麻里絵と世羽子の間を、一枚の枯葉が飛んでいく。
沈黙に耐えかねたのか、麻里絵は言葉を重ねた。
「『相変わらず』って、どういう意味なの?」
「言葉通りの意味ね……わかりやすく言うと、以前私が椎名さんに抱いた印象と、今私が椎名さんに抱く印象がほとんど同じって意味だけど?」
世羽子は一旦言葉を切り、麻里絵の顔を見つめたまま言葉を続けた。
「ただ、受ける印象が同じって事は、本当は同じではないって事かも知れないわね」
「そ、そういう意味じゃなくてっ」
「別に……私と尚斗の家は精々1.5キロぐらいしか離れてないもの。椎名さんの家がどこにあるかは知らないけど、尚斗の幼なじみっていうぐらいなら子供の頃会ったことがあっても不思議はないでしょ」
「……それは」
麻里絵はちょっと言葉を切り、世羽子の靴の先を見つめたまま言葉を続けた。
「尚兄ちゃんとも…?」
「……頼んでもないのに助けて貰ったわ」
「それで…」
「それからずっと……なんて幼稚な理由でつきあい始めたワケじゃないし、告白してきたのは尚斗の方だから。第一、子供の頃は子供の頃、中学は中学…」
世羽子は自分を納得させるように小さく頷き、言葉を続けた。
「今は、今ね……まあ、尚斗は子供の頃の事なんて覚えてないし」
「……」
「尚斗に助けられたことのある人間なんて、このあたりじゃ男女問わずどのぐらいいるやら……毎日食べるご飯のメニューを全部覚えている人間がいないのと同じね」
「で、でも…秋谷さんは覚えて…るんだよね?」
「他人に助けられる事なんてほとんど無かったもの……ある意味貴重な体験だったから」
口元を歪めながら呟いた世羽子を見て、麻里絵は不思議そうに首を傾げた。
「……助けられたくなかったの?」
「半分正解で半分間違い」
「何で…」
「……そこまで答えてあげる義理はないし、親切にしてあげようとも思えないわね」
世羽子の冷たい視線を受け、麻里絵は脅えたように一歩後退った。
「わ、私…秋谷さんに…何かしたの?」
「タチ悪いわね、まったく…」
世羽子はちょっとため息をついた。
「あなたみたいに虫も殺せない……って女の子が案外、色々と画策したり、妙なのをけしかけてきたりするのよね」
「わ、私は…」
「ああ、ごめんなさい」
世羽子はにっこりと微笑んだ。
「中学の時、何人かあなたみたいなのがいたのよ……それを思い出しただけで、別に椎名さんのことを言ってるわけじゃないから」
「……そうは聞こえませんけど」
世羽子の手が軽く麻里絵の頬をはたいた。
「…っ?」
今度は逆の手で。
「な、何で…?」
「人間は大抵仮面をかぶってるモノだけど、あなたのは特に多そうだから」
「……怒らせたいんですか」
「そういう台詞が出てくる人は、怒ると不都合なことがあるって思ってることが多いわね……椎名さんのそれは、演技ができなくなるから?」
「わけの分からないこと、言わないでください」
麻里絵の言葉を無視するように、世羽子はため息混じりに呟いた。
「まあ、青山君ならもっと上手にやるんでしょうけど……」
「……?」
世羽子はあらためて麻里絵に優しいとも思える視線を向けた。
「忠告しといてあげる……私が気付くぐらいだから、尚斗も当然気付いてるわよ」
「何を…ですか?」
「困ってる人は放っておけない、しかも見返りを求めない……そんな尚斗を利用しようとする人間がいないなんて思ってないわよね?」
「……」
「それがわかっててもそこにそれなりの理由さえ見つければ相手に騙されてあげる性格だから、ばれてないなんて思わない方がいいわよってこと」
そう言って、もう話は終わったとばかりに世羽子が背を向けた。
「ちょ、ちょっと…」
「あ、そうそう…」
思い出したように世羽子が振り返る。
「椎名さんが尚斗に求めているモノがただ単に居心地のいい場所なのか、それとも愛情なのかはちょっと判断つかないけど、もし後者だとしたら、椎名さんは尚斗を支えてあげられる自信があるのね?」
「え……」
ただ黙っている……のではなく、考えたこともなかったことを聞かれて麻里絵が言葉に詰まった様に世羽子には思えた。
「居心地のいい空間を与えられ、何も言わなくてもこっちの考えを理解……ある程度理解してくれて、大事にしてもらえる……」
世羽子は一旦言葉を切り、空を見上げながら言葉を続けた。
