「ふんふんふ〜ん♪」
「温子ったらまたドラムスティックを振り回して……?」
 弥生はちょっと言葉を切り、しげしげと温子の手元を眺めた。
「……編み物?」
「んーもうすぐバレンタインなのよね…めんどくさいったら」
 そう呟く温子の手つきはかなり手慣れているようで。
「なんか……慣れてる感じがするね」
「慣れてるもん」
「あ、そう……」
 話の接ぎ穂を失って、弥生は口をつぐんだ……が、すぐにちょっと意地悪な笑みを浮かべて温子に話し掛ける。
「へへ、彼氏にあげるの……らぶらぶだね」
「らぶらぶというか…」
 温子は手を休め、ちょっとため息をついた。
「今の彼氏、こういうのに幻想を持っているタイプなのよね……めんどくさいけど、バレンタインぐらいはそういう幻想を満たしてあげるのも彼女のつとめかなと思うわけで」
「とか言いながら、手間のかかる編み物なんてなかなかできることじゃ…」
「別に、毛糸は100円ショップで買ってきたヤツだし、マフラーなんてがーっと真っ直ぐ編んじゃえばお終いだし」
「……」
「まあ、それだけだと見破られてお返しがレベルダウンするかも知れないから、ちゃんと端っこには飾り毛糸も使うし、凝ってるように見える模様をつけるけど」
 もう一度ため息をつき、温子は手を動かし始めた。
「あ、温子……さん?」
「どうしたの弥生ちゃん、他人行儀な呼び方して…」
「いや、なんか……私の知らない温子がいたような…」
 温子は弥生の様子を気にした風でもなく、せっせと手を動かしながら呟いた。
「んー、確かにこういうのって弥生ちゃんの価値観には合わないかも知れないね…」
「いや、価値観がどうとかじゃ…」
「弥生ちゃんや世羽子ちゃんと違って、私は、自分の中でかなりの比重を占める恋愛はしたくないから」
「……?」
「バランスを大事にしたいというか……学校があって、友達がいて、彼氏がいて、趣味があって……右手に重い荷物、左手に軽い荷物をもつと、歩くのが大変になるというか」
 温子はちょっと手を休め、弥生の顔をちらりと見た。
「……怒った?」
「ううん……そういう考え方もあるんだなって」
「……弥生ちゃんも世羽子ちゃんも、他人の価値観に寛大なところが良いよね」
「え?」
「簡単そうで、これがなかなか出来ることではないのだな…うん」
 温子は小さく頷き、また編み棒を動かし始めた。
「こう言うと身も蓋もないけど……私の中では、彼氏よりも弥生ちゃんや世羽子ちゃんが大事なのよね」
「ど、どーしたのいきなり?」
 照れているのか、弥生の頬が微かに赤い。
 温子は自分の手元を見つめながらぽつりと呟いた。
「……一応、心配などをしてるんだけど」
 
「……ふう」
 屋上から見上げる空は青く澄んでいた。
「どうしたもんだか…」
 再びのため息、そして身体にまとわりつく白霧を振り払うように右拳を放つ。
「一ノ瀬はどうしたいんだ?」
「うわっ」
 いつの間にか現れた青山を認め、紗智は屋上の手すりから落ちそうになるほどのけ反った……それを青山が冷静に引き留める。
「自殺するなら俺のいないところでやってくれ」
「あ、あ、アンタが……」
 紗智はちょっと口をつぐみ、頭を下げた。
「一応言っとく、ありがと」
「気にしないでくれ」
 そう言って、青山も紗智と同じように屋上の手すりに背中を預けた。
「……で、何の用よ?」
「……というと?」
「とぼけないでよ!アンタのやることなすことには大抵意味があるでしょ?意味もなく、屋上に来たなんて言っても私は絶対信じないからねっ」
「ふむ……半分正解で半分間違いだな」
 紗智の怒気を涼しげに受け流し、青山が呟いた。
「屋上に来たのは確かに意味がある……が、一ノ瀬がいたのは偶然だ」
「あっそ……じゃ、私は邪魔って事ね」
 吐き捨てるように言って、紗智は青山に背を向けた。
「ストレスが溜まってるようだな」
「アンタのせいでね」
「完全無罪を主張しようとは思わないが、8割方冤罪だな」
「……」
 紗智は握りしめた右手をほどき、青山と向き直った。
「ごめん、八つ当たりして」
「我慢強さが悪い方向に働いてるように見えるが……収拾のつくレベルのうちに敢えて破裂させた方が良くないか?」
「……」
 紗智は能面のような表情で青山をしばらく見つめ、この場から立ち去るため、背中を向けながら言った。
「一度破裂した風船は元には戻らないわよ…」
 屋上に1人取り残された青山は、空を見上げて呟いた。
「元には戻らないかも知れないが、少なくとも風船がわれたという事実と、われた風船そのものは残るのにな…」
 
