「はっはっはっ、ぐっもーにん、みすたぁありさき。はうわーゆー?」
「……」
 ばたん、がちゃ。
 ドアと鍵を閉め、何もなかったかのように尚斗が台所に向かう。
 どんどんどんっ。
「そーいうリアクションが一番傷つくんだよっ!つーか、調査の報告書持ってきた相手に対してこの仕打ちかっ!?」
「……ほう、早いな」
 そんなことで傷つくような繊細な心の持ち主か……と突っ込む事も忘れて、尚斗は感嘆の呻きを漏らした。
 実質、昨日の昼から半日あまり……と言うところ。
 加えてあの妙なテンションから推測するに、おそらくは徹夜仕事だったのだろう。
 どんどんどんっ。
「ちょっと、有崎さんっ!貸した金はちゃんと返して貰わないと、困るんですがねっ」
 がちゃっ、どむっ。
「……ふむ、これか」
 腹を抱えるようにしてうずくまっている宮坂の脇から茶封筒を抜き取って、尚斗は中をあらためた。
「迅速な仕事に感謝するよ、じょにー。報酬は学校でな」
 ばたん、がちゃ。
 宮坂を放置して、尚斗は熱いお茶をすすりながら、報告書に目を通していくのだった。
 
 きーんこーんかーん…
「ぬぅ…」
 予鈴ではなく本鈴というか……ちょうど塀を飛び越えた瞬間に朝のHRの開始を告げるチャイムを聞いて、思わず尚斗がうなった声である。
 報告書を読んでいたらいつの間にか……というベタな事をやらかした結果だが。
 ちなみに、尚斗が家を飛び出したときに宮坂の姿は既になく……回復した後に、学校に向かったか、それとも新たな仕事に向かったかは定かではない。
「やっぱ、無理だったか…」
 無理も何も……いつもの通学路を完全に無視し、ほぼ一直線に障害物のほとんどを乗り越える、宮坂レベルでもついていくのがやっとのルートを駆使したからこそ、このタイミングでチャイムを聞くことが出来たと言うべきだろう。
 尚斗は昇降口に向かってゆっくりと歩き出した。
 男子校ならまだしも、本気で走って女子校の生徒とぶつかったりして洒落にならない事態になることを恐れたせいもあるが、教室に教師がやってくるまでに潜り込めばセーフ……という思考がないのが主な原因であろう。
「……それにしても」
 と、尚斗は人気のない昇降口を見回した。
 遅刻ギリギリ、もしくはアウトの登校……というのは、どこの学校でも見られる共通行事だと思っていたのだが、どうやらここは違うらしい。
「おはよう、有崎君」
「……冴子先輩、おはようございます」
 なんとなく身構えるような気持ちで尚斗は冴子に挨拶を返し……スルーしようかと思ったが、一応聞くことにした。
「どこから現れました?」
「ここにいたわよ……陰になってたから見えなかっただけじゃないかしら?」
「……なるほど」
 何となくといった感じに頷いた尚斗を見て、冴子がちょっと笑った。
「それより……演劇部のことは調べた?」
「……それなりに、ですが」
「じゃあ、ちょっと保健室でお茶しない?」
 『じゃあ』というからには、あの日教えてくれなかったことを教えてくれるのだろう……と、尚斗は素直に冴子の後をついていくのであった。
 
 ガララ…
「おう、香月……って、誰だ、そいつは?」
 冴子の後からやってきた尚斗に、水無月が怪訝そうな視線を向ける。
「有崎尚斗です…先日は、お手数をかけました」
「……」
「センセ、ほら、土曜日の…九条さんを拾った」
「おお」
 眉根の皺が消え、水無月がぽんと手を叩いた。
「あの日はそれっきりだったが……良くやった、誉めてやる」
「ども」
「それでセンセ…有崎君、私の都合でここに連れてきたんですけど、担任の藤本先生に何か適当な理由を言付けておいてもらえますか?」
 尚斗と水無月が、冴子を見つめた……といっても、2人の表情はかなり違っていたが。
「……香月?」
「一瞬で嘘ってわかるような理由だと理想的ですね」
 冴子の微笑みに、水無月はちょっと首を傾げながら尚斗に視線を向けた。
「通訳できるか?」
「多分……俺の居場所は保健室でわかりますよ、と誰かに伝えるためじゃないかと」
「……綺羅にか?」
 尚斗はちょっと首をひねり……5秒ほど考えてから口を開いた。
「さあ?」
 