「……それなのに自分は何も与えてあげられないなんて……私には耐えられないわね」
「……」
「じゃあ、さよなら…」
そわそわそわそわ…
「……紗智、背中でも痒いのか?」
「違うっ!」
「じゃあさっきから何をそわそわと…」
「それはな、有崎…」
「ッ、ッ、ッ、ッ!!」
腰を落とし、左右両腕の連打……顔面だけではなくかわしづらいボディへのパンチも含まれているのだが青山にはかすりもしない。
「おお、無呼吸連打……いかんせん、相手が悪すぎだが」
「ぜーはーぜーはー…」
「約25秒か……反動がつけられるミット撃ちでもないの大した運動能力だ」
そう呟きながら、青山はちらりと尚斗に視線を向けた。
「有崎、一ノ瀬はお前が秋谷と何を話したか気になって仕方がないそうだ」
「そうっ、そうなのよっ!ほら、盗み聞きが趣味の私としてはもー気になって気になって…」
肩で息をしながら何かをごまかすように大きく頷く紗智から視線を外し、尚斗は青山を見た。
「……どうかしたのか?」
「いや、今はいい」
「……賢明だな」
「青山が誉めてくれるとは、珍しいこともあるモンだ」
「……ちょっと」
無視された形の紗智が、自己主張するように手を挙げた。
「あ、すまん」
「いいけど……結局、よりでも戻すことになった?」
「いや、昔話をちょっと」
「……それだけ?」
「少なくとも俺にとっては有意義だったが」
「……ごめん」
「別に気にするな……と、悪い。俺、これから用事があるんだわ」
そう言って鞄を肩に掛けると、尚斗は2人に向かってちょっと右手をあげて教室を出ていった。
「……青山君、通訳頼んでいい?」
「お互いに馬鹿であることを再確認したって事だろ」
「余計わからないんだけど…」
「人間は1人1人使う言語が違うからな……通じない事が普通で通じることの方が珍しい」
どこか突き放したような青山の言葉に怒ることはせず、紗智はちょっと笑った。
「……そうね」
「ども、冴子先輩」
「あら…」
冴子は読みかけの本を閉じ、ちょっと意外そうな表情を浮かべて尚斗を見た。
「テストが終わった早々、モデルの方から押し掛けてくれるなんて…ね」
『ね』の部分に合わせて、触れなば落ちんといった感じに冴子が秋波を送る……が、尚斗はさらっとそれを受け流した。
「あ、すんません……その件は後ほどということで」
尚斗はちょっと頭を下げ、迷惑になってないよなと確認するように周囲を見回してから冴子に言った。
「夏樹さん、見ませんでした?」
「演劇部には……?」
「とりあえず、ちびっこに見つからない様に夏樹さんと話がしたいので」
冴子はちょっと首を傾げながら、尚斗の肩に手を置いた。
「……かなり誤解を招く言い方じゃないかしら、それは」
「……は?」
「面白いわね、キミは……異常に鋭い部分と鈍い部分が混在してて」
冴子は尚斗の肩に置いていた手を離して囁いた……冴子独特のハスキーな声が、囁くことでより強調されることに尚斗は気付く。
「じゃ、明日の放課後に中庭でね」
「え…」
「モデルよ、モデル」
そう言いながら、冴子はカメラをかまえる仕草をした。
「あぁ…」
曖昧に頷く尚斗をしりめに、冴子はぺこぺこと携帯メールを打ち始めた。
「……教室でいいわよね、今は誰もいないし」
たったったったっ…
いつも静かな女子校には珍しい、廊下を駆ける足音。
ガラララッ。
「冴子っ、大丈夫なのっ!?」
「はぁーい、夏樹」
冴子がちょっと手を挙げて応えると、夏樹は肩で息をしながら狐につままれたような表情を浮かべた。
「……冴子先輩、メールに何書きました?」
「別に……」
冴子は尚斗に向かってちょっと肩をすくめてみせた。
「いや……夏樹さん、めちゃめちゃ怒ってるみたいですが」
「……そうみたいね」
「ちょっと、冴子っ!」
怒気も露わに、夏樹がツカツカと冴子の方に向かって歩み寄る。
「んー」
冴子は特に慌てた様子も見せず、首をひねりながら立ち上がった。
「夏樹、良く聞いて」
「え?」
ちょっと気勢を削がれた形になった夏樹の肩に手を置き、冴子は真剣な表情で言葉を続けた。
「今から、夏樹の人生における一大イベントが始まろうとしてるの。だから、ちゃんと落ち着きなさい、いいわね?」
「い、一大イベント…?」
