まだ陽は昇っていないが、空は良く晴れているようだった……が、奇妙なほど生暖かい南風に、世羽子はちょっと眉をひそめた。
 窓を閉めながら、肩越しに振り返る。
「弥生、テレビの天気予報確認して」
「え…あ、うん」
 弥生はちょっと緊張した面もちでリモコンを手に取り、声こそ出さないものの、気合いを入れてボタンを押す。
 彼女の実家にテレビ部屋というモノが存在するという事実を知らない限り、弥生の振る舞いはあまり理解されるモノではあるまい。
「……まだ、慣れない?」
「そりゃあ…」
 控えめ……というよりは曖昧な笑みを浮かべ、弥生は言葉を続けた。
「この2週間で、多分3年分ぐらい見たわよ」
「世間一般的には、私も多分少ない方なんだけど…」
 世羽子の場合、ニュースと、歌番組、後は父親が見てるスポーツを何となく……程度。ドラマやバラエティを見ない時点で、おそらくは同世代の人間の平均より少なめなのは間違いなく。
『……しかし、お天気は下り坂で、夜半過ぎには雨の降り出…』
「……夜まではもつのね」
「え?」
 思わずといった感じで、弥生が窓の外に視線を向けた。
「いやな南風が吹いてるの…見た目はいい天気だけどね」
「そういや、暖かいわね今朝は…」
「おはよう」
 と、台所に入ってきたのは世羽子の父。
「おはようございます、おじさま」
「おはよう、父さん。夜から雨みたい。遅くなるならちゃんと傘持っていってね」
「そうか…今週も雪になったりは…」
「雨よ。絶対とは言わないけど、天気図を見る限りでは、雪の可能性はかなり低いわ」
 娘としてそのしゃべり方はどうか……などと、弥生は心の中で呟くのだが、本人達は……世羽子はおかしいと思ってないし、父親は慣れてしまっていたりする。
「それより、今日は早いのね」
「まあ、そのかわり帰りは遅い」
 と、弥生がいるせいか慣れないジョークを飛ばす父。
 世羽子の父親はいわゆる技術畑の人間で、勤務時間はフレックスタイム制で割と融通が利く……といっても、忙しいときははてしなく忙しくなるのだが。
 ただ、忙しいといっても単純に忙しいだけで、出世コースからは外れている……数年前までは割とコースにのっていたが、働き盛りの時期、2年以上に渡って仕事よりも優先する事情を抱えていたのだから、そこから外れたこと自体は仕方なかった。
 組織に属する個人が同情を示すことはあっても、会社という組織そのものは決して同情を示したりはしないものだ。
「弥生さん」
「はい」
 世羽子の父は、弥生のことを『弥生さん』と呼ぶ。それは初めて会った……中学3年のときからで、今に至るまでかわりがなく。
 実家で母親にそう呼ばれているため、弥生自身は違和感を覚えることもなく……というか、最初はむしろ世羽子がその呼び方に違和感を覚え、思わず父親の顔を凝視してしまったのだが、さすがにもう慣れてしまっていた。
「よく眠れてますか?」
「はい……まあ、最初はちょっと慣れませんでしたけど」
 ちょっと照れたように弥生。
 二度目の家出で、しかも図々しく押し掛けた形の自分に対し……もちろん、きちんと実家に連絡させ……という常識的な処置はさせたものの、穏やかに礼儀正しく接してくれる世羽子の父に、弥生が好意を抱かないはずもなく。
 ただ、弥生が想像したのとは少し違って、世羽子の父はただ単純に自分の娘に『普通の』友人ができた……それが嬉しいというか、ひどくほっとしていたのだ。
 ずっと前……そう、幼稚園に通うような小さな頃から、自分の娘が普通じゃないな……という漠然とした認識を抱いていたのだが、仕事の忙しさや父親としての盲目的愛情にそれは覆い隠されていて。
 止める間もなく目の前で腰まで伸ばした髪をばっさりと切り落とした小学一年生の時は、自分の失言を悔やむ方に気が回り、教師に重傷を負わせた小学4年の時は、その教師に対する父親としての怒りがそれを意識の底に押し込めた。
 今は引っ越してしまったが、かつて娘にとって唯一の友人と呼べる存在だった草加由香里……は、父親の目から見てちょっと不思議な子供だったが、世羽子そのものも友達が一人もいないので、そんなモノかと思いこもうとしていたのは、ある種の現実逃避だったかも知れない。
 次に娘の知り合いとして登場した青山……を、普通ではないことがわからないほど目は曇っておらず。
 そこにいたってついに、酒の力を借りてではあるが、『なあ、世羽子って…』と妻にこぼしたのだが、『あら、私とあなたの子供ですもの。何も心配いりませんよ』……と、若き日に一目惚れした、変わらぬ妻の笑顔に押し負けて。
 そうこうしているうちに中学に上がり……とどめとばかりに、『お父さん、私の彼氏』などと紹介された尚斗……を、娘を持つ父親としての微妙な感情はさておき、最初は普通の少年だと思っていた。
 仕事帰りに同僚と飲み屋へ寄り、ほろ酔いかげんでさあ我が家へ帰ろうかという状況で、愛娘と一緒に十数人を相手に大立ち回りをやらかしていた現場を目撃したときのショックときたらもう。(笑)
 これが、男の方が暴れ回って、自分の娘がそれを止めようとしていたのならばまだしもであろうが、むしろ逆なのだから父親としてはもうどうしようもなく。
 その後も変わらずごく自然な感じに娘と付き合ってくれている尚斗にある種の感慨を抱き、もう娘のことはこの少年に任せるしかないのかなあ……などと、父親として、人として諦念を抱いたのはまた別の話。
 父親の知る限り、世羽子にとって友人だったり、知り合いだか恋人と呼べるのはこの3人だけ。
 中身はともかく(笑)、父親的に、この次娘と知り合いになるのは一体どんな……と、戦々恐々としていたところに、弥生だったのだ。
 心中を察してあまりある。(笑)
「父さん、朝ご飯はどっちがいい?」
「できれば弥生さんで」
「あっそ……じゃ、よろしく弥生。私は洗濯に回るから」
 父の言葉に怒った風でもなく世羽子。
「え?」
「帰ってくるまではもつわよ。駄目ならもう一回洗うだけだし」
「そう…ね」
 こうしてすぱっと割り切れる世羽子を、弥生はうらやましく思うのだった。
 そして世羽子が台所から姿を消して10秒後、弥生は充分な慎み深さを示しつつも口を開いた。
「あの、おじさま…ここ数日の話なんですけど、世羽子の様子がおかしくないですか?」
「おかしいもなにも……元々変わった娘だからねえ」
 世羽子の父は一旦言葉を切り、昔を思い出すようにちょっと目を細めて言葉を続けた。
「むしろ、弥生さんと知り合ってからの方が……」
 口をつぐみ、振り返る。
 当然のように、そこに世羽子は立っていて。
「続きは?」
 
