「……このぐらいで足りるか」
 尚斗は何枚かお札を抜き出し、残りは前のように封筒に収めて自分の机の引き出しに戻した。
 父親に小遣いのルールを守らせている手前、尚斗はどんな理由があろうとそのルールを破ろうとはしない……今が取りだしたのは、毎月の小遣いの残りを貯めた金で、後ろ指を指されるようなことではなかった。
「……にしても」
 尚斗は呟く。
 昨日、『ちょっと会いたいんだけど、今どこにいる?』などと質問をしてしまい、みちろーを呆れかえらせてしまったのっを思い出して尚斗は苦笑した。
 みちろーが進学したのは『すごく頭のいい学校』とは麻里絵から聞いていたが、まさかそんなに遠く離れた学校だとは思っていなかったからだが。
『なに、そんな遠いとこだったのかっ!?』
『……相変わらずだな、尚斗』
『じゃあ、明日行く』
『明日って…平日だぞ』
『すまん、でも明日だ』
『……わかった。こっちの駅に着いたら連絡をくれ、待ってる』
 短い会話だったが、みちろーは何かを雰囲気で察してくれたようだった。
「……さて」
 壁に掛かった時計を見て立ち上がった。
  学校を休むことが悪いことだとは思っていなかったが、学校に向かう奴らを後目に私服姿で逆方向に向かう事に気がひけて、何となく時間を潰していたのである。
 プルルルル…
 タイミング良く階下で電話が鳴り、尚斗は階段を駆け下りた。
「はい、有崎……て、青山?」
『そろそろ出発か?』
「……俺の行動を読むな」
『こっちはHRが終わったとこで……名前は教えないが、お前の席の周りで欠席者がいるぞ』
「……」
『とりあえず教えとく……判断は有崎に任せるけど』
「青山、お前も随分お節介になったなあ…」
『いや、俺は面白がってるだけさ』
 9割は本気で、1割ぐらいは嘘だろう。
「……精々背後に気をつけるよ」
 尚斗は苦笑混じりに呟き、じゃ、と言って電話を切った。
 
 ジャンパーのポケットに両手を突っ込み、駅に向かって歩いた。
 憂鬱と昂揚……その2つの波が交互に押し寄せているせいか、いつもより早足になっている自分に気付いて足を止めた。
 10秒ほど空を見上げる。
「……」
 冬の空気は澄んでいる……だから、空を見上げるのは冬に限る、星もまたしかり。そんな事を誰かが言っていた。
 雲一つない、冬の青空……確かにいい天気だった。
 それでも、冬の空の青さにはどこか力強さが足りないように尚斗は思う……が、今の自分の心と向き合う分には悪くない。
 尚斗は再び歩き出した。
 いつもの歩調で歩けている事にほっとした自分自身を、尚斗は心の中で嘲笑った。
 
 駅の窓口で新幹線の切符を求めていた時……
「えーっ、新幹線っ!?」
 という聞き覚えのある素っ頓狂な声が人混みの向こうから響いてきて、尚斗はこめかみのあたりを指で押さえた。
「相変わらず杜撰な奴……」
 無意識にそう呟いてから、尚斗は首をひねった。
「……本当に杜撰か?」
「お客さん?」
「あ、すいません…」
 尚斗は切符とお釣りを受け取り、窓口から離れた。
 相次ぐ自爆によってどこか抜けているという印象を確かに持ったが、違う角度から見ればそういう印象を植え付けられたと言えなくもない。
 少なくとも、紗智が口にした目的は麻里絵の心を軟着陸させるとかかんとか……要は、尚斗に麻里絵とひっつけという話。自爆したと言っても、紗智の計画(真の目的は不明だが)が破綻したワケではないのだ。
「第一、何で紗智が尾行けてくる?」
 例えば今日、尚斗がどこかに遊びに行くのなら、紗智は全くの無駄足を踏むことになる……はず。
 今日はみちろーに会う……から、紗智の行動が意味を持ってくるわけで……。
