「よせよお前ら、この人が嫌がってるじゃないか」
 女子高生をかばうようにして、ガラの悪そうな3人組と向かい合う。
「……」
 ちょっと顔を見合わせ、男達はげらげらと笑いだした。
 周囲の大人達が見て見ぬ振りをしていた中で、ただ1人現れたのがランドセルを背負った小学生ともなれば当然の反応か。
「こら、ガキ。俺達はこのお嬢さんに乗る電車を間違ってるって教えてただけだ」
「そうそう、そのついでにお礼でもしてもらおうってな……親切にされたらお礼をする、学校で習わなかったか?」
「見返りを求めるのは親切じゃないぞ」
「……口の減らないガキだな」
 毅然とした態度をとり続ける小学生の姿に感じるモノがあったのだろう、見て見ぬ振りをしていた周囲の大人が行動を開始しようと思った時はもう手遅れで。
 男の手が少年の顔を薙いだ……と、周囲の人間が思わず目をつぶった瞬間、男の1人が腹を押さえてその場にうずくまった。
「……こ、このガキっ!」
 大ぶりの右に合わせての右が顎の先を打ち抜き、男は即座に白目をむく。
 本来ならこの3人組の戦闘力が上回っていただろうが、1人目は驕り、2人目は動揺……そして3人目は焦り。
 カウンターで思いっきり腹を殴られ、地獄の苦しみにのたうつ結果となった。
 目の前で起こった出来事が信じられないというよりは信じたくないのか、周囲の人間はピクリとも動かず、ただ呆然と少年を見守るのみ。
「あの、大丈夫ですか……おねえさん」
「……」
 女子高生は心もち頬を赤く染め、目をつぶったまま何かを堪えるようにフルフルと首を振っている。
「おねえ…さん?」
「恐かったのっ、ありがとう」
「わ、わわっ」
 いきなりぎゅーっと抱きしめられた。
 柔らかな胸が頬に押しつけられ、なんとも不思議ないい香が鼻腔をくすぐる。
「(あれ……本当に恐かったのかな?)」
 声は伸びやかで、身体が震えているわけでもない事に今さら気付く。
『次は……、……』
「(あ、駅に着く…)」
 
「……」
 目覚ましを止めた姿勢のまま、尚斗は暗い部屋の中を見渡した。
「ふむ……」
 とりあえず、1つ頷く。
「……出来ることならいっぺんに思い出させて欲しいです、安寿さん」
 
『逃げるんだよ、お前達!』
『あらほらさっさー』
『…って、馬鹿。そっちはダメっ!』
『ぺたっとな』
『このすかぽらちんきっ!』
「〜ごっきーごっきーあらほらさっさ〜♪」
 コマーシャルの台詞を頭の中で反芻しつつ、歌を口ずさみながら昨日仕掛けたそれを覗き込んで尚斗は目をむいた。
「……すっげえ」
 一言で言うと、満員御礼……大入り袋間違いなし。
「こっちは……」
 1匹……題を付けるなら、冬の海。
「こっちは……うわお」
 7月下旬の海水浴場。
 などとごっきーを捕獲しているモノを回収、そしてまた新たに仕掛け直してから尚斗は焼却場へと走った。
「しかし……ここまで大量に捕れると、なんか嬉しくなるぞ」
 焼却炉の隣のコンクリート打ちの上に、昨日の掃除で集められていた落ち葉とあらほらさっさを手早く積み上げる。
「……芋でも焼くんですか?」
「……このたき火で焼いた芋はさすがに食いたくないな」
「……?」
 結花が不思議そうに首をひねった。
「……って、なんですか。このあらほらさっさの山は…」
「触るなあっ!」
「…っ!」
 結花が首をすくめ、脅えたように尚斗を見た。
「あ、いや……ちょっとトラウマになっちゃいそうなぐらい、ぎっちぎちのぎっちぎちだから」
「……黒いやつがですか?」
「うん」
「別に、ゴキブリぐらいどこにでもいますよ」
「あぁ、平気なのか……だったら、一見の価値はあると思う」
 尚斗の指し示したそれを手に取り、結花は中を覗き込む。