 水無月が『ちょっと用事が出来た』などと下手な言い訳をしてどこかへ行ってしまうと、冴子は尚斗の身体をじろじろと見つめながらおかしそうに笑った。
「キミが、貧血ねえ…」
「まあ、わかるやつには一発で嘘ってわかりますよね」
「その、『わかる人』が重要なのよ」
「……ああ、なるほど」
 尚斗は小さく頷いた。
「つまり、冴子さんとしては……嘘の情報によって誰がここにやってくるか、あたりを知りたいと?」
「んー、おまけで50点あげる」
「……冴子さんは、誰かをここに連れてこさせたい?」
「それだと80点」
「そのついでに、誰かやってくるか…とか、藤本先生からどういう風に情報が流れるかを知りたい?」
「81点」
「なるほど」
「何が『なるほど』なの?」
 尚斗はちょっと探るような視線を冴子に向けつつ。
「付加した答えが完全に的はずれなら、点数はそのままですよね?」
「…それで?」
「でも、的はずれじゃない答えなら上積みは5点か10点ってとこでしょう……だとすると、『何故1点なのか』……あたりが、100点の答えより大事な気がしまして」
「ふう…ん」
 冴子が満足そうに微笑む。
「青山君の薫陶ってところかしら?」
「でしょうね…」
 と、ここで尚斗はちょっと自分の肩を叩き……ため息をついた。
「正直なところ、こういうの苦手なんですよ……冴子先輩が好きそうだから、多少は付き合いますけど」
「あら、ごめんなさい」
 冴子は屈託のない……少なくとも表面上はそれを見せずに笑った。
「んじゃ……麻理絵が来るまでに、夏樹さんのこととか聞かせて貰っていいですか?」
「……麻理絵の名前が出てくるだけで90点はあげたのに」
「理由がわからないのに、そんな高得点を貰うわけにも」
 苦笑混じりに呟く尚斗を見て、冴子はちょっと目を細めるようにして笑い……ぽつりと呟いた。
「夏樹の話は聞きたいのに、麻理絵の話には興味ないの?」
「興味がないというと嘘になりますが、冴子先輩からは夏樹さんの話が聞きたいですね」
「なるほど…麻理絵の話は話で別の誰かに聞く、と」
「5年経ちましたからね……あの頃わからなかったことも、多少はわかるというか」
「それはそれでちょっと興味があるけど」
「また今度で」
「そうね」
 冴子は素直に頷き……小さくため息をついてから切り出した。
「まずは、有崎君が知った夏樹の情報を、簡潔にまとめて聞かせて」
 