「今日の俺の目的地を推測にしろ何にしろ予測してなければいけないはずだよな…」
 つまり、さっきの悲鳴はフェイク。
「……」
 首をひねりながら改札を抜けた。
 全て仮定を積み上げたから推理に穴がありまくる……と言うより、紗智のポジションがはっきりしないから何を考えても無駄という結論に辿りついた。
『……番線の列車、まもなく……』
 尚斗はひとつ深呼吸をしてから、いきなりダッシュして階段を駆け上がった……昇りきったところで急ブレーキをかけ後ろを振り返る。
「…うわっ」
 がしっ。
「……捕獲完了」
 自分の胸に飛び込んできた格好の紗智をしっかりと抱きしめ、そのまま発車寸前の電車の中へと連れ込んだ。
 もちろん周囲の注目の的……と言いたいところだが、21世紀恐るべし。ごく少数の人間が眉をひそめるにとどまるという始末だったり。
「……この体勢、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど」
 紗智の両肘を極めるように抱きかかえ、左足で紗智の右足の爪先を踏んづけた完全捕縛……傍目には、仲むつまじく抱き合っているようにしか見えないところがみそ。
「仲の良いカップルならこのぐらいは朝飯前だ」
 くううぅ…。
 紗智の腹部から、可愛い音が鳴った。
「……本当に朝飯前か、お前」
「だって、朝早くから尚斗の家の側で張り込んでたし…」
「……さいですか」
 尚斗は紗智の身体を解放し……た瞬間、紗智の右拳が尚斗の顔面を襲った。
「……寸止めしようぜ、紗智」
「寸止めしなきゃいけない理由が、これっぽっちも見つからないし」
「いや、人目があるし…」
「だからどうしたって言うのかしら?」
 『今日はどこに遊びに行こうか?』『えー尚斗が決めて…』なんつー会話が聞こえてきそうな爽やかな微笑みを互いに向けつつ、尚斗は紗智の右拳をホールドしたまま油断なく左手や両脚に注意を払い、紗智は紗智で右手を何とか振りほどこうと渾身の力を込めながら、両脚と左手を小刻みに動かして尚斗の隙を探ろうとしていたり。
「……1つ提案があるんだが」
「じゃあ、この手を放してくれる?」
「俺、弁当持ってる」
「……卵焼き、入ってる?」
「ああ」
 紗智の身体から力が抜けた。
 
「……考えてみれば、この弁当って尚斗の手作りなワケよね」
「さっちゃんよ」
「……さっちゃんゆうなってば」
 ちょっと不機嫌そうに、紗智が尚斗を睨んだ。
「いや、この状況で何の躊躇いもなく弁当箱を開けてばくばく食えるお前をちょっと尊敬したぞ」
 ちなみに電車の中。
 しかも、スーツ姿のサラリーマン達のの好奇の視線を浴びながら。
 ほどよく混雑した電車の中に漂う食い物の香りが、その視線を呼び寄せたのは言うまでもない。
「……電車内での飲食って禁止されてたっけ?」
「食いもんを口に頬張ったまま喋るのはやめるように」
 そう口にはしたが紗智の姿から不快感を覚えているわけではない……周囲の人間も呆れてはいるものの、不快感を表に現している人間はいないのが不思議といえば不思議だ。
「じゃあ、食卓を囲んでの家族団らんなんて不可能じゃない?」
 ちょっと箸を休め、紗智が首を傾げながら言った。
「ご飯食べながら喋っちゃいけないって事は、家族全員が同じタイミングで食べて、同じタイミングで箸を休めて、せき立てられるようにぶつ切りの会話を交わして、再び食べ始めるって事?」
「……めちゃめちゃ恐いな、それ」
「まあ、行儀作法を否定するワケじゃないけどね…」
 紗智はちょっと笑い、おそらくはわざと残しておいた卵焼きを口に入れた。
「……ふむ、いい仕事してますね」
「お前、卵焼きに何か思い入れでもあるのか?」
「別に、ただ好きなだけ」
