「……親父、今日は随分ゆっくりだな」
「ん…」
 新聞を見ながら、父が曖昧に返事する。
「……年度末に向けてまた忙しくなる、とか言ってなかったか?」
「尚斗」
「何だよ?」
 新聞から顔を上げた父の笑顔が妙に爽やかで。
「今日は、迎えに来ないのか?」
「……何を期待してやがる、このクソ親父」
 ピンポーン。
 洗い物をしていた分、尚斗のスタートが遅れる……が、圧倒的な身体的能力の差が、その出遅れをチャラにした。
 玄関に向かってひた走っていた父親を居間の中に蹴り飛ばし、尚斗は何食わぬ顔で玄関を開けた……もちろん、御子がやってくるなどとは夢にも思っておらず、訪問者が女の子だとしても精々が紗智だろうぐらいのヨミで。
「……おや?」
「あ、あの……おはようございます」
 深々と頭を下げる少女は、やはり九条御子以外の何者でもなく。
 
「……お姉さまが、また家を出てしまいまして」
「……」
「プチ家出…です」
「それはつまり……前と同じ、世羽子の家で?」
 御子がちょっと顔を上げた。
「有崎さんは、秋谷先輩を…ご存じなのですか?」
「まあ、ご存じというか何というか……中学が同じで、かなり前からの知り合いだから」
「そうですか…」
 御子がちょっと目を伏せる。
「あまり心配をする必要は……というと怒るかも知れないが」
「いえ…そんなことは」
 他にかける言葉が見つからず、尚斗は視線をあげた。
 もちろん空が何かを答えてくれる筈もなく……にしても、冬の空は吸い込まれそうに澄んでいて。
「……明日も晴れるかなあ」
「……?」
 首を傾げながら、御子もまた誘われるように空を見上げた。
「……予報では、しばらく…晴天が続くと…」
 そう答えながらも、御子の口調はいささか困惑気味。
「あ、いや……別に関係はないけど、昔のことを思い出しただけで」
「……はい」
「子供の頃……ちょうど今ぐらいの冬の季節、もちろん良く晴れてて雨は降らないって予報で言ってたけど、なんかワケもなく傘を持って歩きたかった日があって…」
「……」
「ただ、晴れてるのに傘を持っていくとみんなに馬鹿にされそうな気がして、玄関先でごちゃごちゃと言い訳じみたことを言ってたら……」
「……?」
「『自分がそうすべきだと思ったら、黙ってそうしなさい』と殴られたなあ…」
「誰に…ですか?」
「母親」
「お、お母様に…ですか?」
 ちょっと過剰な驚きように、尚斗は首を傾げた。
「……叩かれたこととか、ひょっとしてない?」
「……ないです」
 そう言ってから、御子は何かに気付いたように顔を上げた。
「あ、あの…あの…」
「ん?」
「……いえ、なんでもないです」
 
「おはよう、弥生ちゃんっ」
「……ごめん、あんま大きな声かけないで……響くから」
「……ん、ちょっとお酒臭い?」
 距離を置いて見ると、ぴしっと背筋を伸ばした美しい姿勢を保持している弥生なのだが、近づくとかなり体調が悪いのかなと心配されるレベルだったり。
「朝からシャワー浴びて、世羽子の用意してくれたしじみのおみそ汁と牛乳飲んで…今度は熱いお風呂に入って……やっとこのレベル」
「……休めばいいのに」
「……わ、私もそう思ったんだけど」
 温子がちょっと眉をひそめた。
「なあに?2人して宴会でもしてたの?」
「宴会というか……まあ、有崎の事とか」
 弥生が手短に説明すると、温子は呆れたように肩をすくめた。
「なんというか……世羽子ちゃんも弥生ちゃんも、精神構造が男の子っぽいよねえ。どっちかと言えば、終わったことは終わったことで次を見てる有崎君の精神構造の方が女の子に近いかも」
「そ、そんなことないでしょ…?」
「んー……別れ話でズルズル引きずるのは男の方が多いし。まあ、有崎君の場合は……精神構造云々じゃなくて、そういう人の影響を受けたって事かなあ?」
「えらそうに…」
 温子は人差し指をちょっと振った。
「私、今の彼氏3人目……一応、修羅場っぽいのも経験済みだから、弥生ちゃんにどうこういう資格ぐらいはあると思うけど」
「……お見それしました」
 弥生がちょっと頭を下げた……それ以上下げると頭痛が酷くなる手前まで。
「まあ、多けりゃいいって話でもないけど……正直、つき合ってみないと根っこの部分の相性なんてわからないっていうのが持論だから」
「……」
「楽器を買うときとか、試しに弾いたり叩いたりするでしょ?アレと同じ……好かれたい相手の前で素でいられる人なんてほとんどいないし」
「……素じゃ、ダメなの?」
 温子がポケットからドラムスティックを取りだし、くるくると回転させ始めた。
「いいんじゃない、素でいられるなら……それはそれで悪い事じゃないと思うし」
「どっちよ?」
 物知り顔で温子が呟く。
「んー、自分が納得できる方……というか、初恋で上手くやろうなんて、ぜいたくではないのかのう」
「……初恋?」
「……違うの?」
 弥生がちょっと遠い目をする。
「今の所は、初……好意どまりのような」
「弥生ちゃん、それはオヤジ…」
 