「うわっ」
「すごいだろ?」
「こ、こんなの初めて見ました……ちょっとドキドキしてます」
 結花が自分の胸にちょっと手をあてた。
「……と言うわけで、燃やすのだよ」
「そ、その前に写真撮っちゃダメですか?」
 そう言いながら結花が携帯をとりだす。
「そりゃかまわんが……どうすんだそんなの?」
「いや、恐いモノ見たさというか……友達に見せたらすっごいことになりそうですし」
「……ダメな子は本当に怖がるみたいだから、注意しろよ」
「当然です」
 結花は大きく頷き、それを携帯で撮影する。
「じゃ、燃やすか…」
「……炎色反応にちょっと興味がわきます」
「……ちびっこ」
「なんですか?」
「ライター持ってる?」
「持ってるわけないです」
「それもそうか…」
 尚斗はポケットを探って繊維ゴミを集め、近くにあったガラス片でゴミをコンクリートに押しつけるように摩擦し始めた。
「……そんなのでつくんですか?」
「ま、1分もあれば……と、ほら」
 小さな火種に細かく砕いた落ち葉をばらまき、それに落ち葉を近づけ、火をつけることに成功。
「……いいですね、冬のたき火って」
「最近は、ダイオキシンがどうとか、火の粉が散って危ないとか言われて出来ない所も多いらしいけどな…」
「……ダイオキシン、出ますかね?」
「ごっきーだからなあ…」
 ユラユラと揺れる炎を見つめながら、ぽつりと結花が呟いた。
「……幻想だったかも知れません」
「何が?」
「夏樹様はあくまできっかけで……演劇が好きな、少なくとも興味がある人間が集まってると思いこんでました」
 ぽん、とちびっこの頭に手をおいて。
「今さら時間がないとか……そういう理由にちょいと頷くところがあるから強く言えないし、上手く説得できないという所か」
「……はい」
「すまん……俺がちょっともたもたしてたせいだな」
「それは違います」
 頭を撫でられながら、結花が首を振った。
「……にしても、1日やそこらでよくそこまで持っていったな」
「途中で挫折したら、なんにもならないですけど…」
「……これはちょっとした裏技なんだが」
「はい?」
「大道具製作とか、手間がかかったり力仕事だったりする作業に、そういうのが得意な男子生徒を15名ばかり集めてやろう」
 結花の肩がちょっと揺れた。
「その上で夏樹さんにシナリオを修正してもらえば……誰の目にもどうにかなるような気がして、説得できるんじゃないか?」
「……」
「人間の可能性は無限かもしれないが、それでもやっぱり限界ってヤツはある……お前1人で何でもかんでもやろうとするな」
「……ですが」
「手伝ったヤツらは演劇部のうち上げにでも呼んでやってくれ……ギブアンドテイクって事で」
「……鼻の下を伸ばした連中ですか?」
「心配ない。馬ににんじんというか……作業中は馬車馬のように働くことは間違いない」
 尚斗はにっと笑って、言葉を続けた。
「なにせ、花も咲かない男子校だから」
「……黒い花が」
「ノーコメント」
 ちょっとため息をつき、結花は尚斗の手を押しのけた。
「お願いできますか?」
「それはいいが、男子生徒に対して演劇部員が難色を示すんじゃないかちょっと心配なんだが」
「大丈夫です」
 ちょっと胸を張って。
「花が咲かないのは、男子校だけじゃありませんから」
「……白い花が」
「ノーコメントですっ」
 ちびっこのタックルは、ちょっぴり手加減気味だった…。
 
「……有崎、会社でも興すのか?」
「いや、そういうワケじゃ…」
 首を振りながら、尚斗は腰を下ろした。
「あっという間に人が集まったのを喜ぶべきか、それとも同じ男子校生として悲しむべきか…」
「ま、信用あるからな有崎は……そういう意味では、宮坂にも間違いなくそれはある」
