という意味では大した量ではないかも知れないが、御子1人の温室とすればこれはなかなかに。
植物に対して無知な尚斗の出来ることは、精々が朝の水やりぐらい。
キイ…
温室の扉が軋む音に、尚斗はそちらに視線を向けた。
「……らなきゃ……今日は、頼めなかったから…私がやらなきゃ……」
ぎゅっと目をつぶったまま、御子がおぼつかない足取りで温室内に入ってくる。
ごつっ…
植木鉢に躓いてよろける……が、尚斗が助けるまでもなく持ち直す。
「えーと……『考えるな、感じるんだ』です…『心の目で見る』…です」
「……一体誰が、そんな偏った台詞を」
「ひゃあっ…」
御子の身体が一瞬硬直し、その場から逃げ出そうとして……尚斗に方に向かって一直線。(笑)
ぽすっ。
「……?」
「目つぶったまま走るのは危ないって…」
「……何故、有崎さんが」
尚斗の身体にしがみついたまま、御子が不思議そうに見上げてくる。
「実は……」
「実は?」
「俺は猫が好きなんだ」
「……そうですか」
ちょっと残念そうに呟き、御子は尚斗から離れた……が、思い出したように慌てて目をつぶる。
「あ、あのですね……お花にお水をですね…」
「あー……一応やったけど、適量かどうかは」
「……」
「……御子ちゃん?」
「……ごっきーは」
「えーと、一応出来うる限りは駆除させていただきました、はい」
目をつぶったまま、御子がゆーっくりと頭を下げていく。
「ごっきーも生きているのに……喜んでいる私がいます」
「いや、御子ちゃん、それ難しく考えすぎ」
「そうでしょうか?」
「と、いうか……それだと俺は大虐殺の犯人ってことに」
「そ、そんなにいたんですかっ?」
「あ、いや…」
「そんなにいたんですね、この温室にっ」
目をつぶったまま、御子がきょろきょろと頭を揺らす。
「いや、落ち着いて御子ちゃん…」
「ご、ごっきーが…いっぱい…」
そして御子は石になった……。
「……想像力が豊かというか」
「ご迷惑を…おかけしまして…」
御子の頭がゆっくりと下がる。
「まあ、このぐらいは迷惑でもなんでもないけど」
「ですが…もう、授業が始まっているのでは」
「ふむ…」
尚斗はちょっと咳払いし、御子に向かって言った。
「もうすぐ授業が始まる…でも、しおれそうな花がいっぱい……御子ちゃんならどうする」
「……お花にお水をあげます」
「授業が必要ないとは言わないけど……時と場合によって、授業より大事なことは色々あるというか」
「……にとって」
「ん?」
「有崎さんにとって……温室のお花に水をやったり、黒いのを駆除したり…私を介抱することは……授業よりも大事な事だったんでしょうか?」
「勉強は後でも出来るけど、花に水をやったり御子ちゃんを介抱したりするのは今しかできない」
「……」
「……などと言ってしまうと格好良すぎる気がするから、授業をサボるいいネタが見つかったというところでどうでしょうか?」
「あは…」
御子がちょっと笑った。
「嘘つきです……有崎さんは」
「……嘘つきかな、俺は?」
「弥生おねえさまも……お父さまもお母さまも嘘つきです」
「……で、御子ちゃんは?」
「私は……」
御子はちょっと口ごもり、俯きながら呟いた。
「私も……嘘つきです」
ちょうどその頃。
「……とすると、これらの個人情報は全てでたらめと言うことですか?」
年輩の男がハンカチで額の汗を拭いながら尋ねた。
「そのようですね……過去10年遡ってみても、このリストにある名前に該当する生徒は当校に存在していないようですし」
綺羅はちょっと眉をひそめてリストを見つめ、言葉を続けた。
「私は、幼稚舎から大学までこの学校に通っていました……今も教師をしているわけですけど、写真を見ても見覚えのある方は1人もいませんの」
「……そうですか」
男はちょっと頷き、綺羅に視線を向けた。
「……と、すると多分単なる悪戯でしょうな」
「そのようですわね…」