「ごく、普通に焼いただけだが…」
「……じゃあ、お母さんの腕前が良かったのね、きっと」
 尚斗はため息混じりに呟いた。
「……反面教師という意味なら。味より量、腕白で逞しく育たなきゃ男の子じゃないという教育方針だったモノで」
「腕白なら、普通は逞しいわよね……ごちそうさま」
 弁当箱の蓋にひっついたご飯粒まできっちりと食べ終え、紗智は行儀良く手を合わせて頭を下げた。
「……おかわりはないぞ」
「ちょっと複雑だけど、私のお母さんより確実に上手だわ」
「食い慣れてない味付けだからだろ……外食みたいなもんだ」
「麻里絵よりも上手」
「得意料理がいなり寿司なんつー微妙な奴と比べられても……って、今は違うか」
 紗智がちょっとだけ笑った。
『まもなく……駅……駅、……線、……線お乗り換えの方は……』
「さて……」
 尚斗は紗智に視線を向けた。
「一応聞くが、俺の行き先はわかってるんだよな?」
「……みちろーでしょ」
「来るのか?」
 紗智は一瞬だけ尚斗の視線から顔を背け、そして口元に力の抜けたいつもの笑みを浮かべた。
「私も、用事があったから……尚斗のことは、いいきっかけ」
 
 景色が流れるように後方に飛んでいく。
「やっぱ、速いよね新幹線って…」
「ああ、新幹線だからな」
「……意味不明ね」
「青山曰く『人間は全てに意味を持たせようとして苦しむ……だから、明らかに意味不明の発言は互いの精神を正常たらしめる行為の1つである』だってさ」
「それ、言えてるかもね…」
 窓の外に視線を向けたまま、紗智が微かに身をよじらせた。
「……紗智」
「なあに?」
 紗智らしからぬ、ちょっと間延びした返事は尚斗の口調から何かを感じたからか。
「みちろーの奴、中学の頃はサッカーやってたんだろ?」
「うん、1年はフォワード、2年からは司令塔で……2年3年と続けて県の優秀選手に選ばれたんだから」
 自慢するように、紗智がみちろーの事を話し始めた。
 2年に上がる頃から眼鏡をかけ始め、でもサッカーの時はコンタクトだったとか……紗智の語るみちろーはひどく眩しい。
「もう、バレンタインの時なんか大変……ほら、彼女の麻里絵がぼやーとしてたから、隙あらばって女の子が次から次へと」
「それを、紗智が空手で次々となぎ倒して…」
「ないない……それ、犯罪」
 紗智が白い歯を見せながら苦笑し、手と首を振る。
「私はまあ……交通整理ってとこかな」
「交通整理?」
「混乱すると危ないでしょ……だから、窓口を作ってどうしても直接渡したいって子の順番を決めたり、ただ渡したいって子のチョコを整理したり……3年の時は、もうちょっとで3桁到達ってとこ」
「……やるなあ、みちろー」
「別の学校からも何人か来てたし」
 紗智はふっと息を吐き、また例の笑みを浮かべた。
「私が麻里絵の立場なら……怒るけどね」
「みちろーを?それとも、渡しにくる女の子を?」
 紗智は尚斗の問いに答えず、ただそれをなかったように言葉を続けた。
「……私がそう言ったら、麻里絵、なんて答えたと思う?」
 尚斗は紗智の視線からちょっと顔を背けた。
「好きな人に想いを伝えられなかったり、答えがもらえないのが一番ツライから……そんなとこか」
「……」
 紗智は尚斗をじっと見つめ、躊躇いがちに口を開いた。
「……尚斗」
「何だ?」
「ごめん…なんでもない」
 
 新幹線から電車に乗り換えて約20分……みちろーの寮の近くだかなんだか、とにかく指定された駅までやってきた。
「遠い……事は遠いんだろうけど、時間的にはあんまり実感沸かねえな」
「……あれ?」
「紗智?」
 尚斗の声が聞こえないのか、紗智は自分の財布の中を覗き込んだままぶつぶつと何か呟いている。