「じょにーはプロだからな」
「あ、そうそう…」
 青山が思い出したように呟いた。
「藤本先生がHRで言ってたが、来週の火曜日に球技大会を行うことが決まったそうだ」
「……なるほど」
 尚斗は1つ頷き、宮坂の席に視線を向けた。
「ヤツの季節だな」
「言うまでもなく、大はしゃぎしてたな」
「あのさ尚斗、宮坂君ってスポーツ得意なの?」
「得意も何も……ヤツをたとえて言うなら、野球をやってないアストロ超人だ」
「お前が言うな、有崎」
 と、青山。
「……あなたもでしょ、青山君」
 と、これは窓の外に視線を向けたままの世羽子。
 それを聞いて、紗智はぐっと右手を握りしめた。
「じゃあ、ウチのクラスの優勝は決まり?」
「優勝すると何かいいことでもあるのか、一ノ瀬?」
 青山の冷ややかな視線を受けて、紗智は信じられないモノを見た様な表情を浮かべ、両手を机に叩きつけた。
「何言ってんの、勝負なのよ、勝負!限界ギリギリの戦いの中でお互いを認め合い、友情が芽生え、それはやがて愛情へと…」
 うっとりとした表情を浮かべた紗智のポケットから、一冊の文庫本が顔を覗かせていたりするが、内容については触れない事にする。(笑)
「限界ギリギリの戦いの中でお互いを認め合い、友情が芽生える……ね」
 青山の口調に何か感じたのか、紗智がじろりと睨んだ。
「何が言いたいの?」
「別に…」
 青山はちょっと肩をすくめて立ち上がった。
「……有崎、今日はこれから用事があるんで俺は帰るぞ」
「了解」
 教室を出ていく青山の背中を睨み付けながら、紗智がぽつりと呟いた。
「……何でもお見通しみたいな顔して」
 
「いやあ、どれに出場しようかなあ……男子校の球技大会は廃止されたから随分久しぶりだし」
 チョコパンを口にくわえつつ、宮坂が楽しそうに呟く。
「……どれでも一緒だろ、お前なら」
「いや、そうじゃなくて…」
 宮坂がちょっと手を振った。
「どの競技が女の子の注目を浴びて、なおかつ個人技をアピールできるか……それが問題でなあ」
 何やら妄想でもしているのか、宮坂がにやつきながら天井を眺める。
「……尚斗、宮坂君ってそんなすごいの?」
「よくぞ聞いてくれましたっ!」
「わっ」
 いきなり現実へと舞い戻ってきた宮坂の勢いに、紗智がちょっと腰を引いた。
「スポーツの神の寵愛を一身に集めるこの宮坂幸二、華麗な姿を網膜に焼き付けることを約束しましょう…」
「……帰宅部じゃなかった?」
 宮坂は前髪をちょっとかき上げ、白い歯をきらめかせながら囁く。
「溢れる才能を1つの競技に縛り付ける事は罪です」
「……そういうこという人間に限って」
 尚斗が紗智の肘をちょっとつついた。
「ん?」
「ウチのラグビー部って結構強いけど知ってるか?」
「知ってるわよ、確か1年の時は全国大会出場を決めたのに……」
 紗智の言葉が途切れ、その続きを尚斗が呟く。
「……選手登録してないメンバーが試合に出てたという指摘を他チームから受けて失格騒ぎ……今年はそれで出場停止処分」
「……えーと、宮坂君が活躍した証明には」
「こいつの1試合平均得点が42点……元々うちのチームは強かったからここぞという場面以外は目立たないようにしてればいいのに、馬鹿が張り切って活躍するから注目されてばれた」
「一応、手は抜いたつもりだが」
「……というか、何で部外者が」
「あははのは」
 乾いた笑いをあげ、尚斗がちょっとそっぽを向いた。
「……大会前に、誰かさんのせいで五体満足のラグビー部部員が激減したからだよな。選手登録が間に合わなかったのもそのせいだし」
「……何やったの、尚斗」
 紗智の質問には答えず、尚斗はため息混じりに呟いた。