『まあ、誰にでも知られたくない過去はあるものよ』
「……なんて言われてもねえ、気になるモノは気になるというか」
 HRが始まる前の朝の教室で、温子を相手にぶつぶつと弥生。
「私、世羽子ちゃんの過去はむやみに掘り起こさない方がいいと思うな…」
「だって、世羽子ってすごく……」
 弥生はちょっと口ごもり……出来るだけ己の気持ちを反映する言葉を選んで言葉を続けた。
「…お天道様に背を向けて歩かなきゃいけないようなことはしないじゃない」
「まあ、お天道様にもよるけど」
 少し呆れたような口調と、すれてしまった大人がそうではない子供に向けるような優しい視線で温子。
「少なくとも、世羽子ちゃんは少数派に属するし」
「少数派というか……孤高の存在というか」
 
 などと、温子と弥生が会話を交わしている頃。
 
「……?」
 世羽子は、ほとんど気のせいとも思える微妙な違和感を覚えて首をひねっていた。
 窓際、一番前の席……隣には、青山。
 間違いない、ここは自分の席のはず……なのだが。
 肩越しにちょっと振り返って、青山の後ろの座席を見る。
 まだ学校には来ていないが……尚斗を、授業中こんな風に凝視していたらさすがに不自然ではなかったろうか。
 はたして本当に自分はこんな不自然に見える行動を……
「おはようございます、秋谷さん」
 鈴の音……そう形容するのがぴったりの声。
「おはよう、天野さん」
「はい、おはようございます」
 見る者の心を無条件でほわっとした気分にさせる微笑みを返して、少女が長いおさげ髪を揺らして、後ろの座席に座る。
 天野……確か、安寿。
 珍しい名前だから覚えている。
 アイウエオ順だと、秋谷という名字の宿命で大抵は一番最初になる……そう、ここは私の席……と、世羽子がぎこちなくうなずいた瞬間……不思議なことに、そんな疑問を抱いたことそのものが世羽子の脳裏から消え去った。
 