「……ふうん」
 話を聞き終えた冴子がちょっと興をそがれた感じの曖昧な声を上げたものだから、尚斗は自分ではなくむしろ宮坂を弁護するような気持ちで言った。
「実質、昨日の今日……ですからね」
「誰かに調べて貰ったなら、なおさら」
「……?」
「『演劇部について調べた方がいいわね』って言ったのは、一昨日のことだもの」
「あぁ」
 尚斗の目に理解の色が広がる。
「自分で調べろと」
「そうじゃなくてね……」
 冴子は少し目を細めて。
「キミの周囲には、私も含めて策略家が多いって事」
「自分で言いますか」
「あら、私がキミの周囲にいるって認めてくれるんだ」
 と、軽い皮肉をさらりと切り替えされ、尚斗は苦笑する。
 綺羅にも多少得体の知れない部分はあるが、間違いなく冴子の方が懐が深い……理屈ではなく、感覚で尚斗はそう悟っていた。
 少し冷めてしまったお茶をすすりつつ、尚斗は頷いた。
「青山と違って、俺は一度に色々出来るほど器用じゃないので……夏樹さんの話を聞かせてもらえます?」
「わかったわ……というか、結局有崎君は、中等部や初等部の頃の夏樹のことをまったく知らないわけよね」
「夏樹さん本人は、今とあんまり変わらないんじゃないですか……周囲の状況が変わっただけで」
「まあ…そうね」
 と、冴子はちょっとばかり微妙な返事で。
「この学校、高等部になると結構印象が薄まるけど、中等部まではかなりのお嬢様学校なのね」
「薄まってるんですか」
「そりゃ、幼稚舎から初等部までは40人、中等部は80人の少数精鋭だもの……高等部の入試と違って、面接のみで入学を許される良家の子女がほとんどだし」
「むう」
「もちろん、年に1人か2人の入れ替えはあるけどね……それに、高等部から入学した生徒はほぼ全員別の大学へ、中等部までに入学した生徒はほぼ全員が内部進学でここの大学へ行くのよ」
「……あらためて聞かされると、徹底してますね」
「というか、この学校の中で高等部だけが異質なのね……普通なら知り合うことのない、一般庶民とふれあう場を与える……とかなんとか」
 冴子の口調は、それを非難するでも賞賛するでもない、ただ事実を述べる淡々としたモノで。
「……麻理絵は、良く合格できたな」
 今の冴子の話だけで判断しても、高等部入学にはかなりの学力が要求されるのは間違いなく……実際、女子校の偏差値はやたら高かったりするわけで。
 例えば、『んー、私は上の下ってとこ』の紗智の場合、中学時代は3番だったが、例年なら間違いなくトップに君臨できるレベルにあった。
 単純に紗智の上位2名がいつものレベルではなかったせいで、それはこの地区の中学6校(女子校中等部は含まれず)が受ける業者の実力テストで、紗智の順位が5,6番手だったことからも明らか。
 その紗智が、この女子校においては上の下(約160人中15〜20位程度)のポジションだったりすることからもレベルの高さがうかがえよう。
 そういう事情もあって、例年高等部においては外部入学者が成績上位を争うというか、ほぼ独占することがほとんどだが……その中で、内部進学者でありながら危なげなくトップに君臨する夏樹の優秀さは言うまでもない。
 一応、結花や世羽子も内部進学者扱いだが……まあ、事情が事情だけに外部入学と同じであると考えるのが妥当だろう。
 余談になるが、外部入学者でありながら下の中(約160人中120番前後)の成績である麻理絵は別の意味で珍しい。(笑)
「……私としては麻理絵が何故ここの試験を受けたか……に興味がわくけど」
「家から一番近いじゃないですか……両親も喜ぶでしょうし」
 冴子はちょっと尚斗を見つめて。
「麻理絵のご両親……嫌いなの?」
「正直、俺はあまり好きじゃなかったですね」
「ふうん…キミに嫌われるなら、よっぽどなのね……と、話が逸れたわね」
「すみません」
「別に…」
 苦笑を浮かべつつ……冴子の目は尚斗から動かない。
「まあ、良家のお嬢様……と言っても、大半は単純に金持ちの娘なんだけどね」
「はあ…」
「ちなみに、キミが助けた九条さんもそうだけど、夏樹は良家の方だから」
 と、ここで冴子が悪戯っぽい微笑みを浮かべ。
「と言っても、夏樹の…橘家は、この学校の生徒の中でも有数のお金持ちでもあるわね」
「へえ……あんまり、そういうのは感じさせないですね」
「歴史のあるお金持ちは、『お金があるのが普通』なのよ……肩肘をはるでもなく、強い執着も見せず……ふとした仕草や言葉に、ほんの少しだけ普通じゃないとこを見せるぐらいで」
「……よーするに、ただの成金とはひと味もふた味も違う、と?」
「妙に浮世離れしすぎると、身代つぶすのがオチなんだけど……まあ、平安時代から生き抜いてきた家柄だし、そのあたりはしたたかというか」
 何か聞き慣れない言葉を耳にした…という表情で尚斗が呟く。
「……平安?」
「源平藤橘って、聞いたことないかしら?」
「源氏、平氏、藤原氏……のアレですか?」
「支流の支流ってとこらしいけど、その橘氏の流れ……夏樹本人は、古い話だしどこまでホントなんだか…とか言ってるけど、少なくとも公家の出自で華族だったことは確かね」
「そりゃまた、大変そうな…」
 同情するように尚斗が呟いたのを聞いて、冴子がまたちょっと笑った。
「珍しい反応ね」
「そりゃ、青山んちを見てきてますから」
「まあ、あそこは特別というか、鉄腕翁(青山鉄幹の異名)も、子育てだけは出来なかった……ってね」
 きーんこーんかーん…
「あら、もうこんな時間」
「……って、全然話が進んでませんけど」
「そうね、キミと話をしてると楽しいからついつい脱線しちゃって…」
「脱線してるんじゃなくて、わざと脱線させてるんじゃないですよね?」
「んー」
 ガラララッ。
「尚にーちゃんっ!」
「残念、時間切れ〜」
 尚斗に向かって冴子は小さく舌を出し。
「夏樹に興味があるなら、もうちょっと昔のことを調べてみてね…」
 と、唇を耳元に寄せて囁いた。
 