「お前さえばれなきゃ、お互い停学処分がチャラになったのにな」
 肩をすくめながら、宮坂が首を振った。
「おいおい、相手チームのバックス4人を引きずりながら平然とトライを決めた馬鹿が言うなよ……技術がないからって基礎体力にモノをいわせやがって」
「仕方ねえだろ、ルールもろくに知らなかったんだから。それに、あの後から俺は決勝まで攻撃には参加しなかっただろうが」
「……準決勝で、日本高校選抜に選ばれてるフォワードをタックル一発で病院送りにしたよな……可哀想に」
「いや、いい動きしてたからついお前を相手にしてるような気がして…」
「確かに、腰からすくい上げるようにして叩きつけろとは言ったが、パワーボムまがいのタックルはあんまりだろ…」
「……もういい。アンタ達2人のアストロ超人っぷりは良くわかったから」
 紗智は呆れたように首を振った。
 内心、尚斗のせいで男子校の球技大会が廃止されたに違いないと思いつつ。
 
 キーンコーンカーン……
 4限目、そして流れるようにHRが終了し、放課後到来。
 部活動を行っている人間はともかく、帰宅部にとって土曜の放課後はなんとなく心浮かれる時間帯だったりする。
「尚斗」
「ん?」
「じゃんけん…」
 世羽子の声につられ、尚斗はついそれにつき合ってしまう。
「私の勝ち…ね」
「……俺、世羽子にじゃんけんで勝った記憶がないんだが」
「じゃあ、つき合ってもらうわよ」
「……はい?」
 そして10分後。
 尚斗はギターを手渡され、軽音部の部室に立っていたり。
「……えーと?」
 1週間ぶりの散歩に我を忘れて走り回り、ふと気がつくと飼い主の姿はもちろん、いつもの散歩コースからも外れていることに気付いた犬のような表情を浮かべて尚斗は世羽子を見つめた。
 世羽子は黙々とベースギターの調整を……ならばと弥生に視線を転じれば、こちらこちらで何やら尚斗の視線から逃れるように咳払いしたり、器材をいじったり。
「……ちょいと、香神さん」
「温子」
「……はい?」
「記念すべきファーストセッションを行おうとする仲間に、他人行儀は呼び方はいけないと思うよ」
 楽しくてたまらないという表情を浮かべ、温子はくるくるとスティックを回す。
「……温子ちゃん」
「『ちゃん』はいらない」
 くるくると回り続けるスティック。
「……温子」
 温子の手の中で、スティックがピタリと回転を止めた。
「なあに?」
「何故俺は、ここでギターを持たされたりしているんだ?」
「それは、尚斗君がギターを弾けるからだと思うな」
「ギターが弾ける弾けないなら、俺なんかとは比べモノにならないぐらいギターが上手い、青山というヤツを紹介して…」
「絶対イヤっ!」
 世羽子と弥生が同時に、断固拒否の声を張り上げた。
「……」
「……だって、尚斗君」
「世羽子の反応はとりあえず良しとしよう……が」
 尚斗が弥生を見た……顔を背ける弥生。
「そういや、面識があるようなこと言ってたけど…」
「青山って人、そんなにギター上手いの?」
「ん、ああ、俺レベルだと批評するのがはばかられるぐらいかな」
「むー、それはちょっと聞いてみたいか……」
「聞きたいなら、私が帰ってからにしてね」
 世羽子の凍り付くような視線と口調を受け、温子が不思議そうに瞬きした。
「じゃ、そろそろやりますか…」
 と、マイクを持って弥生。
「尚斗は適当についてきて」
 ベースギターをかまえつつ世羽子。
「え、ぶっつけで大丈夫なんだ…感心感心」
 のほほんと微笑みながら温子。
「……まあ、ぼちぼち」
 尚斗が頭をかいた瞬間、弥生の澄んだボーカルが周囲を支配した。
 ドラムもギターも無し、いきなりボーカルから入る構成曲……だが、弥生の声はその構成を支えるだけの力が持っていて。
