「どうでしょうか〜?」
冴子がそれを飲み終えるのを待ちかまえていたのか、少女は間髪入れずに……口調はのんびりしていたが尋ねた。
「そうね…」
冴子は静かにカップを置いて。
「まあ、ふつう」
「ふつう…ですか〜」
と、少女はちょっと落胆した様子。
もしこの場に尚斗がいたならば、少女の口調や仕草から安寿を連想したであろう。
「普通も何も、インスタントでしょ?」
「インスタントでも〜マスターのコーヒーは美味しいのです」
「……茶道本家の跡取りが、コーヒーの入れ方に凝ってどうするの?」
と、口ではそんなことを言いながらも、冴子の目は楽しそうで。
「何か〜相通ずるものを感じるのです〜」
「……喫茶店でバイトなんて、おばさまやお祖母様に知れたら、ただではすまないでしょうに」
「私は〜人形ではありませんから〜」
そういってにこっと微笑む少女は……香月かやね(こうげつ・かやね)といい、冴子の本家筋にあたる。ちなみに、冴子は分家ということで、同じ文字でありながら香月(こうづき)と読みが違い……かやねがしたような厳しい修行とは無縁に育ってきた。
かやねは、尚斗達のいる街から遠く離れた場所にすんでいるのだが、今日は電車に二時間ほど揺られて冴子の家にやってきたのである。
茶道の家元とはいえ、香月流はマイナーもマイナー、一般的にはほとんど知られていない……それもそのはず、始祖は戦国時代までさかのぼり、武家手前の流れを汲む流派だったりするものだから、ふつうのお嬢さんでは修行の厳しさに耐えられないと言うか。(笑)
それはつまり……かやねもあまり普通のお嬢さんではなかったりするという意味で。
かつてこの近辺で世羽子が勇名を馳せたように、かやねも行くところに行けば『連邦の白い悪魔』などと囁かれたりする。
もちろん、そのおっとりとした口調、穏やかな挙措などからそれを察するのは、かなりの眼力が必要になるであろうが。
「それで……わざわざコーヒーを飲ませてくれるために、二時間以上もかけてきてくれたのかしら?」
「お茶の方がよろしかったですか〜?」
「そうね、あなたのいれるお茶は本当に美味しいから」
「そ、そうでしょうか〜?」
「その…マスターさんにも、一度飲ませてあげなさい。きっとうまくいくわ」
「え、あ、そ、その…さ、冴子さん〜?」
顔を真っ赤にしてうろたえるかやねを、冴子は優しい目で見つめ。
「……なるほど」
何か納得したように冴子が頷き、かやねはちょっと脅える。
「ねらってるのは、あなただけじゃない、と?」
「さ、冴子さん、なんで〜?」
「まあ、こっちも似たような状況に……これからそうなるというか」
そう呟く冴子を、かやねは少し不思議そうに見つめるのだった。
「土曜日はよろしくお願いします」
と、穏やかな微笑みを浮かべて頭を下げる……のは、養護施設の園長。
「はい、それでは失礼します」
と、頭を下げたのは…ちびっこ入谷結花。
今週の土曜日、1月26日に予定されているボランティア公演の打ち合わせ……というと、少し言葉が硬いが、まあステージと客席の調整の話とか、演劇部部員がくるまでに、こういうことはすませておいてください…という話し合い。
結花がきちんとこういうことをやっている……事を知っている演劇部員は2,3名しかおらず。
他人に任せることが下手な結花にも原因はあるが、そのことに頭の回らない他の部員により多くの責任があるだろう。
中途半端に育ちの良い少女がほとんどだけに、こういった細やかな気配りや根回しまでは気が回らないのも仕方がないとも言える……夏樹や、演劇部とは関係ないが弥生レベルの家柄であれば、こういったこともきちんと行儀作法の1つとして親が仕込むのだが。
結花の場合……同い年の少女とはなめてきた苦労の質が違う。
「……ふうっ」
ため息をついて……すぐに姿勢をあらためるように空を見上げた。
「まったく、身体がいくつあっても…」
ふと口をつぐんで。
「……」
なんとなく辺りを見回し、誰もいないことを確認して。
そこからさらに10秒ほど考え……ちょっと恥ずかしそうに頬を染め、結花はパチンと指を鳴らした。
「かもん、じょにーさん」
ひゅおおおおおっ。
冬の風は恐ろしいほど冷くて。