 朝のHRを終えると、綺羅は尚斗を教卓に呼んだ。
「何でしょう?」
「……有崎尚斗君」
「はい?」
「青山君は……今日もお休みですか?」
「さあ、俺に聞かれても…」
 首を振る尚斗をじっと見つめ、綺羅はもう一度繰り返した。
「有崎君、本当に青山君がどこにいるか知らないんですね?」
「……何か急用でも?」
 綺羅の口調にある種の真剣さを感じ取った尚斗が聞き返す……が、綺羅はいつもの笑みを浮かべて首を振った。
「いえ……何と言っても、青山君と一番親しいのは有崎君ですし」
「……青山君なら、さっき屋上にいましたよ」
 2人の会話を聞いていたのか聞こえてしまったのか、紗智が窓の外に視線を向けたまま言った。
「あら……屋上ですか」
 綺羅はちょっと意外そうに呟き、紗智にちょっとだけ視線を向けた。
「昨日は昨日で、お休みしてるはずなのに声を聞いたような気がしますし……一体何をしてるんでしょう?」
 と、綺羅の視線が再び尚斗を向く。
「俺の知る限りでは、青山を理解できた人間は2人だけかと」
「……1人は、有崎君ですか?」
「だと良かったんですけどね……」
 尚斗はちょっと言葉を切り、右手の人差し指を上に向けた。
「2人とも、既に雲の上の住人です…」
「それは…」
 微笑みを絶やさぬまま、綺羅が呟く。
「青山君を止められる人はいない……という意味ですか?」
「藤本先生、あんまり教室でする話でもないと思いますが?」
「そうでしたね」
 ふっと、綺羅の瞳の奥に見え隠れしていた険しさが和らいだのを見て、尚斗はちょっとため息をつきながら言った。
「あのですね、藤本先生…」
「……はい」
「今、青山との間で何をやらかしてるか知りませんけど……大火傷する前にひいた方がいいですよ」
「……心配してくださるの?」
 満足そうでいて、微かに不満足そうな表情と口調。
「いろんな意味で心配はします」
 綺羅は形の良い眉を微かにひそめた。
「尚斗君は……負けると思ったらケンカをしないのですか?」
「え?」
「尚斗君は……自分の手に負えないと思ったら、困ってる人を見捨てていくのですか?」
「……」
「勝てるかどうか、上手くいくかどうかわからない……それでも、尚斗君は自分の信じた事を為すのではなかったでしょうか?」
 尚斗はちょっと改まった気持ちで綺羅を見つめ、ある種の敬意とともに頭を下げた。
「……失礼しました」
 綺羅は微かに頷き、そして妖艶に微笑みながら言った。
「でも私は、勝てると思う勝負しかしませんけど」
 
