1月20日(日)……AM4:00。
 
『……敷地内に野球場が1つ収まって、ちょっと余るぐらいか。まあ、野球場もピンキリではあるが…』
 との言葉からわかるように、青山本家の屋敷のある敷地は、一般人の感覚から言うとべらぼうに広い。
 敷地は高さ2.5メートルほどの屋根付き塀に囲まれており、南側の表門の他に、東と北に2つの小さな(あくまでも比較対照的に)門がある。
 東から北に抜けるようにして敷地内を水路が流れているのは、屋敷の古さと家格の高さをしのばせるが、かつて存在していたという敷地内のまわりの用水堀は遠い昔に埋めたてられて影も形もない。
 広大な敷地内には、どっしりとした風格を漂わせる母屋に離れに…(以下略)……少し離れて青山家に住み込みで働く者達のための建物……からさらに隔離されて、場にそぐわないプレハブ小屋が1つ。
 警備員の他に動くものなし……と言いたいところだが、そのプレハブ小屋の窓からは明かりが漏れており。
 言うまでもなく、小屋の主は青山である。
 プレハブ小屋と言っても、2部屋合わせて二十畳ほどの広さがあり、台所、風呂、トイレは完備して……早い話、かつての青山家当主、青山鉄幹(あおやま・てっかん)亡き後の青山家の総意に近いアレで、『お前は母家に入ってくるんじゃねえ』という状態。
 もちろん、青山本人としてはそっちの方が気が楽……だが、専属使用人が1人付けられているあたりが、滲み出るブルジョワジーというやつか。(笑)
 と、いうか……こんな時間に何をやってるんだ青山、というわけで、小屋の中に目を移そう。
 二部屋のうち広い方……15畳ほどの広さを持つ部屋は、稼働中のディスプレイが5台……壁にぴったり一列に並んでいるところがちょっとオフィスとは趣が異なるが、5台全部に青山一人で目を通すわけだからこの位置関係は仕方がない。
 それとは別に、2台のディスプレイ……は、暗いまま。どうやら、今のところは未使用なのか。
「……」
 視線こそ向けないが、青山の意識が小屋の外に向き……それから1分ほど経って、ドアを乱暴に叩く音と、少しろれつの乱れた声がそれに続いた。
「おじさぁーん、大輔おじさーん、あーけーてー」
 青山はちょっとため息をつき、ドアに向かって声を投げた。
「開いてる」
「はいはーい」
 陽気に明るく、そして無遠慮にドアを開けてなだれ込んできたのは女性。
 見た目清楚な(笑)綺羅とは趣は違うモノの、間違いなく美人というカテゴリーにおさまる容姿。
「もー、またこんな時間まで起きて…夜更かしは、美容と健康の毒ぅー」
 肩が隠れる長さのウエーブヘアーを振り回し、大げさに首を振る当の本人は朝帰りなのでは……などというツッコミを入れる青山ではない。
「一応、アンタは俺の従姉って事になってる」
「あははー、そんなこと言っても、大輔おじさんがおじーちゃんの子供ぉー、なんてのは、周知の事実だし」
 と、酔っぱらい特有の笑いを浮かべて。
「酔っぱらいのフリをするなら、後2杯か3杯は、グラスを煽ってこい」
「……ばれたかしら?」
 と、いきなり素に戻る女。
「ここが、盗聴されていたら一発だが」
「それはないわ。大輔さんが帰ってきた直後ならともかく」
 気がつけば、さっきまでほんのりと赤らんでいたはずの女性の顔色は素面そのものになっていて。
「なんというか、ここだけはバカ娘のフリをしなくてすむでしょ……度々押し掛けて悪いとは思ってはいるんだけど」
「俺とアンタが一緒にいる……という理由で、また別の疑惑を生むんだが」