「さっちゃん?」
「1枚、2枚、3枚……ああっ、一枚足りないっ!?」
「……季節はずれのお岩さんか?」
 紗智は尚斗に向き直ると、いかにも空手っぽいきびきびとした礼をした。
「有崎センパイ、帰りの新幹線代が足りないことが判明しました」
「……おーい」
「何でも言いつけてください、お役に立ちます」
「……1枚足りないってことは、万札の筈がないし最高でも千円だよな?」
「500円玉1枚程度……学割料金と勘違いしちゃってた」
 尚斗は頭の中で財布の中身を思い浮かべた。
 余裕をもって用意してきたので、その1桁上でも問題はない。
「まあ、いいけど……とりあえずみちろーに連絡して」
「ごめん、その前に尚斗の携帯ナンバー教えて……もしはぐれたら、私、帰れなくなるから」
「……それもそうか」
 紗智が尚斗の携帯アドレスを目敏く盗み見て、呆れたように口を開いた。
「すっかすかじゃない……友達いないの?」
「元々携帯が嫌いなんだよ。正直、あまり持ち歩かないし、ほとんど使わない」
「……携帯の意味ないじゃん」
「俺もそう思う……って、ちょっと待て」
「何?」
「紗智、お前の財布を見せてみろ」
 紗智は芝居ッ気たっぷりの恥じらいの表情を浮かべて言った。
「……やだ、そんな露骨な言い方」
 尚斗はそれに構わず、にこにこと笑いながら紗智の顔をじっと見つめる。
「さっちゃん。本当に新幹線代が足りないのかな?」
「うん、神様に誓ってもいいわよ」
 紗智もまた微笑みで返した。
「……ま、いいけど」
 尚斗は肩をすくめ、みちろーに連絡を入れた。
『ついたのか、尚斗?』
 連絡を待っていたのか、ワンコールでみちろーは出た。
「まあ、着いたことは着いたがおまけ付きだ」
『……?』
「それは後で……で、これから俺はどうすればいい?」
『いや、実は駅の入り口にいる』
「は?」
『尚斗、俺が住んでるのは学校の寮なんだが?』
「ああ……すまん」
 おそらく寮の入出に関して規則があるのか……のんびりと寮内で、尚斗達がやってくるのを待ってるわけにはいかなかったと言うことだろう。
『それと、この駅、出口は1つだから心配するな』
「了解。じゃ、とりあえず出口に向かうから…」
 携帯を切り、尚斗は紗智を振り返った。
「行くぞ……紗智は、2年ぶりか?」
 紗智はちょっと曖昧な表情を浮かべ、ぽつりと呟いた。
「……まあね」
 ほどなくして改札を抜け、尚斗は前を見た。
 出口が1つのせいか、結構ごちゃごちゃと人の出入りが激しい……が、そこに辿りつくまでの道筋が何故かぽっかりとあいている。
 急がずに、それでも誰に邪魔されることなく辿りつくことができたのは偶然か。
「よう…」
 軽く右手を挙げた。
「……今日まで皆勤だったんだぞ」
「気にするな、俺は気にしない」
「まあな、皆勤ったって他にやることがなかっただけだしな」
 苦笑混じりにみちろー。
「おっと、忘れるところだった…」
 尚斗は後ろを振り返った……が、紗智の姿は既にない。
「土産か?」
「好意的に解釈するとしよう……うん」
「は?」
「ま、立ち話もなんだし……」
「え?ああ…すぐそこに公園がある……そこでいいか?」
 
 良く晴れた冬空の下。
 公園のベンチに腰掛け、尚斗とみちろーはちょっと笑いあう。
ベンチに背中を預け、尚斗は空を見上げながら言った。
「しかし……5年ぶりか」
「いや、4年ぶりだろ」
 尚斗は指先で顎の下をかき、みちろーは空を見上げた。
「正直、あの日まで俺はお前をちょっと恨んでた…」
「……」
「俺の両親の離婚が決定した後……お前、家の外まで来てくれたよな」
「別に……俺は、お前ん家の犬が心配だっただけだ」