「……って、来るわけないじゃないですか」
今のなし、ただの冗談、という感じに、ぶんぶんと両手を振り回す。
たしかに疲労を覚えてはいる……が、それは今に始まったことでもなく、猫の手も借りたいからと言って、こんな子供のような真似を……。
照れ隠しか、もしくは自分自身に対する怒りか、結花が足下の小石を蹴り飛ばした。
「……変なことを考えたりしないように、ちょっと休みますか」
と、目に付いた小さな公園へ……砂場や鉄棒などの遊具もなく、あるのは古ぼけたベンチが2つだけで、結花はその1つに埃を払うこともせずに腰を下ろした。
「…ふう」
再びのため息……そして視線は空へ。
それゆえに、気づくのが遅れた。
「お、お呼びとあらば、疾く参上…」
肩で息をしつつ……何故か結花に対して半身の構えをとって、びしっと親指をたてている宮坂を前にして……結花は文字通りぽかんと口を開けた。
あの結花をしても、完全に思考が停止し……そのままの状態で10秒ほども経過したであろうか。
「じょにーと呼んでくれて結構」
「はあ…」
なんとなく頷く、結花。
「何を調べればいい?」
このままではらちがあかないと思ったのか、じょにーこと宮坂が水を向けた。
いくらなんでもこのタイミングで現れるのは怪しすぎる……尾行けられていたのではないか、などの疑問が浮かぶこともなく。
「はあ、じょにーさんもご存じのですね、有崎さんについてちょっと調べて欲しいんですが…」
口調からわかるように、結花の通常時の頭の回転を100とすると、今は精々10というところか。
そんな結花にはかまわず、じょにーはあくまでも違う人格が宿っているのではないかと思えるほどノリノリで。
「……友情は時として、チョコパンより重い」
「じゃあ、チョコパン2個で」
「チョコパンは時として友情より重く」
オーケイ、引き受けたっ……と、ばかりに力強く親指を突き立てる。
ちなみに、結花の頭の回転が良くなってきたと言うよりは、演劇部員として、無意識に宮坂の芝居ッ気に反応したという方が正しいだろう。
「調べるまでもなく、私から1つ言えることがある」
「はあ」
「あいつは、良いやつだ」
ひゅおおおおっ。
「あ…」
じょにーは、風と共に姿をけしていた。
「……えっと?」
結花はなんとなく自分の頬を指でつねり……明日になれば現実か夢かわかること、と開き直った。
「さて…」
これからヴァレンタイン公演に向けて必要と思われる資材を確保するために動き、その後で例の少年についてちょっと調べて回ろうと思っていたのだが……。
なんとなく、空を見上げ……ああ、今日は天気だったんですね、などと今さらそれを認識する結花。
「たまには……いいですかね」
少し、街をぶらぶらしてみよう……資材の確保をした後で。
そう思って、結花はベンチから立ち上がり公園を後にした……この後、別の意味で街をぶらついて良かったと思ったりする事はもちろん知らない。
父は日曜出勤、弥生は実家……それゆえに、世羽子は自分で作った昼食を一人で食べ、その食器をちょうど洗い終えようとしているところ。
既に、洗濯、掃除等の家事は終了……弥生から『夕方に帰るから、買い物は任せて』という連絡があったため、あまり遠出も出来ない。
『弥生、これ持ってなさい』と以前に世羽子が合い鍵を渡そうとしたが、『そういうわけにはいかないでしょ』と固辞され、弥生の気性を呑みこんでいるだけに引っ込めたのだが……今はそれが裏目と言えば裏目。
「さて…」
洗った食器を布巾でふき、最後にタオルで手を拭う。
誰もいない家の中……ちょっと寂しいわね、などと感じたりする世羽子ではなく、むしろ誰もいないということで、普段は押さえている部分がじわり、と。(笑)
唐突に、世羽子の右手が翻る……と、柱に針が2本突き刺さる。
そう、今の世羽子の頭の中は、青山にしかるべき報いを食らわせねば……という思いでいっぱいだった。(笑)
「……」
勝手口から庭に出て、静かに……例の、左手をつきだした構えをとった。
パァンッ。
爆竹を鳴らしたような音が周囲に響く……が、世羽子の構えは変わらず……いや、見ればさっきとは立っている位置が少し変わり、下げた右手から血がにじみ始めている。