 ボーカルが一旦途切れたのを合図に、温子のドラム、世羽子のベースが入り、曲調がいきなりアップテンポに。
 尚斗の知らない曲ではあったが、メロディの拾いやすい曲だっただけに2番の頭からきっちりとギターで参加した……が、2番の途中で突然温子がドラムスティックを尚斗の後頭部に投げつける。
「痛っ…?」
「ギターがドラムを無視してどうすんのっ!」
 いつものほほんとした雰囲気の温子だけに、怒るとなかなかに迫力がある。
「あ、いや…つい…」
「でも……有崎のギターのリズムって、温子のそれより正確な気が…」
「むー、私のドラムだって正確だもん」
「温子は、その場のノリを重視してリズムをコントロールするからね……というか、尚斗のギターはバンドに向かないって意味わかった?」
 世羽子がちょっと弥生に視線を向け、言葉を続けた。
「マンツーマンの伴奏ならまだしも」
 温子がちょっとため息をついた。
「ドラムを無視して弾けるってのはある意味すごいと思うけど…なんか、私の存在を否定された気分」
「ゴーイングマイウエイだからね、尚斗は……音楽に限らず、何かに流されるって事は滅多にないわよ」
「じゃあ、有崎がドラムを…」
「弥生ちゃんっ」
「冗談だってば、温子」
「……何やらジャンケンに負けて連れてこられて、その上ぼろかすに言われる俺って、結構可哀想だと思うんだが」
「それもそうだね…ごめん」
 温子がちょっと頭を下げ、人なつっこい笑みを浮かべた。
 
「私は、有崎のギター好きだけど…」
 特売のキャベツを買い物かごに入れながら弥生が言葉を続けた。
「…というか、知らない曲をぶっつけで弾けるってのがすごいよね」
「世羽子」
「……聞きたいことは大体わかるけど、何?」
 尚斗はにんじんの袋をかごに入れながら言った。
「弥生は、耳コピとか出来ない人なのか?」
「できないのよ、これが……というか、それ以前にギターの弾けない人だから」
「有崎、有崎。あの豚肉、特売の豚肉お願いっ」
 タイムサービスに群がるおばちゃん連中の圧力に屈したのか、弥生が『お願い』とばかりに頭を下げる。
「……はいよ」
 圧力をものともせず、速やかに豚肉をゲットして弥生に手渡す尚斗。
 ちなみに、3人がいる場所は夕暮れのスーパー。
 女子校の最寄り駅の駅前に昨日オープンしたばっかりで、店内は混雑きわまりない状況だった。
「帰り道で買い物できるのは良いんだけど…」
「売り場を広くとろうとしすぎて、通路が狭過ぎるわね…客の動線想定も悪いし」
「……というか、特売品はまだしも全体的に高くないか?」
 3人の表情と視線が、このスーパーはダメだと語っていたり。
 中学の頃から家事を切り盛りせざるを得なかった尚斗と世羽子はともかく、お嬢さまである弥生の順応性の高さはなかなかのモノと言えよう……あるいは、その育ちの良さが要因なのかも知れないが。
「立地は良いかも知れないけど……あのままなら早晩つぶれるな」
「その時は閉店セールがあるでしょ」
「ふ、2人とも……結構シビアね」
 そんなことを話しながら、買い物袋をぶら下げた3人が並木道を歩いていく。
「……日が長くなったわね」
 空を見上げながら、世羽子がぽつりと呟いた。
「まあ、短くなる一方だと困るし」
「そういう意味で言ったんじゃないわよ…」
 弥生がちょっと歩く速度を遅らせ、2人の背中を見るような位置へと移動した。
 何気ない会話をかわしながら、2人の背中を見守る弥生の視線は柔らかい。
「どうかしたの、弥生?」
「ん……なんか、2人っていいなあって思って」
「……何言ってんの」
 少々頬を赤らめて世羽子。
「なんて言うか……失敗するのは別に悪い事じゃないのかなって気持ちになる」