「……そ−いうことにしとこうか」
「しとけ」
 照れくさそうに、尚斗はプイッとみちろーの反対側を向いた。
「ま、それはそれとして…」
 みちろーは一旦言葉を切り、そっぽを向いた尚斗の耳のあたりに視線を向けた。
「あの時思ったよ……何かあったら、それを知ったら尚斗はちゃんと来てくれるって」
「……」
「言葉を交わしたワケでもないし、表現として間違ってるかも知れないけど……あの日、俺達はたしかに『会った』よな。少なくとも俺はそう思ってる」
「それ以上恥ずかしいことを言うなら俺は帰るぞ」
「遠いところから来たばっかりじゃないか、ゆっくりして行けよ」
 みちろーはにやにやと笑い、尚斗の背中を叩いた。
「みちろー……お前、イヤな奴になったなあ」
「……じゃ、本題に入るか?」
「ああ……そうだな」
 尚斗は呟き、身体ごとみちろーの方に振り向いた。
「お前、麻里絵に告白したんだろ……で、麻里絵はオッケーしたんだよな?」
 みちろーはすぐに答えることはせず、視線を地面に落とした。
「お前、麻里絵と初めて出会った時のこと覚えてるか?」
「初めて……って。確か、俺が近所の公園で1人で遊んでたら……麻里絵が、じぃーっと俺のこと見つめてて」
「……」
「最初はケンカうってんのかと思ったけど、ひょっとして遊び相手が欲しいのかなと思いなおして、『一緒に遊ぶか?』って、声をかけた……んだが?」
 みちろーがゆっくりと首を振った。
「尚斗、それ違う……それは、多分2度目だ。初めての出会いの時、俺も側にいたよ」
「……はて?」
「……尚斗にとっては、困ってる誰かを助けることが大事で、助けた相手そのものは問題じゃないんだな、きっと」
 みちろーは肩をすくめ、空を見上げた。
「俺から見ても格好良かったよ、あの時の尚斗は……テレビのヒーローみたいに、さっと現れて、たった1人であいつらを追っ払って」
「……すまん、やっぱり思いだせん」
「多分、尚斗にとっては珍しくないことだったんだろうな……でも、麻里絵にとってあの出来事は多分特別なんだ」
 みちろーは空を見上げたままため息をついた。
「みちろー…」
「お前が何を考えているのかは何となくわかる……でも、オッケーしたのは麻里絵だ。それまで背負おうとするのはちょっとイヤミだぜ」
「言い訳にもならないけど……俺はガキだったから、わからなかった。麻里絵の気持ちも、みちろーの気持ちも。ただ、仲の良い遊び相手、幼なじみだとしか……わかったのは、中学に上がって少し経ってからだ」
「仕方ない……と、俺は思う」
「麻里絵は、そうは思わないだろ」
「麻里絵……必死で『彼女』ってやつを演じてた。見ていて切なくなるぐらいに、文句のつけようのない『彼女』を演じたよ」
 不意に、みちろーの口調が変わった。
「……俺は、それが辛くて逃げた。いや、両親が離婚した時も……逃げてたよ」
「……」
 みちろーの表情が和らぎ、尚斗を見た。
「でも……またお前が来てくれた」
「……」
「お前の前では、無様な姿を見せたくないんだ…」
「……おいおい、こんな頭のいい学校にきて無様って事はないだろう。サッカーもすごかったらしいじゃないか」
「他人の評価は関係ない……あくまで、俺が、俺をどう思うかだ。いつだって、尚斗や、麻里絵の前に胸を張って出られる俺でありたい」
「充分格好いいぜ、みちろー」
 そう言うと、みちろーはちょっと笑った。
「……実は、2月にそっちに行く予定があってな」
「なに?」
「進路の関係でちょっと、父さんと母さんに会わなくちゃいけない」
「……もうちょっと早けりゃな」
「今度はこっちから連絡する……本当は、まだ話さなきゃいけないことがあるんだが」