「……尚斗と違って、2回しか保たないのがネックよね」
構えをとき、にじんだ血をハンカチで拭うと……右手の甲と指の数カ所で皮膚が切れており。
それに構わずに2発目を打てば皮膚が破れ、その次を打ったことはないが、おそらくは肉がはじけるに違いない。
『ああ、あれはバカ息子にしか使えないよ…』
と言って教えてくれなかったのだが、世羽子はなんとかそれを自得し……そして初めてその言葉を意味を知った。
いや、実際は知ったと思いこんでいるだけで……『バカ息子にしか使えない』という言葉の意味を少し考えればわかるようなモノだが、『世羽子に出来ることを青山が出来ないわけがない』のである。
「せめて、4発打てれば……」
もう一度右手の血を拭い……世羽子は唇を噛んだ。
最悪、当てる必要はないのである。
自尊心の強い青山だけに、明らかに自分より格下の世羽子の攻撃がかすっただけで……それなりのダメージは与えられるはず。ただ、それだと、世羽子自身の気が済まないのがネックだが。
「……」
少し考えて蹴りをだし、また少し考えて拳を突き出す……夕方まで、世羽子はそれを繰り返すことになる。
「あ、温子…ちょっと、休憩」
「このぐらいでだらしないよ、聡美ちゃん」
映画、ショッピング、ゲームセンター、ボウリング……と、温子に引っ張られるようにして休みなく連れ回された結果なのだが、しれっという温子の表情は、聡美のそれと違って平然としている。
まあ、並の体力ではバンドメンバーとして、ギターやボーカルはもちろん、ドラムとしてやっていくことは出来ない。
「と、いうか…お腹が空いたの」
時刻は既に3時を大きく回り……昼食はもちろん、朝食もまともにとってなかった聡美がそう呟く。
「そうだね、そろそろいいかな」
「え?」
「ううん…じゃ、そこのファミレスで」
女子高生2人でファミレス……などと突っ込む気力もなく、聡美は温子の後をついていく。
そして10分後。
温子の前には、ハンバーグセット、ドリンクバーとサラダバー……デザートのババロアが後でやってくる予定。
「いただきます」
と、疲労をにじませながらも行儀良く手を合わせる聡美の前には、海老のスープと、海藻サラダ。
「……ちゃんと食べてる、聡美ちゃん?」
「温子は、ちゃんと食べ過ぎ…」
ちょっと睨むようにしながら、聡美がスープを一口。
「……」
「結構いけるでしょ、この店」
美味しい店なら任せてとばかりに温子が笑うと、それにつられて聡美もまた笑った。
「うん、美味しい…」
「やっと笑ったね」
「……え?」
「自覚なかったかも知れないけど、ここ1ヶ月ばかりは、聡美ちゃんずーっとこんな感じの顔だったから」
と、温子が自分の眉をぎゅっと指で寄せた。
「あ…」
再び眉を寄せた聡美の目の前に、温子が左手を広げて突きつけた。
「え?」
聡美は反射的に右にかわそうとしたが、温子の手がそれを追いかけ、左にかわすと、そちらにもついてきて……聡美は仕方なく椅子にもたれるようにして距離をとった。
テーブルの上に身を乗り出すようにしない限り、ついてくることは出来ない。
「そうそう、距離をとれば見えるようになるでしょ」
と、距離をとったにもかかわらず、温子は相変わらず左手をつきだしたまま……右手ではハンバーグを食べていて。
「お行儀悪いよ、温子」
「眼が悪くなると、よく見ようと思って無意識に眼を近づけて、それでまた眼が悪くなって………はっきり言うけど、聡美ちゃんは、世羽子ちゃんと同じようには生きられないよ」
温子の言わんとすることを理解したのか、聡美が寂しげに目を伏せた。
「聡美ちゃん、ホント世羽子ちゃんのこと好きだよね」
聡美の頬に微かに朱が浮いた。
「え、えっと…世羽子には、憧れてるだけで…目標というか…」
「憧れるのはわかるけど、目標にはしない方が…」
と、温子が口の中で、もごもごと呟く……が、聡美はそれにも気づかず。
「そんな、別に、好きとか…そういうわけじゃ…」
そんな聡美の様子に、思っていたよりちょっとばかり根が深かったのかも……と温子は心の中で呟いた。
温子もそれに気づいたのはつい最近のことで……聡美の相談にのるようになってからのことであるから、例によってあの2人が気づいているようなことはないと高をくくってもいる。