「……くはあ、絵になるなあ」
 と、教室後ろのドア付近で世羽子を眺めつつ、夢見るような表情でため息をつく男子生徒。
「外見に関しては間違いなくトップクラスの一人ではあるな」
 と、クラス内の女子に値踏みするような視線を送りながら、これは別の男子生徒。
 気の合う仲間数人で他のクラスの女子を……ちょっと言葉は悪いが物色しているのは彼らに限ったことではない。
 あのクラスに可愛い子がいると聞けばそのクラスに……騒ぎにならぬよう順番に押しかせ、ややきつそうだが保健室の校医が美人だと聞けばこれまたなんらかの口実を見つけては保健室に入れ替わり立ち替わり。
 むしろ、興味がない方が少数派だと断定しても良い。
 それはさておきこの3人組……既に昨日学校内を一回りし終えた後である。
「無駄のない立ち居振る舞いに、他人を寄せ付けない気高いオーラ……あれこそ、お嬢様だよな」
 と、熱っぽい瞳で再びため息をつく少年をちょっとなだめるように、それまで黙っていた3人目の男子生徒が呟くように言った。
「……水を差すようで悪いが、どうもマジお嬢様な生徒は男女混合クラスとは別に隔離されてるらしいぞ」
「なにっ」
 と、他に見落とした良さそうな女子はいないのかと、クラス内をねめ回していた男子生徒が気色ばむ……が、すぐ納得したように頷いた。
「そりゃそうか。俺らみたいなのと一緒には出来ないよな」
「うむ、俺が父親なら断固拒否する」
「と、すると……あのクラス女子が……」
 と、自虐的なのか現実的なのか不明な会話をかわす2人に、世羽子から視線を転じた生徒が、お前らわかってないな…とばかりに首を振った。
「家が金持ちとか、そういうんじゃなくてな……お嬢様のお嬢様たるゆえんは、魂がお嬢様なんだよ。こう、高潔…?っていうのか」
「なんだよ、こうけつって」
「ケツの位置が高いんだよ」
「なるほど、スタイルが良いって事か」
「違うっ」
 どうも真面目に取り合ってくれそうもないと悟ったのか、少年はズバリと本題を切り出した。
「俺、あの人、秋谷さんにアタックするぜ」
「おお、大きく出たな」
 と、一方は頑張れよという感じで返したのだが……残されたもう一方の少年、少し首を傾げて呟いた。
「……やめた方がいいんじゃないか」
「俺は本気だ」
「いや、本気ならよけいに……つーか、お前らクラスが違うからな」
 と、呟きから察することが出来るように、この少年は世羽子と同じ……早い話、尚斗、青山、宮坂の男子校アンタッチャブル3人組と同じクラスにいるもんだから、世羽子から漂う普通ではない雰囲気をいくらか感じ取っていたりする。
 どう説明すればよいのか、と少年は首を振り……
「いや、美人なのは認めるし、間違いなくトップグループの一人……だけど、何て言うのか、あの秋谷って、青山君と同じ匂いがしねえか?」
「あんなのが、この世の中に2人もいるかっ」
 と、声を荒げたのは世羽子を侮辱されたように感じたからか。
「つーか、本人いねえのに、君付けかおまえ」
「青山君を呼び捨てに出来るほど、腕も度胸もねえよ俺は……ボクシング部やラグビー部と一緒にすんな」
 と、肩をすくめた少年はハンドボール部所属。
 ちなみに、世羽子をながめてため息をついていた少年はボクシング部所属。
 成績の良い体育会系部活の目に見えぬ権力が増すのは世の常で、男子校の場合は、ラグビー部とボクシング部がそれに該当する……いや、該当していたと言うべきか。
 ラグビー部はこの4月にようやく対外試合禁止処分が解かれる……ことからわかるように、練習こそ真面目にこなしてはいるが身が入らないこと甚だしいし、好成績を収めてはいるモノの、ボクシング部は……以下略。
「青山に比べたら腕も度胸も……外見もいけてねえのは同じだが、俺は君付けする気はないな。つーか、そういうの気にしねえって、あの男はよ」
 と、ちょっと皮肉な物言いが目立つ少年はラグビー部所属。3人の中では体格がずば抜けて良く、身長は190近い。
 それぞれ違う部活に所属しながら3人がつるんでいる理由はしごく単純で、3人とも同じ中学の出身なのである。
「青山もそうだが、宮坂も含めてあの3人には関わらないに越したことはないぞ」
 と、ボクシング部の少年……は、1年の時に尚斗に吹っ飛ばされた経験あり。それから良い意味で怖いモノ知らずになり、ボクシングの成績も……は別のお話、またの機会に話すことにしよう。
「……でも、秋谷って」
「もう決めた。俺はやる、チャンスはつかみ取る」
 と、『なんか、青山君の知り合いっぽい』……という続きを言わせなかったのは、果たして良かったのか悪かったのか。
 