「すみませんでした、お忙しいところお手間を取らせてしまって……理事長にはご心配なくとお伝え下さい」
「……ちょっと、よろしいですか?」
立ち上がりかけた2人の男を、綺羅がちょっと呼び止めた。
「はい?」
「こちらの……情報は、複数方面にばらまかれたんでしょうか?」
「……何故、そう思われます?」
年輩の男がちょっと興味深げに綺羅を見た。
「本物ならいざらず、でたらめの情報となると……我が校に悪い噂をたてるためだけの悪戯でしょうから」
「ははあ、なるほど…」
男は小さく頷いた。
「わかりました……こちらに迷惑がかからないように捜査いたします。上からもそう言われておりますので」
「ご厚意、感謝いたします…」
綺羅が静かに頭を下げた。
応接室を出ると、若い方の男が舌打ちをする。
「ご厚意感謝いたします……ときましたか」
「いらぬ噂がたてば覚悟しろ……と、やんわり圧力をかけてくるあたり、若いに似合わず大したタマだね」
年輩の男がちょっと肩をすくめて見せた。
そして、応接室の中では綺羅が1人……。
「ふふ、甘く見ると大火傷しますわよ…確かに、後手後手に回らざるを得ませんが……この程度のことで」
もちろん、青山という男がこの程度の事を策などと考えているはずもなく。
これを手始めにして、学園が所有する土地に学術的調査申請(早い話、発掘願い)が入るという情報やら、学園関係者を名乗る人物が近辺で色々な問題を起こしているとか、でたらめの生徒情報がさらに出回ったり、学園の銀行口座データの1つがバックアップもろとも消滅して復旧まで振り込み等が不可能になったという連絡……とにかく、ひっきりなしにどれもこれもすぐに対応しなければいけない問題が次から次へと襲いかかり、綺羅はその対応に走り回り……と言っても、どうにも出来ない問題だったり、ただのガセネタだったり……。
ここまで問題が集中するとさすがに噂が噂を呼び、学園がまずい問題を抱えている……という怪情報が流れ始め各方面へと波紋が広がっていく。
ピンポンパンポーン…
『青山大輔君、学校にいるのはわかってます。今すぐ、理事長室まで来なさいっ』
ピンポンパンポーン……
何やら疲労をにじませた放送を耳にして、尚斗がぽつりと呟いた。
「……始まったかな」
「始まったんじゃなくて、終わったんじゃないかしら……」
窓の外を見つめたまま、世羽子がぼそりと呟く。
そして10分後。
『あ、有崎尚斗君……今すぐ、理事長室まで来てください…』
「え、俺?」
尚斗は意外そうに自分で自分を指さした。
「多分……青山君と連絡を取ってくれって、泣きが入ってるんじゃないかしら」
世羽子はぽつりと呟き、ちょっと首をひねった。
「……呼び出しじゃなく、自分から頼みに来るべきだと思うけどね」
「失礼しま……」
ドアを開けた瞬間、憔悴しきった綺羅が尚斗の両手をつかんだ。
「尚斗君、青山君の連絡先は?」
「いや、俺に聞かれても……」
「青山君の要求は何なの?」
「いや、藤本先生…少し落ち着いた方が…」
「落ち着いてる場合じゃないのっ!」
綺羅はまさに髪の毛をかきむしりながら言葉を続けた。
「とにかく、銀行の口座だけでもどうにかしないと……高等部の入学試験願書の受付ができないのっ」
「ぎ、銀行の口座……ですか?」
さすがやることがひと味違う……と、尚斗は感心したように頷く。
「でも、それって…結局願書を出そうとする人間から問い合わせの電話が殺到してるんですよね?」
「ええ」
「でしたら、銀行に仮口座つくってそこに振り込むように指示すればいいだけの話では?……大学入試と違って、精々多くても数百人レベルでしょう?」
綺羅は力無く首を振った。
「作るたびに消されるというか……何故か使用不可能になって、銀行の方でもワケが分からないとか」
と、そんな中に女子校の事務員がやってきて申し訳なさそうに綺羅に告げた。
「藤本先生……新聞社の方が取材にきてます」
「え?」