さて、この聡美であるが女子校には中学からの入学で……深窓の令嬢というわけにはいかないが、れっきとした社長令嬢である。
弥生と世羽子のふたりで立ち上げた軽音部に参加……したのはいいのだが、それをそのまま父親に告げることも出来ず、そこでメンバーの弥生の名を利用し、父親はもちろん九条家の名を知っていたから、華道の稽古をという娘の言葉を信じて……以下略。
もちろん……そんなことを弥生はともかく、憧れている世羽子に言えるはずもなく、ただそれまで何も言わなかった父親が反対を始めて……などと、父親のみならず仲間に対しても嘘をついたモノだから……以下略。
「バンドは続けられなくても、世羽子ちゃんに会えなくなるわけじゃ…」
「会えない」
ぼろぼろと、周囲の目もはばからず聡美が涙をこぼし始める。
あまり客のいない時間帯であることが幸いというべきか、反対にウエイトレスが『何事?』という感じにやってきかけたのを、温子がさりげなく首を振って追い払った。
「わ、私、世羽子に、嘘ついてた…から」
弥生ちゃんはどうでもいいの……とは思わず、温子は、まあ人間の感情は基本的に残酷なものだし……と、さらりと受け流す。
「世羽子…そういうの、大嫌いだから…私も、嫌われる…きまって…」
もう、こうなると自分でも何が大事か大事でないのかわからなくなるのだろう、建設的な意見というか、何をどうしてどうするかという論理的な思考からかけ離れてしまう。
まあ、今日に至るまで温子は聡美から色々と事情を聞き出して……バンド活動を続けられないことだけははっきりしている。
弥生のように、親と喧嘩して家も飛び出して……という事が出来るならまた話は変わってくるが、聡美にそれは出来まい。
まあ、その前に……聡美を落ち着かせるのが先決だったりするのだが。(笑)
「そういや、世羽子ちゃんって、珍しい名前だよね?」
「……?」
とりあえず気が逸れたのか。
「いや、読みじゃなくて、漢字の話」
「世羽子から、聞いたこと…ある……お母さんが、決めたって」
「へえ」
聡美はハンカチで涙を拭い……とりあえず、新たな涙は流れてはいないようで。
「世羽子も…詳しくは聞けなかったって言ってたけど…世羽子のお母さん、ちょとわけありだったみたいで……自分にはもう身寄りが一人もいないから、この子の名前には是非自分の旧姓から一文字いれたいってお父さんに頼んで決めたって…」
「へえ、名前ならともかく、名字からってのは珍しいね」
ちょっと興味をひかれたのか、温子の言葉に実が入った。
「うん、天羽って旧姓だったらしいけど」
「あもう…天の羽の?」
「うん……それで羽の文字をいれたんだって」
温子はちょっと首をひねり。
「同じいれるなら、天の方が、いれやすかったんじゃないのかな…?」
聡美の前だけに、何でわざわざそんなヤンキーのあて文字みたいな名前に……とは言えない。
「そう…ね。でも、天の字の名前も難しいと思うけど…」
そう言った聡美の表情は落ち着いており、ひとまず感情の波は収まったようだった。
それにしても香神温子………面倒見の良い少女である。
「ふむ…」
事情が事情だけに、日曜日も関係ないのか……校舎建設の工事は、危ういほどの急ピッチで進められているようで。
工事に携わる建設会社はもちろん、その下請け、資材会社から機器をリースする会社に、役所への侵入……それと同時に他の仕事もこなし、じょにーも真っ青の働きを見せた本日の青山だが、工事風景を眺めながら今日調べた事を、何度も何度も構築しては突き崩し、また構築し直した結果が…。
今青山が口元に浮かべている微笑み……何かの確信を得るに至ったそれである。
工事のために半分ほどが占領されているのだが、残りの半分を使ってラグビー部などが練習を行っているグラウンドに背を向けて歩き始める。
「さて…」
機嫌の良さを示すかのように、青山は歌うように呟く。
「有崎でも探しに行くか…」
「世羽子、ただい……ま?」
にょっきりと大根の葉が飛び出したスーパーの袋をぶらさげた弥生が、庭先にいた世羽子に声をかけて……そのまま固まった。