「まったく、貧血だなんて嘘ついて……」
「……というか、写真部の先輩後輩にしては、妙によそよそしく」
「今はそんな話してませんっ」
 保健室に入ってきた麻理絵は、そこにいる冴子にちょっと頭を下げ……尚斗の手をつかんでそのまま外へでて。
 先週の土曜の事を思えば、もうちょっと挨拶なり、何らかの言葉を交わすぐらいはしてもいいような……尚斗としては、そんなことを考えてしまう。
「……ふむ」
 ぽすっ。
 麻理絵の頭に手をのせて……と、その麻理絵がじとーっとした目つきで尚斗を睨む。
「尚にーちゃんはそんな撫で方しませんっ」
 と、これがちびっこならぺしっと払いのけるところなのだが……麻理絵はただじっと尚斗を見つめてそれを待っていて。
『キミの周囲には、策略家が多いって事』
 先ほどの冴子の言葉が甦る。
 策略家……と聞いて、尚斗が最初に思い浮かべたのは綺羅ではなく麻理絵だった。
 
『なおにいちゃん、このひとがいじめるの…』
『え、ちょっ、ちょっと…』
 いきなり何を言い出すのか……という表情を浮かべたのは、麻理絵の手を引くようにして歩いていた少年。
 尚斗や麻理絵よりかなり背が高く端整な顔立ち……に対して、髪を切っていた母親が手でも滑らせたのか、がたがたの髪型がえらくアンバランスだったことが印象に残っている。
『まりえ…なんで、うそつくんだ?』
『えっ?』
 少年と麻理絵が同時に尚斗を振り返り。
『な、なお…にいちゃん?』
 麻理絵の浮かべた、ひどく傷ついたような表情に少年が目を向けて。
『なんで、この子の言うことを信用しない?』
 もう声変わりをすませたのか、低い声。
『いま、まりえがいったことはしんようできないから』
 麻理絵より、少年の方が信用できると直感したから……だが、それをうまく説明も出来ず。
 怒る少年を無視するような形で、麻理絵の手を引いてそこから離れた……多分、小学1年の頃のこと。
 