「アポイントは取ってあるとのことですが……藤本先生の名刺と…その、裏書きも」
事務員が差し出した名刺を受け取って、綺羅は裏書きの文字を見つめた。
「……た、確かに私の筆跡ですけど」
綺羅がちょっと尚斗に視線を向けた。
「青山、そういうの得意ですよ」
綺羅は少し考えてから顔を上げた。
「……わかりました、応接室にお通ししてください」
綺羅の心配をよそに、新聞社の取材はごく穏やかに始まった。
あまり評判のよろしくない男子校の生徒を温かく受け入れた行為はもっと認知されるべき……などと、朝からのトラブルで精神的にささくれまくっていた綺羅の心を和ませる雰囲気に応接室は包まれていた。
「……美談と仰られても」
少し恥ずかしげに目を伏せる綺羅に、記者は首を振って言った。
「なかなか出来ることではありませんよ……聞いた所によると、数年後に理事長になられる予定の貴女が進言したそうですね」
「いえ……私はただ、男子校の生徒は大変ですわねと言っただけですの……それを聞いて、理事長が生徒の受け入れを……」
「なるほど、なるほど…」
記者は大きく頷いた。
ふ、とあらぬ気配に誘われて綺羅の視線が窓の方に向いた。
「……」
「……どうか、されましたか?」
「あ、いえ、何でもありません…」
綺羅は穏やかな笑みを浮かべて首を振った……が、綺羅の意識は完全に窓の外に釘付けである。
なぜなら、そこにいるのである……青山が。
にやりという擬音がぴったりな笑みを浮かべ、じっと綺羅を見つめているのである。
「それにしても、男子校の新校舎建設のために多額の寄付までされるそうじゃありませんか……」
「……?」
綺羅は自分……というかこの学校がのっぴきならない所へ追いやられているようなイヤな予感を覚えた。
そんな綺羅の戸惑いに気付かず、記者は言葉を続けた。
「少子化傾向の中、他の学校の追い落としばかりにしのぎを削る……というと失礼ですが、そんな私立校経営者が多い中で、この話を聞いたときは、さすがは……と思いました」
ここで綺羅がやっと青山の意図に気付いた。
つまり、新聞記者の言うとおり男子校の新校舎建設費用の一部を負担すれば手を引いてやる……と。
綺羅は現在おかれている状況と、この記事がそのまま新聞に載った事で考えられる反響を秤にかけ、窓の外の青山に向かって小さく頷いて見せた。
「元々、この取材も男子校の理事長に頼まれたようなモノなんですよ……『生徒達を受け入れてくれただけではなく、新校舎建設にお使い下さいと寄付までしてくださった……残念ながら当校にはご厚意に報いる力がありません……どうか、この善意を記事にしていただけないでしょうか…』そう言って、涙ぐんでいました」
「まあ……反対にお気を使わせてしまったようですのね」
「感謝しても感謝しきれないと言ってましたね……頭があがらないとも」
「まあそんな…」
口元に手を当てて穏やかに微笑みながら、綺羅は頭の中では全く別のことを考えていた。
「(なぜ……私ではなく、青山君についたの…?)」
新聞記者の言うことが本当なら、男子校の理事長は急に態度を改めてこちらにたてついてきたことになる。
「(青山君個人ならわからなくもない……けど、彼らが学校を手放す危険をおかす意味…)」
青山家が男子校をバックアップすると約束したならそういう態度もとれるだろうが……綺羅の知る限り、青山家なり青山家に関連するグループが動いた形跡はない。
そして……取材が終わった。
「……午前中の騒ぎが嘘のようね」
午前中は電話がひっきりなしに鳴り続けた事務室の一角……綺羅はため息をつきながらお茶を一口含んだ。
問題が全て片づいたわけではないが、騒ぎは拡大ではなく速い速度で縮小に向かっており、銀行口座の件も取材の最中に嘘のように復旧したとか。
ピプルルル…♪
ある予感を胸に、綺羅は携帯を手に取った。
「今度は何ですか、青山君?」
『まずは藤本先生の決断の早さに敬意を』