「あら、おかえり弥生」
「……」
「弥生?」
「なに……してたの?」
「昨日言ったでしょ、身体が鈍ってるって」
「……へえ」
納得しての『へえ』ではなく、ただ息をしたら声になったという『へえ』である。
「それより、妹さんの具合は?」
「……」
「……弥生?」
「あ、うん…もう、朝には熱も下がって…平気」
そう答える弥生の口調は、テープレコーダーのそれである。
「……弥生、熱でもあるの?」
「さあ…?」
「ちょっと弥生?」
世羽子は弥生の身体を抱き上げ、家の中へと駆け込んだ……その瞬間。
バサバサバサッ。
と、音を立てて、世羽子の立っていた場所を中心として、身動きもせずに転がっていた雀やカラス合計70羽程が一斉に空に向かって飛んでいった。(笑)
ちなみにこの夜、弥生は世羽子が雀やカラスと一緒になってマイムマイムを踊っている夢を見てうなされることになる……幸運にも、目が覚めた時にはなんの夢を見ていたかを覚えていなかったが。
「そういえば有崎、藤本先生との関係を聞いてなかったな」
もくろみ通り買い物帰りの尚斗と出会い、男子校の工事の話をちょっとした後で青山はその話題をふった。
「まあ……信用してもらえるかどうかはわからんが」
と、尚斗は嫌がるでもなく麻理絵に話したとおりに青山に聞かせた。
「なるほど…」
「え、納得できるのか?」
「まあ、『有崎は嘘をついてない』だろうよ」
「そうか、話が話だけに信用してもらえるとほっとする」
とため息をつく尚斗を青山は面白そうに見つめ。
「でも、藤本先生を悪い人間とは思えない…か?」
「え?」
「……それについては、俺も秋谷も同意見でな」
「そう…なのか」
と、尚斗は考え込むように首をひねった。
「どうした?」
「いや…おかしくないかそれ?」
「何が?」
「俺の記憶が間違ってないなら、どう考えても悪い人間だろ?」
「そうかもな」
「……青山?」
「それはさておき……有崎はあまり思い出したくもないだろうが、昨日の騒動に参加した男子連中に、体育会系の人間がひとりもまじってなかったってのはあの女の計算かな?」
「……かもな」
苦虫をかみつぶしたような表情で。
「下手に手を出すと、ケガしそうなやつばっかりだった……って、みてたのか?」
「見てたというか、今日見た」
「は?」
「ま、後でわかる」
再び尚斗が首をひねる……横で、ゆっくりと青山が左手をつきだした構えをとった。
パッ…ン。
世羽子のそれより甲高い音を発し……青山は、赤くはれた右手をじっと見つめて言った。
「まあ、有崎にしか使えない技だよな」
「俺も、『素』では使えないって」
「……多分、目的を勘違いしてるんだろうが、秋谷がこれを使おうとしてな」
と、尚斗が弾かれたように顔を上げた。
「自分が怪我するだけ…っていうか、母さんも教えてなんか」
「天才だからな、秋谷は……まあ、俺は有崎が使ったのを一度見たし」
「……俺は、母さんに殴られながら5年かかったんだけど」
ため息混じりに尚斗……教えられてもいないのに、自分で何とかしてしまったのがわかったのだろう。
「……と言うわけで有崎。秋谷が怪我する前に、ちゃんとしたやつを見せてやれ」
「だから、『素』じゃできねえって」
「別に、フルパワーでやれとは言ってないんだが…」
「……ん〜」
渋々と言った様子で尚斗が構えをとり……青山が耳をふさいだ。
コォッンン…。
レーシングカーのエンジン音を思わせる音が通り抜け…カラスが一羽、落ちてきた。(笑)
ちなみに、世羽子の庭から逃げてきたカラスだったりするのだが、もちろん青山も尚斗もそれを知るはずもなく。
カラスの行動範囲はあまり広くないと言われているが、このカラスは死ぬまでこの近辺に近寄ることはなかった……というのは、また別の話である。
さて、日も暮れてあたりが闇に包まれた頃、女子校高等部校舎と中等部校舎の間のぽっかりと開けた場所に立つプレハブ小屋に明かりが点った。
明かりが点る……と言うことは、このプレハブ小屋に誰かがいるという事でもあるが、さて、ここには一体誰が住んでいるのか。
「……朝じゃなくて、夜っ!?」
などとろくでもない生活をしていることを思わせる台詞を発し、小屋の主が大きくのびをした。