「そう、今から彼があなたに愛の告白を…」
「違うッス」
即座にツッコミを入れた尚斗の方をちょっとだけ振り返り、冴子は夏樹の耳元で囁いた。
「彼、照れ屋だから……邪魔者は消えるわね」
そのまますすすっ、と魚をくわえたドラ猫のようなしなやかな動きで教室を出ていこうとした冴子の襟首を尚斗が捕まえた。
「話がややこしくなるんでそういうお茶目はやめてくださいってば」
「あら…」
冴子は尚斗にだけ聞こえるように呟いた。
「お茶目の1つもいれとかないと、この前の件で雰囲気悪いんじゃないの?」
「……」
「ここでこのまま私を出て行かせれば、私を悪者扱いにして話がしやすいんじゃないかと……違う?」
「えーとですね、お気遣いは感謝しますが……さらに雰囲気悪くなりそうな話なので」
「あ、そう…」
冴子はちょっとため息をつき、どう反応していいやら考えあぐねているような様子の夏樹に向かって言った。
「夏樹、彼が話したいことがあるって……聞いてあげてくれる?」
「……で、話って?」
「ええ、これなんですけどね…」
尚斗が鞄からとりだしたモノを見て、夏樹の頬が刷毛ではいたように朱に染まった。
「とりあえず」
尚斗が深々と頭を下げた。
「ま、まさか…」
「読んでしまいました」
夏樹の赤面レベル1から2へ。
「しかも、隅から隅まで、幾度となく」
「〜〜〜っ」
その場からダッシュで逃げ出そうとした夏樹の長い足を軽く蹴飛ばし、床に向かってダイビングをかましかけた夏樹をちゃんと抱きとめて、尚斗は夏樹を抱えて元の場所へと戻った。
「とりあえず落ち着いてくれます?」
「し、信じられないっ!他人の持ち物を勝手に読んじゃうなんて…そんな恥知らずとは思わなかった」
「……その反応から察するに、やっぱりこれって夏樹さんが書いたモノですよね」
「……っ!」
「……いや、だから」
夏樹の身体を抱えて、再び元の位置に戻りつつ。
「まあ、読んじゃった事に関して何の言い訳もしないし、出来ませんけど…」
ちょっと言葉を切り、封筒を指ではじきながら言葉を続けた。
「読まれたくないものをわざわざプリントアウトしたのは何故でしょう」
「……」
夏樹がちょっと視線を逸らした。
「夏樹さん」
「……何?」
目をそらしたままの夏樹に向かって。
「言わないと、言葉にしないとわからない事ってあると思います」
「……」
「言っても無駄だ、言わなくてもわかる、そういうのは確かにあります……でも」
尚斗は目をつぶり、すぐに目を開けた。
「読ませてみませんか、ちびっこに」
夏樹の目が尚斗に向けられる。
「自分の出来なかったことを他人に要求するような面の皮の厚い男の言うことですが、ここはひとつ考えてもらえないでしょうか?」
「………か………か?」
「はい?」
ぼそぼそと蚊の泣くような呟きが聞き取れなかった尚斗は、夏樹の唇にちょっと耳を寄せた。
「お、面白かった…ですか?」
「俺の睡眠時間を返してください」
「……面白くなかったのね」
「すいません、ちょっと回りくどかったですか…」
尚斗は今の無しと言うように手を振り、あらためて真剣な表情で言った。
「面白かったんで、何度も何度も読み直しているうちに夜が明けてしまうほど」
「〜〜〜っ!」
「……いや、その反応が読めたから最初は回りくどく言ったんですけどね」
三度、夏樹の身体を抱えて元の位置へ。
「水を差すようで申し訳ないですが、あくまでも俺にとっては面白かった……という事なので」
「それでも…」
ぽつりと。
「ひとり……1人でも面白いって言ってくれるとすごくほっとするの。0と1は全然違うモノだから」
花開くような夏樹の微笑み。
「……想像してください。ちびっこがこれを読んで『面白かったです』って言ってくれたとしたら?」
「……くす」
「おや?」
「……人をのせるの、上手ね」
「……いきますか?」
花開いた夏樹の微笑みが一瞬にしてしおれた。
「書き手と読み手……そういう単純な問題じゃないから」
「……」
「結花ちゃんにこれを見せる……面白い面白くないじゃなく、それは結花ちゃんを傷つける事になると思うの」
「……それは」
「ううん、もしかすると……結花ちゃんのことだから私に気を遣ってこの脚本で公演をするとまで言い出すかも。そしてそれは、少なからぬ演劇部の部員を傷つけることになるかも知れないわ」