「……」
 とりあえず、尚斗は麻理絵の頭を撫でた。
 同じ言葉でも違う意味があったりするように、同じ表情に見えてもその下には全く別の感情が潜んでいたりする……それが分かるくらいにガキではなくなった今、昔の記憶は思っていたほど、純粋でも綺麗でもなくなっていて。
 もちろん、それがわかったから麻理絵がどうだという話でもなく……単純に、幼なじみ3人の中で麻理絵が一番大人で、尚斗が一番子供だったと言うだけのことで。
 昔も今も、麻理絵に対して悪い印象を覚えなかったし……その印象が、妙な理屈よりよっぽど信用できることをこれまで過ごしてきた日々が教えてくれていた。
 だとすれば、あの時気がついたように、自分の都合で誰か他人を陥れようとした時だけ……注意してやればいいことだろう。
「……たぶんだけど、冴子先輩は人間が嫌いだから」
 頭を撫でられながらぽつりと麻理絵。
「そうか?」
「尚にーちゃんは大丈夫かも知れないけど……あの人は、いくら愛想が良く見えても、周りの人を…というか、私のことを嫌ってると思う……だから、だよ」
「まあ、全員に好かれるわけにもいかないしな」
「うん…おばさんはそう言ってたね」
 麻理絵はちょっと笑い。
「でも、全員に好かれるようにしなさいって……みんな言うけど」
「そりゃ、多分無理だ」
 頭を撫でられながら麻理絵は尚斗を見つめ、くしゃっと顔を歪めて笑った。
「尚にいちゃん、おばさんと同じこと言ってる」
「そりゃ、親子だからな」
「あはは……でも、似てない親子なんていっぱいいると思うよ」
「そうだな…」
 と、しばらく麻理絵の頭をなで回し、これでお終い、とばかりにぽんと頭を叩いた。
「……それで、麻理絵は冴子先輩のこと嫌いなのか?」
「ううん、むしろ好きな方だけど…苦手というか」
 麻理絵は一旦言葉を切り……ここにはいないもう一人の幼なじみが、かつて尚斗について同じ事を言ったなと思い出した。
「……あまり、側にはいたくないの」
 
「今日は1限をサボったんだから、ちゃんと昼休みまで授業を受けなきゃダメだからね」
「うむ、善処する」
 と、腰を下ろした尚斗の肩に紗智が手を置いて。
「貧血は治ったの?」
「……ああ、藤本先生が言ったのか?」
「うん。『尚斗君は貧血を起こして保健室でお休みしてるそうです。みなさん、心配しないでくださいね』って」
 と、紗智は尚斗の肩を叩き。
「『誰が心配なんかするか』って感じの男子連中の表情がなかなかに見物だったわ」
「まあ、そーだろうなあ」
 尚斗は苦笑を浮かべ、肩越しに振り返った。
「で、何の用だ紗智?」
「あ、うん…なんというか…」
 紗智らしからぬ煮え切らぬ物言いと、ちらちらと麻理絵に向ける視線で尚斗はなんとなく悟り。
「麻理絵、すまん」
「……何が?」
「次の時間、サボる」
 