「寄付金は出します……青山君は、取引というモノが良くわかっているようですから」
男子校はもちろん、青山の持ち込んだトラブルを抜きにしても女子校にとってもそれなりにメリットのある話だから。
『ただ?』
「……女性の話は先取りするモノではありませんよ」
『失礼しました……拝聴させていただきます』
「その前に……あの証拠は、ただのゴミですの?」
『ゴミです……少なくとも、ここ10年の男子校の経営でつつかれてまずいような部分は1つもありません』
「……後学のために聞かせてくださるかしら?」
『横領にせよ脱税にせよ、大事なのは帳尻を合わせることと曖昧な部分を残さないことです……後は、つぶれた会社を上手く使うことですかね』
「わざわざ、青山君が証拠を消してあげたという事ですか…」
『消したというか……相当熱心に追求しなければ不正に気付かないようにしただけです』
「……でたらめの情報流出について、警察の捜査をやめさせたほうがいいのかしら?」
『最終的に行き着くのはこの学校のパソコンですけどね』
「……わかりました」
綺羅はちょっとため息をつき、そして言った。
「結局……青山君は今回の件で何を望みましたの?」
『反対に質問します。藤本先生は、何が望みですか?』
「……」
『小学校の運動会に勝つため、カール・ルイスを連れてくるような方法は野暮の極みですよ』
綺羅はちょっと沈黙し、そして言った。
「直接お話ししたいがあります……教官室に来ていただけますか?」
「……悪あがきが過ぎますよ、藤本先生」
「な、何で無傷ですの?」
青山は冷たい笑みを浮かべたまま、手首をひねってナイフを取りだした。
「とりあえず3人ともアキレス腱を切っておきました」
「……切ってって」
綺羅の顔が青ざめる。
「ああ、真横に切断したワケじゃないですよ…」
青山が手を振って否定した。
「アキレス腱をこう分裂させるように縦に裂いたんです……しばらくは歩けない、という程度の傷ですよ」
「……ゴムひもを真ん中から裂いた、というイメージですか?」
「ええ……腱の強度が低下するので、自然にくっつくまでは歩こうとしても歩けません」
「……にしても」
綺羅は青ざめた顔のまま、青山の手のナイフを見つめる。
「ああ……あの3人が暴走しただけでしたか」
そう呟き、青山は再び手首をひねった。
「良かったですね、藤本先生」
「良かった……とは?」
「藤本先生は、ナイフを持って自分を襲った暴漢の裁判で、ナイフに罪を求めるんですか?」
綺羅が慌てて後ずさり、青山から距離をとった。
「わ、私に…責任がないとは言いません……が」
「……いらない出費が増えましたね」
「……わかりました」
寄付金の増額で許してくれるとわかって、綺羅は全身から力を抜いた。
「それと…」
「ま、まだ何か?」
青山という人間の暗い部分に触れたせいか、綺羅は今や完全に威圧されていた。
「……そうですね、ウチの連中が喜びそうですし、来年度から文化祭は男子校と合同で行いましょう」
「そ、それはさすがに……私の一存では」
「絶対に……とは言いません。努力してください……何がもめ事があったら次年度から即中止でもかまいませんから」
「わかりました…」
青山がふっといつもの表情に戻った……先ほどまでの冷たい笑みを見せつけられていた綺羅は腰が抜けたようにそこに座り込んでしまう。
「青山君……さっきのが…地なの?」
「さあ…」
「な、何であなたみたいな人が有崎君のそばにいるんですか?」
青山はちょっと微笑み、そして言った。
「俺のこういう部分、有崎は百も承知ですよ……昔から」
「……」
「そういえば、質問に答えてもらってませんでしたね……結局、藤本先生の望みは何なんですか?」
綺羅は微妙な表情を浮かべ……言った。
「多少複雑ですわね……愛憎という言葉が一番近いかも知れません」
綺羅はちょっと前髪をかき上げて青山に示した。