「……?」
 朝っぱらから挙動不審だった尚斗を、安寿が教室の外へ連れて行った後、ぼんやりとあらぬ方向に視線を向けていた紗智の机に、ばささっと紙の束が投げ出された。
「…はい?」
 目をしょぼしょぼさせ、身体が怪しく揺らしている……のは、畠本澄香。
 机の上に投げ出された紙の束……ではなく、それを投げ出した少女に説明を求めるような視線を向ける。
「後でレポートよろしく…」
「は?」
 鈍いわね…と言いたげにちょっと舌打ちし、澄香がチラリと視線を向けたのは、青山。
「え、あ、え?」
 澄香の顔と、机の上の紙の束に視線を交互させ……紗智がぼそりと呟いた。
「ちょっ、澄香……まさか一晩で」
「徹夜」
 いつもと同じ40×30印字だとすれば、この束の厚みからして……
「恐ろしい娘」
「まあ、気分が乗ればね…」
「えっと…まあ、ここではなんだし」
 と、紗智は立ち上がり、背中を押して澄香の席へと移動する……もちろん、紙の束を抱えて。
 聞かれてないよね…と確認するように、青山の背中に視線を向ける。
 教室中央、後ろの座席……に対して、青山は窓側から2つ目最前列。まあ、騒がなければ気づかれるはずもない……普通は。(笑)
 そして紗智は束をめくる。
「紗智…書いた本人の目の前で読むのやめて」
「まあまあ、かたいこと言わずに……って?」
 澄香の顔を見つめ、にやりと笑う紗智。
「なに?相手は尚斗なの?」
「色々聞いて回ったけど、それが自然な感じ…」
 相変わらず眠そうに目をしょぼしょぼさせてはいるが、瞳の奥に妖しい輝きがある。
「……っていうか、保健室いってくる」
「はいはーい。感想は後でね」
 と、紗智は澄香の席に座り、それを読む事に没頭し始める。
 それ故に、気づかなかった。
「あらあら…尚斗君ったら、なんてアグレッシブな」
「……?」
 顔を上げ、振り返る……と、そこにはにこやか綺羅の顔。
「いっ?」
 立ち上がりかけた紗智の肩をすっと右手で押さえ、左手で紗智の口をふさぐ……と、言葉にすると物騒な感じだが、急がず慌てず、流れるような綺羅のそれは、生徒の相談を親身になって聞いている教師そのもので。
「これは、一ノ瀬さん……じゃなくて、畠本さんかしら?」
 怒っているわけでも非難しているわけでもない、柔らかな、むしろどこか楽しげな綺羅の口調に、紗智の身体から力が抜けた。
「私としては、尚斗君には受であって欲しいのですが…これはこれで」
「いや、えっと……尚斗は藤本先生の知り合いで」
 どう言えばいいのか。
「……お気に入り?」
 平気なんですか……紗智が目で問いかける、と。
「この国の建前として、頭の中で何を考えても自由ですから」
 にこり。
 穏やかな、穏やかすぎる故にどこか底冷えのするような微笑み。
 この女教師に対して何か見落としているのではないか……そんな思いに紗智が捕らわれた瞬間、すっと、さりげない仕草で綺羅がそれを閉じてしまう。
「……?」
 綺羅の視線を追って、紗智が教室後ろのドアに目をやる……と、どこか疲れた表情の安寿と尚斗が入ってくるところだった。
「では、また後で」
「あ、はい…」
 すっと背筋を伸ばして……と言っても、見た目には力が入っているようには見えず、ただ育ちの良さだけは充分に窺わせる動きで綺羅が教壇へと歩んでいく。
 その後ろ姿を眺めながら、紗智はぼんやりと考えた。
「後で……何?」
 
『彼女の創作意欲をかき立てるためには、視覚イメージが必要ではないかしら?』
 この世の中にはやって面白いことと面白くないことの2種類しかない……という価値観に即して言うなら、それは紗智にとって面白いことだ。
 まあ、やっていいことかどうかはさておき。(笑)
『いやあの…いいんですか?』
『ですから……実際にやるかどうかは私が決めます』
 にこり。
 その、綺羅の微笑みが、どうも紗智には引っかかるのだった。
 BLは好きだ……が、もしみちろーが出てくるような話ならとんでもないと拒絶反応を示すだろう。
 もちろん、一ノ瀬紗智という人間と藤本綺羅と人間の価値観が同一ではないのだけど……と、そこで紗智はぽつりと呟く。
「藤本先生……尚斗のこと嫌いなのかな」
 なら、あの態度はなんなのだろう……。
 などと紗智が出口のない迷路を彷徨う中、昼休みの終わりを告げるチャイムの音が響き渡った。
 