「……別にね、授業をサボれって言ったつもりじゃなくてね」
 ため息をつきながら、紗智は言葉を続けた。
「っていうか、昼休みとか、放課後に時間を作ってくれればいいだけの話でしょっ!?」
 授業をサボると宣言して尚斗が教室を出ていってしまった以上、紗智もそれに付き合わざるを得ず。
 というか……自分まで授業をサボってしまったら、いろんな意味で麻理絵にバレバレではないか。
「それはそうだが、後回しにしない方がいい話のような気がしたからな」
「それは…」
 紗智の口元に、力の抜けた笑みが浮かぶ。
「確かにそうかもね…」
「まあ、サボらせたのは謝る……慣れてなさそーだし」
「そうね、ズル休みならともかく、学校に来てるのに授業をサボったのは……2回目かな」
「高校でか?」
「通算よ、通算……アンタと一緒にしないで」
 肩を怒らせながら……口元に力の抜けた笑みを浮かべるという器用な事をしながら。
「遅刻だって、したことないのよ」
「なんか、遅刻しそうだからそのまま学校休んじまう極端なタイプに見えるが…」
 尚斗の言葉に紗智はちょっと首を傾げ……笑った。
「言われてみればそうかも。自分に気がない男なら、誰かとくっつけちゃおう…とかね」
「……そっか」
 その力の抜けた笑みの下で……紗智が無理をしてることがわかったから、尚斗は余計なことを言わなかった。
「どうしたいんだ、紗智は?」
「麻理絵は……麻理絵はどちらかと言えば被害者だから……加害者としては、できるだけ、ショックを小さなモノにしてあげたいと思う」
「……」
 尚斗の沈黙を別の意味に解釈したのか……紗智の口元から例の笑みが消えた。
「納得は出来ないけど、彼女をおいて遠くの学校に進学することはまだ理解できる……でも、ろくに連絡も取らずに、こっちに帰ってくることもしないで……挙げ句の果てに、麻理絵ときっちり別れたわけでもないのに、新しい彼女まで作って…」
 感情の高まりが言葉を詰まらせたのか、紗智はちょっと足下に視線を落とし。
「そんなみちろー……弁護できる余地がある?」
「そうか、みちろーは新しい彼女を作ったのか…」
 その言葉に非難が含まれていないことを咎めるような目で紗智が尚斗を見た。
「なんとも、思わないの?」
「……みちろーが悪いから、麻理絵は悪くないとか、みちろーが悪くないなら、麻理絵がわるいとか……そういう問題でもないだろ」
「……」
「紗智が2人をくっつけたとしても、そんな難しく考える必要はないと思うけどな」
 微妙な沈黙を経て、紗智が口を開く。
「みちろーとつきあい始めたことで、麻理絵は中学の女子生徒から……意地悪いグループ意識と、長い物には巻かれろ的なそれも手伝って、ほぼ全員が麻理絵を無視したわ」
「そりゃ……すげえ人気だな」
「まじめに聞いて」
 いらだちを隠さず、紗智が尚斗を睨んだ。
「麻理絵が、そんな目に遭っていたって聞いて……何も思わないわけ?」
「幼なじみではあるんだが、こうして麻理絵と同じ学校に通うってのは初めてでな」
「…って、そうなるのね」
 2人の家の間に境界線があることに気付いたのか。
「麻理絵と俺は……特に俺の家の付近は、学校区から思いっきり外れた場所だからな」
「え、思いっきりって程じゃ……青山小でしょ?」
「青山小の校区は、川の向こう側までだ……俺のとこは同じ市ですらないし、そっちでも飛び地みたいな扱いで」
 自分たちが生まれる前の、遠い昔に市町村の大合併があり……小学校の授業で、自分たちが住む地区のそんな歴史を学んだ記憶を引き出しつつ、紗智が首をひねる。
「そういうとこって、ふつーは児童の救済措置とかあるもんじゃないの?」
「らしいけど、母さんが『ちょうどいいから、小学校は遠くの方に通え』って言ってな……男子校よりずうっと北にある、片道15キロってとこの小学校まで走って通ってた」
「じゅっ、15キロって……何が『ちょうどいい』のよ?」
「正義の味方になるためには、まずは体力を付けよう……とか言われて」
 ちょっと照れくさそうに尚斗。
「乗り気になったのね…」
 と、毒気を抜かれて紗智が何となく頷き……。
「…って、こんな話で和んでる場合じゃないくてっ」
「あー、なんというか……俺は、みちろーから、麻理絵が小学校でどういう風に過ごしているかを聞いたことがあるワケだが」
「……それで?」
「無視されてたかどうかはわからんが、いつも一人だったそうだ」
「……」
「そういう意味では……わりと一貫した学校生活を送っているのかなあと」
 ぱあんっ。
 尚斗をにらみつける紗智の目には涙が浮かんでいて。
「いろんな意味で見損なってたみたいね、アンタのこと…」
 吐き捨てるように呟き、その場から走り去る。
「ふむ…」
 尚斗は頬を指先でちょっとひっかき……ため息をつきながら振り返った。
「何か用か?」
「あそこまで露骨に追い払ってくれる必要はなかったんだが…」
 と、物陰から音もなく現れた青山はちょっと尚斗を見つめ。
「……単にちょっと機嫌が悪いだけか?」
「それもあるけど……ただ、あれ以上会話を続けても、紗智を不愉快にさせるだけだと思ってな」
「ほう…」
 尚斗の言葉に同意したのか、それとも機嫌が悪い理由を探ろうとしてなのか、青山が曖昧な声をだす。
 それで、一体何の用だ……と、尚斗は視線で促してみたが、青山は何も言わず。
「言えない…じゃなくて、もう、用は済んだって事か?」
「当たらずとも遠からず、だな」
 そう言って、青山もまたその場から去っていき……結局尚斗だけが残されて。
 