「……麻里絵、今日も来てないんだけど?」
「むう」
 紗智の視線を追いかけるようにして、尚斗は麻里絵の席を見た。
「……ほっとけば?」
「それ、どういう意味?」
 ちょっとばかり険しい視線で、紗智が椅子に座ったままの世羽子の背中を見た。
「別に……言葉通りの意味だけど」
「……麻里絵が休んでるって事と、秋谷さんが関係あるって思っていいって事?」
「案外風邪で休んでるだけかもね」
「…」
 紗智が無言で一歩踏み出そうとした瞬間、青山と尚斗がほぼ同時に脚を引っかけた。
「なにすんのよっ?」
「躓いただけですんだんだ、感謝してくれ」
 青山の言葉を聞いて紗智はちょっと瞬きをし、おそるおそる上を見た。
「……何もないじゃない?」
「ああ、何もないな」
「うん、何もなかったぞ」
 青山は淡々と、そして尚斗は紗智をなだめるように微笑みつつ。
 そして1人、いつの間にか椅子から立ち上がっていた世羽子がちょっとばつの悪そうな表情をしてそっぽを向いていたり。
「秋谷……前にも言ったが、お前は怒る相手を選ばなきゃいけない人間だぞ」
「ちょっと二日酔いで……意識が半分飛んでたのよ」
「物騒な無意識もあったモンだ…」
 青山が肩をすくめて呟いた。
 
「……二日酔いで保健室とは、いい身分だな」
 紫煙を吐き出しながら、水無月がどこか楽しそうに呟く。
「そこでのびてるのと、宴会でもしたか?」
「そんなところです」
 恐縮したように世羽子が俯いた……弥生は、ベッドの上でほぼ仮死状態。
 1時限目の音楽の授業が致命傷というか、温子がみんなにばれないように大汗かいて保健室まで担いでやってきたとか。(笑)
 世羽子は世羽子で、表面上は平静を保ち続けてはいたのだが……2時限目でギブアップ。気分が悪くて……の言い訳で教師は騙されたが、水無月がそれに騙されるはずもなく。
「……卑屈じゃない態度はなかなかいいな」
「20歳になったら誰もがやってることですから……ルールを破った言い訳になるとは思いませんけど、悪いことをしたとも思ってませんし」
「量は?」
「あの娘は確か、缶チューハイを6本」
「弱っ」
「で、私は缶チューハイ6本、缶ビール12本、父のとっておきのレミーをほぼ1本」
「強っ」
 水無月はちょっと眼鏡をずらしたまま、呆れたように呟いた。
「その年で、ドランカーか?」
「いえ、最近は全然……父も母もお酒好きで、子供の頃は良くビールをコップに半分とか飲ませてもらいましたが」
 世羽子は指先で髪の毛をいじり、ちょっと笑った。
「まあ、今回はちょっと別の理由があったので……レミーを空けたのは、あの娘がつぶれてからです」
「そっか……なら仕方ないな」
 眼鏡の位置を元に戻しながら、水無月がため息をついた。
「アタシは酒よりタバコだな……酒は、少量だと薬とかいう偽善っぽいのがなあ」
「……人間が嫌いという風にも聞こえますね」
「……面白いこと言うな」
 ちょっと虚をつかれたように水無月。
「そうですか、先生の方がよっぽど面白いと思いますよ……先生とこうしてお話しするのは初めてですけど、今までちょっと損した気分です」
 世羽子はちょっと立ち上がり、弥生の額にのせたタオルを取り替えた。
「えっと、秋谷……だったか?そうやってると、気分悪そうには見えないが」
「昔からこうなんですよ……他人に弱味を見せたくないというか、平気そうに取り繕うのが癖になってまして……一種の病気ですね」
「ふうん……ま、適当に休め」
「そうします」
 