「こんちわ」
「香月ならまだだぞ」
「いや、今日は水無月先生にお話が…」
 水無月は火のついていないタバコをくわえたまま振り返った。
「アタシは、年下には興味ないぞ」
「いや、そういう話でもなくて、藤本先生についてちょっと…」
「アタシは同性にも興味はないっ!香月か、余計なことをお前にふきこんだのはっ!?」
 ちょっとばかし過剰な水無月の反応に、尚斗は首を傾げてちょっと考えた。
「……ああ、そういう話でもなくて」
 違います、という風に手を振りながら尚斗は言った。
「水無月先生から見て、藤本先生はどういう学生でしたか……接触そのものがなかったかもしれませんけど」
 水無月は苦虫を1ダースほども噛みつぶしたような表情で、タバコに火をつけた。
「接触はあったよ……イヤって程」
「はあ…」
「どういう学生だった……ってのも随分抽象的だが」
「細々と例を挙げられてもアレなんで、水無月先生の印象ですぱっとお願いします」
 水無月はちょっと俯き……やがて、顔を上げて天井に向かって紫煙を吐いた。
「目的のためにはあまり手段を選ばない……だな」
「今は?」
「今も…だ」
「……なるほど、ちょっと安心しました」
「じ、事情はよくわからんが、それで安心できるのか?」
「『あまり』がついてましたから」
「……?」
 尚斗は苦笑混じりに呟いた。
「なんというか、藤本先生がとんでもない相手にケンカを売ってるようでして」
 水無月はいささか堅い表情を浮かべて言った。
「……アタシに言わせれば、綺羅もとんでもないんだが」
「まあ、俺の母親程じゃないでしょうから」
「……?」
「藤本先生が全く手段を選ばないならともかく、あまり手段を選ばない人なら……多分、その分はちゃんと手加減すると思うので」
 カラララッ。
「はろー、水無月センセ……と、有崎君」
「はろーです、冴子先輩」
 冴子は水無月と尚斗の表情を見比べてちょっと首を傾げた。
「どーしました?」
「ううん、ちょっと2人がどういう会話をしていたのか想像が出来なかったから」
「……いつもは想像できるって事ですか」
「まあ、それなりに」
 何でもないことのように冴子が頷く。
「……じゃなくて、これ見て、これ」
 冴子には珍しいはしゃいだ口調で差し出したのは、一見何でもない煎餅の入った紙袋。
「……あ」
「わかった?」
「これ、千虎のばあちゃんが……」
「そう、そうなの!一昨日病院から退院したらしくて、毎日じゃないけどまた焼き始めるって」
「そっか、退院したんですか…良かった良かった」
「うんうん、確かに今の主人も悪くはないけど、やっぱりおばあちゃんの煎餅が一番」
 そんな2人の様子を、水無月がワケわからねえという表情で見つめる。
「……と言うわけで」
 冴子がポケットから小さな紙包みを取りだして言った。
「今日は、ちょっといいお茶の葉を持ってきたから」
「いやあ、保健室に来てラッキーだったなあ…」
「……しまいにゃ、叩き出すぞお前ら」
 
 ぱぱーぱー♪
「む」
 宮坂は素早い動きでポケットから携帯をとりだすと、『宮坂、お前携帯持ってたか?』という尚斗のツッコミを無視して廊下の窓から飛び降りた。
 ズドドトトっ。
 華麗に着地をきめ、周囲に誰もいないのを確認してから電話に出る宮坂。
「はい、綺羅先生の忠実な僕、宮坂幸二です」
『……ハロー、宮坂』
 その瞬間、宮坂の顔が即座に青ざめた。
「わ、私リカちゃん……お友達になってね」
『……』
「お電話ありがとう…」
『……』
 電話の主の無言に言いしれぬ恐怖を感じて、宮坂は電話を切ろうとしたが……
『切るな』
「……な、何故この番号を?」
『何故だと思う?』
「ま、間違い電話……かな?」
『動くなよ、宮坂…』
「え?」
 その瞬間、宮坂が手にしていた携帯電話が粉々に砕け散った。
「うおっ!?」
 慌てて周囲を見渡す……が、青山の気配など感じ取れるはずもなく。
「じゅ、銃?銃なのか?」
 狼狽えた宮坂の足下に、小石がめり込む。
「おわっ……って、そっちかっ!?」
 宮坂が振り向いた方向……口元に奇妙な笑みを浮かべた青山が音もなく現れる。
「一昨日……宮坂は確か、俺にある事を約束してくれたような気がするんだが……ひょっとすると、俺の気のせいだったか?」
 足を動かしたようには見えないのに、青山の立ち位置がさっきよりも近くなった。
「……き」
「気のせい…か?」
「綺羅先生のためなら死ねるっ!」
「いや、死なさんよ…」
 青山の呟きよりも早く、宮坂はまさに脱兎の勢いで逃げ出した。
 階段を駆け上がり、渡り廊下を走り抜け、窓から飛び降りる……青山をして『俺にも真似が出来ない』と言わしめた五点着地。
「うはははっ、追ってこれるモノなら…」
「もう、終わりか?」
「うそおっ!?」
 自分の後を追いかけていたはずの青山が何故か背後に立っている。
「こ、こんせんとれーしょん?」
「……階段駆け上がって、どこに逃げようというんだお前は」
「……?」
 あまりに狼狽しているせいか、宮坂は青山の言うことが理解できていない。
「お前が空でも飛べるというのなら話は別だが…」
「そうか、空を飛んだらいいんだ…」
 妙に爽やかな表情を浮かべ、宮坂が青く澄んだ空を見上げた。
「いいなあ、空は青くて…」
「……宮坂?」
 ふっと、気がついたように宮坂が青山を振り返った。
「あれ、どうしたんだ青山?」
「……宮坂、今日は何日だ?」
「2月4日だろ?」
 どむっ。
 威力を受け流しようがない下方からの突きあげに、宮坂の身体が一瞬宙に浮く。
「……今日は、何日だ?」
「に、2月6日です…」
 額から脂汗を流しながら、宮坂が呟くように続けた。
「……青山、人は、愛のために死ねるんだ、いや、死ななきゃいけないんだよ」
「人間がそういう綺麗事が言えるのはほとんどが咄嗟の時だな……ゆっくりと時間をかけたら、大抵の人間は自分が一番可愛くなるもんだ」
 そう言って、青山は宮坂の身体を校舎裏へと引きずっていった……。
 