「そうね、おとーさん一応長男だから……私も長女ってわけじゃないけど、結婚すれば近道に見えるんでしょうね。実際、バカやってると下心丸出しで男がわさわさと寄ってくるったら」
 と、女性……青山翡翠(あおやま・ひすい)は、ここでちょっと口をつぐみ。
「……でも、形の上は孫にする事に関して、あのおじーちゃんがあまり反対しなかったじゃない。ひょっとしたら、そういうことも考えてたのかなと思ったりもするけど」
 じじい(鉄幹)本人の思惑はさておき、家に引き取ってから様々な人間に顔をつながせるべく、会合やパーティに連れ回した行動だけを見るなら、青山は鉄幹にとって一番のお気に入り……と思われるのはごく自然の成り行きだが。
 その青山と、自分を結婚させたかったのでは…などと、なんの気負いもなく口に出せる翡翠もまた、そうとうの自信家と言えるだろう。
「継ぐ気はない、とじじいにはもちろん、他の連中にも答えたはずだが」
「まあ、それはみんな知ってるけどね…」
 翡翠がちょっと窺うような目つきをして。
「正直なところ、私も気になってるのよ……おじーちゃん、最後に弁護士の杉山さんと一緒に大輔さんだけを呼んだでしょ。何を言い残したのかな…って」
「遺産相続には関係のない話だ」
「まあ、相続に関しては確かにおとーさんもグループの一部を継いだわけだけど……あんなタイミングで叔父さんが2人も死ねばね」
 翡翠の目が、まっすぐに青山を見つめる……が、結局は翡翠自身がそれに耐えかねて視線をそむけた。
 それでも、一般人とはちょっと違うところを示すかのように、とんでもないことを口にする。
「あの2人、大輔さんが殺したの?」
「ふむ、残念ながらどちらもアリバイはないな……ただ、死因は心臓発作と聞いたが」
「そうね、2人とも」
 特に心臓などの持病を抱えていたわけでもないのに……と、いう言葉はのみこみつつ、翡翠が笑った。
「私にとっては、幸運だったけど」
 この場に尚斗がいたならば、その笑みが綺羅のそれとそっくりだと思ったに違いない。
「経営者としては、おとーさん頼りないから」
 鉄幹が死んだのは青山が中学3年生の夏のことで、鉄幹の後を追うようにして次男がその半年後、五男がさらにその半年後…ちょうど鉄幹の1周忌の直後に心臓発作で死んだ。
 経営手腕と野心を天秤にかければ、野心の方が極端に肥大化した次男と五男の死によって、いわゆる青山家の騒動は一応沈静化したものの……その分、水面下では…以下略。
「身内でごたごたやってる場合でもないものね……おとーさんが当主じゃ、にらみが利かないし」
「……いい勝負だな」
「……誰と誰が?」
 青山は何も応えず、再びディスプレイに目をやった。
「……投資の指示かしら?」
「暇つぶし感覚で始めたんだが、必要以上に膨らんでな……有崎に、どう告げたものやら」
 と、苦笑混じりに青山が呟く。
 もちろん、いざというときのための費用をこしらえたり、かなりの金額を信用できる団体に寄付したりしているのだが、尚斗と父親が知らない間に有崎家の資産は……以下略。
「尚斗くん、元気?」
 そう尋ねる翡翠から、打算溢れる野心家の表情が影を潜めた。
「相変わらず……だな」
「そう…私も、こんな家の娘じゃなければねえ」
 本気か冗談か、どっちともつかぬ表情でため息をつく翡翠。
「……つかぬ事を聞くが、藤本の分家の…藤本綺羅という女と面識はあるか?」
「藤本綺羅……ええ、あるわ。直接会ったのは2回ほどだけど、それが?」
「そうか……いや、多分覚えておいて損はない」
「……へえ、あの子が」
 翡翠は今21歳で、綺羅の3つ年下にあたる……が、さらりと子供扱い。