尚斗はちょっと俯いた。
「元々ね…私のわがままだから」
淡々とした口調で……あまりにも淡々としているから、それだからこそ心の中は大きく揺れているのだと。
「演劇部を潰したくなかった……それだけで満足しておけば良かったのに、自分が思うような演劇がしたいなんて」
夏樹を思う、結花の優しい気持ち……結花や演劇部に関わってきたみんなを思いやる夏樹の優しい気持ち。
お互いがお互いを気遣って……身動きがとれないまますれ違っていく。
同じモノを見ているはずなのに、何故か答だけがそこにない。
「……わかりました」
「ごめんね……でも、嬉しかった。面白かったって言ってくれたことと、こうして気を遣ってくれた事」
「あ、わかりましたってのはそういう意味じゃなくて」
「……?」
「まあ、悪い癖なんで…」
尚斗はちょっとだけ笑った。
「おーい、ちびっこ」
「え、人手が足りなくて大道具の材料を運べないんですか?」
周りに誰もいないのに、結花がそこにいない誰かに向かって驚きの声をあげた。
「……ちびっこ?」
「ああ、何て事でしょう。力仕事なら任せておけと胸を叩いてくれそうなひま人でも偶然通りがかってくれないと…」
悲劇のヒロインよろしく、小さな身体を細い腕で抱きしめてその場に膝をつく。
「どこに行けばいいんだよ」
「……察しがいい人で助かります」
すくっと立ち上がった結花の表情は既にいつもと同じで。
「なんとなく、来てくれそうな気がしてたのであてにして待ってましたから」
「なるほど、力仕事だな…」
男子生徒の胴回りほどもありそうな丸太を見て、尚斗は納得したように頷いた。
「んじゃ、早速…」
「1人じゃ無理ですって」
丸太の側にしゃがみ込んだ尚斗に、結花は呆れたように呟いた……のだが。
「よっこいせ」
「……っ!?」
結花だけではなく、演劇部の部員数名が信じられないものを見たというように目を丸くしている。
地面から持ち上げたそれを肩に担ぎ、尚斗はぐっと立ち上がった。
「これは確かに、女子にはつらそうだ……いや、男女差別とかそういうのじゃなくてだな…」
誤解するなよ、と材木を支えていた左手を離して手を振る尚斗を見て、結花が顔を青ざめる。
「手を離しちゃダメですっ!」
「あ、悪い悪い…大事な材料だもんな、気をつける。演劇部の部室でいいのか?」
結花の剣幕とは対照的に、材木を担ぐ尚斗の表情は平然としたモノで。
「……入谷さん。鋸でいくつかに切ってから運ぶ予定じゃ…?」
「はっ」
我に返ったのか、結花が慌てて尚斗を制止した。
「ストップです。そんな長いモノそのまま持って行かれたら入り口でつっかえますっ」
「……おう、言われてみると確かに」
納得して頷き、尚斗は肩に担いだ材木を……
「傷つけるとまずいんだよな?」
と、ゆっくりと地面に向かって……
「落としていいですっ、落としていいですからっ!」
「そう?」
ドシッ。
重々しい音をたてて、うっすらと地面にめり込んだ材木を見て結花はため息をついた。
「……力持ちですね」
「まあ、そこそこには」
「そこそこ……ですか?」
結花は再び材木に視線を落とし……総重量を推測しようとしたが、途中で恐くなってやめた。
「それにしても……この丸太って高いんじゃねえの?」
「中にうろがあって二束三文でした」
「……うろがあるとまずいのでは?」
「ああ、ログハウスの外見というか……外側が必要なだけですから。中身はうろを除いてから乾かせば、来年再来年にはそれなりの大道具の材料になりますし」
「おお、節約主婦」
「お金には苦労してますから」
「ありがとうございました」
「ん?」
「いえ、有崎さんが手伝ってくれたので思ったよりかなり早く終わりました」
「能率じゃなくて、手伝った事に礼を言え」
尚斗に指摘されて初めて気がついたように結花が頷いた。
「言われてみるとその通りですね」
「……で、仕事はまだあるのか?」
「あると言えばあるし、ないと言えばないです…」
尚斗が呆れたように星が瞬き始めた空を見上げた。
「……体育会系よりハードな部活だな」
「一応、責任者みたいな立場ですからね……指示した仕事が終わるのを待つのは当然ですし、どこか遺漏がないか考え続けるのも義務の1つです」
「そっか…」