「尚斗君が小学生の時に出会ったことがあって……上から斬り下ろすように肘が入りましたの」
髪の生え際に小さい傷跡。
「……ほう」
「……この気持ち、男の方にはわからないでしょうけど」
綺羅が床の上に視線を落とし……た瞬間、青山手が伸び、その傷跡をはがす。
「あ、あら…」
「良くできた特殊メイクですね……確かに、責任云々を持ち出すのは有崎に有効な手段ではありますが」
「じょ、冗談ですわよ、もちろん…」
愛想笑いを浮かべる綺羅にため息をつき、青山は言った。
「人を騙すのに必要なのは、機転とリズムなんですけどね……どうも、藤本先生のそれは石段をごつごつと積み上げて威圧するようなイメージというか、正直、向いてないと思いますよ」
「……誉め言葉として受け取っておきます」
「まあ……有崎に直接ちょっかいかけるなら邪魔はしませんよ」
HRが始まる直前、教室にやってきた青山に向かって世羽子がため息混じりに呟いた。
「……昼休みで終わったと思ったんだけど」
「ちょっと悪あがきされてな」
そう応じ、青山は自分の席に腰を下ろしながら言った。
「有崎、あとはお前の問題だからな」
「へ?」
尚斗がちょっと首を傾げ、その頼りない反応に青山はちょっと振り返った。
「……男子校の件、気にならないのか?」
「青山に預けたつもりだったから、はっきり言って何の心配もしてなかったんだが…」
「まあ……一応終わったぞ」
「どうせ、恐怖という重しもたっぷり乗せてきたんだろ」
「それなりに」
ちなみに、帰りのHRにやってきたのは綺羅ではなかったり。
「さて…」
鞄を持って立ち上がったなおとを振り返り、世羽子がちょっと手を振った。
「尚斗、ジャンケン」
「またかよ」
苦笑しながら、それに応じる尚斗……やはり負けてしまう。
「……何故?」
「有崎がジャンケンで秋谷に勝つのは難しいと思うぞ」
「じゃ、行くわよ尚斗」
「どこに?」
「もちろん部室」
「むう」
世羽子はちょっと肩をすくめて言った。
「温子がね、連れてこいってうるさいの」
「んー、今日は私がギターを弾こう」
と、温子がギターを手にした瞬間、弥生が意外そうに声をあげた。
「えっ、温子ってギター弾けるの?」
「……弥生ちゃん、音楽やる人間は大抵ギターから入るんだけど」
「私、ボーカルからだもん」
「……という事は」
尚斗がちらりとドラムセットに視線を向けた。
「そ、今日は有崎君がドラム……というかあれから考えたんだけど、有崎君や世羽子がやってたバンドでは、ギターは有崎君じゃなかったんでしょ?」
「いや……バンドというか基本的にいつも世羽子と2人で、文化祭のステージはもう1人が参加するというか」
尚斗の説明を補足するように世羽子がぽつりと呟く。
「結局、どこのクラブからも敬遠された3人が集まったというか」
「第一、俺がドラムに入ったら温子は面白くないだろ……音楽は楽しくなきゃダメとか言ってなかったか?」
「気分転換というか……一応、この前は悪かったなあと思っていたりするのよね」
申し訳なさそうに温子が言う。
「今日はもう2月の7日で……正直、後一週間というか、この4人でこうして音楽やることがあるかどうかわからないでしょ」
「……」
「楽しいことばかりってのはムシがいい話だけど、少なくとも楽しい記憶ってのは必要だと思うのよ」
そう言って、温子はドラムスティックを尚斗に押しつけた。
「今日は、有崎君に楽しんでもらうのが一番の目的という事で……ドラムは、こういうチャンスがないとなかなか叩く機会はないよ」
「……つーか、久しぶり過ぎるんだが」
「まあまあ、とにかく叩いてみたら有崎」
「どうせ、文化祭のドラムもほとんどぶっつけだったしね…」
3人に勧められ、尚斗はちょっと照れたように軽くスティックを振った。
「懐かしいなあ……俺のギターをミジンコ以下って言った青山が、ドラムは誉めてくれたんだよな」
「あ、あれでミジンコ以下って…」
弥生が表情を強ばらせる。