「……お呼びですか」
「そういうワケじゃないけど……保健室には酔っぱらいがいるし、図書室はなんか人が多いし……まあ、今日はいい天気で暖かいから」
 尚斗がちょっと苦笑した。
「昼飯食って廊下に出たら先輩が中庭のベンチで座ってるじゃないですか……呼ばれてるのかと」
「気が向いたら来てね……って、断ったはずだけどね」
 読んでいた本を閉じ、冴子は自分が座っているベンチに尚斗を誘った。
「ま、座ったら?」
「では、お言葉に甘えて…」
 尚斗が冴子の隣に腰を下ろす。
「……春になると、この中庭も結構人が出てくるんだけど」
「ま、冬は仕方ないでしょう……」
 校舎に3方を囲まれた形の中庭は、レンガ色の通路や緑の芝生、そして植木がバランス良く配置されており……確かに、春ともなればなかなかに居心地がよさそうだと尚斗は思った。
「春になったら、私はもうここにいないからね……冬景色が見納めかしら」
 冴子の口調からは、何の感情も読みとれない。
「……大学の敷地って、こことは全然別の場所でしたっけ?」
「見ての通り」
 冴子はそこに校舎が存在しないかのようにちょっと手を振った。
「ここは、中等部と高等部だけだから…」
「なるほど……って、話は変わりますけど、この温室の位置ってなんか変じゃないですか?」
 冴子の手の動きに誘われて尚斗が視線を向けた温室は、校舎に隣接するような位置にひっそりとたっている。
「もうちょっと陽当たりの良さそうな場所に……」
「ああ、それはたまごが先かニワトリが先かの問題で…」
 冴子がちょっと難しい顔をした。
「この校舎が新しく建て直される前から、その温室がそこにあったというお話」
「……あぁ、やっぱり結構新しいんですかこの校舎」
「……キミ、地元じゃなかった?」
「地元と言っても、俺が住んでるのは一応隣町というか……まあ、今度の件があるまでこっちの町にはしばらく近寄らなかったんですよ」
 尚斗がちょっとびっくりするぐらい冴子は優しく微笑んだ。
「ねえ、それは5年前から?それとも、3年前から?」
「……それ、保健室に入ってくる情報ですか?」
 苦笑混じりに呟くしかない尚斗。
「さっきの質問の答だけど…」
 冴子はこれといった表情を浮かべることなく、言葉を続けた。
「校舎の工事が全部終わったのが3年……というか2年半前ぐらい」
「なるほど」
 尚斗は小さく頷いた。
 話題を変える……というよりは、敢えて触れないことでこちらの反応を見たいと言うところか。
「ま、その温室って前の理事長が…この女子校の創立者が作ったらしくてね……壊したり移動させたりするのを今の理事長がはばかったという噂」
「……の、割にはビニールに穴とか開いてますけど」
「その事にも気付いていない……って所でしょうね」
「……そういうネタも、保健室で入ってくるんですか?」
「これは水無月センセ経由だから、ネタ元は藤本先生あたりかしら?」
「はあ…」
 曖昧な尚斗の表情に気付いたのか、冴子がちょっと笑いながら言った。
「水無月センセ、ここの卒業生で藤本先生の2コ上の先輩なのよ……」
 どこか含むところのある口調。
「……と言うと?」
「男の子って……女子校について、あらぬ想像をするんじゃない?」
「……はい?」
「男子校、と聞いて一部の女の子があらぬ想像をするのと同じで……ほら」
 そう囁きながら、冴子は尚斗の背中を軽く撫でた。
「……被害者の1人として、そういう噂は拒否しますです、はい」
「興奮とか、しない?」
 妖しく微笑みながら。
「そりゃ、一応健全な男子なんですけどね……どうも、藤本先生とは相性悪いというか、本能的に距離をおきたいというか」
「……変わってるわね。藤本先生、あんなに美人なのに……一度着替えてるところを見たことあるけど…もう」
「からかって楽しいですか?」
 冴子はふと思いついたように眉をひそめた。
「……ひょっとして」
 冴子はその効果を十分わきまえた上でちょっと間を取り、言葉を続けた。
「入谷さんとか、九条さんみたいな娘じゃないとダメとか…」
「何の話ですか」
 楽しそうに微笑みながら、冴子が言う。
「いや、キミってあんまり照れたりしてくれないし…」
「からかわれてるのがわかってて、照れてどうしますか」
「敢えて照れた振りをして、私の出方をうかがってみるとか…」
「こう、駆け引きとか、腹のさぐり合いは苦手なんですよ……ガキと言われたらそれまでですけど」
「……こうしてね」
 そう呟きながら、冴子が尚斗との距離をさらに詰めた。
「相手のパーソナルスペースを侵害しつつ会話をすると、普通は主導権がとりやすいものだけど…キミはそうでもないのかな」
「……?」
「他人を自分のペースに巻き込むのが上手い人って、そういう事が上手い人が多いのよ」
「……麻里絵の事ですか?」
「ふうん……」
 冴子が曖昧に返事した時、温室のドアが開いた。
「おや」
「あ…」
 ベンチの2人に気付いたのか、御子がとてとてと近づいてきてゆっくりと頭を下げた。
「こ、こんにちわ」
「精が出るね、御子ちゃん」
 御子はちょっと微笑んだ。
「ちょっと元気のなさそうなお花達の位置を変えてあげようと思いまして」
 花のことになると、御子の口調はちょっと力強い。
「ちょうどいいところに…」
 御子が尚斗の手をつかむ。
「はい?」
 