「バカ娘を演じてるアンタと違って、あっちは鋭さを演じてるだけだ……1つか2つ、まだ奥行きがある」
「……なるほど。まあ、鋭いだけで頭角を現せるほど甘い世界でもなかったわね…」
 それから翡翠はグループの関連企業のいくつかについて青山と語り合ってから、プレハブ小屋を後にした。
「ふむ、5時か…」
 窓の外はまだ真っ暗で、これから寝るのか……と思いきや、青山は稼働中の5台のディスプレイとは別の2台の電源を入れた。
「……今日は、忙しいな」
 一日を終わらせることなく、青山の新しい一日が始まる。
 
「……っ」
 すっきりと晴れた空を見上げて、深呼吸……したのは良かったが、胸の中に氷水を注ぎ込まれたようで逆に息が詰まった。
 時刻は朝の7時……紗智は太陽が昇る方角に向かって歩き出した。
 時折追い越していく車と、犬を散歩させる人……冬の早朝、しかも日曜日。町の目覚めは明らかに平日より遅く、また夏より鈍い。
「朝ご飯は……どうしようかな」
 このまままっすぐ行けば駅があり、コンビニなんかはそのあたりに散在してはいるが。
 昨夜、珍しいことに父と母の2人が帰宅した……どちらかが、もしくは両方が会社で泊まり込み、仕事がらみで、下世話な理由も含めて外泊という事がノーマルな一ノ瀬家において、2人そろって家に帰ってくるというのは珍しい。
 しかも、週末……ここぞとばかりに、仕事がらみの用事が増える紗智の両親にとって、日曜日の朝に家族三人が顔をそろえるなんて、年に一度あるかないかの珍事と言っても良いだろう。
 だったら、何故こんな朝早くに紗智は朝ご飯も食べずに……と思うかもしれないが。
「冗談じゃないってのよ、朝っぱらから…」
 足下の石ころをけ飛ばし……紗智の言葉は吐く息の白さに紛れて消えてゆく。
 いっそ別々に食べればいいじゃない、とは思うのだが……2人ともそれが義務であるかのように、家族がそろえば一緒に、吉野さんが作った(朝は前夜のうちに作っておいたモノ)朝食を囲み、紗智にもそれを強要する。
 父と母は視線を合わさず……すなわち、父も母も視線がどこを向くかというと、当然一人娘である紗智に向けられる。
 子はかすがいという言葉があるが、両親が子供のことを思って我慢するのでも、両親が我が子にかすがいであることを求めるのとも違って……ただ、時間をつぶすための道具として使われる。
 もちろん、かすがいであろうと努力した時期もあったが……正直もうたくさんだった。
『紗智』『紗智』『紗智』……。
 食卓を飛び交う会話の全てはそこから始まる……吉野さんがいる場合、『吉野さん』が混ざるケースもあるが。
 結局、それがイヤで紗智は朝ご飯も食べずに早々と外出した……わけだが、もちろん、特にこれと言った予定はない。
 寒さのせいか、いつもより速いペースで駅の近くまでやってきた。
「……」
 日曜の朝だというのに、コンビニの前で中学生ぐらいの少年が3人ほどたむろっているのが目に入る。
 駐車場の車のタイヤ止めに腰掛け、コンビニで買ったのだろう、中華まんや菓子パンを片手に話し合う彼らの表情は明るくて。
 ここから左に行けば学校に、まっすぐ行けば麻理絵の家に……駅から電車に乗ってという選択肢もあるにはるが、普段にぎやかなはずの街が静まりかえった朝の光景が、精神衛生上よろしくないことは過去の経験から学んでいた。
「……家を出て、行くとこもなし、子供かな」
 どこかで聞いたような歌を詠み……ふっと、紗智が思い浮かべたのは、あの少年。もちろん、住所は知っている。(笑)
 いや、それはさすがに図々しくない?