 空を見上げる弥生のポニーテールが風に揺れた。
「……?」
「そんな甘くないのはわかってるし、チャンスが二度も三度もある何て事もないだろうけど……2人を見てると、やり直す機会があるって信じられるような気がする」
 弥生の言葉が、おそらくは違う意味に使われている事を2人は悟り、礼儀正しく沈黙で応えた。
「道を歩けば、上り坂や下り坂があるのは当たり前……多分大事なのは分かれ道で、そこには後悔のない選択肢は存在しないんだよね…」
 暮れゆく空を見上げる弥生の瞳は、強い意志に満ちていて。
「ぼーっとしてたら置いていくわよ、弥生」
「あ、待ってよ世羽子…」
 
 ピンポーン。
 夕飯の洗い物を中断し、尚斗は玄関へと向かった。
「よう」
「遅かったな」
「……ちょっとは驚けよ、尚斗」
「まあ、そんな気がしてたというか……あがれよ」
「悪いな」
 洗い物を再開した尚斗の背中をみつめ、みちろーが口を開いた。
「変わらないな、尚斗の家は」
「……」
「俺の住んでた家ってもうないんだ……知ってたか?」
「そうなのか?」
 みちろーがお茶を一口飲んだ。
「生まれ育った町なのに、居場所がないってのは変な感じだ」
「別に、いつでも泊めてやるよ」
 尚斗が手を拭きながら振り返り、言葉を続けた。
「前もって連絡さえくれたらな」
「そっか……」
 穏やかな笑みを浮かべたみちろーに向かって尚斗は言った。
「……確か、進路がどうとか言ってたな」
「このまま向こうで大学に行こうと思ってるのと、寮を出て1人暮らしを始めようと思ってる……今日は、それを父さんと母さんに言いに来た」
「1人暮らしか……別に、大学に上がるまでは寮のままでもいいんじゃねえの?」
 みちろーは再びお茶を含んだ。
「……書類上はともかく、今の俺ってどっちの子供でもないような状態なんだ」
 母親と共に暮らすでもなく、父親と共に暮らすでもない、学校の寮生活のことを言ってるかと尚斗は思ったのだが、それに気付いたようにみちろーが告げた。
「2人とも新しい家庭を持って、俺は2人から生活費を貰ってる…そういうことだよ」
「そう、なのか…」
「親の金で、甘えるな……そう言われるだろうけど、俺は帰る場所が欲しいんだ」
 微かな沈黙…それを破って尚斗が言った。
「許可、もらえたか?」
「ああ……父さんも、母さんも、心のどこかに俺に対する負い目を抱えてるから。2人とも、新しい家庭を作ることに夢中で、俺の居場所を考えてなかったみたいだし」
 そう言ってみちろーがちょっと笑った。
「ずるいだろ、俺?」
「いや……いいんじゃねえの。何も感じなくなったらまずいとは思うけど」
 尚斗は一旦言葉を切り、遠くを見るような眼差しで天井を見つめた。
「今の高校を選んだのは……そのあたりが関係してたか」
「いろんなモノから、思いっきり遠くに逃げてしまおうと思ってた……」
 そう呟いたみちろーに微苦笑が滲む。
 完全に割り切ることが出来ていないのだろう……が、少なくともそれを話すことが出来るぐらいには割り切ることが出来たのか。
「……5年か」
 今振り返っても、決して短くはない……尚斗達にとっては、今まで生きてきた時間の3割にも相当するのだから。
「みちろー」
「何だ?」
「もう、この町には戻ってこないつもりなのか?」
 みちろーはゆっくりと目を閉じ、嘆息するように呟いた。
「ああ…」
「じゃあ、俺にも会ったし、やり残したことは1つだけ……だな」
「明日言うよ」
 
 
                   完
 
 
 とりあえず……高任の中での山は越えました。(笑)
 

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