「全部話す必要はない……お前が俺の気持ちをくみ取ってくれたように、こっちはこっちでお前の気持ちをくみ取るさ」
 尚斗とみちろーは同時に笑い、お互いの胸を右拳でどんと突いた。
「じゃあ、またな」
「おう……って、本気で忘れるところだったが、紗智が来てるんだが。何かお前に用事があるとかないとか」
「え、さっちゃんが…?」
 みちろが左右に視線を投げた。
 おそらくはどこかで見ていたのか、それとも何らかの手段で2人の会話を聞いていたのか、タイミング良く紗智が2人の方に向かってやってきた。
「久しぶり、みちろー…」
「紗智、俺は席を外すぞ……みちろー、またな」
「ああ…」
 尚斗は右手を、みちろーは左手をちょっと挙げ、別れた。
 
「ねえ尚斗、駅弁食べたい」
「まだ食うんかい…」
 ちなみに、帰りの新幹線を待つ間に紗智は駅の立ち食いソバを二杯平らげていたりする。もちろん、支払いは尚斗だ。
「さっきも言ったけど、私の財布空っぽだから」
「……その発言、非常に疑わしいんだがな」
「……おいしそー」
 新幹線の車内販売を物欲しそうに眺めつつ、紗智はため息をついた。
「……で、用事は片づいたのか?」
「そうねえ…」
 紗智は窓枠に肘をつき、窓の外に遠い目を向けた。
「自分の心に決着はついた……かな」
 何となくわかった……いや、敢えて紗智がわからせてくれたのかも知れないが。ただ、紗智が教えてくれようとした以上の事までわかってしまった。
「……みちろーに惚れてた上、馬鹿が付くようなお人好しを演じたのか」
 窓の外を向いたまま、紗智の口元がまた例の力のない笑みを浮かべた。
「……察しのいい男は嫌いじゃないけど、鋭すぎる男は嫌い」
「すまんな……思ったことを口にしてしまう性格で」
「そういう、余計な慰めをいう男は大嫌い」
「すいませーん、その……弁当を1つ」
「1050円でございます」
 尚斗は愛想のいいお姉さんに金を払い、弁当を紗智の膝に置いた。
「……そういう男はちょっと好き」
「単純な基準だな、おい?」
「いいんじゃない、それで…」
 顔を動かさずに目の動きだけで尚斗を見て、紗智はちょっとだけ笑った。
「……私もね、逃げたのよ」
 やっぱり話を聞いてたか、という言葉をのみ込み、尚斗は紗智を見た。
「みちろーが麻里絵の事を好きなのがわかったから……みちろーの背中を押すことで逃げたの。負けることがわかってる勝負なんて嫌いだから」
「……そりゃ、誰だって負けるのは嫌いだろ」
「……負けなきゃ、進めないこともあるから」
 紗智が弁当を縛る紐を解き、蓋を開けた。
「負けたってわからないと、ずっと心がその勝負に縛り付けられて……離れられなくなるから」
 割り箸を取り落とし、紗智が座席の下に左手を伸ばした。
「おいおい、汚ねえって……俺の弁当箱の箸使え。水洗いはしてあるから」
「そうね…」
 ゆっくりとした動作で身を起こし、紗智は箸を受け取った……その左袖が微かに濡れているのに尚斗は気付いて、何気なく立ち上がった。
「……飲みもん買ってきてやるよ。何がいい?」
「紅茶系…」
「ちょっと、時間かかるから……」
 紗智は振り返り、透明な滴をたたえた瞳で尚斗を見つめたまま言った。
「こんな時に、優しい男も嫌い…」
 
 
                    完
 
 
 『チョコキス♪』において、やはりみちろーはちゃんとキーパーソンとして登場させるべきだろう……と思った方も多いと思いますが。
 さあ、高任的みちろーはどうでしょうか?(笑)
 個人的にはもっと渋めの演出をしたかったのですが、一応高校生だから抑えめに。

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