 そんな想いがよぎったのは一瞬で……何故か、理由はわからないけど、大丈夫な気がして、紗智は歩き出す。
「あ、そっか…」
 澄香に見せるため……だけでもないが、例の写真がバッグの中に入ったままだった。
「大丈夫だよね」
 口ではそんなことを言いつつも……写真のあるなしは関係なく、あの少年が自分を拒絶することはない……そんな確信めいた想いがある。
 寒さが和らいだわけでもないのに、紗智の歩みはさっきよりゆっくりで。
「あ…」
 ふと、紗智の歩みが止まる。
 あの少年は大丈夫……だとしても、親がそうとは限らない。
 紗智は立ち止まったままちょっと考え込み。
「ま、出たとこ勝負で…」
 そう呟いて、また歩き始めた。
 
「……ぁ」
 吐息にも似た囁きに反応したのか、弥生が目を開いた。
「目が覚めたの、御子」
「おねえ……さま?」
 ひやり、とした手が額に当てられ……その冷たさが、自分に熱があるためではなく、じっと自分の側で見守っていたためなのだと、御子は瞬時に理解した。
「あ、あの…」
「どこまで覚えてる?」
 諭すような、優しい目で。
「電車の中で、どんどん具合が悪くなって…」
「それから?」
「学校について…誰かが、私を抱え上げて…」
「そう…」
 弥生は目を閉じ……すぐに開いたが、その時はもう先の優しい目ではなくなっていた。
「御子」
「はい…」
「私も、全ての事情を知っているわけではないの……でも、救急車で病院に運ばれて、いろんな人にたくさんの迷惑をかけました」
「はい」
「校医の水無月先生に、保健室に居合わせた香月先輩をはじめ、事務の方や…(以下略)…」
「はい、お礼に回ります」
 弥生が小さく頷いた。
「それと御子、あなたは温室に向かう途中で倒れたそうよ。あの天候で、下手をすればそのまま誰にも気づかれずに、と考えるのも恐ろしいけど……あなたの姿に気づき、抱き上げて保健室まで運んでくれた人が…」
 一旦言葉を切って……弥生は、御子の目をじっと見つめてから、口を開いた。
「大げさに聞こえるかも知れないけど…あなたの命の恩人です」
「一体、どなたが…?」
「男子生徒で、一応名前は聞いておいたわ…」
「その方のお名前は、なんとおっしゃるのですか?」
「ええ…ありさきなおと…?」
「おねえさま?」
 首を傾げた弥生に、御子が声をかける。
「やっぱりどこかで聞いたような気がするんだけど…聞き覚えはある?」
 と、弥生の口調がどこかくだけたモノになり。
「ありさきなおとさん…ですか?いいえ…」
「まあ、私も一応調べます……御子は、とにかく元気になりなさい」
「はい…」
 御子は小さく頷き……。
「あ、あの、おねえさま、昨日は…」
 弥生は再び優しい目になって。
「御子…私があなたを心配するのは当たり前のことでしょう。謝罪の言葉も、お礼の言葉も必要ありません。口に出せばそれだけ安っぽくなるだけです」
「はい…ですが」
「そのまま寝ていなさい。何か運んでもらうから」
 そういって弥生は静かに立ち上がり、何か言いたげな御子を残して部屋から出ていった。
 
「せいっ」
 空気を切り裂くような夏樹の声に合わせ、身体が宙に舞う……受け身をとった瞬間にはもう、右腕の関節は固められていて。
「……どちらが弟子かわからぬな」
 とため息混じりに呟くのは、総白髪の老人……夏樹が小学校に上がる前から、護身術の師として長年に渡って指導してきた人物。
「失礼しました」
 右腕を解放し、頭を下げる夏樹。
「まあ、弟子に負けて笑っていられる時点で、自分が枯れてしまったのをつくづく感じるのだが…」
 と、苦笑いしつつ。
「正直、私の跡を継いでくれたら……と、思っとるよ」
「それは…」
 申し訳なさそうな表情を浮かべて夏樹がちょっと俯くのを、わかっているよ、と手で制して。
「橘家の長女ともなれば、進路1つとっても本人の思うようにはなるまい……他にやりたいことがあるようにも見受けられるし」
「…ぁ」
「2年ほど前から、動きの1つ1つに曇りが見られる……そんな弟子にかなわぬ、私も私だが」
 図星を指され、さらに恐縮する夏樹……が、何故今になってそれをと言いたげに顔を上げた。
「今日は、別の曇りが見えた。何か、あったかね?」
「……よく、わかりません」
「ほう」