 放課後。
 いつもの4人…から聡美の欠けた3人で昇降口へと向かう軽音部3人娘の後を、これまた3人の少年がついていく。
 ちら。
「……」
 ちらちら。
「……」
 それとなく肩越しに後ろを振り返り、そして隣を歩く世羽子と弥生の顔に視線を向けると、温子はちょっと思案するような表情を浮かべて弥生の制服の袖を引いた。
「弥生ちゃん、ちょっといい?」
「何よいきなり?」
「いや、ちょっと図書室で調べモノしなきゃいけないこと思い出したんだけど、手伝って欲しいな」
「わ、私が温子の手伝いなんかできるわけ…」
「大丈夫、だいじょーぶ。さっ、いくわよ、弥生ちゃん」
 と、弥生の腕をとり……温子は世羽子に片目をつぶって見せた。
「……」
 弥生を引っ張っていく温子の後ろ姿を見送ると、世羽子は小さくため息をついて歩き出した。
 昇降口を通り過ぎ、中庭の一角で足を止めて振り返る。
「何か用かしら?男3人で女の後ろを追いかけ回すのは良い趣味とは思えないけど」
 明らかに拒絶の意を含んだ世羽子の口調に、ラグビー部の少年は顔をしかめ、ハンドボール部の少年は心の中で『やっぱ、青山君っぽい』とため息をつく。
 そしてボクシング部の少年は、そのぐらい想定済みだと言いたげに肘で2人の脇腹を小突くと、とりあえず自己紹介を。
「あ、いや俺は…」
「迷惑」
 させてもらえなかった。(笑)
 あきらめろ、つーかこんな女やめとけ、とばかりに2人の少年が背中をつつくのだが、彼は撃たれ強さを発揮してなおも口を。
「私のこと知りもしないで、幻想を膨らまさないで」
「……」
 ぴしりぴしりと、話の接ぎ穂以前に、会話すら成立させてもらえない。
 と、さすがにラグビー部の少年が怒気も露わに口を挟んだ。
「ちょっと、アンタ」
「よせ」
「いや、言わせろ。こんな勘違いした女には…」
 と、世羽子を指さした瞬間、視界が回転した。
「……?」
 優しく転ばされて首をひねる少年に、世羽子が氷を思わせる口調で呟く。
「勘違いしてるのはそっち…死にたくないでしょ。弱い男は近寄って欲しくないの」
 弱い、という言葉に反応してボクシング部の少年が目を輝かせた。
「はいはい、俺…」
「ボクシングね」
「え?」
 もしや俺のことを知っていたのですか……と盛り上がりかけた少年の心に水をぶっかけるように。
「危険なスポーツだから、あまりお勧めは出来ないわね」
「……」
 3秒ほど考え、なるほど、自分には才能がないと言われたのかと理解した少年の肩にぽんっと手を置いたのは。
「この男は去年のインターハイで3位、国体でベスト4の…まあ、男子校ではそれなりのやつだ。あまり虐めるな、秋谷」
 口調こそ淡々としていたが、青山の表情はため息を1ダースほどまとめてついた……そんな感じで。
「そう、レベル低いのね」
 と、別に驚いた様子もなく呟く世羽子に、青山は苦笑を浮かべた。
「ふむ、気づかれてたか」
「当たり前でしょ」
「……えーと、青山君と彼女は…やっぱ知り合い?」
 完全に腰の引けた状態のハンドボール部の少年に頷いてみせると、青山は転がったままのラグビー部の少年の首根っこを掴んで立ち上がらせた。
「あ、う…」
 目を泳がせる少年を捨て置き、今度はボクシング部の少年の肩を叩いて囁く。
「秋谷は有崎の元彼女でな」
「…っ!?」
 弾かれたように少年の視線が世羽子に向き、マジで?と青山を見る。
「それと、秋谷は世界チャンピオンが相手でも、『レベルが低い』と言える女だから、気にするな」
 と、これは世羽子にも聞こえる程度の大きさで。
「世界チャンピオンにもピンキリまであるわよ」
 青山が肩をすくめ……た時には、ボクシング部の少年の抱えるようにして2人がその場からダッシュで走り去ろうとしていた。
「……さて、少し時間をもらえるか、秋谷」
「洗濯物が心配だから手短にお願い」
「ふむ」
 青山はちょっと空を見上げて言った。
「降り出すのは深夜だと思うが」
「日が沈む前に、よ」
「それほど手間はとらせないつもりだが…」
 と、背を向けて歩き出す青山。さすがの世羽子もついて行かざるを得ない。
「しかし…広い敷地だな」
 青山の視線を追ったのか、世羽子が先に答えた。
「学生寮のためのスペースも含めて…と、聞いてはいるけど」
 中等部の校舎と、高等部の校舎に挟まれた……とはいえ、ぽっかりと開けた空間には、ぽつん、ぽつん、と立った樹に隠れてしまいそうな小さなプレハブの建物が1つ。
「今のところ、学生寮は存在してないわよ」
「なるほど…」
「……で、どこまで行くの?」
「まあ…」
 ふと後ろを振り返り、校舎との距離をはかりながら呟く。
「このぐらいあれば…大丈夫か」
「……?」
「いや、一応今の秋谷の力は把握しておきたいな、と」
 世羽子が青山のずっと後ろを見るような目つきをして言った。
「いつも通り、見たままで判断すれば?」
「秋谷レベルになると、ちょっとの誤差が大きい」
 3秒ほどの沈黙を経て、呟くように世羽子。
「見せたくないわ」
「ふむ…だとすると、怒らせるしかなくなるんだが」
 どことなく楽しげな表情とは裏腹に、口調だけは申し訳なさそうに。
 青山も世羽子も、肝心なこと……何故、今の世羽子の力を把握しておきたいのか……に関して一言もない。