 『校内をぶらついてみる』
 
「……と言っても、授業中なんだよな」
 廊下を歩きながら、いくつか候補地を考えてみたが……屋上、図書室、保健室は、別に今でなくても、と思えるわけで。
『中等部の校舎に隣接する建物がそうですわ…』
 ふと、昨日の綺羅の言葉を思い出し。
「教会か……そういやまともに見たことないな」
 何がどうというわけでもないが、せっかくの機会だし見ておくのも悪くないか……と、尚斗は階段を下り始めた。
 
 女子校の中等部……は、もちろん同じ敷地内に存在するのだが、高等部の生徒と違ってほとんどが西側の門を使用する。
 ちなみに、高等部の生徒は南側にある正門から……そう決められているわけではないが、徒歩通学などで最寄り駅のある方からやってこないごく一部の生徒をのぞけば、校舎に近い門を選ぶのは自然だろう。
 上から見ると、コの字を逆にした感じの高等部区域は、北校舎、南校舎、西校舎の3つの建物で構成されており、グラウンドは東側に位置している。
 そして、生徒数の差はもちろんあるのだが……中等部の区域は、高等部のそれに対してかなり小さく、1つの校舎と、理科室や音楽室などの特別教室が集まった特別教室棟の2つの建物と、高等部より小さめのグラウンドと、体育館……そして、綺羅が述べた教会によって構成されている。
 と、まあ……同じ敷地内にあっても、それぞれが独立した状態といえるだろう。
「まあ、見つからないにこしたことはないが…」
 さりげなく、そして手慣れた感じに人の目を避けながら中等部の区域に入り……それらしい建物の前に立ちながら、尚斗が呟く。
「……誰かがいるって感じじゃないな」
 授業でそういうのがあると聞いていたし、もし誰かいるようなら諦めて退散しようと思っていたが……その心配はなさそうで。
「……へえ」
 広さ的にはそれほどでもないはずだが、とにかく天井が高いのと、太陽光を取り入れる窓が色々と計算されているためだろう………開放感に溢れたイメージを尚斗に与えた。
「……なんか青山あたりが、光線によるコントラストが人間の視覚的イメージを……とか、難しいこと言い出しそうだが」
 きょろきょろと周囲を見回しながら、尚斗は正面の聖母像に近づいていき……やっと、そこに跪いてお祈りを捧げている存在に気がついた。
 あまりにもはまりすぎていて……というと、天使に対して失礼かも知れないが。
「安寿…?」
 無反応。
 もう一度声をかけようとも思ったが、ただ一心に祈り続ける安寿の姿に、それもためらわれて。
 そのまま5分ほどが過ぎ、安寿がふっと顔を上げた。
 どうやら、祈りの時間が終わったのか……と、尚斗が声をかけるよりも早く、安寿が後ろを振り返って尚斗の姿を見つけてしまう。
「ど、どーしてっ?」
 重そうなおさげ髪を揺らし、安寿は視線をあっちこっちへとせわしなく動かして。
「や、邪魔するつもりは……じゃなくて、教会があるって聞いて何となく」
「そ、そ、そそーなんですか…って、見てたんですか〜♪」
 恥ずかしげに頬を染め、俯き加減に呟く安寿。
「なんというか、さすが天使って感じで、祈ってる姿がさまになると言うか、格好いいというか、綺麗というか」
「そ、そんな美人だなんて〜照れちゃいます〜♪」