 と、続きを促すようにあいづちをうつ。
「前に、お話ししたと思いますが……中学に上がる頃から、見ただけで相手が自分より強いか弱いかわかるようになりました」
「強ければ逃げる、弱ければ争いになる前に手をうつ……護身の術は、そこから始まる」
 まじめな顔で何度も繰り返した教えを唱え……からかうようにため息をつく。
「私を見て弱いと感じるようになったのは、4年前…か?」
 夏樹はただ静かに頭を下げる。
「よいよい…まあ、夏樹にかなう相手を捜す方が難しいだろうが」
「いえ、学校に2人います」
 さらりと夏樹。
「……」
「……先生?」
「いや、驚いた……というか、にわかには信じられない…のは、枯れてない部分があったと言うことか」
 そう呟き、一体どんな……と、目線で夏樹に続きを促した。
「1人は先せ…教師で、多分合気道か、柔術の使い手だと。もう一人は1つ下の学年ですが……こちらに関しては多分手も足も出ないと思います」
「……手も足も…」
「……先生?」
「天羽……という名か?」
 おそらく女子生徒の事をさしていると思ったのか、夏樹は首を振った。
「いえ、私個人は面識がありませんが…秋谷、という名字だったと記憶してます」
「そう…か」
 遠くを見るような眼差しで何か考え始めた師の邪魔をしないよう、夏樹はそのままじっと時間が過ぎるのを待った。
「いや、すまぬ……少し遠回りさせてしまったようだな。元々その2人は話に関係あるまい」
「あ、はい……私の通う学校の近くにある男子校の校舎が先日の大雪でつぶれて、その、男子生徒を一時的に受け入れているのですが…」
「ふむ、その件ならニュースで見知ってはいる……が、まさかその生徒の中にも夏樹より強い相手が…」
「全員みたわけではありませんが、確実に一人……もう、私では計り知れないレベルで、先の女子生徒よりも…」
 などと、またもやさらりと夏樹が答えたモノだから。
「……この歳になって、自分が思っていたより未熟であることを突きつけられるのは堪えるのう……あ、すまぬ、また遠回りさせたな。続きを」
「あ、はい……その、よくわからないのですが、もう一人…私より強いと思うんですけど」
 それまでよどみのなかった夏樹の口調が、曖昧になる。
「私の誤解だったんですが…後輩を助けなきゃと思ったから…でもないと思いますし、私より強いってはっきりわかってるのに、勝てるってわかって……」
「……?」
「勝てるって事は、私より弱いはずなのに…私より強いってことだけははっきりとわかって……攻撃は当たったのに、なんか不思議な感じがして…」
 などと夏樹の言葉はますます迷走し、師は首を傾げるばかり。
 そんなことをしている間に、道場の入り口から『おはようございまーす』などと、門下生の子供の挨拶が響いてきて。
 週に一度の、大体は日曜日早朝に単独で行われる夏樹の稽古は終了するのだった。
 
 さて、女子校の最寄り駅から南に向かって3駅行くと、紗智や尚斗に限った話ではないが、近辺の若者の遊び場となっている街がある。
 温子が去年の9月から女子校に通いだして約5ヶ月……弥生、聡美、世羽子の他のメンバー全員にとって都合のいい場所と言うことで、多少はあの繁華街に慣れ始めてはいたが、本来に温子にとっての遊びのホームグランドはその街とは別。
 温子にとって、女子校なり、例の街は家から見て北の方角にあるわけだが、遊びとしてのホームグランドである街は東南にあった。
「悪い、待たせたなアッコ」
「待たされたよ、サト君」
 日曜日、良い天気……言うまでもなくデート日和だった。
 ちなみに、アッコは温子で、サト君は悟君。
 そう、『私に二度と話しかけないで』と、威嚇するように10円玉を折り曲げながら世羽子にすごまれた、温子の彼氏、悟君である。(笑)
 ちょっぴり体重が気になるぽっちゃり系の温子……とは対照的に、悟君はちょっと線が細い、いわゆる優男系。
 今日は、色々あって約1ヶ月ぶりのデートなのだ。
「さて、とりあえず映画見るけど後は…」
 どうしよっかー……の言葉を遮るように、温子の携帯が鳴った。
「どうしたの、聡美ちゃん?」
 デートの出鼻をくじかれたというのに、いやな顔一つせずに温子。悟君もまた、穏やかに微笑みながらそれを待っている。