「怒らされるってわかってて、怒るわけないでしょ」
「秋谷を怒らせるのは簡単なんだが……ただ、多少気が進まない」
 『気が進まない』という言葉だけが、何故か誠実さをともなっていたように感じて世羽子は怪訝な表情を浮かべた。
「話は変わるが」
 え、ここで変わるの?と、世羽子の視線が青山に向いた……時点で、既にペースにのせられているのは言うまでもなく。
「俺も他人のことは言えないが、さっきのアレはあんまりじゃないか?」
「ああでも言わないと、次々と寄ってきてうっとおしいのよ」
 と、女性の大半を敵に回しそうな台詞を苦々しげに吐き捨てる世羽子。
「まあ、それは俺もわかるが」
 と、青山もまた男性の大半を敵に回しそうな答えをさらりと。
「ただ、秋谷から見て弱くない男なんか、有崎だけしかいないだろ」
「…昔、青山君も言ったじゃない『他のやつ相手だと洒落にならない』って」
「……手や足を出さなければいいだけの話だが」
「出ちゃうのよ」
「そうか」
 出るモノは出る、つべこべ言わないで……とばかりの断定的な口調に、青山は頷かざるを得ない。
 とはいえ、怒りではなく照れ隠しに、手が出る、足が出る、膝が出る……相手の方は、まさに命がけとなろう。
 奇妙な沈黙を挟んで、ぽつりと、青山。
「どうなっていたかな」
「……何が?」
「いや、とりあえずは秋谷が有崎と出会っていなかったら、だが」
「……青山君には感謝してるわ」
「別に、俺が有崎と秋谷を出会わせたわけじゃないが」
 青山は何か意外なことを言われたという表情で。
「正直、何となくだけど…このままだとまずいっていう自覚はあったのよ、あの頃」
 木の幹に背中を預けて、世羽子の視線は空へ。
「青山君がいなかったら、保たなかったわね、多分」
「仮にそうだとしても、有崎なら何とか……いや、そうじゃないな」
 世羽子が青山を見た。
「有崎は秋谷の前に現れただろうな。うまく言葉に出来ないが、自分を必要とする存在を吸い寄せる男だからな」
「…掃除機のような言いぐさね」
「掃除機か…微妙な違和感はあるが、言い得て妙だな」
 くすり、と世羽子が笑いながら。
「とりあえず、この3年、青山君が尚斗のそばでじっと観察してたのがよくわかるわ」
「まあ……それとは別に、自分が必要としているモノを手に入れる能力みたいなモノを秋谷は持ってるしな」
「…そう、なの?」
「多少の例外はあるし、秋谷自身の能力に追うところも大きいだろうが、自分の希望がどうにもならなかったケースは他人と比べて極端に少ないはずだ」
 世羽子の視線が泳ぐ。
「……くじ運はいいな、とは思っていたけど……確かに、能力は関係ないわよね」
「まあ、必然だな……あの近場で、遅すぎたぐらいだ」
 ふっと、世羽子の表情が険しくなった。
「何が…いいたいの?」
「有崎と出会って……はいいとして、あの時、秋谷は有崎とつきあえなかったらどうなっていたかな?」
「……青山君に言わせれば滑稽かも知れないけど、形としては尚斗の方からよ」
 表情と同じく、世羽子の口調にも険しさが漂い出す。
「最初はそれとなく、後半は露骨に、で1ヶ月ぐらいだったか…秋谷がアタックしてたのは?」
「……」
 何も答えず、世羽子はただ自分の足下を見つめている。その視線が上がったときは、気の弱い人間ならそれだけで腰を抜かしてしまいそうな目つきになっているだろう。
「あの日、秋谷の目はちょっと赤かったな……おそらく、前の夜に諦めようと思って…」
「泣いたわよ、悪いっ!?」
 予想通りの目つきで、世羽子が青山をにらみつける……が、その程度で青山に圧力を与えることなど出来るはずもなく。
「それは構わないが、自分の望みがかなっていきなり殴る蹴るはあんまりだろ」
「この1ヶ月はなんなのよって、思ったら殴りたくもなるわよっ」
「まあ、3年近く有崎をみてきたが、お節介に関しては経験による勘で行動することがほとんだな」
 話題が変わったようでいて、実際は何も変わっていないことを世羽子はわかっていた。「有崎がそっち方面に鈍いのは間違いない……が、本人が諦めた矢先に……っていうのは、ちょっとできすぎかな。本人は無意識なんだろうが」
「……」
「さてどうなっていたかな、あの時秋谷が有崎と付き合うことがなかったら……出会う前よりもっと荒んだか…」
「……」
 強い風も吹いていないのに、世羽子が背中を預けている樹木の枝がざわめき始める。
「こうは考えられないか秋谷、理屈じゃなくて勘で有崎はああ動いた。いや、動かざるを得なかった」
「……」
「有崎が秋谷とつきあい始めたのは、恋愛感情ではなく…」
「おせっかいだっていいたいの…」
 もがくように、空から雀が落ちてきた。
 地面から飛び立とうとして飛び立てず、這うようにしてその場から離れようとする……が、やがて力つきたように動かなくなった。
 そしてまた一羽……これも先と同じ運命をたどる。
「覚悟…できてるわね?」
「俺が秋谷を相手に、何か覚悟する必要があるとも思えないが」
 かつて、中学の体育館に集まった全校生徒約500名と教職員40名を恐怖のどん底へと陥れ、身動きはおろか声すらあげることをさせなかった世羽子のそれ。