 何やら尚斗の言葉の一部分を都合良く解釈したのか、両手で頬を押さえた安寿の顔がますます赤くなり、恥ずかしそうに首を振る。
「あー、確かに普段の安寿は可愛いってイメージだけど、祈ってるときの安寿は美人って感じだったな」
 尚斗は尚斗で、こんな事をさらりと言えるモノだから。(笑)
「か、可愛くて美人だなんて〜有崎さんに殺されちゃいそうです〜♪」
 やんやんと恥ずかしそうに首を振り続けて約1分。
「……ところで、安寿」
「は、はい〜なんでしょうか〜♪」
「授業は?」
 安寿はしょぼんとうなだれて。
「……まさか〜有崎さんに言われるとは思いませんでした〜」
「まあ、それ言われるとアレだけど…」
「私は〜授業を受けるより、人の幸せを祈る方が大事ですから〜♪」
「…戦場だと、祈る人間から先に散っていくそうだが」
 ちょっと不思議そうな表情を浮かべて、安寿が尚斗を見つめた。
「有崎さん……何か嫌なことでもあったんですか〜?」
「……なんというか、気分が微妙に尖ってるのは確かだな」
「なるほど、壊れそうなモノばかり集めてしまう年頃なんですねえ〜♪」
 そんな安寿のお気楽さが、自分を気遣ってのモノだと悟って。
「いや、何というか……相手が何を考えているのかわからないことより、自分がどうしたいのがが見えてこないのがな…」
「そういう時は、何もしないのが一番です〜♪じっと待つのはつらいですけど〜楽な方よりつらい方を選んだ方が間違うことは少ないって…」
 安寿は言葉を切って首をひねり……尚斗に向かって真面目な顔で聞いた。
「誰が言ったんでしょう〜?」
「いや、俺に聞かれてもな…」
 尚斗は苦笑し、安寿の頭を撫でた。
「それより、『しあわせとは?』の命題はどうなった?」
「……」
「……安寿?」
「……はっ」
 安寿は尚斗の手を払いのけながら、バックステップで距離をとった。
「有崎さんに頭を撫でられてると……なんだか堕落しそうで危険です〜♪」
「いや、堕落って…」
 また人聞きの悪いことを……と呟いた尚斗の声に重なるタイミングで、2限目の授業の終わりを告げるチャイムが微かに響いてきた。
 
 ちなみにその頃教室では。
「紗智、尚斗君は…」
「あんな薄情者の事なんか知らないっ……っていうか、名前も聞きたくないっ」
 と、紗智に怒鳴られた麻理絵が、チラリと青山を見たが……当然のように無視されていたりする。
 しかし、そんな麻理絵の素振りに当然世羽子は気付いてしまい……青山をじっと見つめ続ける。
 さすがにそれは無視できなかったのか、それとも、青山なりの計算が働いたのかちらりと世羽子に視線を向けて。
「どうかしたか、秋谷?」
「……」
 睨んでいるわけではなく、世羽子はただじっと青山を見つめ続ける。
「…秋谷?」
 青山の再度の問いかけにもすぐには口を開かず、10秒ほど沈黙を保ってからやっと口を開いて。
「別に…」
 そう言って、ぷいっと顔を背けるのだった。
 
 
                  完
 
 
 できるだけそろえようとはしていますが、やっぱりちょくちょく1周目とは話数がずれることになりそうです。
 ずれたときは、できるだけ文の最初に日付を入れたり……あたりで考慮したいと。

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