「じゃあ、弥生ちゃんのギターはべん毛運動レベルかな?」
「……ミトコンドリア?」
「容赦ないな、2人とも…」
「ちょっとは否定してよね、有崎」
「……」
「何で目をそらすのっ!?」
タン、タン、ダン…
「何でいきなりドラムを叩き出すのよぉっ!?」
「……なかなかにパワフルなドラムと言うか」
温子はギターを壁に立てかけて呟いた。
「壊れちゃうんじゃないかってちょっと心配になっちゃった…」
「さすがにそこまでは…」
尚斗は手の中でスティックを回転させてから温子に返した。
「サンキュ、面白かった」
「音楽はそうでなくては」
温子はうんうんと頷く。
「……にしても、タフだね有崎は」
額の汗を拭いつつ、弥生が呻くように呟いた。
「1時間以上叩きっぱなしで、汗1つかいてないし」
「まあ、冬だし…」
「うー、私は疲れたの」
「いつもより張り切って歌うから…」
これはぼそりと温子。
「それはそうと、そろそろお開きかしら」
「んー、そうね」
弥生はしゃきっと背筋を伸ばし、世羽子に視線を向けた。
「じゃあ、買い物して帰ろうか」
「ごめん弥生、今日はちょっと温子に用事が」
「…おや?」
温子がちょっと世羽子を見た。
「尚斗、弥生の荷物持ちしてあげて……どうせ、尚斗も買い物するんでしょ?」
「ああ、かまわないぞ……じゃ、行こうか」
「あ、うん…」
弥生は世羽子と温子に視線を向け、戸惑いながら出ていった。
「さて…」
そう呟きながら、世羽子は温子の方をを振り返る。
「別に私は、世羽子ちゃんと弥生ちゃんの三角関係が見たいとかじゃなくて…」
「いや、別に怒ってるワケじゃないのよ温子」
「ならいいんだけど…」
温子はちょっと窓の外に視線を向け、ぽつりと呟いた。
「恋とか友情は結構壊れやすいというか……きちんと割り切れるとか覚悟を決めていても、感情は時に理性を越えたりするから」
「皮肉じゃなくて……ありがとうね、気をつかってもらって」
「ふむ…」
温子はちょっと首をひねり、世羽子の顔をじっと見つめた。
「世羽子ちゃんは……有崎君にアタックしないつもりなのかな?」
「ちょっとね、自分なり尚斗なりを見つめ直す時間が必要かなって……とりあえずは、元彼女で友人……それでやってみるつもり」
「なるほど…」
窓の外にちょっと視線を向け、世羽子は独り言のような口調で呟いた。
「まあ……誰かさんにのせられたくないってのも理由の1つ」
「……?」
世羽子はちょっと眉をひそめ、ぽつりと呟いた。
「私の見たところ……絶対に三角じゃすまなさそうだし」
「……もしかして、有崎君は女たらしだったりするの?」
「……本人に自覚はなさそうだけど」
ため息混じりに。
「誰かが困ってる…何でそこまでしてくれるのってぐらい親身になって解決のために骨を折り、恩着せがましい事も言わない……」
「……そりゃ、勘違いしちゃうか」
温子がちょっと頷きながら呟いた。
「あれは一種の才能だよね……ドラムを叩かせてわかったけど、こっちが欲しがってるリズムを見抜いて送ってくるもんねえ」
「弥生なら弥生、温子なら温子で統一すれば良いんだけどね……ほら、曲の途中でリズム変えるでしょ」
「全員が同じリズムを求めてるならともかく、つくづくバンドには向いてないね……って、中学の時は?」
「……ギターが完璧だったからね。尚斗は私のリズムを送り続けたからそれなりに格好がついたというか」
「世羽子ちゃん……そのギター、一度連れてきてくれない?」
「絶対イヤ……というか、素直についてくるタマじゃないわよ」
「それは残念……」
温子は心底残念そうに首を振った。
完
最初……これでもかこれでもかと、青山が女子校を追いつめていく手口を書き込んでいたのですが、何やらすごくイヤな話になってしまったのでちょっとライトに書き直しました。
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