 20名ほどは深刻な心的外傷に悩まされることとなり、その半分程が療養のために転校を余儀なくされ……たのはまた別のお話。
「相変わらず、妖怪じみた殺気を無差別に……もうちょっと、校舎から離れるべきだったか」
 と、軽口を叩く青山の額を観察すれば、薄く汗が浮き始めている。
 青山をして能力を制限されるほどのプレッシャーなのだが、それでも尚2人の実力差には開きがある。
「まあ、怪我させないように手加減してやるから、殺す気でかかってこい……ストレス解消のためにもな」
 後半部分は聞こえないぐらいに小さく……。
 ひらり、と舞い落ちた木の葉が青山の目の前で文字通り木っ端みじんになって飛び散る……が、青山の姿は既にそこにはない。
 世羽子の左手がこれ見よがしにスカートのポケットから何かを取り出す……刹那、黒い影が2つ青山の顔面に向かって飛ぶ。
 その物体が10円玉であることを確認するだけの余裕を持って、拾いに行くのが面倒だろとでも言いたげにわざわざ上へ跳ね上げてやる……が、それを見越したかのように渾身のストレートが後を追った。
「…」
 素直すぎる…という疑念からか、ひきつけるだけひきつけてギリギリで避けようと青山が頭を振った瞬間、世羽子の拳から尖った何かが飛び出した。
 読み負けか、と青山の口元に苦笑が浮かぶ。
 予定よりも大きい動きはわずかに青山の体の自由を制限し……そこをすくい上げるような左アッパーと、石つぶて……をブロックするだろうという世羽子の読みの上を青山がいく。
「……かわすの」
「蹴りも使っていいぞ……というか、何でもありでかまわん」
 暗器や飛び道具、石つぶては何でもありのうちには入らないの……などと、紗智あたりから泣きが入りそうなことを青山が口にする。
「……」
 右手に持った小さなボールペンを1回転させてポケットに落とし込み、世羽子は左手を前に突きだした格好で構えた。
 肘に遊びがない完全に突きだした状態の左手を見て、青山が右手をちょっと上げてわずかながら構えをとる。
「ふむ、天才だったな秋谷は…ちょっと忘れていた」
「……ちっ」
 軽く舌打ちし、世羽子が構えを解いた。
 身体能力で格段の開きがある状態では、意表を突かない限りどうにもならない。
 殺伐とした気配の中に、どこか丸いモノがあった。
 この場に尚斗がいたならば、ああ、稽古してるのか……と、呟いたことだろう。無論、尚斗だから言えることだが。
「…っ」
 前蹴り。
 地味だが、最も危険な技の1つ……無論、当たらない。
 引っ込めかけた足を跳ね上げて、前蹴上げ……と同時に、軸足が地を蹴って世羽子の身体がふわりと舞う。
 膝とかかとの挟み撃ちから、まるで液体のように青山の身体がすり抜ける。
 強くなっている…世羽子はそう感じた。自分が、ではなく青山が…である。
 そして数分後。
「……他人のことは言えないが、いくつ仕込んでるんだ秋谷」
「前よりは…少なくなったわよ」
 ナイフのようなあからさまなモノこそないが、針、テグス、文房具、片面だけ黒くさびた十円玉……以下略。
「で、気は済んだか?」
「すむわけっ…」
「ないよな、そりゃ」
 まさに仕方なく、と言った感じで青山は世羽子の両肩を外した。
「ぐっ」
「気は進まない、とは最初に言ったぞ」
 片腕ならまだしも、両腕が不自由だとさすがに元に戻せない……のだが。
「こらこらこら」
 無理矢理元に戻そうとする世羽子をおさえつけ、これまたしかたなく青山自ら元に戻してやる。
「……わかったわ」
「何を?」
「気はすまないし、絶対に許さないけど、とりあえずおとなしくするわ」
「ふむ…」
 と、世羽子の背中から離れた瞬間、電光石火……という言葉がぴったりの攻防の結果。
「……一番意表を突かれたな、今のは」
 喉元3センチ手前で止まった針を持った世羽子の手を青山が押さえつけている。
 意表さえ突かれていなければ、手前1センチまでは我慢したはずで……その差2センチが、まさか世羽子がそういう嘘を付きはしないだろうという心の隙と言ってしまえばそれまでだが。
「……怒らせるためだとしても、殺されても仕方のないことを言ったはず」
「……有崎家の男子は、勇者の血筋か」
 父親といい、息子といい……と、ため息混じりに青山。
「まあ、それはそうだが……殺した後のことを考えろ」
「制服でも破くわよ」
「いや、有崎が」
「こんな時だけ都合良く尚斗のことを持ち出さないでっ!」
「被害者面をするな、秋谷」
 突き刺すような口調に、世羽子の身体が強ばった。
「あれで怒るって事は、そもそも有崎の事を信用しきれていないだけの話だし、第一、勝手に惚れて、勝手に腹を立てて、飛び出した……まるっきり雪女そのまんまだな」
「……」
「あの件に関しては…秋谷、お前が有崎より悪い」
「……くっ」
 世羽子の手から針が落ち……窮屈な体勢からそのまま青山の顎先をかすめるように爪先が通り過ぎていく。
「青山君に、何がわかるのよっ」
 そう言い捨て、世羽子は走り去っていった。
「……ふむ、多少は頭が冷えたか」
 後ろ姿を見送りながらそう呟き、校舎の方に向かって歩き出す青山……が、先の場所から少し離れた木の陰で腰を抜かしたように座り込んでいる少年に話しかけた。
「まあ、ああいう女だ……お前の手に負えん」
 