 ぴんぽんぱんぽーん〜♪
『藤本先生、藤本先生、今すぐ理事長室までおいでください…』
 ぴんぽんぱんぽーん〜♪
 綺羅はちょっと首を傾げつつ、生徒達に告げた。
「皆さま方、しばらく自習していてください…」
 それから10分ほどして、再び放送連絡が入る。
『有崎尚斗君、有崎尚斗君、至急理事長室まで来てください…』
「……何やったの、尚斗君」
 ちょっと心配そうに麻里絵。
「いや、俺は……多分、何も……してないとは言わないけど…俺がやった事じゃないと…思うぞ」
 綺羅と同じように首を傾げつつ、尚斗は教室を出ていった。
 
 コンコン。
「どうぞ」
 そう応じたのは綺羅の声。
 尚斗は首を傾げつつ、理事長室のドアを開けた。
「……失礼します」
 理事長室の中は、綺羅が窓際に立っているだけで……尚斗は、ちょっと眉をひそめた。
「そこに、かけてください」
 綺羅が優雅な動きでソファーを示す。
「では遠慮なく…」
 何も仕掛けはないだろうなと、尚斗はポンポンとソファーを叩いてから腰掛けた。
「何か飲みますか?」
「ええと……できれば、先に用件を」
「……そうですか」
 綺羅は小さく頷き、尚斗の向かいのソファーに腰を下ろした。
「……で?」
「……ふう」
 小さなため息をつき、綺羅が残念そうに目を閉じる。
「悪い知らせと、さらに悪い知らせがあります……」
「……」
「……という冗談をご存じですか」
「からかってますか?」
「いえ、そう言うわけでは…」
 綺羅がちょっと微笑んだ。
 普通にしていると大人っぽくて隙を見せない雰囲気があるが、笑うと少し目尻がさがってやや幼い印象を見る者に与える。
「ただ…」
「ただ?」
「悪い知らせばかりなので、どれから伝えればよいかと……」
 尚斗はちょっと考え、そして言った。
「では、藤本先生が話しやすい順番でどうぞ」
「話しやすい順番ですか……」
 綺羅の表情が、沈鬱なモノへと変化した……その、コロコロと変わりすぎる表情が、尚斗の中の警戒心を高めさせていくのだが。
「では……」
 綺羅がちょっと息を吸い込む。
「この春をもって……男子校が廃校になる可能性が非常に高くなりました」
 
 
                   完
 
 
 うう…やっとここまで来たか。(笑)

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