まだ眠そうに目をこすり……手ぐしでちょっと髪を整えて眼鏡をかける。
そう、女子高校医の水無月薫(26)その人である。
こんこんこん。
ドアをノックする音。
ガス・水道・電気はもちろん、風呂やトイレもあるが、チャイムとかインターホンなどといったしゃれたモノはついてない。
「薫先生、綺羅です」
「夜か…夜は寝る時間だし…なぁ」
付けたばかりの電気を消し、水無月は聞こえないフリをした。
こんこんこんこん。
「薫先生の好きな鱈の良いのが手に入りましたの、お鍋で一杯いかがですか?」
プレハブ小屋の、電気が点る。
「……鍋の材料だけおいて、帰れ」
ドアを開けながら。
「そんな……かつて、将来を噂された相手に向かってあんまりの…」
「アタシの両親に、あんな写真を送りつけたのはアンタだろっ!」
「写真……と、おっしゃいますと?」
不思議そうに綺羅は首を傾げて。
「ア、アタシとアンタが…その、抱き合って…」
「……あら?」
綺羅はちょっと笑って。
「そもそも、そんな写真を撮られるお心当たりが私にはございませんが…?」
「合成、アイコラ、でっちあげっ!」
「そんなもので、娘を勘当なさるご両親に問題があるのでは…」
「話を逸らすなっ!アンタ以外、考えられないっ!」
ちなみに、水無月に帰る家はなく……20分近くも入り口で押し問答を続けた挙げ句、結局2人仲良く(?)鍋をつつくことになるのだが。
さて、1月20日(日)からもうすぐ21日(月)へと日付が変わろうとする頃、麻理絵は携帯を手にとり……ボタンを押した。
「……」
『…麻理絵』
「こんな時間までお勉強、みちろーくん?」
『こんなって、まだ…』
11時過ぎじゃないか……とでも言いたかったのだろうが、少し口ごもるような気配を経て……別の言葉を口にした。
『……声を聞くのは久しぶりだな』
「そうだね…1年、それ以上かな」
遠く離れた空の下、深夜に携帯で語り合う2人の姿を……紗智はどう見るであろうか。
『それで…どうした?』
「電話しちゃ…いけなかったかな?」
『いや……友達なら、別に不思議なことでもないし』
「そうだね…紗智ともたまに話してるみたいだし。でも……ちょっと冷たいかな、みちろーくんは……もう、おさななじみでもいさせてくれないの?」
『……麻理絵も、尚斗も、俺にとっては幼なじみだった。でも、俺は……麻理絵や、尚斗にとって、幼なじみじゃなかっただろ?』
「……」
『だから、もういいんだ……俺のことは気にせずに、自由になってくれ』
その言葉を聞いて、麻理絵はひどく優しい微笑みを浮かべた。
「みちろーくん」
『……』
「何か、つらいことがあったの?」
『…別に』
10秒ほどの沈黙を経て。
「みちろーくん……お願いがあるんだけど」
『珍しい…と、いうより、初めてかな』
「そうかな…?」
『尚斗と違って……俺には、何も…なのに、麻理絵はずっと…』
「みちろーくんは、幼なじみだもん」
その言葉はみちろーの心の何かを救い……何かを決定的に傷つけたのだろう。
『お願いって、なんだ?』
そう言ったみちろーの口調は、何か吹っ切ったようで。
「うん……大したことじゃないよ。多分、今週……かな。尚にいちゃんがみちろーくんに電話すると思うの」
『……』
「もし……みちろーくんに会いたいって話になったら、私だけじゃなく、それとなく……そうだね、『幼なじみと会うことになった』みたいな感じで紗智に伝えてあげて」
『なんで…さっちゃんに?』
麻理絵がちょっと笑った。
「……似てるよね、そういうところ」
『……?』
「それで……会いたいって話にならなかったら……私に、電話じゃなくメールで伝えて」
『……メールで?』
「うん……その時は、自信がないから」
『自信…って?』
「……おやすみ、みちろーくん」
それ以上はみちろーに何も言わせず、麻理絵は電話を切った。
さて、僕らもみんな生きている……と言うわけで、尚斗を脇役扱いにした、休日の1コマです。やっと、念願のかやねを登場させることが出来ました……話の筋にはまったく関係ありませんが。(笑)
安寿だけが登場してませんね…書き手が忘れていたのか、計算尽くなのかはさておき。
前のページに戻る