「……私にはちょっと無理で」
「なるほど」
 大きめのプランターや鉢の重量は、小柄な御子ならずとも、女の子にはちょっとどうにもならない重さっぽい。
「急がないと、お昼休み……終わってしまいますから」
 御子が心配そうに温室の天井を見上げた。
 少しでも早く、陽に当ててやりたいと思っているのだろう。
「……元々、温室の大きさに対して数が多すぎるわよねえ」
 どこかのんびりした口調で冴子。
「あ、それは…冬ですので、私がちょっと…」
 ちょっと困ったように御子が俯いてしまう。
 屋外の植物を温室の中に運び込んだと言うことか。
「……冬の寒さが必要な植物もあると思うけど」
「それは、承知してます……けど」
「……ま、咲かせることが出来るなら咲かせてやりたいってのも人情かしら」
「……はい」
 2,3カ所ビニールに穴が開いてはいるが、温室の中はかなり暖かい。
 尚斗の視線の動きからそれを鋭く察したのか、冴子が言った。
「温室って、温度調整のためにドアを開けたり閉じたり、本当なら結構気をつかうモノなのよ……」
「……あれは、温度調整のための穴ですか?」
「さあ……私が空けたわけじゃないから」
 冴子がちょっと微笑む。
「昔は……海外の植物とかが並んでたそうです」
 ぽつりと御子。
「へえ…」
 尚斗は温室の中を見回した……確かに見慣れない植物がちらほらとしているが、熱帯とか亜熱帯を思わせる植物はなさそうだ。
「ま、ちゃっちゃっと動かしてしまうか…」
 尚斗がプランターをぐっと持ち上げた瞬間……
「ひぃああぁぁっ!」
 耳をつんざくような悲鳴に、尚斗は手に抱えたプランターを取り落とした……その重量故に破損し、土がざざあっとあたりにばらまかれる。
「な、なにがどうした御子ちゃん?」
「ご、ごごごごっごご…」
 壊れかけた人形のような動きで、散開する黒い生き物を指さし指さし……ているつもりなのだろうが、指さす動きが2テンポほど遅く、尚斗がそれを認識するまでに多少の時間差を要した。
「……一大コロニーね」
「……そんなにいましたか?」
「視認できたのは10匹ぐらいだけど…」
 冴子は複雑な表情を浮かべて、温室内を見わたした。
「よく言うわよね、『1匹見つけたら……』」
「や、ややややめてくださいっ…」
 御子が冴子の制服の裾をつかんでふるふると首を振った。
 確かに、この温室内に300匹のゴキブリが生息しているという想像はあまり愉快ではない。
 御子は何度か深呼吸し、胸に手をあてて自分を納得させるように何度か頷いた。
「とりあえず……そのプランターの植物を…」
「あ、いけね……このままじゃまずいよね」
 温室の隅から、御子がプラスティック製の新しいプランターを2つ3つ抱えて戻ってくる……いつもより動きが早いのは、黒い奴を警戒してるせいか。
 新しいプランターに散らばった土を入れ替えるため、御子が素手で土をすくった体勢のままいきなり固まる。
「御子ちゃん?」
「ひきっ」
 御子は妙な悲鳴を上げ、そのままごろんと後方に倒れた。
 