「でも、今日は帰ります…」
そう呟き、結花は今初めて気がついたようにあたりを見回した。
「結構、暗いですね」
「まあ、陽が沈んだし」
結花がちょっとムッとしながら呟く。
「冬の夜道は危険ですよね」
「実はな、ちびっこ…」
「はい?」
「ちびっこに読んで欲しいモノがあって…」
「読んで欲しいモノ……」
3秒ほど経って、結花の頬がちょっと赤くなった。
「え、え、ええとですね…」
結花はどもりながら尚斗に背を向け、ぶつぶつと呟き始める。
「め、迷惑とかそういうのじゃなくて……その、そういうのは、読むとかそういうのじゃなくて直接口で伝えてくださった方が…その…」
「まあ、それはもっともな話だが、こっちにはこっちの都合もあるというか…」
「つ、都合があるなら仕方ないですね……で、でも、ちょっと意外というか…」
「そうか?」
「有崎さんは……その、直接言葉にする方かな…とか思ってましたので」
「……?」
どこか会話がかみ合ってないことに、まず尚斗が気付いた。
「で、でもまあ…読みます。読みますけど……別にいい返事をするというわけでは…」
顔を真っ赤にして振り返った結花の鼻先に、分厚い書類封筒が突きつけられた。
「……」
結花は無言で校舎の壁に額を押しつける。
「……どうかしたのか?」
「いーえっ、公演前だからちょっと情緒不安定なだけですっ」
「えーと、薄々気付いてたかも知れないがこれは…」
「20秒ほど黙っててくれますか?」
「……?」
そして20秒後。
「……夏樹様が書かれた脚本ですか、これは」
封筒を受け取りながら。
「ああ」
「夏樹様に頼まれたんですか?」
ちょっとうかがうような視線を向ける結花に、尚斗は首を振って見せた。
「いや、ただのお節介……というか、夏樹さんは読ませたくなさそうだった」
「有崎さんは、これが夏樹様の希望と考えて……」
「とりあえず」
結花の言葉を遮り、尚斗は言った。
「読んでくれ」
「……」
「演劇部がどうとか、公演がどうとかいうのを忘れて……ただ演劇が好きな人が初めて書き上げたお話を、ただ演劇が好きな人として読んで、その上で評価して欲しい」
「それに…何か意味があるんですか?」
「意味か…意味ねえ…」
尚斗は腕組みをして空を見上げた。
「……有崎さんは、それでいいんですか?」
「ん?」
「有崎さんなら理解できると思いますけど、私にこれを渡したことで……夏樹様や、私に恨まれたりするかも知れませんよ」
「それは仕方ないな」
尚斗があまりにもさり気なく答えたので、結花は反対に戸惑ったようだった。
「仕方ないって…だって、有崎さんは親切でやってるんですよね、それで恨まれるなんて割に合わないじゃないですか…元はと言えば、私が有崎さんにつけ込んだようなモノで…」
尚斗はちょっと笑い、結花の頭に手を置いた。
「というか……俺は、夏樹さんもお前も、もっと笑っていていいはずの人間と思うんだ。俺はただそれが見たいだけで……単なる自己満足ってやつだな」
「私、悪い子ですから…」
「だーかーらー」
尚斗は結花の頭をなで始めた。
「お前は悪い子じゃないって……多分」
「てい」
結花の手が尚斗の手を払いのけた。
「多分って何ですか、多分って!」
「まあ、人生において確実なモノは1つもないということだな」
「安っぽい台詞でごまかそうとしてもダメです」
「じゃあ、安っぽいこーひーみるくで手を打とう」
「……」
「考えるのかっ!?」
結花は何かを納得したように小さく頷き、封筒を脇に抱えながら言った。
「すいませんね、元気づけてもらって」
「おや…」
「読みますよ、これ」
結花が封筒をちょっと叩いた。
「そうか」
「それがどんな結果を招こうとも恨んだりはしませんけど……」
「けど…?」
「……責任はとってもらいますから」
「むう」
尚斗がちょっと首をひねった。
「責任というと、慰謝料とか…」
「責任は責任でも、責任違いです」
「は?」
完
えっと、2月の14日まであと……(笑)。
と言うか、この話が今何月何日の進行なのか、読み手にかなり理解しづらい状況なのではと心配です。
ちなみに、これは1月29日(火)の話。
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