 さて、ここで話は少し前後する。
 
 放課後の教室、自分の席で何かを考えている尚斗が一人……と、もう一人。
 尚斗の側に立ち、じっと天井を見つめ……まずはそちらに向かってぱちんと手を叩いてから、尚斗の後頭部に触れるかどうかの位置に手をかざす安寿。
「……?」
 少し首を傾げ、今度は手の位置を変えて口の中でもごもごと何かを呟き。
「……なんか、この人の頭の中おかしいですよ」
 口調から、いつもの『〜♪』が抜けた、不思議そうな口調。
 1限から6限まで、それとなくさりげなく観察した結果、やっぱり自分の正体がバレバレなのでは……そんな不安に襲われて確かめようとはしたモノの。
「……う〜ん」
 ちょっと考え込み、安寿は尚斗の眉間を人差し指でつついた。
「有崎さん」
 
 話は戻る。
 
 尚斗の上に少女が馬乗りになった格好……は、否応なく世羽子に男女の関係を連想させた。
 わき上がる怒りと嫉妬……今の自分にはその資格さえないのか、と世羽子はその場から走り去った。
 今少し冷静だったなら、何かの間違い、もしくははずみだろうという判断を下せただろうが……あいにく、先の青山とのやりとりで世羽子は普通ではなかった。
 いや、そもそも男子校生徒が女子校にやってきた時点から普通とは言えないのだが。
 教室から遠く離れた廊下の片隅で、壁に右手をつき、呼吸ではなく心を落ち着けようと小さく深呼吸していた時のこと。
「……っ!?」
 それまで皆無だった人の気配がいきなり、しかも逃れようもない背後に出現したのだから世羽子はさらに動揺した。
 振り向きざまに左のバックハンドブロー。(笑)
 しかし視界に移ったのが、無邪気に微笑んでいる安寿……で、世羽子は慌てて左腕を制御にかかったが、ほんの少し間に合わなかった。
 本来の威力にはほど遠いとはいえ、顎先を薙ぎ払われた安寿は壁に叩き付けられ、そのまま糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
「……しまっ」
 左手に残る感触から、まず深刻なダメージを与えていないことは確か。
 これが男子ならば放っておいたかも知れないが(笑)、世羽子は気を失ったらしい安寿を慌てて抱き起こした。
 頭を揺らさぬよう、呼びかける。
「天野さん、天野さん?」
「くっ…う…」
 気がついたのか、何かを求めるように伸ばされた安寿の手のひらが世羽子の額に押し当てられた……瞬間、世羽子の頭が弾かれたように後方に飛んだ。
「……」
 廊下に倒れた世羽子と入れ替わるようにして、安寿が頭を不利ながらよろよろと立ち上がった。
「…こ、殺されるかと…思いましたあ〜」
 そう呟き、ちょっとよろけて壁にもたれる。
「……そういえば…黙って背後に立ったら殺されても文句言えないわよって、昔…」
 安寿はちょっとそこで首を傾げて。
「……誰に言われたんでしたっけ?」
 そのまま数秒。
「あ、いやそんなことしてる場合じゃ」
 ぶんぶんと首を振り……さっきのダメージが残っていたのか再びよろけ、這うようにして世羽子に近づいて、頭に手を当てた。
「さて…っ!」
 何か熱いモノにでもふれたかの様に、安寿がすごい勢いで手を引っ込める。何故か頬のあたりをぽうっと赤く上気させて。
「こ、この人…」
 自分の手を抱きしめるようにして、世羽子の顔をのぞき込み。
「あ、有崎さんのことすっごい好きなんですねえ〜♪」
 火照った頬に鎮まりなさい、と話しかけるように手を当ててから、安寿はあらためて世羽子の頭に手を伸ばす。
「…うっ…くっ……って、強烈な思いだけに、こっちまで〜♪」
 くすぐったさを我慢するかのように身体をもじもじさせる安寿の頬は、どんどんと色づいていき、やがて耐えかねたように大きく息をはいた。
「なるほど…お二人は付き合って…ちょっと人間離れしてますけど色々あったんですねえ〜♪」
 と頷いた安寿だったが……何かに気がついたように慌ててぶんぶんと首を振った。
「ふ、2人のプライバシー詮索するのが目的じゃなかったです〜♪」
 どうやら当初の目的を見失っていたらしい。(笑)
「あ、でも〜♪」
 ちらり、と世羽子の顔を見て。
「でも〜でも〜♪」
 ぶんぶんと身悶えするように。
「いや、これは、有崎さんに恩返しするための下調べというか〜♪」
 などと、誰かに言い訳をしながら。
 世羽子のプライバシーはとことんまで侵略されていくのであった。(笑)
 
 そして図書室。
「温子っ、私洗濯物片づけなきゃいけないからっ!」
 と、資料の山に耐えかねた弥生が温子から逃げ出していたりする。
「……さって、世羽子ちゃんはどうだったかな?感じの良さそうな男の子だったし〜」
 などと、温子は温子でこれぽっちも調べモノをするつもりもなく、明日世羽子に出会った時のことを楽しみにしていたりするのだった…。
 
 
 
 
 ちびっこの出番はまだか……。
 
 

前のページに戻る