 ちなみに、逃げ遅れて生き埋めにされていたごっきーが奇跡の救出劇に感謝したのか、御子の手をかさかさかさと這い登ったせいである。
 
「……燃やすしかないと思うんです」
 温室を前にして、穏やかな口調と真剣な瞳。
「そ、それはどうかと…」
 少し落ち着こうね…と、御子の頭を撫でてやりながら、尚斗は冴子に聞いた。
「俺にはちょっと理解できないんですけどね……害虫云々はともかく、あれって恐いですか?」
「恐くはないけど……正直、関わりたくないわね」
「もう、あの子達には水をやることも出来ないから……やはり、燃やすしか…」
「はい、もうちょっと落ち着こうね、御子ちゃん」
 ちびっこの髪とはちょっと手触りが違うな、などと思いつつ。
「でも…でもでもでも、いるんですよね…?」
 既に昼休みは終了し、5時限目が始まっているのだが……サボりの常習犯、冴子と尚斗はともかく、今の御子にとっては何よりも重要事なのだろう。
「御子ちゃん……奴らは、人のいるところなら、どこにでもいるんだ」
「南極基地にもいるらしいわね」
「で、でもでもでも、いるんですよね?」
「……話がすすまないよ、御子ちゃん」
「……やっぱり、燃やすしか…」
「花も燃えます」
「でも、いるんですよね…?」
「この娘……なんか、強烈なトラウマでも抱えてそうね」
 
「…あ、頭…痛い…気分わるい…」
 世界中の地獄を見てきたような表情で弥生が呟いた。
「……だいぶマシになってきたみたいね」
「どこがっ…あ、痛たたた…」
 頭を押さえて、弥生がベッドの上で呻く。
「麻痺してた意識なり感覚が戻ってきたから苦しいのがはっきりしてきたのよ…」
「……未成年が、二日酔いについて語るな」
 タバコをくわえたまま、水無月が器用に呟いた。
「……と言うか、お前は大丈夫なのか?」
「まあ、頭痛と吐き気が間断なく襲ってくる程度です」
「……まったく見えないな」
「私につき合わされたこの子と違って自業自得ですから……痛いとか苦しいとか騒ぐ権利はないです」
 そう言ってちょっと自嘲的な笑みを浮かべた世羽子を見つめ、水無月が天井に向かって紫煙を吐き出しながら呟いた。
「……なんか有崎ってガキに似てるな、お前」
「……」
「おや?」
 どこか楽しげに、水無月が世羽子を見つめる。
「……何ですか?」
「ふうん…」
 水無月は椅子の背もたれを軋ませ、天井を見上げた。
「青い春、青い春……うらやましいねえ」
「先生にも、青い春の頃はあったでしょう?」
「アタシはまだ若い」
 威嚇するように振った水無月の右手からライターだけがはたき落とされる。
「……お?」
「すいません、反射的に…」
 世羽子が床からライターを拾い上げ、水無月に手渡した。
「えーと、お前もアレか……子供の頃からみっちりと護身術を叩き込まれたとか?」
「私、そんなお嬢さまに見えますか?」
「アタシを見りゃわかるだろ……お嬢さまもピンキリだよ」
 自嘲的な笑みを浮かべ、水無月がちょっと手を広げてみせた。
「まあ、勘当も同然だけど」
 世羽子が何気ない仕草で弥生を見る。
「……多分、私が本質的に理解できない事なんでしょうけど、そういうのって重いですか?」
「……何の関わりもない人を、何の必要性もなく殺せるか、お前?」
「……必要性があっても、拒否したいですね」
「集団生活を営む上でのお約束ってやつをアタシ達は考える前に刷り込まれる……それと同じだな。やっちゃいけないこと、やらなきゃいけないこと……そういう事を、一旦刷り込まれると……重い」
 水無月はタバコの灰を灰皿に落とすと、言葉を続けた。
「どこかで無理をしなきゃそれが出来なかったりするヤツもいれば、平気な顔してその呪縛を無視できるヤツもいる……まあ、お嬢さまに限った話じゃないと思うが」
「……そうかも知れませんね」
 世羽子はちょっとだけ頷いた。
 
 
                    完
 
 
 2月14日まで…(笑)
 イヤですね、締め切りって。

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