 そして3分後。
「ごめん、サト君。今日のデート中止」
「ええっ!?」
「まあ、夕方からでよければ」
「言っただろ。今日は両親が早く帰ってこいって」
「うん、朝10時からってのもそのせいだし。だから、今日のデートは中止かな、と」
「いったい何の用事が…?」
「大事な友人が困っているの」
「またかよ」
「恋人は一人、友人は多数……その『また』は避けられぬさだめなのよね」
 うんうんと、一人納得したように頷く温子に、さすがの悟君も不快感を露わにする。
「いったい…」
「彼氏と友達どっちが大事…なんて、安っぽい台詞は口にしないでね」
「……」
 会話を先取りされて、黙りこむ悟君。
「また、拗ねちゃって…」
 と、温子が悟君に顔を寄せて頬にキスをした。
「ん?」
 これでいいかな、と愛嬌たっぷりの表情で見つめる温子に。
「ご、ごまかされないぞっ」
 と、多少照れながらも悟君。
「ごまかされないのか…」
 そりゃそうよね…という感じに温子はちょっと俯いて。
「しかたない、アレを使うか……消費期限が迫っているような気もするし」
「何をぶつぶつ…?」
「ねえ、サト君」
 温子はにこにこと笑いながらぽんと、悟君の肩を叩いて。
「あの時、世羽子ちゃん口説こうとしたこと、私が知らないと思ってる?」
 あの時……の意味を正確に理解したのか、悟君が温子の視線から顔を背けた。
「じゃ、そういうことで…またね、サト君」
「あ、おい、アッコ。あれは…」
 弁解の余地がない事について反対に責められない……それが、悟君にとってはかえって恐怖だったようで。
「来週、ちゃんと予定は空けとくから」
「いや、だから…あれは…」
 まあ、この2人は2人なりの恋愛を育んでいたりする……悟君が温子に手玉に取られているとも言うが。(笑)
 
「やほー、聡美ちゃん」
 と、陽気に現れた温子の服を見て、聡美が申し訳なさそうに俯いた。
「……ごめん、温子」
「ゴメンって、何が?」
「その服…今日、デートだったんじゃ…」
「ピンポーン」
 と、気にしている方がバカらしくなってくるほどの屈託のない微笑みを浮かべて温子。
「……」
「聡美ちゃん、彼氏なんてのは腹八分ぐらいがいいの。不満を募らせてもダメだけど、満足させすぎてもダメなんだってば……もちろん、彼氏の性格にもよるけど」
「そ、そう…?」
「だから問題なし、というかむしろ聡美ちゃん、グッジョブ!」
 きらーん、と歯を光らせながら親指をビッと立てる温子。
「もう……優しいね、温子は」
 と、聡美が笑みを見せた。
「そっかな、弥生ちゃんや世羽子ちゃんのほうがよっぽど優しい気がするけど」
「……」
「だから、あの2人には相談できない…でしょ?」
 硬くはあったが、曲がりなりにも浮かべていた笑みがくしゃっと崩れて。
「……うん」
「まあ、泣かせるつもりはなかったんだけど…」
 聡美の顔を胸に引き寄せて。
「今は泣いた方が良さそうだね、聡美ちゃんは…」
 温子は空を見上げた。
『聡美は、温子にばかり相談するのね…』
 ほんの一週間ほど前に、弥生がこぼした言葉を温子は思いだした。
 世羽子はもちろんだが、弥生もまた聡美にとっては強すぎる人間で……他人を受け止める強さと優しさはあっても、他人を受け止めるだけの弱さがない。
 弱い人間にとって誰かに相談するという行為は、谷底に身を投げるような、壁にぶつかっていくようなイメージがあり、世羽子や弥生が相手だと、ただ自分の弱さだけを思い知らされて壊れてしまう……そんな恐怖が先立つ。
 温子は、別にそれが悪いとは思わないし、世羽子や弥生の強さを悪いとも思わない。
 ただ単純に、ジャンケンと同じで、相性の問題に過ぎないと思う。
 そうしてしばらく聡美を泣かせておき……タイミングを見計らって温子が声をかけた。
「さて、相談の前に映画でも見にいこっか、聡美ちゃん」
「え?」
 
 
 
 
 さて、1周目と話数を合わせた方がいいのかな……?
 1周目と2周目の読み比べとか考えると、絶対に日付をそろえた方がいいに決まってるけど……などと悩み中。それはさておき、青山はもちろん夏樹のプライベートが初公開。
 

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